055 第11章 森を抜けて町へ 11ー1 我は救助隊
マリーネこと大谷はいよいよ、平地にきた。沢山の人がいるはずだ。
きっと色んな出会いがあるだろう。
しかし、下界へ抜けて来たマリーネこと大谷を待っていたのは、襲われている人だった。
55話 第11章 森を抜けて町へ
11ー1 我は救助隊
起きてやるのはまず、ストレッチ。
焚き火の跡をスコップで埋めて、水を汲みに行く。
リュックにスコップを括り付け、大きい剣の縛り具合を確かめる。革の紐を縛り直す。
剣帯を左肩に掛けてリュックを背負う。
歩き始める。
やっと森を抜ける。
湖を離れる前に飲み掛けの革袋の水を零し、もう一度汲んだ。
そして周りの木を見渡すと倒木もある。手斧で手っ取り早く薪を切る。
もうそんな沢山は要らないはずだ。リュックがいっぱいになるか、ぐらいで止めた。
川に沿って歩いていく。若干南南西に向かった川はそこから一気に南東に流れていく。
川が合流。その合流地点のやや上の東側の川にあの時切り倒した、倒木が数本流れ着いていた。あの湖より上流で二つに分かれていたのか。なるほど。
合流した川幅はそこそこあって、渡河は出来無さそうだ。
もう周りの木々は、普通の森林という感じで、あの盆地の村の周りの木々とも違う。
見ると広葉樹が多い。名前は全くわからないが、色んな種類の広葉樹があるようだ。
美しい森だ。
葉っぱが下に積もってフカフカの地面を作っており、農耕にも向きそうな感じだ。
きっと農業も盛んだろう。たぶん。水があって、腐葉土もある。
温度もそれほど高くもない、そういう感じだな。亜熱帯から温帯の狭間か。
そうだな。たぶんそんな感じだな。
合流した川の川岸を歩く。左手側には橋。
道が見える。と、悲鳴が聞こえた。
!
もう走り出していた。なんてお人好しなのか。私は。
道に出ると幌の着いたかなり大きめの荷馬車? の横に四名倒れていて、一名が襲われていた。
もう考えるまでもなく私は右腰のダガーを引き抜いて、全力で投擲。
濃紺の毛並みの犬に命中した。
「ギャワン!!」
濃紺の犬から悲鳴が上がってドサリと倒れた。
やや年配の男はもう気を失ったのか、倒れている。
倒れた犬のような動物の横に居た二頭がこっちに全力で駆け寄ってきたが、急につんのめるように止まった。もう一頭も急ブレーキ。
睨み合いになった。相手は明らかに困惑している。
美味そうな餌の匂いなのに、強烈な魔気を放つ私に。
私はブロードソードの柄に手をかけた。
更に睨む。二頭は急に尻尾を下げると森の方に走り出した。
逃げていった。魔石のお陰だ。
私の気合で逃げていった訳ではないだろう。
急いで駆け寄る。
この男はまだ生きている。
他の四名は。
残念な事に護衛の三名は喉を食いちぎられて死んでいる。
後もう一名は右足の太ももに大怪我を負い、出血が多い。
脈を取る。……止まってる……。くっ。
まだだ。まだだ。
男を上向きに寝かせて、胸をはだける。いい仕立ての服だ。身長もデカいな。
そしてコイツ、どこからどう見ても超イケメンか。眩しいくらいの。
もう、こういうのは嫉妬を取り越えて感心するばかりだ。
背負っていたリュックを降ろす。
あの革袋を取り出す。
あの紫色の水を指に取って、この若い男の口の中に突っ込んだ。舌に塗り付ける。
そして、目を瞑った。
こういう時は、人工呼吸だ。そして心臓マッサージ。
この超絶イケメンの若い男の鼻をつまんだ。
そして下顎を引っ張り口を思いっきり開けて、私の口をそこに入れる。
ディープキスなのだろうが、気にしている場合ではナイ。
二回吹き込んで、心臓位置に左手の掌を当てる。その上から右掌を重ねる。
六〇回だ。こういう時は落ち着け。一定のリズムだ。そして肋骨が折れるんじゃないかというくらいの圧でしっかり押す。
