173 第19章 カサマと東の街々 19ー12 マカマの街の宿
治安が悪化してきてる街で、何かをしようとするなら、まずは荷物を預けても安心できる、寝ているときに襲われないきちんとした宿に泊まりたいと考えるマリーネこと大谷。彼の眼前に高級な宿があった。
173話 第19章 カサマと東の街々
19ー12 マカマの街の宿
街道は、私とカサマの隊員で簡単ではあるが、魔獣駆除、掃除をしてあるので、街に着くまでに魔獣が出てくることはなかった。
到着した西門で門番に挨拶し、それから首の階級章を見せる。
門番の人数が多い。四人いた。
厳しい顔をした門番は、ただ身振りで通れとばかりに腕を西門に向けた。
門を通ると、更に中にも門番が二名。警戒態勢なのだろうか。
とにかく、街に入ってすぐに行うのは、宿探しだ。
それも、出来れば、いかにも高級宿である。
こういう治安が崩れてきている街で、安い宿にはどんな『ごろつきども』がいるか判らないからだ。
そこそこの値段そうな宿だって、信用はできない。
安宿が、ボッタクリ値段でそこそこの値段になってるだけなら、安全度とか安心度はゼロであると言っていい。
下手をすれば寝ている最中に寝首を掻かれたり、財布から硬貨をごっそり盗まれかねない。
それも、宿の人にだ。
そういうことを考えると、泊まるべき宿は絞られる。
商会の経営している、高級宿だ。そう、スッファ街のオセダールの高級宿のような。ああいうのを探すしか無い。
しかし、治安が悪化している場合、そうした高級宿は営業を止めているかもしれない。
下手にいざこざに巻き込まれるくらいなら、暫く開店休業状態にしている可能性すらある。
街の中を通り抜けていく街道の横に立ち並ぶ建物を、ずっと見ていく。
ようやく、かなり部屋数の有りそうな、ちょっと贅沢な館になっている大きな高級そうな宿を見つけた。
門がついているが、鍵を掛けてはいない。旅人を受け入れることはしているようだ。門を開けて中に入る。
入口に向かおうとすると、まずは二メートル程の背丈のガッチリした男たちに止められた。
「そこの子供。とまれい」
服装はきちんとしているが、顔立ちはいかにも暴力のほうが得意ですと言わんばかりだ。茶色の髪の毛は短く、浅黒い肌。長い耳。やや褐色の瞳。
「泊まりたいのですが」
「まず、身分を明かせ。そうでなければ、何人も通すことは出来ない」
そう言って左腰の剣に右手を当てた。
私は右手で金の階級章を掴んで、少し持ち上げて、彼らに見せる。
奥からもう一人の男が出て来た。この男はそこまで暴力が得意というような顔はしていない。
この男、目が鋭い。
「他にないのか? 小さき旅人よ」
私は背負いリュックの肩のベルトに結んだ革袋から、冒険者ギルドのトークンを出して見せる。
奥から出てきた男がそれを受け取って裏返し、目を細めた。しばらく眺めている。
これで、泊まれないのなら他の所に行こうと考えていると、私のトークンを返してよこした。
「よし。ついてこい」
ぶっきら棒な事だ。
そして中に通される。
外にいたドアマン風の男が扉を開けてくれる。
私の身分を調べた男は私の後から中に入り、奥に向かい、そこに出てきた老紳士に、一言何かを告げた。
老紳士がゆっくり歩いてきて、私を出迎えた。
「失礼しましたな。マリーネ・ヴィンセント様」
そして深いお辞儀。
「とにかく、怪しげな輩が多いご時世でしてな。まさか、金の階級をお持ちの方とは存ぜず、失礼仕つりました」
そういうや、男は右手を胸に当てて、かるく会釈。
「ささ、その荷物をおいて、まずはお休み下され」
いわれるがままに、リュックを降ろした。
別の男が飲み物をトレーに乗せて持ってきた。
飲み物は、長ソファーの脇にあるローテーブルの上に置かれた。
どうやら、お茶らしい。
「では。先に、失礼なことをお聞きしなければなりませんが、ヴィンセント様。硬貨はお持ちですかな?」
