274 第20章 第三王都とベルベラディ 20-61 ベルベラディで起きた悲劇のその後
マリーネこと大谷は暫くベルベラディから出る事すらできない。
街から出るどころか、商業ギルドの用意した館の外に出る事が出来なかった。
状況を教えてくれる人もいない。
ただただ、日々が過ぎていくのを受け入れるしかないマリーネこと大谷。
274話 第20章 第三王都とベルベラディ
20-61 ベルベラディで起きた悲劇のその後
私はまた、閉じ込められていた。
流石に部屋に軟禁ではなかったが。しかし、あの第四王都の時と大して変わらない。館の外に出る事は禁じられてしまったからだ。
加えて、刃物は全て取り上げられていた。
手元にあるのは衣服とお金、ポーチと代用通貨に階級章だけだ。
それにしても。
今回、髪の毛が赤くなっていたのは、自分で判った。
あの男の剣が耳の横の髪の毛を切って、髪が散る際に赤い毛を見てしまったからだ。
やらかしたのは、間違いない。しかし、これは降りかかった火の粉だった。
その事だけは否定しようのない事実だった。
だが。ここに来て、私の職人生活でまったりスローライフは、どこかに吹き飛んでしまっていた。
─────────
冒険者ギルドは今大荒れとなっていた。。
仮本部とはいえ、そのマスターが魔物に食われ取って代わられていたのに、誰もそれに気が付く事が出来なかったからである。
第三王都から偶々やって来た、マリーネ・ヴィンセントが襲われ、応戦して斃さなければ、ずっと気が付かないままに冒険者ギルドが次第に停滞して魔物に浸食されて行ったのは間違いない。
この一年間に及ぶ、重要事項の決定の遅さは、既に大きな弊害を生んでいたからだった。
しかし、マスターに提言は出来ても、逆らう事も無視しての決定も出来ない。
全ての書面にはマスターの署名が必要だからである。
マリーネ・ヴィンセントが何故か襲われ、その最中に彼女がマスターと互角に戦い、魔物になっていたマスターを斃したという話が、第一王都の本部に密かに届けられていた。
これは噂話のレベルではない。全てを事実として、商業ギルド監査官からの手紙だったのである。
それから二日後。
第三王都から使者が来て、トドマのヨニアクルス支部長が倒れたのが知らされる。
あまりにも、働き過ぎだった。過労と心労が重なり、とうとう執務中に倒れたとの事だった。
この知らせは第一王都にも行ったという。
この一報は商業ギルドの監査官たちの連絡によってもたらされたものである。
ベルベラディにある仮本部で直ちにトドマに対して支援が必要という、第三王都のクリステンセン支部長からの手紙も添えられていたのだが、今、ベルベラディはそれどころではなかった。
マカマに行ったままの白金の二人もまだ戻っていなかった。
今、冒険者ギルドの仮本部は厳戒態勢である。
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翌日になると、私の身柄は厳重な警護の中、別の館に移送された。
大きな商館のようだった。
……
私は、どうすればいいのかすら、分からない。
ベルベラディに来た目的は、私が鍛冶と細工の両ギルドで独立職人として正式に認可、登録される事だったから、それは果たしている。
だが。冒険者ギルドの方は、今や大嵐であろう。
あの時に死んだのは本部長とその部下だったという事だ。
本部長と、その下の部下の合わせて三名が魔物化していて、それぞれが本人になり替わっていたにも関わらず、誰も気が付かなかった等と、洒落にもならない事態だったからだ。
あの魔物は、一体、何だったのだろう。
今、それを知ることは難しそうだ。
私に対してはまるで腫物にでも触るかのようにして、扱われている。
そして、誰も何も教えてくれない。
ただ、食事が出され、金属製のゴブレットに果汁や水が入れられて出され、時々紅茶が出されるだけだ。
私は、毎日、おいしくもない香りだけのスープと硬いパン、旨味の少ない薄く切った肉を食事に出され、それを食べていた。
あとは、やることは何もない。
鉄剣とダガー、それにクレアスを取り上げられているから、部屋の中で空手と護身術をやるくらいしか出来ないのだった。
誰も話しかけてもこないし、これはある意味、あの時の牢屋と変わらない。
部屋は綺麗でかび臭い匂いなど微塵もしないばかりか、なにか花のような匂いがいつもしているくらいだ。
そう、いつも清潔で、いい匂いのする客室、だろう。
そんな中で、私は空手と護身術に明け暮れた。
時間を掛けて掌底の練習。
これはまだまだ、追求できる技なのだ。
牢屋の時のように何発も壁に当てて、僅かでもひびが入るといけない。
あくまでも、空中に。当てた瞬間に全ての力が掌の先、一点に集中するように。
黙々と掌底を繰り返す。
……
そうこうしているうちに数日が流れた。
