232 第20章 第三王都とベルベラディ 20-19 第三王都での定宿2
マリーネこと大谷は、割り当てられた広い部屋を点検して確認。そして自分の荷物を解いて置いた。
蝋燭と油ランプの油がない。それは外に買いに行く必要がある。
232話 第20章 第三王都とベルベラディ
20-19 第三王都での定宿2
私は割り当てられた部屋に入った。
一応、内側からも鍵が掛けられる。
女主人のいっていた、食事の差し入れというのは、扉の下に、三〇センチほどの幅と高さで、板が外側に動くように上に蝶番がついた物がある。
これには鍵は掛けられないらしい。
外から食事を差し入れされる場所はまるで、そこだけ色が塗ってあるかのように、床板の色がちがっていた。なるほど。ここにたぶんトレイが置かれるのだ。毎回置くから、色が変わってしまったんだな。
で、食べているか、いないかに関わらず時間がたてば、ここにあれば下げるんだろう。
部屋は大きく分けて三つになってる。この部屋の中に廊下はない。
入り口の扉から奥の壁、窓のある所まで、一部屋。広さは一二畳くらいか。細長い部屋だ。
ここに長いテーブルと椅子が四つ。二つずつ対面だ。テーブル自体はやや低いが、椅子が一つ、かなり座面が高い。子供向けだろう。これから私が使う椅子はこれだな。
窓際に、椅子が二つ。来訪者があった時の物か。
テーブルの上には、燭台が二つ。あとは水瓶と硝子ではなく磁器製の器が四つ。壁には油ランプが二つ吊り下げてある。すぐ横に革袋が吊り下げてあった。中身は、ほくち箱。燧石やら、鉄片、おが屑が詰まった箱が入っている。
油ランプの一つは、夜中に厠に行く時に使うんだろう。
この部屋の左側に扉が二つ。どっちも鍵は掛けられない。手前側の部屋には、ベッドが一つ。チェストらしきものが一つ。小さなテーブルと高さの違う椅子が二つ。一つは子供用らしい。
ぱっと見、広さは四畳半くらい。ベッドサイズがぎりぎり二メートル三〇くらいで、亜人の体格の大きい大人用ではない。二メートルくらいの人でもギリギリだろう。
部屋自体がやや狭い。ここも壁に油ランプが一つ吊り下げてある。
もう一つの部屋には外に行く扉もある。この広さは八畳あるかどうか程度だ。
ベッド三つが部屋の真ん中やや窓の反対側寄りにある。脇には小型のチェスト。あとは壁に箪笥。テーブルと椅子が二つ。
テーブルの上には燭台が二つ。油ランプはない。どうやら蝋燭はないらしい。これは自分で調達せよという事だな。
部屋の奥に、大きめの窓が付いた扉があり、そこから外に出てみると、やはりこのベランダは北側に向いている。
北側の建物の窓が見えた。その先には、この王都の城壁が聳えている。
上に屋根というか庇があるので、雨の日でも洗濯ものを干しておくくらいは、出来そうだ。
ここの屋根も高い。たぶん四メートル以上ある。まあ、背の高い亜人が多いから、必然的にそうなるのだろう。
このベランダの隅にロープがあった。このロープを張って、洗濯ものを干していたのか。
ここには壁際に箱があり、そこには箒が入っていた。これで掃除していたわけだな。
雨の日はここで剣を振る事も出来るだろう。
さて、まずは自分の荷物を全部解いて出していく。
革製のマントは、まず入り口の横に持っていく。そこにはひっかける場所があるので、そこに引っ掛けて吊るしておいた。
服と靴。服はこの部屋にある大きな箪笥にいれていく。山の村で作った服は、ちょっと色が褪めてきている。まあしょうがない。一度すべてを畳み直した。
靴は、扉の近くに並べて入れておく箱がある。そこに置いた。
次、仕事の道具。細工の道具は、固めて置いておこう。道具の入った箱と手提げ。これらは箪笥の横に置いた。
鍛冶の道具。とはいってもハンマーとヤスリと革のエプロンや手袋などだ。これはすぐ使うことになる。革の袋にいれてから、小型のリュックに入れた。
あとは、種々雑多なものと本。本はベッドのある方のテーブルの上に置いた。
革の水袋は、あとで洗っておこう。このお婆の特殊な水が入った革袋。
