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春風戦華  作者: 地球儀
34/35

其の参拾肆:終戦

時間は、シオンが現れる数分前まで遡る――――



少女の小柄な肉体を警棒で殴り、振り上げた脚を勢いのままに叩き込み、掴んだ腕を壁に向かって投げつける。

か細い、吐息混じりの呻き声。傷付いた箇所から飛び散る鮮血と臭い。暴力を通じて伝わってくる肢体の柔らかさと骨や筋肉の軋み。耳に、目に、鼻に、触覚に、伶子が味わう苦しみと痛みを感じる度、レオンの金茶の瞳は獲物を甚振ることに快楽を覚えた獣の如く、ますます残虐な色を深めていく。

狂喜に酔いしれて、口角に付着した血を美味そうに音を立てながら舌舐めずりしてみれば、少女の顔がより一層苦く歪んだ。それでも強い嫌悪と怒気を篭めた鋭い眼差しを緩めようとはしない。分が悪いのは火を見るより明らかというのに、白旗を上げる気は更々ないらしい。

「いい加減大人しくすりゃ可愛がってやるってのに」

やれやれと言いたげに呟いてはみるものの、胸の内では嗜虐心に揺すぶられて仕方がない。

再会したときからレオンに対し怯えを見せていた少女には案の定、これほどの反抗心が残されていた。もう一度絶望を味わえばこの華はどのような散り方をするのか。想像するだけで身悶えそうだ。逃げ場のないところまで追い詰めて、抵抗できなくなるまで甚振り、体を蹂躙しながら自尊心ごと喰らい尽くしてみたい。

その欲求の果てには、どのような甘美が待ち受けているのだろうか。

「ってぇ……」

余裕綽々と構えていた所為で反応が遅れた。鉤爪の湾曲した先がレオンの右腕を抉るようにして傷付けている。肘関節のすぐ下。先程も狙われた箇所だ。警棒の勢いを少しでも殺したいが為に狙いを定めてきているのかもしれない。

しかし握れなくなるほど痛むわけでもなく、庇う必要性はなしと判断し、さほど気にしなかった。

「はっ……はっ……」

肩で息をする伶子の体が限界に近いのは目に見えて分かる。心なしか息を吸い込むことさえも辛そうだ。

「随分息上がってんな。ギブアップすりゃ楽になれんのに」

せせら笑うレオンを睨み据えたまま、伶子は首を横に背けて赤色の混じった唾を吐き棄てた。

「てめえに全てを委ねるくらいならなぁ、死んだ方がマシだっての!」

突き出される右腕をあしらうように振り払う。しかし体勢を崩すと予測していた少女は膝を落とし身を屈ますと、即座に左側の鉤爪で攻めてきた。

またもや切られたのは右腕。しかし浅い。内から外へと薙いだ為に、隙のできた相手の脇腹を蹴り上げれば、軽い体は勢いよく吹っ飛んだ。

得物を握る腕に激痛がはしったのはそのときだ。

「ああぁあぁぁあああ!」

比喩でなく、神経がぷつりと切れる音がした。いや、音は幻聴で、感覚と捉えるのが的確な表現だろう。力を失くした利き腕がだらりと垂れ下がって、警棒を握っていた指先からも力が抜ける。

右腕に次いで、胸から鎖骨にかけても痛みが迸る。衝撃に悲鳴を上げながら顎を引けば、伶子が鉤爪を薙ぎ払っていた。



眉尻を吊り上げ激昂を露わにした男は、歯を軋ませて落とした得物を利き手とは逆の手で掴むと、縦横無尽に振るってきた。さすがに余裕がなくなったのだろう。一撃一撃が重いものの、動きは乱雑になっている。

成人男性の平均身長と比較して高身長であるレオンの視野は、当然高い位置にある。その為か懐が死角となりやすいようだ。小柄な体躯の伶子はそれを利用してフットワークを活かす。

「“キー”!お前何しやがった?!」

後ろ足で跳んで伶子から距離をとった男は、犬歯を剥き出しながら鋭く問う。憎悪と憤りのみを渦巻かせた視線。侮りを一切含まないそれを向けられるのは初めてといっても過言ではなかった。

