166 第19章 カサマと東の街々 19ー5 カサマの街道と魔獣狩り2
出てくる魔獣たちは斃すしかない。しかも。まだ始まったばかりなのだ。
166話 第19章 カサマと東の街々
19ー5 カサマの街道と魔獣狩り2
歩いて、また少しずつ前進。
街道の景色は、左右共にほぼ森であり、そこには沢山の虫がいるらしく、虫達の啼き声が響き渡っていた。
街道は、私たち以外に誰もいない。無人である。
更に歩いていて気が付いた。
ここの街道の敷石は道の中央を境にして、ではなく北側から南側に向けて僅かに傾きがある。この道幅は大体八メートルくらいだろうか。一フェムトが四・二メートル、恐らくは二フェムト程度か。
荷馬車が行き交うには十分な幅があり、そしてこんな辺境の地であるにも関わらず、王国の街道はきちんと整備されていた。
なんにせよ、道の南側の端はやや広く窪みが付けてあって、雨が流れるように工夫されている。ここからマカマに向かっては登りになっているのだ。降った雨水は、カサマの方に流れていくのだな。それにしても、ここでは中央を境にしての傾きではないのが意外だった。つまり左右に分けるよりは南側に流したほうが、簡単だという事だ。
……
だいぶ進むと、僅かに東風が吹き始める。もう二つの太陽はかなり上にきている。
これだと、私の匂いは、私たちの後ろに流れて行く事になる。
私は前後を警戒しなければならない。たぶん。
更に歩いていくが、辺りに魔物の気配はしない。東風はだんだん強くなってきた。
マカマまでの道程を三分の一ほどの距離を進んだ所で、背中に反応が。
例によって寒気と少し背中が疼く感覚がする。
「全員、停止」
私は右手を上げて、宣言。全員を止める。
さっとしゃがんで、左手をつくと、僅かな気配は後ろだ。
これは私の匂いで出て来たのだ。間違いなく。
「後ろ、です。全員、ゆっくり、後ろを向いて」
私は立ち上がった。今度は私が先頭になる。
副長が慌てて、私の横に来た。
「副長。前に、出ないで、ください」
「え?」
彼は戸惑いながらも、私の斜め後ろに下がった。
振り返ったのでたぶん魔物がいるであろう場所は、少し前に通り過ぎた場所だが、さっきまでは気配がなかった。
もう一度しゃがむ。左掌をついて、目を瞑って気配を探る。
左手方向だ。南の奥にある森から出て来たらしい。
左手を見ると、ここも林の中に川が流れていて、その奥は鬱蒼とした森である。
「左方向。林の奥に、何か、います。全員、散開」
副長が更にやや後ろに下がり、他の二人は左右に広がる。
少し大きな一頭が林を出て、ゆっくりと街道に出て来た。
顔だけ目の下から上が白くて、他は首の下まで真っ黒、耳も真っ黒。体全体は浅い狐色と黒の混ざった汚らしい斑。額に真っ黒の縦線。尻尾の先が白い。そして鼻の後ろに小さく尖った角。
元の世界の中型犬よりは大きい。体長は一メートル二〇くらいか。
……
これは、見たことがある。そう、鉱山だ。あの魔獣暴走の時にゲネスに混ざって走って来た小型魔獣だ。元の世界のリカオンみたいな魔獣。名前を聞いたような気もする。
「隊長殿。あれはグルイオネスです。奴らは群れを作って獲物を襲います。恐らくあれは群れの長でしょう」
副長が指で示しながら、私に教えてくれた。となれば、あれ一頭では、当然済まないわけだ。
「群れの、大きさは、どれくらい、ですか」
「その群れの長にもよるのですが、あれらは出来た子供を集団で育てるので、その子供が成長していれば獲物狩りに加わり、群れはかなり大きくなります。そうなると軽く一〇頭を越えます」
「厄介、ですね」
「まだ、子育て中なら、子供から離れられない個体もいますから、数は半減します」
「分かりました。全員、戦闘態勢」
三人は剣を抜いた。
左の林の方を見ると、川を飛び越えて、数頭が走っている。
左右の二人が喉を鳴らす。
判っている。これはかなり危険だ。
後から出てきたのは五頭。全部で六頭の群れ。
群れの長の周りに五頭が集まって、うろうろし始めた。
その時だった。猛ダッシュで、先頭にいた魔獣が走り出し、その後に二頭が続く。
少し遅れて、三頭はほぼ横並びで、走り始めた。
どんどんこちらに向かってくる。そう。餌は私だ。
先頭を走る魔獣はジャンプ。勢いを付けて飛び掛かってくる。私を咬むつもりだ。
抜刀!