足りないくらいなら、肋骨が折れても押せ。と元の世界の自動車学校の強面の教官は言った。
足りないくらいなら、圧が強すぎるくらいのほうが、まだ助かるのだ。そう力説していた。
この強面の教官は赤十字で救急法救急員と救急法指導員の両方とも資格を持っていた。
そして胸骨圧迫は実際には胸骨が五センチ沈む強さが必要だと説明した。結構な強さだ。
その時の事を頭に思い浮かべる。
女性陣がどうにもキスに抵抗がある上に、圧が足りない。
それで教官は言ったのだ。
「人を助けるのと、キスしてしまっていやだ、キスは彼氏だけというのと、どっちが大事だ?」
「息を吹き込んで相手の肋骨が折れても押せ」
あの教官の言葉を思い出す。
私は他の男性陣と共に、かなり速い一定のリズムの難しさを実感しながら、あの人工呼吸人形相手に何度も繰り返した。
自動車学校で習った、あれを思い出す。
鉄塊を叩くのと一緒だ。一定のリズム。いうことを聞き始めた鉄は力任せに叩かない。
割れたり千切れたりしない強さで、一定のリズム。
脈の速さのほぼ二倍か。で六〇回。また息を吹き込む。二回。そしてあの命の水を指につけてこの超絶イケメンの舌に塗りつける。
また心臓マッサージ。一定のリズムで六〇回だ。しっかり押せ。
二回で一セット。ここで脈を見る。
おそらくそれで一分だ。つまり一分間に下限一〇〇回以上、上限一二〇回が必要だ。
そして、五分まで。つまり一〇回やって脈が戻らないと、元の世界では救急車が間に合っても、集中治療室送りかもしれない。
一五分を越えると、蘇生自体ヤバくなり始める。三〇分越えたら、かなり不味い。蘇生率が一気に下がる。
四五分に達するともう五パーセントとか四パーセントとかそういう率でしか、助からない。しかも、意識を取り戻すかどうかすら定かではない……。
六〇分越えてしまうと終わりだ。もう死んでいるのだ。蘇生率〇パーセントだ。
あの自動車学校の授業では、消防署の救急隊員の人が特別講習で来てくれて、人工呼吸と心臓マッサージでとにかく『血液を回せ』と言っていた。そしてそれ専用の人形で実践のお手本を見せてくれたのを思い出す。
脳に行く血液が止まったら三分以内に再度酸素が供給されないと脳細胞が壊れていき、障害が残るんだったか。
うろ覚えだ。
とにかく、人工呼吸だ。そして心臓を押せ。
二九回目。未だに脈に反応なし。
……心臓よ。動け。動け。動け。ここで動かなければ意味がないんだぞ。
…………
四九回目。呼吸を送り込む前に手を取って脈を見る。
ト…… ト…… ト……
弱々しいが脈が来た。
急いで心臓位置に耳を当てた。
トク…… トク…… トク……
(良かったな、よく心臓が動いたな。あのおばばの水が効いたのかもな。あんちゃん。助かったぞ。たぶんな)
あの紫色の水を人差し指と中指にとって、この若い超絶イケメンなあんちゃんの舌に乗せてやる。
う、しまった。足の方の止血だ。早くやらなければ。
ダガーで足のところの布を切り裂き、私はリュックから使っていない汗拭きの手拭い布を取り出した。
四枚になるように縦に裂く。一枚でまず血を拭いた。傷の上下を布で縛る。止血だ。
もう一枚はガーゼだが……。
紫色の命の水。ふた口含んで、ぷうーぷうーぷうーと三回傷口に吹いた。
ガーゼ代わりの布を当てる。
このあんちゃんのズボンを切り裂いて傷口上下を縛り、縛っていた手拭いを裂いて、その布を包帯にする。
しっかり巻いて、縛る。
よし。
こっちのおっさんは、どうなんだ。
……右腕が折れてやがる。このままでは腕に障害が残る。間違いなく、な。
かわいそうだが、そうとう痛いぞ。私はリュックから薪を二本取り出した。
(おっさん、食いしばれよ? )
上腕骨が折れて変な角度になってる腕をひっぱった。おっさんの顔がいきなり引き攣って、何か言ってる。
