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151 第18章 トドマとカサマ 18ー5 カサマの強敵3

 どうにかして、多腕の人型魔物を斃した一行だったが、アガットを瀕死の重傷に追いやった魔物には遭遇しておらず、捜索を続けると……。

 そこに出た魔物は、真司にとって因縁のある魔物だった。


 151話 第18章 トドマとカサマ

 

 18ー5 カサマの強敵その3

 

 この蒼い魔物は、一度に私たち二人を相手していても埒があかないのを自認したのだろう。

 餌の匂いがふんぷんと漂う身長の低い私を、上から六本の腕で一気に差し込むつもりだ。

 残る二本が真司さんの方だ。

 

 魔物は再び咆哮。耳を覆いたくなるような叫び声だ。

 

 この魔物の剣速度が速いといっても、あの黒服の男の速さに達したかどうか。そのくらいだ。

 この速度は、シャドウではあるが、鍛錬してきている。

 上から迫る剣を二本の剣で、僅かに弾く。四本は弾いた

 弾けない場所の剣は躱す。相手の剣が自分の左肩ギリギリ。

 

 相手の剣の軌道がばらばらになる。

 避けながら、更に踏み込んで足に斬りつける。

 わずかに出来た隙きに、真司さんが踏みこんで胴体に剣が刺さっていた。

 そのまま、彼の剣が魔物の胴体を半分切り裂いた。

 

 (つんざ)く悲鳴のような咆哮。

 噴き出す血液はややどろどろとした青っぽい血だった。

 そこに濃い青色の内臓が多量にはみ出し、体から血液と共に垂れ下がった。

 急に体が前に崩れ折れたガーヴケデックの首を真司さんが刎ねた。

 

 首からも青っぽい血が噴水のように流れ出た。辺りに饐えたような匂いが広がっていく。

 斃された魔物の腕がバラバラに動いている。まるで痙攣でもしているかのように。

 そのまま胴体が前にゆっくりと崩れ落ちた。足首がどちらも角がある甲のせいで、外側にねじ曲がって、踵から後方に突き出た刃のような骨らしきものが地面に生えていた草を刈り取っていった。

 

 「おお!」

 後ろの二人からほぼ同時に声が上がった。

 真司さんが剣を二度振って血を飛ばし、鞘に納めると右手の拳を上に突き上げた。

 拳の親指が上に向けられていた。

 

 私も両方の剣を鞘にしまう。

 彼の方を向いてやや上向き。右手を握って親指を立てた。

 真司さんから笑顔が見えた。

 

 千晶さんも緊張の面持ちから、微笑した顔になっていた。

 

 「お二人共、お見事でした。剣捌きが尋常ではない速さで、見えませんでした」

 後ろにいた二人共、やや興奮した顔だった。

 

 ……

 

 魔物の首を刎ねた真司さんが、後ろに長く伸びた頭を解体して魔石を取り出している。

 こっちにまで脳漿と何か脳髄の強烈に饐えたような匂いが漂って来て、泪が出そうだった。

 真っ青の血の中、脳味噌の中から真司さんが取り出した魔石は大きい。

 私の拳くらい。灰色の平べったい楕円のそれの中央にはっきりと蒼い渦巻き模様があった。

 

 私はそっと両目を閉じて両手を合わせ、心の中でお経を唱えた。

 (南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏)

 

 こんな魔物だからといって、やたら命を奪って良いと思うのはただの傲慢なのだ。

 此奴(こいつ)がどこかの村に出て来て、村人に被害があったから何とかしろという事で、討伐隊が出たのだろう。そうでなければ、これほどの魔物だ。出来れば関わりたくもない。

 そして、出会って仕舞えば、どちらかが斃されるまで闘う事になる。

 私は、いつまでこんな闘いを続けていくのだろう……。

 

 

 本当は魔石以外に、この剣のような腕も持ち帰るべきらしいが、六本の腕を持ち帰れるほどの人員がいない。それに、まだアガット隊を壊滅させた謎の魔物を見つけてすらいないのだ。これまた残念ながら、置いていくしかないと思っていたら、ヴァンベッカー隊員が、この腕の剣を手首から切り落として六本を束ねた。そして背中に背負う。

 「これは、何としても持ち帰りましょう」

 彼がそういうのだから、まあ、彼に任せよう。

 どのみち、謎の魔物が出たら、二人には後ろに下がっていてもらうのだ。

 

