141 第17章 トドマの鉱山事件 17ー10 深夜の捕物
辺鄙な村に向かうマリーネこと大谷。その横には特別監査官の腹心の部下が付いていた。
そして、深夜に始まる捕物。
なんぴとかすら判らぬ男たちと闘うのだが、絶体絶命のピンチに追い込まれる。
17ー10 深夜の捕物
私は、馬車に揺られて、夢に見たワダイ村に向かう。
この辺りは、もうトドマの辺りどころか、コルウェの西にあったフリアの街の近くの穀倉地帯とも全く異なる風景だ。
辺鄙な所だ。時折、小さな田舎の村が塀に囲まれてあり、辺りは畑と田んぼ。そして所々に林がある。道は細いながらも石畳で舗装されていた。
この王国は、こんな辺鄙な場所まで舗装する几帳面さが有るらしい。
ガジを越えてウカリの小さな街。
周りには水田のような物がある。この辺りはどこも麦に似ているが麦とは異なる植物が植えられていて、黄色の小さな実がびっしり。いってみれば麦と稲の中間の仲間のような物が実って、垂れていた。
左側は海のある方角だが、山々があって先は見えない。
北の方から北西にかけて山々があって、その先が見えないのだが、北西の方に大きなティオイラの大都市。そしてその西に第一王都、アルジュがある。
この王国のもっとも重要な王都。
私は馬車で移動する間に、簡単な説明を武官の人に話した。
「ワダイ村で、深夜に、船が来る筈。その船は、密輸品を、載せてくる、という、予想。相手を数人、捕獲。荷物を、抑えます」
武官はただ頷いただけだった。彼女は質問すらしなかった。
二つの馬車は、昼下がりに村に到着する。
村には宿はない。私はこの村の責任者らしい人の家に自分のリュックを置いて、直ぐに南に向かった。
明るいうちに湖を見ておく必要がある。
湖の北東端の近くについて、全体をざっくり眺める。
元の世界の基準でいえば、それなり、決して小さい湖ではない。
しかし、この異世界のこの王国でいえば、この大きさは沼レベルだろう。
あのムウェルタナ湖の大きさが、常識外れだからだ。
この湖は恐らく長さは五〇キロは有るはずだ。横幅も数キロは確実にある。もしかしたら八キロから一〇キロか。
その周辺は崖だったり、段差のかなりある岩場。そこをよじ登って上陸しても木が多すぎて身動きしにくい場所ばかりだ。
この村から左手。南西の方に、岸が低くなっていて、あまり木も生えてない場所が二箇所。
一箇所は村人たちが使っているらしく、平たい船が、何艘か泊まっていた。
そこよりだいぶ奥、西方向に、やはり同じ様に木がほぼ無い、やや開けた低い場所が有る。
……あそこだな。場所は分かった。
今日はこれで一泊して、明日だ。
宿は無いので村の責任者の家に武官と護衛兵二人と私が泊まった。
他の六人は別の家。
食事はかなり質素な物だ。スッファ街の警備隊の詰め所で出された物を思い出した。
やれやれ。
……
翌日。
起きてやるのは何時ものストレッチ。いつもの服に着替える。
空手と護身術をやってから剣も振るう。
そのあと、ふと思い出してツナギ服を革袋から取り出したが、完全に乾く前に入れたせいで、強烈に変な匂いがした。これはぬるま湯で洗い直さないとだめだ……。
私は頭を横に数度振って、ツナギ服を革袋にしまい直した。
戦闘は、いつもの服といつものスカートでやるしかない。ここまで着てきたので、やや汗の匂いがついてしまっているがオシャレ服では戦えないし、さっきの臭いツナギ服は大却下である。まあ、この服で剣を振るうのは慣れてる。問題ない。
私は、休み休み、剣を振るう。
湖面を渡る風もほぼない。辺りは緑の普通の木々以外に紅い葉を持つ紅い木と桃色の葉を持つ木と紫色の木々。
北東岸の崖にまで生えた木々が、湖面にその姿を写し、印象的な風景を鏡写しにしていた。
