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036 第7章 村の生活と狩り 7ー9 裁縫。服を作る

マリーネこと大谷はようやく自分の服に着手。

 36話 第7章 村の生活と狩り

 

 7ー9 裁縫。服を作る 


 翌日。

 ストレッチして着替え。そうしたらまずは鍛冶屋に行き槍の素振り、剣の素振り。


 そして、今日やるべき事。

 

 いい加減、パンツだ。作ろう。

 いつも穿()いている、最初にあの天使が付けて寄越したやつはパンツとトランクスの中間のような形態なのだ。


 ……


 まず女性物のパンツを探す。

 ここの女性たちはみんなそこそこ若い顔だった。

 老人は居なかったので、女性たちはみんな同じくらいの年齢だったのだろうか……。


 さて、この家にも色んなパンツがある。女性のはショーツとかいうんだっけ。

 しかし、まともな物が有りそうなのは、あの村長婦人? の部屋の箪笥。

 あとは二階のメイドさんたちの箪笥だろう。


 早速、村長宅に行く。

 村長婦人らしき女性の下着は飾りが複雑すぎて、自分で再現出来そうに無い。

 このレースなんてどうやって作るんだろう。

 うーん。お洒落なんだろうけど、レースを省いてもかなり凝ったデザインでいきなりは無理。

 

 二階のメイドさんたちのパンツのほうが、やや簡素だな。

 それでもちょっとフリル? がついてるが……。

 デザインの少し違う三枚ほどを拝借して機織りの家に行く。

 

 五〇も半ばを過ぎようかというおっさんが、どんな女性が穿いてたのかも分からない、恐らくは若い女性のパンツを見て、一枚を分解? いやリボンを(ほど)いただけだが、一枚の布にしてシゲシゲと眺めているのだ。持ち上げたり裏返したりして。

 姿が小学生高学年ぐらいの女の子じゃなければ、ただの変態だぞ? ……まったく。

 

 冷静に布の形状を確認する。

 前の部分と後ろの部分では形状が違うんだな……。後ろのほうがやや布が多めだな。そして上部は真っすぐじゃない。尻を支えるというか受けるというか収める為だな。

 

 ふむ。前は単に逆三角形という程簡単ではないな……。

 そうか。股の部分、太股が来てる部分が円弧になっているのだった。

 結構形状は複雑で、簡単ではない。しかもそこにフリルが付いている。横は両側ともリボンで縛る形。

 

 何時も穿いているトランクスを縫ったほうが遥かに簡単だな。とは思ったが、それでは女の子じゃないな。

 簡単に作るべきか、女の子らしくきちんと作るべきか。


 五〇もだいぶ過ぎたおっさんが真剣に悩む。

 

 何かと楽なのはトランクスである事に異論はない。

 しかし、裁縫のチャンスでもあるので、ここは女の子らしいパンツを作ってみる事にする。

 まずは白い布を探す。

 

 ……

 

 似たようなものでは手拭いとか、頭巾とかに使ったやつが白い布だが。

 あれは、隣の家の方からいつも頂戴していた。いや、こっちの家にもあるだろう。

 

 色々探していくと、薄い白い布とやや厚い白かやや灰色といった感じの布を見つけた。

 倉庫にある大きな白い袋の布は多分リネン(※末尾に雑学有り)? だが、ここの布は若干艶のある綿花? みたいなやつ。

 

 もう少し探してみようと奥に行ってみると、赤い色のタブ。紺色のタブがあった。

 染色桶である。

 

 紺色は、ああ、あのメイドさんたちの服だ。

 濃紺に白い大きなフリルの付いたエプロン姿だったな。あの紺色はこれか。

 この赤は村人の女性のスカートや長いズボン? ロングパンツ? とかがこれだった。

 

 ふむ。あの時の村人の服を思い出す。紺のズボンに薄い青の長いシャツを着た男性も居たな。

 あとは草色? のズボンとシャツの人。

 探すと奥の方からそれぞれのタブが出てきた。他の色もある。


 服を染めるのは出来そうだ。やり方は例によって自己流になるだろうけど。

 

