295 第21章 第三王都と西部地方 21-5 水辺の魔物討伐3
鰐擬きが水辺から岸に上がり、激闘が始まる。
なにしろ相手は一〇メートルもある上、何処を斬っても、再生するのである。
295話 第21章 第三王都と西部地方
21-5 水辺の魔物討伐3
物凄い速さで鰐擬きが岸に到達した。
私は左手で右のダガーを引き抜き、全力で投擲した。
ダガーは狙ったあの目と目の軸の間ではなく、大分奥に刺さった。
くっ。失敗だ。あんなに奥に刺さるとは。
そうか、こっちの位置が高いからいつもより奥に刺さったか。角度を僅かにミスったのだ。
鰐擬きが、強烈に暴れ、あの恐ろしいほど臭い息を周りにまき散らす。
暴れながらも、鰐擬きは岸に上がって、こちらに向かい始めた。
私はその隙に、ヤルトステットの後ろに回り込む。
彼はそのまま坂のかなり上まで、走り切った。そしてこっちを向いた。
「ヴィンセント殿! そやつは『アーリンベルド』! 斬っても斬っても、死なない、強敵ですぞ!」
判ってる。こいつはどこを斬っても、そうそう簡単には死なない。切り落としても、その部位は強烈な速さで再生する。
それより、私はこの鰐擬きの名前を初めて知ったのだった。
『アーリンベルド』というのか。名前の付け方に、何と言うのか一貫性がない所を見ると、此奴の名前もたぶん、誰か発見者の名前だったのだろう。
こいつの弱点はたった一か所しかない。
それは目の真後ろの部分にある、脳だ。あのマカチャド湖での戦いで私はそれを知ったのだ。たぶん、脳を潰してしまわない限りは、死なないだろう。
心臓がどこにあるのかは判らないが。
あの時はダガーが脳幹に相当する部分に深く刺さったのだ。それで、あいつは動かなくなり、死んだ。
それ以外なら、何をどう斬ろうと、瞬く間に再生を始める。
あの目の軸を斬り飛ばした時、それがいかに早いかを思い知らされた。
鰐擬きは、凄い速さで尻尾を振り回した。
ちょうど私に届くという事だろう。ミドルソードを右から左に払う。
相手の尻尾は私の左側から襲ってくる。
私のミドルソードは、尻尾の先にある棘の根元の部分を斬り飛ばした。
血飛沫が飛ぶ。
尻尾の先は、勢いを失い、私の右手の横の方に転がり、草叢に紛れた。
「ルルツ殿! 私が、投げた、武器と、目の、根元の、間に、矢を、当てて!」
私はもう、体勢を立て直した鰐擬きと正対していた。
吐きそうになるほどの腐敗臭を放つ、この鰐擬きの大きな口が私の前で何度も上下する。
ルルツの矢は、正確に避けられてしまって、全く当たらない。
あの目だ。
二つの目が別々に、対象を捕らえている。
ならば。
一気に私は踏み込む。ここで胴体を捩じって尻尾が来たら避けられないのだが、私のミドルソードは、左下からやや右上に向けて、ほぼ一直線に払った。
そして、ぱっと後ろに下がる。
鰐擬きの目の軸が斬れて、二つの目が下に転がると同時だった。鰐擬きは大きく体を捻って長い尻尾を振り回して来た。
再び、剣は右から左へ。鰐擬きの太い尻尾が切断され、それが私の方に向かって飛んでくるのを辛うじて後ろに避ける。
鰐擬きの体長は幾分か短くなったものの、暴れ方は更に激しい。
もう出鱈目に回転しながら、物凄い速さで彼方此方に向けて大きな口を開けては、威嚇し、濁った啼き声と腐ったような臭いを撒き散らしている。
ルルツの矢もなかなか当たらない。目の後ろの位置に当てて欲しかったのだが、奴の暴れ方が激しく、私がダガーを投げても当たるまい。
もう、そういう暴れ方だ。
そして目の軸がどんどん再生していく。信じられない事に、もう軸の先端に白い小さな塊が出来始めた。
私の匂いは、この鰐擬きにも伝わっているだろう。
つまり、私が動けば付いて来るはずだ。じりじりと後ろに下がる。
すると急に私の方に突進をかけてくる鰐擬き。
私は躱して、奴の左側。私は下がる。
また鰐擬きが体を回して、私に突進してくる。大きな口を開けていた。
他の人たちは、迂闊に手を出せない。
鰐擬きの尻尾は肉が盛り上がり、再生を始めていた。こっちは目より早いのか。
骨が盛り上がりながら肉を纏い、どんどん伸び始めている。
