201 第19章 カサマと東の街々 19ー40 マリハの町と細工試験品の作成
言われた錫細工をたったの六日で作り上げなければならず、マリーネこと大谷は本気で取り組む。
全力で作らねば六日ではできないのだ。
201話 第19章 カサマと東の街々
19ー40 マリハの町と細工試験品の作成
翌日。
作業開始。
まず、雑貨屋に置いてあった『やっとこ』や、坩堝の入った革のバッグを持ってくる。道具は重要だ。
そして、まずは魚を全力で彫る。大きさを同じにするのだ。
台の方もやらなければならない。水が跳ねている部分の水滴は、後から作るしかない。
これは、ぎりぎり二日目に、なんとか彫り上げた。
老人はずっと私の後ろで、作業を見つめていた。
次は、直ぐに粘土だ。作業小屋の奥にあった粘土を捏ねて、木型に付ける。
湯口は、尻尾の方だ。湯抜きも付ける。ヒレは別パーツだ。これも粘土の中にいれて、湯口はヒレの根本。
粘土を木の枠で挟んで固定。
乾かしている間に、台座の周りの額縁のような部分を木材で、綺麗に飾り彫りだ。これも失敗は許されない。一発で仕上げないといけない。
集中する。ここはたった一日しか時間が掛けられない。
夕方になる前に、炉の横で錫と鉛、亜鉛を溶かしていく。
そこで、型から木型を慎重に外して、粘土の方に、溶けた錫合金を流し込む。
ゆっくりと。気泡が出来ない様に流し込んで、溢れる所で終了。
残った錫合金も使う。ベースになるほうに流して置き、残りは水滴などを作るのに使う。
後は冷えるのを待つのだが、ここで家に帰される。
翌日。
直ぐに工房に来て、型から取り出す。魚の方を取り出して、直ぐに彫金。
ベースの方、波紋は出来ている。飛びあがった時の水滴は、これから作る。
これで二日が終わる。
最終日は、細かい作り込みだ。
錫を溶かして、飛沫に近い形を作った粘土に流す。
跳ねている水滴は、飛沫に近い形を作った部分に溶接し、この全体を更に台座に載せて、隅を錫溶接する。
ここで気が付いたのだ。あの先が恐ろしく細い平たい金属や丸い金属が、何故細工用なのか。あれは粘土の雌型に細かい作業を施すものだと思っていたが、たぶんそっちは副次的なものだ。
本来は、この棒を熱して、三〇〇度C以上にして錫を溶かし半田ゴテの様にして使うのだろう。そうして、錫合金に、模様を描いたり、溶接したり出来るのだ。
私は革手袋をして先端を熱し、溶接が必要な場所にこの棒を当てる。表面に滑らかな凹みなどを付けたい時は、先端が楕円の棒を同じ様にして、熱してから当てる。これでどんどん作業が進んだ。
魚のヒレを溶接する。
先にヒレに、錫と鉛を混ぜたものを付ける。ようするに半田だ。
元の世界での、鉛フリーじゃない時代の物は、錫六割、鉛四割程のものがよく使われ、細かいところを半田付けするには、更に錫が多い物を使った。
次に魚とヒレを固定して、そこに熱した棒で、ヒレの根元を僅かに溶かして、溶接。
台座の方は、波紋の中心に穴をあけた。これも熱した棒で必要な大きさを最低限開ける。
ここに魚の尾びれの曲がった部分を載せるのだが、ここに真鍮の棒を半田溶接し、台座の下で曲げて、半田で溶接。
台座の周りに額縁を取り付ける。
ようやく完成。少し布で磨く。
振り向くと、老人がずっと、目を眇めて私の方を見ていた。
老人はそれをいきなり、私から取り上げるや、箱に仕舞った。
まだ判定を聞いていない。
「お前は、今後どのようなものを作りたいのか、それを聞いておかねばならぬ。お前は、儂のような鎧職人になりたい訳ではなかろう。今後、細工師として、何を作る?」
「えっ」
しまった。考えていなかった。私が鎧職人にならないと思ったのは、何故だろう。
少し考える。リットワースは、私が細工師としてやっていこうとするのなら、その芯は何なのか、それを問うているのだろうが……。
たしかギルドの概要書には、細工は、宝石加工とか、宝飾品の事が記載されていた。
「ゆ、指輪とか、髪飾りとか、胸飾りとか、首飾り……」
リットワースは私を真っすぐに睨んで、言い放った。
「お前は、今、思い付きだけで、ゆうておるだろうよ。つくづく、不思議なやつぢゃ。お前は、どんな物でも作るぢゃろうし、作れるぢゃろう。ぢゃがな。お前は物を知らぬ。どんな物が求められておるのか。その形がどんなものなのか。そうぢゃろう?」
言い返す言葉はなかった。
