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春風戦華  作者: 地球儀
8/35

其の捌:曖昧

(なるほど、こういう理由だったんですね)

一人で映画鑑賞を堪能した帰り道、伶子は思わぬ光景を目にした。

横断歩道の向こう側に見覚えのある人影が二つ。学校のない日曜日とあって、二人とも伶子同様、私服姿だ。

男の方は鬱金色のストールを緩く首に纏わせ、灰色のテーラードジャケットの下から薄手のTシャツを覗かせている。裾直しなど必要なさそうな足には細身のジーンズを履き、脇腹から腰にかけて連なった太めのチェーンベルトが、さり気なくその脚の長さを引き立てていた。

服装だけなら特別際立っているわけでもないコーディネートではあるが、着こなす者の容貌と体格で、まるで雑誌に取り上げられてもおかしくない華やかさを感じてしまう。

隣りに並ぶ少女だって負けてはいない。

頭部にスパンコールで煌めくカチューシャを付け、耳からぶら下がる大きめのピアスは風に揺れるたび、彼女の小顔をよりアピールさせる役目を果たしている。裾の短いワンピースから伸びた脚は肉付きよく、女子高生ならぬ艶かしさを感じさせた。施したメイクが大人びた雰囲気を一層強調しているからかもしれない。

(不死原君、茉穂ちゃんをデートに誘ってたんですね)

伶子は胸中で不死原に喝采を送り、納得の面持ちで一つ頷いた。

事の始まりは朝。起き上がってまず最初に頭に思い描いたのが、自分の通う学校の教諭で、災禍を倒す共闘者であり、更には片思いの相手でもある宇佐美甲斐の面差しだった。

自分の発言に後悔はないものの、昨夜は胸に重石を乗せたような居心地で帰宅し、宇佐美に反発したことに自己嫌悪しながら布団に潜ったのだが、次第にかの人物に対する恋情やら不安やら、恐れ、罪悪感、憧憬、鬱憤など様々な感情が綯い交ぜとなり、おかげで寝苦しさに苛まれ、浅い眠りを繰り返す破目となった。

寝ても覚めても副担任のことが頭から離れず、午前中は掃除やら勉強で気を紛らわせていたのだが、そんな作業も飽きてしまう。

気晴らしにと、親友を外に誘ってみるものの――――

『ごめん、これからちょっと用事入っちゃってさ〜』

『急に誘ったのはこっちですから、気にしないでください』と詫びながら電話を切り、結局一人で出歩くことにした。

人通りの多い場所に出ても暫く悶々としていたが、ぶらりと立ち寄った映画館で適当に選んだ作品を観賞していたら、思いの外内容にのめり込んでいたらしい。おかげで宇佐美に対する動揺はなりを潜めていた。

そんなときに出くわしたのが、自分の誘いを断った茉穂と、先日その親友に想いを寄せていると伶子に告白した不死原だ。

二人が歩道の向こうにいる伶子に気付いた様子はない。

(信号が青になったら声を掛けるべきでしょうか?でも二人の邪魔はしたくないですし……)

逡巡している間に信号が変わり、否応なしに伶子は周囲に合わせて歩き出した。二十人ほどの人込みの中なので、こちらから声を掛けなければおそらく気付かれない。

反対側から横断してくる人数もそこそこ多く、ちょうど人と人とが交じり合おうとしたときだ。

「あれ?桜原さん?」

このまま無視する方が得策かもしれないと思っていた矢先、呼びかけられた。それが茉穂ではなく不死原の方だったので、余計にどう対処するべきか迷った。

「れれれ伶子、誤解しないで!あ、あんたの誘いを断ったのはこいつとの先約があったからなんだけど、二人きりでいたからって別に、ででデートだったわけじゃなくて!」

胸の前で手を振り、たじろぎながら弁明する茉穂の後ろを、スーツに身を包んだ男が迷惑そうに通り過ぎていく。不死原もその視線を感じ取ったらしい。

「こんなところで立ち話してたら邪魔になるし、どこか入ろうか」

同級生に見つかると後が煩いのでなるべく人目につかない所がいい、という茉穂の意見に副って、三人は裏路地の一画に佇む喫茶店に足を踏み入れた。

四人掛けのテーブル席に腰を下ろし、窓越しに外を見渡せば、所々バーの看板が目立つ。どうやらこの界隈は夜がメインの商売店ばかりらしい。歩く人影は疎らで、学生らしき若者は見当たらない。

