105 第15章 トドマの港町 15ー12 山での警邏任務6
カレンドレ隊長が重傷を負い、1名の隊員の命が失われた一報はすぐさま支部長の耳にもたらされた。
カレンドレ隊長は一命を取り留めたが、絶対安静となっていた。
そこで支部長は事の次第を説明するようにマリーネこと大谷に求めたのであった。
105話 第15章 トドマの港町
15ー12 山での警邏任務6
私は一度、井戸の脇で手を洗って、そしてタオルも洗った。
まだ新しいリュックが大分汚れて、あちこち擦れてしまったが、致し方ない。
それを自分の部屋に置いて、鉱山事務所のある棟に向かった。
既にダインたちが他のメンバーにも喋っていたらしく、鉱山事務所のある棟には、ギルドメンバーが大勢来ていた。
そこにセルゲイがやってきた。
「おーい、お前さんたち。警邏隊の隊長殿が心配なのは解るが、こんなに人数が多くっちゃ、こっちの作業に支障が出る。少し減らしてくれんか」
セルゲイが両手を腰に当てて、大声を上げた。
ズルシン隊長が出てきた。
「野次馬は戻れ。もうすぐ夕食だぞ。儂らの夕食は誰かにこっちに持ってこさせる。銀一階級以下は全員、戻れ。後でお前たちに聞かせてやる」
それでも二四人もいる。
ラートが呆然と座り込んでいた。
「おっと、お前さんはそこに居ていい。同僚の死を見ちまってるんだ」
ズルシン隊長がラートに声を掛けた。
ラートが力なく頷いて、そのまま項垂れた。
亡くなったクバルの扱いも含め、支部長の裁可を仰ぐ必要がある。
スラン隊長が、三人ほどのメンバーを選出。港町の支部に状況を伝えに行くように命じた。銀二階級の手練れなら、もう夕方だが、殺られる事も無かろうという判断だった。
三人は獣脂の入ったランタンを持って、走って山を下りて行った。
彼らが報告して戻ってくる手筈だ。
私も含めて、誰も医務室や治療室には入る事が出来なかった。
カレンドレ隊長は重傷で面会謝絶、絶対安静との事だ。
やはり骨は折れてるだろうし、内臓もかなり傷ついたのだ。
医療部屋に運ぶのが間に合って良かった。
今回の敵相手だと、誰かが腕や足を失っていてもおかしく無かった。
クバルは運が無さ過ぎた。絡め捕られて武器のある方の腕を引きちぎられたのだ。
あれが私だったとしても、不思議では無かったのだ。
どんな時でもダガーが使えるように二刀流をさらに練習する必要がありそうだ。
警邏隊長は一時的に銀二階級のツィーシェが隊長代理となった。
人員が二名足りない。他の警護隊の予備人員から出される事となり、ズルシン隊長とスラン隊長が一名ずつ指名した。
私は日替わりで見る事になっているので、固定の警邏隊には含まれない。
もう夕食の時間だった。
ズルシン隊長が、銀二階級の部下に食事に行くように言ったが、彼らは動こうとしなかった。
医療班の女性が二人出てきた。ズルシン隊長とスラン隊長に説明している。
折れた肋骨が内蔵に刺さったらしい。それでだいぶ体内出血していたようだ。
彼の体力と気力で此処まで来たが、命を落としていても不思議ではなかったとの事だった。
相当に重傷で完治にはかなりの時間が必要そうだった。
銀一階級の人たちが、食事をトレイに乗せて、運んできてくれた。
みんなその場で食べ始める。
手を合わせる。
「いただきます」
スープは何時ものように、かなり濃い味。硬いパン。そして赤身の獣肉を魚醤と獣脂で煮込んだおかず。今日の野菜は黄色の葉っぱと酸っぱい赤い実のようなものが乗せられたサラダらしきもの。そこにやはり何かの植物油と魚醤とを混ぜたドレッシング。
急いで頬張った。
「ごちそうさまでした」
手を合わせる。
空になった食器とトレイはまた、他のギルドメンバーが持って行ってくれた。
だいぶ待っていると三人が走ってきて戻ったが、其処には支部長も一緒だった。四人とも汗だくである。相当急いで走ってきたのは間違いなかった。
ズルシン隊長とスラン隊長が出迎えた。
「三人共、ご苦労だった。食事に行ってきてくれ」
スラン隊長がそう言うと三人は食堂に向かった。
「支部長殿、御足労頂き、誠に申し訳ない」
そう言って神妙な顔でズルシン隊長が頭を下げるとスラン隊長も頭を下げた。
