273 第20章 第三王都とベルベラディ 20-60 ベルベラディでの模範演武と起きた悲劇
翌日は出来上がっているはずの独立標章と代用通貨を無事、受け取り、宿代の支払いの皮紙を冒険者ギルド仮本部に持って行くマリーネこと大谷。
しかし……。
全く予想外の出来事が待ち受けていた。
273話 第20章 第三王都とベルベラディ
20-60 ベルベラディでの模範演武と起きた悲劇
翌日。
起きてやるのは、何時ものストレッチから。
空手と護身術はいつも通りのルーティーンだが、剣の方はやめておく。
さて、今日は赤い服を着る。まあ、理由はある。冒険者ギルド仮本部に行きたいのだ。練習場で剣を振るのも出来るかもしれない。そうなれば、長いスカートという訳にはいかないのだ。
何時もの服、も考えたが、せっかくだからお洒落服で行きたい訳だ。
どこかのタイミングで、やや短めのスカートを作るべきかもしれないな。
ブロードソードを左腰に。そしてダガーを両方の腰に付ける。
いつも通りだ。
朝食も終えて、全部を背負う。
部屋に鍵を掛けて、下に降りる。
ボステックを探して、鍵を渡し、三泊の支払いをする。
「ヴィンセント様。一泊一二〇デレリンギで御座います」
そういいながら、彼は宿帳を出して来た。
一泊、一二〇デレリンギか。元の世界なら六万。
内容から考えると、十分高いんだが、まあいい。ベルベラディはやや高い相場なのかもしれないからだ。
三泊分で三六〇デレリンギとなった。
「代用通貨で、支払います」
「承知しました。こちらになります。署名をお願いします」
彼に代用通貨を渡し、署名欄に署名している時に、彼はもう一枚出した。
「こちらにもお願いします」
「はい」
私が署名すると彼は私の代用通貨を裏返して神聖文字を写し取った。
それから、ジェー・ボスティックと書き込んだ。そういう名前だったのか。
最後に彼は皮紙の下に、『ブルメンクラン商会』と書きこんだ。
この宿を経営している商会の名前らしいな。
「こちらを冒険者ギルドの方にお出しください。ヴィンセント様。ベルベラディでなくても、構いませんよ」
「はい」
私は渡された皮紙をリュックに入れた。
「では、お世話になりました」
そこで軽くお辞儀。
「またのご利用をお待ちしております」
彼もお辞儀。
まあ、料理は悪くはなかった。特に初日の夕食はコースのようなものだったが、あの料金では微妙だ。うん。
さて、向かうのはまず、鍛冶ギルド本部。マスターに会う必要はない。
ここで、事務方に会って新しい標章と代用通貨を出して貰って、今のと交換だ。
少し、待たされたが新しい標章と代用通貨が来た。標章は私の紋章である◇にMとVを重ねた物だ。その下に、私の名前。
裏側はヴィンセント工房と書かれていて、その下に私の名前。
全て、共通民衆語だ。
代用通貨は、表にあるのは鍛冶の標章。その下に私の紋章。
そしてその下に共通民衆語で書かれた私の名前。
裏返すと神聖文字がある。私の名前と怪しげな数字や記号。ここはもうおなじみの物だ。
それに続く文章がある。
『このもの、独立して鍛冶を行うものである。これを保証するものなり』
『ヤンデル・ケニヤルケスは、この者を認め、認証した』
『第三王都第二商業ギルドが承認したケニヤルケス工房』
なるほど。本来はこういう形なのだな。ある特定の工房で独立試験を受けるとそこの親方の名前と工房名が刻まれる、ということか。
他の親方が独立試験をすると『認証した』の部分にその親方か、或いはギルドマスターの名前が入るのだろう。
私は、今までのを渡して、交換してもらい、更に出された書類に署名した。
たぶん。確実に渡したとか、そういう書類なのだろう。
よし。これで鍛冶は完全に独自に物を造って売る事も出来る。
鍛冶スローライフが近づいたな。
次は細工ギルド本部。陶器工房ギルドの本部を越えて、その横だ。
ここで受け取るのは私の紋章を入れた新しい標章と代用通貨。これも交換だ。
これも出された書類に署名して、今までのを提出。
新しく、私の紋章の入った標章と代用通貨が渡された。
どちらにも、私の◇とMにVを重ねた紋章が入っている。
代用通貨の裏は今まで通りだな。
細工ギルドの標章は、以前の物は裏側に色々書いてあったのだが、新しいものはヴィンセント工房と私の名前、マリーネ・ヴィンセントと入っているだけだ。
