202 第19章 カサマと東の街々 19ー41 マリハの町と老人の正体
前日に体を洗った老人はまるで別人となって現れ、マリーネこと大谷は、彼の本当の姿を目撃したのであった。
202話 第19章 カサマと東の街々
19ー41 マリハの町と老人の正体
翌日。
私は服をどれにするか、迷った。赤い服だな。
上下の赤い服に、赤い上着。白いスカーフ。金の階級章。そしてハーフブーツ。
何時もの様に、小さいポーチ。
赤いお洒落服を着て、工房に行くというのが、ちょっと不安だった。
到着して気が付いたのは、工房はどこも閉まっていて、どうやら内側から閂が掛けられている。裏手に回ると、作業小屋の裏手のドアは鍵が掛られていた。
倉庫も鍵が掛かっていた。
そうなれば、彼が住んでいる母屋の方に向かうのだが、その時に森の小径の方から、音がした。
リットワースの工房の庭というべき空き地に馬車が二台到着した。アルパカ馬を縦列で二頭立て。
箱馬車の横には、大きな紋章が描かれていた。
そうか。この工房に来るために、アルパカ馬を並列じゃなく縦列にしたのだ。そうじゃないと、あの森の中の小径が通りにくかったのだろう。
幌付きの荷馬車から、まずは傭兵の様な人が降りてやって来た。
整った簡素な革の鎧。腰には長剣。精悍な顔。長い尖った耳。身長は二メートル程だ。顔立ちはどことなく、オセダールの宿で見た、あのルイングシンフォレスト隊長の連れていた優秀な傭兵たちを思わせた。ということは、オセダールが言っていたオルトガルト国の人たちだろうか。
丁度その時だ。リットワースは木箱を持って、表に出て来た。
木箱は多数。
彼はどんどん家の外の庭に運び出す。よく見ていると全部で八個だ。
彼は家の中に戻り、長い長い革のエプロンを外し、彼は帽子をかぶって出て来た。
そして、最後に家の両開きの扉に鍵を掛けた。
彼は、今日はきちんとした服を着ているのだ。
そして、なんと。今日は背筋がぴんと伸びている……。背骨が曲がってしまった訳じゃなかったのだ。
初めて見た姿。
それはリルドランケン師匠ですら、着ているのを見た事の無い、やや艶のある濃い紫色のきちんとした、どちらかといえばややゆったりとした貴族の様な服。
膨らめてある肩と袖には金糸の飾り。頭にはやや膨らんだ帽子に、やはり金糸の飾り。色は同じく濃い紫。
そして首からぶら下げている丸い標章。独立細工師と独立鍛冶師の二枚。
それは細工ギルドと鍛冶ギルドの標章であり、彼はダブルタイトルの持ち主だった。革の鎧は勿論だが、あの鉄の板を叩くときの手際を見れば、鍛冶師としての腕前は疑う余地が無い。
彼は鍛冶師としても、おそらく相当な腕前だろう。刀匠として武器を叩いていないだけ、という気がした。
馬車から降りて来た革鎧を着込んだ傭兵四人に囲まれて、二人の男がリットワースの前に出て来て、深いお辞儀を二回した。
この二人も上等な服を着ていて、まるで貴族の様にすら見える。
それから、あの木箱の前に彼らは移動した。
箱を開けると、そこに入ってたのは鉄板がリベット止めされている、あの複合鎧。
それらは、それぞれの箱の中に四着分。彼はいつから、アレを造っていたのだろう。
いや、彼がカサマから失踪後の、マリハの工房で皮と鉄を調達して以来、ずっと造り続けていたのだろう。
それから、別の箱を一つ開ける。その中には革の複合鎧。
この箱も四つ。四着分だ。
男二人は、その箱の中の複合鎧を検分していた。
男の一人が呟いた。
「リットワース殿の腕前は、全く衰える事を知らない。素晴らしい出来だ」
もう一人は、それを聞いて頷いた。
……
リットワースは、それから私の方を向き、ゆっくりと、右手を肩の位置ほどに上げて、掌を私の方に向けた。
それから、まるで歌うかのように、こういったのだ。
「それでは、マリーネ・ヴィンセント嬢よ。かの、高名なる、ギオニール・リルドランケン殿の最後の高弟よ。儂は、カサマに戻る。この工房は、儂の、愛するべき、場所なれど、今宵限りで、また、長らく、閉鎖と、なろう。其方も、しかるべき、帰るべき、場所へ、戻られよ。このほどは、まことに、ご苦労であった」
そういって、ゆっくりと右手を胸に当て、そして一拍置いてからこれまたゆっくりと親指を外に、掌を上にした。そして僅かにお辞儀。
はっとした。
礼儀知らずとか、汚い、臭い、とかいう、彼の評判は実は本当の姿を隠すためにやっていたのか。
そう考えなければ、目の前にいる彼の事が理解できない。
私も右掌を胸に当てる。