 全員少し休憩。

 流石に汗がだいぶ流れていたので、水分補給。

 千晶さんがまたしてもお茶を出してくれた。

 「さて、依頼のガーヴケデック討伐は無事終わったな。誰も怪我人が出なくてよかった。あの変な黒い球が爆発したときは、焦ったよ」

 「弾は、三つで、伸びた剣も、確認、出来たのは、三つ、でしたね」

 私がそういうとラッセン副長は申し訳ないという顔だった。

 「あの時、二人とも伏せるのが精一杯でした」

 「いや、それでよかったんだと思う。結果は全員無事だった。それでいいのさ」

 

 休憩を終えて、全員が立ち上がる。

 

 「よし。これから問題のアガットに重傷を負わせた魔物を探す。全員、気を引き締めてくれ。ラッセン殿とヴァンベッカー殿は、状況を見て後ろに下がってくれよ」

 真司さんの簡単な指示が飛んだ。

 

 一行は森の中を歩き出す。

 湿った森の中は所々苔に覆われ、ここには人の手が入っていない事が分かった。

 奥に進んで行くと、もはや完全に薄暗い。これ以上暗くなったら、灯りが必要だ。

 

 ……

 

 だいぶ進んだところで、急に大木が纏まって何本か倒れた様な開けた明るい場所に出た。その時だ。背中がざわざわし始めた。普段より疼く感じが大きい。

 少しづつそれは大きくなって行く。そしてとんでもない疼きはもはや震えに近かった。

 今までの中では、これはスラン隊長と一緒に出会った、白い大きな獅子の姿をしたベントスロースの時以来だ。

 あの時の震えるような背中の感覚とは少し違う。

 背筋に寒気がしている。

 

 「みんな。止まって! 何かが、来ます」

 私はさっとしゃがんで、左掌を地面につける。

 頭の中で、鐘を乱打する様な警報が鳴り響いてきている。

 こんな警報も今までにない。

 この開けた前方の奥に、何か、とてつもなく危険な魔物がいるのだ。

 「前方、開けた先、藪の中! います! 二人は、下がって!」

 私は立ち上がって、背中のミドルソードを抜き、真司さんの横に行った。

 ラッセン副長とヴァンベッカー隊員が慌てて後ろに下がる。

 真司さんが剣を抜いた時だった。

 

 藪の中から、巨体が現れた。

 

 向かってくるのは魔獣というよりは魔人、いや魔物というしかない。

 大きな体の上に、人のような頭。身長は三メートルほどか。

 その頭についた大きな口の左右に四つずつ、計八個の目。それゆえに鼻もない。

 大きな口の上に穴が横に揃って二つ開いているだけだ。

 肌の色はやや白い人肌の色だ。広いおでこはあるが頭髪はない。

 左右に尖った大きな耳。

 胴体の真ん中にある大きな口のなかには大きな牙と小さい鋭い牙。太い二本の足。

 腕は左右共に二本だが、更に別に長い触手を二本ずつ左右に持っていた。

 そして長い尻尾。その尻尾の先にはご丁寧に尖った角のような先端部分が付いており、その少し手前の位置に斜めに二本の棘のような物が生えていた。

 

 「…… まさか。こいつだったのか……」

 慌てて真司さんを見上げると真司さんが小さく呟き、唇を噛んだのが見えた。

 「よりにもよって、ラヴァデルとはな……」

 

 真司さんの様子がおかしい。

 彼の表情に、何時ものような余裕は全くない。

 

 そして、振り向いた私が目にしたのは初めて見る光景だった。

 千晶さんが肩から掛けていた箱を降ろして、腰に差していた剣を抜いたのだ。千晶さんも真司さんの横に立った。

 真司さんと二人で、魔物に対峙するつもりだ。

 

 二人が本気だ。今までに感じた事も無い気配が二人から立ち上っている。

 つまり今、二人はこの異世界に呼び出された時に付与された優遇の力を全解放している。

 おそらく、これから全力で立ち向かうという事だ。それ程の敵なのだ。

 私が見た事の無かった、真司さんの本気。しかし、二人の余裕の無さから見てこの眼前の魔物がかつてない難敵だという事だけは分かった。

 背中の疼く感じからいえば、ベントスロースに匹敵する強さなのだろう。

 スラン隊長は、ベントスロースは生きる伝説の魔獣だといっていた。

 立ち向かって、生きて帰って来た者はいない。そういう強さだと。

 

