167 第19章 カサマと東の街々 19ー6 カサマの街道と魔獣狩り3
雨になった街道の脇から、この日の街道掃除が始まった。
またしても、マリーネとこ大谷が見た事の無い魔物と遭遇する。
167話 第19章 カサマと東の街々
19ー6 カサマの街道と魔獣狩り3
翌日。
討伐任務、二日目。週の三日目。
起きてやるのは何時ものストレッチから。
何時もの時間に起きた筈だが、やや暗い気がする。
窓を開けて、北東の空を見ると天気がかなり怪しい。
柔軟体操の後は、いつも通りに、空手と護身術。それから両手ダガーの謎の格闘術である。
流石にここで剣は振るうことが出来ない。
少し空気が湿気ている。湖を渡った東側の、このカサマ方面の天気は私にはまだ分らない部分が多い。しかし、雨が降りそうな気がする。
リュックに、ロープと雨用の革のマントを入れた。
マントを着ることになった場合、後ろに剣があると邪魔になってマントの役割を果たせない。
そして背後の剣を抜くのも苦労する。暫く考えて、ブロードソードは置いていく事にした。
持ってく剣は、今日はミドルソードとダガーにする。
ミドルソードを腰につけた。とはいっても、腰に付けて後ろに下げるのではなく、お尻の上あたりを横切って反対側に出る感じだ。まあマントはそこの所だけ、大きく開いてしまうが、仕方がない。抜刀を考えると、鞘は後ろは密着させずに、少しベルトで動ける余裕を持たせている。右手で引き抜いた時に、そのまま抜けるようにするためだ。納刀は簡単ではないが。左手で鞘を抑えて、右手で慎重に差し込むような形だ。
下に降りて行って、宿のヨーンさんに扉の鍵を開けて貰う。
残念なことに、下の落とし錠はともかく、扉のかなり上にある鍵には手が届かないのだった。何故あんな場所に、鍵を通しているのかと見てみると、鍵の部分と連動して、上に棒が出るようになっているのだ。当然、上の壁に穴が開いていて、そこに突き出た棒が刺さるのだろう。
厳重な戸締りという事だな。
宿の外で、剣の練習をする。辺りはまだ薄暗く、人影は全くない。
西の空にはまだ星々が見えるほどだ。南南西の山の上には歪に欠けている蒼い月。
南側と自分のいる真上から東は分厚い雲に覆われていた。
まずは目を閉じて、何時もの様にシャドウでの剣技。
そして、スラン隊長に教わった、あの剣技だ。相手の剣を少し弾いて、こちらが刺し込む剣である。半身ではなく、完全に横一文字の構え。本当は剣を二本持つのだが、今回は一本で。
横一文字の構えだと、相手から見える面積が最小となる。だから、この場合、狙われるのは頭か、顔か、或いは肩か。低い構えになればなるほど、相手が狙える場所は、そういう処しかない。
しかし、こちらが体を入れ替える時や、半身になった時を狙ってくるかもしれない。両手の剣ならそういう時ももう片方の剣で、相手の剣を往なせるか。
私は左に構えたミドルソードを左手だけにして、反射的に右手で右腰のダガーを抜いた。このダガーを握ったまま、臍の辺りでやや斜めに構える。
もしこれが、ブロードソードなら握ったまま、剣を真後ろに向けるとかが、いいのだろうか。相手からしたら剣の長さが分かりにくい。
しかし、私の身長がもう少し伸びてくれないと、往々にして相手に届かないのが厳しい。
……
戻ると、朝食。今日も食事を出してくれる。
実は地味に助かる。
今日の食事は、パンとシチュー。シチューの中に昨日食べた獣の肉が入っていた。
食事を終えると、夫人がまた果実を持ってきて果汁を絞ってくれる。今日のはごつごつした果物で、ドラゴンフルーツのような形だ
中の果汁は、やや黄色だが、どちらかと言えば肌色に近い色だった。これもまた、強烈なほど甘いのだが、やや酸味があってそれが口の中に残った。
水を一杯頂いて、口の中の酸味を洗い流して、出発。
門に着くころには、静かに雨が降り始める。
私はリュックからマントを取り出して、リュックを背負ってから、頭から被る様にしてマントを付けた。
門番の人たちは既にマントを着用していた。彼女たちは私の様にリュックを付けている訳では無いので、もう夜の任務の時にマントを付けていた事になる。つまり、雨が降る事を知っていた訳だ。
私は両手で、きちんとリュックを覆ったうえで下にマントが来ていることを確かめる。
他の三人は既にマントを着用してやってきた。雨が降りそうなので、出てくる時に着用して来たのだろう。
門番の二人が、東門を開けてくれた。
