142 第17章 トドマの鉱山事件 17ー11 事件のその後
暫く、ワダイの村で足止めとなったマリーネこと大谷。
村の農作業を眺めるマリーネこと大谷である。
そして亜人の村人が出してくれる魚料理が中々厳しい。
熱帯魚のような色そのままの塩煮の魚が夕食のおかずだった。
142話 第17章 トドマの鉱山事件
17ー11 事件のその後
なぜか、トドマ支部へと帰してもらえない。
それどころかワダイ村からの撤収も大変だった。
何しろ、大量に密輸品があるのだ。この荷物は監視しておかねばならない。
村のほうは火事の消火活動が、四日に渡って続いたのだった。
炎を吐く魔獣のせいで、だいぶ酷い事になった。
燃え盛る森の木々が大空を焦がす。そして、村人たちが村に有るだけの桶を使って水を汲み、燃える木々に水をかけて消火していた。
燃え盛る木々の少し離れた場所の木を大急ぎで切り倒して延焼防止を行い、村人が総出で懸命に消火活動を行った結果、四日目の夕方になって、鎮火した。
事件の翌々日の事。火事の消火活動が行われている最中、一つの馬車が出発した。
クルーサの街に捕虜を護送がてら、証拠品を持った伝令が行き、今回の事件の証拠品を押収するための手助けの衛兵と空の荷馬車が来るまで、この村で待つ羽目になったのだった。
その間はワダイの村で食事が出たが、この村人は半分がアグ・シメノス人で半分は准国民。
そこで、私は彼らの素朴な手料理を交互に頂く事になったのだった。
火災の消火作業も終わった翌日。
この王国の国民で、農作業をする人々を見るのも初めてで、色々なものを見学出来たのは貴重な体験だった。
まず、アグ・シメノス人が、かなり素朴な灰色の上下の長袖、長ズボン服の様な物を着ていて、丈の長い麦の様な稲の様な穀物を刈り取っていたのだった。彼女たちは髪の毛はやや長く、それを束ねている者もいるのだが、短い髪の者たちもいた。彼女たちはみんな、それぞれ髪型が違っていたのは、やや新鮮だった。
数人に一人が何か腕章をしている。そこに共通民衆語で何かが書いてある。
ここの人々は監査官たちや門番や、街の警護兵、街の遊び人のような人たちとは違う。トドマの鉱山の宿営地にいる娼婦たちと少し似ている。まあ、ここの農民は戦士にはならないのだろうから、常に髪の毛を短く切るような習慣はないのだろう。
この麦の様な稲の様な穀物でパンにしたり、麦酒というか、エールのような醗酵酒を作っているのだろうか。
王国の国民であるアグ・シメノス人たちと准国民が、同じ畑で作業しているのを見るところ、准国民専用の畑が有る訳ではないらしい。
ここでは、亜人の男性も働いている。果物らしきものをつける果樹を世話する男性たちは、彼方此方の枝を切ったりしていた。
作業している男性の数が少ない。
そこで気が付いた。男性のほとんどは、たぶん湖のほうで漁業だ。ここの亜人たちは、半農半漁で暮らしているだろう……。
育てている穀物の一部に、トウモロコシのような物があったが、かなり赤い実がびっしりと付いた軸の根元にはそれを覆っていた葉っぱがついていて、それも赤い。
黄土色のような長い葉っぱのついた植物が、麦の様な稲の様な穀物だが、とにかく丈が長い。私の身長を軽く越えている所か、彼らの身長にほぼ近い高さまで伸びているのだ。たぶん、長く伸びる必要があったのだろう。
元の世界でだが、自生している米というのは自家受粉しないし、実が出来る時期もばらばらだったりして、その実も小さいのが野生種なのだが、元の世界の米にしろ麦にしろ、長い時間を掛けて、農耕民族が品種改良を行った結果、自家受粉もして、同じ時期に大きな実を実らせるようになったのだと、湯沢の友人が言っていた。