「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」

おしぼりと、水の入ったグラスがテーブルに置かれる。

かけられた声につられてウエイトレスを仰ぎ……伶子は硬直した。

「あたし、ストロベリーチーズケーキとミルクティー」

「俺はホットで」

ストレートの金髪。それだけならまだしも、腰に届きそうなまでに長く伸ばされている。

「……え〜と、お客様?」

ハッと、改めてウェイトレスを見遣る。困ったように営業スマイルを向けられ、そういえば注文を頼んでいないのは自分だけだと思い至り、赤面しながらメニュー表を眺めた。

「お姉さん、その髪って地毛?エクステ?」

伶子の注文が決まるまでの暇潰しにと、茉穂が従業員に話しかける。

「エクステですよ。実は生まれて此の方、美容室って行ったことなくて、一昨日初めて行ったんですけど、結構時間かかるんですね〜」

「美容室初めて?!マジで?!」

「マジです。元々黒髪ショートのくせっ毛。だからストパーも染色もエクステも初めてずくし」

胸の前に一房流れている髪にチラリと目を配り、伶子達とさほど変わらない年頃だろう彼女は、羞恥と照れ臭さが入り混じった顔で微笑む。

(ビー)、注文訊いたのか?」

「はぁい、只今!」

カウンター越しのキッチンから、経営者らしい男性が声を掛けてきた。

眦の吊り上がった三白眼にオールラウンドショートの黒髪。短い顎鬚。服の上からでも分かる筋肉の付いた二の腕。厳ついというよりワイルドな印象を強く感じるのは、やや厚みのある艶っぽい唇の所為かもしれない。

咥えていた煙草の火を灰皿に揉み消し、どこか色っぽさを匂わす唇から紫煙が吐き出される。

その煙が、カウンターの隅で丸くなっていた生成りと焦げ茶の毛色をした猫の前を掠め、耳の垂れたそのスコティッシュホールド種は非難するように低く鳴いた。

「マスター、煙草吸うなら換気扇の下でって言ったじゃないですか。ボクやネコだけじゃなくて、お客さんいるんですよ!」

「悪ィ、悪ィ」

謝罪の言葉を口にするものの悪びれる様子なく、男は口の端に弧を描いて肩を竦める。

Bと呼ばれたウエイトレスは溜息を吐き「すみません」と伶子たちに頭を下げた。

「えっと、チョコレートパフェを頂けますか?」

「畏まりました」

キッチンに引っ込むウエイトレスの背中を目で追っていれば、横に座った茉穂から大丈夫かと問われた。

(そういえば茉穂ちゃんには話してましたね……)

意図的に深く頷けば、不安げな表情を緩めて頷き返された。

「さてと。あたしとシオンのことだけどさ、実は前々からの知り合いだったりするわけよ。こいつが転校してくる前から。今日は街を色々案内してほしいなんて言うから、親切な茉穂ちゃんは貴重な休日を削って付き合ってたわけ」

「友達、なんですか?その……付き合ってるんじゃなくて?」

水を口に含んでいた茉穂の眉間に皺が寄る。前髪が極端に短い為、その変化はあからさまだった。

「……ホントに付き合ってないよ」

両手の指をテーブルの上で交差させ、両方の親指をくるくる回しながら不死原が静かに答える。

「ちょっとワケありでさ、こいつと二人きりで逢うことは多いよ。でも、あたしはこいつの彼女じゃない。つーか、今のところ誰とも付き合ってないけどね。付き合う付き合わない以前に……友達かって訊かれても、正直、グレーゾーンだね」

瞼を伏せて淡々と語る茉穂。

前に座る不死原も否定せず、ジッと目の前のコップを見つめていた。

不死原の、茉穂に対する気持ちを既知しているだけに、伶子は二人にどう言葉をかけてよいものか思考を巡らす。

隣りに座る親友は苛立ちこそなさそうなものの、機嫌は下降気味。下手に不死原を慰めれば激昂しかねない。かといって厚顔無恥を承知に、根掘り葉掘りと随意のままに質問するのは些か気が重い。

気まずい沈黙が漂いはしたが、茉穂が伶子の観てきた映画の話題を振ってきたおかげで場が持ち直し、運ばれてきたデザートと飲み物に舌鼓を打つ頃には、雰囲気は明るい方向へと転換していた。

