114 第15章 トドマの港町 15ー21 続・山での警邏任務3
この日も朝から二刀剣術の練習だった。
しかし、スラン隊長はまだ無駄が多いと指摘する。
そして、現場に向かう途中で異変を察知するマリーネこと大谷。
ギングリッチ隊長と向かったその先にあった光景とは。
114話 第15章 トドマの港町
15ー21 続・山での警邏任務3
翌日。
起きてやるのはいつも通り、ストレッチから。
ネグリジェを巻き上げて、柔軟体操をこなし、ツナギ服に着替える。
そして何時ものように、空手と護身術。
剣の素振りも何時ものように。
そして鉄剣もひっぱり出してきた。
膂力だけで振り回す。
なにかの剣術に基づいたものではない。だからできるだけ速度を上げて打ち込む練習だ。
今の私はこの出鱈目な筋力による力と速さだけで勝敗を決する、無手勝流と言えばそう言える自己流剣法なのだから、更に速度を上げるしかない。
あの黒服の覆面の男たちの短剣の速度を思い出す。
あれに迫る速度を出せるように、軌道を、筋肉全体の動きの無駄を削ぎ落として行く。
今朝は此処まで。
シャドウの鍛錬を終えて、水甕の水を交換しがてら顔を洗う。
革袋の水も交換した。
剣の刃を確認しておく必要がある。ブロードソードとミドルソードはどちらともレハンドッジとの戦いで、相手の鎌を受けている。
ダガーはまだそれほど使っていない。
ブロードソードの傷を確認して、砥石で傷を研ぎ落とす。
ミドルソードの方が痛み方はやや、進んでいた。
どこまで研げば良いのかは分からないが、時間もそうそう取れない。
研ぐのは、傷のある場所を確認して全体的に研いで行き、傷が消える所まで。
時間が惜しいので、かなり手早く研いだ。
取り敢えずの研ぎ上げだが、やらないよりはずっといい。
ここまでにする。
何時ものように、鐘がなる前に部屋の扉に鍵を掛けて外に出る。
すると他の部屋から女性たちが出てきた。
挨拶を交わして、私は門に向かう。
これももう日課になっている。門番の人に挨拶して剣の訓練をさらに行う。
ミドルソードは左手。右手に短いほうのブロードソードで、訓練開始。
頭の中にあるイメージはあの腕の伸びた方の黒服の剣筋。
彼奴等の剣の短さは速さがあれば、短い方が扱いやすいといっているのだ。
あれだけの力を込めた猛烈な速さの剣の突きならば、まず真正面では防げない。恐らくは、革の防具などなんの役にも立たない。多分だが、プレートメイルだろうと同じ事だ。鎧の隙間に差し込んでくるだろう。そうなれば、鎧などあってもないのと同じなのだ。長さは三〇センチ有るかどうか程度の短剣だったが。
目を閉じて、あの時の私の眼前に迫る斜め上から突き出されてくる短剣をイメージする。ミドルソードで弾けるのだろうか。
突き出されてくる剣の右側にコツンと刃の腹を当てるイメージ。
大きな動きはいらない。一瞬だが、ただ僅かに当てるだけで剣を逸らせる。
すると相手に僅かだが隙が生まれて、反撃のチャンスがある。
そうか。これは何時も鍛錬でやっている、あの護身術と同じだ……。
防御とカウンター気味の反撃。あくまでも防御に徹しつつ、相手に隙きを作らせてカウンターを決める。
スラン隊長の見せてくれた二刀剣術は、そういうものだな。
相手に攻めさせておいて、反撃で決める。
たぶん、スラン隊長が会得した剣術にはもう少しヴァリエーションがありそうだが、二刀剣時の基本を見せてくれたのだろう。
これは両方の剣で其々弾くように出来ないと、相手に読まれたら終わってしまう。
護身術だって、防御は左手を基本としつつも、右手側でも同じ事が出来るように訓練している。何方かの手でしか出来ないという技はない。
黙々とシャドウでわずかに弾く動きをイメージ。
ほんの少し手首を動かし、想像上の相手の剣を弾く。
右手も、左手も。
不意に鐘が鳴らされて、ハッとした。