 よし。まずは自分の腰回りをもう一度測る。

 次に股下から(へそ)までの長さも計る。

 一応尻の方も一番距離がありそうな部分を紐で測っておく。

 この長身の女性たちの穿いていたパンツのサイズを縮めた物を作る。

 

 ……

 

 布を切って、下の部分をまずは縫い合わせる。

 次に縁を折り返して待ち針を打ち、ここを縫っていく。丁寧に縫い返す。フリルか。

 ここ、どうする。ここのフリルは面倒だ。省略。うん。


 前の部分には薄い細い布を縦に縫い付けてその左右に二重のフリルだのがギャザー縫いしてあるのだが……。

 よーく観察して縫い目を見る。

 

 布地を細かく寄せてフリルにしている布も寄せてギャザーと波打ったこのフリルの縫いを実現しているのか。面倒な……。

 第一、何故こんな所に二重のフリルを付ける必要があるのか、おっさんには理解不能なのだが……。


 取り敢えず、真似して布を切って縫っていく。大量に待ち針が必要である。

 しつけ縫いしたほうがいいのだろうか。

 

 全部省略したら、このパンツを真似て作る意味がなくなる。

 最初からトランクスにしとけよとなるのが目に見えている。頑張って縫い方を真似る。

 

 ……

 

 だいぶ時間がかかった。

 

 ……

 

 せっかく出来たので省略した足の出る所のフリル。縫うのをやるか。

 かなり面倒臭い。縮めて波打たせているのを縫い付ける上に、更に折った細い布が縁に沿って縫い留めてあるのだ……。

 この縁やら前のぴらぴらが、お洒落という事か?

 まあこの手間と使う糸と布の量を考えれば贅沢という事だな。

 そして、それこそがお洒落の(あかし)

 

 やっと出来たがもう辺りは暗くなっている。

 残りは仕上げも頑張る。

 

 ……

 

 なんとか、形にはなった。

 が、こんなに手間がかかるのか。

 そしてだ、これが普段穿くパンツに出来るのか?

 

 ……

 

 それこそ汚したら洗うのも大変だな。もっと装飾の少ない、普段穿くのを作ろう。

 

 ふむ。

 

 台所に行く。

 ランプに火を灯す。

 まず、夕食の支度だ。

 

 (かまど)に薪を入れようと壁側の薪を取りに行った。すると薪が積んである壁の近くに小さい桶があった。

 これは、どの家庭も竈の近くの小さな桶に灰が入れてある。

 

 何なんだろうな……。とずっと不思議だったが、やっと、やっと思い出した。

 

 昔のヨーロッパでは洗濯は纏めて半年分とかで行ったという。中世以前のヨーロッパでは春と秋の一大行事だったと聞いた。

 で、この洗濯は延々と続き、最低でも三日間以上洗濯し続けるという、ある種のお祭り状態だ。

 何しろ半年分の洗濯物と古いもので半年放置された汚れである。

 あまりにも時間が経ちすぎていて、場合によっては垢がネズミに(かじ)られてすらいた。

 

 草原に延々とリネンの布と服が干されて行く様は壮観だったであろう。そしてこの量の多さがその家の豊かさの証でもあったという……。

 

 それが一週間に一度になった。

 恐らくは中世の中頃には一週間のサイクルが出来上がり、月曜日が洗濯の日だったようだ。詳しくは知らないが。


 で、洗濯に戻せば大量の洗濯物を木の灰とぬるま湯で作った洗濯液に入れて、これを一気に洗ったのだ。

 まあ、灰はアルカリだからだな。お湯はどんどん足されて、ひたすら灰で洗う。垢を落とす訳だ。

 で灰だらけの衣服は川に持って行き、川で念入りに洗い流して干したという。

 

 川が近くにない場合は更に大変である。井戸水を延々汲み上げては、洗濯板のような物に置いた洗濯物に流し灰を落とすのだ。

 

 ……

 

 たしか友人がこういう洗濯方法が昔のヨーロッパでは一般的で、洗濯用の石鹸が出るまで続いたとか、なんとか。

 毎日入浴し、毎日服はささっと水洗いして汚れを落とすという、昔の日本人の感覚ですら彼らからしたら信じられないものがあろう。

 水の洗濯で汚れが落ちない程汚すなんて不潔だ、不潔だ。という感覚は、おそらく彼らにはない。

 

