表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
217/306

217 第20章第三王都とベルベラディ 20ー4 第三王都第二商業地区の見学

 朝食も食べて、入念準備。そして第二商業地区に向かうマリーネこと大谷。

 217話 第20章 第三王都とベルベラディ

 

 20ー4 第三王都第二商業地区の見学

 

 翌日。

 七の日である。

 起きてやるのは何時ものストレッチ。からの空手と護身術。何時ものルーティーンだが、この部屋の中では、剣は振るえない。

 朝食も頂く。

 

 高級宿の貴族の食べるような粥ではなく、パンと薄切り肉を炙った物と薄い色をしたスープ、フルーツのサラダに、飲み物が果汁である。

 

 手を合わせる。

 「いただきます」

 

 安い宿なら、充分夕食レベルと言うか、夕食でもここまでの味で出してくれる宿なら、結構いい宿である。

 

 食事を『一等』にした事で、十分満足できるものが出ている。

 夕食にチーズのような発酵食品がでて醍醐味を味わったが、この王国にバター(※末尾に雑学有り)はないのだろうか?

 バターがあれば、料理の幅がぐんと広がるはずだが。

 しかし。バターはチーズよりは作るのが簡単とはいうものの、いうほど簡単な訳ではない。

 実は気温が重要なのである。気温二〇度Cが理想で、それより気温が高いとあまり良くない。固まりにくいのである。ちなみに四〇度Cまで行くと、バターは完全に溶けてしまい、黄金色の脂と蛋白質の沈殿物に分かれる。この黄金色の脂の事を澄ましバターという。風味自体はやや薄く、独特の香りがする。

 

 元の世界でも紀元前からバターはあったという事だが、大昔の物というのは、大抵名前が同じだけで、大元の物というのは、現代人の想像とはかけ離れていることも多いのだ。

 

 

 薄切り肉には、肉汁から作ったタレが掛けてあり、十分堪能した。

 残念ながらバターではないが、肉汁から作ったタレには、何か旨味の濃い脂が足してあるように思えた。

 

 薄い色のスープも肉汁で味が出ている。

 

 いい味だった。

 

 パンと薄切り肉にスープで食べて、フルーツのデザート。

 最後に果汁ジュースで終わる。

 

 「ごちそうさまでした」

 手を合わせる。軽くお辞儀。

 

 食べ終えると、磁器に入ったお茶が出された。磁器のお皿には四角い形のお菓子である。

 

 お茶はかなり濃い赤茶色のもので、薫り高い。

 紅茶なのだろうか。渋みが強く複雑な味である。色や薫りはともかく、元の世界の抹茶に近い味だ。

 

 これに四角いお菓子を、やや崩して食べる。落雁のような舌触りで、味も感じが似ていた。砂糖菓子なのかな。これは恐らく高級品である。

 

 お茶もおかわりして、堪能した。

 

 ……

 

 荷物から、服を引っ張り出す。下着も取り替える。

 とりあえずお洒落な服を着ることにする。マリハで更に作ったから服は増えてはいるのだ。

 少し迷ったが、紺のスカートと白いブラウス、そして紺のケープ。靴は以前造ったローファーのような物を履いた。

 

 治安のいい第三王都なら、マカマの時のような胡乱な不届き者が出ることもあるまい。

 

 もっとも、私は王都の事を知らないだけで、スラムのような場所がないとは言い切れない。

 管理されすぎると、それに不満を持つ層は確実に存在する。

 

 元の世界でもそうだから、この世界もある程度はあるだろうし、広い王都の片隅にそういう場所が存在しないとは言い切れない。

 

 この王国のアグ・シメノス人は、普通の、というと変だが、一般的に目にする亜人たちとは根本的に異なる人々だ。

 まず、性別が女性だけなので、事実上無いのと同じだ。繁殖は王都の女王だけが行っているのだし、管理階級の人々を除けば、一般層というのは、働き蟻とか働き蜂のようなものに該当しているのだ。

 そういう階層の彼らに不満があって、どうこうなるとかなら、この王国はとっくにシステムが変わっているか、滅んでいるだろう。

 

 管理階級層自体もこの王国に商売で入ってきた亜人を管理するために生まれたというのだから、彼ら自身の管理だけなら、もっとずっと簡単なものになっているのだろう。

 

 少し考える……。

 

 万が一がないとは言えない。

 一応、そうなると階級章と武器は持っていくか。

 首に階級章をぶら下げ、一応白いスカーフ。

 腰にはダガーとブロードソードである。

 

