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115 第15章 トドマの港町 15ー22 続・山での警邏任務4

 蟲の絨毯は、マリーネこと大谷に精神的なダメージを与えたようだった。

 しかし、その虫達もあの場所からはすっかり姿を消していた。

 

 115話 第15章 トドマの港町

 

 15ー22 続・山での警邏任務4

 

 翌日。

 

 何時ものように起きてやるのはストレッチ。

 あの蟲がびっしりと敷き詰められた森の中を見て、あれが夢に出て来てしまい、酷く夢見が悪かった。

 

 気乗りしないまま、ストレッチを終えて、準備体操。

 何時もの空手と護身術。自分の躰の動きに何時ものキレが無かったのが自分でも分った。

 

 この状態で、お仕事に行く訳にはいかないだろう。魔獣が出たら対処できない。

 井戸に行って顔を洗う。

 こんなに腑抜けて鈍重な動きをしていたら魔獣に()られる。

 軽く頬を数度叩いて、自分に喝を入れる。

 しかし、あの蟲の絨毯は精神的外傷(トラウマ)になりそうだった。

 

 ……

 

 何時ものように、ツナギ服。準備を整えて、扉に鍵を掛けて門に向かう。

 門に到着。挨拶してミドルソードとブロードソードの二刀剣術の練習。

 無駄を削る練習。とはいえ、どれくらいの動きが、無駄に見えているのか、さっぱりわからない。

 

 もう、動かしているのかどうかすら判らないくらい、動かない状態で剣を弾くようにするというのは、本当に大変だ。シャドウでは限界がある。この動きで本当に剣を弾けているのだろうか。

 弾いたつもりの僅かな動き。そしてカウンターのように剣を突き出す。

 私の身長が低いのでカウンターは全て斜め上だ。

 

 目を閉じて、閉じた瞼の裏に思い浮かべるのは、あの黒服たちの突き出す短剣。

 相手の剣を弾いたイメージを頭に思い浮かべて、延々と繰り返す。

 

 すると鐘が鳴って、何時ものように警邏の男衆が出てくる。

 汗を拭って剣を仕舞い、挨拶。

 何時ものように現場に向かう。

 

 隊列を組んで採集場に向かうゆるい坂道。警戒は怠らない。

 殿(しんがり)はルイン副長に任せられているので、私はギングリッチ隊長の後ろ。また大型の甲虫でも出るかもしれないと思うと気持ちは沈んでいた。

 正直、あれほど大きい甲虫を見せられると生理的な拒絶感が先に立つ。

 ……

 

 粘土採集場に到着。

 気乗りはしないものの、やらない訳にはいかない。

 

 渋々、粘土採集場右手側の森に入る。

 あの甲虫が大量発生して群がっていた現場はもう殆ど甲虫も蟲もいなかった。

 地面にぶち撒けられた、まっ黄色のあの魔蟲の体液はもう何処にもなかった。

 僅かに()えた匂いが残り、甲虫たちが本当に疎らに地面を這いまわり、樹木に少し張り付いていた。

 

 あの黄色の体液は虫たちがほぼ舐めつくしたという事だな。

 

 じっとりと汗ばむ森の中は静かだった。時々甲虫が地面を動いて、下生えの植物に触るカサコソとした音がするだけだった。

 

 私は一度森を出て、あの死骸を埋めた場所に行く。

 

 魔蟲を埋めた地面も一見して異常は見られない。

 皆で頑張って水をだいぶ撒いたので臭いは少なくとも、周りに出なかったのだろう。

 それで蟲たちが集まってきた様子はなかった。

 

 もっとも、地中であの魔蟲の死骸が転がっている所にどんな蟲が集まっているのかは、分からない。

 あれだけの死骸の数だ。下手をするとこの場所で、ものすごい数の蟲が卵を産んで、爆発的に増える可能性すら有る。

 そうなるとここにどういう影響が出るのか、あまり考えたくはなかった。

 得体のしれない蟲が大量発生して、さらにそれらを食べる捕食者が増える。

 それが通常の獣なら良いのだが。

 

 あのレハンドッジの大きい鎌で狩られていた獲物たちも、今後は大分生き延びて増える。

 もし、魔獣や魔物までその影響で増えてしまえば、ここは今まで通りでは無くなるだろう。

 

 山の均衡が崩れかけているとギングリッチ隊長は言ったが、(まさ)しくその通りだろう。その引き金を引いたのは、他ならぬ私なのだ。

 