 彼らはお風呂ですら、毎日どころか週一回も入れない。

 そもそも各家庭に、風呂すらなかった彼らは(たらい)にぬるま湯を張り、それを体につけて拭くだけだった。

 

 石鹸が登場すると、それで洗うようにはなるのだが。

 お風呂に入って中に石鹸を大量に入れ、石鹸風呂にするのは垢を溶かす、という入浴方法だからだ。

 これも日本人からしたら受け付けにくい代物だろう。

 

 日本人の入浴は体を洗うのは外だ。入るのは体を温めたり、リラックスする、ある種気持ちのよさが優先だ。この辺はまだ古代ローマのほうが通じている。

 とにかく風呂の中は汚れを洗う場では無い。

 

 これらは全て比較的乾燥していた地域だからこその話だ。

 湿潤温暖で海に囲まれた日本人には理解できない物がある。

 そう、日本人の思う処の清潔感との相違はかなり根深い物がある。


 まあ私だって、ここに来てからはそういう彼らと同じような事をしているのだ。所変われば、事情も変わる……。

 

 文化という物は、そういう物だ。

 湯沢の友人が昔こういう話もしてくれたので、彼が今ここに居れば、きっともっと深い話が聞けるのだが……。

 たぶん、それこそビールがジョッキで一杯二杯飲めるくらいには……。


 薪を積んでいる壁の脇にある灰の桶のさらに奥に炭と小さい炉? いや、七輪??

 こんな所に。ってまあ台所なら不思議では無いのだが。

 と思って片付けようとすると、その近くにあった箱に目がいった。


 アイロン(※末尾に雑学有り)だ……。焼いた炭を入れて使うタイプ。二つあった。

 古典的な火熨斗(ひのし)の蓋付きというべきか。

 祖父の実家の納屋の中にこういうのがあったな。


 電気式になる前はアイロンは炭火でやるのが古くから行われていたと聞いた。

 

 炭火アイロンは中で炭が()ぜて割れた時に火の粉が散る事があり、その火の粉が衣類に着くのを嫌って、電気以前のアイロン掛けは苦行だとか友人がいっていたな。

 また炭火アイロンは温度管理の蓋とか煙突もあるが調整は極めて難しく、服を焦がす事も多かったのだという。さもありなん。

 

 炭火アイロンを使い衣類を焦がさず、火の粉もつけずにピンと伸びた衣類に仕上げるにはかなりの根気と技量が必要だったという。


 しかしながら洗濯そのものが大掛かりになる昔のヨーロッパでは、仕上げに対しての拘りと心遣いも、昔の日本人とは比べ物にならない。

 

 彼らはアイロン掛けできない素材の物以外は、全て徹底してアイロンを掛ける。

 シャツだろうがパンツだろうが、下着もシーツも全部だ。

 

 そうして新品のような状態に戻す。

 これが大前提だったという。


 なるほど。なるほど。ちゃんとアイロン掛けていたんだ……。

 

 私は急いで機織りの家の箪笥をすべて開けた。

 沢山の文化的な薫りのする服がそこにあった……。


 私は大きな誤解をしていたような気がする。


 立派な服を着ていた村長? とか村長夫人? や細身の男性、きちんと整った服を着ていたメイドたち。

 支配層の人々らしい感じがする。貴族と言ってもいいのかもしれない。

 彼らの服はちゃんとアイロンが掛かっていても当然だろう。


 それに比べて村人の服は実用一点張りだった。

 なのでやや裕福な村長の取り巻きと素朴な村人たちの村。という思い込みが私のどこかにあったのは否定出来ない。

 

 だが。

 

 丁寧に畳まれている服はみな、これまた全てに丁寧なアイロンが掛かっているのだ。


 そして村人たちの服。

 今にして思えば彼らの着ていた服は簡素な作業着、というよりは職業毎の云わば制服のような服だったのだろう……。

 その証拠に、そういうのとは違うきちんとデザインされた服が箪笥の中に何着もどっさりと入っているのだ……。


 少し派手な服は村でのささやかなお祭りとかで着るのかもしれない。

 一名三着どころではなかった。


 産業革命によって工業化される前は、服というのは大変に貴重な物なのだ。

 服が機織りで大変だった時代は服が財産だった。

 それこそ親から子へ、子から孫へ、というのがあった時代だ。

 この異世界が工業化されていないだろう事は、なんとなくわかる。たぶんだが。

 

