231 第20章 第三王都とベルベラディ 20-18 第三王都での定宿
食事の美味しい宿も、夕食と次の日の朝食で終わり。
マリーネこと大谷は、ここを出て定宿に行き、今後は鍛冶の修行なのだ。
そして支部長の紹介した定宿の女主人は相当、理知的そうな女性だった。
231話 第20章 第三王都とベルベラディ
20-18 第三王都での定宿
宿の位置は確認出来た。明日、荷物を背負ってここに来ればいいのだ。
私は第四商業地区のその宿屋から東に向かう。
斜めの道と南北に走る街路の交差点に出た。
ここは、以前、ヨニアクルス支部長と来た時の道だろう。ここで待っていると乗合馬車は、南の方から来た。
それに飛び乗った。後は終点の手前まで行けばいいはずだ。
馬車は北の街区で東に曲がり、中央で南の方に向かって伸びる街路の方に向かう。
そこに出るまでに数人の人々が降りていき、私は空いた席に座った。
……
それにしても。第四商業地区というのは、他とは少し違うらしい。
まあ、あの大男のマインスベックが第三商業地区はよろしくないとかで、第四商業地区の監査官とやりあってあのでかいオープンマーケットのような、ショッピングセンターもどきを作ったとか言っていたがそれだけではないな。北側の壁の部分は全部工房だった。
だとしたら、あそこだけは事実上、第二商業地区がはみ出してきているのだ。
そのせいなのか、雰囲気がどうも他の地区とは違う。
まだ、第三商業地区を詳しく見た訳ではない。軽く外側を見ただけに過ぎない。
第一商業地区というのはほぼ中央の地区のことだから、あそこは除外だ。
第二商業地区は、殆どがお店と工房とその職人さんたちの家だろう。集合住宅かもしれないが。
第三商業地区は、あの南門の周辺と北の王宮前から続く街道だけは栄えていたが、南東の方はそうでもなかった。南西の一角には市場があったが。
あの市場と同等か、それより小規模でもいいが、そういうのが各地区にないとまず食料が回らないだろう。
第四商業地区のほうは、全体的にやや雑多な部分もあるが、商業地区と集合住宅が混ざりあっている。そして活気もかなりある。
まあ、あのマインスベックのやったショッピングセンターもどきのおかげもだいぶありそうだが。
考え事をしていると、乗っていた人たちが大きな建物のところで降りて行った。
あの建物が何なのか、私にはまだ判らない。あとで調べる事になるだろうか。
……
そういえば。アグ・シメノス人はどこに住んでいるんだ。
この王都の住人は、本来彼女たちだ。三〇万人以上が住んでいるというのに、昼間にあまりその姿を見せない。朝方に列をなして歩いているのを見た程度だな。労働階級の彼女たちが普段どういう場所で働いているのか。それもさっぱり判らない。
本当に不思議な種族だ。
乗合馬車は第一商業地区に入った。そこで乗り込んできた商人たちもいる。
私は暫く進んだ場所で、やはり人が乗り込んでくる場所で降りた。
辺りを見回してみる。
辺りは大きな建物ばかりだが、それは皆、どこかの大きな商会の物だ。どれも壁には紋章が入っている。青か、かなり澄んだ蒼色で大きく描かれているそれらは、私にはさっぱり何を書いているのか判らないのだが。どこの国から来ているのかも不明だ。
いや、そもそもどんな国があるのかすら、私は知らないのだった。
ま、それは今後、地図を入手して何とかしよう。
そういえば。ポロクワ市街の、あの骨董の爺さんに頼んでおいた気がする。
彼の所に行って、仕入れができたか訊くのも、やらねばならないな。
しばらく歩いて、私は泊っている宿の所まで来た。
結局、大雑把にしか見れて回れていないが細かい部分はこれからだな。
次の定宿が何処なのか分かったのと、北壁のほうは生産ギルドの工房が多くあるということが判っただけでも、よしとしよう。
この宿の夕食も今日が最後だな。
どんな物が出るやら。
この宿の受付で鍵を受け取って、二階の部屋に戻る。
暫くすると、また係の人が小さい蝋燭に火を灯してやってきた。
私がいる部屋の全ての蝋燭に火を灯した。
さて。
夕食が運ばれてきた。
今日のは何だろう。
明らかに、何かのフライか揚げ物のようなものがそこにあった。
パンに使用する粉を付けてあるのだろう。
揚げ油は、どうも植物油ではない。たぶんラードのようなものだ。この国には豚はいないらしいから、これはゼリカンの脂だろうか。