ブロードソードが左腰から抜き放たれて、この獣の首を瞬時に斬り払った。
獣の首が飛んで右横やや後方に転がる。私は素早く体を左に躱して、惰性で突っ込んできた魔獣の躰が右横、後方に落ちた。激しく流血し、四肢が痙攣している。
その時に左右から魔獣が飛ぶようにして私に向かってきたが、右の一頭をレグラスが剣を突き刺し、仕留めている。
左の一頭は、後ろから飛び出して来た副長だった。剣を前に真っすぐ突き出した。しかし魔獣には、ギリギリで届かない。
その後ろから三頭が到着。副長に飛び掛かろうとする。
咬まれると危険だ。この三人とも、大した革鎧もしていない。
私が右腰のダガーを左手で抜いて投擲する。ダガーはこちらに飛んできた魔獣の額に、命中していた。
魔獣がそのまま、地面に崩れ落ちた。
残る三頭のうち一頭は副長が再度剣をやや斜め下に突き出した。それは魔獣の背中のど真ん中に刺さった。魔獣からは悲鳴が上がる。暴れようとしたが、口から激しく流血。副長が剣を引き抜くと、一歩、二歩、よろめいたがそのまま倒れた。
もう一頭はアイクの腕に咬みつこうとした。彼が腕を躱すと、魔獣はそのままアイクの体に衝突。彼が派手に転んだ。これはまずい。
ところが、魔獣はアイクに乗りかかったまま、動かなくなった。
彼の左手には小さい剣が握られており、その剣が魔獣の胸に刺さっていたのだった。
「大丈夫ですか!」
「隊長、こっちは大丈夫。まだいます。そちらを!」
アイクから大声が飛んだ。
残った一頭は急に振り返って、一目散に逃げ出した。街道を走っていく。
しかし私の背中の違和感はどんどん大きくなって行く。頭の中で、警報が鳴った。
魔獣はだいぶ距離が離れた瞬間、こちらに振り返った。
やらからしてくるんだ。あいつは。
真司さんによればこいつらは血の塊を吐くのだという。
しかも、そのやや黒っぽい赤い血の球は、恐ろしく危険なのだといっていた。
黒い鼻の後ろにある小さな角が光る。
その瞬間、大きく開いた口から、赤黒い珠が飛び出した。
それは信じがたいほどの速さで、飛んできた。私はぎりぎり左に躱す。
しかし右耳の横の髪の毛が赤黒い珠に少し掠ったらしく、何か変な匂いがしながら、髪の毛の一部が千切れて飛んだ。
「全員、散開!」
あいつが他の人に狙いを定めてしまったら三人が危ない。
全力で走る。速く斃さなければ。
ブロードソードを左手で持ち、右手で左腰のダガーを抜いた。
走りながら投擲。当たるかどうか。
ダガーは奇蹟的に魔獣の足に刺さった。
魔獣は再度赤黒い血の珠で攻撃しようとしていたが、それが途中で打ち切られて悲鳴が上がる。魔獣は足に刺さったダガーを口で引き抜こうとしている。
そこに私が走り込んで、左手で持ったままのブロードソードをやや下に目がけて突き出した。
剣は魔獣の背中から刺さって腹の後方に突き抜けていた。
魔獣から悲鳴が上がった。ダガーを咥えたまま立ち上がって、引き抜こうとしていたのだが。私が右手で剣を引き抜くと、そのまま魔獣は街道の敷石の上にへたれこんでいた。
まだ息がある。私は無言のままブロードソードを後頭部のつけ根の後ろ、胴体に刺し込んだ。剣はほぼ心臓を貫いた。
剣を魔獣から引き抜いて、宙で二度、大きく振って血を払って納刀。
ダガーも抜いて、血を払って腰の鞘に納める。
静かに目を瞑って、手を合わせる。
「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
小声でお経を唱える。
そのまま逃げていれば、こいつだけは助かったのに。
「隊長殿。ご無事ですか!」
副長が駆け込んできた。
私は無言で頷く。
副長が、この魔獣の死体を持ち上げた。
全員が、先ほど最初の一頭を斃した場所に集合した。
「全員、怪我は、ありませんか?」
石畳に倒れ込んだアイクは、大丈夫なのか?
