118 第15章 トドマの港町 15ー25 続・山での警邏任務7
ギングリッチ隊長と魚醤工場近辺警邏で出会った物静かな巨体の魔獣。
警邏隊は動揺するなか、剣を下ろすように言うマリーネこと大谷。
無益な戦いは避けたかったのだ。
118話 第15章 トドマの港町
15ー25 続・山での警邏任務7
どうするべきか。
私の匂いがこの小糠雨で消されているのなら、彼らは餓えたように私に向かってくる事はないだろう。
剣が通じるか解らない上に、明確な敵意もないとなれば、これは戦うべきではない。たとえ相手が魔獣でも、襲ってこないのなら無用な殺生は避けるべきだし、無用な戦闘による危険も避けるべきだ。
私は素早く決断した。
「皆さん、剣を仕舞って、ください」
私は上を見上げて静かに宣言する。
「なんと」
ギングリッチ隊長が私を見下ろしていた。
「あれに、敵意は、ありません」
ギングリッチ隊長は暫く私を見ていたが、皆に指示を出した。
「全員、剣を降ろせ。鞘に収めるんだ」
暫く私を見ていた先頭の魔獣は小さく鳴き声を上げた。そして歩き始める。
他の数頭もそれに連れて歩き始めた。
重そうな彼らが移動したあとは、森の中に彼らの足跡が深く地面に残されていた。
雨に烟る森の中に再び彼らは消えていった。
隊員たちから、一斉に安堵のため息が漏れた。
「マリーネ殿。今のはどういうことだね」
「分かりません。ただ、あの魔獣は、ここを、通りたかった、だけなんだと、私は、思います」
「……」
ギングリッチ隊長以下、全員が無言だった。
「敵意も、怒りも、餌への、餓えも、一切が、あの目には、有りませんでした」
そう言うとギングリッチ隊長は、暫く私を見つめていた。
「マリーネ殿は魔獣の気配が判るだけでなく、魔獣の目から相手の意向もある程度は読めるという事かね」
「……説明、するのは、難しい、です。ただ、向かってくる、魔獣なら、もっと、はっきりと、敵意が、あるのです。私からは、そうとしか、言えません」
ギングリッチ隊長は一旦目を閉じて天を仰いだ後、再び顔を下げて私を見つめていた。
「……なるほど。儂らにはその感覚は解らないものだ。魔物は勿論、魔獣は全て敵。そう思ってきたからな」
無理もない。この北の街道近辺で生きる彼ら冒険者ギルドのメンバーたちの歴史は、そのまま街道に出る魔獣や魔物との戦いだ。ここの鉱山の警邏ならもっとだろう。
スッファ街のオセダールの宿で、あの背の高いメイドが言っていた。
魔獣と戦い街を守るのは、崇高なお仕事なのだと。
……
警邏隊は再び歩き始める。
泥濘んだ森の彼方此方に水溜りが出来ていた。
その日はもう、他に遭遇する事はなかった。
私たち一行はケンデン魚醤工場に着いた。
ギングリッチ隊長がケンデンと話していた。
それから夜警邏の班長が出てきたので、ラグナセラゼンの遭遇が告げられたが、戦わないようにと、念を押した隊長だった。
宿営地に戻ると獲物の解体があった。
冒険者ギルドの為の事務所のようなものはないため、この作業は娯楽棟の裏手にある庇の下で行う事になった。
まずは頭を割って、魔石の取り出しだ。
手をよく洗い、まずマスクをした。
それから目と目の間にダガーを入れて、頭蓋骨を切っていく。後頭部のかなりの所まで切って、脳の中にダガーを入れて魔石を探る。
そんな時に、ふと鐘が鳴った。
女性陣の食事の時間だ。門はもう閉じられていた。
やや薄暗くなり始めていた。それで、ランプを持ってきて火を灯す。松明にも火が灯された。
解体作業続行。
頭蓋骨を少し割って魔石を取り出す。それから小さな角とそれぞれの牙も切り取る。
