128 第16章 第3王都中央 16ー2 地下牢(ダンジョン)
マリーネこと大谷は、ダンジョンに放り込まれても、鍛錬を続けた。
他にやる事は無かったからであった。
一方今回の事を首謀した監査官は特別監査官の詰問を受けていた。
128話 第16章 第三王都中央
16ー2 地下牢
…………
トルヴァトーレ中央商業ギルド監査官以下、全部で五人の商業ギルド監査官たちが白熱の議論している、その事務室にスヴェリスコ特別監査官がやって来た。
「これは何の騒ぎだ!」
特別監査官が一喝した。
そこで、ヴィンセントが魔獣の素材を商人を通して、この第三王都で大量に売っていた事が報告される。
スヴェリスコ特別監査官は椅子に座ると右手の人差し指と中指を揃え、右耳のやや前に添えた。
「ふむ。事情聴取の内容は分かった」
スヴェリスコ特別監査官は胸の前で両腕を組んで言い放った
「とりあえず、トドマとスッファの二人を呼び出せ。私が直接確かめたい事がある。それまで本件は一切保留だ」
「よいか。私が許可するまで、絶対に誰も手を出すな」
スヴェリスコ特別監査官はその場に居た監査官五人を見回し、第三商業ギルド監査官を睨みつけた。
特別監査官の厳しい言葉で、中央商業ギルド監査官と第三商業ギルド監査官は怯んでいた。
……
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私は黴臭い地下牢に幽閉されていた。
全ての壁と高い天井には光苔が生えていた。それで辺りがぼんやり明るい。
どうなってしまうのか。私は何を間違えたのだろう。
取り敢えず、今の所は自分では判らない。
ここの天井はとにかく高い。恐らくは七メートルくらいはあるだろうか。
私がいる地下牢は、小さいトイレと拭くための葉っぱ。大きな簡易ベッドと椅子、テーブル、そして水の入った甕と金属のコップしかない。
殺風景な部屋ではあるものの最低限は揃っている。
蝋燭すらないので、全ては光苔によってぼんやりとした灯りの中に見えている。
廊下側は上下に離れた位置に格子窓のついた扉が一つだけ。他に窓はない。
この水甕の水は飲めるのだろうか?
コップで掬って、人差し指をコップに漬けて指を舐める。
時間が経って異常があれば、水は傷んでいるという事だな。
ベッドの上もテーブルの上も埃だらけだ。まずは埃を払う。
何も出来ない。ベッドの上に転がった。
…………
こういう時こそ、体を動かそう。
まだ、頬は腫れ上がっている上に、鼻血も止まったばかりのようだが。
私は日課になっている空手と護身術をやる事にした。
まずはストレッチ。
ダガーとブロードソードは取り上げられてしまったので、剣の鍛錬は出来ない。
そこで、ふと思った。汗で汚れるのも、何だ。
私は上着もスカートも全て脱いで、それをテーブルの上に置いた。
誰が見ているわけでもなし。シャツとパンツ姿で、鍛錬だ。
場所だけはあるのだ。手技だけでなく、足技もやろう。
たっぷり空手技をやり、それから護身術。
十分に気を練る。
他にやる事も無いし、下手に考えこめば、悪い方にしか思考が行かない。
そう、元の世界でプログラマー生活では、いつも、悪い方ばかり考えた。
正常に動くのが当たり前。そこを十分に考えて設計、作っていくのは、ある意味普通の事だ。ならば、慎重に考慮が必要なのは、正常ではない方なのだ。
『異常系』というやつだ。これが動かなかったらどうなんだとか、ここに本来ならあり得ない最悪の数値が放り込まれたら、ここはどう動くのが正しいのかとか、そんな事だ。
口の悪い親友は私のそれを、『悲観系』と呼んだ。
まあ、当たらずといえども遠からずだ。
エラーがどの様に補足されて、どの様により上位層に返していくべきか、上位層はそれを受け取って、どう反応するべきなのか。そんな思考が多かったせいでもある。ここを御座なりにして、トラブルを起こしているシステムは、厭になる程見てきた。そんなせいだろう。
しかし、今は余計な事を考えれば、不安が大きくなるだけだ。
……
受ける技、反撃に出る技。積極的に打って出る技。
丹念に繰り返す。
