102 第15章 トドマの港町 15ー9 山での警邏任務3
2日目は粘土採集現場へと向かうマリーネこと大谷。
粘土採集場は広く、盛んに粘土の採集が行われていた。
102話 第15章 トドマの港町
15ー9 山での警邏任務3
翌日。
朝起きてやるのは、いつものようにストレッチ。
つなぎ服を着て、いつものように外でまずは空手と護身術。
そしてミドルソードを振るう。この剣も自由に扱えるようになって置かないといけない。
バランスが多少違っても同じように扱えるようにしておかないと、今後別の剣を買った時に、また最初からになる。
だいぶ素振りをやって、今度は大きい鉄剣。これは居合刀は出来ないから、斜め後ろからの回し切りである。
だいぶ振るって、汗が出てくる。
汗を拭いて少し休憩。
ここで棒を入手出来れば、槍の穂先を久々に取り付けて槍も練習できるかもしれない。
山を降りた時以来、やってないのでだいぶ鈍っている事が予想される。
今度、入手しよう。
剣を仕舞い、今日の準備。ベルトにブロードソードとダガー。
あとはリュックに入れるタオルとロープ。
それと革袋の水を取り替えた。
よし。あとはいつものように、魔石のポーチと小銭いれたポーチ。そして首に階級章。
鐘が鳴った。門に急ぐ。
横の部屋から女性たちも出てきて館に向かっていった。
挨拶すると、彼女たちも笑顔で挨拶を返してくれた。
こういうちょっとした近所付き合いは重要である。挨拶でも交わしておけば、顔繋ぎになる。
私はこの女性用寄宿舎には知り合いが一切居ない。男衆は建物が別で離れている。
私が困った時に声を掛けられる隣人は重要だ。
さて、二日目は粘土採集現場だ。
男衆がぞろぞろと集合住宅から出てくる。
今日はスラン隊だ。
「スラン隊長、おはようございます」
「おはよう。ヴィンセント殿。よく寝れたかね」
「はい。大丈夫です」
メンバーが揃ったらしい。
向こうでズルシン隊長が大声をあげている。
あの人はいつも、ああなのか。カレンドレ隊長の隊はそうそうに出ていった。
「では、工房の連中が来たら、一緒に出発だ」
工房の人たちは数台の木造リヤカーを引いている。それに多数の桶が乗っていた。
そっか。手で運ぶんじゃなくて、このリヤカーで運ぶのか。
出発。
くねくねとした林の中の道を進む。
リヤカーを通すために、きちんと道路は造られていて、ごつごつした石ながら、石畳で舗装された道の左右にやや凹んだ排水路がある。
だらだらとした登り道を、結構歩いて進んだ。
急に林が開けて崖が見え、そこに今日は足場が組まれている。
支部長と来た時にはなかったので、足場はその後に組んだのだ。
崖のようになっている場所に足場が三段程で組まれている。
上の方から削って運び出していき、段々畑のように採掘しているらしい。
地層によって粘土の質が違う。
赤っぽい場所は明らかに粘りの強い粘土。
黒っぽい場所は粘り気のやや少ない土。
あとは黄色のようなやや明るい色の粘土。
大雑把に、この三種類が採れるらしい。
「ヴィンセント殿。今日は私の横にいて、周りを観察するようにして欲しい」
「判りました。スラン隊長」
スラン隊長は両手を腰に当てて、私を見下ろした。
「ヴィンセント殿の腕前は、街の戦闘技術師範のギングリッチ殿が君の事を評して別格だと言っていた。その体格から信じられない剣が飛び出してくると」
「そしてもう銀三階級になっているという事実がそれを裏付けている訳だな」
スラン隊長は目を少し細めて私を見る。
「支部長殿は君をどうしたいのかは私には分からないが、此処を一通り見せるように言われている」
そう言って、今度は崖の方を見た。
「あの崖の部分はあそこが小高い丘になっていて奥に続いている。左右はこの山の奥の森から魔物が来る事が有る。採集場所は何箇所か有るが、まあほぼ同じ様になっている」
「小屋の位置をよく覚えておいて欲しい。あそこにはここの作業員を退避させる場所だ。魔獣だけではなく突発的な大雨の時も、あそこに全員避難させる」
「大雨の、時も、ですか。逆に、危なく、ないの、ですか」
私が見上げてそう言うと、スラン隊長はふっと少しだけ厳しい顔が緩んで素顔を見せた。
「あの大きい小屋は高床になっていて、その周りは小高くなっているし、雨はあの小屋には問題ないだろう。もし、あの採集場所の崖が大きく崩れるようなら、その土砂が流れてきて危ないかもしれないが」