「怪我はありません。隊長」
アイク隊員の革鎧の腹部分に少し血が付いていたが、魔獣の血のようだ。
「分かりましたわ。ですが、倒れ込むと、咬まれます」
「その為に、こういう小型の剣を持つように、ベルベラディ支部では徹底しているのです。倒れた時にはすぐ、抜くのです」
「これは、何という、武器です?」
「この両刃で少し刃の幅に変化を付けてある小型剣はクレアスと呼ばれている物です。隊長」
「初めて、見ました。他の人も、持っているのですか?」
「これは、個人の所有なので、全員が持っているかは判りません。隊長」
「私は持っていますよ。隊長」
そう言ったのはレグラス隊員。同じ支部から来ているので、この二人には標準装備なのだな。
「副長は?」
「いえ、カサマ支部では、特にそういう物は……」
「分かりました。こういう武器も、使うには、慣れが必要です。今後の、課題と、しておきましょう」
そう言って、私はしゃがみ、魔獣の額からダガーを引き抜いた。二度払って、血を飛ばし、腰の鞘に納める。
辺りに血の匂いが漂っている。
私はしゃがんだまま、静かに目を閉じて、両手を合わせる。
「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
小声でお経を唱えた。
街道の掃除なのだ。致し方ない。
「隊長殿。この先、まだ進みますか?」
「取敢えず、魔獣を、解体します」
「了解しました。隊長殿」
全員が頷く。
「それにしても、隊長殿はいつもこういう戦いなのですか」
グルイオネスを、解体しながら副長が訊いてくる。
「その時に、よりますが、白金の、山下様と、行くときは、補助ですし、鉱山の、警邏任務では、五人でしたし、時には、一人で、囲まれてる時も、あります」
私もグルイオネスの額にある黒い縦の毛に従ってダガーを入れていく。
頭頂部は両側に大きな丸い黒い耳だ。これの真ん中あたりを斬っていき、
後頭部まで斬って耳を引っ張りつつ、頭蓋骨を割った。
多量の血が溢れてきて、その匂いだけでも噎せる。そこに脳漿らしき饐えた匂いが混ざり、更に噎せた。
脳味噌の中にダガーを差し込むと、何かが当たる感触。
魔石だ。灰色のやや平べったい楕円の石。大きさは私の親指一個半。
小さい角と牙も削る。流れ出た血で、削るのに苦労した。魔石の前に、先に牙だったか。辺りに脳味噌と脳漿と血が溢れていた。
魔石と牙四本と小さい角。これも全て副長に渡す。
三人は手際良く解体しながら、何かを話していた。
「終わったなら、首を斬って、血抜き。逆さに、背負って、戻りましょう」
「分かりました。隊長殿」
「元々、私は、野宿を、する気は、無いのです。このまま、進んでも、マカマのほうまで、行けないです。日が、暮れないように、ここで戻ります」
全員が頷いた。
暫く、血抜きを続ける。
だいぶ色の濃い血が石畳に溢れていた。
そして三人が一頭づつ背負った。相当重いはずだが。おそらく一頭で一三〇キログラムくらいは、楽にありそうだ。
私はロープを出して一頭をリュックの後ろの剣を避けて縛り付ける。
残念ながら二頭は置いていくしかない。
本当はもう一頭ぐらいは、楽に背負えるのだが、それは一緒にいる彼らの為にも、よくはない。隊長に無理をさせられませんとか言い出して、彼らが二頭背負うようなことがあれば、彼らが危ない。
自分一人なら、三頭くらいはロープで縛って背負ったかもしれないが。
二頭の足を掴んで林の中に運んで放置する。
…… 許されよ。目を閉じて両手を合わせる。黙祷。
街道に戻ってリュックを背負う。