そして丸い一次発酵したパンとスープ。シチューに、あとは明らかにソーセージに見えるものと野菜のサラダ。そして果汁の飲み物。
このソーセージのように見えるものは腸詰というやつだろうか。
今までにこの王国で食べた事はない。
手を合わせる。
「いただきます」
この揚げ物のような肉だろうと思われる物からいただこう。
私の拳半分くらいの大きさに切ってある肉をナイフでさらに半分にした。
これは肉を魚醤で作った甘辛いたれに漬け込み、かなり味をしみこませた後、粉をつけて、これを脂で半分揚げ焼きしたものらしい。
たっぷりのてんぷら油で揚げれば、また味が違うだろうけれど、これはこれで十分に味がしみ込んでいる。
一口食べると、口の中に旨味が広がった。
これはいい。自分で自炊する時に真似出来るかもしれない。
次はこの謎の腸詰らしきもの。
─────────
大谷はもちろん知らないのだが、この腸詰のように見えている物は、腸ではない。
獣の体内にある横隔膜などの、薄い幕を使ったものである。
この膜に、肉を叩いて細かくつぶし、辛めの香辛料と塩を混ぜた物が入っており、それを包んで縛った後、細長い形になるように、変形させている。
そして、それを獣脂で焼いたものである。
─────────
一つ食べてみる。
口の中で、パリッと千切れる感触。まるっきり粗挽きソーセージのような。
と、思った瞬間だった。
口の中で辛さが爆発した。中身の細かい肉が全て辛い。
びっくりするほど辛い。思わず噎せそうになった。
慌てて、果汁の飲み物を少し飲んだ。しかしこれは失敗だ。口の中に色んな味が混ざった……。
ここはおとなしく水だな。
……
ものすごく辛い料理は苦手な部類なので、この腸詰もどきは、どうやって食べようかと考えたが、野菜サラダの葉っぱに包んで食べる事にした。
なんとか、これなら噎せるような辛さを直接舌に当てずに食べられた。
この食べ方がいいのかどうかは別である。
途中でパンとスープ。それから肉がゴロゴロと入ったシチュー。
これには色が白でも緑でもない、赤と黄色のブロッコリーなのか、カリフラワーなのか、よく分からないものが一緒に入っている。シチューの色は白くはない。どっちかというと茶色。
しかし、思いのほか食べ応えもあって、味も良かった。
この唐揚げのような揚げ物が一番あたりか。いい味だ。そして頑張れば自分でも作れるかもしれない。もっとも、この肉の種類が判らないのだが。
最後に果汁の飲み物を飲んで、口の中の味を流す。やや酸味を伴う独特の味が口の中に残って、水を必要とした。
今回のパターンはこの宿の夕食にしてはちょっと珍しいというべきか。
「ごちそうさまでした」
手を合わせる。
ものすごく辛い物を食べたせいで、汗が出てきた。
皿が下げられ、いつものようにお茶とお菓子に、フルーツの切ったものが出される。
汗をかきながら、このやや苦みの強い抹茶のような、薫り高いお茶と共に、砂糖菓子をいただく。
フルーツは、どういえばいいのか。パインのような果肉を小さく切ったようなものがお皿に乗っている。色も黄色で、食べてみると甘酸っぱい味がした。
全部いただいて、すこし休憩。
汗を拭いても、まだ汗が出る。これはお風呂だな。
しかしお風呂は、行ってみたら残念なことに数人の女性がいた。
少し待っても、出てこない感じ。
……
部屋でだいぶ待ってからお風呂場に行くともう無人だった。
やれやれ。これでゆっくり入れるな。
頭からお湯をかぶって汗を流し、少し乳石で体を擦り洗う。
そして浴槽に浸かり、縁に腕と顎を乗せて少し考える。
いよいよ、明日には定宿予定のホールト商会に行き、そして鍛冶ギルドだ。
仕事が始まるな。
私の場合は、既に鍛冶の代用通貨が渡されているという事は、親方の下で売れるものを叩くことが前提だろう。まあ。刃物なら大丈夫だろう。
気を付けるべきなのは、あまりにも本気で叩いて研がないようにすることだな。
周りの品質を見つつ、合わせていけばいい。そこだけは本当に気を付けよう。
翌日。
起きてやるのはストレッチ。からの柔軟体操。そして空手と護身術だ。
ダガーを使った謎の格闘術も少しだけ。剣の方は出来ない。
この宿も最終日だ。
まず、ネグリジェから着替えて、いつもの服。
服は一度全部確認して、畳みなおし革の袋に入れ直した。