実際、リルドランケンのあの家でも、人々が求めているであろう、細工物を思いつかなかったのだ。
「はい……」
「お前は、学ばねばならんぢゃろうよ。もっと都会でな。こんな片田舎で、やっておっても、しょうがない。第一王都とは言わぬ。第三王都か、第四王都に行くがよいぞ。視界が広がるぢゃろう。しかし、第四王都だと、隣のクルルトの影響が強いかもしれぬな」
「住んでいる、方々が、ですか?」
「そうぢゃ、あの貧乏王国から出稼ぎに来ておるからの。第三王都のほうが、もっと色んな国から来ておるわな。お前が行くなら、そっちぢゃろうな」
「まあ、今日はもう帰れ」
そういうと老人は、母屋の方に向かっていった。
帰れと言われれば、帰るしかない。しかし、この六日間の努力の結果をどうにも評価してもらえなかったのは、かなり堪えた。
翌日。
リットワースは、箱を出して来た。
箱の中には昨日、私から取り上げた細工物が入っていた。
彼は私の作った細工物を、表に出て明るい庭で見始めていた。
「これは、本当によく出来ておるな。ぢゃがな。これは完全な複製とは言えん」
「大きさが微妙に違う。お前の作った、こちらの方が少しだけ大きい。これは型を作る時の木彫りが、そのままだったのじゃな」
老人は、作業場に行って、私がやっていた作業の跡から、元になった木型を持ってきた。その時に、これを作れと言った、元になった魚の跳ねた細工の置物も持ってきた。
「どれ。これがそのときの木型の魚ぢゃな。成程な。この大きさは、まさしく、こっちと同じぢゃ。ぢゃがな、粘土の型が乾いたあと、金属を流し込んだ時にほんの少し、型が熱で膨らんだのぢゃ」
老人は木型を一度、撫でた。
「粘土をもっとよく乾燥させれば、水分が抜けて、そうはならなかったかもしれんが、依然として僅かに大きかったかもしれん。大きさの違いに気が付いて、作り直す時間はない。そこは一度では見切れなかったという事ぢゃろうな」
老人は、なおも私が作った木型を見ていた。
「それ以外には、違いというても、殆ど、いや、さっぱり見当たらぬな」
老人は、今度は台座の裏を眺めていた。
不意に老人が、私の方を見て、こう言った。
「これは、儂が預かる」
彼は小さな箱にそれを仕舞った。
それから老人は母屋に入ってしまい、暫くすると大きな盥桶を出してきて、井戸のすぐ近くに置いた。そして小ぶりの桶で何杯もの水を井戸から汲む。
老人はそこでいきなり服を脱ぎ始めた。
そう。リットワースは、その日の午後、まだ太陽が真上にあるような時間から、井戸の横で水浴びを始めたのだ。
体を丹念に乳石で洗って、垢を落としていたのだ。ボロボロと落ちていく垢。
水はあっという間に汚れるのだが、老人は桶の水を頭から被るや、この大きな盥桶を、井戸の横で零す。そしてまた、水を汲んだ。
腰巻一丁で彼は体を洗い続けている。
その彼の体は顔ほどには焼けていない。そして老人とはとても思えない筋肉質の体。ぶよぶよな部分は微塵も見られなかった。
全く持って、信じられない。いったい何が起きているのか。
見ていると、老人が少し癇に障ったのか、口調厳しく、私に言った。
「儂の水浴びなんぞ見てるんじゃねぇぞ。さっさとけえれ。明日はそんな服で来るんじゃねえぞ。道具もいらん。今日、全部持ってけえれ。明日は持って来るなよ」
何時もの口調に戻っていた。それだけ言うと、彼は頭も丹念に洗い始めていた。
明日、一体何があるというのか。誰かと会うのか。
もしや、商業ギルドの監査官が来るのかもしれない。
あの人たちは匂いに敏感だ。査察でもあるのだろうか。それだから老人は体を洗い清めているのか。
取り敢えず、私は、道具箱と革のバッグを持って、急いで雑貨屋に帰る。
そんな服で来るなという、リットワースは、要するに作業着で来るなというのだ。
私は裏庭の井戸の横で頭を洗い、顔も丹念に洗った。シャツも脱いで、体をタオルで拭く。
風呂に入れなかったのがいたいが、それはしょうがない。
つづく
ようやく、期限内の六日でぎりぎり作り上げたマリーネこと大谷。
然し出来上がった作品を老人はすぐに取り上げてしまった。
そして翌日はいきなり水浴びを開始する老人である。
戸惑いしかなかった。
次回 マリハの町と老人の正体
まるで別人となった老人の正体を見せつけられたマリーネこと大谷。
そしてそれは、鎧修行の終了でもあった。