(すまんな。手加減してる場合じゃないんだ)
このおっさんの服も仕立ての良い代物だが、躊躇っている場合ではない。
右腕の袖をダガーで切り裂き、添え木としてこの薪を当てて、切り裂いた袖の布でもって、薪が腕を挟み込む様に二本とも縛る。
あとは紫色の水を指にとって、このおっさんの舌に塗りつける。
これでいい。
こっちの若いあんちゃんの呼吸を確かめる。
弱々しいが、どうにか自力呼吸だ。意識はあるのか? 不明だな。
よろしい。よろしい。
背中を起こしてやる。腰に近い背中に私の頭を当てて、両手はおっさんの腰の下、太ももだ。
力任せに持ち上げる。鹿馬やらあの茶熊やら引っ張るのに比べたら、比較にならん。
あの水いっぱいの桶より全然軽いぞ。
とりあえず力任せに持ち上げ、荷馬車に載せた。
この超絶なイケメンあんちゃんも同じだが、患部の脇に手を添えるので、痛いだろうな。
……
意識を取り戻すほど、痛かったらしい。何か呟いている。
(すまんな。ほんと申し訳ない)
力任せに乗せて、少し楽になるように体を怪我していない左足のほうにやや倒し、横にしてやり顔を横に向けてやる。
息はしているのか?まだ生きてるか?
目は? 指で瞼を開けて瞳を確かめる。瞳孔は? 大丈夫だな。
仰向けだと、吐いたりしたら気道が塞がる。顔の下に左手を当ててやり、右手は背中に。
よろしい。
あとは、絶命した護衛だ。
合掌。南無、南無、南無。
三人をこれまた力技で持ち上げて荷馬車の開いてる場所に押し込んだ。
あとはあの濃紺の犬?
アレの始末だな。刺さっているダガーを引き抜く。首のやや後ろにどっかりと刺さって、背骨を砕いていた。これは即死だな。
合掌。南無、南無、南無。
頭にねじくれた、やや細い小さい一本の角。こいつも角持ちか。どいつもこいつも。
角を根本から丁寧に切り取る。
頭をダガーでやや乱暴に割って、魔石回収。予想通り魔物だ。濃紺の魔犬とでもいうのか。
牙を上下四本丁寧に削り、そして切り取り。耳も切り取る。
さて、肉も少しだけ。血抜きが出来ていないが、細い腰の所の肉と肋肉を少し切って、肩の肉も少しだけ切り取る。そしてロープに縛る。
他は諦めよう。
この死体を道の脇にある林の中に隠した。
荷馬車を動かしていたであろう、馬は?
二頭が喉笛を食い千切られて死んでいた。
合掌。南無、南無、南無。
顔はアルパカ? アルパカなのか? いや、微妙に違うな。しかし馬ではないのは確定だ。
力任せにこの二頭を道の脇からやや林の方に運んだ。往来の邪魔だしな。
そして荷馬車を私は引っ張り始めた。どれくらい重いのかは知らない。
少なくともあの茶熊、いや鹿馬より、全然マシだ。何しろコイツには車輪がついているのだ。
西に向かい、かなり引っ張る。
この二人、親子だろうか。どちらもいい仕立ての服なところを見ると、大商人の可能性もある。
それなのに護衛が三人とか、あの魔物相手に無茶だろう。
護衛は三人共、喉笛を食い千切られている。あのアルパカ馬も、だ。
恐らくは、瞬殺だっただろう。悲鳴を上げる間もなかったか。
私が森を抜けている間、聞いた悲鳴はなかった。抜ける直前に一回だけだ。
あの魔犬がどれくらいの強さなのかは、魔石抜きできちんと対峙してみないと判らないが。
アイツらの注意がこのおっさんに有ったから、遠いダガー投擲で一頭は倒せたが、三頭同時相手だとあの時の黒ぶちキツネもどきみたいに、苦労したか。
あるいは追い込まれた可能性は否定しない。
この背中のでかい鉄剣で斬り飛ばせるかというと、それはまだナイな。
絶対的な練習量が不足している。
そんな所を自分は甘くは考えない。槍だって単純に突くだけで二ヶ月もみっちりと濃密な練習メニューを繰り返した。
地道な練習でしか、結果を出せないものだ。
優遇が有れば違うのかもしれないが。
