236 第20章 第三王都とベルベラディ 20-23 第三王都での鍛冶見習い3
雨が降る中、鍛冶のお仕事。
順調に研ぎまで終わって、親方に見せると、オーケーが出た。
そして、いよいよ、お客に納める大ぶりな獣解体包丁を作ることになる。
236話 第20章 第三王都とベルベラディ
20-23 第三王都での鍛冶見習い3
翌日。
外は雨だった。
起きてやるのはいつものストレッチからの柔軟体操だが、空手と護身術、それに剣の鍛錬はベランダだ。
あまり強く踏むわけにはいかない。少し音や振動を抑える意味でも、踏み込みを控えめにした。
それで、つま先だけであまり強く踏み込まずに出来るものを主体にする。
朝食を食べて、着替える。首には階級章と鍛冶の標章。
いつもの紫色の作業着。左腰にダガーを一本。小さいポーチを袈裟懸け。小さいほうのリュックを背負い、そこに革のマントを羽織った。
ここの宿と周りの商店などの間は、屋根があるから濡れる心配は無いのだが、北側に向かう馬車も走るあの道は歩道の上に屋根があったりはしない。で、工房の前にはずっと横方向に屋根がついているが、そこに行くまでに濡れてしまうのだ。
あまり酷い雨でなければ、走ればいいのだが。
私を宿を出て、歩道の軒下を歩きながら空を見上げる。それほどの雲がある訳ではないが、雨はかなりしっかり降っている。
トドマの方は大雨だな。この雨季はまだまだ続きそうだ。
……
この日は研ぐ方に集中した。
まあ、炉が自由に使える状態なら、焼きなましを入れてもいいかもしれない。あまりやりすぎると逆に駄目になるので、そこだけは注意だな。
仕上げた包丁はゼワンが見ていた。そこに親方もやってくる。
親方が包丁を持ち上げて刃を丹念に見始めた。
「ふーむ。これは、誰も触っていない、未着手の材料で叩かせたのか? ブレナン」
「いえ。ボトヴィッドとブロールが少し、練習し始めたのですがまったく温度も判らないようなので、このまま練習にしても酷い出来映えになりそうでした。それで暫く叩かせた後でしたが、また手伝いに戻したのです。その時の素材です」
ケニヤルケス親方はまだ、刃を見ていた。
「そうか。それにしては、悪くはない。いや、あまりに普通の出来映えに仕上がっているので、ヴィンセント殿の腕を買い被り過ぎたかと思ったが。そうか、これは渡した材料がよくなかったか。それにしても、ここまで修正して叩くか」
取り合えず、合格なのだろうな。明日からの予定を聞いておこう。
「明日からは、客に、納める、刃物を、叩くことに、なりますか?」
「ああ。二本、やって貰う事になる」
「どういうものでしょう?」
「獣の解体と骨の切断もする包丁だ。刃は少し厚めになる。焼き入れもしっかりやってほしい」
「わかりました」
翌日も雨。
ゼワンがかなり大きめの刃物の原型となっている鉄片を持ってきた。
鋳物だ。
ゼワンが完成品も見せてくれた。
今回作るものは、刃の長さは三五センチほど。柄の方を二五センチとするらしい。柄は後で硬い木で付ける事になるようだ。
刃には厚みもあって、峰側は間違いなく七ミリはある。これで刃の部分はそれほど薄くせずに、研いで急角度の刃をつけることになる。
そうはいっても、断面が出来るだけ二等辺三角形の形になるように仕上げるべきだろうな。
私は、叩く方に集中した。
……
翌日は休みだが、雨のままだった。
この日は朝から井戸の前で洗濯。そして服は全てベランダの軒下に干した。あと、顔に巻いている布も洗った。
やることもなく、部屋の中の掃除をしたりして時間をつぶしたが、昼過ぎに油ランプに火を灯し、部屋の中で植物図鑑を読んで過ごす。
木の板で作ったトランプは千晶さんに渡してきたので、また作るか。薄い木の板さえあれば細工道具で作れるのだが。
その場合、木の板をどこで買えばいいのかだな。
こんなに毎日雨だと刃物の錆が心配になる。
一応細工道具の刃物をすべて点検する。かなりいい物を買ったので、錆びさせてしまってはもったいない。
ゴルティン師匠の話によれば、この刃物を作ったのは武器専門の刀匠だという。
それも名前の知られた人らしい。人を褒める姿など、想像すらできないゴルティン師匠が絶賛していたのだから、相当な鍛冶屋なのだろうな。
名前を思い出す。
右手の人差し指を眉間に当てた。
……
思い出した。ゴドノス・ステットバーンだ。国境の街で剣を作る鍛冶屋として名を馳せているのだったな。