まあ、これが正規の物なのだな。第三王都であの時に第二商業ギルドの方で一時的に出して来た細工の独立標章は、仮の物だったのかもしれない。
取り合えず、細工はあとでアスデギル工房に行く必要がある。
さて。これであとは冒険者ギルドにいって、この宿代を支払った皮紙を提出すればいい。
まあ、第三王都のほうでもいいのだが、ここでやれるならそのほうがいい。
それにベルベラディにある冒険者ギルドの仮本部を見学する機会なんて、まずない。
些か観光気分ではあるが。ま、ここ数日、満足に剣を振ってないので、訓練場で振れるといいのだが。
例の二輪馬車を拾って、冒険者ギルドの仮本部前まで行って貰う事にした。
軽く見学したら、中央の市場でニーレに向かう荷馬車を見つけて、それに乗せて貰えばいい。昼に出てもタオまでなら夕方にはつく。
中央通りをゆっくりと流す二輪車に声を掛けた。
「すみません。冒険者ギルドの仮本部前まで、行きたいの」
「おぎゃぐさん。一二デレリンギ。前金ですぜ」
やや、いかつい顔の男が、今回の御者だ。かなりの濁声だった。
一二デレリンギ。硬貨を数えて渡す。
この料金が、もしかしてこの都市での固定料金とかいうのだろうか。
距離なぞ、多分関係ないだろう。
だから、近くはだめだと最初の時、言われたのだろうな。
「その荷物、降ろじで、椅子に座ってぐんな。それと、しっかり掴まっでぐれなぜえ」
なんだか、変に訛ってるな。この御者は。
座ってリュックを片手で抑えつつ、もう片手で前の御者席の後ろを掴む。
男は何か声を上げると、アルパカ馬に鞭を入れ、急発進。
物凄い音が車輪からしている。
壊れるんじゃないのか。これは。なかなか荒っぽい個人タクシーである。
……
大きな本部の建物の前で、二輪馬車は停まった。
「ほぉい。おぎゃぐさん。着いた」
耳がおかしくなりそうな車輪の音に曝されていたので、御者の声が認識できず、停まった事で着いたのが分かっただけだった。
「ありがとうございました」
リュックを背負ってこの二輪馬車から降りる。
冒険者ギルドの本部は本当に大きい建物だった。
他の生産ギルドの本部もそれなりに大きかったが、これはそれらの比ではなかった。
そして、人が多い。そこにいる人々は帯剣して首に階級章があるのだから冒険者なのだな。
普段からこんなに多くの人がいるのだろうか。今日は休みの日なのだが。
まずは、中に入る。
入り口からして広いのだが、中の広間は背の大きな亜人でごった返していた。
とにかく受付だ。男性の係官を見つけた。
「係官殿。この、代用通貨の、書類を、お願いします」
背の低い私を見つけるのに、一瞬戸惑ったようだが、すぐに下を向いた。
彼は私が出した皮紙を受け取った。
「はい。代用通貨の方も見せて下さい」
私は代用通貨を渡す。
「名前は一致していますね」
そういいながら、係官は神聖文字を写し取った。
この人の多さを訊いてみよう。
「それで、今日は、何故、こんなに、人が、多いのでしょう」
係官は私に代用通貨を返して寄越した。
「ヴィンセント殿。今日は訓練場で、年に三度行われる大演武会の今年最後のが行われています。見て行ったらどうでしょう」
「それは、是非とも、見学したく、思います」
「それなら、一度外に出て、外から訓練場に入れる門が開いているはずです。そちらからどうぞ」
「はい」
今日は、ベルベラディ仮本部でそこにいる支部員たちの演武を見せる日だったのか。
それで人が恐ろしく多い訳だな。
まずは外に出て、門に向かう。
大勢の亜人たちに紛れて、門の中に入り、観客席らしいものが用意されている場所に行くのだが、何しろ座ったら、もう前は見えない。
席が固まっておかれている場所の中央にはテントの様に上に布が張られていて、そこにはかなりまともな椅子が置かれている。
ああいう場所は大抵、役職が座る場所だろう。私は反対側に行く。
反対側には席がなく、皆グランドにそのまま座っている。
少し開いている場所を見つけ、そこにリュックを置いて、そこに座った。
やや微風が吹き抜け、いい天気だ。
中央ではもう演武が始まっている。
長い武器を使った、いろんな振りを見せている。
それが終わると、別の人に変わった。模範演武か。
数人の模範演武が続き、それから一度、下を箒で掃いていく。
周りから一気に歓声が上がった。
どうやら、これから模範試合か?