とにかく、場所が良くない。草の生えていない場所はあまり広くないうえ、坂になっている。何時もの様には、斃せない。
坂の途中からやや上に移動しながら、奴の動きが少しでも鈍くならないかと考えていた。
その時だった。
ルルツの矢が、再生し始めている目の軸の根元に刺さった。そこで目の軸が千切れ、血が迸る。
先端が白く、眼球を再生し始めていたが、一本は根元から千切れたのだ。白っぽい先端は既に小さな眼球の構造が出来始めている所だったが、下に落ちて暴れる鰐擬きによってぐちゃぐちゃに踏みつぶされた。
これで、少し時間が稼げる。
鰐擬きが濁った声でまた、何か吠えた。物凄い腐敗臭のような臭いが辺りに撒き散らされる。
そこにヤルトステットが来た。
彼の剣は長い。何処を斬るつもりなのか。
ヤルトステットが私の右に立ち、少し離れて鰐擬きの左前脚を斬り飛ばした。
また濁った声が上がった。しかし、先ほどよりは暴れられない。左後ろの二脚を右側の後ろ二脚と合わせて動かしていれば普通に動けるのだが、右の前足を下手に使えば、かえって邪魔になる。そして、鰐擬きはそのように残った前足を動かしている。
全体がぎくしゃくした動きになった。
そこでルルツの矢が放たれ、ダガーの刺さった位置より手前に刺さった。
だが、深くは刺さっていない。鰐擬きが頭を左右に振ると抜けてしまって、下に落ちた。
硬いのだ。
「ヤルトステット殿! 先ほどの、矢が、当たった、位置。あそこを、剣で、突いて!」
ヤルトステットが剣を右の肩の所で前に向けて構えた。
私はこの鰐擬きを私の方に向けて置かねばならない。
もう片方の目は小さいながら、再生が終わろうとしていた。
私は目の方に向けて剣を突き出す。
鰐擬きの目が大きく揺れて、剣を躱した。
その時だった。ヤルトステットの剣が突き出され、それは目の軸の後ろ。私のダガーが刺さった手前に突き通された。
いきなり、耳を劈くほどの濁った声が鰐擬きから上がり、鰐擬きの手足がバタバタと出鱈目に空中を掻いた。
ヤルトステットは動かない。剣を突き刺したままだ。
暫く、痙攣するかのように足が空中を掻いていたが、次第に動きが小さくなり、止まった。
「ヤルトステット殿。剣を、抜いて」
彼は微かに頷いて、剣を引き戻した。
剣を抜いた後、そこから大量の血が流れていたが、もう鰐擬きは動くことがなかった。
私は片膝をつく。
静かにミドルソードを下に置き、両手を合わせた。
目を閉じる。
「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
小声でお経をあげた。
出会えば、斃すしかない。
まさか、こんな場所で鰐擬きと戦うとは思っても見なかったが。
ああ、アーリンベルドとかいう名前だったな。
「皆さん、辺りを、警戒しながら、しゃがんで」
剣を拾い上げて、背中の鞘を降ろし、鞘に納める。
「ヤルトステット殿。ご苦労様でした」
私は、まだ剣を斜め下に構えたまま立っているヤルトステットに声を掛けた。
「……。ヴィンセント殿。貴女はアーリンベルドと何度か戦ったことが?」
「はい。斃せたのは、一度だけ、ですが、あの魔物の、急所は、目の後ろ。あそこに、たぶん、脳幹が、あります。あそこを、刺されると、アーリンベルドは、動けなく、なって、死にます」
ヤルトステットは、まるで凝固したかのようにずっと私を見下ろしていた。
風が南から北に吹き抜けていく。
腐ったような臭いがだいぶ薄まり、どうにか普通に呼吸が出来る状態だ。
私は片膝をついたまま、左手を地面に付けて、辺りの気配を伺う。
今の所、気配、なし。
「気配、なし。全員、剣を、仕舞って、休憩」
「ヒスベルク殿。皆さんに、その水を、廻して、あげて」
彼は立ったまま、まだ剣を構えていた。彼の目がやたらとぎらついていて、呼吸は荒かった。
「ヒスベルク殿? アーリンベルドは、もう、斃しましたよ?」
彼は慌てて、何度か頷き、剣を仕舞うと、背中と腰に付けた水袋を降ろして、ルルツとヤルトステットに渡した。
無理もない。もし、今回が初めての遭遇なら、相当怖かったであろう。