 そして全て、手作業あるいは魔法もいれたとしても、服というのは作るのが大変だ。

 なのに、これだけの衣装が、各人に持たされている。

 

 それこそ、おおよそ寒村の素朴な村民等では無い。

 

 ……

 

 しかし、だ。鉄のほう。鍛冶の方が何かおかしいのだが、もしかしたら。

 もしかしたら、鍛冶の責任者というか指導者が、不慮の事故とかで亡くなった。とかいうのなら十分に有りうる話だな。

 

 あの鉱山で鉱石を掘っている最中に魔物に襲われて何人か死んだとか。

 有りうる話だ。そうなってくると、村人の数もこれまた違ってくる。

 四〇人、いや、五〇人位居たかもしれない。炭焼き小屋のあそこに窯業の人も一緒に七人位が常駐していた可能性も十分ある訳だ。

 

 軽くため息が出る。まだまだ観察が足らんな、私は……。

 

 ……

 

 夕食を作る。

 何時もは鹿馬の燻製だが、今日は熊肉。叩いて叩いてあのツヤツヤの葉っぱを乗せてさらに叩く。そうして上から塩胡椒。

 スキレットに獣脂を少し入れて、焼いていく。

 

 肉スープは相変わらずネズミウサギの塩干し肉をブツ切れにして、鍋に入れて塩。

 水もやや多め。煮えてきたら、あの柑橘っぽい香りの葉っぱを揉んで入れる。

 

 ……

 

 よし、出来た。

 夕食を食べる。


 手を合わせる。

 「いただきます」


 スキレットの熊肉を頬張りながら、今日の作業を思い出す。

 あんなに複雑なデザインの凝ったパンツを作っていたら時間がいくらあっても足りない。

 それこそ前の世界の男物ブリーフ。あれの、前が開かないタイプでいいんじゃないのか?

 

 腰の所は布の縁をパイプ縫いして紐を通し、前でリボン結びで行こう。

 パイプ縫いするための道具がない。何かで代用するしか無いな。

 で、とにかくパンツは仕上げてズボンとかやろう。その次にワンピース。

 そうしたら、シャツも作って上着とスカートだな。

 

 これは相当時間かかりそうだ。

 肉スープも一気に飲み干す。

 

 「ごちそうさまでした」

 手を合わせる。

 

 手っ取り早く片付けてしまう。

 

 そのあと、ランプを持って鍛冶屋に行き、風呂桶と洗い場を展開。水も大量に汲んできて、小さい炉に火を熾す。炭ではなく薪を使う。炭は節約。

 

 石をどんどん焼いて、風呂に入る。

 かなり暗い鍛冶場でお風呂に入っていると元の世界で昔、温泉に行って夜の露天風呂に入った事を思い出す。

 夜空を眺めながら風呂とか風流だが。

 外で石焼するのは燃料の無駄だ。

 残念ながら諦める。

 

 風呂を出て鍛冶屋の外に行き、広場で眺めた夜空は綺麗だった。

 大きな月が出て、そこから少し離れた場所に小さい赤い月が出ていた。

 今日は月は二個か……。

 

 湯冷めする前に機織りの家に戻る。

 風呂の片づけは明日でいいか。


 ……

 

 

 つづく

 

 

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 大谷龍造の雑学ノート 豆知識 ─ リネン ─


 リネンというのは亜麻フラックスから作った布だ。

 およそ紀元前八〇〇〇年頃、既にこの植物はティグリス川、ユーフラテス川の流域に自生。

 この植物の繊維で布が作られる。

 