中のあの甘い水はもう傷んでいるのかが判らないのだが、まだある。取り合えずこれはテーブルの脇に置いた。
裁縫の道具も出しておこう。これも本の横に置く。鋏とか定規、巻尺とかもだな。
鋸とか、やっとこ、鉈だとかは、ぜんぶ細工の方の手提げに入れてまとめておく。これも本格的に細工をやるまでは必要ない。
もしかしたら今後、持ち運び可能な小さな炉が必要になるかもしれない。元の世界の七輪のような。
ただ、あんな物まで背負って移動したくはないのだが。
青銅やら鉛、錫の塊と炉があれば、あとは粘土と燃料があれば、金属細工を造れるので、移動しながらの独立細工師もできるのだろう。
まあ、旅の流れ細工師をやるつもりがないのなら、そこまではいらないだろう。
残るのは、あの暗殺者から剥がして持ってきた鎧、それから鉄剣とミドルソードだ。鉄剣は錆が出ていないか、一度見直すが特に問題はない。
ミドルソードと一緒に壁に立てかけた。その横にブロードソードとダガー、剣帯もおいた。
この鎧は革の袋に入れ直した。もう少し調査に掛けられる時間が取れてから、細かく調べよう。
それにこの王都の鍛冶ギルドで、何か特別な金属が見れるかもしれない。
そうした物を見る前に迂闊な判断は出来ない。
あとは私が作った銀細工の入った箱と錫で作った複製の方が入った箱。
これは後々、売ることで処分してもいいのだが取り合えず、この箱は二つともチェストに入れた。売るなら私の署名をどこかに刻む必要がある。まあ、それも後回し。それに一度は金属細工の工房で見せる必要があるかもしれない。
さて、重要な物が一つ残った。そう、硬貨が入っている革袋だ。これはベッドの横にあるチェストの中に入れた。そして大きなリュックも少し上部を畳む様にしてチェストに入れた。
これでだいたい終わり。
このローテーブルの上に載っている水瓶に水を入れておこう。
私は水瓶と水用の革袋を持って、部屋を出た。
さて、さっき案内された外に向かう。途中の廊下には油ランプが提げてある場所もある。ここは夜に明かりがつく廊下らしい。
扉を開けて外の渡り廊下の先に井戸と洗い場か。その先にあるのが厠だったな。
井戸で水を汲んで、まずは、飲料水用の革袋を洗う。討伐とかの任務が出るまでは、多分使わないから、乾燥させて仕舞っておくことになる。
私は水瓶の中をよく洗い、再び水を入れて元の部屋に戻る。
あとで蝋燭をどこで買えばいいのか、聞いておく必要があるな。
普段は油ランプで夜を過ごすのでもいいだろう。ま、明るさに関していえばランプの方がちょっとは明るい。蝋燭一本では光量が足りない。
テーブルには燭台が二つあるので、二本付ければいいのだろうけれど。
これからは、ここが私の部屋だ。どれくらいの期間になるかは判らないが。
あとはこの宿にいる下宿人や、あの女主人の下働きの人たちと顔つなぎしておけばいいのだな。
宿屋の夕食に備えて服を着替えて、ブラウスと茶色のスカートにした。
一応、首には階級章。白いスカーフも首に巻いた。そして小さいポーチは肩から袈裟懸けである。
下に降りていくと、彼女がいた。
「どうしたのかしら?」
「ホールト様。尋ねたいことが御座います」
「改まって、どうしたのかしらね」
「蝋燭と、明かりの油は、どちらで、買えばいいのでしょうか?」
「あー。そうね。近くに雑貨屋があるのよ」
そういいながら彼女は私の服をずっと見ていた。
「あなた……。この服は、何処で入手したのかしら」
「え……。これは、元居た村で、作ったもの、ですけど……」
「私はこう見えてもね、東方の出身なの。この服の布地は、この辺りでは一切売ってないはずよ」
彼女は私を覗き込んだ。
「この布はね、ラタニエ島の特産よ。私には判るわ。この柔らかい艶のある薄い布。この王国のグイド村でも作れないわね」
彼女は私の肩に手を触れた。それから少し撫でた。
「これはとても貴重なものなので、普通の人には買えないわ。ガイスベントやガーンゾーヴァの上流階級の人々しか、持ってない布なのよねぇ」
彼女はそう言って、私をあちこち眺めている。
「でも、あなたはガイスベント出身ではなさそうね」