─────────
事件からしばらくたって第一王都の冒険者ギルド本部から三人の役職付きの人物がやって来た。
ベルベラディにて冒険者ギルド仮本部を揺るがした、人に化ける魔物については、王国の軍団が第一王都から直々に派遣されて来た。
軍団兵は全員が、あの笑ったような顔の仮面をつけていたのだった。
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街路がまた、だいぶ騒がしい。窓際に行ってカーテンを少し開けて外を眺めてみる事にした。
その時、私は初めて見た。王国の軍団兵が五列で行進していたのだ。行軍体制か。
彼女たちは全員が目から下に仮面をつけていた。そして大きな武器を担いでいる。
外に軍団兵を見かけるようになった、その翌日。
第三王都から一人の武官がやって来た。それはリーゼロンデ特務武官だった。
リーゼロンデ特務武官はシェティナ・リル・スーデルドーン主席商業ギルド監査官のもとにやって来たのだった。
そうして彼女は、私が入れられている商館にやって来たのだった。
彼女が少しそのことを説明してくれた。
今、ベルベラディは封鎖されていたのだ。彼女は密命を帯びてここにやって来たと言う事だった。
「私は、何故、捕らえられたのか、特務武官様は、何か、御存じですか?」
彼女は目を瞑った。
「警備隊は、あの騒ぎの時に、出入り口が大騒ぎになった時駆け付けたそうだ。冒険者たちを暴れさせないように、対処するのが警備隊の普通の処置だ。だから、中は見てすらいないだろう。従って其方を捕らえたのは、誰かが其方に犯罪行為があったと進言したと言う事だろう。情報は錯綜しているそうだが、警備隊からの報告も纏まり切れてはいない」
それで、警備兵らは何も言わなかったのか。
「私は、どうなって、しまいますか。特務武官様」
そう訊くと彼女は少し思案気な顔だった。
「私からは、確たることは何も言えない。ただ、スヴェリスコ特別監査官様はヴィンセント殿を何が何でも護れと、仰っただけだ」
そう言って彼女は少し溜息をついた。
特務武官が溜息とは……。
まあ、面白くない任務だろうな。
「ヴィンセント殿。スヴェリスコ特別監査官様は、其方の事を心配していた。冒険者ギルド内部の事については、本来、警備隊は敷地の中には入らないのだ。あそこで起きる事は、たとえどんな事であっても、それは冒険者ギルドの責任だ。我々監査部でも、理由なく中に入る事は出来ない。それは同じだ。今回、仮本部の事なので、余程の事がないと、仮本部の監査という訳にはいかなかったのだが、仮本部長が死亡となっては、な。今回は特別な監査となるようだ」
「それが、軍団兵の、方々、ですか」
「見たのか」
「窓から、外は、見えますし、あの長い武器は、護衛の方々や、門番の、人とは、違いますから」
「そういう事だ」
彼女は重々しく頷いた。
「今、この大都市は、それに相応しくない措置を行っているのだ」
「相応しくない、措置、ですか」
「そう、完全に封鎖されている」
「食料は、どうなって、いるのです?」
「それは、まず街の外に止め置かれたが、中に入ると暫くは外に出れない。それを承知の者だけが、中に入れられた」
「他の方々は、入る事が、出来ないのですね」
「ああ、出る事も出来ない。たとえ大商会でも、な。あとは王国の備蓄品の放出で賄われているのだ」
食料関係以外は、入る事が出来ないほど、徹底した封鎖となり、ベルベラディは大混乱のさなかだった。例え大商会だろうと、ベルベラディからは出られない。
「これから、何が、おきるのですか」
「試験だそうだ」
「試験? よろしければ、その、試験の、内容を、教えてください」
「ああ。軍団は、まず冒険者ギルドの面々を集めて、ある村に伝わる魔除けの試験を受けさせているらしい」
「魔除け、ですか」
「魔物に襲われないよう、その、とある村では家の前の玄関に魔除けの干物を吊るし、山に入る際には、腰にその魔除け干物をぶら下げていたというのだ」
「それを使った試験なのだが、人になり代る能力を持つ魔物は、ある特定の匂いが耐えられないというものだ」
「……」
「匂いに敏感な我らと軍団兵が厳重な匂い対策をした上で、男たちを地下室に降ろし、上にしか脱出できないその部屋で、上からある特定の魚を魚醤に漬け込んだ干物を少し炙った状態で箱に入れ、吊るすという。で、上からの操作で箱の蓋が開けられると、匂いが出る。その匂いに耐えられない魔物は正体を現し、そこから逃げようとするのだという。たとえ、部屋に入れる前であっても同じだが、匂いに耐えられず逃げ出そうとした瞬間に、それは容赦なく軍団兵の槍でもって滅多刺しにされるというものだ」
彼女は淡々とその試験の内容を語った。
「耐えられなかった亜人も、ですか」
「残念ながら、な。そこを選別しているような余裕は無いのだ」