 古代メソポタミア文明の初期には既に作られていたという。

 ちなみに糸紬ぎ器は紀元前五〇〇〇年頃の古代エジプトで既に存在し、布も発見されている。


 リネンの事を古代エジプト人は『月光で織られた布』と呼んだという。


 そして、その頃にはリネンで作った簡易な服が存在し、古代エジプト中期には服をデザインする専門職もあったという。

 あのミイラを巻く布や神官が神事を執り行う際に着る衣装もリネンだった。


 古代エジプトにおいて牧畜が盛んに行われ、既に羊毛による布も存在していたにも関わらず、古代エジプトにおいては服にリネンが使われていた。


 王、神官、一般庶民、そして奴隷たちまでもがリネンによる服を身に着けていたのだという。

 その為、ナイル川流域において亜麻の栽培が奨励され、大量に栽培、生産されてその需要に応えた。そして品質の良いリネンは輸出もされていたという。


 これだけ大量に使われたのには、リネンに抗菌作用がある事が知られていたからだという説がある。

 暑いエジプトにおいては直ぐに物が腐る事が多く、衛生、感染症対策、防虫対策にも効果のあったリネンが大変好まれたといわれるが真偽は定かではない。


 なお、極めて丈夫な布で無加工だとかなりゴワゴワで、普通には着る事が出来ない。

 これは高温水に浸したうえで叩いて叩いて繊維を痛めつけて、更には(そこにあれば)アイロンまで掛け、陰干しする。

 この工程を何度か経ると、繊維が次第になじんで服として着られるようになるのであった。(ただしこの過程で元の大きさからは縮む。)

 細い糸で薄く作られた布しか使った事が無いと、この感覚は到底理解できない物である。


 リネンは水に濡れると更に強度が六〇パーセントも上昇する。

 温度が高いと縮んでしまう特性がある為、なじんできた服はぬるま湯で洗い汚れを落とす必要がある。

 そして完全に脱水させると皴になり、この皴を取るのは大変になる。

 

 脱水しないか、陰干しで風通しの良い場所に短時間干す。

 濡れたリネンは太陽の光に弱い。直射日光を当てて干すと日に焼けて変色を起こす。

 また染色した場合、日光に干すと簡単に色褪せしてしまう。


 湯沢の友人の雑学より

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 大谷龍造の雑学ノート 豆知識 ─ アイロン ─


 アイロンの歴史は古い。


 アイロンやこてを衣類の(しわ)伸ばし道具と考えると、その起源は古く紀元前二〇〇〇年の頃からあったという。

 熱と自重で皴を伸ばす小手状の道具は、中国において古くから使われていた。

 これらは皇帝や有力者、官僚たち、そして後宮の女性や女官の服の皴を伸ばすのに用いられていたという。


 また古代ローマでも木製のコテを使って皴を伸ばしていたが、これは紀元前一六〇〇年頃に始まったと考えられている。

 古くは木製のワイン絞り器を転用した物だったという。そこから専用の木製のコテとなり、これを温めて洗濯直後の衣類に押し当てて皴を伸ばしていたと考えられる。


 日本では平安時代に、丸い器に炭火を入れて使う火熨斗が使われた。

 熨斗(のし)とは「伸ばす」という意味である。

 

 陶器のアイロンは、意外と新しく日本は太平洋戦争中、物資不足に苦しめられ、特に金属不足は深刻化した。

 お寺の鐘まで供出されたのは有名な話であり、そのために様々な日用品が陶器で作られる様になり、陶器アイロンも登場する。

 陶器は原料が豊富にあった為に様々な物が作られ代用された。


 形状は現代と同じ船底型となっている。現代の電気アイロンとほぼ同じ取っ手が付いていて、前方にお湯を入れたり捨てたりする為の口が付いている。


 まさしく必要が発明の母ともいうべき代物であった。

 陶器は年数が経っても錆びない。また炭火式と異なり火の粉が出ない。極端に熱い温度には原理上出来ない事もあって、よく衣類を焦がしてしまう炭火式と比べ、衣類を傷める事の少ないアイロンであった。

 このお湯式の陶器アイロンが古代に登場しなかった事の方が意外である。

 

 湯沢の友人の雑学より

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色々観察不足だったと自分を戒めている大谷。

次は服造りが本格的にスターします。


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チラシの裏が白い紙の極端な不足。

ピンチですが、もう少しチラ裏に書き続けます。

チラ裏小説ですから。

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