169 第19章 カサマと東の街々 19ー8 カサマの街道と魔獣狩り5
新しく、カサマの銀階級隊員を入れて、街道掃除と指定された魔獣の討伐が始まる。
魔獣はマリーネこと大谷の臭いで、次々と現れるのだった。
169話 第19章 カサマと東の街々
19ー8 カサマの街道と魔獣狩り5
翌日。
討伐任務、三日目。週の四日目。
起きてやるのは何時ものストレッチから。
服はつなぎ服。あの茶色と緑の斑に染まったやつだ。靴は自作したばかりの柔らかいやつ。
雨は上がっているものの、上空はまだ、だいぶ曇り。
この日も外に出て、剣の鍛錬だ。今日もミドルソードで行く。
目を瞑ってのシャドウ訓練だ。
一通り終えて、宿に戻ると、朝食が出る。
マントはさすがにまだ乾いていないので置いて行くことにした。
今日もまだ開かぬ門の前で、剣の練習だ。
そうこうしていると、日の出時刻らしく、門番が門を開ける。
その時に三人が走り込んできた。
今日はウェイクヒース隊員が新入りである。
「おはようございます。今日も早いですな。隊長殿」
「おはようございます。全員、遅れなかった、ようですね」
副長が先頭に立ち、左手、北側に新入りの隊員が並ぶ。アイク隊員が其の位置だったからだ。
今日も虫の声が鳴り響く。
しかし、こと獣や魔獣に関して言えば、不気味なほどに静まり返っていた。まるで私が魔石のポーチを持って来ているかのように……。
「魔獣の、気配が、しません。今日は、かなり先まで、行く事にします」
「了解です。隊長殿」
風は無風ではなく、西の方から吹いてくる。湖の上なら、南風だった時間だ。
つまり、私の匂いはどんどん、進行方向の方に流れて行っているはずなのだ。
どんどん歩いていく。
しかしまったく、魔獣どころか、普通の獣の気配すらしない。
……
マカマへ行く街道の半ばまで来て、ようやく魔獣の反応。
背中に、寒気がきてそれから、暫くしてからじくじくするような感覚がある。
何だろうな。今までの物とは違うらしい。
「何かが、います。全員、停止」
私は、まずしゃがんで、左掌を石畳に付ける。右手の方。森だな。森の魔物がいる。
そのうちにまず一頭が出て来た。
距離はまだ、一〇〇メートルくらいは離れている。
体は、茶色の毛に、白い毛が斑点の様に多数生えている。尻尾は長い。
体長は二メートル五〇といった処か。
「全員、警戒!」
そういうと、副長が下がって、私の真横に来た。
「尻尾が後ろ半分だけ、黒ということはやはり、雌ですな。隊長殿」
「副長、あれは、何というのですか?」
「イゾナクージという中型の魔獣です。隊長殿」
「あれは、まず雄は戦いに参加しないのですよ。雌が獲物を捕らえます。そして、群れの長になっている雄がやって来て、まず心臓とその近くの内臓を食べるのですよ。残った獲物の肉は雌が奪い合う喧嘩がよく起きます。隊長殿」
「一夫多妻と、いう事ですか? 副長」
「そうなりますな。群れは比較的大きくなります。狩りに出て来るものだけでも平均して一〇頭はあります。子育て中なら、少し減りますがそれでも七頭から八頭が出てきます。その中で一頭だけが雄です。隊長殿」
「判ったわ。かなり、出てきそうね。私に、向かってくる、魔物は、全部、私が、相手します。みんな、広がって!」
副長は私のやや左後ろから、左に広がる。
ウェイクヒース隊員を一人にしない様に動いたのだ。流石だな。
一頭は道の真ん中に座り込んでいたが、その周りに三頭がやって来た。
全部雌、四頭だ。
そのうち三頭が、うろうろしつつも、私の方に少しづつ距離を詰め始めた。
更に森から四頭が出て来た。一番遅れて、尻尾の色が全て真黒の魔獣。三メートル程の躰だ。他より大きい。あれが群れの長になる雄らしい。
その雄が、いきなり吠えた。
その吠えた声に呼応して、最初に出て来た魔獣が二頭を従えて、こちらに走り込んでくる。
どんどん迫る。
彼奴等は、私の匂いで出てきたのだろうから、私目がけてまっしぐらだろう。
フェイントな動きは無いと、私は予想した。
抜刀!