スラン隊長は採集場所になっている崖を見回している。また厳しい顔に戻っていた。
「だから、あの崖をよく観察しておいてくれ」
「はい。判りました」
たぶん、雨が降って来た時、普段より多い水が出るとか、土砂の流出が始まっているとか、そういう時に避難させるのだろう。
粘土の採集は、崖の壁を削る形で行われている。
壁の方で足場を作って削り取っている彼らは、魔獣にすぐ襲われる危険はないが、下の方で斜面を階段状に削っている彼らが危ない。
それにしても、だいぶ削ったような感じだ。
そしてここでも背中に反応なし。魔獣が全く気配を見せない。
たとえお守りの魔石を持って来ていても、魔物が近くに来れば必ず判る。
今まで、背中の疼きがそれを教えてくれていたからだ。
……
この分だと、今日も何もナシだろうか。
不意に、崖の上の方に大型の猛禽らしき鳥が飛んできて、大きな木の梢に留まった。
その鳥は耳障りな声で啼いたが、直ぐに止んだ。そして飛び立っていった。
「スラン隊長。魔獣の、気配は、さっぱり、ありませんが、大抵は、こんな、感じですか」
スラン隊長は、上から私を見下ろしていた。目が鋭い。
「君は、魔獣の気配が分かるのか」
「ええっと。何か、普通の、獣、じゃない、ものが、来た、時は、なんとなく、分かるんです」
私はそう答えるしかなかった。
「勘の様なものか。それが当たるのか」
「そうですね。勘の、様な、ものです。魔獣たちが、特別な、気配を、出して、いるのが、ほぼ、判ります。中には、気配を、完全に、消して、くるもの、たちも、いるので、絶対では、ありません、けれど」
そう言うと、スラン隊長は細めた目でずっと私を見ていた。
「勘が、働いて、何か、来るかな、という、時は、独特の、気配が、します。何が、来るか、までは、判りません、けれど、それで、備える、事は、出来ます」
「なるほど。君が魔獣に対して強いのは、その能力で彼らに先んじて攻撃可能という事も、十分あるのだろう」
スラン隊長は、また崖の方の作業に目をやりながら、そう言った。
「とはいえ、一刀のもと、斬り捨てるには相当な剣の速度も必要になる。君にはそれも出来るという事だな。まあ、ギングリッチ殿が別格だと言うくらいだから、その剣も相当な速さなのだろうね」
「支部長様が、見たがったので、素振りは、お見せ、しました。スラン隊長も、見ますか?」
「ぜひ見てみたいね」
少し離れて、軽く足を開いて一礼。
抜刀!
一気に中央上段に。そこから間髪入れずに地面すれすれまで下段振り。
手を添えながら剣を右上段に。そこで右八相に構えてから、半歩踏み込みながら三段突き。
手を戻して、右の八相から、中央下段へ斬り込み。
剣を大きく振りかぶって、真正面、中段へ二本。その後、剣を仕舞って、礼。
スラン隊長から溜め息のような物が、漏れていた。
スラン隊長の方を向いて、深いお辞儀。
「なるほど。確かに。剣は相当短いが、この速度が有れば短さは問題ではないのだろう。剣も見せてくれないか?」
スラン隊長は私の剣が気になるらしい。
私はブロードソードを抜いて、持ち手を彼の方に向けて渡した。
彼は、その剣を片手で二回振った。それから目を細めてじっと刃を見て、私の方に持ち手を向けて返して寄越した。アレで分かったのなら、相当な手練であろう。
「ヴィンセント殿の剣は独特だな。その剣は剣先の速度重視な上に、かなり研ぎ上げた両刃。相当な実戦を積んでいるのだね」
スラン隊長は、また崖の方のやや下の作業を見ながら言った。
「元々、居た村、では、半年間、くらい、でしょうか。この、剣と、槍で、魔獣を、狩っていました」
そう言いながら、私も崖の横の森に目を走らせて、気配を探る。
「村では、狩りを、しないと、食料が、ないので、私も、狩りを、して、この、剣を、使って、いました」
村の剣の状態を思い出して、適当に話を繋ぐ。
「最初は、刃が、もっと、鈍い、状態、でしたね」
そう言うと彼は、
「そうだろうな。そこまで研ぐと剣が折れやすい。間違った使い方をするだけで剣が壊れるだろう」
そう言って、一回辺りを見回した。
スラン隊長の表情は今ひとつ読めないが、何かを考えているようだった。
「ただ、私と、しては、力任せに、叩き斬る、のでは、なくて、刺したり、速度を、生かして、切ったり、する、戦い方を、選びました。この、背丈、ですし」