 魔物は一度咆哮した。

 それを合図に、向こうが向かってくる。

 

 その瞬間、恐るべき速さで触手が伸びた。私の目でやっと追える程度の速さ。

 見切るどころでは無かった。これほどの速さとは……。

 真司さんの剣も恐ろしいほどの速さでその触手に剣先を当てていくが、切り落とせていない。

 この戦いは、あの黒服の男の剣の速度を完全に越えている。

 

 魔物の左右、縦に並んだ目が、少し歪んだ。まるで嘲笑(あざわら)うかのように。

 

 然し。信じられない速さで真司さんは動いていた。そして千晶さんも、だ。

 あの二人の動きは、この魔物の触手の速さにまったく負けていない。

 魔物の繰り出す腕や触手の攻撃を剣で躱している。

 

 私にも出来るだろうか。

 いや、自分で限界を決めていたら、出来っこない。見えているのだ。出来るかもしれない。

 二人の後を追って、私もミドルソードを一気に突き出して走り出す。

 魔物は触手を少し縮めて、私の剣を躱した。

 私も速度を上げる。走りながら、剣の速度を限界まで上げる。

 初めてステンベレに出会った時に、生きるか死ぬかで剣速を限界まで上げるのをやった。

 あれをもう一段階、いや二段階は上げたうえで、超えなければならない。

 本当に、それが出来るのだろうか。

 

 真司さんはもう縦横無尽に剣を繰り出しているが、あの魔物は触手も腕もそれを躱す。千晶さんも剣を繰り出していた。おそらくは私の剣の速度と同じか、それ以上だ。その事実のほうがショックだった。後方支援の治療専門だと思っていた彼女だが、それは大間違いだったらしい。

 

 真司さんと千晶さんの本気でも、あっさり倒す事は出来なさそうだった。

 私は相手の触手を牽制する方に専念した。

 ようやく二人のコンビネーションで相手の腕を一本斬り飛ばした。

 かなり濃い茶色っぽい血液だった。魔物が咆哮し、二人は振り回される尻尾と別の触手で追い込まれている。

 

 私は魔物の触手を斬りに行くが、触手が剣を躱し逆に私の体に叩きつけられた。

 「!」

 お腹の上あたりに触手が激しく当たって、私が吹き飛ばされた。

 受け身がどうとかいう速度ではなかった。

 

 私はそのまま背中から樹木に叩きつけられた。後頭部を打ち付けて鼻から流血。

 軽い脳震盪を起こし意識が一瞬飛んだ。

 

 ……

 

 薄目を開けると、目の周りがちかちかする。衝突による視神経の錯乱。

 口の中にも鉄の味がした。たぶん口の中を切ったのだろう。

 だが二人がこっちを気にするような余裕はない。

 腹に喰らって吹き飛ばされたが、肋骨は折れなかったらしい。

 カレンドレ隊長の事を少し思い出す。

 優遇の体は頑丈らしく、内臓の破裂もなさそうだ。

 

 当たった場所は痣になったかもしれないが。どうにか立ち上がる。

 剣は手放さなかったらしい。私の右手にあった。

 

 集中するんだ。

 

 立ち上がった私の眼前に鞭の如き触手が迫る。

 下手に避けずにそのまま触手の動きを見て、近づいてきたその刹那に、ミドルソードの居合抜刀の太刀筋で左から右へと一気に払う。

 剣はぎりぎりで間に合ったものの、切断できずに剣は触手に当たっただけだ。

 ただ、触手に少々の傷をつけたものの、当てた反動で私は転ばされた。

 

 真司さんのやる、あの剣の速度が無いと斬れないのか。間に合っただけでも良しなのか。

 地面を少々転がって、急いで立ち上がる。

 このミドルソードでも易々とは斬れないとなると、とてつもなく硬いのか。やはり速度が足りていないのか。

 

 そう。速度だ。速度だけが全てを解決する。

 

 しかし、触手の速度はあの黒服の男の短剣より、一段階は上か。否、下手すると二段階は上だろう。

 優遇の剣士の持つ剣速とほぼ同等という無茶な速さなのだ。

 