油ランプの油を少しとって細工用に使っているぼろ布に染み込ませて、刃を拭き始める。
ノミや彫刻刀など、全部だ。
それから鋸。大きな鋏も拭いておく。
そして、自分の剣。そう、ブロードとミドルソード。それにダガー四本と鉄剣だ。
……
それから、数日は瞬く間に過ぎて行った。
雨は毎日降り続く。仕事が終わったら、共同浴場に入りに行くのもルーティンとなった。
私は彼らと一緒に鉄を叩くのをやっていく。
彼らは、私とはほとんど話さない。たぶん、まだ信頼関係を築くには早すぎるのだろう。
昼は昼で、彼らは母国語らしき言葉で何か話していて、共通民衆語ではないので相変わらず私には判らなかった。
聞いていればそのうち覚えるか、とも思ったが、そんな簡単な話でもない。
ぼっちという言葉が一瞬頭をよぎったが、慌ててそれを振り払った。私が特に会話を持ちかけていないだけなのだ。
私が何か話せば、彼らはそれを無視したりはしない。私が話せる話題が少ないというだけだ。
「あの」
「どうされましたか。ヴィンセント殿」
訊いてきたのはゼワン。ブレナン・ゼワンだ。
「このところ、毎日、雨なんですが、トドマの方、みたいに、降り続く、とは思ってなくて」
みんな笑い出した。
「ああ、あっちは酷い降り方をするよね」
そういいながら、こっちにきたのはブロールだ。横にケネットもいた。
「そういえば、ケール。以前はテッファにいたんだろう」
炉の管理もやっているクロード・エイクロイドが横から口を挟んできた。
「テッファも雨は酷かったね。スッファ街やキッファ街程じゃないけどね」
ケールと呼ばれた男、たしかケール・ベルカイムが、ぽつぽつ喋る。
「この時期が終わると、道路はどこも酷くてさ。道路工事や水路工事で、鍛冶屋に持ち込まれる修理も多かったよ」
みんながどっと笑っていた。
「ヴィンセント殿。トドマの方では、何をされていたんでしたかな」
ゼワンが改めて尋ねてくる。
「私は、トドマの鉱山で、警邏です」
「冒険者かい」
いかにも年配という感じの男が私の方にきた。たしか炉の管理もやっているルネスタ・モンブリーという人だ。
「はい。魔獣が、だいぶ、でますので、伐採場や、粘土採掘の、場所では、だいぶ、斃しました」
「おおっ」
周りから声が上がる。
「酷い雨の日も、かね?」
ルネスタが訊いてきた。
「いえ、山の方は、山道が、川みたいに、水が、流れますので、山に、入れなくなったら、宿舎から、出られません。魔獣も、出てこない、ですし、他の、ギルドの方々も、娯楽棟に、入り浸り、で、毎日麦酒、でしたわ」
みんな笑っていた。
「毎日麦酒かぁ。いいなぁ。こっちは、そういうのはないなぁ」
若手のエッベドが、少し羨ましそうだが。
「おいおい、エッベド。ひと月以上雨でも、鍛冶屋は休みにならんぞ」
「そうですね。鍛冶の、方々は、雨でも、毎日、何か、造っていました」
「ほら見ろ。休みになるのは、伐採とか、木の見回りとか、粘土採集だろう。そうだろう? ヴィンセント殿」
ルネスタは椅子に座っていたが、私の方を見つめていた。
「鉱山町は、雨でも、仕事していた、場所は、鍛冶以外も、あったとは、思いますが、おっしゃる通りで、ございますわ」
「まあ、大工でも材料加工とか、陶芸のほうなら器づくりでも、大雨で雨漏りしないのなら、中止になる理由がないわな」
そういったのはブレナン・ゼワンだ。
みんな笑っている。
「心配いらんよ、ヴィンセント殿。雨はもう上がるさ。毎年そうだが第六節なら上後節の月の半ば過ぎには雨が終わるんだ」
ゼワンは、私にもう雨は上がると宣言した。
それで、お昼休みは終了である。
みんな、仕事場に出ていく。私は顔に布を巻きなおす。今の会話で、少しはここの人と近くなれただろうか。
それはもう少し立てば自然と分かるはずだ。
……
私はとにかく、ひたすら叩くことに集中した。とはいえ、全力の叩きは不味いのだ。よくなりすぎるのは禁物である。
今回、先に二本とも叩いてから、焼き戻しとそのあとの焼きなましは彼らのタイミングに出来るだけ合わせることにした。
そうすれば、炉の温度を焼きなまし用に変えるからである。
つまり、叩いて焼き入れまでだ。
さらに数日。
確かに雨は弱まり、時々曇っているようだ。
さて。刃物の方はいよいよ、後半戦だ。
焼き戻し、焼きなましである。ここでは焼きは二回までらしい。