男衆の寄宿舎を見ると、彼らが出てくるところだった。
取り敢えず剣を仕舞い、汗を拭った。
「おはようございます」
ギングリッチ隊長とズルシン隊長が何時ものように挨拶を返してくる。
「おお、おはよう。ヴィンセント殿」
「おはよう。マリーネ殿」
スラン隊長が軽く頷いて、私を見て言った。
「もう少し、挙動を小さく。相手に動きを読まれてはいけない」
遠くから私の動きを見ていたのだろうけど、そんなに私の挙動が大きかったのだろうか。
「助言、ありがとうございます」
私はお辞儀で感謝を述べた。
「今の動きでは、まだ無駄がある。だが、君は飲み込みも早いようだ」
「もう少し無駄を削れ。そうしたら私とまた剣を合わせよう」
「分りました」
そこに今日は手ぶらの陶芸ギルドの人たちがやって来た。
今日もギングリッチ隊長たちと粘土採集場に向かう。
……
何時ものように緩やかな坂道を上がっていく途中、背中がムズムズしてきた。
こんな場所で。
「全員、止まって」
「どうした。マリーネ殿」
ギングリッチ隊長が振り向いた。
「何かがいます」
私はこの道の先を見つめた。ここからでは見えないな。
副長が全員を待機状態にさせる。
護衛のメンバーは全員が広がって、陶芸ギルドのメンバーを囲んだ。
「見てきます」
「おう。儂も行こう」
ギングリッチ隊長と私は先に向かう。
昨日、あの蟷螂のような魔蟲のレハンドッジを埋めた場所には大量の虫たちが集まっていた。
ギングリッチ隊長が危惧した様に。
既に虫たちは土を掘り始めていて、大型の甲虫のようなモノたちがびっしりと辺りを埋め尽くしていた。
その中でも一際大きいのが、体長二メートル程は有るカナブンのような生き物だった。
他はせいぜいが三〇センチ大から大きくても五〇センチ大なのだが、巨大なカナブンたちはもうスケールが間違っているのかと思うような大きさだ。
足のあたりにはびっしりと毛が生えている。
巨大な前足でどんどん土を掘り出して、レハンドッジの死骸を掘り出していた。
あの巨大カナブンたちは樹木の樹液とかを舐めて生きている訳ではないらしい。
口の所にギザギザした物が見えた。肉食なのだろう。
私の匂いに反応して、こっちに来た。
その空いた場所に小型の甲虫が殺到する。彼らは泥まみれになった、あの黄色い体液の流れ出している傷口に集まった。
となれば、あの森の中がどうなったのかは、もう想像するまでも無い事だった。
巨大カナブンの小さな頭に、小さな牙がぎっしり生えた口が見える。
もう一匹は、まるでフンコロガシのように見える。
どちらも脚は真っ黒でびっしりと毛が生えていて、足の先端近くは細かい棘で一杯だった。
先程まで土を掘っていた前足が、私に迫る。虫の巨大さに怖気が立つ。
抜刀!
左方向の前足が関節部分で斬れて、下に落ちた。黒っぽい体液が僅かに飛び散る。
その時だった。
不意にあの小さい頭の下から、折り畳まれた様な状態だった前肢のような物が飛び出した。先端はハンマーの様な形状。
物凄い速さだ。
ブロードソードで弾き返す。鈍い音。しかし相手は強い力だった。やや押し込まれかけた。
相手は諦めない。
フンコロガシの様な形状の巨大な甲虫も、攻撃。
それは口の下にある噴出孔から粘ついた液体を噴出させた。
飛び退く。地面にそれが落ちて何か得体のしれない液体溜まりを作った。
巨大カナブンの攻撃が速い。
あのハンマーの付いたような前肢の攻撃は弾くどころか、こちらが弾き飛ばされそうだ。
その攻撃が、突如止まった。
ギングリッチ隊長の剣が巨大カナブンのその前肢を根本から叩き斬っていた。
! 何か頭の中で警告の音が一回した。
巨大カナブンと戦っている間に、巨大フンコロガシは地面を後ろ足で少し掘って、頭をそちらに向けて地面に顔をつけるや、尻を私の方に向ける。その瞬間、尻からなにか液体が飛び出た!