 ……

 

 暗澹たる気持ちになって、再び深い溜息が漏れた

 落ち込んでいても仕方がない。

 周りを警邏する。しかし魔物の気配は全く無かった。

 

 そして、この日は何事もなく終った。

 むしろこういう何も無いのが普通なのだろう。

 ズルシン隊長が言った、雨も降らない、魔獣もいない、平和な日。

 

 出来れば、もうあの蟲の群れは見たくない。

 

 夕食は何時もの料理だったが、気分が塞いでいて余り味を感じなかった。

 打ち合わせも、特に大きな物は無かった。

 打ち合わせのあと、私は剣と砥石を持って井戸へ行く。

 

 蝋燭に火を灯し、まず点検。そしてブロードソードを研ぐ。

 あれだけ使ったのだ。多数のレハンドッジの鎌を斬った。

 ブロードソードの刃にはっきりと分かるような(こぼ)れている様な個所は無かった。

 それだけでも助かる。あれだけ魔物の鎌と斬り合ったので、がっつり毀れているかと思ったが、そうでもない。

 取り合えず四面、すべて丁寧に研いだ。ダガーも軽く研ぐだけで問題ない。

 

 問題なのはミドルソードだ。

 所々、見て判るほど毀れている。

 まあ、私が叩いた剣ではないし、致し方ない。

 かなり頑張って早い速度で研いでいく。粗い砥石で毀れている所を消した。

 仕上げの研ぎあげまで、ハイピッチで剣を動かして研いだ。

 剣の刃の減りが少し早い気はする。これは、こんなに研いでいたら余り持たないのかもしれない。

 

 

 ……

 

 その翌日。

 

 やはり何も起こらない。

 不気味なほどに静かな森だった。

 時々、小さな野生動物らしきものが、木々の間を跳ねまわっていた。

 

 私は暫くこういう日が続いて欲しいと心底思った。

 

 しかし、私は魔獣の餌なのだ。あのお(ばば)がいう様に。

 つまり、いつ魔物が飛び出してくるかは、全く判らない。

 ……。

 

 さらに翌日。

 

 起きてやるのは、何時ものようにストレッチ。

 そして準備体操。

 空手と護身術もいつも通り行う。

 

 ギングリッチ隊長と共に行う、この粘土採集場の警護も早五日目。

 そろそろ初日と同じ事が起こるかもしれないが、どうなるかはさっぱりだな。

 魔石を持っていけば、魔物たちは手を出さないだろうけれど、あの山神様の使いがなにかしら文句を言ってくるだろう。

 私が発している匂いをあのアジェンデルカが記憶したのなら、近くに来るだけで判るだろう。私も、アジェンデルカが来れば、きっと何時ものように背中のセンサーが魔物が近い事を教えてくれる。

 

 この日は朝から少し朝靄(あさもや)が出ていた。

 

 井戸に行き、水甕(みずがめ)の水を取り替えて、顔を洗い剣の鍛錬。

 

 ブロードソードで立ち居合を少しやってから、剣を振り回す。

 速度を出すには、無駄を少なくする。

 それは、筋力がどこまで有るのか分からない私でも、ただ力任せに振るよりは力を入れるべき所やその配分、タイミングで速度が変わる。

 最速の剣筋を求め、どんな敵が来ようと斬る。その思いだけで剣を振るった。

 

 汗が滲み、少し休憩。

 大きな鉄剣も鍛錬。

 そうこうしていると鐘が一回。

 

 女性たちが部屋から出てきたので、挨拶。

 彼女たちは何か私には解らない言葉で雑談をしながら館に向かっていった。

 あの言葉が王国の第一公用語か。

 スッファでの葬儀であの大神官みたいな女性の喋っていた言葉とも違う感じがする。あれは神聖語とでもいうのだろうか。

 理解できないのは残念だったが、私は共通民衆語である第二公用語を喋るだけでも精一杯なのだ。

 欲張ってもしょうがない。

 

 鉄剣の鍛錬は此処まで。

 剣を仕舞って部屋の中に立てかけ、何時ものように荷物の準備。

 そして扉には鍵をかけて、荷物を背負って門に向かう。

 

 門について、何時ものように挨拶。

 そして、剣を二本抜いて、二刀剣術の鍛錬。

 鐘が鳴って、男衆が出てくる。

 これもまた、何時ものように隊員を確かめて、陶芸ギルドのメンバーが来るのを待って出発。

 