そう言うと、初めてスラン隊長はふっと、表情を崩した。微笑していたのだった。
「今後、君は色んな人から妬みや僻みの感情から嫌味の一つ二つも言われるかもしれないが、君は何ら臆する事も動ずる事もない。君の腕前は十分に判った。君はアイギスの傭兵部隊、通称アイギスの盾と比べても、遜色ないかもしれない。惜しむらくは、君の背丈が低い事だな」
「スラン隊長は、その、アイギスの、傭兵部隊と、何か、関わりが、あった、のですか?」
そう言うと、スラン隊長の目はどこか遠くを見る目だった。
「もう……昔の事だ」
そう言ったきり、彼は黙ってしまった。
……
暫くすると、メンバーの誰かが、小屋の横にある鐘を鳴らした。軽やかな響きが周りに伝わる。
すると粘土の採集作業をしていた彼らが、桶を持ってやって来た。
お昼の休憩という事らしい。
そういえば、二つの太陽はもう真上に昇っていたのだった。
集められた桶の粘土は、同じもの同士をリヤカーに積んだ大きな桶に入れていった。
それから、小高くなった場所の小屋というには大きすぎるが、この建物の中で昼食になった。
この建物の横には鐘と簡単な屋根の付いたリヤカー置き場がある。
そして、桶も此処に置くようで持ってきた桶は空のものは全て此処に置かれた。
この建物の横にある塀は、採集場所のほうに向かって狭くなっている。
入り口部分を更に三角状態で塀にして蓋する事で、土砂崩れがあった時に、土砂を左右に逃がす役目があるのだそうである。
建物の中には全員が入れる広さがあり、さらに奥は簡易寝室で宿泊可能になっている。大雨でここに足止めされた時の事を想定しているのか。
裏手にはトイレと少し離れて井戸が有る。どちらも屋根のついた渡り廊下だ。
作業員たちが手を洗いに行っていた。
ここは雨で数日カンヅメ状態になった時の為に、炭や薪、保存食料として塩漬け肉と燻製肉等が、常に此処の奥にある貯蔵室に置かれるらしい。
その燻製肉を切って炙ったものが、配られた。竈も有るのだった。
手を合わせる。
「いただきます」
支給された、炙られた燻製肉を頬張りながら考えた。
こういう護衛任務というのは、魔獣を斃しての出来高ではあるまい。魔獣が全く出ない日も多そうだ。
恐らく何日で幾らという支払いなのだろうな。例によってここの暦である四二日が一つの単位だろうか。
魔獣が出て退治すれば、それは臨時ボーナスになるのだろうか。そこは何とも言えないな。実際に斃してから分かる事だろう。
この護衛任務に支払われるお金は、護衛される側のギルドから支払われてるのだろう。
魚醤工場はあの四つの工場がどういう形かは分らないが、工房を形成し、その工房全体で出し合っているのに違いない。
王国の警護がない魚醤工房が警護を頼んで、お金を払っていると支部長は言っていた。
まあ、あの透明の匂いもほぼ無い魚醤まで行けば、それは芸術的な腕前と言うべきか。
それで工房というのも分からないではないが、臭いの強烈なやつははっきり言えば、香草を入れる工夫もないのだろうから、そういうのを作っている工場を工房というのも憚られる。
まあ何れにせよ、あの工場たちがギルドになる事は無いだろう。
……
それにしても、私の匂いが漂っているにも関わらず魔獣が居ないという事は、逆に考えてみればいいのだ。
少なくとも、彼らが匂いを感知できる範囲に私が居ないという事だな。
時々吹いてくる風は、湖からあの岸の崖を昇って来る南の風。あとは東の方から来る風が時々ある。
山から吹き下ろしてくる感じか。だがこの森林の中を通ってくるのではなく、上を吹いてくる感じだな。
そこから考えれば北西の森の奥から魔物が出てきても不思議ではないのだが。
魔獣どころか、大型の獣一頭、出てこない。まあそれはこの魔石のお守りのせいかもしれないが。あの密林でそれは厭という程、思い知らされた。
私には動物の相棒は無理なんだと。
まったくもって酷いフラグだ。
しかし、もしかしたらあの魚醤を作っている臭いで、私の匂いが混ざってしまって、魔獣もそこまで嗅ぎ分けられないのかもしれないな。
そんな事を考えて食べていると、もう周りは食事が終わっている。
急いで食べ終える。
「ごちそうさまでした」
手を合わせる。
