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046 第8章 季節の変わり 8ー9 来訪

 季節も移ろい行く中、マリーネこと大谷の生活はそれなりに充実していた。


 そんな中、彼の前に一人の男が現れる。

 46話 第8章 季節の変わり


 8ー9 来訪 


 長い長い雨が上がった。


 再び、よく晴れた日が続く。


 自分の服を洗濯。強烈に汚れていたので、(かまど)の灰を使ってぬるま湯で何度も洗った。

 そして井戸の水でよく濯ぎ、外に干した。

 

 私は村長さんや村人のお墓の盛り土を直し、雨水で流れて凹んだ場所に土を入れたりして補修作業をやった。

 広場も、やや凹んだ場所に土を入れた。


 大工の工房にあった、ちょっと段の間の間隔が広い梯子を掛けて、渡り廊下の屋根を点検。

 どこも壊れていなさそうだ。

 

 長雨で、刈り取りに行けなかったトイレの葉っぱ。

 もうなんというか、鬱蒼(うっそう)と生えていた。これを目一杯刈り取って、トイレに補充。


 そんな作業も終えたある日の事だ。


 私はいつもの自分の服に着替えて鍛錬をしていた。

 そして広場で槍の訓練の後、空手の基本型をやって鍛錬の途中の事だった……。

 

 はっ、はっ、拳を繰り出す。前蹴り。回し蹴り。後ろ回しから、飛び蹴り。そして手刀。

 

 不意の事だった。ふと人の気配を感じた……。まさか……。こんな僻地(へきち)に人が?


 はっと振り返ると、そこには長身で整った彫の深い顔立ちの渋い中年風の紳士が立っていた。


 私はあわててお辞儀した。

 「ようこそいらっしゃいました。遠路はるばるご苦労様です」


 そして営業スマーイル。にかーと笑った顔を作る。


 相手はじっとこちらを眺め、まるで(うた)うかのようにゆっくり抑揚を付けて、こう言った。

 「リッヒ、フォーフェン、ソン、デルガル、エンデ、グルッセ」


 ……


 (やば……い……さっぱりわからん)

 (いや、どうしようもないな。……よし、日本語で押し通そう)

 「わたくしはマリーネ・ヴィンセントと申します」

 胸に右手を当てる。

 「それでどういったご用件でございましょうか? 高貴なお方」

 軽く会釈。


 ……


 相手は無言のままだ。

 沈黙の時間が流れた。


 ……


 (まずい……)

 沈黙が暫く続き、不意に相手が頭の中に直接話しかけて来た。


 ()()()()()()()()()


 ((先に失礼をお詫びする。可愛い少女よ。言葉が通じない様なので、このような無礼な手段を取らざるを得なかった。この非礼を重ねてお詫びいたそう))


 適当な返事を返すしかない。

 五〇も過ぎたおっさんは、多少こういう時に使えそうな言葉を、少しだけ知っている……。


 ((いえいえ、お詫びには及びません。高貴なお方。こちらの無礼な振る舞いにご配慮戴き、誠に有難う御座います。高貴なお方よ))

 念じてみる。


 私はお辞儀をした。


 背の高い紳士は、ふっと微笑した。どうやら通じたらしい。


 ((それでさっそくなのだが、ここの家の(あるじ)はどこにいるだろうか? 古い友人が訪ねて来たと伝えて貰えないだろうか? ))


 ……


 困った。もう村長さん死んでるしな。

 しかたない……。


 相手の目をしっかり見る。相手がすごく身長があるので見上げねばならなかった……。


 ((畏まりました。こちらに付いて来て戴けますでしょうか?高貴なるお方))

 私は念じて、胸に右手を当てて軽く頭を下げた。


 長身の紳士は軽く頷いた。


 私はパタパタと走って村長宅の脇にある空き地に作った墓地に連れて行った。

 

 ((どういう事だろうか、可愛い少女よ))

 

 まあ、有り体に話すしかないな。


 こういう時はペコリとお辞儀だ。

 ((申し上げてよろしいでしょうか))


 ((よい。話せ))