 まだ、朝靄のような霧が立ち込める中、粘土採集場に向かう。

 

 作業場について皆がそれぞれ持ち場に行く。

 副長が今日は先に採集場の作業員を見守る護衛と魔物が出ないかの監視役。

 

 私はギングリッチ隊長と森の警邏だ。

 あのレハンドッジが出たのとは反対側の森へ警邏に入る。

 

 暫く霧に(けぶ)る森の中を歩いて警邏。

 ギングリッチ隊長との距離が少しある。霧で見えるか見えないかの位置に彼は居た。

 

 暫く歩くと例によって背中が疼く。何かいる。

 ギングリッチ隊長の姿は霧に隠れて見えない。

 霧の水分で私の匂いは拡散しないでいる筈なので、この疼く感覚は偶発的な遭遇なのか。

 

 ……

 

 出現は思った以上に早かった。

 森の奥、霧の中から現れたのはやや小さい猪のような鼻と牙を持つ魔獣。

 素早い動き。短い足。猛烈に早い足の動き。長い胴体。真っ黒の体毛。

 おでこに小さい角があった。

 

 舐めて掛かっていた訳ではナイ。だが、自分に有利な場所取りをするにはもう遅すぎた。

 いっぺんに六頭がバラバラな位置から走って突っ込んでくる。

 そして速度もバラバラだ。

 

 抜刀!

 

 正面からの魔獣は私の剣で左下から右に向かって一気に切り払われ私の左後方で、(つんざ)く様な悲鳴が上がった。魔獣は激しく流血し、四肢が痙攣。

 しかし立ち上がる事はなかった。

 

 そのまま体を右へ。さらに右前方から来る魔獣を右上からほぼ正面に斬り下ろす。

 頭の脇から剣が入って、そのまま胸のあたりを斬っている。

 魔獣の胸から激しい出血。心臓を斬ったのかもしれない。

 魔獣はそこで崩れ落ち、横倒しになって四肢が痙攣した。

 

 しかし、そこまでだった。

 回り込んで、左後方から来た猪のような魔獣が私の後方から激突。

 私は角に当てられ、右前方に弾き飛ばされていた。

 

 !

 お尻に激痛がした。これは痛え。

 そのまま右前方に飛んだ後、頭からごろごろと転がった。そして樹に体ごと激突。

 そこで止まった。

 目から火花が出た。意識が飛びかける。

 口の中に血の味がする。どこか切ったか。

 

 「マリーネ殿!」

 ぼんやりとした意識の中、遠くから誰かが呼んでいる声がした。早く立ち上がらなければ。

 

 誰が呼んでいるんだろう……。

 

 ああ、名前で私を呼ぶのは真司さんと千晶さんを除けば、ギングリッチ教官だけだ。

 なぜ、名字じゃなく名前で呼ぶんだろうな。あの人は。

 そんな事を考えながら、剣を支えにして立ち上がる。

 

 頭の中で鋭い警告の音がしている!

 

 はっとした。まずい。剣を構えるんだ。

 

 もう反射的に私は飛び込んでくる魔獣に対して右足を踏み出しながら、両手に握られた剣で左から右上に払っていた。

 劈くような悲鳴が上がる。すぐ目の前で猛烈に血の匂いがする。

 口の中では血の味がする。鉄の味がする。

 

 ギングリッチ隊長はもう二頭を斬り捨てていた。

 残った一頭は、まっすぐ私に突っ込んできた。

 足をもう一歩踏み込み、左足を前に。剣はそのまま右下を通って左に抜けた。

 

 魔獣から悲鳴が上がったが、すぐに事切れた。

 横倒しになった魔獣は大量に流血し、激しく痙攣していた。

 

 「マリーネ殿。大丈夫か!」

 鼻と口から少し流血。

 「口の中を、切っただけ、です」

 ギングリッチ隊長が片膝をついて、小さな手ぬぐいで私の鼻の下と口の血を拭き取った。

 「肝を冷やしたぞ。まさかマリーネ殿が、吹き飛ばされるとは」

 「避けきれません、でした」

 

 「レグゥハンという魔獣だ。とにかく足が速い。囲まれると大変危険なのだ」

 「十分、分かりました」

 「なにはともあれ、大きな怪我がなくて安心した」 

 