味は全く問題ない。あの宿営地の食堂で出される燻製肉と同じで、濃いめの味付け。やや塩分は多いが。魚醤のおかげであろう、旨味の出たいい味だった。
少し休憩という事らしい。作業員たちが何か雑談をしていた。しかし、この王国の第二公用語である共通民衆語ではない。彼らはどこか別の場所から来た同じ国の人なのだろうか。理解できない言葉……。
ちょっと残念だった。
さて、午後のお仕事開始。
スラン隊長は私を連れて崖の近くまで行き、掘っている様子や崖を削っている様子を近くで見た後に、まず右側の森の所に行った。
「何か、気配は有るかね」
スラン隊長は私の方を見もせず言った。
森の中は、相変わらずの湿気で、やや煙ってる。
動物の気配すらないのが、不気味といえば不気味だ。こんな事は今までなかった。
私のポーチが放つ魔石の気配で小動物たちは真っ先に逃げ出してしまったに違いない。
「動物の、気配が、全く、しません」
それだけ言うと、彼は頷き少し森に入った。
湿気ているものの、下生えはある程度刈り取られている。
樵ギルドの人々が、こういう所にも来て、お仕事しているという事だな。
森の維持というのは地味な、そして労力の掛かる仕事だ。
森の中は薄暗い。上のほうが枝が伸びて日光が差し込まないからだ。
所々に杭がある。ズルシン隊長が言っていたな。数字が書いてあると。
確かにミミズ文字の数字が書かれていて、私は考えないとこれが何なのか、分からないが。
スラン隊長が不意に言った。
「昨日は、どうだったかね。伐採場の方だが」
「昨日は、ズルシン隊長の、横で、見学して、少し、森を、警邏、しましたが、なにも、いません、でした。ズルシン隊長は、こういう、日も、ある。という、感じ、でしたね。雨も、降らないし、魔獣も、いない、平和な、日、だと」
「そうか。まあ、あの人は何が出ても動ずる人ではない。しかし、私はこういうのはかえって怖いね」
「え?」
「私の経験から言えば、こういうのは、危険だ」
スラン隊長が横に来て、私を見下ろしながら言った。
「ここの魔獣たちより遥かに強い奴がきて、周りの魔獣が引き下がった。普通の動物たちはとっくに逃げ出しているか塒で身を潜めている。そういう状況である事のほうが多い」
スラン隊長も相当な経験を積んでいるのだろう。
「つまり、この山の主のような魔獣が徘徊している可能性もあるという事だ。こういう時は逆に、かなり警戒しないといけない状況だ」
「なるほど。確かに、その、可能性が、有ります」
私の魔石で怯えて魔獣が引き下がったというのは、ちょっと考えられない。
今までの経験から言えば、魔獣たちはかなり離れた場所からこっちを伺っていた。そういう時は、そういう気配がするのだ。
しかし、昨日も今日もそういう感じではない。全く何もいないのだ。
スラン隊長は辺りを見回した後、私と共に採集場に戻った。
もう大分、二つの太陽が傾いてきている。
作業員たちが桶を持って戻ってきた。
彼らはリヤカーの大きな桶に粘土を入れている。
宿営地の先にある工房の窯の横に戻るとの事で、私たちは護衛しながら移動する。私は殿である。
窯の横に着くと、もう鐘が鳴っている。
女性陣の夕食だな。
……
今日の夕食は魚を干して焼いたものと味の濃いスープに、固いパン。
そして、燻製肉を薄く切って焼いたものと黄色の野菜。
相変わらず塩分多めだが、旨味がしっかり入っていて、文句はつけようが無い。オセダールの所の料理が別格過ぎただけだ。
今日は報告する事も無いはずだが、娯楽室にみんな集まっていたので、参加する。
どうやら、何も出ないどころか、小動物までいないのはおかしいという事になっている。
これは、魔石のお守りは置いて行くしかないな。
明日は魚醤工場の近くの警邏だ。ここで、お守りなしの私に魔物が掛かってくるのか、それとも出ないのか。気配すらないのかで色々分かる事があるだろう。
つづく
スラン隊長に剣の素振りを見せたマリーネこと大谷だが、スラン隊長はどこか遠くを見る目でマリーネの腕前を賞賛していた。
この日も魔獣は全く気配すら見せない。
スラン隊長はこういう時こそが危険だという。
何かがいるのは間違いなかった。
次回 山での警邏任務4
3日目は魚醤工場付近の警邏である。
そして、とうとう魔物が現れる。
それは意外な展開を見せていく。
それは、大谷にとってまたしても運命の出会いとなる。