 ((わたくしがこの村に着いた時にはここの人々は皆、死んでいました。いえ、何者かに襲われて惨殺されておりました。それでわたくしが全員を埋葬、墓標を立てまして御座います))


 ((………))

 暫しの沈黙があった。


 ((この家の(あるじ)は、首を切られておりました。首は見つける事が出来ませなんだ。奥方も部屋で事切れて御座いました。残念ながら。主の(こうべ)はここを襲った賊が持ち去ったものと思われます。高貴なお方よ))


 ……

 

 暫しの間があった。


 ((それで、ここに埋葬してくれたのか。……大儀であった。まこと大儀であった。可愛い少女よ))


 ((村人も全員、業物で斬ったかのような剣の斬り(きず)が御座いました。一刀のもとに、年端のいかぬ子供まで切り捨てられたものかと思われました。高貴なお方よ))


 ((………))

 再び暫しの沈黙があった。


 ((広場のはずれに全員埋葬いたしまして御座います。高貴なお方))


 ((あいわかった。このような丁寧な埋葬、亡くなった古き友も喜んでくれよう。重ねて礼を言おう、可愛い少女よ))


 私は村長の墓の前で片膝をつき、指を組んで(こうべ)を垂れた。冥福を祈る。暫し黙祷。

 背の大きい紳士はそれをじっと見守っていた。


 私は立ち上がり、家に向かう。

 ((立ち話もなんでございましょう。何か飲み物をお出しします))

 

 そういって村長宅に入る。


 大きなテーブルを動かしてあの大きい茶熊の毛皮の上に置いた。

 そして台所に行く。戸棚の上にいい薫りがする乾燥させた葉っぱがあるのは知っていた。

 そしてその下に四脚のカップとソーサー。複雑な模様のついたポットがあった。


 村長夫人? は貴族っぽいなぁとは思ったが、まさか全身これ、『貴族です』オーラを全開で放つ友人が、一人でお供も無しにここに来るとは予想外だった。


 鍛錬の後、顔を拭くためにお湯を沸かしていたのでお湯は既にあった。

まず、ポットをお湯で温める。ここが重要だ。カップにもお湯を入れておく。

 次はお湯を捨ててきちんと計量して葉っぱを入れるのだが、計量スプーンが見当たらない。


 葉っぱを確かめて目分量で入れる。おおよそ六グラム必要なのだが、私では正確な重さが分からない。

 じっと量を見極める。これでいい。これは二杯分だ。

 私の目が正しければ、これは恐らく、元の世界の紅茶に似た『何か』だ。

 しかし、見た処、完全に紅茶ではない。緑茶っぽい葉っぱが混ざっているように見える。


 となれば。温度も六八度Cから七〇度Cでゆっくり淹れてやればいい。

 あまり熱いお湯だとこの緑茶っぽい葉っぱの風味が飛んでしまう。

 紅茶なら熱湯を勢いよく注ぐのがリーフティーの淹れ方なのだが、これはたぶん、たぶん、違う。


 お湯の温度を見極め、お湯をポットにゆっくり注ぐ。そして少し蒸らす。蓋をした。

 ここで少し待つ。美味しいお茶を入れるコツだ。


 蓋を取って、また更にゆっくりお湯を注ぐ。お湯の量は一五〇シーシーの倍。これで二杯分だ。

 葉っぱを開かせないとな。そしてまた蓋をする。

 カップのお湯はここで捨てる。


 ポットとカップ、ソーサーをお盆に載せ、広間に持って行ってテーブルの上に置いた。


 長身の紳士はまだ立ったままだった。


 しまった……。ミスった……。


 ((申し訳ございません。大変失礼いたしました))

 私は慌てて椅子を引いて来て、テーブルにセット。そしてそこを指さす。

 ((こちらにお座り下さいますよう。高貴なお方))

 私は深々とお辞儀。


 ((これは丁寧に痛み入る。私の事はグルッセ侯と呼んで貰えるだろうか? 少女よ))


 ((畏まりました。グルッセ侯爵様))

 私は右手を胸に当てて軽く会釈。

 

 ((私の名前はマリーネ・ヴィンセントと申します。以後お見知り置きを))