「私は、一年以上、前の、記憶も、ないので、私の両親、祖国も、どこなのかは、判りません」
「そう……」
女主人は不意に天井を眺めていた。
「ガイスベントのヴィンセント家はもう、一五〇年以上前になくなっているから、あなたの苗字がいくらヴィンセントだと言っても、ガイスベントのあの家の子孫ではないわねぇ。第一、あなたの顔や髪、耳も一切、あの国の人々と似たところがないわね」
彼女はそこでいったん目を閉じた。
「貴女の記憶がないのでは、どうこう言っても始まらないわね」
そういって、彼女はまた私の服を見ていた。
「ああ、説明が途中だったわね。雑貨屋は……」
そういってから彼女は、使用人を呼んだ。
「コローナ、ちょっときて頂戴」
「はい。ご主人様」
あの時、入り口を掃除していた若い女性だ。少し小走りでやってきた。
「ヴィンセントさんに、いつも使ってる雑貨屋に連れて行ってあげて。終わったら、私の所に来て頂戴」
「わかりました。ご主人様」
コローナと呼ばれた女性がお辞儀をしていた。
「さ、ヴィンセントさん、お店に行って、必要な分だけ買ってくるといいわ」
私は使用人の女性についていき、外に出た。
彼女は何やら革のバッグを下げていた。買ったものをいれるのだな。
宿を出て、広い馬車の通る通りにでてからやや南に行くと、雑貨屋だ。
「雑貨屋タッペル」と書かれた看板があった。
コローナと呼ばれていた使用人の女性は戸を開けて入っていく。
私も遅れないようについていった。
「タッペルさん。いらっしゃいますか」
使用人の彼女が、お店の人を呼んでいた。
やや髪の毛が薄くなった、丸顔の男性が出てきた。丸顔はかなり珍しい。
「こちらのお嬢さんが、買いたいものがあるそうです。彼女の必要なものを、用意してくださいますか」
「おやおや。コローナちゃん。今日はお使いじゃないんだね。で、そっちのお嬢さんが買うのかね」
丸顔の男性が立ち上がると、背は高くはなかった。一メートル八〇くらいか。このメイドさんと身長はほとんど変わらない。この王国の平均身長から考えると、かなり低いほうだろう。
「さて、何がいるのかね。お嬢さん」
「太い、蝋燭と、明かりに、使う、油です」
「そうかいそうかい。太い蝋燭は三本で二デレリンギ。いくついるんだね」
「三〇本、買います」
「ほう。それで?」
「油は、いくらですか」
「そっちは壺に入ってる。一壺で八デレリンギ。空の容器を持ってくれば、次からは六デレリンギで売るよ」
「では、その壺を、一つ、ください」
「それじゃ、壺と蝋燭を出してくるか」
そういうと、男は奥の方に行った。
八デレリンギか、結構するな。という事は獣脂ではなさそうだ。あのトドマの鉱山のコークス造りで出た、タールから透明な油を精製したか、植物油か、だろうな。魚油でもなかろう。
あとで臭いを嗅げば判るだろう。
男が戻ってきたときは、大きな木の箱を持っていた。それと紐の付いた壺。
その箱の中には太い蝋燭がびっしりと入っていたのだった。彼はそれを三〇本数えて、外に置いた。
「さて。二八デレリンギだが、支払いは?」
「硬貨で、この場で、払います」
私は小さなポーチからデレリンギ硬貨を出した。が、足りない。リンギレ硬貨を一枚だした。
「おやおや、リンギレ硬貨かね。だいぶお釣りがいるな」
リンギレ硬貨を受け取った男は、そういって奥に引っ込んで革袋持ってきた。
七二枚のデレリンギ硬貨を数えるのは、少し時間がかかった。男はもう一度数え直した。
「枚数は、今見た通り。間違っていない。受け取っておくれ」
受け取ったお釣りで、私の小さな革袋はいっぱいになってしまう。小さなポーチにやっとの事で押し込んだ。
「では、お嬢さんはこことここに署名してもらえるかね」
男は皮紙の帳簿二冊を持ってきた。
どちらも記載内容は同じ。蝋燭三〇本と油一壺。となっていた。
そこにマリーネ・ヴィンセントと。
男は、そこに二八デレリンギ、領収済と書き込んだ。
すると、コローナと呼ばれていた女性が、蝋燭を全てバッグに入れた。それから壺にまき付けてある紐を手に取って、それも持ち上げていた。
