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181 第19章 カサマと東の街々 19ー20 マカチャド湖

 マリハに向かう、マリーネこと大谷は、湖岸の街道で一休み。

 再びマリハに向かって歩き出すマリーネこと大谷は予期せぬ事件に遭遇する。

 

 181話 第19章 カサマと東の街々

 

 19ー20 マカチャド湖

 

 西門にはまず警備隊の兵士が四人。

 彼女たちに階級章を見せ、それからトドマ発行の代用通貨も見せた。

 彼女たち四人に笑顔があった。

 門が開けられて、外に出る。外も四人の警備隊員。

 「おはようございます。お世話になりました。行ってきます」

 挨拶をして、彼女たちに送り出された。

 

 街道はここからほぼまっすぐ、西に向かっている。

 北の隊商道である、マカマ街リカジ街接続道の途中にマリハに向かう道がある。

 馬車で来る途中に見えた、あのやや細い街道だ。

 マカマまで行く必要はない。途中で南に向かっている道、あそこまで、走ることにした。

 今の時点では、マリハまでの距離が分からないから、早く湖の近くまで行く必要があるのだ。

 

 街道には人の気配がない。いや、動物も、だな。

 魔物に注意しなければならないが、ゆっくりはできない。

 街道を通る荷馬車も今日は無かった。

 風はほんの僅か、西からの向かい風。背中の反応なし。よし。

 

 私はどんどん走って、距離を稼ぐ。

 

 ……

 

 そして、西に向かう街道と南に向かう道の分岐に到着。

 辺りはやや開けていて、鳥の啼き声が響いている。

 南を向くと、大きな湖。光る湖面がやたら目に眩しい。

 分岐の道に入るとかなり緩い下り。ほぼまっすぐ湖の畔に向かう。

 少し歩いていくと、湖の脇を通る街道に出た。

 

 さて、到着したこの湖がマカマの南にある、マカチャド湖だ。

 かなり広い。いつも思うのだが、ムウェルタナ湖がデカすぎる。あれは、元の世界のカスピ海並みの広さがあるのだ。北米の五大湖だって一つ一つはそれなりに広いが、カスピ海程じゃない。

 

 この異世界のマカチャド湖だって、元の世界なら、それなりの広さがある。

 東西は軽く四〇キロメートルはありそうな広さだ。もう少しあるかもしれない。

 南北はもう少しあるだろう、五〇キロメートル以上か。楕円に近いという感じか。湖面の広さでは、元の世界の琵琶湖が、たぶんこのくらいだろうか。いや、琵琶湖は縦にかなり長い。それで面積は六七〇キロ平方くらいだったはずで、この湖はおそらくはその二倍以上、もしかしたら三倍……。

 

 この湖、相当深いのは間違いないだろう。中心の方の水は波立ってはいるが、深い青い色で、あの辺りは透明度もかなりありそうだった。その中心あたりの湖面が二つの太陽に照らされ光輝いていた。

 普通、こんなに暑い場所の淡水では、滞留すれば直ぐ藻が発生して、湖面は透明ではない。普通なら、淡水湖は見た目が緑色になる事が多い。

 湖岸から見える水も、それ程珪藻があるようには見えない。透明度はさほどないようだが。

 水温もそれなりにあるはずなのにも関わらず。

 だとすれば、あの中央部分に藻が発生しない、しかもプランクトンで大きく濁る事も無い、何か別の理由がある。

 

 そう、物事には理由がある……。それはどんな物にも、だ。

 

 あれは、何かあの近辺に水流があるとかして、藻やプランクトンがその場に留まれないのかもしれない。

 そういえば、この湖にこれだけの水量をもたらす、水源は何処なのだろう。

 西にある低い山ではないだろう。南の山々か?