「はい。この街での、事情は、ある程度は、聞いて、いましたので、硬貨は、持って、きています」
「それはそれは。今、この街で冒険者様の代用通貨で支払いができる店や宿は一軒もありますまい」
「ええ。ギルドが、ほぼ、壊滅していて、事務処理も、滞り、ほぼ、機能していない、とか。そういうことは、聞いてきました」
「それなら、余計な心配でござりましたな」
「私が、持ってきた、硬貨で、足りると、いいのですけどね」
そう言って少し笑うと老紳士が連られて笑う。
「そんな無茶な値段は要求しておりませんよ。当宿では」
老紳士はソファーのような椅子を指さし、そこに座るよう、勧めて来た。
「まずは、そこにお座りください」
「泊めて、いただける、のですね?」
「勿論ですとも。それで、どれくらいの日数、滞在を?」
「私は、人を、捜しています。この街に、いないのは、判っていますが、情報を、得たいのです。二日、泊ろうと、考えています」
「わかりました。ここ、マカマで何かするという訳では、なさそうですな」
「マカマの、冒険者ギルドは、殆ど、人がいない、というので、話を、聞くのも、出来なさそうです。明日、他を、当たって、みるしか、ありません」
「そうですな。それで、お部屋はどういたしますか。最上級のお部屋がよろしゅうございますか」
「そこまではという事でしたら、上級のお部屋がよろしゅうございますか。それとも中級のお部屋にいたしますか」
さすがに最上級の部屋というのは気が引ける。しかし、階級章を見られてしまっている私が、安い部屋を選ぶのも何か違う気がする。ここは変に疑われない様、行くべきだな。
さて、最上級か上級か、どっちを選ぶべきか。
一応値段を聞いておこう。
「最上級の、お部屋は、一泊、おいくらですか?」
「おお、流石、御目が高い。一泊は四〇〇デレリンギですな」
ふむ。高級宿の最上級の部屋にしては、安くないか? 元の世界なら精々二〇万円といったところだ。
「そんな、お値段ですか?」
私の如何にも安いなという口調が、相手に伝わったらしい。
「はっはっはっはっ。このご時世、値段を上げ、旅人から不当な利益を得るのが、この街では、だいぶ増えているようです。ですが、我が商会ではそのような事はいたしません」
老紳士はきっぱりと言い切った。
まあ、普通の宿が二〇から高くて三〇デレリンギ。大体、元の世界の一万から一五〇〇〇という価格からしたら、破格な値段なのは間違いない。何しろ高い方でも一三倍強の値段だ。まあ、精々二泊だから、八リンギレだな。もし三泊になっても一二リンギレか。
一泊が二五リンギレとか言い出すかと思ったが、この値段だ。まったく問題ない。
リングレット硬貨はまだ一枚、手元にあるが、これを出すほどの値段だと、流石にトークンが使えないのはやばい。
「ではそれで、お願いします」
「分かりました。お嬢様。では、そのお荷物は下の者に運ばせましょう」
老紳士が軽く手を二度叩いて合図すると、痩せた男が二人やって来た。
「お嬢様のお荷物を、上の部屋にな」
老紳士は二人に簡単な指示をして、私のほうに振り返った。
「どうぞ、こちらに。お嬢様」
通された部屋は、かなり広い。壁にはタペストリーが張られ、床の絨毯はふかふかである。そして天井には沢山の蜜蝋の蝋燭が並べられたシャンデリアだ。
これは……。スッファ街のオセダールの宿で、こういう部屋があったが、もう少し狭かった。あそこは貴賓室といった趣で、そこで会食をしたのだった。
大きなテーブルが置かれている。
私は腰のブロードソードを帯ごと外して、足元に置いた。
椅子に座ると、当然のことながら座高が足りない。
さっきの老紳士が部屋の隅にある、細い綱を引くと、何処かで小さな鈴の音がした。