「うっわ、もうこんな時間かぁ。夕飯、家族で食べに行く約束してるからそろそろ帰るわ」

テーブルの上に千円札を置いた茉穂は手を振りながら喫茶店を後にした。その際、ウエイトレスの「ありがとうございました〜」という挨拶を背に扉を開けるとき、不死原を一瞥したのを見逃さなかった。

「……仲が良いと自負しながら私、茉穂ちゃんと恋バナなんてしたことなかったんです」

底に残っている生クリームを掬い上げると、溶けたチョコレートと混ざり合って茶色に変色していた。口に含むと甘さの中に潜む微かなほろ苦さが舌を刺激する。

まるで今の心情を味わっているようだと、伶子は自嘲したくなった。

親友の新たな一面を知り、若干戸惑っている。冷めた意見を述べることは今までにもあったが、不死原本人を目の前にして虚勢を張っていた。

(……茉穂ちゃんが自分に言い訳しているように見えたのは、私の欲目でしょうか)

出会って僅か数日。目の前に座る不死原はそう悪い人間には見えない。寧ろ、ひたむきに茉穂を想う彼を応援したい気持ちになっていた。

「当然だと分かっていても……グレーゾーンと言われると、さすがにショックだった」

空のコーヒーカップを手持ち無沙汰に持て遊びながら、不死原は寂しげに笑みを滲ませた。

「でも二人きりで逢う機会は今後もあるんですよね?真摯に自分を気持ちをアピールしていけば、茉穂ちゃんの中で不死原君の印象はきっと変わっていくと思いますよ」

伶子の励ましに曖昧な微苦笑を浮かべつつも「けど」と逆接の接続詞を呟く。

「俺は今、茉穂に吐いている嘘があるんだ」

「……嘘、ですか?」

“嘘”という単語に思わず眉を顰めてしまった。

わざと事実に反するという意味を持つその言葉は、どことなく不愉快な感情を抱かせる。ときには心に負った傷を癒す為の慰撫にもなるが、使い方次第では目に見えない刃と化して人を傷つける。

吐いていた偽証が暴露された場合など、更に傷付いた心を抉る危険性もあるのだ。

「これ以上、心配事を増やしたくなかったんだ。これは俺が独断で決めたことだから、バレたら間違いなく軽蔑される」

「自分を想っての嘘なら、バレてもきっと茉穂ちゃんは分かってくれますよ」

不死原が指先で弄っていたカップをソーサーに戻したところで、金髪のウエイトレスが盆に乗っていた新しいコーヒーを二人の前に置いた。カップからは湯気がふわりと漂っている。

「サービスです。よかったらどうぞ」

「え?」

「いいんですか?」

「マスターの奢りですから」

Bの視線を追えば、三白眼の店主は顎に生やした髭を摩りながら新聞を読んでいる。

「ありがとうございます」

「いただきます」

伶子と不死原が声をかければ、新聞から目を逸らさないまま手を挙げた。

従業員が再びキッチンへと踵を返したのを見計らって、不死原が上半身を傾けて内緒話をするように口の横に手を添えた。伶子もつられて顔を彼に寄せる。

「そういえば桜原さんは進展あった?この間は教えてもらえなかったけど、相手、宇佐美先生だよね?」

訊かれた瞬間、脳裏に宇佐美の顔が鮮明に蘇った。同調するように頬に熱が篭り、毛穴という毛穴から汗が噴き出す。

「なっな、な……んで……」

「昨日の朝のSHR、先生を見る度に様子おかしかったけど……」

(わ、私ってそんなあからさまに分かりやすい反応してたんですか……?!)

動揺のあまり伶子は運ばれたコーヒーを呷り……砂糖もミルクも入れていない苦味に思い切り顔を顰めた。



「……せっかくの休みだったのに、何でそんな疲れた顔してんだ?」

伶子を見下ろしながら呆れ半分、辟易半分といった表情で担任代理の教師は紫煙を吐き出した。人差し指と中指の間に挟んだシガレットは火を点けたばかりらしく、赤く灯った部分がフィルターに達するまで暫し余裕がある。

ちりちりと吸い口に向かって灰になっていく紙筒を見つめながら、伶子は肩を竦める。

(私に恋心を抱かせた先生が悪いんです!……なんて乙女チックなことをはっきり言えたらいいんですが)

