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春風戦華  作者: 地球儀
22/35

其の弐拾弐:過去(三)

自動ドアを潜れば「いらっしゃいませ」とお決まりの挨拶をされた。初めてこの本屋に足を運んだときは竜頭蛇尾さながらに、店員の発した言葉が尻窄まりに衰退していったものだが、今となっては慣れたものらしく、他の客と遜色ない声の張りで投げかけられる。

とはいってもやはり目線がかち合うのは恐怖感を煽られるらしい。伶子が視線を遣ればあからさまに顔を背けられた。同い年の中学生女子の平均と比較すれば明らかに下回る背丈をしているとはいえ、明るい色に染めた髪と改造制服という奇抜さ、醸し出す雰囲気にどうしても気圧されてしまうようだ。

大型書店でもなければ小さいわけでもない、これといった特徴もない本屋。ここは伶子が所属する伊川谷中学校から三駅離れた場所にある。勿論地元にも品揃えの良い書店は幾つか建っているが、不良と交流のある伶子の顔は割れており、足を踏み入れるだけで他の客がさり気なく店を抜け出し、店主や店員達からは早く出て行けと言わんばかりの眼差しをぶつけられる。じっくり書物を検分しようにもあまりに居心地が悪く、生徒が学校に通う時間帯であれば通報されてしまうことさえあった。

そんな経緯もあって、手に入れたい本があるときは地元から離れたこの本屋へと足繁く通っている。訪れた当初こそ、万引きされるのではないかと遠くから目を光らせ見張られていたものだが、漫画や雑誌コーナーに目もくれず、学生向けの参考書や文学、趣味、医学書、といった不良が好みそうなものとは一風変わった書物に目を通し購入していくことから、次第に伶子に向けられる険を含んだ監視は収まっていった。

そして今日もまた、参考書や問題集が並べられた一画の前に佇む。

軽く中身を開いてめぼしいものを手に取り、今度は趣味のコーナーへと移動する。

(あ、これ前から見たかったやつ!)

手に持っていた問題集を平棚の上に置いて“急所と防衛”と書かれた本を手に取る。中を開いて数ページだけ目を通し、裏表紙に印字された価格を確認する。

(千三百円……。問題集二冊と合わせて四千円弱。ぎりぎり本は買えるけど、帰りの運賃も視野に入れなきゃ……)

顎に手を当てて難しい顔をしながらぶつぶつと口の中で呟く不良少女を、店員及び他の客達は畏怖と好奇心が混ざり合った物珍しい眼差しで距離を置きつつ眺めている。真剣に自身の考えに耽る伶子はそんなことなど知る由もない。

(こんなことなら前以て余分にお金貰っとくんだったな……)

父親と顔を合わす機会は極端に少ないが、リビングに吊してあるホワイトボードにどういった品を買う為に金が必要かを記しておけば後日、紙幣の入った茶封筒がマグネットに挟まれ残されている。伶子も本当にその品を買ったという証拠としてレシートを残していた。

自動ドアが左右に開き、新たな客が入った気配を察した店員が口を開ける。

「いらっしゃ、い、ま……」

尻窄まりに消えていく挨拶に訝しんだ客達が青褪める店員の視線を追い、そして一斉にそこから背を向けた。まるで触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに。

そんな慌てふためく周囲に気が付かないのは、己の思考に没頭する少女ただ一人。

来店した女性客二人は店内を見渡し、目的の一点を見つけるとスタスタとその後ろに佇んだ。

「“キー”」

「うわっ?!」

ふいに背後から声をかけられ驚愕に目を剥きながら振り返ってみれば、鉄バットを片手にした“ドンキ”とアニマル柄のTシャツにレザーパンツという装いの“マネー”が立っていた。異様なほど書店とマッチしない出で立ちだ。