痩せた黒服の男がやってきて、私を見ると、別の部屋に引っ込んだ。それから大きなクッションを二つ持ってやってきた。
私が座るべき椅子はもう、決まっているらしい。そこにそのクッションが重ねておかれた。
「これでよろしいですかな?」
「ありがとうございます」
「いやいや、礼には及びませんぞ。椅子の高さが丁度良くなっていれば、いいのですが」
「良いお部屋ですね」
私は端的に感想を述べた。
「お気に召して戴けたのなら、幸いです。ただいま、当館の主が参ります」
そう言って、老紳士は出て行った。
私はクッションの置かれた椅子に座り直した。
そうして待っていると、痩せた男が今度はトレイにカップを乗せて、飲み物を持ってきた。
カップとお皿。注がれてあったのは、赤黒いお茶だった。
どうやら、紅茶らしい。赤黒い、このやや渋みの濃いお茶は、後から仄かな甘みがある。この茶葉はこの辺りで採れるのだろうか。
……
お茶を飲んで暫くすると、入れ替わりで壮年の男が入ってくる。
ぎりぎり二メートルちょいという処か。高くもなく、低くもない。
綺麗に切られた髪型。肌はごく僅かに浅く焼けた色、ここの気候で少し焼けたのだとしたら、元は白い肌かもしれない。尖ったやや長い耳。顔立ちはやや面長だが、整った顔つき。
髪の毛は完全に金髪だ。瞳は薄い青。紳士というかやや金持ちらしい服を着ている。
ここは布の産地。かなり贅沢な服を造らせているのだろう。靴もデザインは控えめながら、高級感がある。
私は、椅子から降りて、深いお辞儀をした。
「私が、宿の主人をしているニルフレーグ・ミッドベル・リベリーと申します。お客様」
男性紳士は、胸に手を当てて、軽く会釈した。
私は胸に手を当てて、挨拶する。
「初めまして。私は、マリーネ・ヴィンセントと申します。二日ほど、厄介になります。よろしくお願いします」
そこで、両手でスカートの端をつかんで軽く持ち上げて、右足を引いてお辞儀。
「これはこれは、ご丁寧な挨拶を。当館『アミナス・デュプレー』にようこそ」
この紳士はリベリーというのか。宿に自分の苗字ではない名前までついている。
そういえば、オセダールのあの宿は、どんな名前だったのか……。最後まで聞かなかったな。
「リベリー様。このお部屋は、とても、いいお部屋ですね」
紳士は笑顔を浮かべる。
「気に入って戴けたようで、幸いです。お部屋の方に案内しましょう」
剣を取り敢えず帯と一緒に持ち上げて、ついていく。
この部屋が単なる待合室やロビーではないのは明らかだ。どういう思惑なのか。
紳士の後ろについていく。
広い階段を上がること二回。途中のは踊り場だ。二階について、更に奥に行くと突き当りに大きな両開きの扉。
そこに案内された。
「マリーネ・ヴィンセント様のお部屋はこちらで御座います」
確かに、最上級の部屋を頼んだのは私だ……。
だが。これは広すぎだろう。広間みたいな状態の処に、まず分厚い絨毯だ。そして大きな絵画が数点。それに何やら石像がいくつか。美術品か? 植物の入った大きな白い鉢がいくつも置かれている。それから豪華なテーブルと凝った造りの背もたれと脚のついた椅子。これまた豪華なシャンデリア。壁にも凝った造りでブラケットがあり、そこには蜜蝋の蝋燭。
そして、奥にまだ扉がある。
「あの、私の荷物は?」
荷物が見当たらない……。
「お嬢様のお荷物は、奥のお部屋に入れて御座います。マリーネお嬢様」
うわわわ。また完全にお嬢様呼ばわりだ。オセダールの時と同じか。
「お食事はこのお部屋でなさいますか。それとも先ほどのお部屋に致しますか?」
ああ、やはりさっきの部屋は会食を行う部屋だったのだな。
「それでは、先ほどのお部屋でお願いします」
「承りました。マリーネお嬢様」
最上級の部屋を頼んだだけで、こうなるか……。
心というか意識の中にいる、どこまでいっても五〇も過ぎた草臥れたおっさんとしては、お嬢様呼ばわりされるのはきつい。
