176 第19章 カサマと東の街々 19ー15 マカマの街2
宿へ戻る、マリーネこと大谷。
ここで夕食は、下の豪華な部屋ではなく、自分の泊まった部屋で行われるという。 そこに宿屋の主人がやって来て、茶のみの雑談が、マリーネこと大谷にとっては、なかなか重要な話となっていた。
176話 第19章 カサマと東の街々
19ー15 マカマの街2
やっと門の前に辿り着いた。かなり汚れた服を着た胡乱な男たちが後を追いかけて来るのがうっとおしい。
門を開けて中に入る。
「ただいま」
挨拶をした瞬間に、黒い服を着た男たち二人が走って、私の横にやって来た。
それから、その男たちは門にまで出ると、そこにいた胡乱な男ども三人をいきなり無言で叩きのめした。
うわ。そういう事か。
ドアマンがドアを開けてくれる。
「おかえりなさいませ。マリーネお嬢様」
あの老紳士が出迎えた。
「ただいま、戻りましてございます。デリダ様」
「ご無事なようでしたな。ああいう、入口に来たような男どもが、増えて増えて、大変なのですよ。お嬢様」
「あの、男たちは、何を、しに、来たのですか?」
「あれは、全て物乞いどもでございましょう。お嬢様にお金を強請りに来たのですよ」
「乞食ですか?」
「そのようなものでございましょう。働きもせずに、人から金品を強請って暮らして居る者どもです。以前のマカマには、あんな者たちはいなかったのですが。お恥ずかしい事で御座います。マリーネお嬢様」
冒険者ギルドが壊滅的な打撃を受けただけで起きた事ではあるまい。その前から色々とこの街に変化があったのは間違いない。
「そうでしたか」
「お夕食は、またその時にお知らせいたしますので、お部屋でお待ちください。マリーネお嬢様」
「分りました。部屋に行きますね」
二階に上がって、部屋に入ると、そこには黒い服に白いエプロンの女性がいた。
深いお辞儀をされてしまった。
「おかえりなさいませ。お嬢様」
うわぁ。背中がむずむずしそうだ。
平静を装って挨拶だけはする。
「ただいま」
「お嬢様、これで顔をお拭きになられては、どうでしょう。今、お茶を用意いたしまして御座います」
彼女が濡れたタオルを寄越した。丁寧に絞ってある。
私がそれで顔を拭いていると、乾いたタオルを渡された。
顔を拭き終えて剣を外し、椅子の横に立て掛ける。
ケープを取ってそれをテーブルの脇に置き、そして私はクッションのある椅子に座った。
彼女は、両扉のついている壁の隅にある扉に向かった。
そこに入って、かなり細長いやかんのような物を持ってきた。湯気が出ている。
たった今、沸かしたという事だろうか。ということはあの部屋は、給湯室なのか。
私の前にカップが置かれ、赤黒いお茶が注がれる。
それから彼女は、大きな籠から焼き菓子を取り出し、皿に置いた。
「では、ごゆっくりどうぞ」
そういって、彼女は両扉を開けて出て行った。
お湯は熱湯ではなかった。ここの気圧ならお湯の沸騰温度は一〇〇度Cを軽く越えている。そのままの温度なら火傷する。かなり前に沸かして、すこし冷ましてあったのだ。
お茶を飲みつつ、今日の情報を頭の中で整理する。
とはいっても。ほとんど何も得られなかった。
分ったのは、私の四角い代用通貨がかなり特殊なもので、他人に見せるのは相当慎重にならないといけない事。冒険者ギルドでは使えるが、それでも、時と場合によるだろう。全く知らない支部で、いきなり出すのはやめたほうがよさそうだ。
この代用通貨は、その特殊性からいって、再発行はされないだろうと、監査官はいっていたので、失くさない様に対策を講じておくほうがいいかもしれない。
あとは、ゴルティンがこの町に来たのが目撃されている。という事くらいだな。
