フラグは回収するもの
夢を、見た。
子供の頃の夢だった。
私は迷子になって泣いていて、周りの大人はこちらを見はするけれどすぐに目を背けて誰も手を差し伸べてはくれず足早に去っていく。
人見知りの激しかった私は誰かに助けを求める事もできず、世界はどんどん夕闇に飲まれて暗くなってゆき、不安で、怖くて、ついに私は歩けなくなってその場にしゃがみこむ。
「リリシア」
ちいさな私しかいない、真っ暗な世界に、声が響いた。
目を開けると、心配そうに私を覗き込む金色の瞳と目が合う。
「じーく、はると、さま」
「大丈夫か?眠りながら泣いていたから起こしてしまったが……」
そう言われてはじめて、自分が涙を流していた事を知った。ぱちりと瞬きをした瞬間頬をつるりと滑り落ちる水滴の出所を探ってみれば、確かに目元から零れ落ちてきている。
「あれ、本当だ」
「その様子だと、具合が悪いとかではなさそうだな。嫌な夢でも見たか?せっかくフラメルーシュにいるのだから夢解きでもさせようか?」
「子供の頃の、迷子になった夢を見たような気がします……けど、ジークハルトさまが呼んでくださったので大丈夫になりました」
壊れ物にでも触るようにそっと髪を梳く手を捕まえて握ると、魔王さまは嬉しそうに目を細めた。魔王さまはそのまま起こしていた上体を再びベッドの上に沈める。
「朝からそんな可愛い事を言ってはいけないよ。私だって狼なのだから取って食らってしまうぞ」
「ジークハルトさまは誇り高きリントヴァルドなのでそんな事しないって信じてます」
二人でシーツの海の中声を潜めながらそんなやり取りをしていると、悪夢のせいで強張っていた体は驚くほど簡単に解けていって、お腹の底から暖かくなるような気持ちになった。
私には、絶対に私を見つけてくれる人がいる。
そう信じられる事の、なんと幸せなことか。
フラメルーシュ滞在も、残りはもう今日だけとなった。
今日だけ、と言ってもこれから馬車に荷物を積んで、積み終え次第出発なので、昼前にはもう発つ予定だ。
大婆さまの所への訪問も、神伺いも無事済んだし、温泉も堪能させてもらったのでもう思い残すことはない。お義姉さまとの食事会も和やかに終える事ができたし。(食事会中何度もお義姉さまに魔王さまがからかわれて頭を抱えていたのが和やかの範疇に入れば、だが)
だから、慌ただしくあれこれを大きなトランクに詰めるセリ達を部屋の端で眺めていても、あれこれ忙しそうにしている魔王さまにくっついていてもよかったのだが、私はどちらも選ばなかった。
私は、セリと魔王さまの心配そうな目を見ないふりして、ひとり大婆さまの家へと向かったのだ。
初日に訪問した時はなんだか頭が真っ白になってしまってというか、大婆さまに圧倒されてしまって必要最低限の話しかできなかったので、次にいつここまで来れるかわからないしもう少し色々教えてもらえればなと思ったのだ。
魔王さまもセリも護衛くらいつけるべきだと言っていたが、必要最低限の人数で来ていたためにこの忙しい出発前に私のわがままに付き合わせてしまうのは申し訳ないので丁重にお断りした。それに私だって武術と魔法の稽古を積んで並みの者なら返り討ちにするくらいできるようになっているのだ。私をどうこうしようと企んだ奴らを何人圧倒的魔力の魔法でねじ伏せて行動不能にしたかはもう考えるのを止めている。
私だってもう攫われたりするのは御免なのだ、自衛はしっかりしないと。
それに私の胸元には大婆さまから頂いたお守りが下げられている、だからほんの小一時間一人で出歩くくらい大丈夫だと言い張って出てきた次第だ。
(物語ならこれはフラグだなぁ……)
そうなったらどうしよう、と考えながらフラメルーシュの街を歩くが、あっけない程何もなく大婆さまの家に辿り着いてしまってちょっと拍子抜けてしまった。
いや、何か起こってほしいわけではないんだけど。ないんだけど。
「来るんじゃないかって思っていたのよ……って、あら、一人なの?」
大婆さまは、ちょうど家の前の小さな畑に水をやっている最中で、すぐに私の姿に気が付いてくれる。私が一人な事に目を丸くして「不用心だよ」と注意するが、「まあ女にはひとりになりたい時もあるわね」とにっと笑った。
「おはようございます。あの、今日発ちますのでご挨拶と、あと悪運からの身の守り方をもう少し教えてもらえたらなと思いまして……」
「まあこんなところじゃなんだから、入んなさい」
言うと大婆さまはところどころ錆びついたじょうろに残っていた水を撒ききると、私を家の中に招き入れた。