昼間には大きな月が南西にあったが、夕刻になる遥か前に山に沈んだ。
そして、日が暮れていく。
今日は特別な新月。月は登らない。三つの月は、この夜になろうとする空のどこにもいない。
これから深夜の捕物だ。夢に見た通りに相手が来れば、だが。
湖は穏やか。
「これから、湖の南西側に、行きます。一番岸が、低い場所は、そこだけ、という場所です」
「なぜ、それを知っているのだ」
リーゼロンデ武官が私を見下ろしていた。
「昨日の夕方になる前、全体を、ここから見ました。岸が、低い場所は、二箇所。一つは、村人たちが、使っているので、そこ以外で、適当な場所は、あそこだけ、です」
急に暗くなる村の外の森の中、私は南西の岸を指さした。
軍団兵六名と護衛の特務武官が私の後ろについてくる。
岸の所はすこし開けていて、斜面になっている。なるほどここなら、荷物を荷揚げできるだろう。
近からず遠からず、少し木々が多い場所を選ぶ。
紫色の樹木の多い場所で私は木の西側にしゃがんだ。ここからなら湖面が見える。
ついてきた護衛兵がその後ろにしゃがんだ。
周りはほぼ真っ暗。
もう、昼間に聞こえた鳥たちの啼く声はしない。
遠くで、獣の鳴き声。遠吠えの様な物が混ざる。
ここにも魔獣はいるのだろうか。
軍団兵の女性たちは、前方に小さな穴の空いたランプを持ってきていて、それに火を灯した。
それは油の入った物で、油で暫くの間、蝋燭よりは長く灯りになるものだ。
小さな穴の上に特殊な庇が付き、更に穴を小さく出来るような板も付いている。
かなり特殊なランプであろう。
これで照らせるのは足元だけだ。
……
真っ暗闇の中、時が止まったかのようだった。しかし星は動いている。
時折、なにかの獣の遠吠えが聞こえる。魔獣の気配、無し。
……
どれくらい時間が経ったのか。もう深夜はとっくに越えているだろう。
その時。
左の方、湖の奥、西北西の方だ。何かが来る気配がした。
樹木の裏側から移動して湖面を見る。
上に布を被せた平たい長い船がゆっくりとやってくる。
やや大きい。そして帆がない。櫓もない。どうやって動いているのか。
大きな平たい船が、岸に近づかずに止まった。
星あかりの下、布下から一人の男が現れて、静かに湖に入る。男は静かに泳ぎ、岸に上がると脚に結んでいたロープを外して、太い幹に結び始めた。
……夢と、同じだ。
武官の女性が僅かに口を開いている。
護衛の軍団兵の女性たちの表情が変わったのが分かった。
ああ、またフェロモンの会話だ。私には分からないが何かの指示を出したんだ。
軍団兵の彼女たちが背嚢から面頬を取り出して、顔に付けた。武官の女性はまるで仮面の様な物を被った。
彼女たちは面頬をつけると不気味な表情だった。ほぼ額と目しか出ていない。その目は細く、面頬にわざとらしく書かれた口の線は緩やかなカーブを描くUの字。笑っているかのような顔が逆に怖かった。
船がゆっくりと、岸に近づいてくる。
もう舳先は岸に上がったような状態になって止まり、何か擦るような音がした。
男たちが数人出てきた。男たちは肩に荷物を背負っている。
その瞬間、私は飛び出していた。
左腰のダガーを引き抜いて、先頭の男に投げつけた。
ダガーは男の喉に刺さり、前のめりに倒れた。
軍団兵の彼女たちも飛び出していた。
男たちの声が上がるが、何を言ってるのかわからない。共通民衆語ではない。
肉を斬るくぐもった音と共に、男たちの悲鳴が上がった。
軍団兵の女性たちに斬られた男たちは、内臓を撒き散らして死んでいた。
軍団兵には、綺麗に斬るとかいう概念自体が存在していないかのようだった。初めて彼女たちの戦闘を近くで見たが、星明りしかなく、判るのは影絵の様なものだけ。
恐らくは仕留めればそれでいいという、野獣の剣だ。たぶん。それをいったら、私もそうそう変わらない。