目撃されているだけでなく、その事が商業ギルドの館にまで伝わり、監査官が知っていた事だ。まあ、その後、何処に向かったかは分っていない。
それと。この街は混乱しているから、情報を得たいならリカジ街へ行けと。
ざっと、こんな所だな。
茶菓子で出された、この焼き菓子を食べてみる。
全粒粉らしき歯触りと舌触り。甘みは砂糖で付けている。味は、これはたぶん香辛料と胡椒と、匂いの全くしない魚醤だ。まあ、元の世界の古代ローマではお菓子にまで魚醤、確かガルムをふんだんに使ったという。旨味を付けた訳だな。
全部が同じではなく、樹の実を薄く切って、それを載せたもの等もある。
干した果物を切って細かくしたものを載せた焼き菓子もあった。
なるほど。其々に味や食感が違う。たぶん、こういうのを上の階級の人たちは食べているのだな。
やや粉っぽい味だが、それがまた、この赤黒いお茶と合っていた。
暫し、お茶の時間。
外は急に暗くなってきた。ほぼ日が落ちたのだな。
すると、両扉にノックの音。
「どうぞ、入って下さい」
声をかけると、入ってきたのは黒い服を着た男二名。それと白い長いエプロンの女性だ。
「失礼します。お嬢様。照明を点けます」
男は火の付いた蝋燭を二つ持ってきていた。
それをメイドの女性の持っていた蝋燭に灯した。
男たちは、どんどん壁のブラケットに差し込まれている蝋燭に火をつけていった。
上のシャンデリアはどうするのだろうと思ったら、棒をその場で繋いでいき、長い棒にした。その先に蝋燭が付いていてそれに火を灯し、その棒でシャンデリアの長い蝋燭に火を灯していった。
「お嬢様。終わりまして御座います」
男二人が道具を片付け、扉に向かう。
「失礼しました」
二人共、そのまま扉の向こうに出ていった。
メイドは、寝室のほうに入っていき、寝室の蝋燭に火を灯して、部屋から出てきた。
「お嬢様。今日はここでお食事になります」
そういうや、扉の方に行ってしまった。
「失礼致しました」
深いお辞儀をされ、彼女も両扉の向こうに消えた。
昼間の間に蝋燭は長いものに取り替えているのだろう。
あのシャンデリアの蝋燭を取り替えるには、足場がないと出来ないな。
まあ、客が出掛けている間に取り替えるのだろう。
暫くすると、これまたノックがあって宿の主人がやってきた。
「ご機嫌麗しゅう。マリーネお嬢様」
「お出かけになられて、如何でしたか?」
立ち上がって、まずは軽くスカート端を掴んで右足を引きながら、軽く会釈。
私は胸に手を当てて答える。
「街は、随分と、喧騒な、ご様子でした」
「それはそれは。護衛の者を付けたほうが良かったですか」
「いえ。それほどでも、ございません」
「所で、今日は、このお部屋で、お食事と伺いましたが、何か、御座いましたか」
「お嬢様は気になりますか?」
「いえいえ」
宿の主人はすこし面白がっているかのような表情をした。
「商会の上から捩じ込まれまして」
「あら。そんなことが」
「急遽、下のあの部屋は会食の会場になりました」
「そうだったのですね」
「ここに座っても?」
それは私の座っていたクッションの置かれた座席の反対側だ。
「どうぞ。お座りになって、下さいませ」
私はまたクッションの置かれた椅子に座り直す。
「もう時期ここに食事を持ってこさせますよ。マリーネお嬢様」
「分りました」
「この街では、傭兵の、方が、多く、いらっしゃられましたが、いつ頃から、なのでしょう」
取敢えず、間を持たせるために話題を振ってみた。
「以前から割と傭兵たちはいましたが、目立って増えてきたのはここ二節季半くらいでしょう」
えーと。一節季が四つの月になっていて一つの月は四三日だ。一七二日が一節季か。半分は八六だから四三〇日か。元の世界のほぼ一年二ヵ月だな。