「あんた達……すんごい浮くんだけど、その恰好」

「あんたに言われたくない」

ピシャリと容赦なくツッコミを入れられた。

「そんなことより、話したいことがある。すぐ来てくんない?」

真剣な表情を見せる“UNKNOWN”のリーダーに伶子もまた顔を引き締める。

「“ドンキ”、“マネー”。丁度いいところに来てくれた」

「?」

怪訝に首を捻る二人に理由を告げると、案の定話の腰を折られたとばかりに脱力された。

二人だけでなく、不良達の会話に密かに耳を傾けていた店員と数人の客達もまた、虚脱感を露わにしたのだった。



“マネー”に借りた金で廃工場から程近い最寄り駅まで戻った伶子は先頭に立つ“ドンキ”の後に続き、古びたアパートに辿り着いた。艶が消えて白い粉が噴き始めたトタン屋根、錆び付いた階段、皹の入ったモルタル壁……築云十年は経つのではないかというほどにその建物は朽ちかけて見える。

「……ここは?」

「あたしが住んでるアパート」

腐食のあまりいつ崩れ落ちてもおかしくなさそうな階段の下にある一室。鍵を差し込みドアを開けば、蝶番が緩んでいるらしく軋むような音が鳴った。まるで遊園地のホーンテッドマンション辺りで魔女が扉から顔を覗かす演出にでも使われそうな効果音だ。

(寧ろこのおんぼろアパート自体がお化け屋敷っぽい)

「適当に座って」

部屋の主から入室の許可を頂くものの、もう一人の客人と顔を見合わせ改めて床を見下ろす。

「座れと言われても……」

「なぁ……?」

辛うじて足の踏み場は確保できるが、雑誌、ビールの空き缶、食べ終えた菓子袋、おまけに汁を捨て切ってないカップ麺の容器など、ゴミで溢れかえっている。手で退けるのさえ戸惑われたので足でスペースを作り、借りたタオルでそこを拭いて漸く腰を下ろすことができた。

(……とりあえず靴下履いてただけマシか)

素足だったことに心底悔やんでいる様子の“マネー”を眺めながら、伶子は密かに胸を撫で下ろした。

「私達を招き入れる前に部屋の掃除しときなさいよ」

火燵の上にて乱雑に転がっていたマイルドセブンを一本拝借して、溜息混じりに主流煙を大きく吐き出す。隣りに座る“マネー”は至極至福といった表情で一服している。先程のゴキブリの出現がよほど堪えたのだろう。

「女の一人暮らしなんてこんなもんだっての。それより前に“ジャージ”が言ってたことなんだけど……マジっぽい」

「前に言ってたことって……」

「ヤクだよ。大麻や覚醒剤、シンナーに媚薬」

“マネー”がポケットから取り出した携帯電話を操作し画像フォルダーを呼び起こすと、そこには朧げではあるが白い粉の入った袋や注射器らしき物が写っていた。

投げ捨てられたようにして散らばっているそれらにも勿論驚いたが、それ以上に見覚えのある景観には既視感があった。

遠くに写るドラム缶からはみ出した赤いものは、おそらく炎。電気が通っていない廃工場の明かりは、ドラム缶に可燃物を入れてそこに火を注ぐことで得ている。

「まさか“Ash”の奴ら……!」

「あいつら、“UNKNOWN”を吸収するつもりだけじゃないみたい。廃工場ごとあたしらを乗っ取って、薬の実験台にするつもりだよ」

忌ま忌ましげに“ドンキ”は舌を鳴らす。

「“キー”、この間廃工場に来たのっていつ?」

「一昨日……いや、三日前だったかもしれない」

学習ワークを全て終わらせたので中学校にそれを提出しに行った帰り、運悪く仕事帰りだった広江と鉢合わせてそのまま自宅にて軟禁状態にあったのだ。授業の終わる夕暮れ時ならどうにかごまかしが効いただろうが、正午過ぎというのがまずかった。