そのことに、ほんの僅かながら溜飲を下げて冷淡に告げる。

「神経や筋肉に傷を付けたら、少なからず力や動きに鈍りが生じるのは当然だっての。正直、攻撃の手が弱まったり鈍ってくれりゃ避けるのマシになるって浅慮だったんだけど……あんたの腕が使いものにならなくなったのはかなりラッキーだよ」

肩を竦めながら今度は伶子がせせら笑う。視界の隅に、双眸を丸く見開いた同級生でもある冥界の皇太子の姿を捉えたが、だからといって普段の畏まった姿勢を取り繕おうとは思えなかった。

レオンが宣告した通り、メッキの下は狡猾で不遜な、中学時代の一面が潜んでいたらしい。

「この調子だとどっちが――――」

どっちが先にくたばるか分かんないよな。

……そう言葉が続くはずだった。

「桜原さんっ!」

叫ぶシオンの声がやけに遠い。

冥界に連れてこられた直後のような眩暈に襲われ、膝から力が抜ける。掌で上半身を支えようと試みるものの指先が空を掻き、そのまま不様に倒れこんだ。全身の筋肉が完全に弛緩し切っているようで、全く力が入らない。まるで糸を切られたマリオネットだ。

「な……に……?」

急速に込み上げてくる寒気。眼鏡を掛けていない視界が更に明瞭を得なくなる。声を出そうにも痺れは舌にまで及び、呂律が巧く回らない。集中力が欠けた所為で鉤爪付きのグローブが消える。

「教えてやろうか?お前が今どんな状態なのか」

口の端から唾液が零れる。それを拭おうと手を持ち上げることさえままならない。

(寒い、寒い、寒い……)

体が思い通りに動かない状況だけでもいっぱいいっぱいというのに、何故かレオンの言葉だけはすんなりと耳に入ってくる。これぞまさしく悪魔の囁きだ。

「冥界を一言で済ませば紛れも無く“死者の世界”だけどな、掘り下げて言うなら、憤怒、悲哀、悔恨、憎悪、その他諸々の、言わば消化不良の邪気に満ちたトコなんだよ、ここは。そんな場所に何の免疫も処置もされてない生者が放り込まれたらどうなるか……楽しい想像ができるだろ?」

爪先で肩を蹴り起こされ仰向けにされる。朧げな視界に爛々とシャンデリアの光が降り注いでいるようだが、輪郭が判別つかない。眩い。それしか分からない。

「桜原さん!」

切羽詰まった様子の級友からの呼びかけ。だが、やはり遠い。ぼやける視点を声の方へ向けてみるものの、案の定薄っすらとしかそれらしい影が見えない。

(この距離で何も見えないなんて、マジか……)

不安より先に沸き上がってきたのは何故か失笑だったが、その表情さえ模るのが困難だ。

「っ?!レオン、一体何を……?!」

焦燥感を含んだシオンの声。定かではないが、茫洋とした影がもがくようにして左右にぶれた気がした。如何なる方法かは知り得ないが、どうやら弟に動きを封じ込まれたらしい。激しく咳き込む音と同時に、金属が床と激しくぶつかったような甲高い音がする。

「何してんのか訊きたいのはこっちだっての。兄貴が好きな女を佐保姫にしたくないって言うから“キー”を殺そうとしてんだぜ?」

「それでも……やっぱり、桜原さんにも……宇佐美先生にも、勿論茉穂にだって、佐保姫になってほしく……ないんだ。佐保姫が……いなくとも、俺達、災禍……殺せるだろ」

途切れ途切れの言葉の中で喘鳴が聞こえてくる。症状は窺い知れないが、肺をやられているのはまず間違いない。

(不死原君……)

逃げて。

戦慄く唇を広げて紡ぎ出したというのに、呻き声にしかなってくれない。

「時間と労力こそあればな。俺や兄貴はどうにか一人でも災禍と渡り合える。兵も十人一組なら何とかなるだろうよ。けど、仮に候補の中で一番弱いとされてるこいつでも、佐保姫になりゃ一薙ぎで最低五匹は殺せるぜ?候補が正式に佐保姫になりゃ、これまでの何十倍って力が発揮されるんだ。俺達の負担は減るだろ」