「それでは戻りましょう。ヴィンセント様」
彼女は、余計なことは一切喋らないのか、帰りの最中、まったく無口だった。
宿の中に入ると、彼女は私の部屋まで、バッグと壺を運んでいった。そして入り口の前にそれらを置いた。
「ヴィンセント様。あとでその手提げ袋だけ、こちらにお返しください。私はご主人様の所に参ります」
そういうと、彼女はさっと、小走りで廊下を走り抜けて階段を下りて行った。
まあ、店の場所は覚えたし、蝋燭も油も買った。
部屋の中に入って、蝋燭をテーブルの上に出した。三〇本。
油の方は、注ぎ口の付いた壺に蓋がしてある。コルクではないのだが、柔らかい材質だった。
この油をランプの方に入れる。
ランプの方もそうなのだが、油を入れる部分にコルクのような柔らかい材質のもので蓋をしているのだ。
このやや楔形の蓋を取って、油を注いだ。硝子の付いた部分は長い四角形で、四隅は金属である。上は少し空いていて、傘がついており、そこに取っ手がつけられている。この四角形の部分は台座から外れるようになっていた。中の芯に火をつけて、この四角形の枠を載せるわけだな。
あのマリハの町で、カサンドラ親子の所で使ったランプとは少し形状が異なっているのだが、まあ、基本は変わらないのだ。
油はほぼ一杯までいれたので、一度火をつけてみることにした。
このランプの台座には、態々取り外し可能な鉄の皿がついてる。この中央は焦げ跡があるので、ここで火を熾してそれを何かに移して芯に火をつけるのだろう。
ほくち箱の入った革袋を壁から降ろして中を確かめる。細い木の枝が何本もあった。ああ。これに火を移すのだろう。
火打ち石で、金属片に打ち付けて火を熾す。
これには暫くの時間がかかる。
おが屑に火が付いたら、少し大きくなるまで待って、この細い木に火を移し、それをランプの芯に持っていく。
便利なライターなぞ無いので、火をつけるのは、毎回これだ。この異世界には、まだマッチはないらしい。
たぶんだが、この異世界でものすごく急いで火をつける場合なら、魔道具とか、魔法なのだろう。
そういうものがあると、結果としてだが、発明とか技術の進歩は大きく遅れる。まあ、発明しても揉み消されるかもしれない。
それは言うまでもなく、そうした発明によって魔道具や魔法の価値が相対的に下がるからだ。
ランプに火が灯った。まだ暗くなる前だが、それはいい。このランプの横にはつまみがついている。
このつまみを回すと、芯が長く出たり、短くなったりした。ま、芯も徐々に燃えて短くなるので、繰り出せるようになっているのだろう。
この油の臭いを嗅いでみると、これは石油っぽい鉱物油の臭いがしない。という事は、植物油だ。煤も出ないし、変な臭いにもならないで済む。
とはいえ、これがどんな植物油なのかは、さっぱり分からない。
元の世界の知識のせいで植物油だとすぐに、菜種油、胡麻油、紅花油、椿油、オリーブオイルなどを思い浮かべてしまうが、勿論、この異世界に菜の花がある訳がないので、菜種油ではない。もしあったとしても、似たような『何か』の植物であろう。
そうだ。植物図鑑を持ってきていた。あとで、調べてみよう。
蝋燭は燭台に二本差し込んで、あとは寝室のほうに持って行った。寝室のテーブルにある燭台にも蝋燭を差し込む。
残りは革袋に入れてチェストに放り込む。
この革バッグは返す必要がある。
程なくして夕食となったらしい。扉の向こうで声がした。
「ヴィンセント様。夕食です」
「今、行きます」
革バッグと部屋の鍵をもって、廊下に出るとコローナと呼ばれた女性とは違う女性がメイド姿で立っていた。
「ご主人様から、伺っております。私はマチルドと申します。今から食堂にご案内いたします」
彼女はお辞儀をした。
なんとなく彼女の所作に感じるものがある。雰囲気があのオセダールの宿にいたメイドたちに似ているのだ。
この女性は、大きな屋敷に仕えた経験があるのかも。きちんとした教育を受けているように見える。
あるいはこのホールト商会に大きな屋敷とかがあって、そこのメイドをしている人なのかもしれない。