それが済んだら、腹を捌いて内蔵を取り出し、首も切った。
その状態でギングリッチ隊長が回収した。
一〇体を集めると、そこに見た事のない男の人が来た。場所を指示しているようだ。
給食を作る建物の脇に吹きさらしの屋根だけついた場所がある。そこに全てを運んでいって、吊るしていた。
どうやら、あれらの肉は夕食とかに使われるらしい。肉は少し寝かせる必要があるから、今日明日で出る物ではあるまい。
手を洗って、部屋に戻り荷物を置く。革のマントはロープにかけて干す事にした。
剣と砥石と蝋燭を持って、井戸へ行き剣を研ぐ。使ったらこまめにメンテする事が重要だから。
ブロードソードを丁寧に研いでいく。
研ぎながら、思った。
今日もまた、魔獣を斬らねばならなかった。
山の任務が続く限りこれが続くのか。
分かってはいる。
私が魔石なしで山にいる以上は、魔獣をおびき寄せる餌なのだ。
そして、これが……今の私の仕事なのだ。
これが、私に与えられた『新しい人生』、なのか。
久しぶりに、ちらっと脳裏に、あのやたらと服の薄い豊満な体つきの若い顔の天使が浮かんだ。
「別の人生を導かせて下さい」
とあの天使は言った。
確かに。確かに。別の人生なのだろう。
やりたい事と、出来る事、やらなければならない事は違う。
……分かってる。分かってる。
少しばかり溜息が出た。
出来れば、物を作る方向に早く行きたかった。
…………
翌日。
日替わり勤務の二日目、伐採場。
朝の日課は、何時ものようにストレッチ。そして準備体操からだ。
何時もの服に着替える。
外を見ると今日は朝靄がそれほどでもない。
外に出て、まず空手と護身術。足技もいれて、蹴りを繰り返す。
それから、いつものように剣の鍛錬を繰り返す。
大きな鉄剣も持ち出して来て振り回す。
全力ではない。八割か七割くらいの力で、きちんと思い描いた軌道をなぞらせる。
オセダールの宿で、あの傭兵部隊の人たちがやっていた訓練だ。
剣が立てる風切り音が、朝靄を切り裂いていた。
……
額に汗が滲みでる程やって、朝鍛錬は終了。だいぶやった。
顔を洗って部屋に戻り、青いツナギ服に着替えてから準備。甕の水と革袋の水を取り替える。
霧は少なそうだが、マントは畳んで持って行く。
何時ものように準備して、首に階級章。
鐘が鳴って、周りの部屋の女性たちが、廊下を歩いていく。
私も挨拶して、門に向かった。
二刀剣術は何時ものように、シャドウで繰り返す。
程なくして、男衆に向けた鐘が鳴り、彼らが出て来た。
今日はズルシン隊長とエボデン副長の隊だ。
この時間、それほど霧はなかった。
濡れた道を歩いて、作業場に向かう。
……
伐根作業はだいぶ進んでいた。
あちこち、木の根が掘り起こされていて穴が空いていた。
作業の男たちは今日は大半が斧や鋸ではなく、つるはしやシャベルを持っている姿である。根っこの周りを掘っていく作業だ。
見ていると、後から来た作業員が丸太三本とロープに滑車を運んできた。
これはだいぶ掘った後に、根っこにロープをかけて、滑車で吊り上げる物だ。
ああやって根っこを地上に上げてから下ろすのだろう。
ズルシン隊長は四か所ある伐根作業を眺めていた。
他の隊員も、やや広がって周りの警邏。木材を運ぶ作業はないが、抜いた根っこを切ってばらす作業をしている人たちの警護もあった。
私はエボデン副長と共に周りの警邏を行う事になった。
霧は薄く、辺りは何とか見渡せる。
しかし、背中が疼く様な感覚は来なかった。