 

 ……

 

 時々、水鳥たちが一部に集まっては、濁った声を上げている。

 湖面にはかなり変わった立体的な筏を組み合わせた船らしきものが多く出ている。たぶん、あれでも漁船だろう。

 湖面を渡るそよ風が南西から吹き込んできた。ムウェルタナ湖に吹く南風が、こっちに流れ込んできているのだろうか。

 湖の向こう側は深い森とちょっとした山々がある。

 

 私は立ち止まり、そこで少し休憩。リュックを降ろし街道の脇に座り込んだ。

 

 直ぐ近くの地面に小鳥がやって来て、地面の草叢(くさむら)の中に出ては入り、時々地面をつついて虫を咥えていた。

 緑色の濃い羽根の色で先端だけ濃茶。尾羽も先端だけが濃茶。小鳥の顔はやはり濃い緑色で、目の周りが白い。嘴とその根元だけが真っ黒。首元に濃茶の輪っかがある。

 二羽、三羽とやってきて、小さく啼きながら、虫を捜してはついばんでいた。その光景を見ていると思わず和む。

 平和な、そして穏やかな昼下がりだ。

 ふたつの太陽は、もう真上をとっくに過ぎている。

 

 ……

 

 しかし、私はお守りになるポーチを持ってきていない。

 これでは、まったくもって歩く撒き餌状態。カサマからマカマの街道沿いでは、随分出た。

 何処で魔物が、それこそいつ出るのか、全く分からないのだ。

 

 そう。それは十分理解(わか)っている。

 

 湖面を見つめていた私は、思わず溜め息をついた。

 魔物が出てこないうちに、マリハに向かうべきだな。

 

 立ち上がってリュックを背負い、湖畔の街道を見渡す。

 このやや細い街道を湖沿いに北西に向かうとマカマの街。南南東に向かえば、マリハの町である。

 私は、街道を南に向かって歩き始めた。

 

 

 ……

 

 湖畔の街道を歩いていると石畳の道の前方に、いつの間にか男が立っていた。

 「待っていたぞ。貴様を」

 低い声が響き渡り、男が険しい表情で私を睨む。

 

 「ようやく探し当てたのだ。逃がしはせん」

 あれは……。あの顔はリカジの宿で今朝あった……。

 あの、自分の事をちんけな行商人と名乗った男だ……。だが、とても同じ男とは思えない程、雰囲気が激変していた。

 「兄者(あにじゃ)(かたき)、兄弟の仇、今ここで討たせてもらう!」

 そう言った瞬間にはもう、私に向かって全力で走ってきて、ミドルソードが抜かれ剣が繰り出されていた。

 

 抜刀!

 

 ブロードソードで受ける。

 刃同士が当たって、甲高い金属的な音がした。

 「貴様にっ、貴様にっ、兄者も、弟者(おとじゃ)も、親戚の従兄(じゅうけい)も! 皆! 殺されたのだ!」

 物凄い形相で睨む男。

 

 「私の、命を、狙って、きたから、降りかかる、火の粉は、払うだけ」

 「嘘を吐くなー! 兄者はこんな子供姿の者を相手に殺す事など、ありえぬわ!」

 「諦めて、頼んできた、商会に、帰れば、命は、とらないと、私は、言ったわ。」

 「金の階級だかなんだか、お前はただの殺人者だ!」

 

 「俺のっ! 俺のっ! 兄弟、皆ごろしの、殺人者めが!」

 激情に駆られている男は、最早私の言葉など何も聞いていない。

 一体どこで、誰に吹き込まれたのか。私が全員殺害した事にされている。

 

 これ以上の会話は無駄だな……。

 

 ものすごい勢いで、男のミドルソードが斜め下の私に向けて繰り出される。

 男の剣の鋭さは中々の物だった。冒険者ギルドの人々の剣とは根本的に違う。

 これは対人の剣だ。魔獣を刺したり、斬り払おうというような剣ではない。

 流れる様な剣筋とは少し違う、それでいて重い剣筋。

 打ち込んでくる剣にかなりの重さがあった。これは、あの時のあの傭兵の男の剣……。

 