「ご主人様から、今後貴方様の世話をするように仰せつかっております。何なりとお申し付けください」
そういって、彼女は私の手からバッグを取った。
「コローナの手提げですね。私が後で返しておきます」
そうして彼女は廊下を歩き始めたので、付いていく。
階段を下りてから暫く歩くと、大きな両開きの扉。そこが食堂だった。
そこには大きなテーブルがあり、天井にはちょっとしたシャンデリアである。蝋燭が何本も載せられた照明器具だ。
テーブルには既にホールト夫人と他に数人が座っていた。一人は女性だった。
「来たわね。これで全員揃ったわ。ヴィンセントさんも座って頂戴」
テーブルの反対側にホールト夫人が座っていた。
これは、挨拶はしておくべきだろう。
「お初にお目にかかります。私は、マリーネ・ヴィンセントと申します。今後、暫く、ここにご厄介になります。どうか、よろしくお願いいたします」
私は胸に手をあてて名乗ると、両手でスカートの端のやや上を掴んで、少し広げ、左足を引きながら、右ひざを少し曲げて、お辞儀をした。この挨拶もだいぶ慣れた。
それを見てホールト夫人以外、全員が顔を見合わせ、申し合わせたように立ち上がった。
彼らは一斉に右手を胸に当てて、お辞儀した。
「さあさあ、堅苦しい挨拶はそこまで。ヴィンセントさんには専用の椅子を用意したから、そこに座って」
ホールト夫人が指差した椅子は明らかに座面が高い。たしかに、私専用だ。
私が座ったのを確認すると、飲み物が配られた。
「ヴィンセントさん。ここにいる五人が、貴女と同じ下宿の区画にいる人たちよ。軽く紹介しておくわね」
そういって夫人は金髪の男女を指差した。
「アンシェリーナとメッレ。二人は同じ薬屋に勤めているわ」
紹介された二人が、座ったままお辞儀した。
夫人は、さらに指差しながら、名前を挙げていった。
「そっちの三人は、スタース、ヴィク、ワルテン。スータスは食料品店に勤めているわ。ヴィクは独立硝子職人。ワルテンは一般技術者よ」
紹介された三人がそれぞれ頭を下げる。
「私は、これから鍛冶を学び、独立鍛冶職人に、なる予定です」
私がそういうと、五人の顔に明らかに驚きがあった。たぶん、こんな小さい背丈で鍛冶屋というのが信じられないという事だろう。
「失礼ですが、どこの工房なのですか?」
訊いてきたのはやや緑色がかった金髪の男性だ。夫人がヴィクと呼んだ独立硝子職人。
「私は、ケニヤルケス工房で刃物を学びます」
それを聞いて男は大きく頷いた。
「これから、夕食に全員が揃うのは何度もないかもしれないわね。マリーネさん」
ホールト夫人が、そういって軽く右手を上げると、食事が運ばれてきた。
下宿代から考えて、それほど凝った料理が出せるとは思えない。
パンとスープに、肉の入った煮物。
手を合わせる
「いただきます」
「それにしても。よくケニヤルケス殿が許可したもんだな」
ヴィクが話しかけてきた。
「そんなに不思議ですか?」
私は丁度スープを飲もうとしていた時だった。
「あ、あぁ。あのうるさがたの親方が認めるとはね。あそこはもう人数もいっぱいだろうに」
「そうなんですか」
「もう一〇人もいるんだ。見習いだけで四人。そこにさらに人を入れるとはね」
彼は大袈裟な動作をして手を広げて見せる。
「私が、お願いした、のではなく、鍛冶ギルドの、責任者である、スヴァンテッソン様が、第二商業ギルドの、ヴァルカーレ監査官様とで、決められました。武器は、もう出来るのなら、刃物全般を、やって、独立させようと、仰ったのです」
「それもまた、すごい話だね」
彼は肩をすくめて、やや天井を見上げた。
「それにしても、他の工房の事なのにお詳しいのですね」
「僕が今通っているバスティアーンス硝子工房の炉が近くてね。厭でも目に入るし、彼らは声が大きいからね。聞こえてくるんだ」
彼はそういいながら左手の人差し指を左耳に向けて、片目を瞑った。
「ヴィク。その辺にしておきなさい。料理が冷えるわよ」
「はい。女主人様」
彼がややお道化て両手を広げて、そんなことを言う。
そうか。炉がいくつかまとめて設置されていて、そのうちの一つが硝子工房なのだな。
