187 第19章 カサマと東の街々 19ー26 マリハの町と複合鎧2
マリーネこと大谷を放置して、老人は鉄を叩き始めた。
金属をも使う、革鎧の製作途中だったのだ。
187話 第19章 カサマと東の街々
19ー26 マリハの町と複合鎧2
老人は、相変わらず機嫌の悪そうな顔だ。
いいとも悪いとも言わない。
「これは、時間かかるぞぃ。それはほっておけ」
そう言い放つと、老人は、急に作業小屋の奥にある炉の方に向かった。
その炉は明らかに鍛治のものだ。すぐ横には鉄砧もあった。
「儂の鎧づくりの邪魔、すんぢゃねえぞ。小娘」
彼は鞴を動かして、炉の温度を上げていく。
こういう作業は、あの山の村で、だいぶやった。
私は目の所と鼻や口を覆うタオルを持ち出して、顔に装着。
老人は体格に似合わない力強さで鞴を動かし、どんどん酸素を送り込んでいく。
老人は凡そ八五〇度Cまで、一気に炉の温度を上げてみせた。
やっとこで掴んだ四角い、やや厚みのある鉄らしい板を加熱している。
この板は四隅に丸い穴があった。という事は、これは後から穴を開けたのではあるまい。型に流したのだろう。
熱が十分に回って赤くなり始めるや、老人はハンマーで叩き始めた。
昼前に聞こえていた音は、これだったのだな。
鋳造ものだから、ここで再加熱して鉄を叩いているのか。
老人がこういう作業も熟達しているのは、間違いない。
私の見極めの眼で見ても、それははっきりと判る。何しろ老人が叩いている場所は密度に斑がある場所ばかりなのだ。叩いて行くことで密度を合わせていくのだ。
鉄の板を叩く音が途切れることなく続く。
「うろちょろするでないぞ! 気が散るわい。小娘がっ!」
やれやれ。私は動いてすらいないのだ。タオルで顔を覆って、作業を斜め後ろからずっと見ているだけなのだ。
しかし、とにかく何か文句を言わないと気が済まないのだな。
なるほど。これでは最早手伝うような同業者も、弟子もいないのだろう。
取り敢えず、一歩離れた。そこからずっと彼の手元を見つめる。
老人はどんどん叩き、それを一度、水の中に入れると床に放り投げた。
更に別の一枚をやっとこで掴むと、再び過熱。叩いていく。
たぶんこれは、胸や腹の所に配置する、鉄の板だ。
あの丸い穴は、リベット止めするのに違いない。これは、おそらくはブリガンダインだ。
まだステンレスやアルミなどあるまい。となれば、銅を用いて造るか、亜鉛などを混ぜた、合金になるだろう。洋白の様にニッケルも混ぜるか。銅と亜鉛だけにするかは分からないが。やや、柔らかくしたうえで強度を持たせるには、混ぜる必要があるのだ。
リベットは片方を予め、平らな傘として、その反対側を叩くと丸く広がるようにするために、素材に柔らかさが必要だ。そしてその為に、叩くのに専用の治具がいるのだ。
治具を上に被せて叩くと、やや尖った鋲の様な形状で傘の様に広がる。
それで、革から外れなくなるわけだ。勿論、鋲ではなく、丸くも出来るが、その辺は使用者の好みに合わせて、となる。
元の世界での、ブリガンダインは、私は写真でしか見た事がなく、実物はお目にかかったことはない。だが、前面背面合わせて六〇枚ほどの細長い鉄板を革に縦方向で並べて、リベット止めして造る。しかもこれで、上半身だけだ。
下半身の方は、前垂れ、横や後ろの垂れ、脚に付ける部分まで、こうした金属を使うかどうかで、手間もコストも変わってくる。そこも金属なら、必要枚数は倍になる。
まず、それだけの枚数の鉄板をハンマーで叩いて、手作りするのだ。
重さの事もあるから、一枚の鉄板をあまり厚くは出来ない。六〇枚で一〇キログラム程度には留めたい処だ。となれば一枚は精々一六〇グラム程度しか許されない。これの大きさは、幅四センチから五センチ、長さは一二センチから一四センチ。
この大きさで全てを同じ厚さにする必要がある。
そして一〇枚を、まるで短冊を並べるようにして、横一列に配置。これを縦三段。縁の部分は固い革で作るか、ここも鉄板を入れるかで異なる。肩の部分は前は三段で一番上に鉄板を置くか革にするのかは、作者次第だ。
肩の上も鉄板を置くことが多いが、肩を上げたり下げたりする変形に合わせねばならない。
ここも腕が問われる場所である。
