131 第16章 第3王都中央 16ー5 小旅行と職場復帰
馬車で港に向かう途中の街々で宿泊をしていく。
東の隊商道は、人通りが多く、交通量の多い街道だった。
そして出される料理は、薫りのするものばかりだった。
131話 第16章 第3王都中央
16ー5 小旅行と職場復帰
恐らく、ルクノータ監査官の手配で第三王都の冒険者ギルドに連れて行かれたわけだが、その後第三王都の中を見て回る時間も与えられなかった。
馬車で第三王都中心部を出発。
第三王都アスマーラは広い。王都の中心から城壁まで一五キロメートルもあるのだから。
いや外の道路わきの柱には小さな行先看板がついていて、『東門まで三フェリール二フェン』と書かれているのだ。この位置からだと一三キロメートルいや一四キロメートル弱位なのか。
二頭立てのアルパカ顔の馬車でゆっくり東に走っていく。
かなり赤っぽい艶のある茶色の箱馬車には少し大きくとられた窓が左右にあって、外を見ることが出来た。
横に乗っているのは警護兵と対面に監査官の付き人のような制服姿の女性。
その制服の女性が態々、私の座っている場所に厚めのクッションを重ねて置いてくれたので、やっと外が見える訳だ。
私の身長では、座ったままだと窓に顔が届かないのだ。
外を見るとたくさんの人々が見える。それこそ、ありとあらゆる服が見える。
私は咄嗟に額に角の生えた人たちがいないか、探した。しかし、街路を歩く人々は角のない耳の長い人々ばかり。耳の短い人も見かけない。
様々な顔の人々がいる中に、明らかに普通の亜人たちとは異なる種族であろう人々も見かける。獣人と言うべきだろうか。通常なら声帯が異なり、同じ言葉を喋ることが出来ないというのが、元の世界の常識だが、ここではそんな物が当てはまらない。
そう。ここは異世界。
私の元の世界の常識のいくつかが、完全に当てはまらない世界なのだ。
狼男だろうが、鼠男が喋っていようが、普通だろう。
あの、ラドーガという蜥蜴男が喋っていたくらいなのだから。
そこに混じって、地味な服を着たアグ・シメノス人を初めて見た。
監査官やその監査官のお付きの人らしい、元の世界の軍服のような制服姿の彼女ら。
あの商館にいた使用人のような姿の彼女ら。
王宮事務員の白に金糸飾りがついた制服姿の彼女ら。
遊び人の彼女らとドレスを着た彼女ら。
そして警備隊の責任者の彼女ら。その部下の警備兵の彼女ら。
その何れにも該当しない、地味な初めて見る服の彼女らはどんな職についているのだろうか。
……
王都の中心から東に向かう街路に人は多いが、思いのほか喧噪は無かった。
あちこちに警護兵が立っているからなのかもしれない。
そう、元の世界だって、街路にお巡りさんが三人とかいる状態で、騒ぎを起こす馬鹿はいない。喧嘩の一つでも始めればたちまち、お巡りさんが飛んでくるだろう。
ここにいる准国民にとって、窮屈なのか快適なのかは窺い知ることは出来ないが、ポロクワ市街のような活気はなかった。
箱馬車は、かなりの時間を掛けて、やっと城門にまで至る。
分厚い城壁にも驚かされるが、この城壁の高さにも驚かされる。
これまた分厚い、石造りのでかい城門が外側に向けて開いていた。一番下の中央には鉄の扉がついている。一度締めたあとの通用口なのか。
あの石の扉はどうやって開け締めするのだろう。
まず人力では動かないと思われた。たぶん何かの動力、考えつくのは水力でどうにかして歯車のようなものを回してトルクを稼ぎ、鎖などを巻いて、滑車で動かすのかも知れない。
東の城門を出ると、そこは東の隊商道。
幅広い石畳の道路には六台の馬車が並列で走れるほどの広さが有る。
片側三車線ということらしい。多数の荷馬車が行き交い、道の端には多くの人が歩いている。
街道脇にはまばらに家も有る。このあたりは北の隊商道とはぜんぜん違う。
つまり、この街道の近辺には魔獣、魔物、危険な獣は一切いないということを意味していた。