「あたしも先週から実家のいざこざで出てこれなかったんだ」

「私は四日前から風邪ひいて、漸く昨日完治したから溜まり場に行ったんだ」

そこで“マネー”は噂が事実であったことを目の当たりにしたのだ。

「中に誰かいなかったの?」

「誰も。開けたらドラム缶に火だけ点いてて、無人だった。中に入って確かめようなんて気が失せるくらいシンナー臭かったんだぜ?」

とてもじゃないと、嗅いだ臭いを思い出したのか、思いきり鼻に皺を寄せながら大きく首を横に振ってる。

「……“ブーツ”達、無事よね?」

“Ash”のメンバーの顔立ち、話術に惹かれ傾倒しつつあった仲間が脳裏を過ぎる。薬物はご法度としている“UNKNOWN”ではあるが、意中の男に肩や腰を抱かれながら耳元で囁かれでもしたら?もしそこが仲間の目も付きにくい死角ならば?しかも三日前から昨日まで、自分はおろかリーダーさえ不在していたのだ。好奇心が揺らいでもおかしくない。

「“ドンキ”、“マネー”。……最悪のケースも覚悟しといた方がいいかもしれない」

本当に自分の出したものかと疑いそうなまでに低く、底冷えしそうな冷淡さを含んだ声音が紡がれた。それが表情にも表れていたらしく、傍らの二人が息を飲み込む。

「どのみち奴らが薬やってる証拠を掴んだわけだから、“Ash”は私達を潰すか、薬漬けにして口封じにかかってくると思う。だからどうやって対抗しようかじゃない、どうやって逃げ切るかを考える」

もはや四の五の言っていられる状況ではなくなった。



夕刻を越えて闇が地上を覆った夜、三人は廃工場の前で足を止めた。

観音開きの重い扉の隙間から明かりが漏れ、微かながらも音が聞こえてくる。男か女かの判別がつかないほどごく小さなものではあるが、間違いなく人の声だ。

「……いるな」

使い古した木刀を片手に、“マネー”が硬い声で告げる。無理もない。十人以上の男がたむろっているだろう場所に、女がたった三人で乗り込もうというのだ。捕まれば最後、完膚なきに暴行される、もしくは薬の実験台と称されてレイプだ。

「“キー”、ホントにいいの?」

ちらりと横目で右隣りに立つ“ドンキ”を見上げれば、焦燥と心配を綯い交ぜにした表情で伶子を見下ろしていた。左隣りの“マネー”からも似たような眼差しを送られているのを感じる。

「何を今更。つーか私の方が心配だっての。転んで捕まるような醜態晒すなよ」

薄く笑みを浮かべてみせれば、挑発されたと思ったのか「誰がそんなヘマするか」とぶっきらぼうな反応を返された。

四本の鍵を束ねたリング。それをくるりと左右それぞれの人差し指で回し、軽く宙に放ってキャッチする。握り締めた指の間からは鈍い銀の光を滾らせた得物の先が、鉤爪のように伸びていた。

これで臨戦態勢は整った。

「行くか」

コの字型の取っ手を横に引いて軽くスペースを作った“ドンキ”はそこに足を突っ込み、足裏で思い切りドアを蹴り開けた。

ドォン、とけたたましい音量が響く。決して軽くない扉なのだが、いとも簡単にスライドしたように見えた。それだけ彼女が憤っているという証拠だ。

「“Ash”!てめえら――――」

覚悟しろ。

おそらくそう続くはずだっただろう言葉が勢いを失くし霧散する。

建物の中に入ってまず最初に捉えたのは皮膚感覚。晩春から初夏を迎える間とはいえ、夜になると思い出したかのように冷え込む日だってある。今がまさしくそんな夜だ。しかもここでは幾度と抗争を起こした所為で三割近い窓ガラスが割られ、さすがに破片は危ないので片付けたが、割られた箇所は補正もせずそのまま放置していた。当然風通しの悪いはずがない。だというのに、今までこの場では感じたことのなかった熱気が体表面に纏わりついてきた。

次に臭気。案の定鼻を突くシンナーの臭い。しかしその他にもどういうわけか栗の花のような、塩素系漂白剤に近い香りが混じっていた。……その理由は視覚と聴覚が同時に報せてくれた。

「あっあっあっ……!」

得体の知れない白い粉薬。使用済みの注射器やストロー、吸引器具。それらが色褪せて見えるほどに、視界に飛び込んできた光景には衝撃があった。

(な、に?これ……?!)