ヨニアクルス支部長の顔が険しい。
彼は汗も拭かずに無言で治療部屋に行こうとしたが銀階級の医療班の女性に止められた。
「支部長殿」
ズルシン隊長が声を掛けた。
「今は無理でさ」
彼は頭を振った。
その時、奥の方から背の高い一人の女性が出て来た。
「ヨニアクルス支部長様。カレンドレ隊長殿は、一命は取り留めました」
奥から出て来た医療班の女性が答えた。栗色の髪の毛、瞳は紫色。やや彫りの深い整った顔立ち。
そして彼女の首元には赤みがかった金色の階級章。
濃い緑の縁取りに内側には茶色のライン。そして〇が二つ
一流の医療スタッフの証だ。たぶんここの医療班の責任者だろう。
「体内出血が激しく、危険でしたので、少々お腹を切って血を抜きましたが、それよりも肋骨が折れて内蔵に刺さっていたのを抜きましたので、その出血が激しく、一時、かなり危険な状態でした」
医療班の女性は淡々と説明した。
「意識は?」
「昏睡状態です」
ヨニアクルス支部長は少し呻いて両目を閉じ、それからため息を漏らした。
「どれくらいで意識が戻るだろうか?」
「正確にはとても言えない状態ですが、一〇日もあれば戻るでしょう」
「分かった。ありがとう」
ヨニアクルス支部長はそう言うと、真っ直ぐ私の方に来た。
「ヴィンセント君。君なら説明できるだろう。何が有ったんだ」
私は支部長を見上げながら、言葉を選んだ。
「支部長様、北の、森の奥、見た事の、ない、樹木の、ような、魔物が、三体、出ました。ツィーシェ、副隊長が、それを、知って、いると、オブニトール、だと、言った、時」
「ふむ」
「腕が、物凄い、速さで、伸びる、魔物でした。片側に、四本ずつ、の、腕です。私の、方に、攻撃が、伸びて、きて、斬った、の、ですが、もう一本が、来ていて、避けきれずに、私は、腕に、当たって、飛ばされ、ました」
「その、腕を、隊長が、斬り飛ばした、時に、クバル隊員の、所に、多数の、腕が、伸びて……」
私はそこで一度、言い淀んだ。
「クバル隊員は、運が、ありません、でした。体を、絡め、取られ、武器を、持っていた、右手を、引き千切られ、助けに、行く間も、なく、首が、折られ、ました。そして、頭を、魔物が、食べて、しまった、のです」
そこまで喋ると、ヨニアクルス支部長の表情が歪んだ。
「隊長が、その、頭を、食べた、魔物を、斬りに、行く、瞬間、でした。後少しの、所で、物凄い、力、だったと、思います。隊長は、左から、払われて、勢いよく、飛んだ、のです。隊長が、意識を、失い、起きません。それで、私が、踏み込んで、その、魔物を、斬って、彼の、頭を、回収、しました」
私はそこで少し息を継いだ。
「私は、その、魔物たちの、腕を、斬る、だけで、精一杯で、ツィーシェ、副隊長が、隊長の、肩を、掴んで、後ろに、下がって、行く、時に、ラート隊員を、呼びました、が、彼も、脚を、掴まれて、大きく、転びました。捻挫、している、かも、知れません」
「その、二人に、魔物が、来ない、ように、短剣を、投げて、一体を、斃し、もう、一体が、逃げ出そうと、したので、その、一体も、もう、一本の、短剣で、止めて、何時もの、剣で、斬りました」
「そうだった。ラート。お前も医療班に見て貰うんだ」
ツィーシェがそう言ってラートを起こした。
だが、やはり捻っていたのか、挫いているのか、ラートは痛みで顔をしかめた。
ツィーシェが肩を貸し、二人は医務室に向かっていった。
その間、ヨニアクルス支部長は、ずっと私の方を見ていた。
「支部長様。申し訳、御座いません。あんなに、腕が、素早く、伸びる、魔物とは、思いません、でした。分かって、いれば、みんなを、下がらせる、事も、出来たと、思いますが、初見、でした」
私はそう言ってお辞儀した。
「いや、ヴィンセント君。君は謝る必要はない。初めての敵相手によくやった。よくやってくれた」
「君がいなければ、カレンドレは死んでいただろう。いやツィーシェ以外は、ラートも死んでいたかも知れない」
そう言うヨニアクルス支部長は、何時もの飄々とした表情を全く感じさせない神妙な顔だった。
彼は片膝をついて私を覗き込む様にして言った。
「ありがとう。ヴィンセント君」