 時々、猛烈に鋭い突きが繰り出される。私は剣先で僅かにそれを弾いて逸らす。

 スラン隊長に教わった、あの二刀流で弾く剣。今は剣一本だが、弾けば相手の剣は確実に逸れ、勢いが削がれる。

 

 こいつは、これでだいぶ人を斬ったに違いない。そしてその鋭さは、ギングリッチ教官をも上回る様に思われた。つまりは、冒険者ギルドにいて魔獣相手の仕事をしていれば、間違いなく金階級だろう。

 また男の鋭い剣が私の上に降ろされる。

 ブロードソードで受ける。腕が痺れてきそうなほどの衝撃が何度でも繰り返される。

 男は一向に攻撃の手を緩めることがない。

 

 この男は傭兵か何かをやっていたのだろう。恐ろしく優秀な兵士として。

 人を多数殺して来たのは、おそらくこいつだって何も変わらない。それ所か、どれだけ非情な沙汰を行ったか知れないのだ。とはいえ、この男の腕前だけは、かなり確かなものがあった。

 

 しかし。私が今までに出会ってきた、あの黒服の魔人たちとは雲泥の差だった。

 

 ……私は、この男まで、殺したくはなかった。

 

 あの時の傭兵たちは、明確に私を殺す手はずで、あそこにいたのだ。

 どうすればいいのだ……。

 この男の剣の腕前なら、ぎりぎり、私はこの男の何処かを突いて斃せるだろう。しかし……。

 

 仮に奴の指を切り落としたとして、私の殺害を諦めるような男ではあるまい。

 何しろ、兄弟の仇討ちだ……。

 私がここで奴の片腕か片足を切り落とせば、奴は間違いなく出血多量で衰弱し、失血死だろう。

 しかしそれは、一気に斃さないより、質が悪い。

 それに、奴がもし、あの剣聖を名乗る男が持っていたような魔札を使えたなら、出血など直ぐ止まるだろう。とどめを刺さずに放置すれば、それで治療して生き延び、次はもっと間接的に私を狙うかもしれない。

 それこそ、殺し屋を雇う可能性だって、否定はできない……。

 

 剣を受け流しながら、私は迷っていた。

 その瞬間、男の剣が不意に右肩の上まで引かれ一気に下めがけて突き出された。

 私は、反射的に半歩ズレながら、その剣先にもブロードソードを当てて、僅かに逸らす。

 相手の剣は私の右脇に打ち込まれたが、相手は直ぐに剣を戻した。

 今の場合なら、剣を上に引き上げた時に既に、打って出る時間はあった。

 それに剣で当てて弾き、脇に逸れて打ち込まれてきたのなら、私はそこから左一歩大きく踏み込んでいれば、斃せたのだ。

 

 …… 躊躇(ためら)いがそれをさせなかった。

 

 迷っていれば、いずれ、私の剣が甘くなって躱し損ね、こんな場所で私は命を落とすのだ。

 そう。

 命を落とすのだ……。

 

 (いな)。 否。

 

 降りかかる火の粉は、断じて、振り払わねばならぬ。如何なる理由(わけ)あれ、こんな所で死ぬわけにはいかない。

 丁度その時だった。背中にぞくっと来るものがあり、それから背中の真ん中あたりがじくじくとする感覚。

 

 魔物が、どこかにいる。

 

 !

 

 私の視界に入ったのは、地面に(うずくま)る様な低い姿勢の魔物。

 男のだいぶ後方に、いつの間にか水から静かに上がって来ていたのだろう。

 大きな()()()がいた。

 太く短い前足。後ろ脚は左右二本づつ。六本足。体長は一〇メートル前後。あいつは山の湖にも出た、あの鰐擬きだ。

 

 その鰐擬きが、この男の後ろから襲い掛かり、男は長い尻尾で薙ぎ払われた。あの時と同じように、この鰐擬きの動きは速かった。

 私はそれが見えていたので、振り向きながら大きく後ろに下がって躱したが、見えていなかった男は、それは無理だったのだ。

 