何しろ、相手は一〇メートルほどもある体躯を持つ魔物なのだ。
「水を飲んで、少し、したら、アーリンベルドの、魔石を、回収。死体は、湖に、流します」
誰も何かを付け加える事はなかった。という事はあのびっしり生えた牙とかを削り取らなくてもいいという事だな。
「ヴィンセント殿」
ヤルトステットだ。
「なにかしら」
「本当は、あのアーリンベルドは、複数、正確に言えば三か所に心臓がある。その心臓を持ち帰ると、それなりに金になりますが、腐るのが早い。魔法師がいないと難しい。あとは、大きな眼球ですが、それも今回は無理ですな」
彼が指差した場所には、鰐擬きが踏み潰した元々の大きな眼球のなれの果てがあった。
「全員が、無事で、斃せたので、それが、一番、重要です」
「確かに」
「それと、こういっては、何ですけど、あれも、本命では、ありませんね」
「なるほど。ヴィンセント殿にとっては、あれもヨニアクルス支部長殿が貴女を指名した理由足りえないと」
「ええ。でも、今日は、もう、戻りましょう。今の、戦闘で、だいぶ、時間を、使いました」
「ですな」
そう言いながらヤルトステットは水を飲んでヒスベルクに水袋を返した。
「では、ヒスベルク殿。ヤルトステット殿と二人で、魔石を、抜いてください」
そういうとヤルトステットとヒスベルクが頭部の解体を始めた。
かなり苦労している。相当に頭蓋が硬いらしい。
その時にヤルトステットは、私のダガーを抜いて持ってきた。
私は受け取って、空中で二度、三度、振り払ってから右の腰に納める。
あれだけ大きな体なのに、脳はさほど大きくはないらしく、縦に細長い。
そこを抉って、灰色の魔石を取り出していた。
近くだと思いっきり噎せそうなので、私は離れて見守る。
多量の血が流れていた。
大きさは私の親指四個分。あれだけの図体でこの大きさなのは、大きいとは言えない。山にいた焦げ茶熊の魔石の大きさは、桁外れだった。という事になるだろう。あれがどんな特殊な技を持っていたのかは判らなかったが。
魔石の取り出しは終えたようだったので、全員でこの鰐擬き、否、アーリンベルドを湖の方に押し出した。頭が岸側なので、口の牙だけは注意しなければならない。
水辺に押し出すと、体内にだいぶ空気があるらしく暫く浮いている。それをヤルトステットは剣で押した。刺さって抜けなくなるのではないかと思ったが、少し岸から離れた。
水の流れで、少しずつ魔物の死体は岸から離れて南に流されていき、ゆっくり沈み始めた。
よし。
「全員、隊列を、組んで。私は、殿」
ルルツはまだ、落ちている矢を調べていたが、やがて諦めてヤルトステットの後ろについた。その後ろがヒスベルクだ。
「では、撤収」
一行は元来た道を戻る。
「ヤルトステット殿。進路を、やや東。湖岸を、避けて、いきます」
「承知」
彼はそれだけ答えると、草叢を踏みしめながらやや東に歩き出す。
風は相変わらず、南からゆったりと吹いているが、魔物の気配はない。
二つの太陽は大分傾きだしている。
昨日戦った場所を大きく迂回して、一行は川岸に到着。
そこで船頭に呼びかけるのだが、船頭は寝ているのか、動かない。
その時にヤルトステットが指を口に当てて、大きな音を立てた。
指笛だ。確か親指と中指で輪を作って、口の所でやや中に入れて舌を当てて、息を思いきり吹き出すのだったか。
かなりの音量だ。肺活量の大きな大男ならではといえる。
船頭は起き上がって辺りを見回している。
ヤルトステットはもう一度指笛を鳴らした。先ほどよりは小さい音だが、気が付いてもらうには十分だった。
船頭が船を操作してやって来たので、全員が乗船。
私たち一行は、野営地に戻ったのだった。
つづく
マリーネこと大谷は、頭の上にある触覚のような目の後ろにある頭を突くように命ずる。
それによって、やっと鰐擬きを斃すのだった。
魔石を回収し、この日は戻ることにして撤収した偵察隊である。
次回 水辺の魔物討伐4
いまだ、討伐目標のデルメーデの集団は現れず、ガブベッカも出ない。
そしてヨニアクルス支部長が、予測した危険な魔物も姿を見せていない。