 私は両手でスカートの端を掴んで広げ、左足を引いて腰を落としながらかがみ、お辞儀した。

 一応、頼りないがこれで田舎少女なりの礼を尽くしたと相手に受け取って貰える事を期待した。


 ((君がヴィンセント(きょう)所縁(ゆかり)の者かね……))


 ……

 

 答えようが無かった……。

 失礼だとは思ったが無言を貫き、お茶を入れる。


 カップ二つに交互にゆっくりと注ぐ。深い赤の液体。

 いい薫りが辺りを包み込んでいく。


 ((……こちらをどうぞ))

 私はカップを差し出した。

 

 私には椅子の高さが合わない。

 少しはしたないのだが、飛び乗りそして正座してお尻のところで爪先を立てた。

 こうでもしないとテーブルに顔と首しか出ない。この正座のお陰でなんとか胸までは上に出た。


 私は自分用に淹れたカップを右手に、左手に皿を持ち、鼻の高さまで持ちあげて香りを嗅いだ。

 深く吸い込む。

 得も言われぬ香りが胸一杯に入る。


 それから一口、口に含んで味わう。甘い味と僅かに酸っぱい味。渋み。

 複雑に入り混じってハーモニーを奏でるお茶だった。


 やはりブレンドされてるな……。これは。

 たぶん若い葉っぱの蒸した物と発酵させた物、深く炒った物が複雑微妙にブレンドされている。

 絶妙なブレンドだ……。

 

 反対側に座ったグルッセ侯も一口飲んだ。目を閉じている。

 そしてゆっくり目を開けたが、その目はどこか遠くを見る目だった。

 

 ((……古き友とその奥方がこの飲み物でよく持て成してくれたものだよ……。味もそのままだ……。君はこの飲み物の淹れ方を知っていたのかね? ))


 ((侯爵様。私のよく知っている『紅茶』と呼ばれる飲み物に似て御座いました。それで同じように淹れまして御座います))


 グルッセ侯はふっと微笑んだ。


 二人とも無言のままお茶を飲んだ。


 ……


 ふと背の高い紳士が言った。

 ((ここは(われ)の古き友が優秀な部下を連れて開いた所なのだ))

 ((本当に気持ちのいい友であった……。そして気立ての良い奥方だった。彼の部下たちもな……。本当に……))

 グルッセ侯は遠くを見る目だった。


 ((申し訳ないが、彼の部屋を見せて貰えるだろうか? 可愛い少女よ))

 ((承知いたしまして御座います。グルッセ侯爵様))

 私はお茶をもう一口飲むとカップを置いて椅子から飛び降りる。


 パタパタ歩いて村長の部屋のドアを開けた。


 大柄な紳士が後ろについて入ってきた。

 ((本は私が文字が読めませんので、ただ元に戻しただけに御座います。整っておりません事を先にお詫びいたします。グルッセ侯爵様))

 ペコリとお辞儀だ。


 背の高い紳士はずっと本棚を眺めていた。


 私は本棚のすぐ下の床を指差した。

 ((本は下に落とされてばらばらに落ちておりました……))


 ((少女よ。本はこれで全てかね? ))


 ((こちらの部屋の物はこれで全てで御座います。侯爵様))

 私は深いお辞儀をした。

 

 ((あいわかった。ありがとう))

 紳士はずっと難しい顔をしていたが、ふっとまた遠くを見る目になった。

 

 ((他に私に何か出来る事が御座いましょうか? 侯爵様))

 

 ((いや、ありがとう、ヴィンセント卿の末裔よ))

 

 紳士は再びずっと本棚を眺めていたが、ふっと顔を動かしてこちらに視線を落とし、私を見た。

 

 ((世話になったな。少女よ。いや、マリーネ・ヴィンセント嬢よ。ヴィンセント卿の末裔よ。そなたの淹れてくれたお茶はまこと美味であったぞ。ではここで失礼致そう))

 紳士は私の前で右手を胸に持ってくると肘を九〇度曲げた。

 手のひらを返し、親指を外に向けると軽く会釈したようだった。

 

 たぶんこの異世界の貴族の挨拶なのだろう。

 私はスカートの端を掴み広げて、左足を引いて腰を落としながらお辞儀をした。

 