 なぜ私が振り向きながら下がったのか、男は気が付かず、私に追撃を掛けようとした。その瞬間に、この男は後方の気配に気づいたのだろう。然しもう、絶望的に対処が遅れていた。

 

 男は振り向きざまに、体を動かそうとしたその一瞬、横へと吹き飛ばされ、石畳の上を転がり、路肩から歩道を越えてやや草の生えた地面にまで転がる。手から離れたミドルソードは音を立てて石畳の上を転がり、そして回転しながら滑って行った。

 

 私は、もう反射的に左手で右腰のダガーを引き抜いて、まるで触覚のように長く伸びている目と目の間にダガーを投擲。

 

 しかし、もう、遅かった。

 この魔物が物凄い速さで襲い掛かる。鰐擬きは男を脚から咥え込んでいた。

 男から魂消(たまぎ)る絶叫が長々と上がる。

 鰐擬きの口にぎっしり生えている細かい牙から血が流れていた。

 この鰐擬きが目と目の間に刺さったダガーの痛みで暴れる。しかしその間、男をがっちりと噛んだままだ。

 

 驚いたことに、男はまだ生きていた。再び轟くような絶叫が上がる。二度。三度。そしてそれは突然途切れ、消えた……。

 

 鰐擬きは暴れながらも、そのままどんどん噛みながら男を飲み込み始めた。

 大量の血が、鰐擬きの口にびっしりと生えた牙の間から流れ落ち、それは街道の路肩と石畳を赤黒く染めていく。

 

 くっ。

 このままでは、やばい。私はブロードソードを鞘に仕舞う。

 そしてリュックを降ろし、ミドルソードを抜いた。

 私の剣が、あの頃より確実に早く鋭くなっていることを信じて。

 そう、自分の剣を信じて。

 

 鰐擬きが素早く街道に出て尻尾を振り回す。私はその左から振り回されてくる尻尾を、全力で右から左へと横に斬り払う。

 私の剣は奴のやや浮きあがった尻尾の先端から根元の方へ向かった位置、少し長めに尻尾を斬り払っていた。棘が付いた尻尾の残骸が勢いをそのままに石畳の上を転がり、路肩で止まった。

 

 相手が濁った声で何か吠えた。恐るべき悪臭が撒き散らされる。再び奴がこちらの方を向いた瞬間、私は奴の口がある所からやや斜めの位置に踏み込み、左から右へと再び全力で斬り払った。

 

 鰐擬きはそれを躱せず、長く伸びた両目が途中から斬り飛ばされて、石畳の上に落ち、そして音を立てて転がった。

 いきなり視界を全て奪われた鰐擬きが、もう出鱈目に、物凄い速さで彼方此方に向けて大きな口を開けては、威嚇し、濁った啼き声と恐るべき悪臭を放つ。

 

 私は奴がこちらを向いた瞬間に、右足を一歩踏み込み左下から、全力で右に下段払い。

 その剣筋で、鰐擬きの上顎、鼻の後方から、更に少し後ろ部分がすっぱりと切れて横にずれ、石畳の上に落ちた。

 鰐擬きは、そこから大量に流血。鰐擬きから酷く濁った大声が上がる。

 

 斬り飛ばした両目は、流石にまだ、再生していない。しかし眼が付いていた軸は、もう肉の芽がどんどん盛り上がり、猛烈な速度で斬り飛ばされた両目の再生を始めている。

 奴が眼を完全に再生させる前に、私は一気に斃すしかないのだ。

 

 しかし、暴れ方が酷い。

 鰐擬きが、もう出鱈目に暴れる。暫く、私はそれを躱すしかなかった。

 不意に鰐擬きの動きが少し遅くなった。

 私は左手で左腰のダガーを抜いて、先ほど打ち込んだ場所よりさらにやや後方にダガーを投げ込んだ。

 鰐擬きから、何かしら酷く濁った声が長々と上がった。

 