結局、水は傷んではいなかったらしい。腹は壊さなかった。それで金属製コップで水を汲んで、二杯飲んだ。
傷んではいないものの、水は変な味がした。まあ、大丈夫。村での狩りと村を出て山を降り密林を歩く間、あの変な味の付いてしまった革袋の水を常に飲んで慣れている。極端に塩っぱいとか、酸っぱいとか、苦いとかが無ければ、何とかなるものだ。
水があるだけでも、ましだと思う事にした。
食事はたぶん一日一回。固いパンと香りの少しついた、薄味ながらも肉と野菜の入ったシチューが差し入れられた。
毎日出るだけましだ。
あの訳のわからない王国で投獄された時は、水のようなスープがたまに配給された。本当にただの塩が少量入っただけのような、ほぼ水スープに薄い紙のような肉片が一枚。酷い代物だった。
そして腕は後ろ手に縛られたままだったし、毎日鞭の拷問だった。
あの野蛮な国から比べたら、ずっと文化的といっていい。
ここは時間が判らない。今が何時なのか。
だが、私はこの体を貰う前、あのねじくれた顔の王がいる王国の牢屋で、延々と鞭による拷問三昧だったのだ。
時間感覚がなくなり、何日拷問を受け続けたのか自分でも判らない程だ。
こういうのも、たしか拷問の一種だとか聞いた事がある。
不安に苛まれ、時間も分からなくなる。何日過ぎたのか判らなくさせるのも、罪人への拷問とかいう。
もう、厭に成る程、そういう拷問を鞭と共に受け続けたのだ。これくらいの閉じ込めで不安になるような神経はしていない。それに、ここは真っ暗闇ではない。
なにはともあれ、寝る以外にやる事は鍛錬以外、他にないので全力で空手技を鍛錬する。
それにしても。この王国は皆、文化程度が高いと思いこんでいたが、ああいう粗暴な人物が監査官というのは、驚いた。
トドマのトウレーバウフ監査官やスッファのルクノータ監査官、警備隊代表等は、みんな紳士だった。女性の彼女たちに紳士というのは、おかしな表現だが。
この王国の管理体制も、私が思うほど一枚岩ではない、という事だな。
この王国で、私が死刑になるのか重営倉になるのかは、彼女たち監査官が私の事をどう判断するかに寄る。
長い地下牢生活になるのか、死刑か、それともこの王国追放か。
どれに転んでも、もう真司さん、千晶さんには会えないかも知れない。
二人の顔が瞼裏に浮かんだ。
申し訳ない。
支部長の飄々とした表情も浮かんできた。彼に先に相談して、全部預ければよかったのかも知れない。
申し訳ない。
後悔が続々と浮かんできそうで、そこで思考を止めた。
今日は護身術を重点的に行う。
まず呼吸法で呼吸を整える。ゆっくりと深呼吸だ。
そして手を大きく回して、まずは気を練る所から……。
手の動きがぎこちない。もっとゆっくりだ。
左手を前に出す。右手をかなりゆっくりと滑らかに八回、腕を体の前で大きく回してから次は右手を前に。左手をかなりゆっくりと回す。
次に左手を前に出して右手を引き、半身に構える。そして踵をあげる。
護身術開始。
シャツがおもいっきり汚れそうだが、転がって受ける技も鍛錬した。
案の定、床の埃なのか、黴なのかわからないものが付着したが、何度も転がっているうちに、それも気にならなくなった。
そして、掌底。壁の一つを標的にして壁相手に掌底を繰り出す。そこも黴や光苔が取れて、私の手の形が付いた。
……
これが私の運命なのか。
あのスルルー商会の腐ったフラグが残っていたのだろうか。
スルルー商会を壊滅させていったのは、あの赫き毒蛇団だ。人外の奴らだ。
だから、そこからの延長ではあるまい。もしそうなら、片手のヤツが斬りに来ただろう。
有るとしたら、あのズルーシェ会頭という爺の差し金でほかの街でも動いていた商会が、私を嵌めたのだろうか。
しかし、セントスタッツ商会の売っていた物の出処が私などというのは、ジウリーロの商人としてのプライドにかけても、他の商会や商人には言わないはずだ。
しかし、捕まって拷問で私の事を喋ったのかも知れない。それででっち上げの罪状と共に、警備兵に連絡が行ったのだろうか。
だが、ポロクワ市街の警備兵がジウリーロの店の前に居座って、私を捕まえた。