 あとは、小銭とトークンとタオルの入った小さいポーチを肩から掛けて、その上から上着を着た。

 部屋の鍵をかける。

 

 一階に降りると、客が多い。

 鍵をロビーで預けて、私は外に出た。

 

 外は晴れていて、南側に見える城の白亜の壁が眩しい。

 通りを歩いている亜人たちも朝から多い。

 いかにも、商人ですという男性陣も多いのだが、女性も結構いる。

 着ている服もデザインも色取り取りである。

 そして、そこに混ざって大勢のアグ・シメノス人が歩いているのだ。

 

 彼女たちは、纏まった集団ごとにきちんと列をなして、色が違う服を着ている。

 青い服、紫色の服、朱色の服、朱色に白のストライプの入った服、蒼白い服。みんな顔が同じだし、どんな職なのかさっぱりわからないのだ。

 ただ、数人に一人が腕に腕章をしていた。監査官がしているのとは少し違うのだが、あれで何かが区別されているのだろう。

 

 一番人数が多かったのは、やや灰色の服の人たちで、勿論みんな囚人ではない。何かよくわからない道具を持っていて、整然と行進しながら大きな建物に入っていった。

 

 たしか、第三王都は三五万人とか住んでいるのだから、この城というか王都の維持だけでも、相当な人数がいるはずである。

 ここには見えていないが、食事の供給や香るお茶の供給、服の洗濯や裁縫、ごみの回収、建物の補修、ありとあらゆる整備や掃除、制作する人々など。

 

 そうした人々だけで一〇万人以上いてもおかしくないのだ。

 彼女たちは完全に管理された状態でも、文句も全くなさそうなので、いろんなものが効率化されていてもおかしくはない。

 

 ああした彼女たちがロボットではないし、クローンのような存在でもないことは、あのスッファの警備隊の詰め所だとか、ワダイ村の農民たちを見ていてもわかる。彼女たちに個性はある。顔にはほぼ無いので、分かり難いのだが。

 

 想像するだに、普通の亜人や、元の世界の人間では無理だろうな、という気はする。

 

 

 この日、向かうのは、第二商業地区だ。たしか北東方面から東の辺りがそうなっているはずである。

 

 まず東に向かう乗り合い馬車に乗ってしまう。何処周りであるかは問わない。

 ステップの段差には厳しいものがあるが、手すりに掴まって飛び乗る。本当ならば、こういう服を着ている少女がやるべき所作ではないことは承知しているのだが。

 

 東に向かう最中、何箇所かで人が乗ってくる。そして、一人二人が降りて行くのだ。

 東の端に近い所で半分くらいの人々が降りた場所で私も降りる。

 その馬車は、そこから南に向かっていった。第三商業地区周りだったらしい。

 

 私は少し、北側に向かって歩いてから、馬車を待つ人だかりのある場所に辿り着いた。

 ここから北の方に向かう馬車が来るまで待てば良いのだ。

 

 暫く待つと、これまた中心部から来た馬車が、北側に曲がってやってきた。

 これに乗りこんで街の中を進むわけだ。

 ここから北側の端まででも、概ね一四キロメートル以上はあるのだから、暫くは馬車に乗って、第二商業地区の奥地に向かう。

 

 だんだんと外は商店が増えてきた。

 もう暫く進んだところで降りてみる。

 

 ……

 

 

 つづく

 

 

 ───────────────────────────

 大谷龍造の雑学ノート 豆知識 ─ バター ─

 

 バターとは日本語では『牛酪(ぎゅうらく)』と言い、脂肪分が八〇パーセントほどある乳脂肪分の塊である。

 

 バターの起源もこれまた、はっきりと判ってはいない。意外な事にチーズ以上に起源のはっきりしていない乳製食品であろう。

 

 現在までに発見されているバターの記録は、紀元前までさかのぼる。

 紀元前三五〇〇年頃、メソポタミア地方で、バターのようなものを作っている姿を描いた石板が発見された。今の所確認できるのは、これが最古である。

 

 また、紀元前二〇〇〇年頃、古代インドの経典にはバターらしきものが作られていたという記述がある。

 また、旧約聖書にも「アブラハムはバターを取り、乳を取り……」という一節があるために、古くから作られていたのであろうと考えられている。

 

 しかし、このバターが、現代人の考えるバターと同じであったかは定かではない。

 バター製造はおそらく、多くの地域で同時多発的に始まっていたのかもしれないのだが、その地域もどこが最古なのかは分かっていない。

 

 そもそも、古代インドの経典にあるバターとは、山羊や一部は馬の乳から作られていた。

 

