259 第20章 第三王都とベルベラディ 20-46 第三王都での奇妙な邂逅の後
クテン・ス・ベルと名乗ったあの猫型の魔獣とも神獣ともつかぬ獣との出会いはいったいどんな意味があったのか。
今までの事を思い出して考えていくのだが、結論は出ない。
259話 第20章 第三王都とベルベラディ
20-46 第三王都での奇妙な邂逅の後
部屋に戻って、夕食を食べながら考えた。
あの猫のような神獣は、何といったんだっけ。
アグ・シメノス人を蟻女と呼び捨て、地上にでているアグ・シメノス人はみんな、仮の姿、だと。護衛兵士とかあの遊び人のような休んでいる槍は、どうやら国民の為の剣と槍。だから長くは生きられないと。
そして、私はまだまだ、知らないのだと言っていた。
次に進むにはまだ早い。だったな。次に進むとはどういうことだ。
そして、何が足りないのだろう。
あの猫のような神獣も、何かを知っているのか。
いや。ベラランドスのお婆の事を私が念話で出してしまって、それであの神獣は私が、世界に影響を及ぼし得る『何か』だと認識したのだ。
そこまでは、私の匂いが珍しいらしく、それを確認に来ただけだ。
だが。ベラランドスのお婆と私が出会ったのは、偶然ではないのだとあの神獣はいった。
凡そ、ベラランドスのお婆と偶然出会う事は出来ないのか。
だが、お婆は私を待っていた訳ではない。
確か……。
もう、記憶があいまいだな。
右手の人差し指を眉間に当てる。
……
そうだ。
まず、珍しいものが来た。と言ったのだ。
そして……、ここはそもそも人など入れぬ場所。だったな。
その後だ。私の事を臭う臭うといい出した。
あの時の出会いを思い出した。
そして、私が先を進めば、私が本当に知らなければならない事は、向こうからやって来ると言ったのだ。
あの神獣にそれを言ったら、いかにもお婆らしい言葉だと言った。
そこで、あの謎の言葉が割り込んできて、そこまでにしておけと言ったんだった。
まだ、私はその先を知る準備が出来ていないのか、或いは知るタイミングではないと言う事か。
私が、世界に影響を及ぼし得る『何か』というのは、どういう事だろうな。
確か、私が本当にそういう者ならまた会うであろうと言って去ったのだった。
……
あの神獣も私が本当に知らなければならない事を告げたのだとしたら。
それは、たぶん、あのベラランドスのお婆の背負っている役目。いや。まあ、これはついでかもしれない。
たぶん、本命はアグ・シメノス人の方だろう。
蟻女と呼び捨てて、彼女たちは私たちとは全く違う存在だと言ったのだ。
見えているのは仮の姿だと言い切った。
本当の姿を見ようともしない亜人たちを虚けと言い切ったくらいだから、本当はよくは思っていないのだが、餌が簡単に手に入り、安全で雨も問題ない。寒くもならない。彼女らは自分を崇めはしても、決して邪険にしない。それであそこにいるだけだと。
これの意味するところは、今の所判らないのだが、王国の人には十分に気を付けて行けと言っているのだろう。
今の所、監査官たちは私の事を邪険にはしない。
あの時の第三商業ギルド監査官のような、乱暴なのが出てこない限りは。
出会った監査官たちの態度。あれら全てが演技だとは思えない。
北東部は、特別監査官の命令が行き届いていて、私は丁寧に扱われていた。
だが。あの王国の作戦会議でも多様な意見というには、疑問があったし、北東部でもそうだったが、見る限りでは監査官たちが一枚岩でがっちり組んでいる訳ではない事は分かっている。
もしあれら一切が仮の姿なのなら、私が第四王都の商館らしい部屋にずっととどめ置かれた後、やって来た監察官も仮の姿と言う事になるのか。
いや、違うな。亜人たちを管理している監察官、監査官や士官たちは、あれはあれで本当の姿なのだろう。
猫型神獣の言わんとする部分は、そこじゃない気がする。たぶん。
