260 第20章 第三王都とベルベラディ 20-47 第三王都での続々鍛冶見習い2
再び、日常は鍛冶の日々が始まった。
前から欲しかった爪切りも造り始めるマリーネこと大谷だった。
260話 第20章 第三王都とベルベラディ
20-47 第三王都での続々鍛冶見習い2
翌日。
起きてやるのはストレッチからのルーティーン。
朝食もいつも通り。
今日は、いつもと違うのは、作業服にぱりっとしたアイロンがかかっている事だ。
出来れば、洗濯の後は毎回、アイロン掛けしておきたいが、いつも借りられるかは定かではない。
再び、鍛冶の日々が始まる。
といっても、初日はまだ反射炉の方は火が入っていない。
小さい炉の方は既に骸炭が入り、火がつけられていた。
私がやるのは、細い鑿の方、鍛造の必要があるので、手元の炉の火に入れてやり、温度を上げて八〇〇度Cで引き上げ、ひたすら叩く。
もう、顔に巻いた布が汗だらけになって来て、タオルに変えてさらに叩く。
もう、毎日が叩く日々だ。
休みの日は植物図鑑を見ながら過ごす。
ホールト夫人もマチルドも、宿に戻っていた。
どこに行っていたのかはわからないが、小旅行というには、期間が短すぎる。
王都のどこかに行っていたのだろう。たぶん。
鍛造の合間を縫って、爪切りの木型を揃える。8個分。
これの砂型を造り、あと余った鉄を流しておく型の方も、一緒に埋める。
一六本の穴の開いた棒のようなものを並べ、円筒の型もそこに並べる。
円筒の型の方は、直前で円筒の先に、その円周よりすこし大きい円の木型を付けた。真横から見るとT字型になるように。最終的に抜け止めをどうするかはまだ考えていない。
まだ、今回の物は試作だ。
この砂型に自分の方の鉄塊一つを反射炉で溶かして流してもらう。これはゼワンに頼んでやって貰った。
余った鉄は四角にした型の方に流して貰った。まあ、次の試作でまたそれを使おう。
冷えてきたら、砂型を割って取り出す。四角い鉄は油の入った箱に戻す。
さて。
棒の片方には六〇度ほどの角度が付いている。そこから少し離した場所に丸い穴。
もう片方、合わせると反対側の位置になる所に刃を付けるように六〇度の角度がつけてある。これの空いた穴に、一緒に作った金属の円筒が入るかどうかだが、これは最悪、中心に穴をあけて棒を取り付け、回転させながら僅かに削っていくことで、真円柱に出来るはずである。
まあ、木型を作った時の自分の見極めの目を信じて、やって見るしかないな。
刃の方は、下手に爪のカーブに合わせるとかはやらない。
いうまでもなく、それをやったら波型包丁と同じで専用の砥石がいるのだ。
なので、使い勝手は若干落ちるが、刃は真っすぐにする。それは正しくニッパーである。
爪を切る時はどっちみち、一回では切れない。だからこれでいいのだ。
亜人たちの足の爪がどれくらい大きくて厚いのか、私は見ていないので、これでいいのかどうかすら不明。
あの体格の大きなオーバリやヤルトステットの爪がどれくらい大きいのか、私は見ていないから、何とも言えない。
ま、それも、これから判る事だ。なにしろ初試作だ。
毎日、細い鑿の鍛造が続く。
鑿が終われば、爪切りも熱を入れて鍛造。芯にする円柱は叩かない。これは鋳物のまま。
爪切りの鍛造する方は数が多いのだが、細いし小さいので、熱はすぐ回る。
あまり叩くと変形してしまうから、それも注意だな。
私は毎日、爪切りの原型を鍛造、かなり頑張って叩きながら、細い鑿の方を研ぎあげる。
鍛冶の日々はあっという間に過ぎていく。
鑿の研ぎが終わったのは第七節、上前節の月、第六週の四日目のことだった。つまり七本でほぼ三〇日近くかかっている。
親方にこれを出すと、これには工房の紋章が入っていないから、刻み込むように言われ、見よう見まねで根元の方に紋章を入れた。
自分の作るものも、紋章がいるんだな。
今回、この細い鑿の出来には自信がある。あまり研ぎすぎていないし、そこそこ頑張って鍛造している。親方も、今回は刃先を修正する様なことはなかった。
木の方に木槌で叩き込んで削る道具なのだ。鈍らでは話にならない。
それで、親方に自分の刃物を造る時間を頂いた。
爪切りの方、実は鍛造の方もあと二本だ。
四本完成させたところで、休みになった。
