288 第20章 第三王都とベルベラディ 20-75 第三王都で鍛冶と細工
ケニヤルケスの鍛冶工房に行き、ここの工房の亜人たちでも爪切りが作れるように木型の改良版を新規に作成する。
見極めの目がなくても、適切に作業すれば作れるようにするのだ。
これは、やはりマリーネこと大谷にしか、出来ない作業である。
288話 第20章 第三王都とベルベラディ
20-75 第三王都で鍛冶と細工
翌日。
外は雨だった。
何時もの様に起きてやるのはストレッチ、からのルーティーン。
ベランダに出て、空手と護身術。あまり音は立てられない。
ダガーの二刀流の後は、クレアスで抜刀の鍛錬。
ミドルソードや鉄剣が振るえる高さはあるが、ここでは止めておこう。
剣が錆びていないか、それを確認しておく。
一応、油の沁みたぼろ布で磨いた。
と、気が付くとドアの外に誰かが来て食事を差し込んでいった。
男性の様だ。たぶん厨房の人だな。
さて、何時もの様に、朝食。
「いただきます」
手を合わせる。
朝食を食べながら、考えた。
独立は決まったものの、今後の居場所は決まらない。
そこで、一節季の間に、細工を作れるだけ作ることになった。
あとは、鍛冶の方も何か作る。といってもまずは、爪切りの数を増やすしかない。
ケニヤルケス親方の所で、爪切りが作れるように木型を改造しよう。
というか、新たに同じように作り直すことになるだろう。
彼らが叩けるようにするには、出来るだけ芯棒のための穴が歪まないように考える必要があるのだ。
……
取り合えず食べ終える。
「ごちそうさまでした」
手を合わせる。少しお辞儀。
食事を終えたので、ドアの下にトレイを置き、何時もの様に作業着に着替える。
昨日に買っておいた油壺からランプに油を注いでおく。
もう、以前に買った油壺には、殆ど油がない。
蝋燭は寝室の方の机の上に。
さて、鍛冶と細工の道具をリュックに入れて背負い、ケニヤルケス工房に向かう。
まずは、木型をここの鍛冶師にも叩けるようにする為に、少し変更して作り直すのだ。この作業に細工の道具を使う。
最初にやるのは芯棒を少し太くする。つまり開ける穴もやや大きく。
自作のコンパスで、再び円を描いて削りだす。
この作業は本当に神経を使う。太いドリルと、旋盤があればこんな苦労は不要なのだが。
軸の部分や柄の部分には、刃先程の頑丈さは無くてもいいのだ。
ただ、刃先を長くして、尚かつ軸を少し離したので、柄の方も若干長くした。
これで重さは恐らく三八〇グラムを超えているだろう。
これの全体を鍛造なんかしたら、その時に中心の穴が歪む可能性が高い。
そこに石膏を詰めるか。いや駄目だな。叩いている時の衝撃で割れる。
結局は、最初の型が全てだな。太い芯棒がぎりぎり入る穴。
鋳物で鉄を流して、冷えた時にもう芯棒がギリギリで嵌まらないと、その後、いくら叩いても、彼らが調整できるかは、未知数だ。
そこで、芯棒を入れるときの穴だが、片方だけ穴の周囲を抉っておいて、入れ易くする。これを合わせる刃の方も片側をそうしておく。
本当に微妙な改良だが、これで芯棒を入れやすくした。油をたっぷり塗って芯棒を通して、その先は横に薄い鉄の板を嵌めて、抜け止めとする。
ここも同じだが、鉄の板の厚さを少し厚くしておく。ペンチのような道具で引っ張った時に簡単には千切れないように。
ハンマーで叩かないと入らない程きついと、油が切れた瞬間に動かなくなるだろうから、そこは要注意であろう。
あとは、この木型を量産する。刃先を伸ばしたものをかなり多めに。
どうやら、刃先が長い方がこの王都の商人には人気らしいから、それが量産できるようにするのだ。
芯棒を木で削りだす部分がもっとも気を使う。真円柱でなければならないからだ。
更に、先端は、内側に凹んでいないといけない。
もう片方の先端は、平らな傘がついた状態にする。
これを多数作るのだけでも大変過ぎる。そうだ、これを複製するべく、青銅で型を作ったほうがいいかもしれない。