一頭の顔がこちらに突っ込む刹那、私のミドルソードがこの魔獣の首を斬り飛ばした。私は僅かに左に躱す。斬られた首も、勢いつけて飛び込んできた躰も、そのまま私の右後ろで石畳の上を音をたてながら、転がり、そして滑っていく。
私は瞬時に、そこから手首を返して右中段に向かった剣先は、そのまま左方向へ水平に払われた。
遅れて突っ込んできた二頭の喉の下をすっぱりと切り裂いた。
私の方に前脚を出していた左側の魔獣の首をやや下段から斬り、刎ねる。
右側から来た魔獣は私の横を通り過ぎてから倒れ、四肢が痙攣していた。
後ろにいた四頭は、私以外の隊員に向かう。
レグラス隊員が、自分に向かってきた一頭に剣を突き出した。その剣は魔獣の開いた口にそのまま吸い込まれ、そして、魔獣の動きが止まった。剣は魔獣の口を貫いてそのまま後ろに抜けていた。極めて冷静な剣だった。
左を見ると、副長がやや斜めから剣を魔獣の胴体に刺し込んで斃したが、ウェイクヒース隊員は態勢が悪く、剣を刺し損ねて、掴み掛られ転倒した。
私はそれを見るや、左手で右腰のダガーを引き抜いて、投擲。魔獣のケツに刺さった。魔獣がいきなり二本足で立ち上がったあと、二転三転と転がる。そこを副長が胴体に剣を刺してトドメを与えた。
その時には、もう一頭が急に私の方に向かってきていた。
両手でミドルソードを握り直し、左から中央へ、そこからほぼ右真上へ斬り上げた。
私は左に避ける。魔獣の首が千切れ飛び、胴体はその場で崩れ落ちた。頭が私の右横に落下。激しい流血。斃された魔獣は四肢が痙攣していた。
残っていたのは二頭。
一頭がこちらに向かって走り出し、半分くらい距離を詰めたところで、急に止まった。それから頭を低くして、構えた。
「あれは! 角からの雷撃がきます! 隊長殿!」
副長が叫ぶ。
私はミドルソードを鞘に仕舞って、右手でダガーを引き抜いて、全力で投擲。
顎を地面に擦りつける様にして躰を伏せていた、その雌の額にダガーは命中していた。
技を出すために構えた雌は即死だっただろう。
雄が狼狽えている。雄は走り出し、雌の所に駆け寄った。
その死んだ雌の周りをうろうろと歩き回る。
雄も何か特殊な攻撃をするのだろうか?
私は身構え、右手をミドルソードの柄に置いた。
その雄はこちらを一回見るや、急に走り出した。南の森に向かって。
あっという間に、魔獣は死んだ雌を残して南の森の奥に消えて行った。
「一頭、逃げられたわ。ウェイクヒース隊員! 大丈夫ですか」
ウェイクヒース隊員は、やっと起き上がったようだった。
やや背中などを打ち付けたようだが、骨折はしてないようだ。
「終わりましたな。隊長殿」
副長がウェイクヒース隊員と戻って来た。
「今回は、雷撃は、撃ちませんでしたが、どれくらい、飛んでくるのか、副長は、知っていますか?」
「それ程は飛びません。一フェルス飛ぶかどうか、ですね。隊長殿」
…… それって、四〇メートルだぞ。十分距離が飛ぶとみて良い。
「あれは、赤くなってから、どれくらいしたら、電撃が、出るのでしょう?」
「そうですね。個体差がかなりある事が、解っています。かなり長くかかる感じはあります。イグステラの様に直ぐには電撃を出せません。ですので、全頭が揃って電撃をだすような、イグステラの様にはいかないようです。隊長殿」
「分かりました。ありがとう。副長」
私は走って行き、さっき飛ばしたダガーを回収する。
頭に刺さっていたダガーを抜いて、私はしゃがんだまま、目を瞑って手を合わせる。
「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
そのまま、この屍体を引きずって、三人の場所に戻る。
