其の伍:自覚
教室に入り自席に座った途端、欠伸が漏れた。気だるげに眦に溜まった涙を拭い、机に突っ伏しそうになるのを何とか堪えつつ、強い眠気の原因である昨晩の“あれから”のことを、伶子は鞄の中身を仕舞いながら回想した。
宇佐美と別れ帰路に着けば、義母が玄関で待ち構えていた。ドアを開けた途端、薄笑いを浮かべながら正座している光景が飛び込んできたのだから、怪物と遭遇したほどではないにしろ、心臓には悪かった。
リビングで一時間弱叱責をくらった頃、ようやく父親が帰宅したのでそれ以上の咎めは受けずに済んだものの、話の腰を折るタイミングがなければ二時間、もしくはそれ以上にことは及んでいたかもしれない。
心配性の義母は優しさと同じくらい、厳しさも持ち合わせている。
血の繋がりはないが、愛娘を思いやっての説教であることを、伶子は深く痛感していた。
(とはいえ、今晩からどうやってマンションを抜け出しましょうか……?)
教科書類を机の中に詰め終えて睡魔と戦っていると、目の前に影が射した。見上げれば、クラスメイトでもあり、同じチアリーディング部員でもある女子生徒が立っていた。
「おはようございます」
「伶子、茉穂の彼氏について知ってる?」
挨拶もなく唐突に問われた言葉は、睡眠欲に負けそうな頭では瞬時に噛み砕くことはできなかったが、数秒の間を置いて少女の言葉を頭の中で反芻してみれば、小波が引くように次第に思考がクリアになっていく。
物凄く間抜けな顔になっているだろうと自覚しながら訊き返せば、鼻の頭がぶつかりそうな位置まで顔が寄せられた。
「だから、茉穂の彼氏!あんた親友なんだから相手が何者か知ってるんでしょ?!包み隠さず教えなさいよっ」
(彼氏?茉穂ちゃんの……)
「………って、えええ?!」
親友に関する新事実に、完全に眠気が吹っ飛んだ。
「茉穂ちゃん、彼氏いたんですか?!」
普段大人しい伶子が声を張り上げたことに、少女は上半身を反らして驚いた様子を見せたが、次の瞬間には再び興奮を取り戻していた。
「あんたマジで知らない?昨日駅前のバーガーショップで茉穂がナンパされててさ、無理矢理連れて行かれそうになってたんだけど、目茶苦茶恰好良い男に助けられてんの!それでナンパ男達追い払った後、二人で仲睦まじくお喋りしてたんだよね」
「なるほど?あたしがあいつらに絡まれてたとき、あんたはただ黙って指を咥えてたわけね」
身の毛がよだつような凍てつく声が、二人の脇から囁かれた。その言葉の中に凝縮された意図的な憤慨と侮蔑に、頬を紅潮させてはしゃいでいた少女の顔が即時に青褪める。
自分に対しての発言ではないはずなのに、伶子も雰囲気に呑まれて思わず肩を震わせた。
「お、おはようございます。茉穂ちゃん」
「おはよ、伶子。で、何を吹き込まれてたわけ?」
伶子の後方へと回り席に着いた茉穂は、素知らぬ顔で鞄の中身を整理していく。
「昨日ナンパされて連れて行かれそうになったって聞いたんですけど、大丈夫でしたか?」
「何とかね。思い出すだけでハラワタ煮えくり返るけど」
「いや、そんなことより!茉穂、昨日一緒にいたイケメンは誰よ?!白状しなさい!」
茉穂の机を思いきり叩き、被疑者の容疑を追求する刑事の如く、少女は茉穂に詰め寄る。その目は興味津々というより、もはや血走っていた。
「ノーコメント」
目の前のギラついた形相に顔を引き攣らせることもなく、茉穂は縦巻きにしたセミロングの毛先を手持ち無沙汰に弄っている。その顔にはありありと“否定したいけどそれはそれで面倒なこと言われそう”と書かれていた。
「勿体振らずに教えなさいよ〜」
「茉穂ちゃんの弟さんとか……」
「だったらちゃんと弟って言うでしょ!」
「あ〜、そう言えばよかった」