東の隊商道を三泊四日を掛けて、途中で宿泊しながらコルウェの港町に向かう。
まずはマカサで一泊。夕方にはまだなっていないのだが、この先の街が遠いのだろう。それほど大きい街ではないが、宿屋は多そうだった。彼方此方にアルパカ馬車が停まっている。
この街の宿で出た食事は、たいそう鼻に通る香りの付いた、どうにか薄い塩味のする香りシチューと香りの強い硬いパンとそれに添えられた、何か甘い香りと甘い味のするペースト。そして食後に香り高いお茶である。
魚醤味の料理が出ないのは、監査官たちの差配で私に出される料理が、彼女たちと同じ物になっているからに過ぎない。
翌日、朝から馬車でさらに東に向かう。川に架けられた石橋を渡って東進。
すると大きなルクワの街。ここで一泊。この街の東には川があるらしい。
そうか。出来るだけ川の脇に街ができているのだ。
このルクワの街はポロクワ市街より、やや大きい。流石に往来の多い街道沿いの街だけある。北部街道が寂れているという意味がわかる。往来する馬車や荷車の量が比べ物にならない。
この街道沿いで荷物を背負って歩いている人も多い。これでも南の隊商道よりは少ないというのだから、南の街道は本当に往来が多いのだろう。
沢山の人達は、ほぼみんなやや肌色が濃い。髪の毛の色は様々だが、赤い色から茶色がかった人達が多くみられた。
服も人それぞれだがみんな、実用的な服を着ている。要するにフードが後ろについたマントの様な物を羽織って、その下は茶色かグレー色の作業用と思わしき、やたらとポケットの多い上着とズボン。
靴は、どちらかというと、サンダルに皮を巻きつけてショートブーツにしたような、そんなものを履いている人が多かった。
この日も宿で出される食事は、相変わらずびっくりするほど香りのついた、野菜の入ったシチュー。それと香りのついた硬いパン。ほんのり甘酸っぱい香りの僅かな甘みのあるペースト。
本当にアグ・シメノス人たちは旨味を感じる味蕾がないのだろうか? 彼女たちは旨味を追求しない。色々な香りと僅かな甘味、塩味で食べている。
食後は例によって香り高いお茶。これにも僅かに甘みが付いていた。
折角食事を出して戴いてる訳だが、この食事内容には溜め息も出てしまう。
いや、贅沢を言ってはいけないな。郷に入りては郷に従えという。
きっとこの様々な薫りは、贅沢な食事なのだろう。彼女たちにとっては……。
……
部屋に温いお湯の張られたバスタブがあったので、自分で体を洗いたかった。
しかし、宿のメイドのような人が来て、私の体を抱きあげてバスタブの中で洗い始めた。自分で洗うことぐらいは出来るのだが、その自由は与えられなかった。私は完全に子供扱いなのだろうか。
夜になるといくらか気温は下がる。温いお湯だと風邪を引きそうな気がして、もっと熱いお湯にして欲しいのだが、贅沢は言えない。
魔法が使えれば、適温の温水が作れるのかも知れないのだが。
もっとも、この異世界に風邪になるようなウィルスがいるのか?
そう言われて見ると、具体的にどんな病気があるのか、私には分からない。
あの薬草図鑑には病名はなかった。症状例が少し示され、それにはこの草がいいというような物だったからだ。
そう、ここは異世界。
私の常識が当てはまらない部分がある世界なのだ。
私の知らない有毒性のウィルスや病原菌がどれだけいるのかは、まったく不明だ。
私の体はいたって健康で、余りにも食べずに餓死寸前の、飢餓状態で昏睡したのを除けば、私はこの世界のありとあらゆる環境に適応して、調子が悪くなった事がない。
鍛冶の炉の高温度の輻射熱は最初こそ、倒れそうだったが、じきに慣れた。あの村を出た時の高山の寒さと空気の薄さだろうと、あのジャングルの中の、まるで水分が空気なのかと思うような、猛烈な湿気の中でも、私はまるで普通だった。
倒れて、真司さん千晶さんに助けられエイル村に居た時も思ったが、この体が優遇で飛びぬけて丈夫なのは、間違いない。
私は、滅多な事では病気にもならない体だろうか?