たぶん、今後はこの紫色の作業着を着ることになるだろう。
なので、一番上に入れる。
他の物も、全て点検。細工用の道具がかなり嵩張る。
全部を大きいリュックに詰め直した。
そして、朝食だ。
今日はなんだろう。
運ばれてきたものは、やや意表を突いたものだった。
それは、元の世界でもありそうなものだったからだ。
手を合わせる。
「いただきます」
かなり厚切りにしたような四角いパンの上に橙色のチーズを載せ、さらにその上に薄切りした燻製肉。
さらにその上に橙色のチーズを載せて上下を焼いてある。それが二枚。
これはオーブンのような道具があるのだろう。
ナイフとフォークで切って、これを頂き、果汁の飲み物を頂く。
ややこってりしているし、酸味も多いのだが、これは元の世界のパン料理と似ている。バターがないのが残念だ。
しかし、味はかなりしっかりしたもので、食べ応えがあった。
ゆっくりとこのパン料理を食べて、果汁を飲み干す。これはやや甘いものだった。
「ごちそうさまでした」
手を合わせる。ややお辞儀。
食後に、お茶とお菓子が出るのもいつも通りだ。
宿を出る前に、鍵を返す。
「お世話になりました」
私は軽くお辞儀。
「またのご利用お待ちしておりますよ」
そう言って受付の男が、態々私に握手した。
宿の外に出ると今日の空は曇天。かなり曇っている。
少し歩いて、宿の近くを通る乗合馬車に乗って第四商業地区に向かう。
とはいえ、大きなリュックをどこかに置くこともできず、私は乗降口近くの場所に立ったままだった。
……
途中で何人も亜人たちが乗ってくる。
今回の馬車も北壁前の工房がある所で西に曲がった。
そのまま乗っていると、西の角でさらに曲がり、南に向かう。ここで斜めの道に行く人がどんどん降りて行った。
この時点ですでに二時間くらいは経っているだろう。
もう少し進んで、最初の東に向かう道がある場所を過ぎて、二番目の所で私も降りる。
昨日確かめた場所に到着だ。
宿の入り口らしき場所で一人のかなり若い女性が、掃除をしているようだった。身長はやっと一八〇センチくらいだろうか。顔が明らかに若い。長い耳はいつも通りなのだが、顔の彫りがそれほど深く感じさせない柔らかさがあって、これは大人の顔ではないのだろう。
まずは、挨拶からだな。
私は一度、右手を胸に当てた。
「ごきげんよう。アントリス・ホールトの方かしら」
山のような荷物を背負った子供のような人物が喋っている訳で、玄関らしき場所を掃除していた女性は、一瞬固まった。
その女性は、こくんと頷いた。
「今から、宿の主人様に、お会いしたく思いますので、取次を、お願いできるかしら」
ここは笑顔である。
しかし、女性は箒を持ったまま固まっている。
私は再度、右手を胸に当てる。
「名乗っていませんでしたわ。私は、マリーネ・ヴィンセントと申します」
女性は一回頷くと、大きな両開きの扉を開けて、中に入った。
暫く待つ。
すると、先ほどの女性が出てきた。
「ご主人様がお会いになるそうですので、付いて来てください」
それだけ言って、また扉を開けた。
後ろについていくと、女性は私が先に入るように促した。
扉の中に入ると、やや薄暗い。
中はホールになっていて、壁際にランプが左右、等間隔に吊り下げられていた。
先ほどの女性がどんどん奥に向かうので、付いていく。
奥にあった扉を開くと、そこにやや仕立てのいい、落ち着いた服を着た女性がいた。
たぶん、この人物だろう。
髪は長い金髪。身長は二メートルはなさそうだ。この世界の亜人としては少し低めかもしれない。千晶さんよりは、少し背が高い程度か。スラっとした体形だ。
若干焼けた色の肌。顔全体はやや長く、鼻筋がとおっている。そして蒼い瞳。
長い耳はやや左右に開いている。両耳の下部に銀色の小さなリングが三つずつ、ついていた。
顔立ちはやや理知的な印象を受けた。これで眼鏡でも掛けていたら、やり手の女性秘書とでもいう感じだが、この異世界では眼鏡を見たことがない。あるかどうかは不明だな。
「ご主人様。ヴィンセント様をお連れしました」
「そう、じゃあ、また表の方をお願いね」
女主人がそういうと、横にいた女性がお辞儀をして出ていく。
彼女が私の前に立った。
「貴女なのね。話には聞いていたけど、ずいぶん小さいわね」