自家受粉しない理由も確か教えてくれた。自家受粉しないのは、遺伝子を多様化する事で、何かの天候の変化等で一斉にヤラレて全滅する事の無い様に、多様な耐性を身につけるために植物が持つ、自然の工夫なのだそうだ。
それで実を付ける時期もばらばらになっていたらしい。
ここの植物もたぶん、品種改良の結果なのだろう。収穫量を増やすには、品種改良が必須なのだ。穀物が同じ時期に実る物だけを選びだし、実が大きくなった物だけを選びだし、更に美味しい実だけが選ばれて行く。何世代にもわたる地味な改良作業の賜物である。
畑の方は根菜のような物らしい。やたらと葉っぱの大きな白っぽい根菜や、茶色の根菜が見える。そういえば、あの山の村でも根菜はあった。あれは大根に似た植物だった。
彼らは、作業した結果を王国から賃金として貰っているのか、或いは現物支給か。
農業に関してギルドはないと概要書に書かれていたから、准国民の彼らが、どの様な形で糧を得ているのかは分からないが、見た所それほど貧しいようには見えない。
まあ、贅沢は出来なさそうだが。
このような世界にあって、さほど外敵を気にせずに農業に打ち込んで食べられるというのは、それこそ贅沢をいわなければ、十分に幸せであろう。トドマの北の鉱山近辺に出る魔獣を考えれば、ここは十分に平和だ。たぶん。
尤も、私の匂いで、ここでも魔獣が出る可能性は大いにある。
私は彼らの農作業を眺めていた。
鎌のような刃物でどんどん刈り取っていく。
元の世界の鎌とは、形が少し違う。湾曲している部分は同じだが、先端がとがっていない。先端はざっくりと切り落としたように、直角になっていて、そこにも刃がある。鉈を農業用に改良したとでもいうべきか。柄のついている角度とかが重要なのかもしれない。
この穀物以外にも、やや大きい赤い実を付ける植物の幹の枝のような部分をこの農機具でバッサリと打ち下ろして刈り取っていた。
たぶんだが、間引いているのだ。その植物の赤い大きな実はまるで、トマトの様に見えた。
こんな南部の田舎でも、彼らが長ズボンを穿いているというのが、一つのポイントだな。北部の方と同じできちんと個人の体に合わせて縫製している。
元の世界の古代では、馬とか駱駝に跨るような事をしない民族は、そもそも男性たちも含め、一枚布を体に巻きつけ、時にはピンや帯を使って着付けるといった形の服装が多かった。古代ギリシャではキトンとかチュニックとかいうやつだ。暑い地方なら一枚布を使った腰巻もある。
ズボンを穿く文化は、東では遊牧民が中国に持ち込み、西ではウクライナ地方に住む騎馬民族が欧州に広まり、古代ローマに持ち込んだのだ。それは遊牧の血まみれスキタイ人の影響だといわれている。最初にズボンを作り出したのが遊牧スキタイ人だったといわれており、このスキタイ人と戦った民族がズボンを挙って取り入れたといわれているが、実はその事は定かではない。
古代ローマでは乗馬用の馬に乗った騎兵がいる民族との戦いで、彼らローマ兵は初めて馬に跨った長ズボンを穿いた人を見る事になり、乗馬に都合のいい、ぴったりと着用されている長ズボンに注目した。それでローマ兵の服装が変わっていったという。
騎馬部隊が乗馬に使えるズボンを求め、彼ら専用にズボンが造られた。それはスカート状の衣服を股の所で半分に分割して、足に合わせる形でそれぞれを縫い合わせただけの簡単なものだったらしい。そしてそれは他の歩兵部隊にも徐々にではあるが広まっていく。
その後、かなりたって一般の人々に浸透して行った。それまでは丈の長い短いの差はあれども、キトンかチュニックとスカートのようなものを着用して、その上に革の鎧だったのだから大きな変化である。それでも兵士ではない人々や、特に貴族は伝統的なキトンを好んだという。ズボン姿が優雅に見えなかったからだ。しかし実用性という点ではズボンがはるかに勝り、上流階級や貴族たちの服装を除き、キトンは徐々に廃れて、儀式の時に着用する儀礼服になっていったのだ。