周りでは時々小動物が顔を出す。私たちが近づくとさっと姿を隠してしまうが、動物たちの気配は僅かにあった。
鐘が鳴らされて、お昼休憩である。
交代で、燻製肉の昼食。作業員の三人が、護衛の隊員四人と共に下から運んできた物である。
渡されたのは大きな木の葉っぱで包んだ、何か。
受け取って、まだ手を付けていない切り株の上、僅かにある平らな場所に座る。
手を合わせる。
「いただきます」
草を紐状にした物で縛った葉っぱを開けてみると、分厚い燻製肉を炙った上に魚醤のタレが掛けてある。
なるほど。タレは、掛けたというか、漬け込んだに近い。
肉が濡れていて、タレが葉っぱにだいぶついていた。
これを自分のダガーで切りながら、食べた。
かなり強い臭みと強い旨味、そして塩分だった。
労働者好みの味であるのは間違いない。
作業員たちの歓談が聞こえる。ここの人たちの言葉も、普段使いの言葉は共通民衆語ではない。どこか異国の同じ地方出身の仲間内の雑談なのだろう。
私には内容は分からなかったが、何か冗談でも言い合っているのか、笑い声だった。
全部食べ終えて、水を飲む。
手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
葉っぱは、作業員の一名が回収に来た。全部まとめて、穴に埋めるんだそうである。
少し休んで、再び警邏開始。
お昼過ぎの警邏は、ズルシン隊長と共に、少し奥まで見回りに行く。
薄い霧はまだ、森に中に漂っていた。空は勿論曇天。太陽は見えない。
歩いていく木々の合間に、時折数字の刻んである杭が三本ほど打ち込まれている。
この数字のある杭の所は、雨の時に行う巡回場所になるのだから、覚えておかなければならない。
……
ズルシン隊長は手斧を片手にどんどん進んでいく。
奥の方は、流石に下生えが刈り取られていないところが多くなってきた。
その下生えを、隊長は手斧で刈り取った。
片手であっさりと、鮮やかなものである。
さらに奥に進む。
この辺りまで来ると、既に樹木の間隔は等間隔ではない。
つまり植樹した地域を外れた事を意味していた。
しかし、ズルシン隊長は更に奥に進んでいく。
上の方の枝が伸び放題で、下に殆ど木漏れ日もない程、森が深くなってきた。
……
唐突に、背中に疼くものが来た。間違いない。魔獣だ。
「ズルシン隊長。止まってください」
「どうなされた、ヴィンセント殿」
私はしゃがんで、左掌を地面につける。
「魔獣が、います」
この疼く感覚は魔獣たちによって微妙に違う。ぞくぞくする物や震えが来る物もいる。この感じは前にもあった。
という事は、出会った事があるのだ。
やや霧の漂う中、奥のほうに藪があるのが見える。その藪の方向に間違いない。
私は藪を指さした。
赤い目の魔獣が藪のほうにいた。三頭。いや、……四頭。
「四頭、います」
私がそう言うと、ズルシン隊長は手斧を右腰に納めるやいなや、左の剣を抜いた。
私も立ち上がる。
薄い霧の中、鹿のような体の真っ赤な目を持つ獣が現れた。やや小ぶりの角。尻尾も小さい。体毛は焦げ茶で腹の部分が白い。
凶悪そうな牙が生えていて、それが上下。反っているというか顔の方に向けて丸まっている。体は今までの大型な魔獣に比べればやや小さい。
体長二メートル程だろうか。体高は一・二メートルくらいか。
相手は、いきなり走り出した。薄い霧の中、二頭がまっしぐらに突っ込んでくる。
ズルシン隊長と私の前にそれぞれ一頭が迫る。
隊長は剣先を下にした下段構えから、剣を左脇に回し一気に前方に斬り上げた。
私は魔獣の顔が迫る、その刹那に抜刀!