 下を向いて、再び上を向いた時にはもう、その紳士の姿はなかった……。

 

 ……

 

 まさかの空間転移魔法か……。なるほどな……。お供なぞ、要らない理由(わけ)だ。

 

 ……

 

 まさか、まさかの大貴族様のお忍びの来訪とはな……。

 

 どうやらあの立派な服の女性。やっぱり奥方だったのか。そして二人は貴族だったのか……。

 なんでこんな僻地(へきち)に来ていたんだろう。どうにも分からない。

 この村は謎ばかりだ。

 

 広間に戻る。

 せっかく淹れたこの紅茶のような『何か』。複雑なブレンドのお茶を楽しんだ。

 

 ……

 

 グルッセ侯と言ってたからそのまま侯爵様と呼んでおいたが……。

 

 ……

 

 この異世界でも爵六位があるのか……。王、公、侯、伯、子、男の六つだ。

 王は一番上なので爵位を授ける側だ。ここには皇帝とかも入る。

 まあ、だから爵位からは外し別格扱いだ。だから事実上は爵五位。

 つまり王様とか皇帝は貴族ではない。まあ当然だな。

 

 通常、王位や皇帝の位を返上するとかしたら、貴族になる。普通は公爵になる。

 残り五つには、はっきりとした階級差がある……。

 この辺はその王国の貴族の事を取り決めする貴族院なり、枢密院なり、あるいは元老院なりがあってやっているはずだ。


 そして通常、特段の事情が無い限りは女性には爵位が与えられない。

 女子には直接の賜爵(ししゃく)は無い。というのが慣例であり、暗黙の了解。


 しかし、だ。ここは異世界。私の元の世界の常識がそのまま当て嵌まったり通用するとは限らない。


 もしかしたら爵五位じゃなく、三位だったり、あるいは六位、七位とあるかもしれないのだ。

 これは決めつけは危険だ。

 こういう階級社会で階級の上下は絶対だが、どういう具合に設定されているかは、この異世界次第だ。

 

 しかしながら、通常は伝統や慣習によって社会的に、いわば自然発生的に『あのお方は貴族だ』と認知されるに至る『伝統貴族』というのがある。

 昔の豪族等が領地を支配したりしてると『伝統貴族』となった。

 昔の地方貴族というのはほとんどがこれだ。

 

 しかし、爵位というのは権力によって規定される公的な制度なのだ。

 単に領地があるというだけでは貴族じゃないよ、という事だ。

 

 とある時に王様が勅命(ちょくめい)を持って貴族の叙任(じょにん)を行い、国王の発行する証書が与えられるようになる。

 王国の仕組みとして支配階級にも序列を作る必要があり、その序列によって秩序を形作る。

 この叙任の時に渡される証書が貴族の爵位の証とされた。

 

 ……

 

 どこかにそれなりに大きい、たぶんそれなりに文化程度の進んだ王国があるらしい。

 しかし、王国と決めつける事すら危険なのだ。帝国かもしれない。

 だが。貴族階級のはっきりとした国があるのだ。

 

 村長の古い友人といっていたがしかし、あの貴族様の額には角が無かった。

 普通の人間。ただし、二メートル越えの長身な人間に見えた……。

 ただし、ただし。

 村長の首は無かったのだ……。彼の額に角があったとは確定では無い。

 

 異種族結婚で村長があの貴族様と同じく背の高い人間? という事も有り得る。十分有り得る。

 奥方らしい人と、あの細身の男性には控えめな角があったから、村人と同じだ。

 メイドも同様。村長だけが不明だが。

 

 そして、もう一つ。

 まさかの『ヴィンセント卿』と言っていた……。この世界にいるのか。

 しかし、『末裔』と言ってたな。という事は、正式にはもう『無い』という事だな。

 廃嫡(はいちゃく)とかで家が亡くなったのか。まあ階級社会にはよくある話だ。


 ま、もうマリーネ・ヴィンセントと名乗ってしまった。

 もう言ってしまった以上、後には引けない。


 それにしても、卿か……。微妙な言葉を使って来たものだ。

 通常、卿は男性が同輩を、軽い敬意をこめて呼ぶ時などに使われるが、彼は侯爵。

 私の事を何やら勘違いして末裔というくらいだから、ヴィンセント家はそれなり前の家柄という事だな。

 そして、どの位過去なのか分からぬが、何らかの爵位を持っていた事になる。

 しかもだ。『軽い敬意』なのだ。

 つまり彼はたぶんその家を良く知っている、いや知っていたというべきか。

 何しろもう無い訳だから、過去形だ。

 