二人が向かい合って、長い剣を打ち合って見せる。
結構遠くなのだが、まあこの目で見えない程遠い訳ではない。
試合ではないのだろうけれど、打ち合いは激しい。
中央のほうの席に何人かの男が来て座った。
あれは本部長だろうか。まあ、名前も顔も知らないので、定かではない。
一人が転んで、そこでその打ち合いは終了。また人が変わる。
試合とも違うのだろうな……
ま、支部長の見ている前で、自分の武技を発表ってか。
どんどん、そこに立つ二人が変わっていく。
その時にまた、風が吹いた。少し後ろの方から風だった。
涼しい風が吹き抜けていく……。
その時にテントのような布の下にいた本部長らしき男が立ち上がった。
急に走り出した。そこで武芸を見せている二人を突き飛ばし、こっちに向かってくる!
背中が一気に震える。今までに起きたことのない背中の感覚。
頭の中では警報が大きく鳴り響いていた。
魔物だ。間違いなく。それもかなりやばい。
私は立ちあがった。
本部長らしき男は走りながら剣を抜いた。
何やら、美しい剣だ。たぶん業物だろう……。
その剣がいきなり私に襲い掛かる。
抜刀!
いきなり真剣での立会か。
凄まじい剣だった。
まともに合わせては、こちらの剣が折られかねない。
横から当てていくのだが、相手の剣は速い。
しかし、何という速さだ。
こんな速さは今まで亜人の剣では見た事もない。
まるで、キッファにいた黒服だ。
しかし、あの時と今では違う。ずっとシャドウであの速度に合わせられるよう、練習を積んできた。
この速度でも、押し込まれるほどの差がある訳ではない。
─────────
この男の腕前は黒服の男に近いものがあった。
しかし。これは魔物の力によってやや増幅されていたのだ。
支部員たちの見ている前で、激しい剣戟が繰り広げられるため、だれも止める事が出来ない。
その時にセーデルレーン仮本部長が上げた叫び声は、もはや人の声ではなかった。
この時に、それに呼応するかのようにマリーネの髪の毛は深紅に変わっていった。
セーデルレーンの剣の速さが上がる。
─────────
しかし、背の高さ、リーチの差はいかんせんともし難い。
剣での対処が遅れている訳ではないのだが、剣が右に左に差し込まれて、顔に迫る。
耳の上の髪の毛が少し切られて舞って行く。
真っ赤な毛が散って行くのが見えた。
斜め上から突いてくる相手の剣は、隙が無い。
男は一気に突っ込んでくる。
それを躱す。
スラン隊長から教わった、逸らす剣。本当なら二本必要だ。
一本なので、相手の剣に僅かに当てて逸らせるだけだ。
見極めの目。
少なくとも、全く手も足も出ない状態ではない。
問題なのは、この相手をこの状態で斬ってはいけない事だ。
なんなんだ。この男は。魔物の反応があるのに、見かけは亜人だ。
私は有効な反撃が出来ず、徐々に追い込まれていた。一度大きく横に回る。
何とか転ばせるとか、相手の動きを止めなければ……。
だが、相手は激情に駆られているかのような剣でありながら、隙を見せない。
時々、猛烈に鋭い突きが繰り出される。私は剣先で僅かにそれを弾いて逸らす。
恐ろしいほどの重さを伴った、払い胴がくる。下手に合わせれば、剣がやられる。タイミングだけが命だ。
二度三度と払い胴が来て、もうその剣をいなすだけとなった。
一際鋭い剣筋で払われてくる!