そもそも、単純に縦方向に並べただけのものは、背中側の並べ方とか形状を工夫しないと、肩甲骨の部分がかなり当たることになり、剣を振るうにしても、槍を使うにしても、制約が出かねない。
そう。特に難しいのは側面と背面。
自由に振り回せるかどうかは、前だけではなく、後ろと脇に配置した金属の形状や並べ方に強く依存する。
肩甲骨の辺りをどう作るかで、作者の腕もかなり、問われる。
何故なら、ここに縦方向の鉄板を単純に張ってしまうと、肩が自由に動かせなくなるのだ。ブリガンダインが、制作者の腕が問われる。というのは、主にこういう部分である。
ただ単純に鉄の板を並べただけでは、それはいい鎧ではない。
やたらと鉄の板が当たる感じがすると、着心地がかなり悪い上に、武器を振り回すのに邪魔になったりもする。下手をすると、当たる場所に痣が出来たり、血豆が出来たりしたのだという。
作業場の奥には、木偶人形の胸に革があった。上半身にだけ革が掛けられているが、袖はない。肩の防具と腕は別に作るのだろうか。
見ていると老人の叩いている金属は、短いものなども出て来た。
これはたぶん、肩の前の方を覆う物だろう。
老人が今作成しているのは、恐らくはブリガンダインだが、革鎧では一番といわれた彼の革の鎧造りを見てみたかったのだが。
北部では、雷を撃つ魔獣が多く、こんな鉄の入った鎧は、どうぞ雷を打ってくださいと差し出しているようなものだ。だから、これは北部の冒険者や傭兵の依頼ではない、という事だろうな。
老人はもう一心不乱に鉄を叩く。
ずっと鉄を叩く打音が鳴り止まない。響く響く。
鉄の板は、もうあらかた、全部出来上がっていて、密度が均一では無いものから、叩き修正していた訳だが、それもほぼ終わりのようだった。
老人は、大量のリベットを箱に入れて持ってきた。
たぶん型に流して造ったのだろう。これを叩く専用の治具もある。
老人は木偶から革を降ろした。
老人は、リベットに油を塗った。
あの油は鋳鉄の方の錆止めだろう。あれを常にやっておかないと、あのリベットが同じ鋳鉄ではない以上、ガルバニック腐食が簡単に発生する。
もっとも、汗などによる塩分に加え、雨などで水が染み込んだ場合、早く油を塗らないと鋳鉄は簡単に錆びる。
老人は、黙々と作業を続けていた。
革鎧の内側と、外側の皮。その間にこの鉄の板を入れて、リベットを裏側から通して、表面の革のやや小さい穴を衝き通して、そこに専用の治具を上からあてがう。ハンマーが下ろされ、叩く事、数度。治具が取り外されると、そこには円錐の鋲が出来ていた。
左上の穴をやったので、今度は右の下。次はその隣に鉄の板を置いてゆく。
……
たった一人で、複合鎧であるブリガンダインを作っているのだ。普通なら、まったく割に合わない行為だ。
老人のその力の入れ具合を見る。
叩く衝撃力はどれくらいか。四回程度で、ほぼあの鋲の形に変形する合金という事だ。
亜鉛もかなりいれているだろうが、銅六割、亜鉛四割、六・四真鍮だろうか。
引っ張り強度を上げるために亜鉛を入れるのだが、四三パーセントを越えてはいけない事が解っている。勿論、元の世界の知識だ。
ただ六・四真鍮は、冷えている普通の時の加工性が悪い。冷えているとあまり伸びてくれないので、通常の温度でもそれなりに加工可能にするには亜鉛を減らし三割程度とするのだ。
となると、この老人の手作りのリベットは七・三真鍮ぐらいの亜鉛含有量だろうか。もしかしたら錫も含んでいるかもしれない。
この老人が、長い経験からこのような合金を選んでいる可能性はゼロではない。
もっとずっと柔らかい銅の合金に丹銅がある。これは真鍮とは呼ばれない。四パーセントから二二パーセントまでの亜鉛で造るものだが、これでは銅が多すぎて、柔らかすぎるだろう。
老人は一心不乱にハンマーで、鋲うちしていたが、急に私の方を向いた。
「小娘。儂はもうねる。おみゃあは、けえれ。何処だか知らんが」
「明日、また来ても、よろしいですか?」
「好きにしろ。おみゃあが何を見たいのか、それ次第。さっさとけえれ」
「では、失礼します」
お辞儀をして、リュックを背負う。まだ鍛冶の装備のままだが、早くここを出ないと、また老人が強烈に不機嫌になって、もう来るなと言い出しかねない。