 この家がどの程度の爵位なのかは、分からない。この異世界の、その王国の事情によるだろう。

 うわー。面倒臭い事になるかもしれない。

 

 どのみち、この村というか僻地を出て、その『なんたら王国』に行かない限りは問題あるまい。

 

 行ったら行ったで、ま、そこはもう流れに任せよう……。

 

 ……

 

 やや冷えてしまったお茶を飲み終えて、片付ける。

 

 お茶の葉っぱを捨てるのに少し迷った。

 村長墓地の脇に埋めさせてもらった。

 (村長様、奥方様。古い友人がいらしたので、お茶を少し頂きましたよ)

 両手を合わせ、心の中でそう呟く。

 

 使ったカップとお皿、ティーポットをよく洗って拭いた。

 メイドさんたちはきちんと拭いて並べていたんだな……。

 

 改めてここを見回す。

 きちんと整った戸棚。並べられているのは、どう見ても高価そうな器、皿。

 やっぱり寒村の暮らしじゃないよな。

 

 今日やるベき事が全て頭から抜け落ちてしまっていて、もう夕方だった。

 

 

 この異世界に来て、初めて出会った生きた人だった。しかも大貴族様だ……。

 私はうまく対応出来たのだろうか?

 

 そして、やはり……。やはり……。言葉はさっぱり分からず、通じなかった。

 まあ、……分かってはいたじゃないか。

 

 あの紳士な貴族様が念話で話をしてくれたので助かったが、あれが無礼な事なのか?

 

 ああ、そうか。耳を塞ぐ事も出来ないんだな。

 

 余りにも酷い罵詈雑言が念話で飛んで来たら、きっとたまらないだろうな。

 確かに失礼だの無礼だので済む話では無いな。

 貴族同士の決闘に発展しても不思議じゃないな……。

 

 それであの大貴族様が、あんなに先に詫びたのか。

 思わず苦笑した。

 

 それにしても、自動翻訳付きの念話に空間転移魔法とはな。貴族は魔法が使えるのだろうか。

 いや、逆だな。魔法が使えないと貴族じゃないのかもしれない。

 特権階級の証なんだろうか……。いや、単純にそういう話でも無い気がする。

 ただ、あの御仁はかなり高レベルの魔法が使えるという事だ。

 

 あの念話は、元の世界でも今でこそ普通には成ったが自動翻訳を備えた囁き(ウィスパー)という事か。


 大昔のMMORPGには無かった。あの頃は囁きその物が無かったのだ……。

 そんな調子だから、やれ世界チャットだ、ギルドチャットだ、グループチャだなんて物はまったく存在すらしていない。

 

 聞こえる範囲で喋るか、大声で叫ぶか、どこか人気(ひとけ)のない処に行って話すか、そういう変なリアルさがあった。会話の聞こえる範囲というのが設定されていたのだ。

 

 ゆえに会話も大変だった。会って話す必要がある。

 そして、英語やローマ字な日本語、ブロークンなスペイン語とこれまた綴りの怪しいイタリア語が混ざって飛び交うカオスな会話世界だった。

 

 勿論、意味なんて殆ど、あるいはまったく判らない。私の場合、英単語をぶつ切りに並べてのインディアン英語だ。

 まったくよくあんな世界でゲームを続けられたものだと自分でも思う……。

 

 昔やっていたMMORPGでも『空間転移魔法』は広大な世界を股にかけて歩く高位冒険者たちに必須の魔法だった。

 先に転移先の座標を正確に記す必要があるのだが、とにかく街に帰るのに必須だった。

 それを持たない冒険者たちは大変だったのだ。

 