街道はまだ薄暗く、もう雨に濡れそぼる敷石が街から漏れ出た灯りで僅かに光っていた。
今日はすこし南の森に入ることにする。
「今日は、街道から、やや逸れます。ガオルレース、探索で、南の林を、警邏して、いきます」
「了解です。隊長殿」
副長はそう言ったが、他の二人は頷いただけだ。
彼らベルベラディ支部でのやり方と、私はたぶん違うのだろうな。
まあ、そんな事を気にしていても仕方がない。
どんどん街道を歩いて行き、南にやや開けた林のある所から、南に向かって進んで行く。
暫く、疎らな林の中を歩いて、川の流れている場所に出る。
私はそこで川の流れを見た。やや早い流れで、カサマの街の方に流れて行っているが、カサマの街に流れ込んでいる川を見た事は無いので、たぶんこれは途中で南側に曲がって、カサマの南で湖に流れ込んでいるのだろう。
東側、上流になる方を見る。林の中をやや蛇行しているので、先は見通せないのだが、マカマ街の南にあるという湖の方に向かっているのだと思われた。
川幅は大体二メートル。川幅の広い所は三メートル以上ある。
然程、深くはないのだろうけれど、深さを確かめるために、剣を抜いて水の中に刺してみる。
……
届かないらしい。しゃがんで刺し込んだが、何かに当たる気配がない。
つまり水深は、八〇センチ以上ある。一メートル以上あるのかもしれない。
歩いて渡るなんて、却下だな。私の胸の上まで水が来るのは確実。しかも流れがゆっくりでは無いのだ。泳いでも流されかねない。やれやれ。
「全員、川からやや離れて、上流に、向かいます」
「了解です。隊長殿」
副長が先頭に立って、他の隊員は、一人が街道側、もう一人が私の後ろだ。
林の中にも多少雨が降る。
ふと街道の方を見ると、雨は本格的に降り始めていた。
川沿いに進んでいくと、林はだんだんと樹々の間が密になっていく。
先ほどまでの、疎らな間隔ではなくなっていた。森になりかけている場所だろうか。
ここは川幅が先ほどのより太いが、川辺は浅いらしく水面下の小石が見えた。川幅は五メートル程だろうか。川の真ん中の方に魚影が見えた。この辺りは流れが先ほどよりゆったりしているようだ。
ここから東に向かって川は、東南東の方に少し曲がっている。
林の中の草叢には幾らか虫がいて、私たちが歩いていくと虫が一斉に飛び出す。トドマの山の方では、ここまではいなかったな。まあ、あの粘土採集場の横の森で見た光景を別にすれば、だが。
アレを思い出して、少し気分が悪くなった。
全員無言のまま、更に林の中を進んでいく。
と、その時だった。背中が疼くように反応した。と同時に、頭の中で警報音が鳴り始めている。何かがいるらしい。
「全員、その場で、停止! 警戒態勢」
私がそういうと、全員無言のまま、剣を抜いた。
と、林の向こうの川辺に何かがいて、蠢いている。
大きな鋏で、何かを千切っては、その鋏に挟んだ肉を食べている。
かなり近づくまでは、シルエットしか見えなかったが、全体が赤黒い。
「水棲魔物です。隊長殿」
「あれは、なんというのです?」
「タルヤルであります。隊長殿」
見た目は巨大なザリガニのような魔物である。それが二匹。
大型の獣が殺られて、それを二匹が奪い合う様に食べていたのだ。
「水辺に来る獣を襲って食べる、惨忍な魔物です。あの大きな鋏に挟まれると、どんな獣も逃げられたものはいません。生きたまま、喰われるのです。隊長殿」
副長の声はいつの間にか、かなりの小声だった。
その間、あの魔物が獲物から肉や骨を毟り取る音が続いていた。
あれを斃すべきかどうか。
「副長。あれは、街道まで、出てきますか?」
副長は暫く、無言だった。
「滅多には出てきませんが、街道で水が不足すれば、それを川に汲みに行く旅人がでます。そこでやられるのです。雨が降ると、陸地でも活動するところが確認されています。隊長殿」
つまりは、あの二匹、もしかしたら雌雄のペアかもしれないが、斃しておくに越した事は無いという事だな。
「全員待機。何とかして、あの二匹を、引き剥がします」
「隊長。一匹は私が引き受けますよ」
そういったのはアイク隊員だった。
私は走り出した。やや街道側に。街道の方から、川に向かってきたかのような、足取りで突進する。
一匹が、こちらに気が付いた。私の頭の中の警報音が一層甲高く鳴り響いた。
そいつの右手の大きな鋏が振り上げられた。
その瞬間だった。そいつの腕が伸びた。
伸びた部分は白い肉をみせながら、猛烈な速さで私に向かって鋏が飛んできたのだ。
抜刀!