この出会いの意味は、やはりよく分からないままに、私は眠りについた。
翌日。
連休二日目。
起きてやるのはストレッチからの準備体操。そして着替えて剣を持って下に行き、井戸端で何時もの様に空手からの護身術、ダガーを使った謎な格闘術だ。
そして剣の素振りと、全く同じ。いつも通りのルーティーンである。
顔を洗って戻り、部屋の水も取り替えて、服を点検だ。
特に破けている服はない。擦れて薄くなって、崩壊しそうな場所もない。
まずまず。まだ服は修繕の必要が無いのはいい事だ。
何時もの服。これは、本当に謎の素材で出来ていて、何をどうしても、破れたりはしない。あの炎の時も真横に炎が来たが焦げなかったしな。
あの山の上の村の近くの森に放り出されて以来、ずっと着てきた訳だが、解れる様子すらない。やはりこれはこの世のものではないな。
単純にオーヴァーテクノロジーの一言で済まないものがある。
神様たちの服の素材なのかのもしれない。
朝食がやってきて、扉の下に差し込まれる。
手を合わせる。
「いただきます」
朝食を食べながら考える。
私が本当に知るべき事。か。そしてそれは向こうから現れるとお婆は言った。
そしてあの猫型神獣は、私はまだまだ足りないから先には進めないとも言った。
一体、どこに進むというのか。
私としては鍛冶屋と細工屋をやって暮らせればそれでいい。
生産職をやって、まったりスローライフが目標なのだ。それは一ミリたりともブレたつもりはない。
冒険者ギルドに入ったのは成り行きだったが、これはこれで私の身分証明になっているし、危険は多々あったにせよ、資金も稼げているのは否定しない。そして階級が上がったおかげもあって、鍛冶と細工の独立もやれそうだ。
もう独立開業のための資金は十分ある筈だ。
だが。お婆は何と言ったんだっけ。また、どこかで会うかも知れぬだったか。
いや、待て、待て。
あのお婆の時も背中は反応しなかった。頭の中に警告もなかったのだ。今回のと同じだ。
お婆は向こうから私の前に出てきたのだ。これも今回と同じだ。
そして、あの猫神獣は、そういう事に偶然はナイ。と言い切った。
この異世界にそういう事に関して偶然はないのだと。
そういう事というのは、たぶん私の前に現れる、普通ではない者たちとの出会いの事だろう。
たぶん、ベントスロースも、アジェンデルカも……。
あるいはあの魔族の蜥蜴男、ラドーガも、か。
もしかしたら、あの剣聖すら、そうかもしれない。
向こうから、態々やってきたのだから。しかも、只の通りすがりを装って、だ。
私の知らない場所で、『何か』が動いている。
そんな気がする。
だから猫神獣は、『次に進むにはまだ早い』と言ったのだろう。次というのが、場所なのか、段階なのか、それはまだ判らないが。
つまり、この時点で、私はまだ知らないことが多すぎて、次に進む準備が出来ていないと。アレはそういう事を言ったのだろう。
もうすっかり朝食の燻製肉を焼いたものも、スープも冷え切っていたが、全部残さず食べる。
「ごちそうさまでした」
手を合わせる。少しお辞儀。
トレイを持って、そのまま扉の下の決められた場所に置く。
さて、今日も休みだ。
色々、考えはまとまっていないが、これ以上考えてもしょうがないのだ。
必要なら、相手の方から私の前に現れる。それを見落とさないようにするというだけだ。
取り合えず、必要なものがあるのだ。
それは、アイロン。ずっと、洗った服にアイロンを掛けずに来ている。
アイロンを掛けたいのだが、
まずは、マチルドに訊いてみるしかないな。
部屋を出て下に行き、マチルドを探す。
あちこち探したが、今日は彼女がいない。
コローナに訊いてみよう。
コローナはこの宿の客を迎えるほうのロビーにいた。
「コローナさん。今日は、おひとり?」
「ご主人様はお出かけです。マチルド様も一緒です」
朝から出かけたのか。ずっと考え事をしていたせいか、表のほうの音に気が付かなかったな。
