106 第15章 トドマの港町 15ー13 山での警邏任務7
伐採場の警護に向かうマリーネこと大谷。
ここのリーダーはスラン隊長に変わっている。
そして、スラン隊長と共に山林の奥で魔獣と出会う。
106話 第15章 トドマの港町
15ー13 山での警邏任務7
翌日。
辺りはまだ薄暗い。
起きてやるのは、何時ものようにストレッチから。
ネグリジェをまくり上げて腰まで上げて、ベルトで固定。
空手と護身術。
ネグリジェから服は着替える。
服は洗ったツナギ服。やや生乾きだが仕方がない。
そっと外に出る。空気はやはりやや湿気ていて、いつも通り。
朝靄が掛かって辺りは烟っている。
そして剣のシャドウもやる。ブロードソードと、私にとってはロングソードの剣を振るう。
さて四日目はまた伐採場だ。
タオルはリュックに入れた。革袋の水も交換。
お守りポーチをどうするか。少し考えたが、今日は付けて行く事にした。
扉に鍵を掛けて、鐘の鳴る前に門の所へ行く。
門番の人たちに挨拶して、何時もの様に両手ダガー。
門の前で両手ダガーの練習をしていると、鐘が鳴った。
男衆が出て来た。
今日はカレンドレ隊長がいないので、少し雰囲気が違うな。
今日の伐採現場の隊長はズルシンではなく、スランだ。
「おはようございます」
私は挨拶する。
「おお。おはよう。今日も早いな、ヴィンセント殿は」
そう言って、ズルシン隊長は大きく伸びをした。スラン隊長は軽く頷いただけだ。
「支部長殿から訓示があったが、皆怪我だけはするなよ」
隊員たちはもうあのマスクで鼻と口を覆っていた。
工場で休みを一日ずらすか、二日連続で休んでもらうかをズルシン隊長は工場長たちと相談しなければならない。時間が惜しいのだろう。
ズルシン隊長は、隊を確かめると縦列で直ぐに出発。
昨日、隊長代理に任命されたエボデンが粘土採掘の現場に向かう前にリヤカーが来るのを待っていた。
こちらは、伐採現場に行くのは前と同じ。隊長が変わっただけだ。
しかし今日は他の隊員の雰囲気が違っていた。
多分、副隊長があの時に事務所前に二〇人ほどいた内の一人だ。
私が支部長に話をしていたのを聞いていたのだろう。そして他の隊員に話したのかもしれない。
目立つ事はしたくなかったが、あの場合は仕方がない。
そして、大雑把にあの時起きた事を説明した。
カレンドレ隊長が一命を取り留めた事が殆ど奇蹟だったような、あの事態を他にどう説明していいのか、私には分からなかった。
あの時に魔石のお守りポーチがあれば違ったのかもしれないが、今更それを言ってもどうにもならないし、よしんば私がお守りを付けていても、私がいない時に出たら同じ事だ。私は固定メンバーではない。
これが、この山の警邏の厳しさという事だろう。
スラン隊長の顔が今日は更に険しかった。
昨日のような事が、この伐採現場で起きないとも限らないと思っているのだ。この人の事だから、山の主が昨日のあの樹木の魔物とは考えていないに違いない。
確かにあの樹木のような魔物は強かったが、知性に乏しい。
いや、知性なんかほぼ無い。餌に反応しただけのような魔物だ。
周りの二体が斬られて一体が逃げ出したのだって、一応恐怖があるというだけだ。
あんなのがこの山の魔物たちの頂点にいるとは考えられない。何か別の魔物か魔獣か、魔族あたりがいそうだ。
伐採現場に到着。
私はスラン隊長と共に、森の中を警邏する。
湿気は相変わらずだが、霧の方は然程でもない。
奥の方は薄暗い事もあって見通せないが、周辺は見渡せている。
動物の気配はない。私が肩から掛けているお守りのポーチのせいだ。
さて、魔物はどうだろう。私の血の匂いだかは、この湿気の中でも多少は漂っていくのかどうか。
森に入ってからスラン隊長はずっと無言だった。その時、急に彼が口を開いた。