 (うずくま)った鰐擬きの六本の足がびくびくと、のたうち始める。

 暫く見ていると、びくびくしていた脚が、動かなくなった。

 

 ……

 

 二本目のダガーはたぶん脳幹に刺さった。そういう事だろう。

 私はミドルソードをこの鰐擬きの頭らしき部分に刺し込んだ。

 念のためのトドメだ。

 剣を抜くと大量の血が流れ出るが、もう鰐擬きは、動くことはなかった。私は辺りに充満している、この鰐擬きが吐き出した悪臭とその血の匂いで暫く()せていた。

 

 ……

 

 信じられない事に、両目の再生は猛烈に早くて、もう半分以上終わっていた。

 鼻のついた上顎部分を斬り飛ばした場所は真ん中だけ肉と骨が盛り上がり、上顎の再生を始めていた。

 尻尾も同じだ。勢い、盛り上がり始めた骨の周りに赤黒い肉の芽ができて、全体が大きく盛り上がっていた。

 こやつは斬られても、食いちぎられても死なない限りは何処でも再生可能か。とんでもない魔獣だ。これがこの鰐擬きの特殊能力なのか。

 

 ダガー二本を、一本ずつ抜いて宙で二回血を払い、そのまま鞘に納める。

 リュックの所に戻り、ミドルソードも宙で血を数度払い、リュック後ろの鞘に仕舞った。

 

 今回は、口の中に苦い物だけが残る。

 

 あのスッファの北門の外で出た傭兵たち五人は、顔立ちもよく似ていたが、それはそういう民族か種族なのだろうと思っていたが、奴らは兄弟従弟だったのか。

 そして、たった今、この鰐擬きに喰われてしまった男も。

 

 ……

 

 静かに片膝をつく。

 両眼を閉じて、両手を合わせる。

 「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」

 お経を唱える。

 

 私が自分に振りかかってくる火の粉を振り払うのに、こんなおまけがあったとはな。

 想像の外だった。しかし、考えてみれば男たちには家族がいたであろう。奥さんや子供がいたかもしれぬ。しかし、傭兵として戦いに出たのなら、命を失うかもしれない事は、既に織り込み済みの筈なのだ。

 

 私はこの鰐擬きの魔石を抜くこともなく、黙ってそのまま湖の畔まで、胴体のほぼ真ん中を押して、転がして行く。この一〇メートルにもならんとする巨体は持ち上げることが出来なかったからだ。岸辺まで転がし、そこから湖面に落とす。大きな音がしてこの鰐擬きが湖面に落ち、少し沈んだのだが、やや黄色い腹を上にしたまま浮いてきた。

 そして、鰐擬きの口の奥から大量の血が流れ出て、辺りの水を赤く染める。口の一部と、両眼も投げ込んだ。

 

 鰐擬きは暫く浮いていたが、次第に沈み始めた。この位置からだと、湖岸から湖底までの深さはそう浅くはなさそうで、辺りに血を撒き散らしながら、ゆっくりと沈んでいくのが見えた。あの大きさである。相当な重量がある。どんどん沈んでいって見えなくなった。

 街道に転がった男の剣を拾い上げる。これも湖に向かって投げ込んだ。

 湖に向かい、両手を合わせる。

 黙祷(もくとう)

 

 こんな結末が待っていようとは、あの男も想像だにしなかったであろう。

 今回ばかりは、私の血の匂いで出て来たのではあるまい。あの魔物は、何しろ水の中に居たのだ。

 恐らく、あの鰐擬きは、あの長い軸で眼を一つだけ水面に出して、街道を通る獲物を探っていたのに違いない。

 

 偶然、そこに私とあの男が居合わせた。

 不運だ。出遭わなければ、一生涯、こんな事にはならなかったのだ。

 いや、そうなれば、あの男は一生この王国で、私を捜していたかもしれない。

 

 スルルー商会のあの腐ったフラグの残滓(ざんし)。もう、とっくに終わったはずだった。

 一瞬だけ、あの、やたらと服の薄い豊満な体つきの若い天使の顔が頭に浮かんだ。

 考えても、どうしようもない事だ。

 