彼女たちは、この暗闇でも見えているかのようだ。夜目が効くのか。たぶん少しはそうだろうな。
私は気配を確かめつつ、もう一人の所に向かった。
男たちが船の方に逃げようとしている。上陸失敗で退却しようというのだろう。
私は水際の船の縁に近づこうとしたが、急に背中にゾクっとするものがあった。やばい、魔獣か魔物か。頭の中で鋭い警報が。咄嗟に後ろに飛びのく。
そこに、一人の男が何かの獣を連れて、布の下から現れた。
四つ足で角はない。大きな犬に似た獣だ。大きさはほぼ二メートルか。模様や毛並みは星明りでは判然としない。
魔獣であるのは間違いない。しかし横の男に従っているのだ。
あの男もまた、魔獣使いであるのは間違いない。
一〇頭以上を使うような魔獣使いがただの捨て駒なら、このたった一頭従えている魔獣使いが、まったく使えないやつな訳がない。たぶん途轍もなく使えるやつ、という事だろう。
魔獣使いが、魔獣を従えて連れてきているのに、私の背中に魔獣の気配があった。トドマの鉱山の時と違う。
魔獣使いとこの魔獣の連携で来るのか。いや、一頭だと決めつけてはいけないな。人間の知恵を併せ持つ、魔獣が二頭。片方はなにか武器、片方は魔獣の必殺技あり。という事だな。
私は背中の剣と腰のブロードソードを抜いて、二刀流。
男がなにか喋った。しかし共通民衆語ではないので、何を言ってるのか解らない。
魔獣は軍団兵の彼女たちの方に向かった。
私はその魔獣を追った。
走る魔獣はいきなり火を吐いた。……火炎攻撃かよ。
しかしそのおかげで、魔獣の身体がはっきり見えた。
蒼い毛並みだが、腹の部分と頭が白い。躰になにか模様がある。尻尾はやや長め。尻尾の毛並みも相当なもので、全て蒼だった。
魔獣の吐いた炎は、周りの木々に燃え広がり、辺りを照らしている。
軍団の女性が弓を構えていた。弓は正確に魔獣に向けて三連射。しかし魔獣はそれを余裕で躱す。
魔獣を従えていた男が剣を抜いた。
私は二刀流の剣で、男と対峙する。
男の剣は、それ程大きくもない。私のミドルソードで十分相手できる。
男は派手に振りかぶって、振り下ろしてくるが無駄が多すぎる。隙だらけだ。
僅かに身体をずらしながら、相手の臍のあたりに剣を突き出す。
男は慌てて後ろに下がりながら私の剣を強引に横に払おうとした。
私は右手の剣を引きながら、左手のブロードソードで男の剣を上から打ち付ける。
男がバランスを崩して、何かを叫んだ。
!
魔獣が瞬時に私の方に飛んできたのだ。
大きくジャンプしたのか。
後ろに飛びのいて躱すのがギリギリだった。
男たちはまだ六人ほどいる。
船に人が残っているかどうか。
魔獣が私に突っ込んでくる。眼前で炎を吹かれたら避けきれない。
左足を踏み出し、左手のブロードソードを前に。やや上。
右手のミドルソードを引いて臍の前に。
魔獣が口を開く……。
その刹那、私が右足を踏み込んで右手の剣が突き出される。
顔を思いっきり下げて突っ込んでくる魔獣の鼻に届き、鼻の先にわずかに刺さった。魔獣は鋭い悲鳴を一度上げると、ギリギリで突き出される剣を躱し、更に瞬時に後方へと下がった。
魔獣の鼻から血が垂れて、魔獣の目が怒りに燃えている。鼻が横方向に少し切れていた。躱した時についた傷だ。
あともう一息、鼻から突っ込んでいたら顔が裂けたというのに、鋭いやつだ。
しかも、あれだけ突っ込んでくる姿勢から、避けて戻るっていうのが、もう尋常ではない。並の魔獣なら、あそこで剣がそのまま顔を裂いて、死んでいたはずだ。
周りはもう軍団兵が、男たちを圧倒し始めていたが、殺さずに二名か三名くらい生け捕りにしろという、特別監査官の命令があった。
全員殺せたほうが、彼女たちにとっては楽だったに違いない。