しかし、紀元前四世紀頃のマケドニア王国の時代、古代ギリシャ人はスキタイ人と戦っているうえ、勝利して大量の雌馬も奪取しているのだ。そしてアレクサンダー大王の時代には大王自らが馬に乗って遠征に出ているのだが、不思議な事に長ズボン文化はなぜか古代ギリシャには取り込まれなかった。
なお騎馬文化そのものは紀元前一〇〇〇年程前のメソポタミア文明、つまりシュメール文明がその興りだったとかいう話だが、アジア中央部ではもっと前、紀元前四〇〇〇年程前に、遊牧民が鞍も無しに馬に直接乗ったようである。ただし、その時に乗った「馬」が現在の馬と同じ種類であったかは定かではない。何しろヒッタイト帝国では馬ではない種類の動物に騎乗しているのだ。
この王国では階級やら職業に関係なく、この国全体にこの衣装文化は浸透しているのだな。
……
赤紫の葉っぱの先が白く脱色して付いている木々の林の中に、准国民の農民たちの住居があった。
かなり腹の太ったアルパカ馬が数頭、飼われている。農耕用だろうか。
そこの近くに、やや大きい赤黒い犬のような生き物がいた。犬かどうかは判らない。私を睨みつけたまま座っていたが、吠える事は無かった。
あれはペットなのか、それともあの生き物も農耕に使うのだろうか。
奥の方に鳥がだいぶ飼ってあった。鶏ではないが、おそらくは卵を取るのだろう。
そして、ここもそうだが、子供がいない。何処に子供がいるのだろう。
エイル村もいなかった。
この王国の国民の場合は、育てる専門の部門があって、そこで子供を養育してるだろうから、それは隔離されているのかもしれないが、准国民の場合はどうなのだろう。
やや魚の生臭い匂いの先に、木造二階建ての家があった。
この家は亜人の農民の責任者の家らしい。
「お嬢さん、よくいらした」
やや年配な耳の尖った背の高い老夫婦が出迎えてくれた。
私はたどたどしく挨拶した。
「マリーネ・ヴィンセントです。これから、数日、お世話に、なります」
こういう場所でスカートを広げて挨拶しても、彼らが困るだけだろう。それで深いお辞儀をした。
彼らは軽く頷いているだけである。
「ワダイの村にようこそ。何もない処だが、ゆっくりしていきなされ」
老夫婦の素朴な挨拶で気持ちが楽になった。
夕方になると男性陣が戻ってきて、村の中に活気が出ている。
大きな桶に沢山の魚。見た事の無い色とりどりの魚を、選り分けている。
彼らはここで持ち寄った魚を分配という事らしい。
その日に食べるには多い分は、魚を干しているようだ。それが、この家近辺の生臭い匂いの元だった。
……
食事は一日に一回。夕食だけだ。
暗くなってから、囲炉裏のような場所で夕食になった。
彼らが出してくれた食事は、やや臭みの強い淡水魚の『煮物』。
丸い顔や、目の飛び出た魚の種類はさっぱり判らないが、おそらく横の湖で大量に取れるのだ。
選り分けていた作業を見た時には、あまり意識はしなかったが、深海魚のような顔立ちの魚までいる。
味付けは残念ながら魚醤ではなかった。ただの『塩煮』である。
それと、赤紫色をしたそら豆のようなものを先に茹でてから、何かの味で煮た物が出た。しかしこれだけでは味がやや薄い。
パンは、やや柔らかくなっていた。これは酵母が使われている。たぶんだが一次発酵させている。
あとは野菜らしきもの。赤い実を洗って皮を剥いた物と、黄色やら赤やら、紫の葉っぱを軽く茹でたもの。そこに魚醤が僅かにかけてあり、見ていると赤紫色のそら豆のような煮たものを、これと一緒に食べるらしい。