 立て続けに襲ってくる触手に辛うじて剣を当てて受ける。

 私の速度が足りない。

 右に左に触手が迫り、耳の横の髪が斬られていた。

 何という速さ。辛うじて躱せているが、反撃に出れない。

 

 今回、私がもっと速度を! と、いくら思っても、あの時間を引き延ばすゾーンに入る事は出来ないらしい。

 あのゾーンに入りさえすれば、この触手の攻撃もきっと斬り飛ばして、あの魔物に迫れるに違いないのだが。

 あの腕の伸びる黒服の時や、あの火焔攻撃の時と何が違うというのか。

 もっと言えば、スッファの街中で暴力集団と対峙した時と、何が違うのだろう。

 

 自分の寿命と引き換えに、時間を引き延ばす()()は、やはりそんなに都合よく、任意に出せるものではないらしい……。

 

 私が頑張って触手と戦っていると、その隙をついて真司さんたちがもう一本触手を斬り飛ばした。

 

 然し。敵本体の動きは早く、斃すことが出来ない。

 そもそも本体に近づくことさえ出来ていない。

 しかも、だ。相手はまだ、必殺の技を出していないのだ。

 どんな大技を持っているのか。

 

 真司さん、千晶さんが更に攻撃を続けている。私も反対側に回って、相手を牽制する。

 相手の魔物の攻撃は激しい。でかい図体のくせに動作も早く、こちらに攻撃を当てさせるような隙を見せない。

 

 真司さん千晶さんの素早いコンビネーション攻撃は更に魔物の触手を斬り飛ばしていた。

 だが、あの魔物は怯むどころか、逆に反撃に転じて彼ら二人に軽い怪我を負わせてさえいた。

 

 それでも。

 諦める訳にはいかないのだ。

 こうなってしまったら相手を斃すか、私たちが全滅か、そのどちらかしかない。

 中途半端な結果はありえないだろう。

 

 アガット隊は、怪我人だらけでよく引き上げてこれたものだ。

 あの魔物が、適当に遊んで引き上げたのだろうか。そうでなければ納得する事の出来ない強さである。

 

 この魔物に近づけない理由のもう一つが棘のついた長い尻尾だ。

 あれを縦横無尽に振り回してくる。かなり正確に此方の顔をめがけて棘の付いた尻尾が襲ってくるのだが、この尻尾も切り落とせない。

 何度か剣を当てたが尻尾の表面を覆う鱗のような物の堅さは尋常では無かった。

 

 もう、どれ位時間が経ったのかすら判らない。

 それでも魔物は一向に疲れを知らないのか、動きは鈍ることがない。

 斬られた腕と触手の傷はもう塞がっていて、肉の芽が出ていた。

 

 再生するのか……。こんな短時間で。

 

 その時だった。背中がもう、震えを通り越えて痺れるほどの疼き。

 『何か』が起こる。

 

 頭の中で再び警報が鳴り響いている。それも頭痛がしそうなほどに。

 まずい。何か、決定的な事が起こるのに違いない。こんなすごい警報は過去に記憶がない。

 目の前の魔物が大きく咆哮。するとそこに、色々な魔獣が彼方此方からやって来て増え始めた。

 どんどんやってくる。こんなに数がいたら、たぶん後ろの二人は助からない。

 

 「逃げて! ラッセン殿と、ヴァンベッカー殿だけでも、逃げて!」

 私は必死で叫んだが、二人は凍り付いたように立ち尽くしていた。

 

 更に魔物の頭にあるほうの口から、いきなり赤黒い珠が数個飛び出した。

 剣を当てるのはヤバい気がして、私は辛うじて躱す。

 その珠は私の後ろの樹木に当たると音を立てて樹木が溶け落ちた。

 まずい。真司さんと千晶さんも軽くだが、怪我をしている。後ろの二人を逃がせるほどの余裕がない。この溶ける珠もヤバいが、集まってきた魔物の数もヤバい。

 これは多勢に無勢か。

 

 その魔物が配下の魔物どもを(けしか)けたその時。あの『アジェンデルカ』が現れたのだった。

 藪から急に現れたアジェンデルカは、まるで散歩でもするかのような足取りだった。

 

 ((アレに関わるでない!))