まあ、其れぐらいの日数があれば、街の様子が変わってしまっても、宜なるかな。
その時にまた扉の向こうでノックが。
「どうぞ。お入りになって」
「失礼します」
そういって入ってきたのは、またあの長いエプロンのメイドさんだった。
彼女はこのテーブルの上に置かれた、私向けに出したカップや皿等を片付けた。
「お茶をお持ちします」
彼女は、あの扉に向かった。
さて、宿の主人との話を続行だ。
「街道が、不穏な、状態に、なってきた、のが、その頃、なのですね」
「まあ、だいたいそうなります。最初はリカジ街の方で、街道が不穏になったのですよ。国境のルーガの街の様子もすこし変な感じでした。ですので、最初は、ルーガとリカジの間に異変が有ったのでしょう」
「それが段々と、このマカマの方にも、影響が出て来ていました。リカジは然程でもなかったようですが、マカマの冒険者様の方にかなりの被害が出ていたようです」
そこでメイドの人が新しくカップと皿を二つ持ってきて、私たちの前に置き、お茶を注いでいった。
「マリーネお嬢様。国境の方、警備隊が増強されたのは、ついこの間の事。どんな事情なのか、私には分かりませんが、国境警備隊は大幅に増強されました。そうなるまでの間にマカマの冒険者様の犠牲はどんどん増えていきました」
「そうだったんですね」
そこで二人ともお茶を一口戴く。
「街道がかなり不穏な状態ですから、商会の経営者は、運ぶ人員と商品を守らなければなりません。ですから傭兵がどんどん、雇われていく事になりました」
「自衛の、手段、ですわね」
「そうです。そうなれば、傭兵志願者が何処からともなく、だいぶやって来ましたが、こう言ってはなんですが、その」
そこで宿の主人は、言い淀んだ。
たぶん、こう言いたいのだ。私が後を続けた。
「傭兵崩れ、傭兵未満、実力不足者、いえ、そもそも、魔獣を、見たことも、ない、全く、使いものに、ならない、と、いうべき、人が、大勢、来てしまった、という、ことですわね」
「お嬢様も、随分と手厳しい」
彼は笑った。
「お嬢様が仰る通り、そういう者共が大勢来たわけです。そうなると、彼らが雇われる可能性はまずもって、在りますまい。商会は最初の頃こそ、傭兵はどんな人々でも雇っておりましたが、一度魔獣と遭遇するや全滅したり、護るべき荷物を奪って逃走するものが相次ぎましてね」
「酷い話、ですわね」
「いやはや、全くです。そうなれば、もう腕の立つ、そして商会が信用出来る者しか雇われません。かくして、街には浮浪者の如き、傭兵崩れ、いえ、それは傭兵をやっていた人々に失礼に当たりましょう。腕前も半端な不良共か、雇われずに生活に困窮した物乞い共が溢れるようになった訳です」
「街の、責任者の、方は、対策、していないのですか?」
「実は新任の商業ギルドの監査官様から、街の不良とごみを一掃せよ。とのたいへん厳しい命令が出たと聞いております。実は今日の下の部屋の会食はその打ち合わせもあるとのこと」
「大変そう、ですわ」
今日会った、あの監査官は新任だったのか。
「街の中では、お嬢様もお気を付けください」
宿の主人、リベリーにとっては四方山話でも、今の私にとっては状況理解の為の重要な情報だった。
恐らくは真司さんが戦った、あのラヴァデルがそこを通ったのだ。そして、ラヴァデルは自分の通った周辺地域に棲む魔獣を従えていった。やつに呼応した魔獣たちが普段以上に攻撃的になり、街道は魔獣の餌場と化した。そこにガーヴケデックまでもが加わった。
結果、マカマの冒険者ギルドは完全に壊滅状態となった。支部長までもが出撃、殉死したというのだ。
そして、その事態に、あのアガット・マグリオースも巻き込まれて、最後はベッドで死んだ。
……