休みの日は、この爪切りを自分で少し使ってみる。
調整が必要な場所があるかどうか。
まずは、スムーズに開くかどうか。ここが特に重要だ。
爪切りとしては問題なく切れる。ニッパー式なんて使うのは、一体何年ぶりだろうな。
……
そういえば、元の世界でもプログラムでとある現場に缶詰状態になって、だいぶ爪が伸びた。
で、その爪を切りたくて、工場の人にそうやって使っていいか訊いてから金属用のニッパーを借りて、それで爪を切ったな。そのことを急に思い出した。
切った爪が飛び散るので、紙袋の中で切ったんだった。
クリッパー式なら、爪が飛び散らないようにカバーが付いていて、使った後でカバーをずらすか外すと、切ったあとの爪がまとめて捨てられる。
おまけにクリッパー式は抑える方のハンドルにはミニ鑢が付いていて、その面を使って爪をきれいに仕上げるのも出来たりする。
元の世界の日本のクリッパー式爪切りは、本当に良く出来ている。
まあ、クリッパー式はこの異世界では、現状ハードルが高いから、今はニッパー式だ。
円柱は下になるほうを傘が付いている方にした。
上に見えている円柱部分を何か止めておかないと抜けてくるかどうか。
これはやはり必要か。
軸の方に『-』の切り込みを入れ、柄の方も丁度その『-』が達する部分に切り込みを入れる。で、そこに細長い鉄片を差し込んで叩き、抜け止めにする。
残りの七本、全部これが必要か。うーん。まあ試作だしな。
これは木型の方を調整しよう。
刃はこの斜めになっている部分に僅かについているだけだ。それこそ二ミリもあるかどうか。角度がついているので、それほど鋭い刃ではない。
まあ、問題ない。あまり鋭すぎても怪我をしかねないから、これでいい。
そうか。研ぎ直しを考えると、この抜け止めの金属板を外す必要がある。
つまりこの円柱の『-』を刻んだ部分は、円形の凹みをつける。
抜きたいときは、ここに先の細い『やっとこ』でも作って、それで掴んで抜けばいい。つまりここに差し込む細い金属板は、その時に壊れても致し方なし。千切れて埋まったままにならないよう、あまり薄い柔らかい金属はだめだな。
あとは握り部分の滑り止めを、もう少し深く刻む。
これも木型の方を修正だな。
大体はもう、修正点が出尽くしたか。
あとは足の指の爪を切って見てどうか。
私は柔軟体操をやっていて体の関節も柔らかいから、全く問題もないのだが、体が硬い人は足の爪を切るのも大変なのだろうな。
刃の長さは、体格が大きい人向けにやや長いものも用意しよう。
まあ、もう出来てしまってるやつは手で修正だ。
簡単ではないのだが、熱を加えて、円柱の真ん中に凹みを造る。
で『-』の刻みも入れ、爪切りの上に重ねる方に『-』の一部を穴の左右に刻む。
これを四本作った。
翌日。
この出来上がった爪切りは、親方に使って貰おうと、一本渡した。
「親方様。私が作った、爪切りです。使って、みて、下さい」
「な、なんだって? 爪切り?」
「はい。私は、いつも鑢で、削るので、とても時間が、かかります。伸びている、爪は、切れば、いいのですけど、小刀では、危ないですよね。ですから、専用の、道具を、作ってみました」
親方はずっと爪切りを裏返したり、開いたりしながら見つめている。
「ヴィンセント殿。紋章がないな。貴女の紋章を入れなさい」
親方は、爪切りを返して寄越した。
「は、はい。これから、入れます」
さて、どんな紋章にするか。うっすらと考えてはいた。
◇の中にMとVを重ねて入れる、というものだ。
MとかVはこの世界の文字ではないだろうから、この紋章の意味はたぶん、真司さんたちにしか判らないだろう。
よし、それでいこう。
早速、握りの部分の裏にこの紋章を入れ、中心軸の裏側の傘にもこの紋章を刻んだ。
手間はかかるが、四つ全てそうした。
出来上がった一つを親方に渡す。
その日はそれで帰った。
翌日になって、親方は、すぐ私の所に来た。
「ヴィンセント殿。いるかね」
「はい」
「儂は、昨日家族の爪をあれで切ってみたんだ。家族にも使わせてみた。評判はかなりいい。若干癖はあるが、小刀で切るより安全だな。あれはもっと作ってないかね?」
「あります。今は、二つまでなら、お出し、出来ます」
「おお、それはいい。持ってきてくれるか」