魔獣のケツに刺さったダガーも引き抜いた。
これまた私が切り倒した屍体の前でしゃがんで目を瞑って手を合わせる。
(南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏)
心の中で、お経を唱えた。
「さあ、全部、解体しましょう。魔石と、角、牙を、回収します」
まずは牙を削り取る。四本。次に比較的小さい、角。これも削ってから、眉間にダガーを打ち込んで、そのまま頭頂部まで切り裂く。
血が一気に溢れ出てきて、まずその匂いで噎せる。
頭頂部から後頭部まで切り裂いてから、ゆっくりと両耳を引っ張って、頭蓋骨を開けていき、脳味噌にダガーを突き立てる。もう周りは脳味噌の周りに詰まっていたらしい体液が放つ異臭でかなり酷い匂いだ。
やや灰色に近いピンク色の脳味噌から脳漿と多量の血が流れ出て、その匂いで更に噎せた。ダガーで抉ると魔石があった。平べったい、灰色の魔石。中心には薄蒼い渦巻き模様があるのが見えた。大きさは私の親指二個分。
八体も脳味噌を解体すると、その匂いが凄まじく、私は暫くの間、噎せていた。
「副長、この肉は、幾らか、解体して、持ち帰りましょうか?」
「こやつらの肉は大変臭く、そのうえ不味いのです。相当な手間を掛けて加工しないと食べられないとの事。普通に食用にするには適していないという事で、放置するのが普通であります。隊長殿」
「わかりました。ありがとう。副長」
そうか、不味いのか。そうであるなら、苦労して持ち帰るものでもないな。
やむなく、全ての屍体を森の中の藪になっている場所に、運んで行く事にした。ウェイクヒース隊員が、頑張って二頭の屍体を運ぼうと格闘していた。私は両手に一頭ずつ、脚を持ち、ずるずると引きずって運んでいく。
他の二人は一頭ずつを両手で持ち上げ、走り出した。重いだろうに。
藪の中に、全部の屍体を積み上げて、頭もそこに置いた。
目を瞑って、黙祷。
(これも、街道の安全のため。南無阿弥陀仏)
「全員。休憩」
私が命じて、とにかく休憩を取らせる。
暫く、街道の真ん中で座って休む。さっき、魔獣を解体した場所より、やや西に戻ってから座り込んだ。
西からの風で、匂いは東の方に流れて行ったが、血やら脳漿やらが石畳に零れ、そこはまだ異臭が残っていたからである。
ウェイクヒース隊員は大丈夫だろうか。少し無理をしているようにも見えるが。
まあ、副長がそれとなくフォローを入れる様だから、このまま進むしかないな。
革袋の水を二口飲んで、立ち上がる。
「全員、出発」
私が命じると全員が起立した。
さらに先へ。
先ほど、雌にダガーを投げて斃した場所を通り過ぎる時、南の森を観察したが、魔獣の気配は全くなかった。
時間的には、まだ昼前だろうか。二つの太陽は厚い雲に遮られて見えないが、まだ昼を過ぎたとは思えない。
風はまだ、後ろからだ。つまり南西の風なのだ。午後になれば、東風に変わるはずだ。
広がった隊形のまま、街道を進んでいく。
私の匂いは、風にのって東に流れているはずだ。魔獣がいれば必ず出て来る。それだけは間違いない。
どんどん歩いていくと、北側では時々動物の気配があったりするのだが、どんな獣なのかは判らない。
と。いきなり背中に反応があった。独特の疼く様なぞくぞくする感じ。
この感じはまたもや、イグステラ。
頭の中では、僅かに警報。
さっとしゃがんで左掌は石畳につける。
左前方か。
イグステラは三頭か。或いはもう少しいる。これは群れで走ってきている。
「イグステラ。前方、左から! もう来るわ」
そう言い終わらない内に、脇の北の森から二頭が走って私の方に出てきた。
右足を一歩踏み込みながら抜刀!