真司さんがここに来てだいぶ経つといっていたが、彼らが砂漠の王国を出てラヴァデルに出会い、パーティが分かれてしまって、二人がこの国に来てだいぶ、というのだ。時期的にも、たぶん概ね符合する。
だが。もう、ラヴァデルもガーヴケデックも居ない。昔の状態に戻ったとは思いたいが。
そこで、両扉にノックがあった。
「どうぞ。お入りください」
そこで食事がやってきたのだ。
大きなトレーを四人で運んできた。全員が白い服に白いエプロン。そして白い被り物。帽子とはいえないものだ。
トレイが大きなテーブルの端に置かれた。
そして私の前に、まずは白い布が敷かれ、その上にスプーンやらフォークやら、ナイフらが置かれて行く。
まあ、普通はこういうものが置かれた場所に、行く訳だが、今回はこの部屋で、となったのでこういうものだろう。
まずは硝子でできたワイングラスのような細い持ち手のある器に、半透明な液体、たぶん果汁であろうものが注がれた。僅かに琥珀色。
そして、置かれたのはスープ。
またしても、豪華な食事が始まる。昼の食事が酷すぎたので、これは素直に嬉しかった。
「それでは小さな英雄に乾杯」
またしてもリベリーは英雄だという。
「乾杯」
私も器を持ち上げて、それに合わせた。
やや主張する酸味と、それからぐっと喉に来る強い甘味。所謂、果物の蜜だ。
それをふんだんに絞って入れた物であろう。雑味を混ぜない様にするために、恐らくは漉してある。
これは、いい味だ。
続くスープは、僅かに温い。飲みやすくするためだったのだろう。
何かの粉と魚醤。スープにはとろみがついているので、片栗粉のような農産物が何かあるのに違いない。
これを少し、味わっていると、またスクロティ。そして茶色のスープが出された。
これと一緒に食べろという事だな。
水で口の味を流してから、戴く。
それを食べていると、また、宿の主人、リベリーとの会話になる。
「マリーネお嬢様。細工の方の話ですが、細工ギルドの責任者と連絡が付きました」
「それは、よかった、ですわ」
「アレクサンド・ジュアットというのが、マカマの細工ギルドの責任者です。残念ながら、リットワース殿が何処に行ったかは分っておりません」
「そう、でしたか」
「ですが、その代わりといっては何ですが、一つ気になる情報がありまして御座います」
「なんでしょう」
「革の仕入れで御座います。リカジ街の業者から、かなり多量に頼む商人がいるようでして、それが革細工の方ではないのかという事です。そしてそれが、この街を経由しているのです」
これはリカジの業者に会う必要がありそうだ。
「ベンス・メルネッデールという、近郊の革職人を取りまとめている革問屋がリカジ街にいます。この人物に会うために、ここの細工ギルドの責任者に話を通して御座います。明日、行って会われるのでしょう? マリーネお嬢様」
「はい。そうさせていただきますわ」
「そこで、私の名前を出して下されば結構。トドマから来た金階級の冒険者が、訪ねて行く予定であると、既に伝えて御座います」
「分かりました。何もかも、ありがとうございました」
「いえいえ。こんなことは何の雑作も無い事で御座いますよ。マリーネお嬢様」
宿の主人、リベリーは笑ってそういうが、かなりの手回しの良さだ。
料理は次々と運ばれてくる。
大きな魚の御頭付き、塩釜焼き。内蔵は丁寧に取り除かれていた。
塩を豪快に使っている。この王国では塩は国の専売物だ。商人たちは、王国から塩を買って、それを一般に売っているに過ぎない。それだけにこれほど使えば、安くない料理なのだ。
塩の釜を割って、中から魚の身が取り出され、身を切った上で、皿に盛って私の前に出された。
それほど塩っぱくはない。魚は旨味が引き出されていた。
もう一切れを出された時には、横にいた料理人が何か透明の液体を掛けて寄越した。