これは。たぶんやばいやつだ。
慌てて大きく躱す。
液体が地面に散らばって瞬間的に地面から煙が上がった。
強酸性の液体か、強アルカリ性か。何方かは判らない。
あの密林の中で出会った巨大ムカデは、切ったそこから、紫色の体液が出て、周りの苔などを溶かした。あれは強酸性だった。
そこから考えれば、この魔蟲の液体も強酸性かもしれない。
私の手はもう反射的に左の腰に伸びていた。
その魔蟲の尻めがけて、左手でダガーを投げ込んだ。
噴出孔の近くにダガーが深々と突き刺さる。
フンコロガシのような魔蟲が暴れる。ギングリッチ隊長もかなり距離をとって離れた。
蟲は更に透明な液体を周りに撒き散らしたが、そこにいた巨大カナブンにもそれが掛かって、巨大カナブンの背中から煙が上がった。
巨大カナブンも暴れる。左手で右側から抜いたダガーを更に巨大フンコロガシに目掛けて投げつける。
頭のやや後ろ部分に刺さった。蟲は痙攣して、バタバタと跳ねてから転がった。
巨大カナブンも何とかしなければと思っていると、ギングリッチ隊長が暴れる巨大カナブンの頭を横から切り落とした。
巨大フンコロガシはひっくり返って六本の脚が痙攣していた。
私はダガーを二本とも回収。ブロードソードを仕舞った。
地面からは、あちこち煙が上がっていた。
尻に投げつけたダガーは幸いにも傷んでいなかった。
ダガーを両方とも仕舞う。
私は静かに手を合わせる。
合掌。
「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
静かに小声でお経を唱える。
私に向かってこなければ。私たちが来た事でぱっと逃げてくれれば、斃す必要はなかった。
「ギングリッチ隊長。これで、終わり、でしょうか」
「さあて、もうこいつらは死んでいるだろうが、他に出てくるかどうかな」
私は、先程の液体がばら撒かれた場所から少し離れてしゃがみ込み、地面に左掌をつける。
「気配は、ありません」
「わかった。この魔蟲の魔石は儂がやっておくから、マリーネ殿は皆をつれて、作業場に向かってくれ」
「わかりました。そのように、いたします」
お辞儀して、後始末を隊長に任せ、私は少し走って全員が待っている坂の途中に戻る。
「魔蟲が出ました。隊長と私で、斃しましたが、魔蟲が、不穏な、液体を、地面に、撒きました。そこを、踏まないように、気をつけて、全員で、作業場に、向かいます」
副長のルインが頷いて警戒態勢のまま、作業員を縦列で歩かせる事に。
副長が先頭。私が殿。他の隊員たちは、作業員の左右で護衛。
作業場に行く少し手前で、ギングリッチ隊長のいる、魔蟲が転がっている現場に到着。
昨日に埋めた場所が良くなかったのだろうか。
ギングリッチ隊長は小さな灰色の魔石を持っていた。
この甲虫たちの魔石は、私の親指にして一個分。灰色の平べったい、控えめな大きさのものだった。
「水を、撒いた方が、良いかも、しれません。匂いが、出てこなく、なるように」
レハンドッジを埋めた場所を私が指さしてそう言うと、ギングリッチ隊長が頷き、全員で此処に水を撒く事になった。
陶芸ギルドのメンバーも手伝い、井戸から沢山の手桶に水を汲んでバケツリレーである。
水撒きが終わると今度は、甲虫たちの始末だ。
レハンドッジ程の大きさはない。
穴を二つ掘って、この甲虫たちの死骸を埋め、更にそこに水を撒いた。
だいぶ遅くなってしまったが、作業員たちは避難小屋からリヤカーを持ち出して、先ほど水撒きに使った手桶を持ち、粘土の採集を行っている崖に向かった。
私は作業員の人たちが配置につくのを見守る。
お昼になるまで、作業員の周りを見回って警護である。
今の私は御守りの無い、魔物たちの餌。何が出るのか油断できない。
ギングリッチ隊長は、昨日にレハンドッジが出た方とは逆の森を警邏しに行った。
……
お昼になって鐘が鳴らされた。
全員が避難小屋に戻ってくる。
私も避難小屋に入っていくと、中は既に肉を焼いている匂いだ。
昼食は何時ものように、焼いた燻製肉が、切って出された。
手を合わせる。
「いただきます」
焼いたばかりの燻製肉を食べながら考える。
あのレハンドッジという蟷螂みたいな魔蟲の体液がそんなに他の蟲をおびき寄せるのか。
あの黄色い饐えた臭いのする体液。血液ではないだろうとは思うのだが、真相は判らない。
そしてあの大きい甲虫。あの熱帯の密林でも、巨大な虫たちは沢山飛んでいた。
