054 第10章 樹海を越えて 10ー5 森林縦断
長い長い樹海と密林を文字通り、単独縦断したマリーネこと大谷であった……。
やっと下界に降りる。彼の望んだ、異世界の平地が近い。
しかし海は遥か彼方、彼はどうにか山を下りたに過ぎないのである。
54話 第10章 樹海を越えて
10ー5 森林縦断
密林をさらに西に歩いている。これは、たぶんである。
何しろ、空なんか見えない。
自分の勘だ。勘を頼りにここまで来た。
松明で辺りが僅かに見えるが、左手には少し岩が見えていて若干、左方向に下っている。間違いない。下っている。
やや左という事は、南南西。そっちに向かう。
どんどん地形は下っている。左前方に岩が見えてきた。所々突き出た岩。
そして植生が変わり始めている。
もはや生えている高木は熱帯雨林のそれではないものが徐々に混ざっている。
岩場に着いた。少し左を松明で見てみる。もう左に行けそうだ。
それほど段差はないようには思う。
しかし真っ暗なので松明片手では、降りられそうにもない。
更に進む。
たぶん、ここは植生の狭間。明らかに熱帯雨林の高木に勢いがない。そして今までの木々とは違う物があちこち生えているのが見える。
相変わらず、微妙な温度差が分からないが、温度が違うのだろうな。
そして、残念な事にまたしても、辺りは私を伺う気配だ。
赤い目がこっちを伺っている。たぶん魔物だ。背中にゾクッと来る気配が何度も押し寄せる。たぶん、それなりの魔物だろう。
とはいえ、あのおばばの言う、ウベニトのような地獄の魔物クラスではないのだろう。
じっとこっちを伺う視線を痛いほど感じながら、歩き進む。途中でその気配がぱっと消える。退却したのか。
私は辺り構わず、ズンズンと西に進む。
進んでも、またゾクッと来る気配。
私が近づくと、それらの赤い目の物たちは、ぱっといなくなる。
たぶん警戒しているのだ。
だいぶ西に歩いて左側をまた見てみる。岩場が殆どなくなってきている。
溶岩があの辺りまで流れて、止まったのか。
そういう感じだな。となれば。南に行けるか。
左に進路を取る。
どんどん南に進む。
とうとう、ついにだ。
森の上に少しだけ光が見える所まで、来た。
熱帯雨林の大密林は抜けたのに違いない。
よし。ここからだ。
更に南に向かう。やや西に来すぎた気もする。南南東に少し修正。
歩き続け、少しだけ木の間隔が広い所でリュックを降ろして休憩だ。
休憩を挿みつつ、更に歩く。もう燻製肉の残りも僅かになった。
更に歩くと前方が明るい。開けている。
抜けたのか?
早足で向かってみると……。
そこには湖があった。北東から流れ込んできている。空に太陽はちょうど上に二つ。
久しぶりに見る太陽は眩しすぎた。
少しの間、痺れるようにして、日陰に留まった。
…………。
…………。
よし、十分目は慣れた。ゆっくりと歩き出す。
たぶん、あの滝からここに川が流れこんで湖が出来たのだ。
湖の東側に、丸太が少し浮いているのが見えた。
目を細めて、確認する。だいぶ遠いが。
あの時、橋にするために短いやつはだいぶ切った。見えている数は少ないが流れていってあそこに漂着したのは間違いなさそう。
うん。間違いないな。私が手斧で伐採したのだ。その痕跡が僅かに見える。
取り敢えず、畔に行く。
水を補給できる。空いてしまった革袋一つに水を汲む。
この湖は南にまだ少しあり、そこから南西方面に流れているようだ。
リュックを降ろして座り込んだ。
リュックから大きいポーチを取り出し、腰につける。
軽いため息。
たぶん。たぶん……。とうとう抜けたのだ。
あの大樹海と大密林を……。
どれほどの距離があったのか、私には判らないがとうとう、ついにだ。
この大樹海単独縦断が終わろうとしている。
少し張り詰めていた気が抜けかけた。
いかん。まだだ。一〇〇里の道は九十九里を持って一里とせよ。だったな……。
最後の最後で気を抜いたら何があるか分からない。
しかし、やはり少し張り詰めていた気は抜けた。居眠りしてしまったからだ。
はっと気がつくともう薄暗くなっていた。
汚い事に私の左腕の袖には涎がたっぷりと付着していた。
……。
これだけ涎が出ていたのだとすると、大爆睡だな……。
リュックから取り出して腰につけたこのポーチの魔石がなかったら、とっくに食われて死んでいたかもしれないのだ。
ここまでずっと履いていたズボンを脱ぐ。
おっそろしく汚れているが、これを履いていたお陰で、ジャングルの中で足に切り傷を追わずにすんだ。下生えの草はかなり鋭いものも生えていたりするからだ。
……この汚れは、ちょっとやそっとでは落ちそうにない。ぬるま湯と灰がいるな……。
取り敢えず畳むだけ畳んで、リュックに入れた。他のと一緒にしてはいけないので、そのままリュックに入れただけだ。
急いで薪を取り出し、火を熾す。
焚き火だ。
薪もかなり松明代わりに燃やしてしまったので、残りはほぼ無いが、もう周りの木を切ればいい。
遠慮なく燃やす。
私はダガーを取り出して、刃の様子を点検する。
露骨に鈍っている場所はないが、一回研いだほうがいいかもしれない。
蔓とか草とか、一部灌木も切った。使用頻度はかなり高かった。
砥石を荒いのと細かいのを取り出す。
革袋の水をかけて研ぎ始める。革袋の水をかけながらだいぶ研いだ。
一度、革袋に水を汲みに行く。
両刃の諸刃なので、手間はナイフの二倍……。
目の細かい砥石に変えて、更に研ぎ上げる。
ブロードソードも点検する。四〇センチ程の刃渡りを丹念に見ていく。
毀れている所はない。しかし、あのムカデの体液がまさかの強酸だった。
口と頭を割っただけだが、あれが胴体を斬っていたらソードへのダメージもそれなりにあっただろう。
傷つけられると其処から強酸を出して、自分を守るのか?