そこで、ケニヤルケス親方に頼んで、特別に青銅を用意してもらう。
恐らくは、普段この工房では扱わない素材だろう。
この木型を砂に埋め込んでまずは青銅の型を作り、あとは青銅を流し込んで作った、この鋳物の型を量産していくのだ。
そして出来上がった多数の青銅の型使って、最終的に鉄製品にする。
……
青銅の型にする芯棒が、まずきっちり穴に嵌まることさえ確認できれば、あとは、そこから砂で型を作って鉄を流すだけだ。
これなら、ある程度量産して型が作れる。
工房に置いておいた木型は全部回収。これが混ざっていると、これまた製品の質にばらつきが出かねない。
青銅を使って砂型を作り、そこから青銅での型を一八個程作った。
これで、爪切りの方は、かなり量産できる可能性がある。
ただし、工房はニーレ向けの大工道具がメインなので、爪切りはあくまでも時間がある時だけだ。
外は雨が降ったり止んだりしつつ、次第に気温が下がって来ていた。
……
私は八本の爪切りを叩いていた。
ここまでやるのに二五日以上掛かっている。
もう第八節、上後節の月、第六週の五日目。
爪切りはもう少し、造り貯めてから納品だ。
さて、細工の方も、やらないといけない。
翌週はアスデギル親方に頼んで作業させて貰う。
まずは髪飾り。
これは真鍮製の串がついた物を造っていき、造り貯める。
七宝焼きの方、硝子の粉を貰って、楕円の真鍮の板に飾り彫りをしていき、そこに硝子の粉を載せる。そして炉で焼き付ける。
五日ほどかけて一二個造った。これをあとで商会に納める。
次は、木の模型を作成する。あの一二人乗りの巡回乗合馬車だ。
何度か乗ったので、細部はそれなりに観察してある。
これは大作だ。
四角い木材と板材を用意。これは工房の方で用意してもらった。
ここは木工ギルドではないが、木工細工は少しやっているから、木の材料があった。板は、箱を作るために用意されていたのでそれを使う。
さらに、私は鉋を持っていない。ケニヤルケス工房では、刃を作っているので、最終的に外側の木材も幾らかはあった訳だが。あそこで入手しておけばよかったのだろうが、鉋も買う事になった。
板材は鉋で削って、かなり薄くする。
作るのは四頭のアルパカ馬、そして大きな箱馬車は六輪。
御者も座っていて、屋根板を取り外すと、中には人が座っている、といった具合だ。
大きさはそれほど小さくもない。
アルパカ馬は八・五センチほどだ。つまり二フェム。これが二頭、二列。後ろの箱、これは六メートルほどあるので、馬車は一八センチほどだ。つまり全体では三七センチ程になる。
アルパカ馬単体でも、彫ってみる。これの大きさは二五センチほど。六フェムといったところか。
アルパカ馬に表情を付け、足並みも態と少し乱れた方が、見栄えがする。
御者の人物。服装。中に乗った人々の服装。立っている人物。座っている人物。話している人物など。
元の世界で、ミリタリーフィギュアを熱心に作っていた事を思い出した。あれは三五分の一だった。かなり昔の話だが、学生時代には随分と凝って造り、地方の模型大会では賞状やトロフィーを貰う程度には、上達した物だった。
あれを思い出しつつ、これも情景模型になるように工夫する。
まあ、元の世界の馬も種類によるが、体高はおおよそだが、一・六メートル程である。
体長は約二・五メートルから三メートルくらいだ。
三五分の一なら七センチから八・五センチほどだ。つまりは、それほど外れてない。
二五センチの方は、実は一二分の一サイズである。
私には、この大きさも馴染み深いものがある。
この一二分の一も学生の頃は、車などの模型を造った物である。
車の模型も小さい方は二〇分の一とか二四分の一なのだが、造りごたえのあるのはこの一二分の一である。
木材を一心不乱に彫刻刀で掘り抜き、部品を揃える。
これに何日もかかった。
大変だったのは車輪。六輪はスポークがある。このスポークがこれまた只の丸い棒ではない。
これも丁寧に削って再現する。