やはりアグ・シメノス人に遠慮しているのか、魚醤が殆ど使われていない。
手を合わせる。
「いただきます」
『塩煮』での魚は臭みが強いが、出汁がたっぷり出ていて、旨味は十分有り、食べられた。
頭は付いたままだが、内臓は取り除かれていた。それで、腹近くに苦味はなかった。この頭やエラの形状を見ても、この魚がどんな種類の魚なのかはまったく解らない。
焼いてるのではなく、ただの塩茹でだから魚の色がそのままなのが惜しい。
この色が全力で食欲を削ぎに来る。
魚体は黒一色とか白銀の体とか赤い体じゃなく、大きな目玉で濃紺に鮮やかな緑とか、四つある目玉で蒼い魚体に黄色の細い横縞がビッシリとか、飛び出した目玉の赤い魚体に角があって、体全体に白と黄色の縞模様とか、そのまま食べるには抵抗があるものばかりだ。
元の世界なら熱帯のほうに棲む魚のような色や模様の魚ばかりである。横の湖に棲むのは、そういう魚が殆どなのだろうか。魚の顔のバリエーションの豊富さは、トドマの漁港など比較にならない程、多種多様な魚たちだった。
海が近いせいもあるのだろうな。一部汽水になって、海に棲む魚も入ってきている可能性もある。
この家のパンはアグ・シメノス人の作るような硬さはない。それでスープの中に突っ込まないと食べられないという事はなかった。
豆らしき物を煮た物と野菜を一緒に食べて、パンも食べる。
野菜には、少しえぐ味があった。まあ、慣れの問題だろう。
赤い大きな実は、塩が振ってあった。なにやら甘酸っぱい味に塩味が混ざったものだった。
水を飲んで、やっと飲み込む。
うーん。もう少し、何とかならないだろうか。現状の料理には少し工夫が必要だとは思う……。
塩茹での魚はたっぷりと出汁も出ていて食べられたが、他は色々薄味すぎる。
茹でる事が出来ているなら、料理はもう少し色々出来るはずだ。
どうにか食べきった。
手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
お風呂はない。彼らは時々湖にいって沐浴するらしい。
夜は、油を使った灯りの元で話をしたりしていたが、そのほとんどは亜人の村人がやって来ては、老夫婦に相談を持ちかけるといった感じだった。
聞くとは無しに聞いていると、農作物のどれを収穫するかとか、何処の位置の作物が育ちが悪いとか、そういった農業の話だった。
彼らにとって一番重要なのが農業なのだから、この老夫婦が彼らの知恵袋なのに違いない。
……
「お嬢ちゃんは、随分と勇ましい剣を背負っておるじゃけえが、戦士なのかえ?」
囲炉裏端の火を眺めていると、ふと老婆が訊いてきた。
剣は、何時も手放さずに身に着けている。背中にはミドルソード。左腰にはブロードソード。そして右腰にはダガーだ。いくら素朴な農民でも私が普通ではない事くらいは判っている。
私は黙って首元の階級章を見せる。
老婆は屈みこんで私の首元を見た。
「おやまあ。冒険者の証ぢゃ。それも銀の」
そこに男性の老人もやって来た。
「随分と勇ましいと思うたが、銀の階級の冒険者とは思わなんだ」
そう言うと二人は笑っている。
それから、お茶が出た。
仄かに甘い、そして渋みの効いたお茶だった。
……
翌朝。
私が朝起きてやるのは、ストレッチから。それはどこにいても変わらない。
農家を出て外の広い場所で黙々と空手と護身術。それから剣の鍛錬。
二刀剣術のシャドウも行う。
農民たちは、女性はみんな集団で農地へ。男性陣は湖に行ってしまった。
あの武官の人は捕り物の翌々日、捕虜と幾らかの証拠の品となる袋を持って、キレオの街に行ってしまったので、残されたのは四人の護衛兵と馬車の御者、一台の馬車である。