 紀元前四八〇年頃の古代ギリシャのへロドトスも「馬や牛の乳を木の桶に入れ、激しく振動させ、表面に浮かび上がった脂肪部分をすくい取ってバターをつくった」と記述しているが、これをただちに食用にした訳ではないらしい。

 (これには諸説あり、これをもって食用バターの起源とする説もある。)

 

 古代ギリシャや古代ローマの時代であっても、バターは医療品、或いは化粧品だった。塗り薬や、美容クリーム、整髪用クリームである。

 

 古代ゲルマン人は、家畜の乳から作ったバターと豚肉から作ったラードを食べていたが、この事はあまり文献がない。そして、バターとラードは貧しい、無教養の蛮族、野蛮人の食べるものであって、我々のような教養のある文明人の食べるものではないというのが、彼ら古代ローマ人の考えだった。

 実際の所、チーズは沢山作られ、高品質なものは珍重されていたのに、バターは食されていなかったのである。

 

 これは古代ギリシャで造り出されたのであろう、『ガルム』と呼ばれた魚醤は古代ローマの時代には大いに製造され、バターと同様に一部は医療品、或いは化粧品だった。

 『ガルム』は、料理全般、お菓子にさえ用いられたが、バターはごく一部でしか用いられなかったようである。

 

 おそらくだが、牛乳は幾らか飲料として消費する以外はほぼ全量がチーズの製造に使われたのである。

 その為にバターを作ろうというような量は僅かしか残っていなかったのであろうと思われる。その僅かな量で作ったものが、医療用塗り薬等となった。

 また整髪料や美容クリームとしてのバターは、おそらくは上流階級の者が個別に発注して造らせていた事であろう。

 

 食用油は豊富なオリーブの木から採れる実からオイルを絞っていた。

 これはゲルマン民族によって、ローマ時代の農地が荒らされてオリーブの木が壊滅状態となるまで続いていた。

 

 牛乳から作られたバターが食用として用いられるようになったのは、西洋においては紀元前六〇年頃のポルトガルと言われている。そこから横のフランス、ベルギー、オランダ、そして海を隔てたノルウェーに伝わった後、ヨーロッパ各地、ドイツやイギリス等でも作られ、食用として広まったとされている。

 

 その後、豚の畜産とともにラードがもたらされる。これは地中海沿岸やイタリア半島でも変わらない。

 欧州に訪れた長い暗黒の時代において、食用油といえばラードという時代が長く続く。地中海沿岸ではオリーブ畑が壊滅していたし、欧州では牛乳はチーズになったため、バターを作るような余裕は無かった。養豚によって得られたラードが主流となっていたのだ。

 

 イタリア半島においてバターが流行したのは中世が終わってルネサンス時代中頃、つまり一五世紀になってからのことであり、その時にローマ法皇となったマルティヌス五世に仕えた名料理人、ドイツからやって来たボッケンハイムが故郷で作っていたバター料理、それはバターと卵を使った料理を、生粋のローマ貴族であったマルティヌス五世に食させたところ、彼がいたくこの料理を気に入ったという。

 

 ボッケンハイムがバターを使って作り出す数々の料理が、これまた大変美味しいとして、ローマの貴族層に一気に浸透、各貴族では自分の雇っている料理長に命じてバター料理を作らせ、食したという。

 それまでは、伝統的なオリーブ油が極めて貴重品となったため、民衆も含めて食用にはほぼラードが使用されていた。

 一部はくるみ油であるが、くるみ油は彼らには合わなかったらしく、美味しくない食用油という認識で、あまり利用されなかった。

 

 栄養価に優れたくるみ油がなぜオリーブオイルの代わりとして使われるようにならなかったのかは、謎である。

 しかし、くるみの硬い殻を潰して取り除いてから、更に中の実を潰してくるみ油を大量に造るというのも、当時は難しかったのであろう。

 

 フランスにおいては一七世紀、ルイ一四世がバター料理を好んだ事によって、一気にスパイス料理よりバター料理が隆盛を極め、その当時のフランス宮廷料理とはバターを使った料理となったのであった。

 

 つまり、バターの料理は中世においてはあまりメジャーではない、どころか一部の地域を除けば、知られておらず、近世に入って一五世紀から一六世紀においてそれは地中海沿岸諸国も含め、広く欧州に広まっていったと思われる。

 

 

 さて、古代インドの経典にあるバターの作り方というのは、実は興味深いことに現在のバター製造方法と大筋において、あまり変わらない。

 