しかし、どれほどの優遇を貰っていても実戦経験が〇ではどうにもならない。実戦の経験を積み重ねないと宝の持ち腐れだ。
そして、一回の実戦は一〇〇回、いや一〇〇〇回の練習にも勝る経験を得る。
この一回の実戦で生きて帰るために、それこそ無数の訓練を繰り返すのだ。
そしてその実戦の経験を再び練習に生かすのだ。
そういう物は泥臭かろうが何だろうが、普遍的な物なのだ。
そう。ここがたとえどんな『異世界』であっても、だ。
…………
魔犬が必殺の技を持っているだろう事は、あの黒ぶちキツネもどきからいっても、間違いないだろう。
あの迷彩柄の豹の魔物、おばばが言うズオンレースは気配を全く感じさせない、気配消しが必殺の技だった。
そうだろうな。あのとき、閃くようにして振り向かなければ、いや振り向きながらの全力の払いがなければ、私は死んでいる。
それくらいの紙一重だった。
たぶん、私の中の第六感が私を振り向かせたのだ。それで命が継がった。
……
暫く、ゴトゴトと音がする馬車を引っ張って街道を歩く。右側は林とすぐ奥にかなりの森。
分かってる。そっちから来たんだから。
左側。遠くに明らかに大きい都市。広がる田園風景。周りにも小規模な村が点在。
そして沢山の作物栽培。豊かな所だ。穀倉地帯だろうか。
道幅はそれなりにある。反対側から荷馬車が来ても、楽々すれ違えるだろう。
こんな片田舎と思われる場所にこんな整備された道。そのほうが驚きだ。
やや道は登っていて、先が見えなかった。道はその先は更に少しだけ登っていた。
ヤレヤレ。やっと登り切ると少し平らな道が続き、先の方に壁と門が見えた。街が有るらしい。
ご丁寧に門番がいる。門番は背の高い二名の女性だ。やたらと凛々しい。玉ねぎ色の髪の毛。やや短髪。そしてやや細い目。
簡単な鎧? も着こんでいるな。
ぎりぎり門に行こうとすると、門番が槍やら剣やら持って、すっ飛んできた。
私はくるっと荷馬車を回して、そこでぱっと離して、全力ダッシュで森に向かう。
なにか後ろで言ってる。すこし衛兵? 門番が追いかけて来てる。
更に速度を上げて逃げる。
……
振り切ったらしい。
……
何をやってるんだか。私は。
しかし喋れないので、あの三名の護衛の死体を問われたら、説明もできない。
…………
……お人好しなのは、昔からだ。
それで随分バカもみた。
友人からは、いい加減、自分が損だぞ? と何度言われたか判らないのだが。
それでもなお。
あの状況をそのまま知らん振りして、私には関係ないです等とは口が裂けても言えない。
そういう性分なのだ……。
……トボトボと森の中を歩く。
さっきの肉を炙っておくか。
リュックを降ろして焚き火だ。
火を熾す。
焚き火を作って、さっきの肉に塩をすり込む。
それから塩を少し舐めた。
枝を削って作った大きい串? に肉を刺して遠火の場所で地面に刺す。
焚き火をぼんやり見つめる。
どうすればいいんだ……。
イケメンが助けてくれるんじゃなくて、超絶イケメンが死にかけてて、心臓止まってたし。
その彼助けて、馬車ごと門番に預けて門番からは逃げ回って。
どういうフラグなんだよ。これはバッドエンドに向かうトラップか?
……
それにしても。
やはり言葉が喋れないのは、致命的だ……。
……
あの服のやたら薄い体が豊満な若い女の天使の顔がまた頭に浮かぶ。
言葉をくれ。頼む……。
……頼む。
……
いや、分かっていた事だ。
充分、分かっていたのだ。
……
もう、どうすればいいのか、分からなかった。
つづく
これが果たして、正しい行動だったのか。
かくして、下界に降りたものの、喋れないのはやはり、ハードルが高過ぎた。
マリーネの中にいる魂の大谷の心は折れかけていた。
次回 彷徨。
この彷徨い歩く事すら、大谷の背負った運命の一部だった……