翌日、橋を渡って橋の脇にあるタボラの街を通り抜け、途中のハウチの街も抜けてフリアの街で一泊。
フリアの街は、通ってきたルクワの街とほぼ同じ大きさの街のようだ。
つまりは、それなり大きい。ちょっとした小都市ばかりを通り過ぎてきたことになる。
フリアの街を出ると、北に見える周りの景色は、トドマ近辺は元より、スッファの南の方の田園風景とも異なる田園が広がっていた。彼方此方に林のようになった樹々もあるが、どうやら北の方とは違う穀物を植えているようだ。
街道からはやや離れた場所に、黄色に近い緑の長い葉っぱが多数伸びていて、風に揺れていた。そこに小さな鳥たちが集まっては囀っている。
……
そうして、第三王都を出て途中の街で数度の宿泊をしながら、東の隊商道を東進、やっと広大なムウェルタナ湖の西岸に着いた。
かなり広い街並みが、がっちりした塀の向こう側に見える。
ここがコルウェの港町。
これもまた大きな街でキッファの街はおろか、ポロクワ市街が田舎町に見えるレベルである。街道の途中にあったルクワの街やタボラの街、フリアの街も大きかったが、その比ではなかった。
大きな塀が街を取り囲んでいる。そこに立派な門があり、そこを通り抜ける。
全く止められもしなかった。たぶんこの馬車の横に書いてる薄青い色の複雑な紋様のせいだ。
王宮関係者の乗り物を表す印が付いてるとか、第三王都商業ギルドの乗り物とか、そういう事なんだろう。
門を入ってすぐは、街道の周りは大きな宿屋が並び、それから商会の建物。
いくつかの十字路の所で、北を見ると沢山の住居が見える。
沢山の人が歩いていて、随所で荷車が行き交っている。相当に活気のある街だ。
大きな建物は殆どが平屋だがこれらは商人の倉庫になっているようだ。
所々、二階建て、三階建ての建物が見えた。倉庫の壁にはいくつか紋様があった。たぶん各商会の紋所であろう。その建物の前に多数の荷車や馬車が停まっていた。
さらにいくつかの十字路を過ぎる。広い街だ。どこの交差点も人が一杯だった。
私は、ここでも額に角のある人がいないか、探した。様々な種族がいる様だが
、額に角のある種族は見かけなかった。
……
市街地を抜けて更に進む。
倉庫街の一角から、生臭い匂いがする。
とうとう、倉庫街のような所を通り過ぎて、波止場の手前。湖の港に漂う魚臭い匂いとか、生臭い匂いが風に運ばれてきて、鼻を掠めて行った。
ここで全員が馬車を降りた。流石に揺れる馬車に乗り過ぎていて体が痛い。
少し伸びをして、屈伸運動である。
それから、東の大きな桟橋まで行くと、多数の船。波止場から少し南に歩いて南の桟橋に行って景色を眺める。右手というか、東南の方に島が見える。
たしか、テパ島で今でも僅かながら噴煙が上がる火山島らしい。
ここの対岸がルッカサの港街。もっとも遠すぎて見えない。
桟橋は本当に沢山あって、多くの大小の帆船が繋留されていた。トドマの港では漁船とか平船が多かったが、ここでは漁船は北の方の桟橋に固まっていた。
中央は、大きな帆船による商船ばかりである。そのやや南に小型の帆船、更に南の方に小さな帆の付いた平船といった具合だ。
ここは十分に温帯であるらしく、空気は相変わらず濃密だが、蒸し暑い空気ではなかった。ここから見る北の山の方は分厚い雲だった。あちらはまた雨でも降っているかもしれないが、ここの気候は暮らしやすそうだ。
第三王都があの位置なのも、納得がいくというものだな。
おそらく寒さはほぼなく、きっと温暖、湿潤で作物もよく育つ。
大きな山が見えないので、この辺りではたぶん雪は降らないだろう。
景色を見ながら、そんな考え事をしていると軍服のような制服姿の人がやってきた。
私を探していたらしい。
彼女に連れられて、帆船に向かう。