「戻ります」
全員、ゆったりとした足取りで、カサマに戻り始める。
二つの太陽がやや傾いてきた。
風は相変わらず、東風。
グルイオネスの屍体は彼らにはかなり重いはずで、彼らの額に汗がだいぶ出ていた。
そして、ゲネスを斃した近くまで来ると、私の背中に再び反応が。やや寒気と共にぞくぞくする感覚だ。これまた、魔物だ。
「何かが、います。全員警戒」
私はリュックを置いてからしゃがんで、左掌を石畳につける。
三人は背負っていた屍体を下に降ろした。そして抜刀。
気配は左手やや先の方向だ。時々足踏みしているのが分る。一頭ではない。
「先程の、藪です」
もうそれだけで、全員が頷いた。餌に何かが来たということだ。
私もブロードソードを抜いた。
藪に頭を突っ込んで、屍肉を食べている獣が三頭ほどいた。
胴体は二・五メートルほど。足の長さが九〇センチほどある。一頭はかなり小さい。
見たところ首がやや長く、顔は白と黒で細長い。前方に向けてやや長い口は然程大きくはない。口の周りにはびっしりと白い髭が生えている。
体毛なのだが、前半部分は白い毛で、半分くらいの位置で後ろは濃茶である。尻尾は白と茶色の毛が交互になっていて縞模様を作っていた。角が二本。この角は後方に向いて丸まっていて、一回転半して先端だけが外側に突き出ている。
特徴的なのは、足が六本というべきなのか、それとも四本足で腕が二本あるのか。長いごつごつした四本指を持つ前腕だった。それが藪をかき分けている。
「アパエトです。隊長殿」
「副長。どういう、魔物ですか?」
隊員全員が表情がよろしくない。
何かあるのか。
「なんといいますか、屍肉をよく食べる魔獣です。あれは滅多に人は襲いません。隊長殿」
滅多に人は襲わないが、滅多にということは、襲うことも、ままあるという事だ。
「何か、特別な、攻撃でも?」
……
副長が暫くして、口を開いた。
「あれの攻撃は、グラインプラに似ていると言えば、お判りでしょうか。あの嘴の悪臭です。あの魔獣は尻から、悪臭の素になる液体を射出しますが、それが危険なのです。隊長殿」
私は副長を見上げた。
「通常の獣、或いは人ならばその場で気絶するほどと言われております。隊長殿」
なるほど、彼らの微妙な空気が分かった。係わりたくないのだろう。
尻からスカンクよろしく、悪臭の液体を出されたら、鼻がつぶれるほどの臭いで、全員が気絶して、あれに食べられてしまうという事だな。
つまり、出来れば触らぬ神、ならぬ触らぬ魔獣に祟り無しとしたい訳だ。
私たちは、やや離れた場所で暫く観察を続けた。
しかし、一頭が急にこちらを向いた。明らかに、何かに気がついたという表情だった。
「全員、待機」
「え?」
副長から、驚きの声が漏れた。
黒い魔獣の大きな目を見る。こっちに来るのか。見極める。
食べてだいぶ満足したせいなのか、飢えたような目はしていない。敵意を放っていないのだ。この小さな家族は、食事を十分に楽しんだ。そういう事だな。
私はブロードソードを鞘に仕舞った。
「全員、武器を、仕舞いなさい」
「た、隊長!」
副長から慌てた声が上がっていたが、私はそれには構わず、命令した。
「仕舞いなさい」
私がそう言うと、それ以上は誰も言葉を発さず、その場で三人とも剣を鞘に納めた。
こちらを見ていた一頭が、何かくぐもった啼き声を上げると、横にいたもう一頭が応えるように啼く。
小さな一頭の尻尾が大きく揺れている。
こちらを見ていた一頭がもう一度、くぐもったような、先ほどと少し違う啼き声を上げる。
