203 第19章 カサマと東の街々 19ー42 マリハの町と別れ
鎧の修行は終わり、マリハの町に滞在する理由はもうない。
あの老人の真の姿には驚かされたものの、彼はマリーネこと大谷をリルドランケンの高弟と認めたのだ。
そしてマリーネこと大谷はトドマに戻る事にしたのである。
203話 第19章 カサマと東の街々
19ー42 マリハの町と別れ
リットワースの個人工房は、もう誰もいない。
遠くで馬車が走り去る音だけになった。
……
そして馬車の音も聞こえなくなると、急激に静かになってしまった……。
まあ、私がここに来た目的は、果たしたといって良いのだろう。
彼の革鎧を見て、それを作れるようになりたかったのだ。
それはもう、十分に果たした。
最近の北の隊商道で売り出している革鎧も学べたし、彼が昔作っていたらしい、革のスケールアーマーの改良版の様な革鎧も学べた。
まあ、ロリカ・セグメンタタの様な薄い板金による複合型プレートメイルが見れなかったのは残念だが、この王国では、あまり意味がないのかもしれない。
ただし、他の国では作っている可能性はある。王都や大きな都市で見る事が出来たら、またその時に学べばいい。
今回、リットワースがここで作っていた、複合鎧であるブリガンダインも見る事が出来た。
ブリガンダインに必要なあれだけの鉄。必要になる鍛冶作業。到底、町の中では無理だな。あれは、カサマではやれる場所がない。だから、ここに来たのだな……。
加えて、皮を発注して、真司さんと千晶さんの革鎧も作れた。上半身だけだが、ちゃんと作れたと思う。
まあ、あの人は人の作ったものを褒めることはしないのだろう。私が作ったもので、よく出来ているといったのは、あの魚の跳ねている錫細工だけだ。
あれは独立細工師になるための試験だと彼は言った。
もっとも、私はまだ正式に細工ギルドに入門すらしていない。
私は細工ギルドの標章を持っていないし。
だが、細工を続けていれば、いずれ、会う事もあろうと言っていた。
勿論、あの場での社交辞令だろうけど……。
あの爺さん、まだ細工は続けるっていう事だな。
まさか、あの爺さん、あんなに立派な姿をしているとは、想像もしなかったが。
彼がこの世を忍ぶ仮の姿が、あまりにも汚さ過ぎただけだな。
彼の本当の姿を知るのは、彼の家族と特に懇意にしている上等な客だけという事だ。
……
とにかく、この手紙と箱を持って、雑貨屋に戻るべきだな。
あと一日泊まって、明日にはここをでる準備だ。
「ただいま」
「早かったわね。マリー」
レミーとエイミーが出迎えてくれた。
「どうだったの」
「私は、あそこを、卒業、という事、みたいです」
「へー、マリー凄いぢゃん」
「リットワース様は、今日、鎧の、納品と、共に、カサマに、戻られました」
「何かあったのね。マリー」
あの光景をどういうべきかは分からない。
そこにカサンドラが奥から出て来た。
「カサンドラ伯母さん。リットワース様、いえ、リットワース師匠様は、先ほど、カサマに、戻る、馬車に、乗られ、ましたが、とても、高貴な、人に、見えるほどの、お姿を、していました」
「えぇー」
レミーとエイミーから、同時に驚きの大きな声が上がった。
「ふーん。もしかして、紫色の正式な服を着て、帽子を被っていたって事かい」
「はい。背筋を、ぴんと、伸ばして、独立細工師の、標章も、身に、着けて、おられました。それと、前日には、お昼から、ずっと、体を、洗って、いたのです」
「そりゃあ、明日にでも大雨が降るか、雪でも降るかもしれんわ」
そういって豪快に笑った。
それから、カサンドラは目を眇めて店の棚を眺めていたが、それはどこか遠くを見る目だった。
「もう、あいつがカサマに行ってからは知らんけどさ。嫁さん貰った頃の、あいつは、大事な大事な、特別な客が来る時だけはそういう恰好だったさ。そんなに大事な客が来てたのかねぇ」
「貴族の、様な、服装の、お二人が、来ていました」
「そうかいそうかい。あれの服は今回、カサマから持ってきたのかねぇ」
そう言って、彼女は一度目を閉じた。
「それと、卒業って聞こえたが、何か作らされたかい」
「はい。小さな、細工の、置物です」
「ほー。それで、あいつは何か、いってたかい?」
「指定された、物と、全く同じ、ではない。だけど、良くは、出来ている。だそうです。でも、私は、物を、知らない、のだそうです」
「ほー。物を知らない。か」
「私は、もう、細工師と、しての、技術は、あるけれど、人々が、どんなものを、細工に、求めて、いるのか、それを、知らなさ、過ぎると、リットワース師匠様は、言いました」
「あいつがそんなことをねぇ」
「それで、第三王都に、行きなさいと」
それを聞いてカサンドラは笑った。
「ま、決めるのは、マリー、お前さんだ。それにリルドランケンの所に一度、戻るのだろう? 報告もあるのだろうし、その時にあの老人によく訊いてごらんよ」
「はい」
「じゃあ、まあ。今日はマリーの卒業祝いだわ。何か買ってこようかね」
そう言ってカサンドラはお店を出て行った。