私は、自分の荷物の所に置いた爪切りの内、二つを持っていき、親方に差し出した。
「うむ。これを売り出すことにしよう。勿論、この紋章で、だ」
値段も決めてないのだが。
「値段、まだ、決めても、いません」
そういうと、親方が笑っていた。
「わっはっはっはっ。ヴィンセント殿は全く新しい物を作ったのだ。それの値段は貴女が好きに決めていい。これは新商品だ。そうなれば商業ギルドに標準の値段はないからな」
うーむ。
エイミーが売ってくれた鋏は四四デレリンギだった。
それよりは少し高くするか。というか、今回購入した鉄は品質がいいものなのだろうけれど、値段が高いのだ。鋏のあの値段と同じにはとても出来ない。大赤字になる。
重さもこっちの方がずっと重たい。二〇〇グラム程ある。
あの鋏は握りの大部分を木製にすることで鉄を刃の部分だけにしているのだ。
それと一本造るのに、だいたい二日は最低掛かる。砂型以前の時間は抜きにして、だな。
何しろ、全てが手作りだ。まあ、調整も必要だ、余裕を見て三日としよう。
うーむ。鉄の値段だけでも今回七〇デレリンギはいくので、そこに人件費と技術料を載せると、一リンギレか?
たぶん、最初にこれを買うのはお金のある裕福な層だろう。
幾らが適当なのか、さっぱり分からない。困ったな。
「親方様。これは値段は、幾らが、いいのでしょう?」
「ヴィンセント殿。独立して、既存の物だけ作るなら、商会の標準価格も参考にできよう。だが、これの値段は其方が決めなければならない。それとも商会が勝手に決める値段で、構わないのかね?」
「それでしたら、この爪切りは、材料費も、かかって、いますので、一〇〇デレリンギに、します」
「わっはっはっはっ。ヴィンセント殿。もっと高くてもいいのだぞ?」
どうしようか。
「では、思い切って三〇〇デレリンギに、します」
「ああ。判った。それでいいだろう。少なくともそれくらいはとった方がいい。材料や燃料、貴女の作業時間、技術料を考えたら、それだって安いくらいだ。それを一つ見本として、売ってみよう」
「さて、売るには書類が必要でな。ヴィンセント殿。貴女にもそれは書いてもらう。独立したら、必要になるのだ」
「はい」
「これも、覚えてもらうことの一つだ。これを商会に売る場合と、個人に売る場合では、書類が違う。そこを覚えてほしい。さらに商会が買い取る場合と、商会が、預かって売るのでは扱いが違うのだ。それは、其方がギルドに支払う税金も違ってくる」
むむー。納める税金が違うのか。面倒くさそうだな。
「それは商会が買い取らない場合、彼らは預かって販売代行しました、という形であって、手数料を要求してくる。販売したのは彼らなので、販売した者が支払うべき売り上げ税というのが商業ギルドによって決められている。通常これは販売価格の一割五分。高額な場合は二割だ。結構大きい。なので、委託して販売代行して貰った形になると、売上金から、彼らはその税金分と手数料を差し引いて、戻してくる。そのための契約書が必要なのだ。簡単なのは、商会が買い取る場合と、個人に直接売る場合だ」
「そうなりますと、販売代行の時は、値段を、最初の、予定より、最低でも、三割は、高くしないと、利益が、出ないばかりか、赤字に、なりかねませんね?」
「そう。正しくそういうことだ。ヴィンセント殿」
ケニヤルケス親方はそこで腕を組んだ。
「気を付けてほしいのは、売上金額は、その三割なりを引いた額には、ならないのだよ。あくまでも、最初に設定した金額が売り上げだ。そこから五分の金額をだして、それを税金として、記録する。あとでまとめて、それは必ず、鍛冶ギルドの支部に提出することになる。商業ギルドにいる監査官とその部下が、税金の徴収をする。その際に、代用通貨での提出も可能だ。つまり硬貨を用意せずに、代用通貨の中身から引いてもらう。まあ、独立職人たちは、大体、そうしている」
「分かりました」
「商会の買取の場合は、もうそのまま売上金額を記録して五分を計算して税金の分にする。これが、一般個人相手だと、二分なんだ。商会の人間は、日々の消耗品を自分で使う目的以外で一般個人として買う事は出来ない決まりだ。職人が一般客に売るというのは、普通はそうそう大きな商いにはならない。だから商業ギルドのほうも、そういう職人の売上からはそう大きな額の税金はとらない」