コルウェの港から南風に乗ってもカミナの港まで、まる一日でも全然着かないらしい。
大型帆船でかなりの追い風でも、まるまる二日は掛かるとのことで、ここで船を港につけずトドマまでいくと、全体の日程は二日半となるらしい。カミナに寄港したら三日、または四日の日程。
まあ、かなりの部分は風次第。風が弱いと日程は伸びる。
艪を漕ぐ人は三二人。大きめの船なので一六人ずつ交代で、ほぼ船の方向を決めるために艪を漕ぐのだろう。南風ならそれでいいが、東風とかなら少し大変だ。舳先と帆をかなり調整してジグザグに進むか、帆を畳んで艪を漕ぐか、決めなければならない。
この船に一六人というのは多そうにも見えたが、帰りがあるのだ。
追い風の行きはともかく、帰りは帆を相当傾けるかして左右で艪を漕ぐのだろう。舳先を切り返ししながら、逆風の中を進む技術があれば、それをやるだろうし、それが出来ないなら、帆は素直に畳んで艪を漕ぐしかない。
交代ということは、休んだり寝たりを交代で船を動かし続けるという事だな。
南風に押されて大きめの帆船は快調に北に向かって進んだ。
一応、船室が充てがわれたのだが、私は船の甲板に出た。
こういう処だと、暑い方に向かえば虫も出て刺されたりするものだが、虫もいない。
湖が深い事と関係があるのだろうか。水上近辺にいるような虫は魚に喰われるから、余程岸に近い方じゃないといないのかもしれない。
途中、水鳥の啼き声が大きい場所があった。よく見てみると水鳥たちが大量に浮いている場所がある。
その近くを何かが、泳いでいる。かなり大きな水棲生物がいるらしい。まあ、小型の鯨並みの水棲生物がいても不思議でも何でもない。
元の世界のあのネス湖だって、深い場所は二〇〇メートルを越えている。あの寒い湖にだって、得体の知れない大型の水棲生物はいるのだ……。
それを考えれば、この広大なムウェルタナ湖にどんな大型の水棲生物がいようと普通だろう。
何しろ、ここは異世界なのだから……。
そこからやや離れた場所に、何故か水上に木も生えている。よく見ると浮き島だった。
あちこちに浮島があり、漁船も来ていた。
「どうして、こんな場所に、浮島が、出来るのでしょう」
誰に言うともなく、独り言だったのだが、すぐ傍らの制服姿の女性が答えた。
「あれは、最初は水草が塊になって、始まるのです。そこに魚が集まります。そうして、水鳥も集まりますが、水鳥達がそこに巣を作ろうとして、枯れ枝を運ぶのです。大量にね。いつしかその枯れ枝で島が出来ます。水鳥たちの営巣地が出来るのです。そこに種があれば、ああして木が生える事もあります」
「なるほど」
「ですが、木が成長しすぎると重くなって行き、あの浮島も沈んでしまいます」
「また、作り直しに、なるのですね」
「小木が倒れて、却って小枝を集める手間が省け、大きな浮島になる時もありますが、そう、沈んでしまうとかなりの時間がかかって、また浮島が出来ます。そういう浮島が、ここにはたくさんあります」
栄枯盛衰、という言葉が頭に浮かんだが、ちょっと違うような気もした。
諸行無常か。いやそれも違うな。
「ありがとうございます」
一応、礼を言った。
……
二つの太陽が沈む前に、松明が前後左右に灯された。
どんどんあたりは暗くなり、大きな月が見える。上は満天の星空。
星が降ってきそうだ。
絶景である。星座とかは全く分からないが。蒼い小さな月が西のほうに見えていた。
時々艪を漕ぐ音がする。
そうして、日が出るまでも船は休まず進み続けた。
二つの太陽の朝日が昇ると、急に明るくなる。
しかし、周りの景色は東側は水面か、または遥か彼方に山が少し見えるだけ。
つまりは変化が乏しすぎて、退屈な景色がずっと続く。
西側も切り立った山だが、然程高くもない。木々に覆われている。