「それでね。私は、アイロンが、使いたいの。何処にいけば、使わせて、貰えるか、ご存じかしら」
「あの、お嬢様。服のアイロンがけなら、私がやりますけど」
「いえいえ、あなたの、お仕事の、邪魔を、するつもりは、ないのよ。私でも、アイロンは、かけられるから、場所を、教えてくださいな」
「でも」
「今日は、宿の方は、お休み、ですか」
「いいえ」
「じゃあ、あなたが、受付の担当なの?」
彼女はこくんと頷いた。
「では、場所だけ、教えてくださるかしら」
彼女は、少し奥の扉を指差した。
「あの扉を入って、一番奥にお客様の使う敷布を洗濯する方々がいます。そこで使えると思います」
「ありがとう。いってくるわ」
コローナが今日は受付なのか。大丈夫なのか。
受付を任せられるという事は、文字の読み書きは普通にできるという事だな。神聖文字の読み書きができるかは、判らないが。私も読み書きできない。
そうなると、代用通貨での受付はしないとかだな。
硬貨のみで、全額前払いとかだろう。
それにしても、ホールト夫人がマチルドを連れて朝から外出とはな。
しかも、休みの日なのに。
ここ第四商業地区にある宿の主人が、中央か、第一商業ギルドの商会が招集している会議に呼び出されているとも思えないのだが。
船の建造で揉めているのは確かだろうけど、ホールト夫人のホールト商会は宿以外にもやっているのだろうか。
その辺は全く知らないから、何とも言えないのだが。
コローナの行った扉を開けて、中を進むと一番奥というのは、結構遠い。この館のはずれにでもあるのか。
ノックして扉を開ける。
そこには、三人の年配女性が洗濯やアイロンをかけていた。
見てみると、霧吹きが数個あった。
おお。霧吹きが発明されているのか。
まあ、そうだよな。パイプを咥えて口で息を吹き込むだけなら、構造は簡単。
ベンチュリ管を使って空気の流速を上げた先に、僅かに離して水の入ったコップに管を挿しておくと、挿してある管の中の圧力が下がっていき、水は外に吸い出されて霧になるというやつだ。
本当に構造は簡単なんだが、これを発見した人は観察が優れているとしか言いようがない物理現象だ。たぶん発見そのものは偶然だろう。
勿論最適化するには、計算で求める必要があるのだが、使えればいいというレベルであれば、二本のパイプを直角になるように固定して、角になる部分を繋げないようにして、片方を水の入った容器に差し込み、水に入れてない方の管から勢いよく空気を入れるだけでも実用になるのだ。
「すみません。ここで、アイロンは借りられますか?」
二人のおばさんがきょろきょろ辺りを見まわしている。
漸く、私に気が付いたらしい。
「ここは子供の来る場所じゃないよ、さあ、出て行っておくれ」
「あの。私は、ここの宿に、下宿している、マリーネ・ヴィンセントと、申します。今日は、ホールト夫人や、マチルダさんが、いないので、その方を、通して、お願い、出ませんから、私が、直接、来ました」
「何だって? ここの下宿は職人たちがよく借りるけど、お前さん、職人なのかい?」
「私は、今は、鍛冶を、やっています。ケニヤルケス親方の、所に、行っています」
「ふーん。それなら、標章は?」
まさか、こんなところで、身分証明を求められるとはなぁ。
「今、持ってきますね」
私は直ぐに部屋に戻り、鍵を開けて中に入る。
すぐ、鍛冶と細工の標章を首に提げた。だが冒険者ギルドの金の階級章は、敢えてやめておく。説明するのも面倒だからだが。
直ぐに先ほどの洗濯していた部屋に戻る。
「持ってきました」
私は、独立細工師の標章と鍛冶師の標章、それはケニヤルケス工房の名前が入ったものだ。
私は首から外して、二人に渡す。
「まさか、本当に持ってくるとはね」
かなり太った年配の女性がそう言った。
「マレネー。これは本物かい?」