「独立したら、お店を持つのかい?」
またヴィクが話しかけてきた。
「まだ、考えていません。冒険者ギルドに、在籍、しています、から、お店を持つなら、階級章を、返さないと、いけないかも、しれない、からです」
「へぇ。階級章持ちなのか」
「ヴィク。その辺にしておきなさい。自分の紹介もしないままに、質問し続けるのは失礼でしょう」
「はい。女主人様。ご無礼をお許しください」
彼はまた大袈裟な動作でお道化て居る。どうやらそういう人物らしい。
何だか、判らないのだがこの人物には気を付けた方がよさそうだ。
肉の入った煮物は野菜も入っていて、魚醤と肉の旨味を使って濃い味付けがしてあった。
食べながら聞いてみることにした。
「ここから、アスデギル金属細工工房は、遠いですか?」
「どうしたんです? あそこに用事でも?」
女主人ではなく、ヴィクが答えて訊ね直してきた。
なるほど。この男、私のやることに興味津々という事だろう。
「一度、挨拶に、行く必要が、あります」
「へぇ。アスデギル工房の作業場は、そんなに離れてないけどね。ただ、金属細工に大きな炉はいらないから、この近くじゃないよ」
ヴィクはなんというか、食べながらずっとこちらを見ていた。
そして、工房が近いのか遠いのかすら分からない。この男は態とそういう答え方をしているのだろうか。
ここで出たパンは一次発酵させたものだった。十分な量があり、かなり沢山焼いているようだった。
スープの味付けは魚醤が僅かに用いられ、殆どは肉や野菜を煮込んで採ったと思われる出汁が使われていた。これだけでも十分な旨味があった。
肉と野菜を煮込んだものは、これはかなり茶色のシチューとでもいうべきか。
なかなか、いい味だった。
そうか。ここは普通の宿もやっているから、そっちの方で出される料理でいくらかは余分を作ってこちらに廻しているか、あるいは賄いなのかもしれない。
味は十分にいいものだった。
「ごちそうさまでした」
手を合わせる。軽くお辞儀。
食べ終えた彼らは、少し会話をしていたが、そこでまた自分のことが出ても、あまり答えようがないのだ。
変にあのヴィクに絡まれるのも面倒だ。さっさと部屋に戻るに限る。
私は椅子から降りて、彼らを一瞥し、右手を胸に当てて挨拶。
「それでは、みなさま、ごきげんよう。おやすみなさい」
廊下に出ると、壁には油ランプが所々に提げられていた。
さっと部屋に戻って扉に鍵をかけた。誰かが勝手に入ってきても困るのだ。
そういえば、お風呂の位置を聞き忘れた。
ここの下宿専用はないんだっけか。共同浴場が近くにあるのだろうか。
まあ、その辺は明日以降でもいいかと考えて、今日はもう寝ることにした。
つづく
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大谷龍造の雑学ノート 豆知識 ─ マッチ ─
元の世界では、マッチが登場したのは一九世紀になってからで、英国の薬剤師、ジョン・ウォーカーが発明した。
それはフリクションライトと呼ばれている摩擦マッチで、記録上これが初めての物だ。これは彼の名を取ってウォーカーマッチとも呼ばれた。
最初に作られたのは軸の先端に塩素酸カリウムと硫化アンチモンを混ぜて作った薬を付けたマッチである。
これを擦る紙の方は、砂紙と呼ばれる。
これをマッチの軸に巻き付けるようにして、擦って、摩擦熱を発生させて、火をつけるのだが、火つきは相当悪く、火が付けば悪臭もする、なかなか酷い代物だった。
その後、黄燐を使ったマッチが登場し、ようやく火がつけやすくなるのだった。
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下宿人たちと顔合わせの夕食。
独立硝子職人が妙に馴れ馴れしいのは気になるが、そこはあまり考えずに部屋に引き上げたのだった。
次回 第三王都での定宿と鍛冶見習い
マリーネこと大谷は、工房を探さねばならない。
まず朝から工房をしらみつぶしにして探し出したが、中の鍛冶職人たちは、まともに取り合ってもくれない。