まあ、一泊四〇〇デレリンギといわれて、それでお願いとかいってしまうあたりで、貧乏人ではないどころか、普通に暮らしている人ですらないのは確定なのだ。
どこぞの金持ちの子供だと普通には思われるだろうが、私の首には金色の階級章がぶら下がっている。これが身分証明だと真司さんはいっていた。
今回、それははっきりと分かった。
……
「それでは、お食事のご用意が出来ましたら、下の者が呼びに参ります。後でまたお会いしましょう。マリーネお嬢様」
紳士はそういって、部屋を出て行った。
やれやれ……
どうしたものか。
とりあえず、荷物だ。
奥の部屋に行く扉は勿論、鍵はかかっていないが、ドアノブの位置が微妙に高くて開け難い。
中はベッドが二つ。かなり、いや相当大きいベッドだった。まあ、身長が高い人々だから、こうなるのだろうが、大き過ぎる気はする。
ベッドの脇にはチェストだろうか。上に開く蓋が付いた、低い背丈の収納箱だ。
壁に衣装箪笥。これもまた豪華な造り。彼方此方、隅に凝った飾りのついた物である。
私のリュックは、収納箱の中に入れてあった。この重たいリュックと剣を、こんな良い造りの収納の中に入れるとは。なかなか度胸がいるだろうと苦笑した。
まずは中を確認する。誰かに開けられた跡はない。
それが分かるのは、この革の紐の縛りだ。これを解いて結び直すと、恐らくもっとずっと上で結ばれる。私は荷物をかなり抑え込んで、縛ってある。これを再現するのは容易ではない。
革のマントの下には靴を入れた革袋、その下に老人から預かった手紙を入れた箱の更に下には衣装を入れた袋があるのだが、その脇に硬貨を入れた革袋を入れている。
私が腰にはぶら下げられないほどの硬貨を、カサマ支部で引き出して来たので、その革袋はリュックに入れたのだ。その袋はそのままそこに在った。
あとは肩の背負いベルトの部分に結んである革袋だ。こっちはこっちで、トークン二枚とタオルが入ってるだけだが、トークンが盗まれると大変なことになる。
あとは小さいポーチだが、これはリュックに入れて来た。実はこいつが問題なのだ。幾らかのデレリンギ硬貨とリンギレ硬貨、そして一枚だけだがリングレット硬貨が入っている。私の二枚のトークンを別にすれば、ポーチの中のこの革袋が一番価値が高い。
とはいえ。二枚のトークンの方の価値は、もはや私には分からない程高いのは間違いない。入っている金額以上の価値があるからだ。
これらが盗まれていないのなら、この宿は、盗人宿等ではない。本物の高級宿という事だな。
よし。服を着替えよう。赤い服にしよう。
濃紺のスカートのほうも悪くはないのだが、部屋の中でケープはおかしい。白いブラウスだけになると、それでさっきの部屋での食事は、ちょっと服が質素過ぎるだろう。濃茶のスカートでは、地味過ぎるだろう。ここは出来るだけ派手に行くか。
手っ取り早く、リュックから中の革袋を取り出す。ブーツも取り出した。ハーフブーツ。
赤じゃないのが残念だな。濃茶で染めたやつ。
何時もの靴は、ここで革袋に仕舞っておく。
後は、赤いブラウス。赤いスカート。そして赤い上着。首元に白いスカーフ。
これでいい。
ダガーは一本だけ、左腰に紐で結んだ。スカートにベルトを通すガイドを付けておいたので、それを使ってダガーの鞘についている革紐でぶら下げた。
まあ、両方はいらないだろう。あと、剣を持って行くのは失礼になるだろうし。
それで、ブロードソードと剣帯も、収納箱の中に入れておいた。
とりあえず、このベッドルームを出ると、大きい部屋の隅の両脇にドアがある。
一つはトイレだった。なるほど。二階に作るとなると、かなり大変だっただろう。
もう一つは、水場だ。
大きなハンドルのような物を押し下げると、水が出た。
なるほど。井戸から水を何処かに汲み上げてあるのだろう。それが、このハンドルで水が出るようになっている。