もう一頭は、前の腕らしきもので、ゲネスの屍体を二つ掴むと、森の方に向いて歩き出す。小さい一頭が大きく尻尾を振りながら、それについていく。
二頭が川を渡った時に、私の方を見ていた一頭は振り返って、何か、小さく啼いて先ほどの二頭が向かった森の方に入っていった……。
「た、隊長殿。今のは」
「見た通りよ。副長。彼らに、敵意は、無かったわ。それで、彼らは、食べ残していた、ゲネスを、お土産に、持って、森に、帰って、行ったの」
「………」
隊員三人が三人とも無言だった。
これ以上説明のしようがない。彼らがどう思ったかは、私には分からない事だが。
……
「全員、出発準備!」
私はそう言いながら、デカい屍体のついたリュックを背負う。
隊員たちもまた屍体を背負った。
「全員、出発」
四人が揃って、歩き始める。副長が前。私の左右に二人。
朝から午前中は、物凄い音量で鳴いていた昆虫たちが、今はぴったりと鳴き止んでいた。
街道には時折、小鳥の啼き声が響くだけだ。
もう日はだいぶ傾いてきたころ、カサマの東門に到着した。
討伐の初日は小型の魔獣で終わった。全部で一二頭である。
副長たちが、獲物をそのままギルドに持って行くという。私の持ってきた一頭も、二人の隊員が両手で両方から持ち上げた。
それで後の事は、全て三人に任せる事にしたのだった。
「副長。あとは、お願いね」
「全て、お任せください。隊長殿。宿でゆっくりお休みください」
彼は微笑した。
「では、今日はこれで終わりです」
そう言って、三人と分かれる。
……
宿に帰りつくと、宿の主人が出迎えた。
「お帰りなさい、ヴィンセント様。どうでしたかな?」
「魔獣を、少し、斃したけど、目的の、物じゃないので、まだ、続きます」
「そうでしたか。疲れたでしょう。お風呂を用意します。お風呂に入ってから、お夕食をどうぞ、召し上がってください」
流石は宿だな。お風呂に入れるのは、素直にありがたかった。
このところ、村ではお風呂には入れておらず、寝る前に体を拭くだけだったからだ。
この宿のお風呂は、大きな四角い桶のような物にお湯がたっぷり入っている。
この風呂の部屋には、ロープが一本垂れさがっていた。呼び鈴だ。
たぶん、これを引くと、夫人が来てくれるのだろう。
お湯は、大体四二度C。丁度いい。私は目を瞑って、桶でお湯を汲んで何杯も頭からかぶる。
久しぶりの事で、思わず深い溜め息が出た。
白い乳石が二つ、箱に入っていた。一個を手に取って、泡立てながら体を洗う。
大分汚れている。彼方此方を擦りながら垢を落とす。
洗いながら思ったのは、胸が少し膨らんできているのが、気になる。成長期に入ってきたのだろうか。それなら、先に、胸じゃなくて、背が伸びて欲しい。本当に。
……
十分、体を洗って、洗い流したので風呂桶に入る事にする。だいぶお湯を使ってしまったが。しゃがまないと浸かれないという事は無いはずだが。
風呂桶は床の高さよりやや高い位に縁があって、本体は床下に嵌め込んである。
そっと、お風呂桶に足を入れた。お湯の量は十分に有る。
私が立ったままだと胸の位置に水面があった。
やはり、ここのお風呂でも、私は座ることが出来ない。
立ったまま、お風呂の縁に両腕を置いて、そこに顎を乗せた。
お湯に浸かりながら考える。
細工師匠の勧めに従って、こっちに来たのだが、会うべき老人はいないし、この街道の掃除を任せられるし。だいぶ脇に反れてしまったのは否めない。
カサマ支部と別段喧嘩をしている訳では無いのだが、トドマ支部とカサマ支部の折り合いを付けるためにも、ここは受けざるを得ない。