この時点で、彼らは私がどこにいるのかは、知らなかったという事になるだろう。
トドマに来なかったのだから。
私がどこにいるにせよ、店に来るという事だけは知っていたという事になる。
名前すら、警備兵の彼女らは言わなかった。つまり、私の外観で判断したのだ。
となると、これはスルルー商会のフラグの残滓もあり得るが、ジウリーロが最初に敵対する商会に捕まって吐いたのでない限り、あのフラグではない。そう思っていいだろう。
私は更に、掌底を続けた。
私の鍛錬で壁の石の一部にヒビが入っていたのだが、薄暗いのもあってか、私は気が付かずに掌底を毎日打ち込んだ。
疲れたら寝て、一日一回の食事で起こされる。
食べて、少ししたら鍛錬。
薄暗い地下牢の中で、そんな日々が続いていた。
何日目なのか、私が掌底で壁を突いていると、何処からか、鈍い何かの振動。
壁か何かを強く叩いているような衝撃があるのだ。
一定のリズムを刻み、時々、休みが入る。そして早い時とゆっくりの時がある。
明らかに、何者かがいる。そして、叩いている。多分上だろう。床を叩いているのだ。
私はこの複雑なリズムに返す方法が無い。何かのメッセージなのだろうが、私には理解できないのだ。
この地下牢は、私しかいないと思ったのだが、誰かがどこかに入れられているらしい。そんな事が分かった所で、何かどうかなる訳では無いが。
また、掌底の鍛錬を続けるしかない。
私が休むと、返ってくる振動。
何日か、それは続いた。
……
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マリーネが牢屋に入れられてから既に一〇日経過していた。
……時間は徒に過ぎていく。
そして、その日、第三王都に常駐するスヴェリスコ特別監査官に呼び出された、スッファ支部のルクノータ監査官とトドマ支部のトウレーバウフ監査官の二人がそれぞれ別の馬車で、時間もずれて到着した。
昼前についたのはルクノータ監査官だった。
「ルクノータ、スッファ支部商業監査官、出頭しました」
第三王都王宮事務員が彼女を客室に連れて行った。
それから遅れる事、約四半日弱。つまりはもう夕方にほど近い時間。
「トウレーバウフ、トドマ支部商業監査官、出頭しました」
今回も第三王都王宮事務員が出迎えた。
先についていたルクノータ監査官とトウレーバウフ監査官が合流して、二人は他の第三王都商業ギルド監査官たちが詰めている事務室に通された。
そこにタイミングを見計らったかのように、スヴェリスコ特別監査官がやって来た。
「二人とも、遠路ご苦労だった」
「まずは別室で、飲み物でも飲んでくれ」
スヴェリスコ特別監査官が二人を労った。二人はお辞儀をして隣の部屋に移動していった。
そこであらためて、スヴェリスコ特別監査官が両手を腰に当てて周りを見まわした。
「二人と話をするのだが、他の者は席を外してくれ」
「どう言う事ですか!」
大声をあげたのはスーリエ・リル・ザインベル第三商業ギルド監査官だった。
他に二人が立ち上がった。
トルヴァトーレ中央商業ギルド監査官とカラベルト第二商業ギルド監査官である。
「これは同じ商業ギルド監査官として見過ごすことは出来ません」
トルヴァトーレ中央商業ギルド監査官は断固として譲れないという態度だった。
座っていた二人の監査官から息を呑む声がした。座っていた彼女らの表情は凍り付いた。
本来ならば、ただの監査官が特別監査官相手にそのような意思表示を行う事は認められていない。
この階級差は絶対である。
しかし、スヴェリスコ特別監査官は寛大な態度を見せた。
「分かった、中央担当のそなたは残れ」
「しかし他の監査官たちは、それを知る必要はない。他の者たちは直ちに持ち場に戻れ」
スヴェリスコ特別監査官は、強引に他の監査官たちを下がらせた。
大分不満顔の監査官二人が乱暴な音を立てて部屋の外へ出ていった。たぶん、ヴィンセントに罪ありと認識していた者たちである。
残る二人、エルカミル第一商業ギルド監査官とバウンスシャッセ第四商業ギルド監査官は、前の二人が出たのを見て暫く待ってから、特別監査官に深いお辞儀をして外へ出ていった。