「ヤルー。こっちの鍛冶屋のは本物のようだよ。細工の方は、工房名もないし、裏もごちゃごちゃしていてよく判らないね。この子供が独立細工師だってのかい?」
私は、とりあえず笑顔だ。何を言われても、我慢である。
「鍛冶のが本物なら、この細工の方、独立標章だけどこれも本物ってことだね。こんなもんを偽物造ったら、それこそこの王都どころか、王国から追放だからね」
ヤルーと呼ばれていた太ったおばさんが私の標章を二つとも返して寄越した。
「背丈が小さすぎて、大人にゃ見えないからねぇ。失礼したよ」
「いえ。誤解、されるのは、何時もの、事ですから」
「それでアイロンを貸してくれっていってたけど、炭はあるのかい。ここでやったほうがいいだろうよ」
「では、持ってきます」
またしても、部屋に向かう。
この際、服は全部だ。
革袋に入れてある服を全て、小型リュックに入れて背負う。
先ほどの洗濯部屋に着き、リュックを降ろして、まずは服を取り出す。
「隅を、使わせて、くださいませ」
そういって、隅っこに全部置く。
まずは赤い服から。
霧吹きを使って、上着に満遍なく霧を吹き、暫くなじませる間に、アイロンの方。炭を入れてある鉢の上に置かれたものを一つ取って、温度を見る。
かなり温度が高すぎるな。
火箸で炭を二つほど取り出して、鉢に戻し、炭を全体に均等になるように置きなおす。
見極めの目。全体の温度を見る。暫く待つしかない。
八〇度C位までで安定して来たのを見て、作業開始。
赤い服の上着の裏側の黒い生地の部分もアイロンをかける。
構造が簡単ではないので、アイロン掛けに時間がかかる。
時々、霧吹き。
温度が下がり過ぎているので、炭を追加。炭の温度を見極めて、服が焦げないようにアイロンの温度を調整。
次は赤いブラウス。そして赤いスカート。
焦げ茶のスカート。
若草色のブラウス。
どんどん、アイロンを掛けていく。
山の村で作った服は大分ある。
この際だから、ネグリジェなどもアイロンがけした。
紺色のスカートやケープも、だ。
ふと見ると横のおばさんたちの作業が止まってしまっていて、かなり驚いた表情をしているが、無視である。
今日はアイロン三昧だな。
エイル村で沢山アイロン掛けして以来だな。あの時は真司さんのや千晶さんの下着やら服までアイロン掛けたんだった。
マリハで作った紫の服もだ。全部やらないとな。
……
そうして、一日がアイロン掛けで終わってしまう。
つづく
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大谷龍造の雑学ノート 豆知識 ─ ベンチュリ管 ─
液体の入った容器に細い管を立てて、それを横から高速で空気を吹き付けると、管から液体が吸い上げられて、飛び出して行く事を発見した物理学者がいた。
これは一八世紀末期に、イタリアの物理学者にして外交官でもあった、ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴェントゥーリが発見したものだ。
これは垂直に立てた管の横に高速で空気を流したことで管の端の空気が剥離し、その結果管の中に負圧が生じたのである。
これは流れる空気によるものだが、ベルヌーイの定理で解説している物は誤りである。
吸い上げられた液体はその空気によって霧状に噴射するのである。
これが特に重要で、この原理を使ったものに、エアブラシや、エンジンなどに用いられるキャブレターがある。
無論、口で直接吹く霧吹きもこれを用いている。
湯沢の友人の雑学より
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休みの日は、今まで掛けてこれなかったアイロン掛けをして一日が潰れたのだった。
次回 第三王都での続々鍛冶見習い2
再び、鍛冶の日々が始まった。
前から欲しかった爪切りも造り始める。