 私は目を閉じて、頭を左右に数度振った。

 降りかかる火の粉。払う自分。いつまでこんな事が続くのだろう。

 思わず深いため息が漏れる。

 

 それは今考えても栓無き事だ。

 一度深呼吸。

 リュックを背負って、再び歩き始める。

 少し急ぎ足だ。そこから駆け足でマリハに向かう。

 

 ……

 

 そしてマリハについたのは、もう夕方に近い。

 まだ、日は暮れてもいないが、門は固く閉じられている。

 門の前にいた門番は、何時もの格好の人々ではなく、完全に国境警備隊の人々である。

 大きな槍とハルバードのような武器。それは長い長い棒の先に片方が斧の刃で、片方はツルハシの様になっている。そして先端はかなりの長槍という形状だ。

 そして頭には素材もよく判らぬ兜。

 

 こんな武器を持つ人が、なぜ門番になっているのかは、誰かに訊くしかない。

 私の階級章と、冒険者ギルド発行のトークンを見せて、中に入ろうとしたが、止められた。

 トークンを取り上げられてしまった。

 「少し前に男の悲鳴がかなり遠くから聞こえた。何があったのか、知らぬか?」

 警備兵が、厳しい顔で、私を見下ろしている。

 「私が、知らない、水棲魔物が、街道に、出ました。そこで、行商人、らしき男が一人、襲われて、おりました。魔物が、その男を、生きたまま、食べたのです」

 「そなたは、それをただ見ていたのか?」

 「いえ。かなりの、手傷を、追わせ、ましたが、あと、一歩の、ところ、魔物は、水中に、消えました……」

 「逃げられたのか」

 「はい」

 

 この嘘で、口の中が苦かった。いや、心の中はさらに苦かった。

 しかし、私はあの鰐擬きに付けられている名前を知らない。この異世界で、鰐という言葉は、少なくとも、今の所だが、私の知る、いや覚えた共通民衆語には、ナイ。

 動物の図鑑を買ったので、あれを見れば載っているかもしれないが。判らない以上、私は他に喩えようがないのだ。

 さらにあそこで捌いてしまえば、男の死体があの魔物の体内にある。それをどうすればいいのか、考えなければならない。私はそれら一切をこの王国の警備隊の彼女たちに説明出来るとは思えなかった。

 

 だからあの時、私は魔石も抜かず、大きな牙も削らず、あの目も何もかも、湖に沈めて水葬にしたのだ……。

 

 別の警備兵が口を挟んだ。

 「しかし、まだこの辺りは駆逐も終わっていないのだぞ。そなたのような冒険者ならともかく」

 もう一人の警備兵がさらに続けた。

 「その行商人は護衛もなしに、徒歩でこの街に向かって来ていたというのか。愚かな。商売の為に命を捨てるとは、相変わらず亜人の商売人共の行動は理解できん」

 もう一人の警備兵が、先ほど取り上げた私のトークンを返してよこした。

 「よし、通っていいぞ。冒険者殿」

 門が開けられて、私は中に入った。

 

 やっとマリハの町に到着したのだ……。

 長かった様な気がする。

 しかし、まだ終わりではない。これからが始まりなのだ。まずはリットワースの工房を探す必要があるのだ。

 

 

 つづく

 

 スッファ街の北で出会った、あの傭兵たちの兄弟という男は、マリーネこと大谷を襲ったが、そこに偶然出て来た鰐擬きが、この男を食べてしまう。

 腕前の上がっていたマリーネこと大谷は、この鰐擬きを然程苦労せず退治するが、彼の心中は苦いものがあった。

 

 次回 マリハの町

 ようやく、目的の鎧職人の居る町に到着したマリーネこと大谷。

 しかし、いきなり警備隊がマリーネこと大谷を町の代表者の所へと連行する。

 何が起こっているのか、事態の把握が出来ない。

 

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