これほど狂乱という表現が相応しい場面を目にするのは初めてだった。眼球が乾き、網膜血管がズキズキと軋むような痛みを発する。思わず目を背きたくなるが、金縛りに遭ったかのように逸らすことが適わない。

「ふ、ふぅ、ひぁあああははははははは!」

「あぁぁんっ!やぁ!イイ!いいっ!いい!イイイぃぃぃィ!」

今の彼女達に以前の面影はない。ある者は瞳孔を開いた状態で涎を垂らしながら痙攣し、別の者は手足をバタつかせて哄笑を上げていた。

何よりも衝撃的だったのが半裸、もしくは衣類を全て剥ぎ取られ生まれたままの姿で絡み合う男女。男の下肢に跨って淫靡に腰を振っている彼女から迸られるのは、紛れもなく嬌声。その善がり声は明らかに正気を脱している。

紛れもなく今の状況は、伶子が予測していた“最悪のケース”そのものだった。

「ああ、よぉやく来た来た」

「“ドンキ”ちゃ~ん。俺と一緒に気持ち良くなろぉぜ……」

覚束無い足取りは酒に酔っ払ったような千鳥足と勘違いしそうだが、浅い呼吸を繰り返し、気味の悪い薄ら笑いを浮かべながら瞳孔が縮こまった眼で三人を見つめる、そのような状態がアルコールの所為であるわけがない。

得体の知らない恐怖に呑まれたのか“マネー”の顔色が一気に青褪める。“ドンキ”からは口の中に溜まったらしい唾液を飲み干す音が聞こえた。

いざとなって畏怖する二人を伶子が叱咤する。

「ここまで来て怖気づくな!」

二人の間から飛び出して、真っ先にこちらに近付いてきていた男の懐に一気に距離を縮ませ、指に挟んだ鍵で強く脇腹を突く。男が痛みを覚えて手でそこを押さえられる前に更に回し蹴りを食らわせれば、体重の軽い伶子でも簡単に転倒させることができた。

「このガキ!」

憤った別の男が伶子に掴みかかろうとするが、その手を木刀が叩き落した。

「てめえの相手はあたしがしてやるよ」

「ラリったジャンキー共なんか私らで充分だ」

鉄パイプを持った“ドンキ”と木刀を構えた“マネー”が十人以上はいるだろう男達と対峙する。

それからはいつもどおりの紛争だった。拳が、鉄パイプが、蹴りが、木刀が、ビール瓶が、ナイフが、打撲を、切り傷を、痣を、鮮血をつくり、増やしてゆく。

「うぉっ!何これ?!」

遅れてやってきた“ジャージ”が驚愕の声を上げて目を剥く。右腕のリハビリか、家族から外出を堅く禁じられていたのか、どのみち彼女もここ暫く廃工場には足を踏み入れていなかったようだ。

「“ジャージ”!手伝え!」

血塗れた鉄パイプを利き手の不自由な仲間に預けると“ドンキ”は懐から布袋の中にコインを詰めたブラックジャックを取り出し、それを用いて敵を殴打する。

「薬で動きが鈍ってるとはいえ、やっぱきっついわ。この人数」

「しかも全員、気絶させたり足になるべく怪我をさせるな、なんて……」

「ってかさ、もうそろそろよくね?」

促す“マネー”に“ドンキ”は素早く首を巡らせて視線をはしらせる。視点がとある一点に留まることはなかった。

「……だね」

「“ジャージ”、逃げるぞ!」

「はぁ?!」

一体何がどうなっているのかと疑問符を飛ばす仲間の手を引き、一目散に三人は出入口へと駆け出していた。

「逃げる気か?!」

「待ちやがれ!」

「捕まえられるもんならやってみな」

“マネー”の嘲笑に一層怒りを煽られたのか、女と交じり合っていた男一人を除いて“Ash”は廃工場を後にする“UNKNOWN”を追った。

………耳を研ぎ澄ませば、残されたのは若い女の喘ぎ声とエクスタシーを高めようと肌と肌がぶつかり合う音、それにドラム缶の中で炎が爆ぜる音だけだった。

この建物が労働者の職場として稼動していたときの置き忘れだろう、薄っぺらい板や鉄板が立て掛けられた一角。その物影から足音を殺して現れたのは、癖のない真っ直ぐな髪を金に染め、本来の制服から校章の刺繍を解き、スカートを足首の長さまで調整した“UNKNOWN”の参謀役を担う少女だった。