「お師匠様。本当に、名残り惜しゅう、ございます。ほんの、束の間、短い間では、ございましたが、お世話に、なりました。とても、勉強に、なりました。心よりの、感謝を、申し上げます」
それから深いお辞儀。
また、彼はゆっくりと喋った。
「よい。其方には、この箱と、書状を、託そう。持っていくがよい」
もう、まるで別人。それは、高名な芸術家の面持ちですらある。
ゴルティン・チェゾ・リットワースは、リルドランケンに渡す書状と何かが入っている箱を差し出した。
私は、恭しくそれを受け取る。
皮紙には封印の蝋が施されていた。箱の方もだ。まだ開けるなということだな。
「マリーネ・ヴィンセント嬢よ。其方が、細工を、続けておれば、いずれ、会う事もあろう。それまでの、暫しの、別れと、いたそう」
彼はそう言って、男たちが乗って来た馬車に一緒に乗り込み、この工房を後にした。
傭兵たちは鎧の入った箱八つを馬車に積み込み、先に出ていった馬車を追いかけて森の中に消えた。
馬車の去る音が少しずつ、遠くなって行く。
……
もう、リットワースはこの工房に来る事はないかもしれない。
来るとすれば、きっと息子の方だろう。そんな気がした。
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老人がなぜ、機嫌悪く、カサマの家を出たのか。
それは、この鉄板を叩きながらくっ付けていく革鎧、即ちブリガンダインのような複合鎧を造らねばならなくなったからであった。
とある大きな商会から注文が入ったのだ。
家族と共に半分隠居しながら、革鎧を時々納めていた老人だが、その昔に大変世話になった事のある大商会が、どうしてもと、ねじ込んできたのだ。
息子夫婦と孫を置いて、移動しなければならない、家族思いの老人が機嫌がいい訳もなく。
鉄を溶かし叩く、鍛冶設備はカサマの自分の工房には無いからだった。
そうなれば、昔使っていたマリハの工房を使うしかないのだが、かなり長く放置したせいもあり、革は全てが使えない状態だった。
それで、老人は自分がよく仕入れているマカマの革問屋から調達しようとしたのだが、混乱しているマカマでは調達できず、マリハにある自分の工房に行き、マリハの商会に大量発注したのだった。
カサマの工房にこういう施設がない理由は、はっきりしている。
鉄を叩く音がうるさいので、街中では思いっきりは叩けないのである。
それでは鍛冶にはならない。
そして、彼の仮の姿が、なぜあれほど変人だったのか。
それは彼の腕を知る有象無象が、弟子にしてくれ、鎧を作れ、と押し寄せるのに懲りていたからでもあった。
それを着る戦士たちが生き残れるようにするために、精緻を凝らして造っては渡す、その鎧で直ぐに死なれては、造った甲斐もない。
弟子を取っても、その彼らが長くは続かず、リットワースについて行く事が出来ずに辞めていく。彼にとっては、いくら育てるといっても限度があった。
彼は細工工房の足手まといにしかなっていない、腕前の未熟な弟子を取る事もやめたのだった。
腕のいい職人たちだけで、やってはみたものの数が作れない。
少数精鋭では、単純に需要に対して供給が追いつかないのだ。
そうして、彼は次第に少数の上級者にしか、造らなくなっていった。
怪我をすることは多少あれども、死ぬ所まではいかない上級者たちは、彼の鎧をとても大切にした。
彼はわざと新規の顧客に冷たく当たり散らして、無礼な真似を働いた。
それでもなお、造って欲しいという客だけを選ぶようになったのだ。
彼はカサマにて、最愛の夫人を亡くしてからは、余計に仕事を選ぶようになっていく。
それは息子との時間を増やすためでもあった。
それで、制作時間をそれまでの物より大幅に短縮した革鎧だけを、北の隊商道でのみ、売り出したのである。
息子は無事に成長し、嫁も貰って息子夫妻には子供も出来た。
彼には、まだ孫が増えるかもしれない。
そんな老人にとって、もう精緻を尽くした複合鎧を造るのは、人生の目標ではなくなっていたのであった。
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つづく
第一王都随一の細工師としての腕前を振るっていた事のある彼は、往年の姿を彷彿とさせるいでたちで、客とマリーネこと大谷の前に現れたのだった。
そしてマリーネこと大谷に別れの言葉を告げ、カサマに戻っていったのである。
次回 マリハの町と別れ
鎧作成の修行は終わったのである。
マリハの町に滞在する理由はもうなくなっている。
マリーネこと大谷はトドマに戻る事にしたのである。