 連携でもない攻撃で食らうとは。

 小奴等(こやつら)は速度がバラバラな上に、途中で速度を変えてきていて、予測が外れたのが大きい。

 このフェイントのような速度変更が、もしかしたら小奴等の連携だったのかもしれない。だとしたら、この連携を躱すのは至難の業だ。

 小さく溜息を吐いて、二度、剣を振るった。そして剣を仕舞う。

 

 私は一頭の魔獣の前で片膝をつき、静かに目を閉じる。

 合掌。

 「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」

 小声で私はお経を上げた。

 

 その様子を見ていたギングリッチ隊長は小さい笛のような物を咥えて、鋭く一回だけ鳴らした。

 

 すると三人の隊員が走って森に入って、こちらにやってくる。

 「今、他の隊員を呼んだ。マリーネ殿は避難小屋に行って少し休むように」

 

 「ラプトン、フレンサップ、レゴース。お前たちが来てくれたか。レグゥハンの運搬を手伝ってくれるか」

 「ギングリッチ隊長殿。魔石もこれからですか」

 ラプトンと呼ばれた隊員が訊いている。

 「ああ、これは、全部避難小屋に運んで、そこで解体しよう。肉も漏れなく回収できるしその方が良い」

 「マリーネ殿。運ばなくていいぞ。儂とこの三人で運ぶ」

 私が魔獣を持ち上げようとしていた所を止められてしまった。

 そうまで言われては、手ぶらで戻るしかなかった。

 ギングリッチ隊長が二頭を抱え、体の大きいラプトンも二頭。

 他の二人が一頭ずつ。ひどく流血している魔獣を彼らはうまく持ち上げていた。

 

 五人で避難小屋に戻る。

 体の大きいラプトン隊員が残り、他の二人はまた持ち場に戻っていった。

 

 三人でそれぞれ二頭づつ、まずは湾曲した牙を切り取り、それから額にある小さな角。

 そして額から頭頂部後ろまで切って、魔石を取り出す。

 三人が一斉に行う解体で流れ出す血の匂いが周囲に溢れ、その血の匂いで()せる。

 脳漿らしき物が流れ出し、独特の饐えた臭いがした。その饐えた臭いで更に噎せる。

 ダガーで脳のなかを切っていくと、コツンと当たる感覚。

 魔石だ。

 二頭の魔石と角、牙を取り出すとそれをギングリッチ隊長に渡した。

 隊長は私に休むように言うので、小屋の中に入る。

 小屋の窓から見ると、隊長たちはさっきの獲物を吊り上げていた。

 そこで首を切り落とした。血抜きだな。

 そして腹を捌いて、内臓を抜き取り始めた。

 

 最後の六頭目を紐で吊り上げたその時、不意にギングリッチ隊長が口を開いた。

 「ラプトン。この切り口を見ておけ。これがマリーネ殿の剣が斬った痕だ」

 「これは、恐ろしく綺麗に深く切れています。力、速度が尋常ではありませんね」

 「うむ。これが彼女のあの短い剣で一刀のもとに魔獣を斬り払う剣筋という事だ」

 

 ……

 

 二人はまだ少し、この吊り下げた獲物の前で何かを話し、それからやはり吊るした魔獣の腹を切り捌いて内蔵を取り出すと、持ち場へ向かっていった。

 

 私はその様子を小屋の窓からぼんやり見送った。

 そうしていると、陶芸ギルドの男性が無言で私にお茶を出した。

 食事当番の人だった。小さく会釈してそのお茶を受け取った。

 立ったままお茶をいただく。

 お茶は(ぬる)いお湯で僅かにタンニンの味のような渋みと、僅かな甘み、あとはもう少し複雑な味がして、そこに木の香りがした。

 千晶さんが出すお茶とは味が全く違っているし、鉱山の共同食堂で出されるお茶とも味は違う。

 たぶんここの粘土採集場に来ている作業員の独自の飲み物なのだろう。

 何しろ彼らの言葉も全く判らない。彼らは共通民衆語は最低限しか喋らない。

 私の知らない、どこか異国から働きに来ている人々である。その異国のお茶なのだろう。

 

 彼は今から食事を作るらしい。とはいっても、いつものように燻製肉を切って炙るだけである。

 食事当番は若い感じの男性だった。浅黒い皮膚。焦げ茶の髪の毛。やや細い体。身長はやはり二メートルちょっと。

 顔立ちは明らかに若い感じがする。鼻がやや太く、目は少し大きい。

 瞳は薄い青。やや丸顔。

 彼は大きめのナイフを使ってどんどん燻製肉を切って、串に刺して横に長い大きな竈の上に置いていく。

 そして、見ていると追い塩。なるほど、いつも塩分多めな理由(わけ)だ。

 