そういえばと、ふと脳裏にレオンと再会したときの場景を思い出す。骨を折り、肉を抉り、必要以上の血を流させながら、災禍を瀕死の状態に至らしめていた。巨大な図体を前に、レオンは全くの無傷だったのだ。

しかしこの冥界は災禍の巣窟。伶子や宇佐美がこれまで闘ってきたときのように、フィールド上に一体だけが出現するわけではない。どれほどの災禍がいるのかは分からないが、レオンやシオンでも捌ききれない数であることは確か。だからこそ佐保姫という存在が求められたのだろう。

「さてと。どうやらお前が佐保姫になるのも近付いてきてるみたいだし、その前に一発ヤるか」

「や、めろ!レオン!」

叫ぶシオンの声をBGMにシャツの裾を捲られ、腹部を露出させられる。湿った空気が皮膚を撫でているような気もするが、先程から湧き立っている寒気の所為でよく分からない。だが次の瞬間に訪れた濡れた感触には、堪らず悲鳴が漏れた。

「ひ……!」

肌の上を舐る男の舌に、頬、二の腕、腰、内腿、脹脛など全身に鳥肌が立つ。皮膚を吸われる音に耳を嬲られ、生理的な涙が目尻にじわじわ浮かぶ。

(気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!)

抵抗したいのに体がいうことを利かない。そのもどかしさを滑稽とばかりにレオンはくつくつと喉を鳴らし、耳朶に吐息がかかる距離まで顔を寄せてきた。

そして囁かれた残忍な言葉に、伶子は大きく目を瞠った。

「なぁ、“キー”。災禍ってガキ孕めんのかな?」

……腹部の内側が、捻るようにして蠢いた気がした。

動揺で肩が跳ね上がる。胸を掻き毟りたい衝動に駆られ、胃が焼け爛れていくようにじくじくと痛む。

頭蓋骨を割って、喉に爪を立てて、耳を削ぎ、眼窩に指を突き入れ眼球を抉り取り、内臓を穿り出して、全身の骨を木っ端微塵にしてやりたい。

(レオンに?それとも……)

それを望んでいるのは己自身か。

スプラッタ染みた思考に反吐が出そうだ。しかしどうしても許し難かった。

レオンが犯した行為に。望まない妊娠だったとはいえ、宿った命を狩る決断を下した自分自身に。

……罰を求めている。

裁きを。

断罪を。


――――『オギャア!』

……ふと、赤ん坊の泣き声が聞こえた。


幻聴というのは分かっている。しかしその泣き声が、どうして産んでくれなかったのかという怨みよりも、寂寥一色で齎されたものだと感じたのだ。

それが堪らなく悲しくて……悔しくて、目の前にいる男を縊って絶命させたいと強く思った。

「ころ……て、や、る……!」

恨みを抱きながら死に、そして災禍となるのなら……まず葬るのはこの男だ。

最後に、自分を死に至らしめる男の顔を拝もうと双眸を鋭く尖らせた、まさにその瞬間――――

「死に晒せ!このクソペド野郎が!」

衝撃と共に自分に覆い被さっていた男の姿がなくなり、代わりに別の影が出現する。

「無事か?!おい、桜原伶子!」

必死に伶子の名を叫ぶテノール。心底心配している響きが耳朶を打つ。想いを寄せている人の声、それが夢か現実か、もはや伶子には判別できない。

確かなことは宇佐美の出現により、内心に渦巻いていた罪悪感や贖い、悔恨、憎悪といった感情が鳴りを潜めたということ。

「うさ、み……せん……」

(夢でもいいです。最後に、宇佐美先生に逢えた……)

視界に捉えていた黒い影は背景の白に侵食される。輪郭は既にないが、宇佐美を少しでも安心させたいと、辛うじて持ち上がった表情筋で笑みを模る。

「桜原伶子!てめぇ、目ぇ開けろ!聞こえてんだろっ」

閉じた伶子の瞼から、一筋の涙が零れ落ちた。



鼻腔に侵入してきたのは嗅ぎ慣れた紫煙の香り。その中に、微かではあるが桃の芳香を掠め取る。

ピアニッシモワン・ペシェ。中学時代は伶子も勧められて口にしたことはあったが、今それを愛用しているのは“World cross”のマスターだ。

換気扇の下で煙草を吸うようにと従業員に窘められていた、三白眼で高身長、筋肉質という厳つい印象を与えながらも、フィルターを吸う唇と仕草だけでどことなく色気を感じさせる男性。