男たちは、魔獣使いの男の方に逃げてきた。魔獣使いの後ろに回る。
何かを叫んでいるが、相変わらず、私にはさっぱりわからない。
切羽詰まった声なのは判るが、何を言っているのやら。
魔獣使いも、何か喋り始めた。
それは、謎の呪文のようにしか聞こえない。
と、その時だ。魔獣の躰がぼんやりとした光に包まれる。
そして魔獣の身体が大きくなり始めた。
ステンベレの雄が大きくなるのがあったが、これは違う。
背中の感覚が、違うと訴えている。魔獣が必殺の技を出す前触れを知らせる物ではない。
これは、魔獣の能力じゃない。あの鼻の傷が塞がっていき、犬魔獣は巨大化していく。
頭の中に警報が鳴り響く。
既に四メートルは越えた。五メートル……。まだでかくなりそうだ。
私はブロードソードを静かに下に置いた。
もう、二刀流でどうこう出来る状態じゃない。
犬魔獣は恐らくは七メートル程の巨体になった。
あの村で出会った、焦げ茶熊にほぼ同じ大きさだ。軍団兵の女性たちが、何か声を上げてかなり後ろの方に下がった。王国の彼女たちの言葉か? 私には判らない。
私は剣を両手で握りなおす。
巨大化した魔獣の横に立つ男を睨みつける。
魔獣使いの男が狂気じみた笑い顔だ。何か、短い言葉で叫んだ。
たぶん、殺れ!とか、そういう言葉だったのだろう。
くる!
考えるより先に身体が反応して、右にジャンプしていた。右やや前方に転がる。
そこに、先程まで私が居た場所に、魔獣の炎だ。魔獣の足は長く、魔獣の頭の位置は既に四メートル以上の高さ。そこから炎が斜め下に向かって吐き出されたのだ。
起き上がって魔獣に斜め横から脚を狙って剣を突き出すが、こいつは敢えて、自分が燃やした木の方に突っ込んで私の剣を躱した。そこで魔獣は身体を反転。
あの馬鹿でかい躯で何という身のこなし。
ミドルソードで前足を斬って、まずは動きを止める。それを狙うしかない。
犬のような魔獣が物凄い勢いで私に迫る。前足を狙う。しかし魔獣は急に頭を下げて突き出された鼻で私は横に払われた。
ドンという衝撃が来た。
大きく弾き飛ばされていく。
右に弾かれて、だいぶ飛ばされ、受け身を取るために剣を手放した。
落ちる瞬間に受け身は取ったが、ごろごろと転がって樹木にぶち当たって止まる。
まずいことに剣を二本とも手放してしまっていた。
魔獣使いの男は最早、狂喜の表情だ。
魔獣が来る。まずい。本当にまずい。炎を避けられるのか?
魔獣の口が開かれ、炎が口から伸びていこうとする。
だめだ。避けるのが間に合わない。
しかし、ダメでも。
考えるより前に、体は左に転がる。
炎が真横を通り過ぎる。猛烈な温度。
いや、普通なら焦げているだろう。何故か服は無事だったが。
元の世界の、物語に出るドラゴンのブレスは一〇〇〇度C以上。あるいは一五〇〇度Cとも言われていた。鉄製の剣や盾が溶けて曲がったとかいう話だからだ。
この魔獣のブレスもまた、その温度に達しているかは、わからないが。
吐かれた炎で、そこにあった樹木が燃えていた。
もう、森のあちこちで火災が発生。
紅蓮の炎に照らされて魔獣が再びこちらを向いた。
もう、真正面だ。私はまだ、立ち上がれていない。
魔獣の口が開かれ、炎が吹き出し始めた。
これはもう、避けられない……。
だめだ…。
こんな所で、私は、終わりなのか……。
魔獣の炎に焼かれて……。
否。
まだ。
まだだ。まだ終ってない。
こんな所で終ってたまるか。諦めるな。
そう思った、その時だった。
魔獣の口から伸び始めた火炎放射は、まるで止まったかの様に見えた。
全てが止まったかの様に。
そう、物凄くゆっくりとしたスローモーションになっていたのだ。
唐突に、あのゾーンが再び。