 彼はほぼ全ての肉を竈に乗せると、鐘を鳴らしに行った。

 粘土採集場にも薄い霧が出ていて、状況はあまりよく見えない。

 

 鐘の音で作業員も冒険者ギルドのメンバーも避難小屋に引き上げてきた。

 私はそこでやっとリュックを下ろした。

 

 そして椅子に座った瞬間、激痛が走った。痛みで涙が出そうだった。

 左側のお尻に激痛が走ったのだ。大きな傷か、痣が出来ているかもしれない。

 いや、出血したり骨にヒビが入らなかっただけマシなのだろう。

 思わず左手をお尻に当てたが、軽く触っただけでも痛かった。

 仕方なく立ち上がる。

 

 リュックに付けてあるミドルソードも一度取り外す。

 リュックは悲惨なまでに泥で汚れ、擦ったような傷が付いていた。

 霧が出ていて、(あら)ゆる物が濡れていたのだから、これはしょうがない。

 

 溜息をつき、立ったままダガーの柄を使ってリュックの泥をこそぎ落とす。

 物が良いリュックだったのだが、どんどん傷物になっていく。

 無言で、乾いた泥を落とす作業を続ける。

 そこにお昼の燻製肉が出された。

 左のお尻を庇って、そっと座り燻製肉を受け取る。

 

 両手を合わせる。

 「いただきます」

 

 食べるとびっくりするくらい、口の中が痛かった。思わず目をきつく閉じるほどだった。

 先程頂いたお茶ではそれほど痛くはなかったが、燻製肉の刺激というか塩分が口の中の傷口に強烈に滲みたのだ。

 小さく噛み切って食べる事にした。

 

 少しずつ噛み切って食べながら考えた。

 

 夕飯が、もしカレーみたいに辛いやつだと食べられないな。

 今日の夕飯は配膳して貰う前に、匂いで決めよう。刺激が強そうなら、夕食を一回抜く。其れ位は何でも無い事だ。

 

 それにしても。

 さっき出た胴体が間延びした猪のような魔獣。ギングリッチ隊長はレグゥハンと言っていた。

 あの出現は、私の血の匂いではなかったはずだ。

 だとしたら、やはりレハンドッジが一気に減った事で活動範囲を広げている小型の魔獣たちなのだろうか。

 

 山の均衡が崩れかけている。か。

 もう、私の血の匂い云々関係なく、魔獣たちが出そうな気がする。

 

 あまり考えてもしょうがない。

 

 ……。

 

 森の警邏だから魔獣との激突は、もう当たり前のように有ると思ってかかるしかない。

 

 小さく噛み切って食べるのには時間がかかり、すっかり冷えてしまった。

 

 「ごちそうさまでした」

 手を合わせる。

 

 午後は、休んでいるように隊長からの指示が出ては、動き回れない。

 他の人はみんな外へ出ていった。

 食事係の若い人は、私にお茶を出して、彼も外へ出ていった。

 

 お頂いたお茶を飲んで、またリュックの泥落としをする。

 黙々と泥を落とし、この避難小屋にあった雑巾のような布を少し濡らしてから固く絞って、リュックを拭いた。

 あちこち擦った傷はついたが、まあ何とかましになった。

 

 転がった際にミドルソードの鞘にも相当な負荷がかかったはずだ。

 見るとリュックに縫い付けた革の上に縫い付けた紐が取れかけていた。

 これは、部屋に戻って直そう。

 取り敢えず、鞘を縛り直す。

 

 リュックの中に入れてある、タオルとマントのおかげでクッションになったのか、革の水袋は破綻してはいないようだった。破裂したり縛った紐が切れて、中が水浸しとか十分あり得たからだ。

 ポーチも点検。D環の周りも千切れそうな所はないようだ。

 

 口の中を切ったのと左尻の打撲はあったが、総じて大きな被害はなさそうだった。まあツナギ服は洗うしかないな。恐ろしく泥だらけだ。

 

 夕方まで待つのは辛かった。

 口の中は時々刺すような痛みがあった。その場所にちょっとした裂傷が有るのかもしれない。血は止まっているようだった。

 

 …………

 

 やっと夕方になり、全員が戻ってきた。

 洗った顔を拭く人やお茶を飲む人、おしゃべりする人々等で、暫し避難小屋に活気が出る。

 