この木々も、紅葉でもなかろうに幾らか紅色や桃色をした樹木とかあって、元の世界からは考えられないような色合いをしている。
そんな中、あちこち小さい漁船と、水鳥の塊が見える。
また日が暮れ、船内で夕食。
勿論、香り高いスープだが、今回のは塩味が多めだった。船員たちの分が一緒に作られたのだろう。櫓を漕ぐ人たちの事を考えて、塩分多めか。
満天の星空の中、南風を受けて船はどんどん進む。
朝になったが、コルウェの港につけず船は北進する。
ここからほぼ半日掛けて、トドマの港町に向かう。
日が昇り始めて、南東側の湖面に太陽が二つ映ると、朝の景色は幻想的だった。
昼前になってようやくトドマの港が近づいてきた。遥か北の方に滝が見える。
ようやく、トドマにつくらしい。少しため息が漏れた。
此処まで来た軍服のような制服姿の彼女たちは、私と一緒に船を下りた。
冒険者ギルドまで、一緒に行くのだそうだ。
港で私だけおろして、さっさと帰るという事はしないらしい。
私はルクノータ監査官から、二通の書状を預かっていた。この二通を支部長に届けなければならない。
波止場を出て、北にあるトドマ支部に向かう。この一緒に来た制服姿の女性も、場所を知っているらしい。歩くその姿勢に一切の迷いがない。
支部の前についた。
制服姿の女性達は、ドアを開けて、どんどん中に進んでいく。
そこにはスージー係官がいただけだった。
「第三王都アスマーラ中央商業ギルド監査部所属、ベルトーレ、特別監査部の仰せによりただ今罷り越しました」
「第三王都アスマーラ第一商業ギルド監査部所属、ルルカンデ、同じく監査部より罷り越しました」
二人は交互に名乗ったが、肘を曲げ肘から先、右手の指までまっすぐ伸ばし、親指だけ内側に折り曲げて、掌を顎に対して直角。胸に軽く当てている。こういう敬礼なのだろうか。
それからベルトーレと名乗った女性が、私の手を握って前に出た。
「ラギッド・ヨニアクルス支部長殿は、いらっしゃいますか」
スージー係官が深いお辞儀をした後、慌てて支部長の執務室に向かった。
ヨニアクルス支部長が出て来ると、この二人の制服の女性は深いお辞儀をした。
「冒険者ギルド・トドマ支部、ラギッド・ヨニアクルス支部長殿。ご機嫌麗しゅう。お初にお目にかかります」
ベルトーレと名乗った軍服風の制服姿の女性が右手を胸に当てて、挨拶をした。
二人はもう一度、ここで自己紹介の挨拶をした。
「第三王都アスマーラ中央商業ギルド監査部所属、一等特務武官クリエル・リル・ベルトーレであります」
「第三王都アスマーラ第一商業ギルド監査部所属、一等特務武官リーア・リル・ルルカンデであります」
二人は肘をまげて右手の指をまっすぐ伸ばし、親指だけ内側に折り曲げて掌を胸に軽く当てた。
「これはこれは、第三王都商業ギルド監査部護衛特務武官のお二方。御足労を戴き恐悦至極に存じます」
支部長が、普段言わないような言い回しで深々と頭を下げた。
「この様な辺境支部に態々御足労戴いた上、ご丁寧な挨拶、痛み入ります」
支部長の態度を見てみるに、この制服姿の女性達は、普段はこういう事をしないという事か。
それを見届けるとクリエルと名乗った女性が深々と頭を下げていた。
「王都の商業ギルドともあろう存在が、大変な手違いをして、そちらの優秀な支部員を長く足止めいたしました。深くお詫び申し上げます」
神妙な顔つきになっているヨニアクルス支部長が応じていた。
「当方の支部員がご迷惑をおかけいたしたのでしたら、まことに申し訳ない」
「いえ、ノレアル・リル・エルカミル第一商業ギルド監査部主席監査官様より、お言葉を戴いておりますので、謹んでお伝えいたします」
リーアと名乗ったこの女性のほうが、あのエルカミル監査官の部下なのか。