伶子のフォローに少女が噛み付き、茉穂が舌打ちしたところでチャイムが鳴った。
渋々という様子で二人の元から離れる少女の背に、おどけながら手を振る茉穂だが、その様子はどこか憂鬱そうだ。
それが気になり口を開こうとしたところで、宇佐美が教室に入ってきた。
「今日は特別な連絡事項はねぇが、とりあえず転校生を紹介しとく」
「ピョン吉先生、それかなりの重要連絡事項ッスよ」
「黙れ。この学校にイケメンは俺一人で充分だろ」
「何それ〜」、「自意識過剰!」などと笑う生徒に「俺がイケメンなのは事実だろ」と若干唇を尖らせムッとした顔をつくりながら、自分が潜ってきたスライド式のドアに向かって指示を出した。
「入れ」
扉が開く。その人物が足を踏み入れると、室内はどよめき立った。
宇佐美の美顔で日々目を肥やしているとあって、舞台俳優並では動揺することはないと自負していたクラスメイト達ではあったが、宇佐美が機嫌を損ねるのも頷ける、そんな容姿を転校生はしていた。
涼やかな目元。筋の通った鼻梁。弧を描く赤い唇。長めの前髪から覗く凛々しい眉。……全てのパーツが理想の位置に、その小顔に巧く収まっている。
おまけに一般成人男性の平均を上回る高身長。
(男性版、八頭身美人……)
例外ではなく、伶子も他のクラスメイト同様、転校生の全身に魅入っていた。
そのときカタンと、背後で小さく音が鳴った。
茉穂も転校生の見目に動揺し、愛用しているアルミ仕立てのペンケースに手が接触したのだろうと考えたのだが、「何で……」というか細い声に小首を傾げる。
けれどもその疑問は次の瞬間には解決された。
「あー!茉穂の彼氏!」
「違う!」
人差し指で彼を指し大声を上げたのは、数分前に茉穂に詰め寄っていた伶子の部活仲間。彼女の叫びにハッとしたように二、三人が小さく声を漏らす。彼女達もまた、チアリーディング部員だった。
そして残りのクラスメイト達がギョッとした面持ちで伶子の後部座席、立ち上がって強い否定を示した茉穂を振り返る。
「近江と知り合いなら、校舎案内はあいつに任すか」
「ちょっ……ウサちゃん?!」
目を剥く茉穂を余所に、教壇では微笑を浮かべて転校生が名乗った。
「不死原紫苑です。よろしく」
六限を終えて宇佐美が短くSHRを締め括ると、後ろのドアから真っ先に教室を飛び出したのは茉穂だった。オロオロと心配する伶子の視線が背中に刺さるのを感じたが、一度口を開けば苛立ちを思い切りぶちまけそうだったので、今日は殆ど口を利かなかった。
ただでさえ休み時間の度に色んな生徒から質問責めに遭い、フラストレーションが溜まっているのだ。聞くより話す方が好きな身としては、貝のように黙らなければならなかったのが更に苛立つ。
屋上へと続く扉は南京錠で硬く施錠されている。なのでその手前の踊り場で足を止め、まずは大きく深呼吸した。
「……あたしの後つけてきたのは分かってんのよ、シオン」
くるりと方向を変換し、階下を静かに見下ろす。ブレザーに身を包んだ男子生徒が、四階から屋上に繋がる踊り場に足を掛けているところだった。
腕を組み、冷然と自分を見下ろす茉穂の視線に戸惑いを隠せない様子で、不死原紫苑――――シオンは軽く顎を引き、上目遣いで茉穂を見上げた。
「やっぱり怒ってる?」
「当たり前でしょ。てか、何考えてんの?」
あからさまに溜め息を吐く茉穂にうろたえながらも、シオンはゆっくり茉穂との距離を縮めていく。
「あと十日なんだ」
「分かってる。あんたの立場を思えば、同情しないわけじゃないわよ。でも昼間もこうしてここにいる理由にはならないでしょ。何が目的?」
茉穂のいる位置まで残り八段。
「学生に興味があったんだ」
「皇太子様には随分色褪せて見えるんじゃない?」
残り五段。