 いきなり私の頭の中に、あのアジェンデルカの声が響いていた。

 

 そこへさらに別の魔獣の群れが到着した。

 先に来ていた群れと今到着した群れが睨み合い、唸り声を上げ、更には(いが)み合う。

 魔物は、アジェンデルカの方に向くや、恐るべき速さで触手と腕の攻撃を繰り出した。

 

 しかし。

 触手はアジェンデルカの前でぴたりと止まった。

 触手と腕が小刻みに震えている所を見ると、アジェンデルカの謎の力で抑え込まれているのだ。

 集めた手勢が睨み合う中、アジェンデルカの角の色と目の色が変わるや、その魔物の動きは硬直した。

 残った腕と尻尾を動かそうとしていたが、小さく痙攣する程度。

 手負いの魔物は、そこで激しく咆哮した。胴体の大きな口の中が青白く光り始めている。

 

 『何か』をやる気だ。あれが必殺技か。

 魔物の胴体にある口の中で青白い光が玉になり始めていた。

 

 その時、アジェンデルカの目の色が再び目まぐるしく替わり、虹色になったあと、更に激しく色が変わった。

 そしてアジェンデルカの目の色は()()()だった。

 角からの力であろう、魔物の残った腕が、音を立てて折れた。

 その時に魔物の口にあった青白い光が消えた。

 

 手負いの魔物は、もはやアジェンデルカの敵では無かった。

 必殺の技も、出す前に潰されたようだ。

 

 頭部の口の左右に四つずつ、計八個の目から血が流れだす。

 魔物が更に咆哮。劈くような啼き声が森にこだまする。

 

 その胴体の真ん中にある大きな口のなかの大きな牙が、音を立てて砕けた。

 徐々に体が小さくなって行く。もはや、圧壊されようとしている。

 

 血だらけとなった魔物はとうとう、まるで棒きれで叩き割ったスイカのように砕け、内臓と血をぶちまけた。

 頭蓋が砕けて脳漿を撒き散らし、アジェンデルカは不思議な力で、その脳味噌と脳髄の中から、大きい魔石を空中に浮かせた。

 それを咥えると、アジェンデルカは振り向いて、ゆっくりと森の中に去って行く。

 それを見た沢山の魔獣が、アジェンデルカについていく。

 魔物についていた魔獣たちも、暫く辺りを見回した後、多数の群れの後ろについて、山の中に入って行った。

 

 ((これでよい。これで終わった。これ以上、関わるな))

 私に残されたのは去り行くアジェンデルカの声。

 

 ……

 

 私としても、関わりたくてやっている訳では無い。

 おそらく、異変の元凶だった魔物が死んだことで、トドマの山の状態はまた元に戻っていくだろう。

 

 ……

 

 戦いは唐突に終わりを告げた。

 後ろでラッセンたちが、崩れるようにして座り込んだのが判った。

 もう、千晶さんは真司さんの治療を終えていた。

 

 「真司さん、千晶さん。お二人は、さっきの魔物を知っていたんですね」

 私は、ワザと日本語で訊いた。後ろにいる二人に聞かれたくなかったのだ。

 「ああ、すまん」

 「何時もの真司さん、千晶さんらしくない様子でした。何があったのですか」

 私は、訊かずにはいられなかった。

 「あれは、『ラヴァデル』という魔物だ。家に帰ったら話すよ」

 そういったきり、真司さんは黙ってしまった。

 

 真司さんはラヴァデルの折れ残っていた大きな牙を二つ拾い上げた。

 魔石はアジェンデルカが持って行ってしまったのだ。

 

 ……

 

 全員に大きな怪我はなく、今回の任務は終った。

 ほぼ無言で、全員森の中を歩く。

 カサマ支部に戻るともう、殆ど夕暮れ。

 

 そして、アガット・マグリオースは敗血症性ショックで亡くなっていた。血を失いすぎていたのだと私は思ったが、千晶さんの見立ては少し違っていた。

 アガットの傷を覆う包帯から染みだした血液を彼女が見つめている。

 その目は、何時もの目ではない。たぶん、これが千晶さんの治療師としての優遇だろう。何かを見ているのだ……。

 