私はもう、躱す等という動作ではなく、ただ転がって避けるようにして横に移動した。
今の私がやるべきことは、たった一つだけだ。
あの魔獣の炎を止める。
立ち上がり、そして走り出した。伸びはじめ、地上に届いた炎を避けて回りこむ。
思い切ってジャンプして犬魔獣の前足の上にしがみついて、どんどん登る。横にずれて胸のむく毛にしがみつき、更に登る。喉元までよじ登った。
左手で魔獣の長い毛を掴んで、その場でぶら下がる。
右手で右腰のダガーを逆手で抜いて、そのダガーを魔獣の喉に突き立てる。
手応え、あり。
手応えあり……。
刃の長さは然程無いが、喉に届いたのは間違いない。
そのまま両手で全体重を掛けて、下へ。
ダガーにぶら下がるかのような姿勢で、切り裂いていく。胸の下の辺りまで斬って、ダガーは下に抜けて、私も下に。
魔獣は叫ぼうとしたのだろう。炎を吹き終えた口がやや上へ動き始める。
炎はもう止まっていた。
しかし魔獣は喉が斬れていて、そこからゆっくりと血が滲み始めていた。
血が毛についた。
魔獣の顔が僅かに下がる。既に喉を切られているのだが、時間が引き延ばされていて、魔獣はまだ自分の躰に起きた事を認識できていない。
その刹那、私が見えている景色は、スローモーションから、元に戻った……。
本当に僅かな間だけ、私に時間が与えられたのだ。そう、何者かによって。
あの腕が伸びた黒服の男の時以来だった……。
私は素早くかなり後ろに下がり、握っていたダガーを魔獣の顔めがけ、全力で投擲。
それは巨大化した犬魔獣の目と目の間、躰にある不思議な模様と同じ物がある、そこに深々と刺さった。
魔獣の喉から胸にかけて、まるで吹き出すような血。まるで噴水の様に。
魔獣は、なおも攻撃をしようとして、再度炎を吹こうとしたが、それは裂けた喉から零れ落ちた。
炎がぼたぼたと裂かれた喉から零れ落ちていく。
魔獣は自分が吹こうとした炎で自分を焼いていた。
巨体のまま狂ったように暴れている魔獣。周りの燃えている木々がなぎ倒され、大きな音を立てた。魔獣は燃えながら、暴れ続けていた。
……
私が魔獣使いの男に向き合った時、魔獣使いの男の額に矢が生えていた。
男は狂喜の形相のまま、目を見開き、そのままゆっくりと仰向けに倒れた。
後ろに居た男たちが、何か聞き慣れない言葉で、絶叫しながら船に向かう。
更にその男達の背中に、矢が生えていた。
二人がそのまま前のめりに倒れる。残る三人のうち二人は脚に矢が生えていた。
軍団兵の女性たちが弓矢攻撃に切り替えていたのだった。
一名は飛び込み、もう泳ぎ出していた。
私は倒れた男の腰にあった武器を引き抜き、泳いでいる男目掛けて、全力で投擲。
それは泳いでいる男の肩甲骨の下辺りに刺さり、悲鳴とともに男の動きが止まった。
倒れた魔獣はとっくに縮んでいて、もう元の大きさだ。体全体が酷く焦げた魔獣は既に息を引き取っていた。
辺りは激しく樹木が倒され、燃え乍ら倒された樹木が辺りを照らす。
私は魔獣の額の下に刺さったダガーを引き抜いた。
もう一本は、最初に斃した男の喉に刺さっていた。それも引き抜いて、三度ほど振って鞘に戻す。
そのまま走って、先程手放したミドルソードを拾い上げる。
男たちは、悪事の自業自得だ。
しかし、この魔獣は……。この辺りにいる魔獣ではないだろう。今回の仕事のために遠い異国から、魔獣使いに操られて連れてこられたに違いない。哀れな。
静かに目を閉じて手を合わせる。
合掌。
「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
小声で素早くお経を唱えた。
この魔獣の必殺技が炎だったのは間違いないが、魔獣使いの男は、なにかの呪文でこの魔獣の身体を巨大化してみせたのだ。鼻の傷も同時に癒やしていた。