まだ日暮れまでは、少し時間がある。
森の木立を抜けて、私は辺りにある畑の横まで出た。
畑の横で私は革製のエプロンや革手袋、顔や頭に巻いた、鍛冶用のタオルを外してリュックに仕舞った。
畑のある場所を抜けると、もうそこは町の中。
中央にある広場を抜けて、さらにちょっと行くと雑貨屋だ。
もう夕方近かった。
雑貨屋に戻って、暫くすると夕食になる。
つづく
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大谷龍造の雑学ノート 豆知識 ─ ガルバニック腐食 ─
ガルバニック腐食とは、異種金属接触腐食の事である。
電流が流れる環境において、異種金属を接触させた場合、その組み合わせによっては腐食が大きく促進される場合がある。
接触している異種金属同士の電位差、これは自然電位差であるが、これが大きくなるのと比例して、電位の低い金属の陽イオン化が促進される。
すなわち、イオン化傾向の大きく異なる金属同士において、イオン化傾向の大きな金属ほど、急激に腐食してしまう現象をいう。
簡単に言えば、電位差のある金属が接触している箇所に、水や海水等がかかることで、その場で僅かな電位差ではあるのだが、即席で電池が構成される。
そして異種金属間で電子のやりとりが発生する。
これを防ぐには、全く同じ素材を用いるか、絶縁するのが効果的である。
しかし、同じ素材が使えず、絶縁も出来ない場合がある。
この電位差による腐食を防ぐには、例えば鉄と他の金属との接触面に亜鉛などを厚く塗布することで、亜鉛を犠牲にして鉄の錆を最小限に食い止める、犠牲陽極法という防食方法が存在する。
これは亜鉛が、卑金属だからである。鉄より亜鉛が先に腐食していく。
この亜鉛による犠牲陽極法は現在、様々な物に使われていて、一般的である。
湯沢の友人の雑学より
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大谷龍造の雑学ノート 豆知識 ─ 真鍮あるいは黄銅と亜鉛 ─
真鍮とは、銅に亜鉛を殆どの場合、二割以上混ぜた合金で、黄銅とも呼ばれる。
古くからこの合金は用いられている。これは青銅と並ぶ重要な銅の合金である。
これは青銅器時代には、既に知られていたと考えられている。
青銅器時代とは、エジプトやメソポタミア文明においては紀元前三〇〇〇年頃とされている。
その初期は亜鉛が豊富に含まれる銅鉱石を製錬して、ほぼ偶然を頼りに、自然に得られていた物であろう。
銅に亜鉛や錫などが含まれる、混合鉱石が産出する地域ならば、可能な事である。
ローマに征服される前のダキア人たちは紀元前から金属亜鉛精錬技術に通じていたという。
実はダキア以外の欧州で金属亜鉛を精錬するようになったのは、なんと産業革命以降の事である。
そして、ダキア人以前に金属亜鉛を精錬出来ていた民族は、見つかっていない。
黄銅は銅に亜鉛を混ぜたものだ。若干の錫を加えても、黄銅と呼ばれる。
通常、銅六割以上、八割未満までである。
黄銅の場合、銅に亜鉛を混ぜていくと、まず赤みの濃い銅色から始まる。しかしこれは、正確にいえば黄銅ではない。丹銅と呼ばれる状態である。
更に混ぜていくと、くすんだ様な黄色味がかっていき、次第に黄金色へと変わる。
これが黄銅と呼ばれる。一般的には銅六・五、亜鉛三・五の物を真鍮と呼ぶ。六・五三・五真鍮という言い方もある。
更に混ぜると黄金色は消えていき、帯紅銀白色という金属としては独特の色に変化する。
この帯紅銀白色は銀白色、或いは白色に光るが、割と赤みを帯びて見えるという意味である。これは極めて混ぜ合わせの範囲の狭い銅亜鉛合金である。
更に混ぜると、直ぐに銀白色となる。この状態を白銅と呼ぶ。
亜鉛の含有量が四割の時に、もっとも黄金に近い金色に輝く。
それは金程の輝きではない(ややくすんでいる)が、美しい輝きがあるために、古代ローマ帝国では一部の硬貨に用いられていた(後に西洋では貧乏人の金などとも呼ばれていた)。
この金属は加工も比較的容易く可能であった。
紀元前後の頃には古代ローマ人が、銅と亜鉛の混ざった混合鉱を手でよく砕いて混ぜてから製錬し、武器や様々な金属道具を造り出していたと云う。