全力で左から右に払った。
私は半歩、左に躱していて、飛んできた鋏の一番太い場所を真っ二つに切断。鋏の先端部分、二本の刃が付いた部分がそのまま私の右後方、地面に落ちて音を立てて突き刺さった。
そいつの鋏の切断された場所から、やや白っぽい紅色の肉が大量に見え、そこからこれまた大量の灰色の体液が飛び散った。
「デ・グッラーデ……」
アイク隊員が、私の知らない言葉で何か漏らした。共通民衆語では無かった。
右手の鋏を飛ばされた巨大ザリガニ擬きがこちらに向かって突進してきた。
尖った頭。目がまるで白い棒の様に飛び出していて、その先端だけ黒い目がこちらを見ている。
足は多数ついている。片側だけでも八本。両足で一六か。
物凄い速さでそれが動き、あっという間に私の前に迫る。
アイク隊員は、もう一匹を嗾けていた。そこに他の二人が加勢に加わる。
こいつ、なにかの必殺の技でもあるのだろうか。
その時に、後ろの尻尾のような部分が上を向いた。ザリガニではありえないポーズになっている。
エビ反り。それはまるで蠍だ。その先端は広がった翼のような物があったのだが、そこの間から何か棘が見えた。
その棘から、何かが射出された!
私はさらに左に躱した。足元の草で滑りやすく、このままではまずい。位置を替えなければならない。
飛んできた物は、かなり小さな棘だった。恐らく何かがついているだろう。
神経系か、或いは猛毒か。
この魔物の目が黒から赤に変わっていた。もう目の前に近い。左の鋏が繰り出されてきた。
しかし、伸びない。
右に構えた剣をそのまま、左に払って鋏の根元を斬る。その瞬間に、巨大ザリガニ擬きは泡を吹いた。
左に倒れるようにして、躱す。左手をついて、そのまま左前方に一回転。
飛び出した泡は、私の居た場所の草を溶かしていた。
私はもう巨大ザリガニの横だ。ミドルソードを尖った顔の後ろに突き立てる。
一拍置いて、剣を引き抜いた。
引き抜いた場所から、真黄色の液体が噴出した。そして恐ろしい程の饐えた臭い。
たぶん、この魔物の血だ。
魔物は少し痙攣して脚を出鱈目に動かしていたが、動かなくなった。
アイク隊員たちの方を見ると、彼らはだいぶ苦労していた。
残っていた一匹は泡を吹きまくり、近づく事が出来ない。泡で辺りがどんどん溶けていく。一部は樹木にかかり、樹木の樹皮が溶けて、肌色の生木が剥き出しになっていた。
私はもう走り出していた。走りながら左手で右腰のダガーを抜いた。
そのまま投擲。
ダガーはこのザリガニ擬きの尖った頭、目と目の間に深く刺さった。
と、急にザリガニ擬きが暴れる。
手やら足やら、暴れ動く。
ザリガニ擬きは一度尻尾のような形態をした下半身を丸めて後退しようとした。
その時に副長とレグラス隊員が左右から胴体を、アイク隊員がほぼ同時に頭の後ろに剣を刺し込んでいた。
鋏を大きく広げて、ザリガニ擬きが両手を上に掲げるかのように鋏を持ち上げる。
口から泡ではなく、黄色の液体が流れ出始めていた。猛烈な悪臭が漂う。
三人が剣を引き抜いた。
そこからも黄色の液体が流れ出て、饐えたような悪臭があたりに充満する。
ザリガニ擬きが、その場で崩れ落ちた。
「やった!」
叫んだのは、レグラス隊員だった。
私はダガーを引き抜いた。
副長が剣を突き刺して、脳味噌の位置を探っている。
アイク隊員が刺した場所のやや後ろに脳味噌があった。副長はこいつの殻を割って、中の脳味噌に剣を刺し込む。
猛烈な悪臭が漂う中、剣で抉って、魔石を取り出したのだった。