味変だろうか。
食べてみると甘酢と魚醤の混ぜてあるものだったようだ。
これも、悪くない。いや、いい味だった。
そこで一度、冷製スープが出た。まったりとした味わい。冷製といっても、オセダールの宿の様に、冷やしている物ではない。
そして、果実が乗ったパンケーキのような物が出た。これはかなり粉を細かく引いて砂糖と天然酵母を加えて膨らませてから焼いたものだ。その上に果実の蜜を煮詰めた物であろう物がたっぷりと掛けられ、さらに果実が乗せられている。この異世界では凝った食べ物に分類されるだろう。酸味と甘みのある、パンケーキ擬きである。
それを戴いていると、また水が出された。口の中の味を流す。
それから、今日のメインディッシュらしきもの。大きな鳥の丸焼きが出てきた。
羽毛は全て取り除かれていたが、胴体の長さだけでも一四〇センチはあろうかという大きさで、長い首の先に少し曲がった嘴が付いている頭。目の部分は閉じていて糸で固く縫われていた。腸は抜いてあるらしく、腹の部分は開いていた。
「大きい、鳥ですね。どんな鳥ですか?」
「スベコンデックといいましてね。地上の小型の獣を遥か上空から襲って食べる大型の鳥です。マリーネお嬢様」
宿の主人は、手ぶりで右手を大きく上に上げてから指先を下にして、さっと降ろした。急降下で襲う猛禽という事だ。
「時々、地上で休んでいる事がありまして、こうやって弓で打ち倒して来る事があるのですよ」
「では、貴重ですね」
「そう、ですね。それなりに、珍しい食べ物ということになりましょう。マリーネお嬢様」
リベリーは笑ってそういったが、これはたぶん、入手自体が難しいので高級というか珍品なのだろう。
この異世界では、というか、この王国の北部地域では珍しいということだろうか。オセダールの宿では鳥肉は出なかった。中部地方や、南部地方はまだ、どういう物があるかはわからないから、ここ北東部では、こういう食べ物は珍しいのだろうか。
ただ、あのワダイの村では鳥を飼っていた。鶏ではないが比較的小型の家禽。卵を取るのだろうと思っていたが、勿論、時々は雄鳥や卵を産まなくなった雌鳥を捌いているかもしれない。
元の世界では、鳥肉といえば、ほぼ鶏だ。軍鶏や矮鶏、合鴨、鴨、家鴨辺りまではともかく、雉、七面鳥や駝鳥になると日本では一般的ではない。食べない訳ではないが。まして、猛禽の鷹や鷲、梟などは食べる鳥ではない。
鶏という鳥は、紀元前六〇〇〇年頃にはインドで野生の鶏が飼われ始め、家禽となったらしい。これは近年のゲノム研究で判明した。それまでの通説より二〇〇〇年ほど昔になる。それくらい昔から、人類は鶏とその卵を食べていたようだ。
鶏自体は雉科の鳥で、インドからベトナムにかけて野生の状態で、ごく普通に棲息している。それが家禽として飼いならされ、時を経てほぼ世界中に広がったのだ。
飼いやすく、卵が採れる事、朝の時を告げる事等が大きかったようだが、肉も大変好まれた。
ちなみに元の世界の日本に鶏が入ってきたのは紀元前三〇〇年頃、弥生時代の初期頃だったらしい。
……
宿屋の主人、リベリーが解説を加えた。
「この羽根の付け根の肉、それと腿の肉等が極上です。ここを是非味わって下さい。マリーネお嬢様」
私は肯いた。
料理人がその場所をナイフで切っていく。両方の羽根の付け根と両足の腿肉。わざわざ、骨はその場で丁寧に取り除かれた。宿の主人と私で一つづつ。
だいぶ大きな肉だ。
噛みしめると肉汁が出てくる。濃厚な旨味。それは当然だが、陸上の獣肉とは異なる味わいだった。
料理人は、他の部位も切り始めた。皿にどんどん切り分けられていく。
私は遠慮せずに、この鳥肉を頂くことにした。