護衛兵の人たちは飽きもせず、押収した品物を一時的にしまった納屋の周りで警戒していた。二名ずつ昼夜交代。
たぶん、武官の人が命令して行ったのだろう。
伝令が出て一二日も経って、やっと武官の人と衛兵と馬車と荷馬車が四台やってきて、戻れる事になったのだった。
その間、私はアグ・シメノス人の村の代表の家と、亜人の村人の代表の老夫婦の家に交互に泊まり、両家が出してくれる夕食を交互に食べた。
どちらも毎回、ほぼ似たような物で流石にキツかった。どちらかというと、アグ・シメノス人の村人が出す料理が厳しかった。
アグ・シメノス人の料理は、何だか不明な乾燥肉に塩気と若干の甘味と恐ろしく硬いパンに、色とりどりの香りのする葉の野菜。
香草の香りに僅かな甘みしかしないスープしか無いし、亜人の村の方は、塩煮の魚だ。
煮魚ではなく、干した上に焼いた魚が出た時が一番嬉しかったのは事実である……。
『郷に入れば郷に従え』
解ってる。贅沢言っちゃ、いかん。
私はどちらかといえば、ただの闖入者であり、彼らにとっては無関係な人物である。アグ・シメノス人の武官と護衛兵は別だが。
そうであるにも関わらず、彼らの食事を私に分け与えてくれているから、この料理が食べられるのだから。
まあ、亜人の彼らが焼き魚をあまりやらない理由はそれとなく分かった。
干して焼いた魚は意外と食べる部分が少ない上に、煮汁もないし、大量にゴミが出る訳だ。
塩茹でとはいえ、煮ているほうだと、煮汁もパンを食べるのに使えるし、ゴミは頭と太い背骨だけのようで、彼らは小骨や鱗を落とした皮も食べてしまっていた。
この出たゴミは全て掘った穴に落として、土を少し被せて醗酵させ、肥料にしてるようだった。
……
時間はたっぷりとあるので、日々私のやる事といったら、空手と護身術に剣の鍛錬だけだ。それでも余る時間は村の見学。
ここの村には鍛冶屋はない。刃物を研ぐのはやっているようだ。
裁縫も布地を縫うのはやっても、織ることはしていない。大工作業は村人全員での協力作業。薪割りもそんな感じ。
訊いて見ると農機具はアグ・シメノス人の農家と一纏めで支給され、鍛冶が必要な道具は、管理官がまとめて持っていってしまうらしい。で、代わりの道具が支給されるという。
なるほど。ここの村人が鍛冶をしないのには、そういう理由があったのだ。
漁網は流石に支給されないので、彼らは修理に勤しんでいた。
管理農業だったな。アグ・シメノス人の農家は耕作して作るものは全て管理官から指示されていて、王国で必要な物を必要数量栽培しているのだ。
亜人の農家が作るものは、自給自足と余分な分は備蓄や売りに出しているのだろう。或いは王国で必要とする作物を指示されていて、それは優先して作っているかもしれない。
まあ、そのあたりの事情は地域によって違うかもしれない。
……
だいぶ待たされ、ようやくやって来た馬車は、私にとってはまるで救出作戦の騎兵隊に思えた。
村の人々には申し訳ないのだが、食事の味が期待出来ないという事実は、私が一人で山の上の村にいた時より、私の気持ちを少し沈ませていた。
馬車が来て、ようやく帰れる。
持ってきたリュックを背負い、特務武官の人と箱馬車に乗って、世話になった老夫婦と他の村人たちに別れを告げた。
押収した密輸品は、衛兵たちが全てを四台の荷馬車に収めた。
そして、やっと帰る馬車での長旅。
つづく
ワダイ村で暫く、村人と共に生活をしていたが、その間やる事はひたすら鍛錬しかなかった。
次回 事件のその後2
やっと、馬車の迎えが来て、マリーネこと大谷は、王都に戻ることになった。
しかし、食事が余りにも、旨味がなくてとうとう耐え切れず街で食事処を探すのだが。