剣は、左から右上に。そこで手首を回して右下を回って、手首を返して再び左。剣先は左上へ。そこで更に手首を返して剣先は左下。再び剣は右上に。右手一本で∞の軌道を描いて、剣先が回った。
突っ込んできていたイグステラ二頭の首が瞬時に飛んだ。
私を咬もうとした二頭は頭を失った胴体が私の左を抜けていき、石畳に落ちて滑って行った。二頭とも激しく手足が痙攣。頭は私の少し後ろに落ちて石畳の上を転がる。
「ガッシ・デアーグ……」
ウェイクヒース隊員から大声が上がる。が、何をいっているのかは判らない。共通民衆語では無かった。
そのウェイクヒース隊員めがけて、一頭のイグステラが飛びかかってくる。
もう、いきなり喉を狙っていた。
彼が左に避けながら、転ぶようにして地面に転がる。
副長がそのイグステラに横から剣を挿し込んでいた。魔獣の動きで剣がやや横に流れると肉が斬り裂かれる。
魔獣から悲鳴が上がり、下に落ちて転がるも、そこで動かなくなり激しく四肢が痙攣。
そこへ更にイグステラ三頭。やや遅れて突っ込んできた。
これは奥から来たのか、それとも同じ群れだったのか。
私に向かってくる二頭に対して水平方向に剣を払う。
喉の下、胸を真一文字に斬られた二頭が、その場で転び二転三転。そして動かなくなる。胸からは激しく流血。手足が痙攣していた。
一頭少し遅れてジャンプしたイグステラが私に向かっていたが、右にいたレグラス隊員が横から薙ぎ払うように斬った。魔獣の胴体が大きく切り裂かれ、内臓が吹き出すように飛び出して、悲鳴が一度。胴体が石畳の上に落ちると内臓が辺りに散らばって、蠢いた。そして激しい流血と共に四肢が痙攣。
戦闘は、ほぼ瞬時に終わっていた。
辺りに血の匂いが立ち込める。
「魔獣、多くないですかー? 隊長ぉ」
情けない声が上がった。
ウェイクヒース隊員が音を上げかけていた。
副長がしきりに、ウェイクヒース隊員と私の顔を交互に見ている。
そうか。副長は言葉にこそ出さないが、ウェイクヒース隊員はもう限界だといいたいのだろう。このまま続行して、大怪我をされても困るな。
言葉にしてしまえば、内容はどうであれ、合理的な理由が必要になる。
副長は、この彼のプライドを傷つけないように、やんわりと態度で伝えて来ているのだろう。
彼はまだ銀階級になったばかりなのだろうか? 銅二階級あたりの隊員と違わないような気もしないでもない。まあ、それはここでいっても仕方がない事だ。
今日はこの辺が限界か。
屍の前で、私はしゃがみ込む。静かに目を瞑り、両手を合わせる。
「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
小声でお経を唱える。
私は、ここで戻ることにした。
「全員、休憩」
とにかく、少しだけでもウェイクヒース隊員を休ませる。
「呼吸を整えたら、魔石を回収です。牙と、角も、忘れないように」
私が二頭を解体している時にウェイクヒース隊員は一頭がやっとだ。
副長が二頭を解体。レグラス隊員が一頭。胴体に傷が少ない個体をレグラス隊員が首を落として、やや血抜き。彼は余った時間で全ての屍体を集めて街道脇に並べた。
魔石と角、牙は副長が回収して、背中の革袋に入れた。
元々私が首を刎ねた二頭も合わせて、四頭を持ち帰ることにする。
横から千切れ掛けている二頭は私が北側の森に運んで木の裏に置いた。
片手を前に。手を手刀のようにしてから胸の前に垂直に構える。
黙祷。(出てくれば、森に帰すことは出来ない。斃すしか無いのだ……)
屍体は全員が一頭ずつ、四頭を担ぐ。首を下にして後ろ足を肩の辺りで担げるようにロープで結んだ。
「では、撤収です」
「了解です。隊長殿」
再びカサマに向けて歩き出す。
……
「イグステラが雷撃して来ませんでしたな。隊長殿」
暫く歩いていると、副長が不思議そうな顔で話しかけてきた。
「そうね。この辺り、では、まず、雷撃ですか?」
「多いです。大抵、一人は犠牲になりますな。隊長殿」
「スッファ街の、方では、そうでも、無かったわね。キッファ街へ、行く、途中も、そこそこ、出ましたが、雷撃は、最後の、手段、という、感じ、だったわね」
「そうですか。住んでいる場所である程度違うのでしょうかね。隊長殿」
「此方の、イグステラの、方が、攻撃的、なんでしょうね」
そうか。湖の東はかなり攻撃的な魔獣たちが多く、此方の方の支部員は、多くが大怪我を負うか、雷撃で手や脚がやられ戦えなくなるか、死亡したのだ。
それで慢性的に支部員が不足状態になっているのだろう。トドマから応援が常に出される程に。
マカマの方は、凶悪なやつに遭遇して、支部員が全滅だ。