例え告げたところで、真剣に捉えてくれる確率はどの程度のものか。

精々、鼻であしらわれるのが妥当だろう。最悪の場合、汚物を見るような眼差しを向けられるやもしれない。もしそんな態度を取られたら……再起不能は明らか。穴があったら肉体の限界がくるまで隠れていたい。

遠い目をする伶子に元々答えなど求めていなかったのか、宇佐美は日が沈んで夜を迎えた外の景色をぼんやり見つめている。

……もしくは窓ガラスに映る自身を観察しているのかもしれない。

ナルシストの語源は、ギリシア神話に登場するナルキッソスという青年が、ニンフにより水溜りに映る自分の姿に恋をするという呪いを受けたことが由来だという。

とはいえ、ナルキッソスのようにやつれ果てて水仙になるような儚さをこの男が持ち合わせているとは……到底考えられない。

(寧ろ衰弱するくらいなら一生独身を貫きそうですね)

イコール自分に目を向けることなど生涯ないという考えに至り、愕然とする。四つん這いになって嘆きたい気分だった。

(茉穂ちゃんほどの目鼻立ちをしてて、スタイルも良くて、背だってあと十センチは高かったら……もう少し自分に自信が持てるんでしょうか)

膝元に視線を落としてみる。チアリーディングで鍛えているおかげか、脚線は悪くないだろう。腰も括れていて、下っ腹は出ていない。ただ胸は………天井を見上げて歯を食いしばった。

「くっそ。あんだけ寝たのにまだ眠ィ」

短くなった煙草を揉み消しながら、くわぁと大きな欠伸をしている。どうやら自己陶酔ではなく、眠気によるぼんやりだったらしい。

そういえばここに事前に“校門を開けて欲しい”とメールを入れていたのだが、いくら待っても出てくる気配がなかった為、既に災禍が出現しているのかと危惧して焦り始めた頃にようやく『今から開ける』と電話が掛かってきた。そのときの声が少し掠れていたので、もしかするとあの直前まで眠っていたのかもしれない。

「どれくらい寝てらしたんですか?」

「十三時間」

「そんなに?!」

伶子の平均睡眠時間の倍以上だ。

「休みの日くらいゆっくりさせろ。これでも朝っぱらから部活に青春捧げる連中の為に、六時には一度起きて校門開けてやったんだ」

「えっと……いつもお疲れ様です」

「もっと敬ってもバチは当たらねぇよ」

軽く頭を下げる伶子に宇佐美は機嫌良さそうだ。

「桜原伶子、お前は今日何してたんだ?」

「午後から映画を観て、そのあと偶然近江さんと不死原君と会って三人でお茶しました」

宇佐美の姿が頭から離れず、闇雲に掃除や勉学に勤しんでいた午前中の行動は省略する。

「やっぱあの二人、デキてたのか。つか、デート中に出くわした挙句お茶って……お前、空気読めよ」

「二人は付き合ってないらしいですよ」

空気を読めと非難されたことに落ち込みつつ、茉穂と不死原の間柄が恋人同士でないと否定しておく。怒髪天を衝いた茉穂に叱られるのは勘弁したかった。

「初めて行く喫茶店だったんですが、コーヒーをサービスして頂いたんです。味も申し分なくて……。そういえばそこのマスターの口調、先生と似てました。煙草も確か、先生がよく吸っているピアニッシモ・ペシェでしたし」

あまり拘りがないのか、ヘビースモーカーの宇佐美はマイルドセブンやらマールボロやらと様々な銘柄を嗜んでいるようだが、中でも一番見かけるのが、意外にもニコチンの量が少なく、パッケージもピンクという、女性が惹かれそうなピーチフレーバーの物だった。

つい先程灰皿に捨てたのも、ピアニッシモ・ペシェだ。

「……“World(ワールド) cross(クロス)”」

どこか茫然とした面持ちをしている宇佐美の薄い唇から、言葉が零れる。

「え?」

「……いや。そろそろ時間だし、行くぞ」

伶子の横を通り過ぎ、宇佐美は宿直室を後にした。

慌ててその背を追いながら、思考を巡らす。

先程の単語はどこかで覚えがあった。単なる既視感だろうかと首を捻るが……答えはすぐに思い当たった。

(あの喫茶店の名前、確か……)

“World cross”、世界の交わり―――― 

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