「ヴィンセント殿、何か気配はあるかな?」
「いえ、動物も、いない、様です。魔物の、気配も、まだ、しません」
私がそう言うと、スラン隊長が頷くのが見えた。
「つまり、ヴィンセント殿が倒した魔物がここの主では無いという事だな」
辺りの気配を探りながら、どこか遠い目のスラン隊長がそう言った。
「元々、オブニトールはこういう山には棲まない魔物だ。ここで遭遇した事自体が極めて稀だと言っていい」
「遭った、事が、あるの、ですか?」
「ああ。…… それも昔の事だ。だからアレがどれ位厄介な魔物なのかは知っている」
スラン隊長は、もう本当に遠くを見る目だった。
「あの時は……。七人も犠牲になった。出会い頭ではどうにもならなかったのだ。相手は正に樹木に擬態して待ち伏せしていた。応援の弓部隊が到着しなければ、全滅していただろう」
そう言ってから私を見下ろした。
「君の剣の速度と君の眼がそれを可能にしたのだな」
「あの変幻自在に伸びる触手は、生半な事では対処出来ない。君はあの腕の速さを見切れるという事だな」
そう言ってから、また森のほうを見ていた。
「なるほど、支部長殿が君の事を高く買っている理由が良く判った。正に白金の二人の再来だ」
そう言いながら、更に奥に進んだ。
「ここの支部では怪我人も多くてね。銅階級成りたて位の駆け出しでは務まらないんだ。その理由が分かっただろう」
スラン隊長はそう言っていたが、真司さんの事だけでなく、千晶さんも加えての二人と言っている。
千晶さんも首には白金の階級だ。実は相当な剣の腕前なのか。
私はあれは独立治療師を冒険者ギルドに入れるための方便だと思っていた。ギルド概要にも独立治療師には特例があると書かれていて、私は疑いもなく千晶さんはそれなのだと思っていた。階級章の縁に色が無い事からも分かる。
千晶さんは治療師としても最高の金三階級だ。真司さんと一緒に動きたいから冒険者ギルドにも登録したと、彼女は言っていた。
そうだ。言われてみれば、あの二人の本気を一度も見た事が無い。
新人実習の時は元より、あのステンベレの時でさえ真司さんには余裕があった。そして千晶さんは常に冷静にその戦いを見ていたのだ。
それに、あのスッファ街で二人とも同じナイフを買っていた。
あれは装飾的な部分はあるものの、十分に刃が大きい。
つまり、あれは飾りで持ち歩くような代物ではない。
恐らくはあれは護身用として、二人にとって使えるレベルの刃物という事だ。
まだあの二人の実力を見ていないのだな。私は。
街道の掃除で、それを発揮するかどうかすら定かではない。
あの二人の優遇措置とやらは、どれほど底なし、いや天井知らずなのか。
二人でゆっくりと、森の奥に歩いて行く。
少し奥に行くと、背中に反応がある。少し疼き始めた。
少しづつそれは大きくなって行く。そしてとんでもない疼きは震えに近かった。
こんな事は初めてだ。
「スラン隊長。止まって」
「! どうしたんだ、ヴィンセント殿」
スラン隊長が振り返った。
私はしゃがんで左膝をついて左手の掌を地面につける。
「何か、魔物が、いる、気配、です」
そう言って、私は目を閉じた。集中する。
「この先、何か、います。大きい。とても、大きい。そういう、気配」
スラン隊長は無言で剣を抜いた。
暫くの後、彼は森の奥をずっと見ていた。
だめだ。剣が通じるような相手じゃなさそうな気がする。
「スラン隊長。剣で、どうにか、なる、相手では、ありません」
私は首を横に何度も振った。
「ふむ。それほどの魔物の気配か。通常は魔物の気配を感じ取る事など出来ない。訓練によって動物の気配を感じ取れる様にはなるが、魔物の場合はそれが出来ない」
振り返って私を見ながら、彼は言った。
「何故か、判るかね?」
「……いえ」