恐らく、トドマから派遣されている人員の殆どは、カサマ支部の北東に向かって、グイド村の近くまでを警邏しているはずだ。鉄階級以下の人員がどれくらいいるかはわからないが、南側の街道の整備などに駆り出されている可能性が高い。
北の隊商道も整備は必要だが、今日見た限りでは、もう整備はとっくに終わっている。
それなりに重要な道だろうから、優先されたのだろう。
さて、会わねばならない老人は、この先にある湖の畔にある小さな村まで行けという事だった。
どんな老人なのか。師匠は臍曲がりだ、注意しろといっているので、言葉遣いは慎重に行くしかないな。
それにしても。
頼まれたはいいが、目的のガオルレースとかいう奴は、何処にいるのだろうか。
あと、雷っぽい攻撃らしいが、それが魔犬イグステラとはかなり違う攻撃で、自分の全周に放電、雷を出すというのも、今までに見た事の無い特殊攻撃だ。
自分は感電しないというのも、何か特別な能力で絶縁しているのか。
これは、対処方法を考えておく必要がある。
私一人なら、たぶん、どうにでもなるだろうけど、他の三人を死なせる訳には行かない。
右手の人差し指を眉間の間に押し当てる。
どれほどの放電量なのか。放電時間もそうだし、それらの電圧にもよるのだが、雷を避雷針に集めて隙間というか、そいつが放電していない場所を何とか作って、近づける様にしてから斬るしかない。或いはダガーを投げて、致命傷を与えるか。
しかし、その時にもう一頭がある程度重なる様に放電して来たら、こちらがやられる可能性がある。
何とかして、先に一頭、必殺の技を出す前に斬り斃す様にしなければ……。
旨い考えが浮かばなかった。
そこで、風呂桶から出る。
もう一度、頭からお湯をかぶってから脱衣所にでて、そこに在った長いタオルで体を拭いて、自分の服を着る。
部屋に戻り、着替えをする事にした。折角なので赤い服を着て夕食だ。
赤いブラウスと、赤いスカート。アシンメトリーデザインのやつ。
そこに上着も着た。階級章を首につけてから、白いスカーフ。茶色に染めた自作の靴。
階段を下りていく。
この日に用意されていた食事は、獣の肋骨の所の肉をそぎ落として、魚醤タレに漬け込んで焼いたものだった。
手を合わせる。
「いただきます」
肉には適当な歯ごたえがあって、かなりいい味がしている。この肉は私が今までに食べた事が無い。
「ヨーンさん。このお肉は、どんな獣、ですか?」
「ゼリカンという家畜です。ヴィンセント様」
「どの様な、獣なのか、教えてください」
「ゼリカンは、そうですね。体は灰色で体長は、二フェルムから三フェルムほどです。とても大人しいので、よく家畜として飼われています。雑食なので、何でも食べますね。お肉がおいしいので、一頭丸焼きというのもあるくらいですよ。ヴィンセント様」
「分かりました。ありがとうございます」
旨味が濃い肉だ。なるほど。こういう家畜がいるのか。トドマの方では見かけなかったな。
パンの方も硬くはなく、シチューやパイのような物も、いい味であった。
奥さんの腕がいいのだろう。
料理を十分堪能した。
「ごちそうさまでした」
手を合わせる。
食後に、フリーダ夫人が果実を絞った飲み物を持ってきた。
これまた黄色い果汁で、とんでもなく甘い代物であった。
つづく
この日は、これで十分と考えて、撤収を命じたマリーネこと大谷。
宿に戻って夕食とお風呂。
目的の魔獣をどうやって斃せばいいのかはまだ判らないままだった。
次回 カサマの街道と魔獣狩り3
この日は、朝から天気がよろしくない。
雨になった街道の脇から、この日の街道掃除が始まる。