そういって彼女は笑いながら、振り返り、部屋の奥に向かった。ついていく。
扉を開けると、奥の部屋にはローテーブルと低いソファがあった。
「ここに座ってもらえるかしら」
彼女がそういうので、まずは荷物を降ろしてソファに座った。
「あの爺さんから、話は色々聞いているわよ。暫くこの第三王都で学ぶことがあるから、下宿させてやって欲しいと」
「はい」
「ああ、名乗ってなかったわね。私はアルティア・テン・ホールト。ホールト商会の代表よ」
「マリーネ・ヴィンセントです。よろしくお願いします」
「あなた、鍛冶を学ぶそうね」
「はい。もう、行くべき、工房も、決まっています」
「それは、何処かしらね」
「ケニヤルケス工房です」
そう言って、私は鍛冶師の標章を取り出した。この標章には工房名が刻まれているのだ。彼女にそれを見せた。
「あの刃物専門の。わかったわ。ディーンが、ずいぶんと珍しく私にお願いなんてしてくるから、どんな人が来るのかしらと思っていたけど、姿の小さい冒険者っていうのが、あなたの事ね」
そういって彼女は少し笑顔を見せた。
この人は、クリステンセン支部長のことを、今ディーンと呼んだ。ヘイデン・クリステンセンのことをディーンと呼ぶ人は他にいない。
たぶんだが、相当親しい間柄なのだろう。
この女主人のホールト商会なるものが、かなり昔からあるという事だろうか。
「はい。トドマ支部で、金二階級を、頂きまして、鍛冶を習いに、こちらにきました」
ほんの一瞬、彼女の目が見開かれたが、すぐに元の表情に戻った。
「それで、今日からもう、ここに入るのかしら?」
「はい。それでお願いします」
「まずは、説明しておくわね。ここには普通の宿の区画とあなたが望むような下宿部屋の区画と、あとは職人さんたちを預かっている寄宿舎の区画があるの。別れているのは、色々違うのよ。ここまではいいかしら」
「はい。大丈夫です」
「普通の宿の方は説明は省いておくわ。あなたは旅慣れていそうに見えるから。それで寄宿舎の方はね、各工房の親方が、先に部屋代を全部支払って住まわせているの。ここに住む人たちは、長くなることもあるから、基本的に部屋だけ貸しているのよ」
「はい」
「下宿はその中間よ。食事も出すけど、普通の宿のような事はないわね。お風呂も外の共同風呂ですし、自分で部屋を掃除して貰います」
「はい」
彼女は私を見て、一瞬間を置いたがそれから続けた。
「部屋代は先払いよ。一節季とは言わないわ。一月分。四三日分よ」
「はい。それで、料金は如何ほどでしょうか」
「一日は八デレリンギで夕食付。一月で三四四デレリンギ。朝食も欲しければ、それもできるわ。朝食は一デレリンギ。だから一月で三八七デレリンギになるわね」
「はい。今すぐ支払えます」
「もう六日過ぎてるから、日割り計算になるわね。三七日分だけど、朝食はどうするの?」
「朝食ありで、お願いします」
「ふふっ。いいわ。それじゃ、もう今日は朝はないから、三三三じゃなくて、三三二デレリンギね」
彼女の計算は速かった。たぶんもう慣れていて、すぐにできるのだろうけれど、これほど素早く暗算してくるのは、初めて見た。
私は小さいポーチから、リンギレ硬貨を三枚とデレリンギ硬貨を数えて、三二枚を出した。
彼女は一瞬目を開いたが、またすぐ元の表情に戻った。
「硬貨でいいの? 貴女なら、冒険者ギルドの代用通貨もあるでしょう?」
「いえ、次からは、そうするかも、しれませんけど、最初ですから」
「殊勝な心掛けね。今はこの下宿区画に数人いるけど、彼らも見習って欲しいわね」
彼女は笑っていた。
「貴女の場合は、後見人が冒険者ギルドの支部長、ヘイデン爺さんですから問題はないけど、中には、支払いが遅れる人もいるから、そうなると面倒なのよね」
また彼女は笑っている。その様子だとそんなに面倒なことではないのだろう。
たぶん、だが。支払いを待つか、すぐに追い出すかどうか、という事なのに違いない。
「支払いが遅れてる人の場合は、その職場に問い合わせないといけないから」
「それは、入るときに、こちらに、知らせるのですよね?」
彼女は、頷いた。
「中には、職場のほうで、そんなのは知らないとか言われて、取りそびれることもあるのよ。そうなると、本人がすぐに一般技術者ギルドにでも行って登録して仕事をするようならいいけど、そうじゃないと追い出すことになるから、面倒といえば面倒なのよ」