「今回の手違いは、第三王都商業ギルド全体の責任であり、トドマ支部の支部員の責任にはあらず、冒険者ギルド・トドマ支部、ラギッド・ヨニアクルス支部長殿には、深く深くお詫び申し上げる、との事です」
「確かに、そのお言葉、受領いたしましたとお伝えください」
エルカミル監査官からという封印付き書簡も手渡された。
それから二人は、ほぼ同時に肘をまげて右手の指をまっすぐ伸ばし、また親指を内側にきっちり折り曲げて掌を胸に軽く当てている。
たぶん、こういう形式の敬礼なんだろうと思われた。
「それでは、確かにマリーネ・ヴィンセント殿をここにお連れしました。これで失礼いたします」
二人はくるりと振り返ると、静かに支部を出ていった。
少し溜め息が出た。
すると支部長が大きな溜め息を付いて、左手を腰に当て、それから右手の人差し指と親指を右耳の耳たぶに当てて引張り、私を見ている。その顔には何とも言えない表情が浮かんでいた。
「すごい人たちに護送されてきたな。ヴィンセント君は」
「態々、護衛専門の一等特務武官二名に護送させるとは驚きだね」
「そんなに、凄いこと、なのですか?」
「余程の要人でもなければ、護衛特務武官なんて、でてこないさ」
支部長は、やや面白がったような表情だった。
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トドマ支部ではマリーネを探していたのだが、トウレーバウフ監査官が先に事情を支部長に話していた。
それゆえに、今回、制服姿の二人が来て行った事全てが儀礼であろう。
今回の件について、何らかの形をとって正式に支部への謝罪をする必要があったのだ。マリーネを破格の待遇で護送したのも、謝罪の気持ちを表したものだった。
外部に魔石を売った事は、支部長とトウレーバウフ監査官との協議により不問となっていた。
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支部長は、私に今回の事情の一切を尋ねようともしない。
「支部長様。私は今回、この、二通の書状を、預かっております。支部長様に、直接手渡すように、との事です」
私は封印のされている二通の書簡を渡すと、支部長はすぐに開けて読み始めた。
一通目を読んですぐに、彼は納得したような顔をして大きく頷いた。
「これを君が持って来たという事は、クリステンセン支部長と会ったという事かな」
「はい。第三王都の、支部長様と、会いました」
「彼はなんと?」
「その、書状に、有るような、決定を、下しました、が、正式に、本部から、規則が、発令、されるまでは、支部長様の、お考えに、委ねると、仰って、いました」
「そうか」
ヨニアクルス支部長に、やや微笑が浮かんだ。
「君が休んでいた期間については、王都で呼ばれたという事にしてある。君が持ってきた書状が正に君が王都に行った理由という事にしてあるから、そのつもりでいて欲しい」
ヨニアクルス支部長の配慮で、私が冤罪で逮捕されていた事実は一切記録に残していない。
支部長は私に渡す、少し形の違う代用通貨を一枚、出してきた。
ここに以前渡した魔獣の魔石と牙の報酬が入っているという。
「この特別な『代用通貨』は、君が今持ってる物と同じように信用度を持つ。君が小銭をあまり持ちたくないという時は、この代用通貨を持ってきたまえ。この代用通貨に君は小銭を預ける事が出来る」
「君は今後様々な魔物を、業務以外で斃すかも知れない。いや、多分そうなるだろう。そして、それを冒険者ギルドに持ってくれば、小銭がだいぶ出るかも知れない。そうした小銭が多くなれば、持ち運びも大変だろう。そういうのをギルドに持ってくれば、それを受け取って、この代用通貨に記録する。そして、この代用通貨があれば、君はどの支部でも、硬貨を入れる事も引き出す事も出来る」