だが、私は合わせ損ねたのか。
ブロードソードが折れた……。
そして、一気に苦戦に追い込まれた。
転がって剣を躱す。立ち上がった時に瞬時にダガーを両手に握って戦い、相手の刃を止める。
相手の刃はもはや縦横無尽。
このままでは殺される。
こんな所で。こんな所で、死ぬのが私の運命なのか?
ここで、理由も分からずに命を落とすのか……。
否。 否!
降りかかる火の粉は、断じて、振り払わねばならぬ。如何なる理由あれ、こんな所で死ぬ訳にはいかない。
その時、相手の動きが一気に遅くなった。
素晴らしい美しさを持つ剣の刀身が極めてゆっくり横から払われてくる。
これは……。私のゾーンが発動したのか。
どれだけの時間が与えられたのか、それは判らない。
だから、私がやるべきことはたった一つだ。
踏み込んで、ダガーを突きつける。
それが、この男の太ももの根元に届く。
ダガーは根元まで刺さった。そのダガーを引き抜く。
そして、一瞬でゾーンは終わっていた……。
男はバランスを失い、剣の軌道が一気に上にぶれ、横に倒れた。
太ももの付け根から出血。しかし、血の色が、赤じゃない。何故だか黒い。
私はダガーを鞘に仕舞った。
頭の警報が、静まっていたからだ。しかし背中の震えるような違和感が消えたわけではない。
すると、周りからは急に怒号が上がり、物騒な言葉が飛び交う。
「こいつ。本部長が問答無用に手討ちにしようとした奴だぞ!」
「こいつは偽物の階級章持ちか!」
何を馬鹿なことを。
「私は、第三王都所属のヴィンセント。この金の階級章は偽物ではありません」
「信用できるもんか。本部長殿が、斬り捨てようとした偽物持ちだぞ!」
その時に誰かが叫んだ。
「この小さいやつをぶっ殺せ!」
それを合図に、何人かが剣を抜いた。
一体何なんだ。こいつらは、この仮本部長とやらの蛮行を正当行為だと思っているのか。
どうする。ダガーで応戦か?
「待て。ここで我らは血は流すな。ここでの流血は本部長殿か副部長殿の許可なく出来ん!」
「こいつは、本部長殿が自ら斬り殺そうとした奴だぞ!」
「よーし。遠慮はいらん! 全員で殴り倒せ!」
私の周りに多数の支部員が集まり、上からさんざんに拳で殴られ始め、頭を庇えば、今度は横から蹴られる。
どういう事だ。
そもそも一体なぜ、私が暴行されなければならないのだ。
あのさっきの凶行が、本部長の手討ちだと?
私は、ここに来るまであった事すらないというのに。
仮本部長に刃物を刺した狼藉者ということなのか?
どう考えても、さっぱり納得はいかない。
私の体が頑丈だから、多少の事では骨折もないとは思うが、相手の拳や蹴りを受ける際に僅かに体を動かして、攻撃を受け止めて衝撃を吸収。
とはいえ、流石に数が多い。
仕方がない。
私は腹を決めて両手を構える。
腰を落とし、踵を浮かせる。
左手で最も近いやつから引き込んでは、下腹部に龍拳を打ち込む。男は、何やら判ららぬくぐもった声を上げて倒れた。
そのまま、翻って後ろの男も同じように、殴ってくる腕を取って、踏み込み下腹部への龍拳。
男たちは訳の分からない言葉を叫んで倒れた。
「こいつ! まだ抵抗するつもりだ!」
男たちが棒を握った。
ここで下手に遠慮していれば、こいつらに私が殺される。
手を出してくる奴は棒ごと掴んで投げ飛ばすか、下腹部に拳をめり込ませた。
更に数人が倒れていき、次々と悲鳴が上がった。
これで、手を出す奴が格段に減った。
しかし……。どうすればいい。
その時だった。
倒れた仮本部長らしき男の顔が、徐々に変わっていく。本当の姿に戻っていくのだ。
仮本部長の顔は、ただ紫色をしたのっぺらぼうに白い目。そして顔全体に白い渦。丸い口があるだけの魔物だった。そしてまた叫び声が上がった。
それは人の声ではなかった……。
ゆっくりと上半身を起こす魔物。