『宇佐美をよろしくな』

意味深な笑みを残し告げた言葉の意図は、知る由もない。

(あぁ、そうでした。煙草を吸っている場面なら、先生の方が断然多かったのに……)

もう一人、すっきりした味わいのメンソールを好む者。伶子は喫茶店のマスターよりも寧ろ彼との交流の方が深かったはずなのに。

(先生の方を後に思い出したなんて本人が知れば、怒られますかね)

小さく笑みを零せば、握り締められていた掌に加えられる力がますます強まった。

(私と然程変わらない大きさ。これは、茉穂ちゃん?)

宇佐美がいる。茉穂がいる。

目を開けば、すぐそばに大切な人達がいる。しかし絶望が待ち受けている可能性だって捨てきれない。気を失う直前、記憶違いでなければ、伶子は災禍を倒す為の災禍――――佐保姫にされかけていた。

このまま二度寝できないだろうかと、あくどい考えが芽生えたときだった。

「桜原伶子。てめぇ今すぐ起きなかったら数学の課題、倍にすんぞ」

「困ります!」

瞼を開けてついでに上半身も勢いのまま起こす。

壁に貼られたポスターカレンダー。夜明けまでまだ時間がかかりそうなものの、深夜というにはだいぶ白けてきた窓の外の風景。顎を引けば、毛布を掛けられた己の下半身と畳の床。

(ここ……宿直室、ですよね?)

確かめようと、首を回して横を向いたそのとき、伶子はギョッと目を瞠った。

ボロボロと、大粒の涙を零した茉穂が瞬きもせずに見つめていたのだ。

「ま、茉穂ちゃん……?」

恐る恐る、上目遣いで少女の顔を覗き込む。一秒。二秒。三秒……胸の内でこっそり指を折り、五秒が経過したとき、漸く茉穂の表情に変化が訪れた。

「よかった~!伶子ぉ~!」

安堵の悲鳴を上げた親友の顔がくしゃりと歪む。力強く両手で握られていた左手をそのまま引っ張られ、濡れた頬に当てられた。弾力のある頬が指圧で凹むことも厭わず、茉穂は嗚咽を漏らしながら泣き続ける。

「あああ……茉穂ちゃん、泣かないでください。化粧落ちちゃいます。マスカラで黒い涙に……」

「なるわけないでしょ~。ウォータープルーフなんだからぁー」

泣き止む気配が一向になく、どうしたものかと肩を竦めたそのとき、後方から声がかかった。

「うるせぇぞ、近江。七愛海が起きんだろ」

呆れ返っていると言わんばかりの嘆息。

茉穂の手を振り払うわけにもいかず、肩越しに振り返れば、僅かに開いた窓に向かって紫煙を吐き出す担任代理の姿があった。長い指に紙筒を挟み、ちりちりと短くなっていく灯火に目もくれず、代わりに窓の向こうに映る光景を睨みつけている。

不機嫌そうに瞳を眇めた横顔。喚き散らしたいのをどうにか押し留めているような、ピリピリとした空気が伝わってくる。

(本当に数学の課題増やす気ですか……なんて訊いたら、どやされそうです……!)

そもそも夢うつつに耳にしたので、実際に目覚まし代わりとして呼びかけられたものなのか。もし夢の中でのことなら、口に出して問えば待ち構えるのは羞恥だ。それは勘弁したい。

首を戻して室内に視線を巡らせれば、ソファーにはツインテールの幼女が手摺りに凭れ掛かるようにして眠っていた。起き上がったときに背筋が辛くなるかもしれないが、肩まで毛布が掛けられていることもあって、風邪をひく心配はなさそうだ。

(ウツギさんの転移、成功したんですね)

具合を悪くし、更にはレオンに痛みつけられていた女性の姿が脳裏を過ぎる。

彼女だけでない。伶子を亡き者にしようと目論み、実行に移したレオン。茉穂と対峙していた筈が突如姿を見せたシオン。そして佐保姫を渇望していたリオン。……彼らはどうなったのか。

「あの、状況を教えていただけませんか?ゲームは終わってるようですし、何が何だか分からないんですが……」

涙腺が崩壊したかの如く涙を流し続ける親友。不機嫌極まりないといった表情で煙草を吸い続けている副担任。夢の中の住人となった幼女。

「………」

(……どう、しましょう?)