「悪運から身を守るというより、良運をそれ以上に呼び込んでしまえばいいの。あなたのそれは呪いの類ではないから解呪して無かった事にもできないし……いや、呪われてると言えば呪われてるかも知れないね」
呪われてるという言葉に、思わずびくり、と体が震えてしまった。
狙われては返り討ちにしてきた都合上、何というか、思い当たる節が多すぎた。思えばフィロジーアにいた時も相当周りに疎まれていたし色々と蓄積されているのかもしれない。
頭がぐるぐるしてきた私を見て、大婆さまは「それだよ」と指摘してきた。
「そうやって自分を追い詰めてしまうところ、それが呪いだねぇ。ただえさえ引き寄せやすいのにそうやって沈んでいくから更に付け込まれる。よし、とっておきのおまじないも教えてあげようね」
大婆さまは徐に立ち上がると、私も立ち上がるように促した。
おまじない、と言っていたけれど何をさせられるのかわからず思わず緊張で目が泳いでしまう。
「じゃあ、これから私が言う言葉を真似するんだよ。」
「は、はい……」
大婆さまが、大きく息を吸った。
「私は強い!」
「わ、……え?」
「ほら早く!」
「わ、わたしはつよい!」
突然何を言わせるのだろうか。
大婆さまの意図が読めないがその剣幕に飲まれて混乱したまま復唱する。
「私は可愛い!」
「わたしはかわいい!?」
「私は尊い!」
「わたしはとうとい!??」
「私を遮るものは何もない!」
「わたしをさえぎるものは、なにもない!」
二人向かい合って立って大声でよくわからない事を言い合っていたので、大婆さまの親族だと言う孫兼助手兼弟子の双子が紫色の髪を跳ねさせながら何事かとキッチンから顔を覗かせていた。
相当に恥ずかしかったけれど、大声を出したせいか妙にお腹がすっきりしたような晴れ晴れしい気持ちだ。
不思議な爽快感に首を傾げていると、大婆さまは満足そうに息を吐いた。
「……よし。めげそうになったらこれを唱えなさい。単純そうに聞こえるだろうけど、単純なものこそ強いのよ」
「はい……」
「帰ってから困ったことがあったら手紙を飛ばしてくれてもいいし、……いや、魔王城の司書に相談した方が早いかもしれないねぇ。あの子は私の弟子だった頃もあったから、きっとどうにかしてくれるでしょう」
「え。そうだったんですか!?」
「もう随分昔の話だけどねぇ」
ほらあれ、と大婆さまは壁に掛かった写真の一枚を指すと、そのすっかりセピアに色褪せた写真の中には確かに司書さんが微笑んでいた。
納得しかけて止まる。……待って、写真がここまで色褪せるって何年かかるの?写真の中の司書さん、今と全く同じ見た目をしてるんですけど。
驚きのまま大婆さまを見ると、「レディに歳は聞いちゃいけないものよ」と笑われてしまった。
その後少しだけお茶を一緒にさせてもらって、私は大婆さまの家を後にした。
思いのほか大婆さまの所で長居してしまったので、今頃セリと魔王さまが心配で首をながーーーく伸ばしているだろうなと道を進む足を速める。
それに、もし準備が早く終わっていて私待ちみたいになっていたら申し訳なくて死んでしまう。
滞在していた宿まであと少しというところで、轟音が耳に響き、ぐらりと地面が揺れた。
「え、……わっ!?」
地が揺れたのは一瞬だったので私はなんとかこらえる事ができたのだが、私の側を歩いていた人はこらえきれなかったようで倒れかけて私にぶつかった。
その人が割と大柄な男性だったのと、私が女性の中でも小柄だったせいで、こらえた筈の私は吹っ飛ぶ羽目になる。「え」と思った時には体は言う事を聞かず、道沿いに並ぶお店の壁沿いを歩いていたのも重なって、私は勢いよく硬い壁に頭を打ち付ける事となってしまった。
目を開けると、さっきまでの人通りが嘘のように消え去ったがらんとした通りが目の前に広がっていた。
冷たい石畳の上に転がっていた私は、どうやら頭を打った拍子に気絶してしまったらしい。そして、混乱のさなか道の端に転がった小柄な人間など、誰も見向きもしなかったのだろう。
「取り残され、た?」
そんな当たってほしくない予想が、轟音にかき消された。
音の発生源を辿るように後ろを振り向くと、背後に高く聳えるフラメル山から灰色の煙が立ち上っているのが見えた。
「もしや……噴火?」
あんな大きな山が、噴火。もしそうだとしたらやばい。やばいなんてもんじゃない。
まだずきずきと痛む頭を抱えながら私は立ち上がると、この通りの人っ気の無さ的に誰かいる望みは薄そうだが、万が一を考えてとりあえず宿に向かうことにしたのであった。