「そんなことないよ。血生臭い経験を知らない人達に囲まれてるというだけで、居心地良くて自分の立場を忘れそうになる」
二段。そこでシオンは足を止めた。
茉穂は思わず舌打ちしたい衝動に駆られる。
段差二つ分。ここで相手と目線の高さがほぼ均一になる。いつも見上げている相手の顔が正面にあるというのは、変な気分だった。自分の背丈に不満があるわけじゃないが、わざと同じ目線に立たれるというのは、些か癪に障る。
「……まさか、昼夜関係なく災禍を解き放つつもりじゃないでしょうね?」
声を硬く尖らせて睨み付けてくる少女に、シオンは横に頭を振る。
「しないよ、そんなこと」
「なら別にいいけど。ただ、一つ忠告しとく。あたしとの関係を誰かに訊かれたら、単なる顔見知りで通しなさいよ!」
「君と恋人なのかって散々訊かれて……」
「ちょっと!まさか調子こいてイエスなんて言ってないでしょうね?!」
「……まさか」
否定の台詞に瞼を閉じて徐に胸を撫で下ろした茉穂は、そのときのシオンの表情など全く気付いていなかった。一瞬にして感情を押し殺し、代わりに仄かにはにかむような顔をつくった所為もあるだろうが。
「あのさ、冥界には学校なんてないから制服に袖を通すのって初めてなんだけど……似合うかな?」
何を今更、という眼差しで頭の天辺から爪先まで往復し、最後に彼の顔で視点を留めるのだが……茉穂の表情に戸惑いの色が浮かぶ。
「やっぱり似合わない?」
「や、似合わないこともないと思う……」
叱られた犬がシュンと凹んだような、見えない犬耳がへたれた幻覚を見てしまい、咄嗟に取り繕う言葉を口にしてしまったわけだが……例えるならそう、格好良いのだが、二十代の俳優が無理して高校生の制服を着ているような……そんな違和感があった。
それを口に出してしまうのは、なけなしの良心が咎めるような気がして……茉穂は暫し硬直した。
人気のない、静まり返った校舎。昼間は幾人もの生徒や教師が廊下を歩み、室内で群れ、談笑や執筆でどこからともなく人の気配を醸し出すというのに、日の沈んだ深夜となればそんなものは微塵も残さず消え去ってしまう。
ほんの数時間前と違う顔を見せる見慣れたはずの景色は、伶子の心に冷たい雫を滴らせた。
「今頃になって怖気づいたか?」
僅かに見せたぎこちなさを察したのか、隣を歩く宇佐美が嘲笑う。
二人は横に並び、東と西の二つの校舎を繋ぐ渡り廊下を進んでいた。明かりは消火栓の赤いランプ、それに非常口の緑の電灯だけを頼りにしている。懐中電灯がなくとも、不審者の確認はそれらの微小な明かりで充分だった。
一ヶ月弱、戦闘を繰り返してきた数学教師の経験によれば、下手な小道具は戦闘の邪魔にしかならないのだという。
「……いえ」
「まぁいい。それより、よく連日こんな時間に抜け出してこれたな。お前の親は放任主義か?」
「まさか。一昨日はともかく、昨日は説教されました。なのでどんな言い訳をするべきかずっと考えていたんですが……」
部活が長引くというのは限度がある。友達の家に寄るというのも、いつ嘘が綻びるか分からない。だからといって本当のことなど言えるはずもない。
結局良い案が思いつかないまま帰宅したのだが、蓋を開ければ杞憂で済んでしまった。
「両親とも、暫く夜勤だそうです。少なくとも十日間前後帰りが遅くなるそうで」
「お前の両親、仕事何してるんだ?」
「父は内科医で、母は看護士です」
キュッキュッキュと、上履きがリノリウムの床と摩擦を起こし音を出す。普段スリッパを履いている教員の宇佐美も、今はシューズを履いていた。やはりスリッパでは走るのに不便らしい。
会話が止んでしまったので、今度は自分から話題を振ってみようと唇を開いたときだった。
――――ブォン……!