二本同時にやったのは、焼き戻し以降は時間がかかるので、一本ずつでは、間に合わないからである。
焼き戻しも空冷の時間がかかるし、焼きなましは火にかけている時間が長いのだ。しかもその間に温度も変化させるのである。
これも見極めの目で、焼く時間は最短とした。
素材の変性具合を見極めの目で直接確かめ、後は内なる声が、「そこまで」というのを待って取り出すだけである。
長くゆっくりやるような悠長なことはしていられないのだ。
これがすべて終わったら、あとは柄を付けて、ひたすら研ぐことになる。
柄はすでに他の人が作ったのか、二本用意されていた。これを取り付けて、柄の中ほどに小さな金属を二本。柄に空いた穴に木片を付けてそれを埋める。柄の根元と先端には金属の帯を巻き付けて、それを叩いて取れないようにする。
二本、研ぐのも全力だ。
これは依頼されているお仕事なので、自分の武器を作るのとは訳が違う。何しろ日程が決められているから、そこに何が何でも間に合わせなければならない。
どうやら、ケニヤルケス親方は私には残業を認める気はないらしいので、居残りで作業するというのが出来ない。
ゴルティン師匠も、あの卒業試験の作品作りの時は、残業一切不可の無茶振りだった。今回もあまり変わらないな。
水を時折掛けつつ、かなり速いペースで、しかし一定の速度で研ぎ続ける。かなりのハイピッチなのは確かだった。
三五センチの金属の両側を研いで、まず刃を付けるのはかなりの時間が必要だった。それも二本だ。
目的の刃物はようやく出来上がった。
第六節、上後節の月、第四週、四日目の夕方だった。
翌日が納品の日だから、本当にぎりぎりだった。
叩いたのは一本につき三日間だが、正直昼間の間しか叩いていない。かなり妥協したのは事実だ。
もっとも、私が見極めの目で全力で叩いて、焼き入れ、焼きなまし、焼きならしまで、三回を全てやって研いだら、たぶん、とんでもない切れ味の刃物、いや魔物になってしまう。
それをここでやる訳にはいかない。かなり抑え気味したのは事実である。とはいっても焼き入れから焼きなましまではかなり慎重にやったので、性能はまとものはずだ。
それは親方が判断することになる。
この日はこれで宿に戻る。もう、賽は投げられた。
あとは結果待ちである。これでダメな出来だった場合、私の評価は一気に下がって、鍛冶の独立は相当先の話になってしまうだろう。
……
翌日。この日も雨。
起きてやるのはいつものストレッチからの柔軟体操だが、空手と護身術、それに剣の鍛錬はベランダなのも、ここの所、毎日である。
作業着に着替え、私は朝食を頂いて、すぐに革のマントを纏って外に出た。
今日は刃物の納品である。どうなるのか、昨日からずっと気になっていた。
親方は朝からすべての刃物を検品していた。
何しろ二〇本ほどあるのだ。一七本のはずが後から三本追加が来て、この本数である。
カルロのグループの方が一〇本、
ゼワンの方が七本のはずが、一〇本になり、私が二本引き受けたので、結局一本追加で八本。
ケニヤルケス親方はカルロのグループがやった方の刃を見ていた。どれもこれもかなり薄い刃だ。
四本がやや長い刃物で六本は短い刃物だ。
切れ味を確かめるのに、何やら手の上で丸い茶色の玉状の野菜を切っている。
なんだろうな。ああいう風に手の上で調理するのか。
料理では、ほぼまな板しか使わない私にとって、これは驚きだった。
彼は薄い刃のナイフのようなやつで、丸い野菜の表面にどんどん縦方向に切れ目を入れていき、さらにそれをだいたい高さ半分の横から刃を当てて、くるっと野菜を回した。
彼の手の上で、長方形になった皮が付いたまま、実が切れていた。それを彼は、横に置いた器に入れた。
上手なもんだな。
あれだと刃が鋭すぎると危ないのだな。余りに切れないのもまずいが、切れすぎるのは絶対にダメだろう。
あの薄い刃のナイフはああやって使う物なのか。
ゼワンの方は、逆に四本は短い刃物で長いのが三本だったところに追加で三本、やや大変なのが入った。
それで二本は私が制作を引き受けたわけだ。そのやや大変なやつだ。
ゼワンが叩いたその一本と、私が叩いた一本を比べていた。何か判るんだろうか。
親方は急に砥石を持ってくると、一本の刃を砥石に当てた。明らかにそれをやると刃が鈍る。
ごしごしやって、それから二本の切れ味を比べる。
何やら太い茶色の野菜が用意された。色が茶色の大根といったところだ。