相変わらず、異世界の生物は理解を越える部分があるな。
砥石と剣に水を掛けて丹念に研いでいく。
……まあ、これ位でいいだろう。
剣にもう一度水を掛けて丹念に振って水気を飛ばし、鞘に戻す。
砥石は一回振って水気を飛ばし、リュックに入れた。
革袋の水はまた汲みに行った。いっぱいに満たす。
焚き火の横に体育座りで、座り込む。
パチパチと焚き火の中で薪が爆ぜる音がした。
揺らめく炎を見つめる。
とうとう、後少しで森を抜ける。
その先には。あの時、あの山の遙か上から見下ろした時に森の先に、かなり小さいが人工物があった。
間違いなく。村があるのだろう。
私はそこに行くべきだろうか。
また、パチっと薪が爆ぜた。
言葉が一切通じないのにか。
…………
逡巡した。
…………
行ってみるしかない。
何が起こるにせよ。
薪からダガーで縦に切って、それから少し削り串にする。
焚き火に残り少ない燻製肉を少し切って串に刺したものをかざして、炙る。
手を合わせる。
「いただきます」
久しぶりに、火の通った肉を食べられた。
革袋から水も飲んだ。
「ごちそうさまでした」
手を合わせる。
生き延びて、ここまで来た。いやここまでこれた事に感謝。
何故だか、判らないがあの薄い服のやたらと体つきが豊満な若い天使の顔が頭に浮かんだ。
もしや、あの天使の加護があったのだろうか?
手を合わせる。有り難や。有り難や。有り難や。
正直、何かもっと優遇が有れば、楽に下ってこれたのではないかと思わないではない。
しかし、どうにか平野の近くまで降りてきたのだ。
揺らめく炎を見つめながら、またしても思い出すのは村での生活だった。
懸命に魔物狩りをして、一生懸命物を作った、あの日々……。
もう、あそこに戻る事は無いだろう。
いや、これからどんな準備をしたとしても、戻れるとは思えない。
あの絶壁を蟹の横這いで越えた、あの通路はもう戻れない。
あの時突然やってきた、あの紳士だって空間転移の魔法だ。
恐らくはあの村を開いた者たちと一度はあそこに訪れた事があるのだろう。
どこを通ったかは知る由もないが。
空には満天の星。
今日は月が大きいのがいない。
小さい赤い月とやや薄蒼い小さい月がだいぶ離れて上がっていた。
相変わらず、満天の星空は綺麗だった。
斜めに天の川の様に沢山の星が横切っている。
銀河系の何処かなのかな。
然し。回転する渦巻銀河はたくさんある。
元の世界があった銀河系と同じかどうかは、判らなかった……。
ぼんやりとそんな事を考えた。
……
つづく
とうとう、おおよそあり得ない距離を単独縦断踏破したマリーネこと大谷。
それが魔石の力だとて、その魔物を斃したのもマリーネである。
大谷の強い強い意志が、それは並外れて強い忍耐と意志が不可能を可能にしていた……
そして、やっとの思いで下界へ抜けて来た大谷を待っていたのは、襲われている人だった。
次回 我は救助隊
これが正しい行動だったのか、大谷には判らない。
マリーネの魂である大谷の苦闘と葛藤が続く。
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次からは、とうとう、マリーネこと大谷は街に出ていく話になります。
今までとはだいぶ展開が変わってきます。
よろしくお願いいたします。