魔獣の首を切り落とし、右に踏み込んで突進を躱す。
真っ黒の血が飛び散る。黒なのか。黒なのか。目は赤なのに。
切り落とされた首の先、魔獣の口から細い伸縮できる蛇腹を備えた、白い物がだらりと出ていて、それは流れ出る黒い血液で真っ黒に染まっていった。
ズルシン隊長が斬り倒した魔獣はちょうど右足の上のあたりから胸を切り裂いて、首が胴体から斬り飛ばされ、真っ黒な血が多量に流れ出し、地面にまるで墨汁のように広がっていた。
どちらの魔獣も後ろ足が激しく痙攣していた。
「ズルシン隊長。これは?」
「吸血魔獣だ。サモルエルグという」
あれでどうやって血を吸うのかと思っていたら、口の中に更に小さい飛び出す口が畳まれており、それが牙で噛んだ相手の肉に食らい込んで、そこから吸血するという。
見た目に反した、恐るべき魔獣だった。
「奴らは不思議な匂いを出すという。その匂いを吸うと、抵抗できなくなる。そこに座り込むようにして、立てなくなるのだ。そこを奴らはあの牙で噛んでから、中の口で吸血する。生きたまま、血を吸われるのだ」
「……」
吸血魔獣か。
ズルシン隊長は続けた。
「肉を喰らう事もあるというが、恐らくは他の魔獣が横取りして食べたのだろう。儂もここは長いがこれらを森のこんな奥で見るのは初めてだ」
残る二頭はまだ藪の中だった。
ずっとこちらを窺っていたが、飛び出してこない。
暫く睨み合いになったが、次第に霧が濃くなり、魔獣たちは見えなくなった。
背中のセンサーも、もう疼いていない。
……。
「ズルシン隊長。魔獣は、何故か、去ったようです」
私がそう言うと隊長は、軽く頷いた。
ズルシン隊長は剣を仕舞い、サモルエルグの首を持ち、それから胴体を一度触って、後ろ足を持ち上げた。
私も剣を二回振るって鞘に仕舞い、それから静かに手を合わせる。
合掌。
「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
小声でお経を唱える。
吸血魔獣だろうとなんだろうと、斬ったのは確かなのだ。
私は小さな溜息をついて、この魔獣の頭についた角の部分を左に持ち、それから右手で魔獣の後ろ足を持って歩き出した。ずるずると引っ張っていく。
ズルシン隊長は黙ってそれを見ていたが、それから呟くように言った。
「ヴィンセント殿は色んな所が規格外よな。剣もそうだが、その体格でこの魔獣を軽々と運びよる」
「……」
まあ、そうだよな。
色々、普通じゃないのは自分でも分かっている。そうでなければ、あの山の中の村で生き延びてはいないだろう。
しかし、そういうズルシン隊長もなかなかの怪力だ。片手でこの魔獣の脚を持ち胴体を引っ張っているのだ。
体長二メートル、体の太り方も相当な胴体だ。重さはかなりある筈だ。
少なくとも八〇キログラムとか九〇キログラムとかではない。
しかし、ギングリッチ隊長もやや小型とはいえ、魔獣二頭を持ち上げていたしな。
黙々と歩いて、森の外へ向かう。
少し霧が出て来て、道に迷いそうだったが、ズルシン隊長には迷いが無かった。
自分がどこを歩いているのか、頭の中に地図でもあるかのようだ。
黙って彼の後ろについていく。魔獣の死体からは、なおも黒い血が流れ続けていた。それを見失わない様にすればいい。
道中で、時々獣の気配は感じたが、魔獣はいないようだった。
……
つづく
ズルシン隊長らと行く伐採場でも魔獣に遭遇。
もう、何処でも出るようになった。
次回 続・山での警邏任務8
毎日、何処に警邏に行っても魔獣と出会い、これを斬るマリーネこと大谷。
そんな中、徐々に季節は移り行く。