腐敗臭のような、魚臭いのは、彼女たちだって十分苦手だ。
しかし、あの紫色の魔物たちは、その匂いが死ぬほど耐えられないという事らしい。
「ヴィンセント殿。其方の住環境は、もう少し改善させる。宿の方の炙り出しが終われば、其方を移動させる故、もう少し、我慢されたい」
その日、リーゼロンデ特務武官は外に出ていった。
翌日。
ベルベラディに雨が降った。
激しい雨だった。また少し雨の季節が来ることを告げているかのような、そんな雨が一日中、激しく降っていた。
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特別な臭い試験実施の結果、あの時に会場にはいなかった冒険者と事務員も数名が魔物にすり替わっていた事が発見され、その場で槍によって処刑されたという。
この試験は数日に渡って続き、この干物がその村々から文字通り、ありったけかき集められて、まだ閉じられている南東門、北西門、南西門、北門の左右に置かれた。
そしてその間にベルベラディにいる者たちも調べられていた。
ベルベラディの高級宿にも軍団兵が入り込み、そこにいる客は全員が外に引きずり出され、また宿の従業員は全員が一人ずつ、その匂いを嗅がされたという。
その結果、ベルベラディの住人に数名、魔物がすり替わっていたのが発見され、その場で槍による処刑がなされた。
この炙った干物はその後、暫くの間、西部地方と北部一帯の街の門に全て置かれたため、門番はそれから、それが続く間は臭いを防ぐために仮面をつけるようになったという。
今や、ベルベラディは崩壊の瀬戸際にあった。
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特務武官が来て変わったのは、食事の内容。
やっと、魚醬の味付けがされた料理が出るようになり、石のように硬いパンではなく、一次発酵された物に変わった。
数日後に特務武官は、私を別の場所に移動させるといって来た。
「ヴィンセント殿。色々手続きに時間がかかったが、其方を移動させよと、上の方からの命令なのだ」
「分かりました」
取り合えず、着替える。
今まで着ていた服は全てきちんと畳んだ。
荷物全てが私のもとに返された。
何時もの服を着る。ブロードソードは無い。左右にダガー。鉄剣は腰に付けられないから仕方がない。
あのクレアスという短剣も含め、全てをリュックに入れ、靴も何時もの物を履いておいた。
鉄剣をリュックの後ろに結び付ける。
何処に連れていかれるか、それは今のところ分からないから、動きやすいようにしておく必要があるのだ。
「ヴィンセント殿。其方の安全を守るために、其方にも守って貰いたい事がある。スヴェリスコ特別監査官様は、これだけは其方に前もって伝えておくようにと、言われた」
「はい」
「まず、冒険者ギルドの本部の声明だ。ここベルベラディの仮本部のブライアス・エーリク・セーデルレーン仮本部長は仮本部に突如乱入した魔物と勇敢に戦い殉死。ボウゼンロープ・グラナスベック副部長とロドリップ・リュノール副部長補佐も本部長を庇い殉死と発表」
「……」
「次に、あの時にいたギルド員全員に厳重な箝口令が敷かれたとの事だ。仮本部マスターが、魔物に乗っ取られていた等と口にした者は、何人であれ、全てのギルド員資格を直ちに失い、冒険者ギルド本部に対する重大な名誉棄損で国外追放とすると言ってきたらしい」
彼女は私の方を見つめていた。
「これら一切は全てのギルド本部で決定され、ベルベラディの全ての仮本部に通達されたとの事だ。恐らく全支部にも、何らかの形で、冒険者ギルド仮本部に関する噂話は一切禁止として通達された事だろう。其方からあれこれ外部に漏れると流石に庇えないのだ。そこは其方も守って貰いたい」
彼女の目は一層細くなっていた。
「あと一つ。ベルベラディに入り込んでいた魔物の炙り出しが完全に終わるまでは、魔除けを門から外してはならないとされているので、まだ其方を第三王都に戻すことは出来ない。以上だ」
「は、はい」
……
冒険者ギルド本部は、他のギルド本部と示し合わせ、どうやら完全な隠蔽工作に走った。そう見てもいいだろう。
そうなると、斬った私は一体どういう扱いになるのか……。
誰にも会わせて貰えないという事態が、それを雄弁に物語っていた。
私はどうなるのだろう。
つづく
特務武官がやって来て、状況が変わる。
何が起きてしまったのか、何が今行われているのか、簡単ではあったが特務武官の口から語られ、かなり不味い事が起きていることだけは、理解したマリーネこと大谷だった。
次回 ベルベラディの高級宿と冒険者ギルド
マリーネこと大谷の身柄は、商業ギルド監査官配下の商館から、高級宿に移された。
そしてとうとう冒険者ギルド仮本部へと連行されるのである。