何とか助けようと、仮本部長を運ぼうとして集まってきていた仮本部の男らから絶叫に近い悲鳴が上がる。男たちは、這いずるようにしてそこから逃げ出し、起き上がるや、全速力で走り出していた。
その時に、魔物は再び立ち上がった。足の根元からは黒い血が流れていたが、その傷はもう塞がっていた。
仮本部長の服を破り、紫色の体と紫色の長い尻尾が現れた。
私を取り囲んでいた冒険者たちが急に止まった。
「な、なんだって、こんな……」
「何がどうなっているだ!」
「ばかやろー。考えている場合じゃないぞ!」
「早くしろ。アレに関われば死ぬぞ」
「待ってくれ! 起こしてくれよー」
「もたもたしてるんじゃねー」
「早く逃げろ!」
二、三人の男たちが、倒れている男を抱えながら走り始めた。
「まだ死にたくねー」
周りにいた大勢の冒険者が悲鳴を上げて、一斉に訓練場の出入り口の方に向かう。
その時に誰かが何か叫んでいる。なんといってるのか、よく聞こえなかった。
すると、あのテントのあった方にいた冒険者たちも、一斉に立ち上がり、出口に向かって走り出した。
もう完全にパニックだけが辺りを支配していた。
私は、逃げるわけにはいかない。背中の震えはまだ止まっていないし、頭の中の警報も再び鳴っている。
私は両方の腰からダガーを抜いた。
この魔物は爪を長く伸ばした。
その刹那、伸びた爪はまるで剣の様に払われてくる。
こいつの武器がこれなのか。
私は両手ダガーで受ける。護身術の受け術は、こんな時も正確に相手の攻撃を逸らし、上や横に払った。
爪の攻撃も速かった。
とにかく、受けるしかない。
剣があれば、こんな爪攻撃は切り飛ばして、相手に斬り込めるものを。
しかし、近くにある筈の鉄剣を抜く暇すら無いのだ。
見極めの目。相手の爪の軌道を見極め、それを躱して踏み込む。
間合いを詰めて、ダガーで相手の爪攻撃を左手のダガーで受け止め、右手のダガーで腹を一気に横に切り裂き、私はそのまま右に抜けた。
と、紫色の魔物の口から叫び声が上がり、そこで前のめりに崩れ落ちた。
暫く手足と尻尾がバタバタと痙攣している。
腹からほぼ真っ黒に近い体液なのか、何か判らないものが、流れ出ていたが、横にはみ出した内臓は炭の様に真っ黒で、一部がまるで深紅のような色をしている物が切れていて溢れ出てきた。
その時だ。
直ぐ近くに来たもう一人が襲ってきた。
この男も剣を抜いた。
私はダガーで応戦。だが、この男はそれほど剣が早くもない。しかし頭の中の警報は鳴りやまず、背中の震えるような反応も収まらない。
私は回り込み、横からダガーで切り込んだが、躱される。
私は僅かに相手の後ろになる位置に踏み込んだ。
その時に男の尻にいつの間にか、小さく尻尾が出ている!
濃い色のズボンで、よく見ないと全く気が付かないほど小さいが、紫色の尻尾が出ていた。。
こいつも…… 魔物だ。背中の震えも一向に収まらない。
相手の動きは、さっきの男ほどではないが、それなりに早い。
剣を躱して、右手のダガーを投擲した。
それはこの男の胸に刺さった。
男は仰向けに倒れ、絶叫。それもまた人の声ではなかった。
倒れたその男は暫く体が出鱈目に脈動した。
小さかった尻尾が伸びていく。紫色の太く長い尻尾だった。
暫くすると、顔がやはり紫に代わっていき、白い渦巻きと白い眼が現れたのだった。
この男も何かの役職だろうか。首にある階級章は金三階級。☆が三つ。
……
大パニックの中、人々はもうこの訓練場から逃げ出そうとしていたが、この騒ぎの声を聞きつけた警備兵は、その出入り口を閉じていた。
彼等を街に出さないという事だった。
冒険者たちから怒号と悲鳴が上がる。ここから逃げ出したい一心で、もう暴動一歩手前だ。
もう、この広い訓練場には私と、倒れている魔物しかいない。
その時に混雑する人混みに逆らって、更にもう一人。男が走って来た!