 アリエマ・トーンベック独立治療師は呆然とした表情でベッドの横の椅子に座っていた。

 それを見て、千晶さんがぽつりといった。

 「トーンベックさん。この人が支部に運ばれて直ぐに死ななかったのが不思議なくらいの傷です。私でも無理だったと思うから、気にしてはいけないのよ。貴方の腕はこれからも、この支部の人を癒していくのですから」

 

 「一緒に行ったのは、私です。その場での治療が適切では無かったのでしょう……」

 トーンベックは座ったまま泣いていた。自分の治療が及ばずに死なれてしまうのは、やはり相手が誰であれ、悲しいものだ。

 しかし、アガットは目と腕と足を斬られてから六日、よく生きていたというべき傷だっただろう。

 

 千晶さんは両手でトーンベックの顔を起こし、そこに顔を突き付けた。

 「この人が亡くなったのは、細菌です。最終的に溶血性敗血症という劇症を引き起こしたのは細菌です。その細菌はあの魔物の尻尾の棘に元々ついていたので、尻尾で目を潰された時点でもう細菌感染は防げなかったのよ。そこから脳や全身に感染したの。貴方のせいじゃないわ。そして、そうなったら全身の血を完全に浄化しきらない限り、助からない。私もそれは出来ないの」

 トーンベックは、暫く千晶さんの顔を見つめ、それから彼女の両肩に手を置くと、また静かに泣き崩れ、顔を千晶さんの胸に(うず)め号泣した。

 

 私がかけられる言葉なんて、何一つない。

 同じ職である、千晶さんにしか出来ないのだ。

 

 そこにバーナンド係官がやって来て、急にしゃがむと私に小声でこっそりと耳打ちした。

 「トーンベック女史は、その、……マグリオース殿と内密に出来ていたんです。ですから察してやってください」

 私が驚いた顔をすると、バーナンド係官は軽く頷いただけだった。

 そしてバーナンド係官は静かに立ち上がり、物音もたてずに退室した。

 

 ……

 

 白金の二人は、今回の討伐対象である『ガーヴケデック』は、斃した。

 私は、マグリオース隊の隊員たちを斃した魔物『ラヴァデル』は、私たちが付けた傷でかなりの深手を負い、そこに現れた山神の使いである『アジェンデルカ』と戦って、最終的にそこで死亡した事をカサマの支部長、ランダレンに報告した。

 

 アジェンデルカはトドマの鉱山近辺でも一度遭遇。鉱山周辺警邏隊は、山の神様の使いだといっていた事と、あの近辺の山の主が、アジェンデルカになったという認識を持っている事を伝えた。

 そのうえで、真司さんはラヴァデルの砕けた牙を支部長に見せて納品したのだった。

 この事実は随行した案内役のラッセン副長の報告によっても裏付けは取れていた。

 

 そこで、金三階級の粗暴者、アガット・マグリオースは凶悪な魔獣、それは山神の使いとされるアジェンデルカとほぼ同等な強さを持つラヴァデルと戦い、その場で討ち死と報告書が作成された。

 カサマ支部は問題が起こらない様、この様に報告書を書き上げたのだった。

 これは勿論、独立治療師トーンベック女史の実績に(きず)がつかない様に支部長が配慮したものだった。

 

 その日は、再びカサマ支部が用意していた、前日にも利用した宿に宿泊。

 翌日に船でトドマに戻ることになった。

 

 明るくはなってきた程度の朝早い時間に港に行くと、港では既にカサマ支部が用意していた帆船が桟橋に停泊して、出航の準備をしていた。

 「帰りの船は、来たときとは別の商船だ。まあ、東風ならぎりぎり一日で着くかな」

 真司さんがそんなことをいいながら千晶さんと乗り込んでいく。私も斜めにかけられた板の上を走って二人に付いて行く。

 

 乗り込んだ船は大きな横帆のマストを二つ持つ商船だった。

 港の桟橋を離れる時には櫓を操って、ぐるりと舳先を西に向けたが、港を出ると二つのマストに大きな帆を三段に張って東風を一杯に受けて進んだ。

 明らかに速い。来た時の速度の二倍に近いかもしれない。

 これなら、夕方に着くだろう。

 

 二つの太陽を追うようにして、帆船はトドマの港に向かう。途中で風が若干弱くなったりはしたものの、そんな時は船員たちが櫓を漕いで速度を稼ぎ、その間ずっと東風が吹き続け、船は西に向けて快走した。

 

 ……

 