「普通は、魔物に襲われて命を落とす。気配が判る様になるまで、遭遇して生き延びるのは無理なんだ。君の場合は、何か神様からの特別な贈り物なのかも知れないな」
「あの白金の二人ですらその能力は持っていない」
そう言ってスラン隊長は、剣を仕舞い、再び森の奥を睨んだ。
「向こうは、こっちを、見ている、感じ、ですが、襲って、来る、でも、なく、ただ、見ている、感じ、です」
私は左手を地面につけたまま、前方を見た。
やはり魔石のお守りの効果だろうか。
だが、相手は少し動き出した……。
「動きます。ゆっくり、来る」
スラン隊長に明らかに緊張が走った。
ゆっくりと森の奥から現れた魔物は、大きかった。
霧に邪魔されて、しかとは見えないのだが、全身が真っ白の大きな獅子。派手なくらいに大きな鬣。体長五メートルはゆうに超えているかもしれない立派な体躯。前足から体の真ん中、そして後ろ足にかけて金色の毛がまるで複雑な模様のように生えている。
「そんな……。まさか……。ベント…… スロース……」
そう言ってスラン隊長が絶句した。
その猛獣のような白い獣は、こちらをじっと見ている。
そこにいるだけで感じる圧。圧倒的な存在感。
暫く、その獣は私を観察していた。目を細めてこちらを見ている。
間違いない。あの獣は私のポーチから出ている魔気を感じ取って、確認に来たのだ……。
恐らくは、どんな仇なす輩なのかと見に来たという訳だ。
普通の魔獣や魔物なら、逃げ出すか遠巻きに見ているだけなのに、こいつは態々出て来て、確認に来た。その事が既に尋常ではない。
つまり、あの白い獣が圧倒的に強い事を意味していた。
こっちに来たら、たぶん敵わないだろう。お婆の云う地獄のズベレフの魔石が放つ魔気は、殆ど全ての魔獣を退けていたのだ。
あえてそれを無視したと言ってよい怪物は、あの湖の主ぐらいなものだ。
それと同格くらいの強さを持つという事を意味している。
流石に背中に厭な汗が流れた。
この王国に来て、魔獣相手に初めての事だ。
しかし、頭の中の警報は全く反応していない。相手にはっきりとした敵意が無いという事か。
グルルル。グルルル。グルルル。
喉を鳴らすような鳴き声。
急に白い魔獣は後ろに振り返り、登場と同じようにそのままゆっくりと歩き退場した。
白い後ろ姿は霧の中に溶けて行った。
……
「…… とんでもない物が出たな」
「銀の森に棲む、白き魔獣の王と呼ばれる、ベントスロースだよ。ヴィンセント殿」
スラン隊長は私の方を見て言った。
「戻ろう。あれがいるなら、このあたりに危険な魔獣はいまい」
そう言って、スラン隊長は振り返って、戻り始めた。
「銀の、森に、棲んで、いるん、ですか」
「ああ。アレの事を銀の森のエルフどもは、『聖なる獣』と呼んでいる。白き魔獣の王だ。それと対になる程の魔獣がもう一ついる」
彼は言葉を切って、私のほうを覗き込んだ。
「もう一つは灰色の獣だ。やはり『聖なる獣』と呼ばれる、スベンフォールス。どっちも銀の森に住まう魔獣で神聖な生き物とされている」
「普段なら縄張りである銀の森を出る事は無い。何があったのかは判らんが、ここまで巡回に来たのだろう」
スラン隊長は歩きながら一度、目を眇めてそう言った。
私はそれを聞いて何となくだが、あの蜥蜴男のラドーガが探索をして魔気を放ったからではないかと思われた。
彼奴が銀の森の近くから此処まで来たという事だろうか。
あの白い獣は、私を値踏みしたのだ。間違いない。
そして、この程度ならよし。と放置したのだろう。
もう少し強い魔気が出ていたら、どうなっていたか、想像したくはない。恐らく襲って来た可能性がある。
あの白い魔獣と蜥蜴男なら、どっちが強いのか。蜥蜴男の強さは私が確かめた範囲では、もっと奥がある。あの白い魔獣も同格か、或いは上かもしれない。戦いたくない相手だ。
「強い、のでしょうね。あの、白い、魔獣」