折角だから、部屋に戻ってタオルを持ち出す。上着を脱いで、ブラウスも脱いで、スカーフもとる。
そしてこの小さな水場で顔を洗った。
昼間歩いてきた時の汗を流せただけでも、すっきりするのだ。
よく見渡すと、水場の横に箪笥があり、中を開けると棚もあった。其処には多数のタオルが入っていた。
ああ。そういうことか。アメニティグッズだ。
これだけの宿になれば、彼方此方にそういうものがありそうだな。
先のトイレの方にも、そういうのがあるのかもしれない。
もう一度、服を着る。
実際の処、五〇もだいぶ過ぎたおっさんであっても、ホテルの高級な部屋、スイートルームとかには泊ったことがない。精々が中程度の部屋までだ。
スッファ街でのオセダールの館は、もう、貴族の館に間借りして泊めてもらっていた。位の感覚だ。今回のは自分で選んだ宿なのだから、少し緊張していたが、なんとかよさそうな宿を選べたようだ。あとは食事だな。
することがないが、こんな豪華な部屋での鍛錬も憚られる。
仕方なく、目の前の椅子に座る。座面が例によって背の高い亜人の座高に合わせてある為に、私が座ると顎がやっとテーブルの上に出る程度だ。
テーブルにはかなり凝った白い織物が敷いてある。こんなものも、ここマカマで織っているのか。下の分厚い絨毯など、どれほどの価値がするものなのか、さっぱり判らないが、幾何学模様が織り込まれていた。
暫く、そんなものを眺めて、それから置かれている石像を見る。この白い石は、大理石か。
これらの像は、女神像だろうか。この世界に来て、こういう像を見た事がなかった。オセダールの宿にもなかった。
一つだけ鎧を身に着けた女性の像で、他の二つはゆったりした服を身に着けているが、その服がどうやら薄いのか、下の状態が透けている様に彫られている。
これは……。
顔は似ていないのだが、あのやたらと服の薄い豊満な体つきの若い顔の天使を久しぶりに思い出した。この石像の顔はずっと大人びているのだが、体つきや服などが似ている。
しかし、これらの石像には、どれも翼がないな。あの若い顔の天使には、大きな白い翼があった。そうだった。私が天使だと判断したのは翼があったからだ。
もう一体の落ち着き払った顔の女神みたいな女性の像は、誰なのだろうな。
たしか、こういう造形技術で彫られた石像の女神というのも、元の世界にあったような気もする……。
絵画の方は、まるで見た事がない景色が描かれているが、この世界でもこういう絵画をやる人々がいるのだな。こういうものは、あの監査官たちのいた商館や館では見た事がなかった。
とにかく、写実的な絵を描く職業人がいるという事だな。
ただ、王国のギルドのガイドにはそういう、芸術に関するギルドはなかったので、これらを作る人々は職業ギルドにはなっていないという事だな。
まあ、元の世界だって中世の頃から近代に至るまで、工房や画家集団はあれども、王様や貴族、教会等のパトロンが金を出して、そうした人々を囲い込んで造らせていた位だ。この異世界でも、同じような物かもしれない。
そうこうしていると、両開きのドアがノックされた。
「どうぞ。お入りになって」
私がそういうと、入ってきたのは、入り口の中で対応してくれた老紳士である。
「食事の支度が整いまして御座います。マリーネお嬢様」
「分かりました。行きます」
老紳士の後を追って下に降りていくと、先ほどの部屋に通される。
そこにはもう、さっき私を案内した、この宿の主人がそこにいた。
私は出来るだけ笑顔で、スカートの両端を軽くつかんで、少しだけ持ち上げながら、左膝を曲げつつ、右足を十分引いてお辞儀。何しろスカートが短いので、僅かしか持ち上げてはいけない。長いスカートのほうがよかったかもしれない。
「小さな赤き英雄殿。当館の食事会にようこそ」