そういいながらも彼女は笑っていた。
「じゃあ、書類をもってくるから、少しここで待っていてちょうだい」
そういうや、彼女は直ぐに部屋から出て行った。
暫く待っていると、女主人が戻ってきた。
手に持っていたのは皮紙の束と、それから綴じていない皮紙だった。
「今日の日付を入れないとね。第六節、上後節の月第二週、一日目。ということは……」
「九〇九日ね。通算日の数えで今日は九一〇日目だわね」
そういって彼女は書類に書き込んだ。
「貴女の署名がいるわね。こちらとこちらに」
彼女が指差した場所に私は署名した。マリーネ・ヴィンセントと。文字の形はだいぶましになってきている。
「綺麗な字を書くのね」
彼女は私の署名を見て、そんなことをいった。
「まだ、下手ですけど」
「そんな事ないわ。十分でしょう。職人見習の中には、読めないような文字を書く人も多いからね」
「貴女の場合は、続けてまだ部屋を使いたいなら、最低でも数日前には、知らせてね。この帳簿に書かないといけないわ。それから、出ていく場合も同じよ。直前になってしまうとこっちも困るのよ。日割りにするように言われてますけど、直前の場合は、日割りから少なくとも六日分は、こちらに納めてもらって、残りを支払います。いいかしら?」
「六日前には、続けて、使うか、出ていくかを、伝えれば、いいのですね」
「そうね。それじゃ、貴女の部屋に割り当てた場所に案内するわ。付いて来てね」
彼女はそういうと部屋の扉を開けた。私はリュックを背負い直して、後に続く。
「それにしても、大きい荷物ねぇ。それに全部入ってるのね」
「はい。仕事道具とか、服、靴です」
「着替えもちゃんと持ってるのね」
「はい」
「それじゃ、洗濯する場所とかも、教えるわ」
彼女は廊下を通ってどんどん奥に行く。そして角を曲がる。
さらに奥に行くのだ。そして階段を上がった。上がって更に廊下を進み、一番奥の場所で、彼女は大きな扉を開けた。ここらしい。
「さあ、入って頂戴。ここがこれから、貴女の部屋よ」
中に入るとそこはかなり広かった。
「広いですね」
「ここね、本当は三人用なんだけど、ずっと使ってなかったから、少し掃除して、今回の貴女の部屋にしたのよ」
「三人用、という事は、家族向け、ですか」
「そうなの。でもまあ、最近はそういう人が来ないから空いたままだったのよ」
「ありがとうございます」
「いいのよ。その荷物を置いて、部屋を出て頂戴」
「はい」
言われたままに、リュックを壁際において私は扉の外に出た。
「これを渡しておくわ。この部屋の鍵。無くさないようにね」
「はい」
「じゃあ、ついてきてね」
私はこの部屋の扉に鍵をかけた。そして彼女の後ろをついていく。
一階に降りて、奥に行くと扉が一つあるだけの場所に着いた。
そこの扉を開けると、そこは外だ。屋根の付いた廊下が伸びていて、その外側は両側とも大きく庇になっている。
廊下の先にあったのは、井戸と洗い場。そして、さらにその先には厠だ。
「女性用は左側だから、間違えないようにね。あとは、そうね。貴女のあの部屋は、外に出られるの。庇の付いた広縁が付いているから、服が大事なモノなら、そこで干すのがいいわよ」
「わかりました。ありがとうございます」
広縁という事は、ベランダだな。そんなものがあるのか。表からは見えなかったので、たぶん建物の裏側に向いた方向にあるのだろう。通常は南側に向けて作るものだが、ここでは、それが出来なかったのだろうな。
たぶん、何かの理由があるのだろうけど。
「じゃあ、夕食は、下の共同食堂で食べるのがいい? それとも貴女は自分の部屋で食べます?」
「え、運んできてくれるのですか?」
「皆さん、帰ってくる時間がまちまちですからね。給仕たちが部屋の扉の下にある配膳用の扉を開けて、そこに料理を置いてくれるわよ」
「わかりました。今日は、共同食堂で、お願いします」
「判ったわ。食事が出来たら、呼びに行かせるから部屋にいて待っていてね」
つづく
女主人はてきぱきと説明し、下宿代を前払い。
するとさっそく広い部屋に案内され、他に井戸や厠の位置も教わったのだった。
次回 第三王都での定宿2
マリーネこと大谷は部屋を点検して、自分の荷物を解いていく。
そして、蝋燭や油を買いに外に出るのだった。