途方に暮れて天井を見上げる。意識を失くした自分と幼女の為だろうか。蛍光灯は消されていた。青白く染められた壁は、昼間は数学準備室のようにヤニで黄色くなっているのかもしれない。

「……桜原伶子。お前、どこまで覚えてる?」

再び肩越しに振り返り、共闘者である男を見つめる。未だ外を睨みつけたままではあったが、相手は年長者。この体勢で話を聞くのはさすがに失礼だろうと、伶子はやんわりと握られていた親友の手を解く。幸い茉穂の涙も収まりかけていた。

「力尽きて、レオンに乱暴されかけました。詳しく覚えてるわけじゃないですが、際どいことされてたかもしれません」

ヒュッ、と間近で息を呑む音が鳴る。顔色を変える茉穂に、弱々しくではあるが無表情でいるより安心できるだろうと笑みをつくり「でも」と続けた。

「気を失う直前に宇佐美先生の声がしました。……先生が助けてくださったんですよね?」

「マジで危機一髪だったけどな」

携帯灰皿に煙草を押し付けた宇佐美が漸く伶子、そして茉穂の方へと体を向けた。

「七愛海を一人にさせるわけにもいかねぇし、あいつを近江に頼んで、俺はリオンと冥界に渡った。お前を連れてすぐに戻ってきたけどな」

(私、助かったんですね……)

宇佐美、茉穂、そして伶子。佐保姫候補とされていた者全員が揃っている。

都合の良い夢を見ているのではないか。そんな猜疑心が先程からひっそり胸を巣食っていたのだ。しかしこれが幻でなく現実であることに、ホッと胸を撫で下ろす。

「俺があのクソ野郎に蹴り食らわせてお前の傍から離した直後、重傷だった不死原がリオンと一緒にあいつを拘束した。奴はまた監獄行きだとよ」

「……死んだわけじゃ、やっぱりないんですよね?」

生きている限り、接触してくる可能性は否めない。例え強固な檻の中に閉じ込めたとしても、また第三者の手によって開けられるとも限らない。

シャツの上から腹部を撫でる。触れてきた指先。濡れた舌の感触。意識が遠ざかりおぼろげではあるものの、再び陵辱されかけたのは紛れもない真実。

「信用できないのは当然だけど、あいつを二度と牢屋から出さないって誓わせたから。もし契約を破ったら……そのときはあたしが、あいつらを纏めて殺してやる」

「……茉穂ちゃん?」

何かおかしい。泣いた後だというのに、見惚れてしまうほど美しい笑顔を見せる少女。まるで憑物が落ちたかのようにその表情は晴れ晴れしい。

この笑みを前にして訝しむなんてどうかしている。

(いえ、不安を抱かないわけないじゃないですか……!)

「それから一体、どうなったんですか?」

自然と硬くなる声色。目の前の少女の肩が一瞬強張り、視界の隅に映る宇佐美からは舌打ちが漏れた。

「私達が三人ともここにいるということは、不死原君達は佐保姫を諦めたということですか?」

時間と労力、そして人力を惜しまなければ冥界の住人だけでも災禍と対抗できる。聞こえ辛くはあったが、そう話していたのを確かに耳にした。誰も佐保姫にはしたくないと切望した、冥界の次期王。彼が弟達を説得してくれたのだろうか。

「……ごめん、伶子」

「茉穂ちゃん?」

先程の笑みを保ったままで、再び茉穂は伶子へと手を伸ばす。

触れられた掌から伝わってくる震え。そして緊張からだろう、指先は異常なまでに冷え切っていた。

「ウサちゃんを冥界に送って伶子を助け出す。その条件として、契約したの」

あたしが佐保姫になることを――――

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