そう言いながら、宿の主、ニルフレーグ・ミッドベル・リベリーは右手を胸に、左手を腰の後ろに回して、お辞儀。
わざとやっているのだろうな。
先ほどの老紳士が、私の横に来て椅子を引いてくれた。そしてそこにはもうクッションが載せてあった。
出て来た食事は、まずは果汁の飲み物から。
「それでは、英雄殿に乾杯」
リベリーはグラスを持ち上げた。
「乾杯」
やや透き通った甘い果汁に僅かに酸味がある。それは後味に残らない。飲みやすい果汁だ。僅かなえぐ味も癖も全くない。
もしかしたら、二、三種類混ぜて調整してあるのかもしれない。
態々、見極めの眼で見る必要もあるまい。この飲みやすい果汁を堪能した。
そして、なにか、赤色と紫色をしたブロッコリーの様な野菜の入ったスープ。
塩胡椒と魚醤で味付けがされているが、わざと薄味である。それでこの野菜の独特な味を残しているのだろう。
水を飲んで、口直し。
そして、あのオセダールの宿でも出た、ブルスケッタらしきモノとスープだ。
「これは、スクロティ、ですか?」
「マリーネお嬢様はご存知でいらっしゃいましたか。この辺りの食べ物ではありませんが」
リベリーが、説明を続けた。
「元々は、北方の方の食べ物でしたがだいぶ広まりましてね」
「リベリー様は、どうして、私を、英雄と、おっしゃいますか」
スクロティを食べながら訊いてみる。
「貴女は、本当に変わったお方だ。金の階級章をお持ちの冒険者の方はこう、もっとそれを前面に出して来るものです」
「私は、望んで、こうなった、訳では、ありません。目立ちたくも、無かった、ですわ」
「貴女の事は、商業ギルドでも名前が出ていました。以前のガーヴケデック討伐です」
「あれは、白金の、山下様の、功績です。ギルドの、記録も、そうなっている、はずです」
「はっはっはっ」
男は快活に笑う。
「噂通りです。これは、これは。いや、失敬。貴女の噂では、貴女は決して自分の功績を誇示しないと聞きました。なるほど。確かに」
「私共でも、独自の情報網があるのです。マリーネお嬢様。商会の繋がりといえばそれまでですが」
リベリーはそこで会話を一度切った。
宿の主人、リベリーは顔に微笑を湛えながら再び話始めた。
「そこでは、お嬢様が、任務でどの様な魔物と対峙して来たのかも、かなり判っております。情報が冒険者ギルドの中で閉じている訳ではありません」
「仰っている事は、よく判ります。ですが、私は、降りかかる、火の粉を、払っている、だけなのです。私は、英雄、ではない、です」
食べるのをやめて、この紳士の方を見る。
紳士は実に笑顔だ。何か裏でもあるのかと思ったが、そういう事が読み取れそうな表情はしていない。
「マリーネお嬢様が如何にそのように考えても、周りは放って置かないでしょう。その事が、この『英雄』の一言に現れていると言えるでしょう」
紳士は両手を軽く合わせ叩いた。
先ほどの老紳士がやって来た。
「料理を続けておくれ」
「畏まりましてございます」
老紳士がお辞儀して出ていく。
「英雄、というのなら、殆ど、なんでも、討伐している、白金のお二人、ではないでしょうか?」
「あの二人は、確かにそう。私もそう思う。山下殿と小鳥遊殿だったね。この北部一帯であの二人を知らない者はいないでしょう」
リベリーが私の方を見て笑顔を見せた。
「スッファとキッファの間の街道掃除も、かなりの成果を上げて見せた。もう、王国全土で、あの二人の事は知られているだろうね」
リベリーはそういって肩をすくめて見せた。
つづく
まるでオセダールの宿、その第二弾というような高級宿に泊まってしまったマリーネこと大谷。夕食はお嬢様扱いされながら、豪華なディナーである。
次回 マカマの街の宿2
豪華な食事が続き、その後はお風呂。それもすべてメイドの手による洗いである。
オセダールの宿を思い出すマリーネこと大谷である。