灰色の平べったい魔石。薄い渦巻き模様があったが、色は白っぽい。
大きさは私の親指二個分ほど。
私が倒したほうも、殻を割って脳味噌を抉って魔石を取り出した。
その場で目を閉じて両手を合わせる。
「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
小声でお経を唱える。
こんな惨忍な魔物だろうが何だろうが、此奴らは、この世界の一部である。
私の任務がこの街道の掃除でなければ、此奴らを斃したかどうかは分らない。
雨が降る中、私の匂いが此奴らに届かなかった事で、予め向かってくる事が無かったというだけにすぎない。
この残骸をどうするべきか。
「副長。この魔物の、残骸は、どうしますか?」
「ここで腐敗させれば、どれほどの悪臭になるか、判りません。川に流せば、ムウェルタナ湖に流れていくでしょう。川に落としましょう。隊長殿」
私は頷いた。
「私が、斃したほう、私が、川まで、運ぶから、三人は、この魔物を、川に、落として下さい」
「了解」
三人が魔物に取り掛かる間に、私はさっき斃したタルヤルとかいうザリガニ擬きの所に戻り、尻尾を掴んで運び始める。
雨の中、だいぶ周りの草が溶けている場所もあったが、それも雨水で薄まっていたようだった。
尻尾の真ん中に、棘があった。これだな。さっきの飛ばしてきた攻撃。
私はダガーでその棘を根元から切り落とした。その時、根元から大量の灰色とも白ともつかない液体が飛び出してきて、私は慌てて離し、尻尾を落としてしまった。
この液体は毒かもしれない。
もう一度其処を避けて、尻尾を掴み引っ張っていく。
雨でぬかるんだ林の中、やっと川辺に引きずってきたが、このままでは落とせない。ここで尻尾を引っ張りながら川と並行になる様にした。あとは、三人が横から足で押したり蹴ったりする形で川に落とした。半分沈みながら二体の魔物の死体は、川下に流れて行ったのだった。
「少し、街道側に、戻って、休憩します。ここは、空気が、悪すぎます」
「了解です。隊長殿」
副長以下、他の二人も剣を仕舞って、北側に歩く。
雨は一向に止まず、林の中には霧が漂い、何もかもが酷く濡れていた。
「隊長のあの剣。タルヤルの一番太い鋏の処を斬り飛ばしたのは、本当にびっくりしました。あそこは、普通の剣なら、刃が欠けるほど硬いのです」
歩きながら、アイク隊員がすこし小声だったが喋り始めた。
「少なくとも、あそこを斬り飛ばした人を、私は今までに見た事がありませんでした」
「それなら、今日、見れて、良かった、のかしらね」
私がそういうと副長が、くっくっくっと笑いを堪える声だった。
「隊長殿は、色んな部分が規格外ですからな」
副長がそう言い、一行は更に林を歩いて街道にたどり着いた。
「全員、休憩です」
そうはいったものの、雨がだいぶ酷く降って来ていて、雨宿り出来る場所も無いのだ。
立ったまま、革袋の水を飲んだ。
暫しの休憩である。
「まだ、日暮れまでは、かなりあるので、もう少し、東に行きます。全員、出発」
「了解です。隊長殿」
副長がそう応えると、他の二人も革袋を仕舞い、私の横に広がった。
東に向かって歩いていくと、空の雲は厚さに差が出来ている。
しかし、雨は如何な、上がる素振りを見せなかった。
……
つづく
やっとのことで魔物を倒したが、この日はまだ終わらない。
雨も降り続いているのだった。
次回 カサマの街道と魔獣狩り4
雨の中、街道で魔物に出会う、討伐隊。
この戦いはどうなるのか。