カサンドラが出ていくと、レミーが黒いお茶のはいったやかんのような容れ物を持ってきた。
器は四つだが、三人分を注いだ。
「ふーん。卒業式みたいな感じだったのね。それで、マリーがそんな服を着てるんだ」
エイミーが珍しそうに見ている。以前に一度だけ、洗濯の際にカサンドラが手に取った服である。
「艶のある、紫の、服の、ほうが、細工ギルドの、正式な、服みたいで、良かった、のかも、しれないですね」
「いえ、いいのよ」
そう言ったのはレミーだった。
「何処の工房でもそうだけど、工房ごとに取り決めがあるの。工房の親方の人が、この服にしなさいと言えば、みんなその服になります。でも、リットワースさんは独立細工師。あそこは彼の個人的な作業場よ。正式な工房じゃないわ。マリーはあそこの雇われ職人じゃないのだから、服は何でもいいのよ」
そう言ってレミーはお茶を飲んだ。
「へー、お姉ちゃん、そんな事、知ってるんだ」
「ペスカロロさんのあのお店でね。裁縫ギルドの人が来ていた時に、すこし服の話が出ていてね。それで聞いたのよね。工房で親方が変わると、親方が指定する、同じ色の同じ装飾の服が必要になるから、まとまった数を作るそうなの。その時に尋ねたら、少し教えてくれたのよ」
「じゃあ、細工ギルドだからって、みんな同じ色の同じ服って訳じゃないんだねー」
「親方の考え方次第のようよ。余り他と違うのは良くないって思うか、他とは違うのがいいって思うか。極端に分かれるらしいわね。でも、工房の服は親方の負担だから、工房を譲り受けた場合、前と同じにするって思っていれば、新しく作る負担がないから楽よね。新しく来る人の分だけで済むもの」
「へー。だから新しく工房造るのには沢山のお金が要るのねー」
「そうよね、職人さん集めないといけないし、服も支給ですからね」
なるほど。独立になると、個人作業か新しく職人を集めて工房にするか、決めないといけないのだな。
いやまてよ。以前読んだギルド概要書だと、親方の跡を継ぐか、独立かは書かれていたが、独立した職人が、自己資金で新たに工房を持つ場合、どういう制約があるかは、載っていなかったような気がする。
弟子を取らない場合は、独立工房にはならないんだったな。
つまり、ここのリットワースの作業場は現在、正式な独立工房ではない。ということか。彼が若かったころには、職人もだいぶいたのだろうけれど。その時に一度閉じたとすると、彼はギルドマスターの許可を得るために、態々ベルベラディ支部まで行ったという事になる。なかなか大変だな。
彼の事だから、誰かを指名して跡を継がせるとかそんな事はせずに、ギルドマスターに通告して、そこにいた職人は他の工房に移らせて、工房を閉じてしまったのに違いない。
ただ、作業場の登録抹消まではしなかったのだろう。何かの折に使うかもしれないから残したのだ。
そしてリットワースはカサマにお店を開いた。完全に個人商店だな。
リルドランケンの場合は、もうお店すらなく、完全に個人作業で作ったものを特定の場所に卸しているだけだ。
どんな事情があるのか、それは判らないのだが、あれほどの腕前を持ちながら、第一線から身を引いてしまったというのには、何か相当な理由があるのだろう。
……
この日の夕食は、カサンドラが買ってきた、鳥肉だった。多分、安くはない。
これはどんな鳥なのだろう。もう羽根も毟ってあるうえに、適当に切られていて、全体も分からない。
その鳥肉を、カサンドラが料理した。魚醤をメインにしたタレを塗っての竈焼き。
それに、パンとスープ。湯掻いた野菜に甘酢。
手を合わせる。
「いただきます」
全員で鳥肉を食べて、姉妹が細工師おめでとうを言ってくれるのだが、実際には私が独立出来た訳ではない。
鳥肉はいい味がしている。魚醤ダレを塗って焼いただけなのだが、この鳥肉には旨味があった。特に脂身の近くは堪えられない味だ。
これでお酒があればな。と思うのだが、既にここは異世界。元の日本なら、日本酒で一杯やりながら食べたい味だった。
残念ながら、私は元の姿ですらないのだ。この体がお酒を受け付けるかどうかすら、判らないのだった。
しかし、この味だけでも、十分満足した。
パンと、甘酢掛けの湯掻いた野菜も食べ終えた。
「ごちそうさまでした」
手を合わせる。軽くお辞儀。
さて、リルドランケンの弟子といっても、私は正式な弟子じゃないからなぁ。
実際、内弟子とも違う。彼の家に住み込みで習っていた訳でもない。
リットワースが独立細工師になるための試験を、私に課すとかいったけれど、それだって正式な物じゃないのだ。
何しろ彼は今や工房の親方という訳でもないだろう。
つづく
マリーネこと大谷は思う事は色々あれど、鎧に関してはもう十分に学べた実感があった。
ただ、細工ギルドに入門させてすら貰えなかったことは気になった。
デュラン一家と夕食。何時もとは違う鳥肉の主菜だった。
それはマリーネこと大谷の細工修行の卒業を祝ってくれたものだった。
次回 マリハの町と別れ2
マリーネこと大谷は、あの素朴な革職人である、ニッシムラの事がずっと気になっていた。
町の代表に会う事にした、マリーネこと大谷である。