トルヴァトーレ中央商業ギルド監査官がひとり、そこに残った。
スヴェリスコ特別監査官は、大きな椅子に座ったまま胸の前で手を組み、目を閉じた。
「さて、まず先にはっきりさせておこう」
「今回の事件で、中央商業ギルドにどの様な損害、或いは被害が出たのか。どうなんだ」
「……」
トルヴァトーレ監査官は答える事が出来なかった。
スヴェリスコ特別監査官の声は冷気を思わせる冷たさが漂っていた。
「それとも、何か? 疑わしいという理由だけで、確たる証拠も無しに捕縛に至ったのか?」
「そ、それは」
トルヴァトーレ監査官の額に汗が滲んでいた。特別監査官に睨まれ、今回の指示の失敗を指摘されたら、折角の大抜擢もフイになってしまうかもしれない。
スヴェリスコ特別監査官の目が開いて、一層細くなった。
「他の第一商業ギルドから第四商業ギルドまで、何処からか被害届があったのか? それであの者たちを呼んだのか?」
「……」
またトルヴァトーレ監査官は返答に困っていた。
もはや、彼女の顔には汗が垂れていた。他の監査官たちを指揮下に置いてヴィンセントの口を割らせ、軽く成績を稼ぐはずが目論見が大きく狂ってしまったのだ。
スヴェリスコ特別監査官は容赦なく、更に切り込んだ。
「ならば冒険者ギルドの方から、被害の報告は何か無いのか?」
「或いは薬師ギルドや魔法師ギルドの方はどうなんだ」
「王都の外のどんな小さい支部からでもよい。何か報告は無いのか?」
「……」
「すると、何か? 何処からも今のところ、被害報告も無いのに、何処からかの怪しげな横流し、或いは他国での盗品の疑いありとして捕縛したという事か?」
「……」
「答えなさい」
「はい。そうなります。まだ王都での被害報告は一件もありません。ですがあれほどの物資が、何処からともなく出て来る等という事がある筈がありません」
「そなたが、第三王都の中央商業ギルド監査官として大抜擢され、赴任して来て張り切っているのは理解する。しかし些か拙速に過ぎるのではないか」
スヴェリスコ特別監査官に露骨に嫌悪の表情が浮かんだ。
これ程の虚けを中央に抜擢するとは、どういう事だろうと思ったが、有力者が背後にいるのか。特別監査官は考え込んだ。
特別監査官はテーブルの上に手を出して肘をつき、右手と左手の指を組み合わせた。
「それほど露骨な販売だったのか?」
最早、顔を上げることも出来なくなったトルヴァトーレ監査官は床を見ながら、必死に声を上げていた。
「商業ギルドの市場価格は冒険者ギルドの八割強前後です」
「今回の商いは五割から七割弱ほどで、ここ第三王都の仲買も通さずに売られたとの事です。これだけ安い価格も、一つ二つならある事ですが、最終的にはかなりの量が出たようです」
「ほう。その報告はどこからだ」
「とある商会が、これは余りにもおかしいのではないか、盗品が流れているとしか思えないと、こちらに報告が上がったのです。販売価格が冒険者ギルドの販売価格の六割強なら、それは買い取り価格と対して違わない事になります」
「売ってる側が妬まれたようだな。仲買しても利益が薄い。かといって対抗できるほどには下げられない。そして放置していたら思っていた以上に数が売られた、という事だな」
「そなたには悪いが、これは私が取り調べる」
「結果は追って知らせる」
有無を言わせない命令だった。
「退出したまえ」
「……。はっ」
トルヴァトーレ監査官がやや大きな音を立てて扉を閉めた。その所作からいっても不満が大きいのは明らかだった。
つづく
ダンジョンの中で、マリーネこと大谷は淡々と鍛錬を続けた。
考えてもしょうがない事は考えない。体を動かすのみ。
一方、特別監査官はトドマとスッファの監査官2名を呼び出した。
その間、この事件をアンタッチャブルとしたのであった。
そして、首謀した監査官を詰問する特別監査官。
どうやら、この一件は、事件ですらない様相を見せている。
次回 冤罪
特別監査官がスッファとトドマの監査官と話をして、この事件は、事件ですらなかったことが明らかになる。