「来たか!」
羽虫の幻聴が脳を揺らす。瞬時に頭上から降りかかる照明。
「桜原伶子。さっきも言ったが……絶対に俺の傍から離れるなよ」
「はい」
「だったラ嫌でも離れさせてあげル」
天井が翳ると同時に、黒い影が二人に向かって落ちてきた。
咄嗟に伶子は後ろへ、宇佐美は前へ跳んで避ける。瞬時に二人は己の武器を召喚した。
二人の間に立ったのは、白い仮面をつけた黒装束の異形が二体。
禿げた前頭部に突き出た角。目と口の位置に三日月型の空洞を作った、道化の表情に似せた面。左右のバランスがちぐはぐに括れた腰。異様に長い手足。手の指は前に四本、後ろに一本伸びている。足も同様に、爪先だけでなく踵にも指が存在していた。
両方同じ肢体をしていて、背の高さもまるで一緒だ。
「こんな気持ち悪いショッカー、ガキが見たら絶対泣くな」
「でもこのショッカー、ちゃんと喋ってましたよ」
唐突に二体の災禍は地を蹴り、伶子と宇佐美にそれぞれ襲い掛かってきた。
「くそっ!接近戦か」
後ろに跳んで一撃目をかわした宇佐美はくるりと背を向け、一目散に駆け出した。災禍もその後を追う。
「ちょ、先生?!」
もう一体の災禍の攻撃を鉤爪で受け止めながら、目の端で小さくなっていく宇佐美の姿を捉え叫ぶ。
(確かに先生の武器は接近戦には向きませんし、距離を置くのは当然ですけど)
走り去る足音が段々と遠ざかる。廊下の奥にはもう災禍の姿さえなかった。どうやら階段を下ったか上ったかしたらしい。
(離れるなと言われた傍からこんな状況になるなんて……!)
舌打ちしたくなった刹那、腹部に衝撃がはしる。膝蹴りをくらい、体が後方に跳んだ。背中を床に打ちつけ咳き込むが、その隙を逃さず災禍が飛び掛ってくる。
反動をつけて起き上がった伶子はその勢いで腕を突き出して横薙ぎに振るう。
「っ!」
裂く感触で相手に傷を負わせたのは確かだが、手ごたえというにはまだ浅い。
(早く片付けて先生の手助けをしないと)
腕を薙ぎ、足を動かす。敵の攻撃を避けれる限りかわしつつも、いつの間にか身を挺して攻撃を仕掛けていた。
「ハァ……ハァ……」
気付けば、肩を上下して息を整えねばならぬまでに体力を消耗していた。首に引っ掻き傷、脇腹に打撃、爪が食い込むほど強く掴まれた左腕からは血が滴り落ちる。幸いなことに、まだ致命傷というほどの傷はなかった。
一方災禍は、全身至る箇所に鉤爪による切り傷を負っていた。特に右肩から左の脇腹へはしる爪痕が、傷の深さを物語っている。ぼとぼとと流れる出血量からして致命傷と推測できるが、疲弊しているのは明らかに伶子の方だった。
(体が小さい分、体力のなさは仕方がないんでしょうけど、このままだと私の方が先に倒れてしまうかもしれませんね)
けれどもある程度相手の力量は把握したつもりだ。どうすればいいのか算段もついている。
「……アナタ、随分ト戦い慣れしてるネ」
「え?」
災禍の、口元の空洞から漏れていた苦しげな呼吸音がなりを潜める。代わりに喉をくつくつと震わせながら楽しげに囁いてくる。
「どこヲ攻撃されなきゃ支障ないか、体ガ覚えてる感ジ。オマケに考えながら戦ってル。大人しい顔して怖イ怖イ」
瞬間、脳裏に蘇る記憶の断片。
『あたしぜってーあんただきゃ敵に回したくないわ』
ケラケラと愉快そうに笑う少女達の影がちらつく。
生まれる、僅かな隙。
(しまっ……!)