しかし紀元前三〇〇〇年の時代には、西アジアや地中海東岸地域でごく少数、使われていたらしい痕跡が確認されている。これは、ほぼ天然の黄銅鉱によって出来上がったものなのであろう。ダキア人以前に亜鉛金属を製錬出来た民族が、確認出来ていない以上、天然の物と考えるのが自然である。
銅と亜鉛、両方の単体金属を互いに溶かし合わせて作るようになったのは、実は一六世紀になって亜鉛金属が『再発見』されてから後の事であった。
それまでは亜鉛を含む鉱石を製錬すると亜鉛は全て蒸気となってしまうために、金属として認識されていなかったからであるという。
(亜鉛の融点は四一九・五度C、沸点は九〇七度Cであり、銅を融解させる時に、全て蒸気となってしまう。)
それ故、銅亜鉛合金の本当の性質は、中世後期になるまで理解されていなかったという。
これが、何処まで本当なのか。
古代ギリシャの文献は、その有用なものは殆ど全て焼かれてしまっている。
そして古代ローマの知識を蓄えた文献も、これまた殆どが失われているからである。
ダキア人がやれていた『金属亜鉛精錬技術』はダキア地方を支配下に置いた古代ローマ帝国にも当然伝わり、貴重な知識として文献となったであろうことは想像に難くない。だが、文献は一つも残っていないのである。
実際の所、古代文明がそうしたことを、全く理解できていなかったとは誰も断言できない。
欧州では、一八世紀から一九世紀に掛けて、亜鉛を単独で効率よく取り出す為の開発が行われたが、これは本当に大変であり、大半は酸化亜鉛となってしまうため、そのままでは使えない。還元作業が必要なのだが、それがまた簡単には出来ない。亜鉛蒸留製錬開発は困難を極めていた。
浮遊選鉱が開発される以前の亜鉛鉱は一部を除いて鉄、鉛、銅などとの混合鉱が一般的であったので、この混合鉱を溶鉱炉で処理して亜鉛を還元揮発させ、煙の中に含まれる酸化亜鉛を煤と一緒に回収し、これを原料とするやり方もあるにはあった。ただし、酸化亜鉛を還元させても、僅かな量しか得ることが出来なかった。
そこで、溶鉱炉で直接液状亜鉛を得る試みが、あれこれと開発されたが、悉く失敗に終わる。必要な圧力が与えられなかったためである。
亜鉛の量産は困難で、ずっと手動の機械によって、細々と行われていた。
『溶鉱炉亜鉛製錬』が工業的に日の目を見るまでには、長い時間がかかったのであった。それを成功させたのは二〇世紀も半ばになってからの事である。
さて、銅に亜鉛を混ぜていくと、次第に引っ張り強度、硬さ、延び性能が上がっていく。ただし、亜鉛を混ぜすぎると脆さも増していく。
銅に混ぜる金属を亜鉛だけでなく、錫、鉛、ニッケル、マンガン、金、鉄などを加えていくと、様々な特別な性質を持つ金属に変化する。特に六四黄銅にマンガン、アルミ、鉄を添加すると『高力黄銅』と呼ぶ合金になり、高い強度と、熱間鍛造性を持つ合金となる。
さて、銅に亜鉛を四三パーセント以上混ぜていくと引っ張り強度はもう上がらない。脆さだけが上がっていく。だから六・四真鍮、あるいは六四黄銅と呼ばれる合金は亜鉛が三七パーセントから四三パーセントまでの物だ。
六四黄銅は強度に優れており、展延性もまずまず良好。溶かして薄い板状態にしたものを、打ち抜いたままや、折り曲げて使うことができるので、様々な場所に使われている。
ただ熱すると、とても加工しやすいが、冷えると加工がやや大変なのが六四黄銅だ。
常温での加工性に優れた黄銅は七・三真鍮、あるいは七三黄銅である。
こちらは冷間加工性、転造性に優れた黄銅で、これまた、色んな物に使われている。
電気機器の端子コネクターの金色の金属部品だとか、スナップボタンだとか、様々な所に使われる。
特に絞り加工に向いていて、深絞り加工されている容器などの真鍮とは、ほぼこれである。
湯沢の友人の雑学より
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マリーネこと大谷は暫くの間は皮を鞣すためのタンニン漬けと老人の鎧づくりの見学しかできない。
次回 マリハの町と深夜の異常
とうとう六日間、淡々と流れ、マリーネこと大谷も、内心はやや落胆。
しかし、それは表に出せない。
そんなこの日の夜に事件が起きた。