私はどう答えていいかすら分からず、右手を胸に当てて深いお辞儀で応える事にした。
その会話をズルシン隊長とスラン隊長が、ずっと無言で眺めていた。
「支部長様」
私はそう言って、魔石三個をポーチから取り出し、彼に渡した。
「隊長が、重傷、ですし、これを、支部長様に、託します。どうぞ、良しなに、お取り計らい、下さい」
そう言うと、ヨニアクルス支部長は静かに頷いた。
「皆は娯楽棟の方かね」
ヨニアクルス支部長がそう言いながら立ち上がると、スラン隊長が答えた。
「ここにいては邪魔になるという事で、銀一階級以下は下がらせましたので、あちらに集合している事と思います。支部長殿」
そう言って外の建物を指さした。
「よろしい。少し説明が必要だ。組み替える必要もあるだろう。私が行って説明する。全員、移動だ」
そこにいた全員のギルドメンバーがさっと立ち上がり、娯楽部屋となっている建物の方に移動を開始した。
ヨニアクルス支部長が娯楽棟と呼んだ建物には、ギルドメンバーが全員、中にいた。
「さて、諸君、重大事だ。もう諸君にも判っているだろうが、カレンドレ警邏隊長が、重傷だ」
ヨニアクルス支部長が両手を腰に当てて、辺りによく通る声で喋り始めた。
そこで支部長はカレンドレ隊長が瀕死の重傷を負い、今も意識不明である事、そして意識は暫く戻らないと医療班が言っている事などを告げた。
それと残念ながらクバル隊員が魔物との戦闘で死亡した事を説明していた。
今までにこの山の奥では現れた事の無い、樹木の様な姿の魔物であり、オブニトールという名前で多数の腕が生えており、その腕が変幻自在に伸びる危険な魔物である事を説明していた。
そこに遅れてツィーシェに肩を貸して貰いながらラートが入って来た。ラートの左足には木材と包帯が。
「支部長殿。ラートの足、ひびが入っているそうです」
「これでは暫く任務に出せません」
ツィーシェ隊長代理がそう言うと、ヨニアクルス支部長が頷き、前で腕を組んだ。
「こうなっては、しかたない。ズルシン。君が工場の警邏隊長だ。ラート、君は休め。その足が完治しないと、任務が出来ん。医療班の言う事をよく聞いて、早く治せよ。ツィーシェ。君は再び副隊長だ。頼むぞ」
「木材伐採のほうは、スラン。君がやってくれ」
「粘土採集の方は隊長代理を一人立てよう」
そう言ってヨニアクルス支部長は周りを見回した。
「エボデン。君にやってもらう」
ヨニアクルスに呼ばれた男が前に出た。首に銀二階級の階級章。
「私が正式に隊長を連れてくるか、誰かを任命するまでは君が隊長代理だ。スランのやり方を見ていただろう。周りの連中と上手くやって任務を遂行しろ。他の者たちもエボデンを困らせるなよ」
「もうこれでいよいよ、我らの支部には予備人員がいない。みんな怪我をするなよ」
ヨニアクルス支部長が重々しくそう言うと、全員が頷いた。
「それと、クバルの葬式だが、魔法師ギルドの方に掛け合ってみるが、彼の遺体を冷やして、葬儀を四日後にする。本当は休みの日になる三日後にしたいのだが、準備が間に合わない」
そこでヨニアクルス支部長は全員を見回した。
「済まないが、全員三日後の休みは、そのまま警邏と警護に出てくれ。四日目の昼には行えるように手配する。なお、この一日分は支部の方で特別報酬を出すから、皆我慢してくれ」
周りがざわついた。
「そうなると、支部長殿。他のギルドの現場の方も休みをずらしてもらわにゃならんと思われますぞ。だれが調整に行くんですかい」
ズルシン隊長が聞いた。
「勿論、警邏隊の隊長の役目さ」
ヨニアクルス支部長が左手で左耳の耳たぶを引っ張りながら、言った。
ズルシン隊長がうんざりした様な顔をした。
この人の性格から言って、交渉事とかは得意じゃなさそうだが。
まあ、若いわけじゃなし、何かしら交渉手段は持っているだろう。
スラン隊長がやったら、どうなるのだろうな。と思わないでもないが。
そして支部長は宣言した。
「では、全員解散。暫くは替わりに来る人員がいない。怪我をしないように、睡眠不足にはくれぐれも注意して、よく寝てくれよ」
大怪我して、腕を無くすか動かなくなるか、足を複雑骨折して元に戻らなかったりすれば、当然引退という事になるだろう。