 隊長が全員に帰るように促し、また外に出る。

 粘土採集場から引き上げてきた桶もリヤカーに積んで、魔獣も六体全て積んで陶芸ギルドの人々が列をなすその両側に冒険者ギルドの護衛が付く。

 隊長は先頭。

 私は隊長の後ろ。殿(しんがり)は今日もルイン副長。

 

 鐘がなる前に門に付き、解散。

 門が閉じられる。私たちが最後だったようだ。

 まだ、日は暮れておらず、薄明るいのだが森の方は霧がかかっていた。

 

 まずは部屋に戻る。

 服は思いっきり汚れているので、すぐに脱いで着替える。

 何時もの服。

 さて、リュックの後ろに付けた鞘を縛る為の皮の紐がちょっと危ういので、これを修理。

 針と糸を出して、まず縫って補強する。

 少し引っ張ってみて、強度を確認。

 

 外で鐘が二回鳴っている。女性陣の食事だな。

 

 女性たちが食事に向かった。あの人たちの食事はとにかく薄味で旨味はまず、無い。香り付けが複雑で、あの香りが彼女たちの楽しみなのだろう。

 スッファ街の警備隊詰め所で出された、質素な食事を思い出した。

 もしかしたら舌には、旨味を感じる味蕾が無いのかもしれない。

 味蕾はあったとしても、旨味の受容体がほぼ無くて、退化しているとかも十分ありえるな。

 そう考えないとあれ程、旨味の無い食事は有り得ない。

 塩味は薄かったが、あれは必要最小限があれで済むという事か。

 塩分に関しては、敏感なのかもしれない。

 まあ、彼女らアグ・シメノス人たちに関しては謎も多いな。

 

 ……

 

 やっと男性陣の為の鐘が鳴る。

 男性陣の食事の時間だ。急いで、共同食堂に行く。

 座れるか否かは関係なく、まずは中に入って、香りを確かめる。

 

 あまりに刺激が強いものだと、まだ口の中の傷が塞がってないから相当()みるだろう。

 周りの香りを嗅いで見るが、何時もの魚醤の匂いだ。

 強い香辛料の香りはしていない。

 

 ほっとした。食べられそうだ。

 暫く待って空いてきた所で、列に並ぶ。

 煮込まれた魚。燻製肉のソテー。黄色と赤の野菜によるサラダ。

 塩分濃いめのスープと固いパン。何時ものやつである。

 

 手を合わせる。

 「いただきます」

 

 パンに付ける前に塩分濃いめのスープを恐る恐る飲んでみたが、飛び上がるほど沁みたりはしなかった。もう傷口が塞がったのだろうか。

 やや、口腔内に違和感は有るものの、味は分かるし、顔を(しか)めるほどの痛みもない。

 私は黙々と食事を片付けた。

 

 手を合わせる。

 「ごちそうさまでした」

 

 ……

 

 食事の後は、娯楽棟で簡単な報告会である。


 粘土採集場にレグゥハンが六頭も出た事が報告されたが、やはりこれはレハンドッジが、巣を移動した上に極端に数を減らした事と無縁ではなさそうだという事になった。

  

 これで五日間の勤務が終わった。

 一週間は六日なので明日は休みである。

 

 私は、寝る前にやる事が有る。

 

 泥で汚れた青いツナギ服を洗う事だ。

 井戸の横に行き、大量の灰を水に溶かして、それを使って洗っていく。

 お湯が欲しかったが、贅沢も言えない。

 黙々と灰汁を使って汚れを落として、井戸水を汲んで洗い流す。

 とにかく泥が落とせたら、それでいいのだ。きちんと濯いでから、紐を張って干した。

 

 出来れば、魔物は出ないほうがいい。

 

 

 つづく

 

 油断したわけではないが、思った以上にフェイント的な動きで囲まれ、突進を喰らったマリーネこと大谷。

 ギングリッチ隊長は、マリーネの躰を案じて、今日は小屋で休めと、任務から外されてしまった。

 しかし、口の中を切ったくらいで怪我はなかった。

 お尻は打撲したが。

 

 次回 続・山での警邏任務5

 

 翌日は休日となった。

 その日はヨニアクルス支部長が娯楽棟にやってきていた。

 カレンドレ隊長の意識が戻ったことが支部に知らされ、支部長はお見舞いに来たのだった。

 そして、ようやく意識の戻ったカレンドレ隊長は、あの蜥蜴男との邂逅を、支部長に報告するのだった。

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