なんなんだ。
背中の震えるような反応は止まらない。
首にある階級章は、金三階級で、☆が一つ。あれは確か副部長補佐の階級章だ。
もう魔物であることを隠す様子はなく、こいつは剣を抜かずに、手の先の爪が長く伸びた。
顔が徐々に崩れたが、まだ辛うじてそれは亜人の顔。だが小さな尻尾が後ろに現れていた。
まだ少し距離がある。ダガーを右手に持ち直し、全力で投擲!
その男の眉間にダガーが刺さる。
男の口が大きく開き、そこから一瞬、魔物の悲鳴が飛び出した。
男は派手に顔からうつ伏せに倒れた。顔が激しく左右に動き、手足を痙攣させていたが、そのうちにピクリとも動かなくなった。
その時、顔はダガーが深く刺さったまま、真横を向いていた。
恐ろしい形相のまま息絶えていたのだった。
横を向いたその顔はやはり紫に代わっていき、白い渦巻きと、大きな白い眼が現れたのだった。
鼻はなく、小さな穴が二つ。口は丸かった。そこから何か真っ黒な体液らしきものが流れ出ている。
ダガーの刺さった眉間からも黒い液体が流れていた。
そして何故か、尻の小さな尻尾が長く伸びていく。それは次第に太くなった。
尻から生えているのは太く長い尻尾だった。それは毛も生えておらず、やや深い皴の入った代物だ。
これが、本当の姿だったのか。
……
大パニックになった、ベルベラディの仮本部、訓練場。
出入り口の方は怒号が飛び交い、大騒ぎだった。
私は茫然としたまま、そこに残されていた。
魔物と化した男の胸と、もう一体の眉間から、ダガーを引き抜く。
真っ黒に近い、どろどろとした血が流れ出ていた。
ダガーを二本とも空中で二度、三度払って、得体のしれない黒い液体を飛ばす。
そして鞘に仕舞った。
斃して暫く経っていた魔物の屍は、いつの間にか紫色から黒い泥に代わってしまった。
それが、みるみるうちに黒い塵に変わったのだ。
こいつは……。もしや魔人? いや、魔人と違うのは泥になった部分がある。
緩い風が吹くと、その塵埃は舞い上がって、もはや死体は無くなり、そこにあるのは破れた服と、階級章、平たい魔石だろうか。灰色ではなく、真っ黒い平たい石。そして黒い染みだけとなった。その染みも何故か、埃となって舞い上がり、風に流されていった。
本部長だったらしい男の残骸は既にとっくに黒い塵となって、服と剣の鞘、よく分からないが首飾りと、頭のあった位置には黒い平たい魔石らしきもの。
……
私は折れたブロードソードを探したのだが、見つからない。
この仮本部長らしき男が腰から抜いたあの業物のような剣もない。
誰かが先ほどのパニック騒動の時に持ち去ったのか。
業物の方はともかく、私の折れた剣まで持ち去るというのは、どういう事だ。
─────────
なんと仮本部長と副本部長、副本部長補佐の三人が魔物に乗っ取られていたのである。
そして、それが判明したのは、マリーネ・ヴィンセントの体から出ている、複雑な香り。
それはアグ・シメノス人と魔物、魔獣にしか判らない匂いだ。
だから、なぜ、仮本部長が、マリーネを襲ったのかは謎とされた。
─────────
長い溜息が漏れた。
服の汚れを両手で払って、盗まれることなくあった自分のリュックを背負うのだが、そこに警備兵がやって来て、両肩を掴まれたのだった。
現場にやって来た街の警備兵三名が私の身柄を拘束した。
二人は剣を抜いていた。
「どういうことですか」
「黙れ! 大人しくしてもらおう」
私が連行され、訓練場を出る時には、もう出入り口には人がいなかった。
全員がどこかに移動させられたらしい。
私のダガーは取り上げられ、リュックも差し押さえられた。鉄剣があるからだろう。
私には縄が掛けられ、もう完全に犯罪人扱いだ。
私は、事情の説明すら出来ずに、箱馬車に押し込まれ、そのまま警備兵詰所に連行されたのだった。
彼女らは全員が無言だった。取り付く島もない。
……
ここに運ばれてだいぶ経ってから、どうやら上司らしい女性がやって来た。
「暴れた者を取り押さえたそうだな」
やって来たのは明らかに、制服組。白っぽい、麻色の軍服のような制服に金糸のモールや肩章がついている。長ズボンと白い手袋。
スッファ街の時にも見た制服。
「この者は。そうか。この香り。間違いないな。マリーネ・ヴィンセント殿。なぜ、あのような事をしたのだ」
「私は、急に、襲われました。自分の、身を、護るためには、已むを得ませんでした」
「……。ああ。私はエレオノーレ・リル・ブラウフベルグ。このベルベラディの警備隊本部長を務めている。流石に今回の事態は、そんな簡単な言葉で済むようなものではない。色んな情報が錯綜しているが、ヴィンセント殿が役員を斃したという目撃情報もあるのだ。残念だが、牢屋を覚悟してもらいたい」
どういう事だ。これは。またしても冤罪か?