そうして、どんどん欠員が増えていき、予備人員がそこに当てられていって、とうとう今日の戦闘で予備人員は無くなったという事か。
ズルシン隊長は、他のギルドの事務所に向かっていった。
今から、休日予定の変更を相談しに行くのだろう。
ヨニアクルス支部長は、鉱山事務所に行った。
私も自分の部屋に戻る。
火打石でおがくずに火花を落として、出来た火種で蝋燭を灯す。
それから干しておいた服に着替えて休憩。
つなぎ服は大分汚れている。このつなぎ服を持って渡り廊下を通って井戸端で洗う。
なにしろ、濡れている森の中で地面を転がったので、あちこちが泥だらけである。ついでに言えば、髪の毛もたぶん汚れている。
頼りない蝋燭の灯りで頭も井戸水で洗う。
それと、ダガーやブロードソードを点検する。
あの樹木のような魔物の方はともかく、あの蜥蜴男の肘から出た白い刃とやり合ったので見ておく必要がある。
幸い、何処にも目立つ毀れは無かった。目の細かい砥石で軽く薄く研ぐだけに留めた。
今日はこれでいい。
部屋に戻って、ネグリジェに着替える。
ベッドに転がっても、あの蜥蜴に翼が生えた男が言っていた事が頭から離れなかった。
私が本当の事を知りたければ、魔王国に行って魔王に会え。教えを乞えと言うのがずっと引っかかっていたのだ。
お婆は、私が本当に知らなければならない事は向こうから現れると言った。そしてそれは言葉の事だと思っていた。あり得ようも無い奇蹟的な偶然の出会いで、真司さんと千晶さんに出会って、私は言葉を学んだ。この事だと思っていたのだ。
だが。
この出会いもまた、お婆の予言のような向こうから現れた『何か』なのだろうか。
これは、私が知らなければならない事の一つのようにも思えた。
そして、ガイスベントにありもしない家、か。
ヴィンセント家が、ガイスベント国の騎士団の一角だったというのは、王国概要に一行だけ、現れていたが。
もう廃嫡で家は無くなったらしい。あの村に現れた大貴族も末裔と言っていた。
その事を、あのラドーガと名乗った蜥蜴男が言っていたのだ。
だが、お婆は『もしかしたらヴィンセントかもしれぬな』と言ったのだ。確定では無かった。
しかし、蜥蜴男は確信していたようだ。
魔族もエルフ族も謀るかと私を詰ったのだ。
私が生きている事が不思議だとすら言った。どういう事だろう。私の血は確かに元はエルフだとお婆は言った。
だが、魔族とのつながりは言及しなかった。
今の魔王はジオランドスというのか。その魔王様とやらが、なんでも知っているというのだろうか。どんな男なのだろう。
真司さんと千晶さんたちが他の四名と、本来なら討伐に行くはずだった相手だ。
残虐非道な魔王なら、とっくにこの王国にもその影が伸びて居よう。
魔王国が何処に有るにせよ。
しかし、この王国を見ている限りでは魔獣との戦いは大変とはいえ、それを受け入れての安定した日常のような気がする。
七人を召喚したあの王は魔王を恨んでなのか?
それとも……。
自分が覇権を唱えるのに邪魔だから、異界から呼んだ者たちに倒させて、漁夫の利を得ようとしているのだろうか?
あの奇妙にねじくれたような顔の王様は、とても良心的な王様には見えなかった。
倒されるべきは、あの王なのかもしれない。相当な圧政を敷いて民を泣かせていそうな気配がプンプンする。
しかし、この異世界の事を知らないお邪魔虫な私がそこまで突っ込んでどうこう言う資格はなかろう。
どのみち、今の私に出来る事はここの警邏の仕事だけだ。
何処に有るかも分らぬ、ガイスベント国も、魔王国も今の所、私に行ける場所ではない。
……
そして、この日はなかなか寝付けなかった。
あのクバル隊員の絶叫が、耳に残って離れなかった……。
つづく
マリーネこと大谷は、斃した魔物の魔石を支部長に託す。
支部長は、警護隊のリーダーを組み替えた。
人数が不足し、粘土採集場の警護隊はとうとう、代理を任命せざるを得なくなった。
マリーネこと大谷は、蜥蜴男が言った事がずっと気にかかっていた。
次回 山での警邏任務7
この日は伐採場の警護に行くマリーネこと大谷。
スラン隊長と共に山林の奥で出会う魔獣とは。