「ベントスロースもスベンフォールスも、生ける伝説級の魔獣だ。その強さを確かめた者は誰もいない。つまり武器で立ち向かって、生きて戻った者がいないという事だ」
そう言うスラン隊長の表情は見えなかった。
……
スラン隊長は足早にやや霧のある森の中を戻っていく。
私も彼と共にどんどん歩いて、伐採現場まで戻る。
彼は現場に戻ると副隊長に声を掛けた。
「グッシルト副長。森の奥を警邏したが、異常はない。そっちはどうだ」
「隊長殿。ご苦労様です。こちらも特には異常ありません」
「そうか。獣たちが戻って来る様なら警戒を密にしろ」
「はっ」
「たぶん、その頃合いで魔獣たちも出るだろうからな」
ちょうど、鐘が鳴らされて、お昼になった。
この日も燻製肉が渡された。
私はダガーで切り裂いて食べ、リュックに入れた革袋の水を飲んで、休憩である。
それにしても、色んな事が起きるな。今日は今日で白い魔獣か。
午後になり、伐採場では次の日の作業が伐根になる事を話し合っている。大変そうだ。
この場所でいっぺんに切って、あとでまとめて伐根ではないらしい。
切っては伐根して、また切るという作業を繰り返すのは、たぶんだが雨とか降って来た時の事を考えているのだ。
ある程度伐採したら根っこを抜いて、最後にまとめて若木を植える。
言葉にすれば簡単だが、やるのは簡単な事では無い。
だが、王国は山の森林を切り開いて禿山にしてしまう事の無い様に、植林を強制しているという事になる。
やはり、この王国は変に文化程度が高い。
元の世界の中世以前は植林なんて考えていなかった。
どんどん切っても生えてくるだろ。くらいの感覚でどんどん切った。
或いは戦争で森を丸ごと焼いてしまったりもした。
それで砂漠化してしまった場所だってある。
……
午後の警邏は、位置を変えて森の探索。
スラン隊長は午後は伐採の方を見ているからと、私ともう一人の隊員で行く事になった。銀階級無印。名前はエルトン。スラっとした好青年といった感じだ。
「すみませんが、エルトンさん、私の、前に、出ない、様に、お願いします」
そう言うと彼が小さく頷いた。
彼も、こんな背丈の低い少女が階級上ではやりにくかろう。
歩きながら、素直に訊いてみた。
「私の、様な、背が、低い、少女が、階級、上では、皆、やりにくい、でしょうね」
そう言って振り向いて彼を見上げると、彼は慌てて首を横に振った。
「とんでもない。この支部三人目の実力者を目の前にして、震えが来てますよ」
エルトンがそんな風に答えた。
「金の、階級の、人は、いる、のでしょう? 私は、銀三階級、ですし。私は、金階級の、人を、見た、事が、無い、のですけど」
「え、あ、はい。いますよ……。こっちの仕事には目もくれない人たちですけどね」
私が彼を見つめるとエルトンの視線が泳いだ。
どうやら、何かあるのだ。
白金の二人も、ここが専任ではない。
「金階級、以上は、こういう、固定の、お仕事、じゃない、のですね?」
私が聞くと、エルトンが教えてくれた。
「そうですね。こういう仕事は自由が利きません。それで、階級が上がると、こういう仕事は受けなくなりますね。金以上には選択権があるんですよ」
それは知らなかった……。
「それは、知りません、でした。ありがとうございます」
私は軽くお辞儀した。
エルトンがとんでもないと、両手を胸の前にあげて、顔を何度も横に振った。
雑談もおしまい。更に森の奥に進む。
つづく
「聖なる獣」と出会ったマリーネこと大谷。
その獣は、マリーネの事をずっと観察して行ったのである。
午後はスラン隊長の部下1名と山林の奥へ警邏に向かうマリーネこと大谷。
次回 山での警邏任務8
動物達は再び、山の森林に戻ってきていた。
その先に、またしても気配を感じ取るマリーネこと大谷であった。