 主として山羊、あるいは馬の乳を絞って容器にいれ、これを運搬、移動させる間、大いに揺れてその振動でバターになった等とも書かれている。

 しかしながら、容器を揺らすだけでは十分に固まらないので、棒で叩いては掻き回していたようである。しかし、インドでは乳酸発酵に必要なカンゾウの根を入れたうえで叩いていた物と思われる。

 

 この部分の揺するという記述はヘロドトスの記述とも符合している為、古代ではまずは揺すって、表面に浮かんできた脂肪分をどんどん掬い取って、それを練り込んでいった物と思われる。

 

 ところが、古代エジプトで作られていたバターは、少し違い、チーズ製造と同じく牛乳を蒸留させた後で、冷えた液体を揺すって、水分と別れた脂肪を丹念に掬い取り、これを集めたという。

 これは貴重であり、王族や神官に捧げられていたらしい。

 ちなみに、民衆はバターなぞ縁遠い代物で、彼らは豚脂からラードを作り、それを料理に使用していたという。

 

 ……

 

 バターを手作業で作るには、まず激しく攪拌させることが重要で、この作業をチャーニングという。

 バターの原料となる生乳には脂肪と多くの脂肪酸が含まれており、その大きさは揃っておらず、ばらばらである。

 

 大きさも様々な脂肪と脂肪酸を含む、無加工の生乳をかき混ぜていくと脂肪はしだいに分離する。

 更に激しく攪拌を続けると、分離した脂肪がくっ付き出してドロドロになって行く。

 これが脂肪球である。激しい攪拌によって脂肪球を凝集させて、大豆くらいの大きさの粒を生成する。これをバター粒という。

 

 これを掬って取り出し、ここから更に攪拌によって練っていく。これはまだ未完成のバターの様なものだが、これを水で洗って脂肪粒だけ残すと完成である。

 古代の物はこの様な物だったらしい。

 この製造には、それなりに時間がかかったために製造者の手や撹拌器に付いていた乳酸菌によって自然と乳酸発酵が進み、発酵バターとなった。

 実際には、前回作った時の乳清の一部も投入したようである。これによって発酵が盛んになり、香り高いバターが生成された。

 

 その為、()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 発酵バターは、かなりの風味の良さが特徴であるが、発酵させているという事もあって更に発酵が進みやすい。

 つまり発酵バターは案外痛みやすいが故に、長期的な保存が出来ないという欠点が存在する。その為、その当時は製造してから冷蔵もできなかったので遠くへと運ぶ事が出来ない。

 ここがチーズとは決定的に違っていたために、たとえ有塩の発酵バターといえども、最初のころは地中海沿岸の方には広まっていかなかったようである。

 地中海沿岸での油といえば古くからオリーブ油があったために、古代ローマ時代では料理で困ることがなかったからでもあった。

 

 なお、現代の無発酵バターが量産されるようになったのは、産業革命以降であり、機械化が進んでからの話である。

 製造方法が桶の使用から革袋に変わり、完全に機械でやるようになった。

 

 完全に機械化されるまでは、極めて少量の生成を除き、無発酵バターはほぼなかったのである。

 

 なお、一〇〇グラムのバターを作るには二〇倍の生乳、つまり約二リットルの生乳が必要であるが、これは実は季節によって乳脂肪分の含有量が異なる。

 平均して三・七パーセントであるため、一〇〇グラムのバターを作るのに二・二リットルの生乳が必要である。

 

 手作業で絞る二リットルの生乳をかなりの勢いで掻き混ぜ、頑張っても、バターはたった一〇〇グラムしか造れない。これは酪農家にとってもかなりの労働力を必要とした高級品だったのである。

 

 西欧では中世末期から近世において、貴族階級でのもてなし料理にバターが大量に消費されるようになると、領主の厳しい税の取り立てにチーズだけでなくバターが加わる。その為に領内の農民たちが一気に疲弊したほどの重労働であった。

 

 ちなみに、古代インドでは、その貴重さから神様への捧げ物にもなっていた程である。

 

 

 湯沢の友人の雑学より

 ───────────────────────────

 

 マリーネこと大谷は、色んな製造ギルドが集まっている第二商業地区へ、一二人乗りの乗合馬車に乗って向かうことにしたのである。

 

 次回 第三王都第二商業地区の見学2

 第二商業地区に向かったマリーネこと大谷は、さっそく周りの店を見ていくが、そこに自分の知っている乗り物を見つける。

 偶然にもジウリーロ・セントスタッツが来ていたのだった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