 どんなに深いダンジョンだろうと、山深い僻地の鉱山だろうと、その魔法で街に帰れた。

 魔法としては上級やや下という感じだったが、頑張って取得したのを思い出す。

 勿論いきなりは習得出来ない。

 段階を追って、初級から習得しなければならない。

 

 そして座標を記すほうも魔法だ。セットで覚える必要があった。

 何故か座標を記すほうが転移より上級で苦労した覚えがある。更に、記した座標は毎回使い捨て。

 というか転移に成功すると記したアイテムが失われるので、何回も使いたいならそれこそ沢山、同じ場の座標をアイテムに記しておく必要があった。

 なぜ成功したかに言及したのは、当然本職の最上級まで覚えている魔法使いと異なり、失敗がある。

 失敗すると触媒を失い、魔力も消費。詠唱して失敗も一回二回まではギリギリセーフだが三回失敗するようなら、モンスターに殺られて死んでいる。

 追って来たのがPK(プレイヤーキル)相手なら失敗は許されない。

 成功率一〇〇パーセントにするには最上級まで覚える覚悟がいるのだ。

 

 まあ、どちらも使うにはそれなりの魔法触媒が必要でコストは安くない。

 が、緊急時ならコストなぞ、気にしていられない。

 習得もかなりの練習が必要であり、そう容易いものではなかった……。

 魔法触媒集めもあのころは頑張ったものだった。何しろ、これも買って練習では破産してしまうからだ。

 この異世界の魔法ルールはどうなっているのだろう。

 

 ……

 

 そして最上級の魔法が『空間転移門(ゲート)』だ。

 空間転移が自分とあとは手を繋ぐとか馬に乗ってる、などの接触のある人か物しか移動できない魔法に対して、『空間転移門』はわずかな時間だが、空間を捻じ曲げて術者のいる場所と知っている地点同士を結びつけ、物や人の往来を可能にする、最上級魔法だ。

 

 本当に僅かな時間しか維持できない。そして連発なんてとんでもない。

 この魔法を使うにはそれこそ沢山の魔力と沢山の魔法触媒が必要で使用コストの大変に高い代物だった。

 一部に極端に採取の難しい触媒があったのだ。故に売ればとんでもなく高い。

 それを買って使うとなるとコストが極めて高い魔法だった事は確かであった。

 習得のために、どれだけのお金と採取に時間を掛けて行ったのか、私には分からない……

 

 しかし、鉱夫(マイナー)でそれを使いこなす人がいて、魔法鉱夫(マジックマイナー)と呼ばれていた。

 多数掘った鉱石をゲートを開いて持って行ってしまうんだから、凄い鉱夫だと思った。

 私には習得できなかった。

 それこそ魔法を完全に極めないと習得できない最上位中の最上級魔法だったからだ。

 

 しかし、あれでよくコストが見合うなとは思っていたが、今にして思えばコストは無視だったに違いない。たぶん。

 恐らくは腕を上げてもらいたい鍛冶屋がいたのだろう。

 

 それなら買えばいいじゃないかという、普通の現代的な感覚は通用しない。

 そもそも需要過多。供給が極端に不足する世界での奪い合いだ。

 かなり高くても安定的に買う事なぞ出来たら、恐らくはあの魔法鉱夫はあんな事はしなかっただろう。

 たぶん彼は元はあの世界にそう多くはない、最高位魔法を全て極めた魔法使い。

 それが鉱夫に身をやつしての鉄鉱石掘りだったのだろうな……。

 

 

 今日来たあの紳士は、なにか触媒とか使ったんだろうか?

 それとも、MPとかで表される魔力消費だけなのだろうか……。

 

 ぼんやりと昔のMMORPGの世界を思い出しながら思いに耽っていた。

 

 ……

 

 ……

 

 

 つづく

 


 この運命の出会いが、その後のマリーネを取り巻く状況を徐々に変えていく。

 運命の歯車は、ゆっくりと回り始めた……。

 まるで石臼でゆっくりゆっくりと挽いて行くかのように。


 大谷は、まだその事を知る由もなかった……。

 

 次回 決意と旅立ち


 マリーネこと大谷は、とうとう村を出る事になる。


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