今日、私に向かって来ていたイグステラたちは、私の血の匂いで出て来たのは間違いない。そして、そういう魔獣たちは、最初から必殺の技を出すようなことはしない。今まで、全てそうだった。それはこのマカマの街道でも同じという事だ。
東風が吹いて、私の匂いは進行方向のカサマの方に流れているはずだが、その後、撤収中には魔獣が出ることは無かった。
まだ夕方になるには少し早い。
門番に挨拶して、ギルドに向かう。
その時に、副長が立ち止まった。
「イグステラの屍体を私が持ちますから、今日はここで終了で、どうでしょう。隊長殿」
「いいのですか? これ、ちゃんと処理しないと」
「ウェイクヒース隊員にやらせます。隊長殿」
なるほど。早く終わらせてくれたので、この屍体の処理は、彼にやらせるということか。
「わかりましたわ。副長。あとをよろしくね」
「お任せ下さい。隊長殿」
「それでは、また明日。皆さん、またよろしくね」
私は、そのまま中央通りに出て南に向かい、宿に入った。
「ただいま」
「おお、お帰りなさい。ヴィンセント様」
宿の主人が中で出迎えてくれた。
「今日は早い終わりですな」
「そうですね。魔物は、出たのですけど、また、目的の、物では、ありませんでした」
「そうでしたか。今日はもうお出かけにはならない?」
「はい。剣を、ちょっと、点検して、研ごうと、思います。入り口を、借りても、いいかしら?」
「どうぞどうぞ。でも、まずは荷物を置いて、休憩されたどうです? お飲み物をお持ちしましょう」
そういうと彼が振り返って奥に声を掛けた。
「フリーダ。ヴィンセント様がお戻りだ。飲み物を持ってきておくれ」
荷物を置いて、そこに在るかなり低いソファーのような椅子に座る。
フリーダ夫人が果汁をたっぷり入れたゴブレットと水の入ったコップを持ってきてくれる。
甘酸っぱい果汁を飲んでは、水を戴く。
それにしても。払った宿代以上の持て成しを受けている気もしないでもない。
なるほど。細工屋の主人が薦めてくれた訳が判った気がする。
さて一休みしたので、部屋に行って砥石を出してくる。
桶も借りて水を入れる。
宿の入口脇を借りて、水を入れた桶も置いて、砥石で研ぎ始める。
まずは、ブロードソード。刃が毀れた場所はない。しかし軽く研いでおこう。
ダガー二本。これはそれなりに使っているので、特に剣先部分が少し鈍っているかもしれない。先端部分はそれなりに丁寧に研ぐ。刃渡り部分は軽く。
さて、ミドルソードだ。
信じられない位、何の傷も無い。刃の何処かに小さい傷でもあるかと、懸命に探したが、まったく異常は見られない。そこで、ごく軽く、表面をなぞる程度の磨きを砥石で行う。
水で洗い流し、布で拭いて鞘に仕舞った。
仕事道具はこれで問題ない。
部屋に戻ると、私の服が畳んで置いてあった。洗って干して、アイロンまでかけて置いてくれたのだ。
そして、今日もお風呂。
この値段なら、毎日ここで暮らしてもいいんじゃないかと思うくらい、快適だった。
そして夕食である。
今日の夕食は、明らかに鳥肉だろう。獣肉ではない。それがたっぷりとしたスープの中で浮いている。肉はかなりきつね色になった状態で入っているのだ。焼いてあるのだろう。そして、真っ黒に近い何か。何だかわからない野菜か?
それとやや柔らかいパン。例によって、甘い果汁の飲み物。
手を合わせる。
「いただきます」
香りからして、独特である。
「これは、なんという、料理ですか?」
「レシュアーグ・モルケと言いまして、異国の料理です。ヴィンセント様」
宿の主人が教えてくれた。
取り敢えず、恐る恐る、肉を切って、口に運ぶ。
味はかなり独特。肉の味は、濃厚な旨味と、何かの甘味。それに香辛料。
「甘味がありますね」
そう言っていると、夫人がやって来た。
「モルケとは、この焼いてある鳥肉の事でございます。ヴィンセント様」
黒いのは、どうやら甘い果物を一度干して、真っ黒になったものを、この料理に入れる前に軽く焼いて、そのうえでこのスープに入れたのだ。
不思議な味としかいいようがない。しかし、不味いとかそういう事では無い。
このスープにパンを浸して、十分に浸した所で食べる。甘味と肉の旨味。たぶん鳥の脂の味。恐らく何種類かの香辛料の味。
パンにかなり複雑な味が染みて、いい味になっている。
この、意外な異国料理を十分に堪能した。
「とてもいい味でしたわ。フリーダ夫人」
そういうと夫妻の笑顔が返って来た。
「ごちそうさまでした」
手を合わせる。
この宿のいいところは、けっして勿体ぶらず、気配りの利いた料理が出る事や、さりげない配慮だ。
私好みである。本当にいい宿を紹介して貰えた。
つづく
新入りの銀階級無印の隊員は、音を上げてしまう。
仕方なく、その日はイグステラを斃した所で戻るのだった。
次回 カサマの街道と魔獣狩り6
いっこうに目的の魔獣は出ないまま日数だけが過ぎていく。