 私は船上で、アガットとトーンベック女史の事を想っていた。

 この世界には抗生物質も輸血も注射も点滴も存在していない。

 アガットのあの状態は、元の世界でも抗生物質を大量に投与して、適切な薬剤を注射、点滴し輸血しなければ直ぐに死んでいたのだろう。千晶さんは支部に運び込まれて直ぐに死ななかった方が不思議だといった。

 それを五日、六日生かし続けたトーンベック女史の治療術を褒めるべきなのだろうか。

 惚れた男のために、全力で治療術を施し続けたのに違いない。

 しかし、細菌には勝てなかったという事か。

 治療術は少なくとも、万能ではない。千晶さんも、其処の事は解っている。

 この世界の治療術という物がどのあたりに限界点があるのか、私には分からなかった。

 千晶さんには、その限界点も見えているのだろうか……。

 

 ……

 

 商船は暗くなる少し前にトドマの港に着いた。

 真司さん千晶さんは、その間、ずっと無言だった。

 少なくとも、私が分かる範囲では会話を交わす様子はなかった。

 

 さて、白金の二人と私はトドマ支部に戻って、支部長に報告しなければならない。

 

 アガット隊は隊長が死亡した事で、副長が後を継いでラッセン隊となったが、彼は金の階級ではない。つまり独立討伐部隊を指揮できる階級ではないのだ。

 彼は生き残った全員を取りまとめてトドマに帰らなければならないのだが、大半の人員が負傷しすぐに任務に当たれる状態ではなく、その事も白金の二人が支部長に報告していた。

 

 そして先に亡くなった四名とアガットの遺体は、カサマ支部で葬儀を行う事になってトドマ支部の手を離れた。ラッセン隊はカサマでの葬儀を済ませてから、トドマ支部に戻ってくるように、支部長は指示を出すらしい。ここの係官の誰かが大至急、船でカサマ支部に行く事になるだろう。

 

 これでカサマ支部に貸し出していた討伐隊がなくなったので、本来ならば別の部隊を送らねばならないのだろうが、予備人員はもはやトドマには無い。

 流石に新たにカサマに回せる人員はいないのだ。

 私が思うに、如何に優秀なヨニアクルス支部長でも、とうとう手詰まりだろう。

 

 だが。

 その時だった。トドマ支部の外が急に騒がしくなった。

 私は慌てて外に出て見ると、もう日が暮れた夕方に箱馬車と四台の幌付き荷馬車が支部の前にやって来ていた。

 

 そこに乗り込んでいたのは、ベルベラディからの増援部隊だ。総員二八名。

 私が第三王都で窮状を訴えた事で、スッファ街において白金の二人を長く借りた御礼も兼ねてトドマ支部に増援を送ってきたのだった。

 

 増援部隊の隊長は封印付きの書簡を持って来ていた。

 

 一気にトドマ支部の事務所が騒がしくなった。

 これでやっとトドマ支部にも人的な余裕が出来た。

 

 この日は、もう完全に日が落ちて暗くなってしまったために、トドマの宿で宿泊し、翌日に家に戻ることになった。

 油の入ったランプを灯して、三人で宿に向かう。途中、ガストストロン食堂の横を通ったのだが、この日は店の灯りが消えていて、今夜は営業をやっていない様だった。

 どうやら、夕食が食べられない。

 

 そのまま南に歩いていき、突き当たる少し手前。白い扉のある宿。

 支部長の推薦する、あのクルティグルックの所だ。

 

 宿の夫妻が快く部屋を用意してくれ、その上食事もこの宿で取る事になった。

 フラー夫人の手作り料理は、焼いた肉料理と煮魚料理、スープとサラダに焼いたパンだった。

 私たち三人はそれを十分に堪能した。

 

 

 つづく

 

アジェンデルカが突如として表れて、魔物を斃し去って行く。

一行がカサマ支部に戻ると、アガットは息を引き取っていた。

三人は船でトドマに戻り、今回の顛末を報告しているさなかに、トドマ支部へ増員の人員がやって来たのだった。


 次回 彼らの過去

マリーネこと大谷は、どうしても白金の二人、真司と千晶のこれまでの足取りが気になって仕方がない。どうして、あのラヴァデルと関わったのか。

 真司の口から、彼らのこれまでの行動が語られる。


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