素早い動きを捉えたときには既に遅かった。
肩を殴打され、体が吹っ飛ぶ。
「っ、あぅ!」
背中から壁に追突し、咄嗟に体勢を立て直そうとするものの、首を掴まれ、身動きを封じられてしまう。
(!)
次の瞬間に襲い掛かる痛みを覚悟して、ギュッと目を瞑った。
――――パシュ……
「ぐっ……」
災禍の口から洩れた呻き声に双眸を開き、驚愕する。白銀の矢が災禍の頭を貫通し、伶子の頭上に突き刺さっていた。
仮面の額の部分から赤い血が一筋垂らし、災禍の体が膝から崩れ落ちる。
伶子もその横で壁伝いに座り込んだ。首の圧迫感は消えたものの、巧く呼吸ができずに咳き込んでしまう。
「小細工な真似しやがって。クソが」
のろのろと顔を仰げば、眉間に皺を寄せた宇佐美が弓を放った構えを解くところだった。
――――ブォン……!
戦闘終了の合図が脳裏に伝わると共に、校舎が一斉に消灯した。周囲は再び消火栓と非常口の明かりだけを頼りにした仄かな暗闇に包まれる。
「おかしいと思ったんだよ、あの災禍。今までマンツーマンだったのが、今日に限って二匹だったからな。イレギュラーのお前の存在にあっちも合わしてきたのかと思ったが……気付いたか?あれ、分身してやがった」
「分身?」
「一個体を二分してたってことだ。俺が相手してた災禍を倒した途端、お前が倒そうとしてた方、若干戦力上がってただろ。遠隔操作する必要性がなくなったからな」
(え?全然気付きませんでしたけど……)
もしかしたら自分ほど疲労困憊していなかったのはそういう仕掛けがあったからなのかもしれない、と伶子は考えるが、今はまず、言うべきことがあった。
「あの……助けてくださってありがとうございました」
「俺の助けどころか足引っ張りやがって」そう罵倒されるのがありありと予測できる。
出会いから一年。どんな場面を思い返しても、睥睨され苛立った表情しか向けられてこなかったので、今回もまた叱責をくらうと覚悟していた。
伶子の前に立った宇佐美が手を伸ばす。条件反射で肩を跳ね上がらせた彼女に、微かに目を眇めた様子を見せたが、伶子の頭に乗せたその手は意外にも丁寧に撫で回した。
(……え?)
「よく頑張ったな」
口角を吊り上げ、双眸を細めて模られた笑顔。初めて自分に向けられたその表情に、伶子の心臓は高く跳ね上がった。
「……ん」
頭を撫でていた掌が差し出される。少しの間を置いて、立ち上がれと催促されていることに気付き、お言葉に甘えてその手を借りた。
「あぁああありがとうございます!」
宿直室に戻るかと、踵を返した宇佐美の背に続きながら、伶子は動揺していた。わざわざ胸に上に手を置かずとも、物凄いスピードで鼓動が高鳴っているのを感じた。湯気が立ちそうなほど頬が熱い。
(え?え……?えぇぇ?!)
とにかく、宿直室に着く数分の間に……いや、いつ宇佐美が振り返るとも分からないこの状況、すぐにでも平常心を取り戻さなければならない。
困惑のあまり泣き出したい気持ちになったのは暫しの間。ふと前を歩く宇佐美の右手が視界に飛び込む。
宇佐美の温度を感じた、自らの右手。それを意識すれば、自然と笑みが零れていた。