一体どういう事だ。警備兵は何を見ていたんだ。訓練場での事を何も見ていなかったのか。
あそこに魔物が残した魔石もあったはずだ。
それに、冒険者ギルドの誰かが、この事態の説明をしていないのか。
あのパニックの中で、誰も私が戦っていた相手を正しく見ていないと言う事なのか?
それとも、皆いう事が違っていて、情報が錯綜しているという事なのか。
そこに、やや慌ただしく、よく見たことのある服を着た女性が入って来た。
商業ギルド監査官に違いない。
「スーデルドーン商業ギルド監査官殿。何用です。今、とりこんでいる最中なのだが」
「その、捕らえた女性に用があるのだ。ブラウフベルグ本部長殿」
二人の間に、やや睨み合いがあった。
「どういう事だね。今から大分、情報が錯綜した今回の事件を整理して、この者の取り調べを行わねばならんのだ」
「ブラウフベルグ本部長殿。その人物の取り調べは、我らが取り扱う。特別監査官様からの指令もあるのでな。出来るだけ丁重に扱え、とね」
「何だと! この件は、上に伝える事になるぞ。スーデルドーン商業ギルド監査官殿」
「ああ。そうしてくれて構わない。それと、全てのギルド仮本部をこれから完全に閉鎖しろ。街の門もだ! 警備隊を全て動かせ。これは、商業ギルド監査官からの通達である!」
有無を言わさぬ、強引な命令だった。どうやら、ここでも警備隊本部長ですら、商業ギルド監査官の下、という事だな。
「マリーネ・ヴィンセント殿の身柄は商業ギルド監査部で預かる。縄を解いて、この者の荷物を出しなさい」
私の身柄は商業ギルド監査官の手により、商業ギルド本館に移送された。
─────────
冒険者ギルドは大騒ぎだった。
マニュヨル山の戦神、テッセンが現れ、深紅のテッセンは冒険者ギルド仮本部に突如現れた魔物、『バガウスフォルチェ』三体を一蹴、軽く斃してみせ、冒険者ギルド仮本部に起きていた魔物による乗っ取りを未然に防ぎ、平定して見せたという、まるで昔話のような噂話の内容が、まず第一王都の本部に届いたのである。
そして各支部にはやや怪しげな尾ひれがついて、噂だけが広がっていった。
─────────
つづく
模範演武の試合を見ている最中に襲われてしまった、マリーネこと大谷。
降りかかる火の粉は全力で払いのけるのが、大谷である。
しかし。
今回は相手が悪かった。
まさか仮本部の本部長とその部下が、魔物化していたのであった。
マリーネこと大谷は捕らえられ、警備本部まで連行されるが、そこから救い出したのは、商業ギルド監査官だった。
次回 ベルベラディで起きた悲劇のその後
牢屋ではないが、宿に軟禁されてしまったマリーネこと大谷。
やれることは何もなかった。
あの魔物が何だったのかすら、教えて貰えない。
状況が判らないままに、状況に流されていくマリーネこと大谷であった。