そして馬車の外形。窓や出入り口の階段。廊下の入り口等。
手摺りは真鍮の棒で再現した。これを木材で作るのは出来ないことはないが、直ぐ折れるだろう。ここはやむなく金属製にした。
屋根は取り外す事が出来る様にしておく。敢えて固定しない。
窓は硝子を入れないので、そのまま素通しである。
まあ、問題ないだろう。
それから人物。身長二メートルの亜人たち。気を付けるのは耳だ。
ややオーバー気味に長く尖らせて、顔も彫りを深くしておく。やや誇張気味にしないと、顔が小さいので特徴が出にくい。
これで、誰が見ても王都にいる亜人たちと判るだろう。
手綱は、本物は革だが、本革では厚過ぎる。ここは布で再現。細く細く切って、アルパカ馬に取り付けられている馬具を再現する。
元の世界のような便利な接着剤など無い。あるのはせいぜい樹脂と膠。だから、出来るだけ木を組み合わせて、組み立てて行けるようにした。
椅子や車軸の固定部分など、どうしても、という場所には僅かに樹脂や膠を塗る。
これだけで、一五日以上の日数がかかった。
しかし、精巧な出来栄えで内心満足した。
出来上がった物を、まずは板に乗せなければならないのだが、板の方もこれは額縁を付けてやり、その中の板は街中の石畳みの舗装をやや削り込んで再現する。
色を塗っていないのが残念だが、どこで塗料が手に入るのか判らないのだ。
まあ、色塗りなしでも十分な出来栄えである。
アルパカ馬は倒れないように、真鍮の芯棒を蹄の下に取り付けて台に固定する。箱馬車の方は六輪のうち、前後四輪の下に真鍮の棒を埋め込んで、台に固定。これでいい。台座には勿論、自分の名前を隅の方に彫り込み、◇とMとVを重ねた紋章も彫り込む。
これで、見栄えもするし、精密な彫りと造りで再現された巡回馬車の出来上がりだ。
あとは、二頭のアルパカ馬。これも馬具を取り付けて、真鍮の棒で板の上に固定。額縁で周りを囲ってやる。これにも勿論、自分の名前を隅の方に彫り込む。
これを錫細工で作ったら、どれくらいの時間がかかっただろうか。部品全ての型を取って、錫を流し込んでやるのだから、プラス五日、いやもっとかかるな。
金属で作れば、相当な値段になるだろうなとは思うが、今回は木工細工である。
……
これを、あの商会に持って行くのが大変だ。
これらをアスデギル親方に見せると、これは箱に入れようという。
まあ、壊れないように、だろうか。
それで、これ専用の箱も造る。上に取っ手を付けて、横は蝶番で開くようにしたのだ。この開く蓋は、下で止められるようにした。
上に開ける方は二七〇度の開度を確保すれば取っ手の上に乗る形になり、中の物も見えるし取り出しも簡単である。
アルパカ馬のほうも、一体ずつ、そのように箱を作る。
これでまた三日かかった。
瞬く間に、ひと月が流れていった。上後節の月があっという間に終わった。
第八節、下前節の月。第五週、四日目。
アスデギル親方とブルジュと三人で、またベネッケン商会に向かった。
私は、背中に巡回馬車の模型の入った箱を布に包んで背負い、アルパカ馬の模型を入れた箱、二つは手持ちだ。七宝焼きの串は背中の箱の横に革で包んでいれてある。
珍しく、ブルジュが口を開いた。
「親方様。ヴィンセント殿は、木工もかなりの腕の様ですね」
「ああ。あの巡回馬車を見る限り、彼女がリルドランケン殿の高弟、そして指輪を継ぐ者というのは間違いではないな。リルドランケン殿の木工は完全に達人の域だったが、彼女の木工細工の腕前も既に名工の域に達しているだろう」
「そう、ですよね。あの馬車を見て、信じられない思いでした」
「うむ。あれを彫れる細工師がいま、どれだけいるか、私にも分らんな」
アスデギル工房では、木工細工はほぼやっていない。せいぜい、木彫りの動物と箱くらいだ。
だからこの細工の真価は親方でも正確に判断出来る訳ではなさそうだ。
一応、これは褒められているらしいが、これが売れなければ意味がない。
あとは、これが幾らになるのか。