この山にも居るのだろうか。熱帯では無いからあそこ迄のモノはいるまいと思っていたが、この様子ではそうも言っていられない。
私はまだ、この異世界の事をちっとも知らないのだ。
魔蟲たちはどんな必殺の技を持っているのか。
巨大カナブンは、分からなかった。あの巨大フンコロガシもどきは、あのケツから噴出させた液体がそうだったのだろう。
この異世界では強酸性の『何か』を吐き出すのが普通なのだろうか。
弱酸性か弱アルカリ性なら、まだ私にも理解できるのだが。
だが。動く死体のようなマルデポルフの吐き出す液体も恐らく強酸だったのだろう。
あの巨大ムカデも、もしかしたらあの強酸は吐き出すのかもしれない。
この異世界のこういう部分は、色々出鱈目な気もしないでもない。
しかし。もしかしたら中和しているような状態とか、この空気に触れるまでは強酸ではないのかもしれない。
そう、ここは異世界。
私が、分かっていないだけだ。何か理由があるのだろう。
そう考えて、残りの燻製肉も食べた。
冷えてしまって固くなっていたが、それはもう何時もの事だ。
手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
昼食後は昨日のあの森の中をギングリッチ隊長と見てみる事に。
作業員たちの警護はルイン副長と交代である。
……
「ギングリッチ隊長。いやな、予感しか、しない、のですが」
「マリーネ殿。どうしたのだ。なにか魔獣でもいる気配かね?」
「いえ。そうでは、ありません」
「ふむ。珍しいな。君がそのような事を言うのは」
二人で森の中に入っていく。
森の中は、黄色い体液を舐めに来た沢山の甲虫や名づけようのない蟲たちでびっしり埋め尽くされていた。
蟲と甲虫の織りなす絨毯。
私はたぶんこの光景を見たくなかったのだ。
沢山の蠢く蟲たち。甲虫が押し合いへし合いして、黄色い液体に群がっている。
精神的外傷になりそうな光景だった。
その甲虫やら蟲で埋め尽くされている場所の後ろに、やや足の長い、白と黒の毛でツートンカラーになっている、やや毛足の長い獣が居る。体長三メートル、いや三・五メートルくらいか。
足の長さは少なくとも一メートルは越えている。背中の上までの高さで一・六メートルくらいだろうか。長い首と細長い顔。
鼻なのか口なのかわからないが、顔から長い形状で飛び出している。アリクイのような顔だな。
その先端から、長い舌がでて、甲虫を器用に五、六匹、まとめて拾い上げて食べていた。
蟻の代わりに甲虫か……。
そういう獣が総勢八頭ほど見えた。比較的小さい個体もいるようだ。
彼らは精力的に舌を出し、甲虫たちをせっせと食べている。
甲虫は逃げもせず、レハンドッジの黄色い体液の染みた地面に群がっている。
……
「ギングリッチ隊長。これは……」
「ああ、あの虫を喰っているのはアルディムという。危害を加えなければ大人しい獣だ。魔獣ではないぞ。マリーネ殿」
「わかりました」
「ここはそっとしておけばよいだろう」
そう言って、ギングリッチ隊長は森から出るように歩き始めた。
彼はふと立ち止まって、私を見た。
「だがな。これは、何かが起こる兆しなのかもしれんな。マリーネ殿」
「どういう事、でしょう?」
「儂が思うに、明らかにこの山の均衡は崩れている。いや崩れている途中だ。アジェンデルカが出た事といい、レハンドッジの群れの移動といい、山に不穏な空気が有る」
……。私のせいだ。
私が魔石無しに此処に入れば、あらゆる魔物が私を餌と見做して押し寄せるだろう。
まさか……。
この事を見越して、あの山神の使いというアジェンデルカは、私にだけ警告をしたのだろうか。去れ。と。
私は魔石の御守りが放つ魔気を確かめに来たのだろうと、そう思っていたのだが。
しかし、ここの仕事はまだまだ続く。
魔石の御守りを持ち込めば、あのアジェンデルカがまた、何かを言いに来そうだ。今度は警告では済まない可能性が高い。
かといって魔石無しなら、どんどん魔物は来るだろう。
暗澹たる気持ちになり、深い深い溜息が出た。
……
つづく
巨大昆虫らしき魔物との戦い。
匂いが漏れ出さない様に、たっぷりと水を掛ける隊員たち。
そして、あの魔物を多数倒した森の中で見た光景は、黄色の体液に群がる蟲の絨毯だった。
次回 続・山での警邏任務4
蟲の絨毯は、マリーネこと大谷に精神的な打撃を与えていた。
しかし、そうそう魔物が出る訳でもない。
ほんの束の間。何も起こらなかったが、その後、またしても。