「それと、この代用通貨の残高がなくなった場合は、君の持つもう一つの代用通貨から引き当てられる。いつも使っている代用通貨の残額だけ、気を付けて欲しい。これは今後の君の活動に役に立つだろう」
「そうそう、信用書きはこの支部名と商業ギルド監査官殿の名前が入っている。王国の中では、どこでも使える」
そう言って、私にやや大きい四角形のトークンを渡して寄越した。
私はお辞儀して受け取った。
今回、支部長が私のために特別に作ったという、このトークンは冒険者ギルドを銀行の窓口に出来るといっているのだ。
硬貨を預けるのも出すのも、普通にやっていいと。
これが一番助かる。支部長が私のやっている事を理解した上で一番効果的な物を私に与えたのだ。他の何よりも有り難かった。
しかもどの支部でも、硬貨を出せる。その信用をこの支部と監査官の名前で与えているというのが、驚きだった。
帳簿の出納には時差がかなりあるだろうから、そこには注意がいるな。
……
もう宿営地を出て、二週間以上もたってやっと元の部屋に戻れる。
支部長に挨拶して、私は支部を出た。
部屋に戻れば、夕食は宿営地で食べられる。私は早速、トドマの港町を出ることにした。
途中の街道は石畳なので、どこもおかしくなった様子はないが、道の左右は、所々、泥や葉っぱがたまっている。道の外側は少々派手に抉れている。川になっていた場所があるらしい。
私は、少しペースを上げて、街道を進んでいき、宿営地に辿り着いた。
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ヨニアクルスはマリーネをこの支部の鉱山仕事に貼り付けておくのは適切では無いと思い始めていた。
彼女が仕事をしていた期間は確かに短いが、彼女の腕は既に十分に金階級に相応しい。
彼女の階級を上げるべきだろうと考えていた。
金階級であるならば、彼女は自分で仕事を選ぶなり、討伐実績を積む事で、その階級は維持される。
階級に欲のない彼女の事だ。きっと金階級を嫌がる可能性もあるが、彼女のあの腕を、鉱山周りの警邏仕事にずっと縛り付けておくのは適切ではない。
そう。それは銀階級の者たちが行う仕事なのだ。
それともう一つ。気がかりな事があった。
それはマリーネ・ヴィンセントの持ってきたもう一つの書状。
そこにあったのは、トドマの鉱山で何かが進行中という事を知らせている。
その為に近日中にやや規模の大きい査察を行うという事が書かれていた。
たぶんもう査察団はとっくにこちらに向かっていて、明日明後日にも着くだろう。
それと。いまだに北の隊商道の掃除は僅かしか進んでいないらしい。その事も書かれているが、その件については、スッファ街への迅速な人員派遣で解決させたいとの事だ。
しかし、そうはいっても時間がかかる。白金の二人と優秀な隊員を配置しても、あの距離の駆逐が、そう容易く終わるとは思えない。
「そうなると、この鉱山の件は、ヴィンセント君を使わざるを得まい」
果たして、鉱山で何が起ころうとしているのか。
ヨニアクルス支部長はひとりごちた。
つづく
馬車と船を使って、トドマの支部まで護送された、マリーネこと大谷。
待っていた支部長は、マリーネこと大谷に特別なトークンを寄越す。
このトークンは、完全に銀行のキャッシュカードの様に、使える代物だった。
次回 鉱山の警護
ヨニアクルス支部長は、鉱山にたちこめる暗雲の為、マリーネを鉱山に連れて行く事を決意。
ここにおいて、トドマの鉱山に後に語られる大事件が起きようとしていた。
しかし、この時は、マリーネこと大谷は勿論、ヨニアクルス支部長にも、全く予想できていない事だった。