そういう魔法が有るのかもしれない。
魔獣を従えながら、魔獣を強化する魔法も使えたのか……。
なるほど。
一〇頭、一五頭同時に扱えるより、この一頭のほうが、効果が高かったんだろう。
あるいは、一〇頭くらい扱える魔獣使いは、そこそこいるが、こういう必殺技を自在に使わせながら従え、魔獣も強化できる魔獣使いは、そうそう居ないということか。
それなら、納得がいく。
あの巨大化した状態で炎を吐くのなら、それは小型ドラゴンみたいなものだろうか。羽がないだけで。
私も、あの瞬間にスローモーションにならなければ。そう。ゾーンに入らなければ、間違いなく黒焦げで、またたく間に炭になっていたに違いない。
またしても、私は生かされたのだ……。
……
この男もこの魔獣も、どんな国から来たのだろう。
魔獣の魔石を回収する。
もはや黒焦げとなった魔獣だが、額の辺りは辛うじて黒焦げになるのを免れていたようだ。
ダガーを突き立てた場所にもう一度、ダガーを刺して、頭頂部に向かって切り、そこから後頭部に向かって切り開く。
血はもう殆どが固まっていたが、脳漿が飛び散りその脳漿の匂いで噎せた。
脳内にまで加熱が進み、饐えた臭いに焦げた臭いに、更に生煮えの脳味噌が放つ異様な匂いが混ざった悪臭がたちこめて、さら噎せる。酷く咳き込んだ。
後頭部まで切ったら、ダガーを脳味噌の真ん中あたりに突き当てると、何かが当たった。魔石だな。
頭頂骨をかなり割って、脳味噌の中から魔石を掻き出した。
意外に大きかった。魔石は私の親指三個分ほどの大きさがあった。
灰色の楕円形をした魔石。
その平らな部分の中心に薄い黄色の線が渦を巻いていた。
私は、黒焦げに近い頭から耳も切り取った。クリステンセン支部長は耳も出すように言っていたのを思い出したからだ。
軍団兵の女性たちはもう、後片付けの様相だ。
脚に弓を射られた男たちは捕縛されて縄をかけられ、連れていかれた。
死んだ男たちの遺体を一箇所に纏めている軍団兵もいた。
船を調べるために、軍団兵が船を半分陸に上げていた。
船の中身を点検している軍団兵に混じって、あの武官が居た。
中の荷物を確かめているようだ。
……
泳いで逃げようとした男は、まだ浮いていた。
私はブロードソードを拾い上げて鞘に仕舞った。
村はこの騒動で、村人全員が起き出して来て辺りは大騒ぎだ。
そのうち燃えている木々の消火活動が始まっていたのだった。
村人総出で湖の水を桶に汲んでは、燃え盛る樹木にかけていく。
私は、それをただじっと眺めているだけだった。
何故か、体がぼうっとして、動く気になれなかった。
体育座りした私は少しだけ、うとうとし始め、睡魔に誘われるように眠りこんでいく。
その時、唐突に頭の中に誰かの声が響いた。暗い声だった。
──赤くて黒い者よ。そうやって時間を引き延ばすと、お前は自分の寿命を大きく削っている。やり過ぎれば、お前はその力によってすぐにでも死ぬだろう。
はっと目が覚める。誰だ。
しかし、もうその声はしなかった。
夢の中に出て来た謎の声が、またしても私に語り掛けたのだ……。
あのスローモーションのような超感覚が、私の力?
どういうことだ。自分で思った時に出せているようには到底思えないのだが。
誰かが私を生かしているのだと、ずっと思ってきたのだが……。
つづく
密輸犯の男たちには、魔獣使いと犬型の魔獣が付いていた。
その魔獣との死闘の最中、またしてもマリーネこと大谷は絶体絶命のピンチに追い込まれるが、あのゾーンに突入して魔獣を倒し、命からがらに生き延びたのだった。
次回 事件のその後
燃えている森の消火作業と、押収した証拠品を運ぶ為の荷馬車を待つ間、農村の生活を眺めることになり、暫く農村で過ごした後、第四王都に移動となるのだった。