羽根の付け根となる肉は、かなりの筋肉質で旨味が凄い。しかしやや硬かったのだが、他の部位は柔らかい肉だ。部位によって肉の味も少し違う。
この味ならば、本当は骨ごと手で持ってかぶりつきたいのだが。
ここは高級宿。私はややお嬢様として振るまっているし、そういう訳にはいかないのだ。残念だ。
かぶりついて食べたくなる衝動を堪えて、ナイフでちまちま切りながら、フォークで戴く。
私はこの料理を十分堪能した。
これだけでお腹一杯になる程食べる事が出来て、大満足だった。
この大きな鳥の肉をひょっとしたら、三分の一ちかく食べたかもしれない。
メインディッシュとなる、この猛禽の鳥肉の後は、さっぱりした味わいの野菜のサラダ。甘酢と魚醤に僅かな胡椒が混ざっているドレッシングだった。
鳥の残骸、それはまだだいぶ肉が残っていたのだが、下げられた。
二人の料理人がトレイに載せて運んでいってしまった。
それから果汁が出され、一度、水を飲んで舌の味を流し、それから砂糖を乗せられた果物と続く。
全ての料理が終わると、料理人が静かに全ての食器を片付けて去って行っていった。
入れ替わりで入ってきたのは、白い長いエプロンのメイド、アンザである。
彼女は、大きくお辞儀をして、それからお茶を入れた。例の赤黒い、たぶん紅茶だ。
食後のお茶時間となると、宿の主人リベリーが、商業ギルドの方で、カサマの街道掃除の話を聞きつけて来たらしく、街道掃除をだいぶ聞きたがった。
私は、ごく大雑把に街道掃除の話をしてから、ガオルレース討伐の話をしたが、宿の主人はだいぶ興味深そうに聞いていた。
私がもっと派手に話を盛れば、宿の主人も大喜びする様な冒険譚だったのだろうが、私はごく簡単に話すだけだ。
ガオルレースの時は、あれはあれで賭けだったし、どう転ぶかは分らなかったのだ。
そして胸に投げたダガーが確実にあの魔物の命を奪ったかは定かではない。その直後に隊員二人の剣によるトドメがあったからだ。
ガオルレースはカサマの討伐隊で斃しに行った訳だし、何が何でも私がとどめを刺して、打ち取ったのは我なり。等と誇りたい訳ではないのだ。そういうのは、他の人がやればいい。
別段、私は、そういうものを誇る人、あるいは難しい魔獣討伐の成功を誇りとする、誇り高き人を否定するわけじゃない。
自分の鍛えた腕と才能を信じられるのは、素晴らしい事だし、その腕前と才能で普通の人には出来ない事が出来るのなら、それを誇りに思うのは当然の事だろう。
ただ。そういうものは強烈な光を放つ。そしてそこには当然の事だが、影が出来る。
そう、光あるところに影がある……。
その影には、様々な負の感情が生まれる。人によってはそれは呪いにもなるのだ。
私は魔獣討伐において、下の階級の人を見下したりしたつもりはない。その人たちがちゃんと魔獣と対峙出来るかを冷静に見ているだけだ。それは最低限必要な腕前があるかどうかの判断。だが、そうは受け取らない人も出て来るのだ。
だからこそ、魔獣討伐の話は、盛ることは絶対にしたくない。出来るだけ起こった事実を淡々と語るだけだ。
私が目立ちたくない、というのはこの影が怖いのだ。想像もしなかったところから、その影が私を絡め捕るかもしれない。
私は必要もなく、魔物を斃すことはしたくない。出来れば、避けて通りたいくらいだ。そうなれば、派手な冒険譚は絶対に生まれようもない。ただ、現実はそうもいかないのだが。
つづく
この日も豪華な食事。
そして宿屋の主人は流石に大商会の主人らしく、手回しがよく、マリーネこと大谷は細工ギルドの責任者に会う事が出来るように手配されていた。
次回 マカマの街とリカジの街
宿を出立。細工ギルドの支部がある建物に向かうマリーネこと大谷。
ここで、革問屋に会うための紹介状を受け取ることになるのだった。