ベネッケン商会に入ると、またオドカルがいた。
初日に会った人物である。今日は他の商会の男たちがいなかった。
「おや、アスデギル殿。それにブルジュ殿とヴィンセント殿もお揃いですな」
「ああ、オドカル殿。ヴィンセント殿の納品に付き合って、やって来たのだよ」
「ほほう。だいぶ時間が経ちましたからな。なにか良い物が出来ましたかな」
「ヴィンセント殿。さあ。お見せしなさい」
促されて、まずは抱えて持っていた布の包みをテーブルに置いて箱を見せる。
「これは、何かな」
オドカルが覗き込んでくる。
蓋を開けて、中のアルパカ馬の木工細工を見せる。
「これです」
「ほう……」
彼の口から感嘆の声が漏れたが、果たして値段が付くのかは判らない。
背中に背負っていた方の布も下ろして、箱を置き、中の巡回馬車を見せた。
その時、オドカルの口がきゅっと閉じられた。
目が見開かれている。
「これは……」
「手摺り、手綱などを、除き、全て、木工細工で、ございます。ベネッケン殿」
まるで、あの銀の鳥を見た時のリルドランケン師匠の様に、オドカルは黙り込んだまま、視線は馬車の模型に吸いつけられていた。
「…… 相当な時間をかけた物、でしょうな」
やっと、彼はそれだけを喋った。
「はい」
そう言うと、それから彼は暫く無言だった。
……
「七〇リンギレ、でどうでしょう」
「ふむ。もう少しいい値段にならないかね。オドカル殿」
アスデギル親方は、その値段にやや不満らしい。
こういう物に標準値段が無いのは、今のやり取りで判った。
オドカルは少し考えこんでいたが、アスデギル親方の方を向くと、やや早口だった。
「いいでしょう。八五リンギレで買い取りましょう」
どうやら、買い取ってもらえそうだ。
「こちらの、二つは、買って、頂けますか」
「ああ。勿論だとも。一つ三〇リンギレで、どうだろう」
「判りました。あと、串も、お持ちしました」
「ほう。長い方だね」
「はい。これも、お願いします」
「前と同じで一本二〇〇デレリンギだ。いいかね」
「はい」
「全部で一二本か。二四リンギレだね。よろしい。では売買契約書を書こう」
私は、細工の代用通貨を取り出した。
オドカルはどんどん書いていき、私の代用通貨を受け取って裏返し、私の名前を写し取った。
「こことここに署名してくれたまえ」
言われた場所に、署名だ。マリーネ・ヴィンセントと。
合計金額は一六九リンギレ。かなりの金額になった。
元の世界の金額なら八四五万だ。いいんだろうか。こんなにも高くて。
まあ、この商人はあの模型をあの値段で売れると思っているのだから、問題ないのだろう。
それにしても。模型、値段が高いな。
たぶん、だが。この世界ではこういうスケール模型を作る職人がほぼいない、あるいは全くいない、という事だろう。
そうでなければ、これ程の値段になる筈がない。私の想像より桁が二つ違っていた。元の世界なら、どう考えても四万すらしないだろう。まあ、工業化された世界の値段で比べてはいけないのだが。それにしても、高額な買い取りだった。
たぶん、全体を通してきちんとスケールを意識して、統一して作られる模型という物が少ないのだろう。その割には鳥だの四つ足の獣だの、木彫りはあったような気はするが。あれらのスケールはばらばらという事だな。
まあ、私も銀の鳥を作った時は、スケールなぞ意識しなかったからその点は何とも言えない。
つづく
爪切りが終わったら、次は細工だ。
休日は休んではいるものの、鍛冶の毎日は忙しく過ぎていき、細工も行った。
マリーネこと大谷は元の世界で、学生時代によく作っていた情景模型を思い出し、それをこの世界でやって見ることにしたのだった。
題材は巡回馬車。
これがやたらと高い値段で引き取られ、びっくりしたマリーネこと大谷である。
次回 第三王都で鍛冶と細工2
爪切りは、本格的に量産工程に入る。
彼らの腕を信じて、彼等ならやれるだろう型に仕上がったはずである。