悶え、甲高い声を張り上げている方角を見遣れば、先程までの喧騒など知る由もないといった二人組が絡み合っていた。少し離れたところでは、明瞭を得ない哄笑を上げていた“ペイント”が交わる男女を虚ろな眼差しで眺め、痙攣していた“マロ”は瞼を閉ざし意識を失っていた。

眉根を顰めて痛ましげに表情を歪ませながら性行為をしている二人に近付き、背後から男の首筋を掴んで頸動脈を圧迫した。呼吸困難に陥ってか細く呻き声を漏らしながら伶子の手を引き剥がそうと、爪を立ててもがく。それでも伶子は指先に込めた力を緩めはしなかった。

手を離したのはそれから数秒後。ガクリと男の体から力が抜けて白目を剥いているのを確認してからだった。

「ねぇ!もっと、もっとだってば!ねぇ!」

ガクガクと腰を前後に揺らす少女を見下ろす。目の縁から零す涙はマスカラを含んで黒く濁り、だらしなく垂らした鼻水と涎で、厚く塗り手繰っていたファンデーションや口紅が台なしとなってしまっている。

「“ブーツ”……」

目頭に熱が滾る。自分を“UNKNOWN”に引き入れてくれた恩人が憐れもない姿にされたことに、憤りと悲しみが胸中を渦巻く。

トン、と何かを叩く音に目を瞬かせて見遣れば、意識を失っていたはずの“マロ”が“ブーツ”の首に手刀を落として昏倒させ、大の字に寝転ぶ男を強く睨みつけていた。

「クソが!地獄に堕ちやがれ……!」

息継ぎも絶え絶えに、立っているのもやっとという状態だ。慌てて彼女を支えてやれば、まるで死人と疑い兼ねない体温。若干痙攣も残っている。

「“ペイント”、外で暫く待ってて。“ドンキ”達がすぐ迎えに来る」

「“ブーツ”達は……?」

「大丈夫」

小柄な伶子が自分より大きい者を背負うのは困難ではあったが、“マロ”を含め中にいた四人を一人ずつ外へ運び出した。

服を纏っていない“ブーツ”に自分が羽織っていたジャンパーを被せ、気絶している“Ash”には念の為にと用意していたガムテープで拘束する。すると猛スピードでタイヤがコンクリート上を駆ける音が近付いてきていた。

「“キー”!」

現れたワゴン車の中から“マネー”と“ジャージ”が飛び出してくる。

「……後は頼む」

“マネー”が中身の入った赤いポリタンクを伶子に差し出す。受け取ればズシリと重りを感じたが、持ち歩けないことはない。

「ちょ……!一体何する気?!」

動揺する“マロ”の声を背に、伶子は再び廃工場の中へ戻った。

人は残っていない。残されたのは轟々と雄叫びを上げる、ドラム缶の中でしか自由に動けない炎と、外道が残した拾え切れそうにないほど散らばった迷惑な置き土産だけ。

比較的汚れの少ない場に立ち、そこにポリタンクを置く。蓋から仄かに漂ってくるガソリンの入った容器。それを開けようとしたまさにそのときだった。

「全部燃やして証拠隠滅ってか」

人を小馬鹿にした含み笑い。反射で振り返ればそこに“Ash”の中でも特に苦手と意識していた男が扉に肘を凭れさせて佇んでいた。

「レオン……どうして」

絶句する伶子にブロンドの青年は片方の口角だけを上げて、野性味を感じさせるその面立ちに笑みを模る。

「さぁ、ここからが本当のショータイムの幕開けだせ。“キー”」

高揚感を滾らせて、獲物を狙う肉食獣の眼差しを一人の少女に定めた男は音を立てて舌舐めずりをした。

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