「分かりました」
その時にケニヤルケスは思い出したように付け加えた。
「ああ、言い忘れたが、大きな商会の傘下にいない、行商人や零細の小売店は直接商業ギルドに登録して商いをしている。そういう行商人や零細の小売店は税金は五分だ。つまり職人の商会への売りと同じだ。それと大手商会に参加してる行商人はまた違ってくるのだ。この辺りは商業ギルドの規則なので、疑問があれば商業ギルドのほうに聞いた方がいい」
なるほどな。
この王国が商業ギルドからかなりの税金を吸い上げて、色んな部分に使っているのは分かっていたが、ほぼどんな物であれ、売り上げ一割五分は必ず税金なのか。
これは、脱税しようとする輩が出るわけだな。マリハの町にあった、ローゼングルセ商会が革取引で、確か脱税容疑がかかっていたな。
たぶん、あれだろう。リットワース師匠が、ローゼングルセ商会が納めてきた皮に文句をつけて、全部返品にでもなったのに違いない。
そうなれば、商会は大損な上にもう一度皮を仕入れてくる必要があった。相当な損害が出たのだろう。それを穴埋めするために闇の皮取引で、あの朴訥な革職人のニッシムラが巻き込まれたのだろうな。
あの事件はどうなったんだろう。まあ、デルラート町内代表がうまく立ちまわってくれたであろう。たぶん。
「個人での、取引は、普通に、売り上げの、書類を、書いて、金額を入れて、署名を、いただければ、いいのですね?」
「ああ。それはヴィンセント殿も大分経験しているだろうから、それを思い出して欲しい」
「今回は、代用通貨は、どうなるのでしょう」
「うむ。それなんだが、商会が買い取るときは、まず代用通貨になる。そこで相手の代用通貨を受け取って、その神聖文字を書き写す。そこは正確に写す必要がある。あとは代用通貨を返し、その時に写しの一通を相手に渡す。手元にある一通には、相手の名前、神聖文字での記載、そして物品名と金額がある。この時に税金分を記録する。それは絶対に必要だから、帳面を使う人も多いな。専用の物が売っているくらいだ。其方もそれを使うといいだろう。日付と売った相手先、品名、金額、税金額を記入する。そういう記録を纏めておかないと、あとで苦労する羽目になる」
ケニヤルケス親方はそこで少しニヤッとした顔だった。
「で、この爪切りを、これから商会に売りに行こうという訳だ。今から動けるかね」
「はい。問題、ありません」
「カルロ。来てくれ。今から、ちょっとしたものを売り込みに行く。ついて来てくれるか」
「ディール。どうしたんだ」
「今から、この爪切りを売ってこようと思ってな」
「これは、ヴィンセント殿が叩いてたものですな」
「はい。数個、出来ましたので、親方様に、お見せしました、ところ、これを売りましょうと、そう、おっしゃって下さいました」
そう言ってミューロックを見上げる。
「ディール。何処にいくんだ」
「こういう物も買ってくれそうな、マルダート商会だな」
「分かった。まず、書類がいるだろう。ヴィンセント殿は、まだその辺は持ってなさそうだ」
「ああ。ついさっき、その話もしたのだ。マルダート商会に皮紙帳はあったかね」
「ディール。あの商会だぞ。言えば、出してくるだろうさ。羽根筆も単票も、そこで買えばいい」
「よし、早速行こうじゃないか」
そういうと、ミューロックが先に外に出て行った。
すると、暫くして彼は、荷馬車を出してきた。
親方と、ミューロックが御者台に乗り込む。私は荷台だ。
走り出すと親方がミューロックに話し始める。
「カルロ。ヴィンセント殿がこれを一つ、三〇〇デレリンギで売ろうというのさ」
「今回、彼女に売る時の約束事を覚えてもらうという事か」
「儂が教える事の一つだな」
「なるほど。そろそろ試験が近そうだな。ディール」
「まあ、な」
どうやら、私がこの工房を出るための独立試験が行われるのか。
中央通りに出て、荷馬車は第一商業地区に入る少し手前で停まった。
「よし、ここだ。ヴィンセント殿」
私も降りる。
つづく
鑿の鍛造も終わり、自分が作っている爪切りの方に注力するマリーネこと大谷。それを親方に渡すと好評で、売りに行こうという事になったのだった。
次回 第三王都での続々鍛冶見習い3
親方の知り合いの商会に爪切りを売りに行くことになったマリーネこと大谷。