刃物を上から押しあてる。彼は、切れた断面を暫く見つめていた。
どうやら、切れ味に違いがあるらしい。刃物をまた砥石に当てて、だいぶ鈍らせている。
どういうことだ。
三本とも同じ切れ味にしようという事だろうけれど、態々鈍らせるというのは、私の作った二本が不味かったのだろうか。
「ヴィンセント殿の叩いた方は、よすぎるのだよ……」
親方がぼそりとつぶやいた。
「こんなに差が出てしまっていては、揃えて出すには、鈍い方に合わせるしかあるまいな」
ぶつぶつ言いながら、ケニヤルケス親方は鏨のようなものを持ち出して来て、刃物の根元になにやら記号を付けていった。
見ていて気が付いた。この工房の紋章だ。私だけ、それを刻んでいなかった。そっか。工房の印が必要なんだな。
他の刃物は全て根元に、紋章がすでに刻まれていたのだ。
そしてさっきから砥石で刃先を鈍らせていたのは、私の叩いた刃物だった……。
不意にケニヤルケス親方は私の方を見た。
「そこにいたのかね。ヴィンセント殿。今度からは貴女は研ぐのは、荒仕上だけでいい。細かい仕上げ研ぎは、若いやつにやらせてやってくれないか」
「はい。仰せのままに」
私はその場でお辞儀した。
たぶん、私は研ぎすぎてしまったのだ。
そうだった。トドマの鉱山でもこんなに研ぐことはしないと、言われていたのを失念していた。
仕事だからと、つい気合が入りすぎたのだろうか。叩く方はそれでも抑え気味したのだが、まさか研ぐ部分でやりすぎてしまっていたとは。
昼前に親方は、カルロを連れて外に出ていった。革を張った四角いカバンのような代物に、今回納める刃物が全て入っていた。
「ヴィンセント殿。こっちに来て貰えるかね」
ゼワンが私を呼んでいた。
「はい。すぐ参ります」
なんだろうか。
行ってみると、全員で炉の掃除をしている。
昨日、炉の火を落としていたようだ。明日は休みだし、納める物も納めた訳で、あとは今日中に炉の掃除をやるのだ。
私に渡されたのは、箒と塵取り、それに木の桶だ。
床の灰や鉄くずの細かいやつなどを箒で掃いて、木の桶に入れる。
周りの男衆は、小さな炉の中にたまった灰を掬いあげては、桶に入れていた。
下には石が敷き詰めてあるらしい。そこより下の灰は、放置だな。
次。全員があの反射炉にいく。
後ろ側にある風車はとっくに止まっている。
炉の温度はまだ結構暖かいのだが、中の掃除をするという。
まず上の階で、骸炭を流し落とす通路のところに、特殊な箒のようなものをロープで結んで下ろしていき、中の炭の粉のようなものを落としておく。
煙突部分は、今回はやらないらしい。特殊な形をしているので、これは他の炉も止まるときに一斉にやるのだそうだ。
そうなると、あとは中。
骸炭を燃やしていた場所に大量に積もっている灰を掻き出す。
次々と桶が一杯になっていく。
骸炭を押し込む棒というか、入れた骸炭をならすようなもの。元の世界でいうグランドレーキがついているのだが、その反対側は、かなり落ち込む作りで、押し込んだ灰が落とされていた。そこには下に扉がついている。そこを開けると灰が溢れ出た。
これを全部掬っては、桶に入れる。
で、この桶をどんどん外に運び出していく。
午後いっぱいかかった。
あの灰を引き取る場所があるのだそうだ。雨がそぼ降る中、アルパカ馬二頭立ての荷馬車がやってきた。
灰はおそらくだが、農地に撒くのだ。土壌改良のために使うのだろう。少なくとも元の世界でも酸性化した農地のペーハー値の改善に使う事は私も知っている。
この工房の入り口横にある大量の桶を、今度は荷馬車に積む。
これは私もやった。別段持ち上がらないわけではないのだ。周りは私に持たせるのは不安そうだったが、私が軽々と持ち上げては運んでいくのを見て、遠慮はしなくなったようだ。
つまりは、運ぶのをどんどん任せられる訳だ。
まあ、全く問題ない。今日は汚れても構わない。明日は休みなので、作業着は洗濯するだけである。
この日はこれで終了。
つづく
仕事は順調に進んで、刃物の仕上げまで終わり、親方は出来映えを確かめ、納品に行く。
残った職人たちで炉の掃除である。
次回 第三王都での鍛冶見習い4
マリーネこと大谷に、今回は刃が大きく毀れた包丁の修理が任せられた。
研いでいくとなると猛烈に時間がかかるほど、毀れている。
マリーネこと大谷はどのように対処するべきなのか。