62.神伺い
バルトロジカ王国では、王が婚姻を結ぼうとする際、北に聳える霊山フラメルに住まう神に、この婚姻が国にとって好いものかどうかお伺いを立てる風習がある。バルトロジカ王国は世襲制ではないが、魔族は多少の差こそあれ皆一様に長命なため、魔王一代で治める時代が必然的に長くなる。そのため、魔王がどのような者と婚姻を結ぶかは非常に重要視されており、その判断を神に任せようという事からはじまった神事である。
輿が動くたびに、体のあちこちに飾られた装飾品がしゃらしゃらと涼し気な音を立てる。
私は、神伺いに赴くためひとり小さな輿に乗せられてフラメル山を登っていた。馬車ならともかく、魔族とはいえ人力で運ぶ輿にどうにも罪悪感のようなものを感じてしまうし、切り立った山道を登っているのでどうしても安定せず、乗り物酔いのような気持ち悪さを薄っすらと感じてきているしで、とても良いとはいえない気分だ。
(これなら、自力で山を登らされた方がよかったかも……)
輿の内部にも一応小さな窓が据えられているが、薄いカーテン越しの四角から得られる情報はほとんどなく、気を紛らわせる事もできずにただ気分の悪さと神伺いに対する緊張をひとりで胸に燻ぶらせる事しかできない。
(もし、神伺いで悪い結果が出たらどうしよう……いや、今ここで来てない悪い未来を想像してどうするの!しっかりしてリリシア!)
ぱちん、と自分の頬を叩いて自分に喝を入れるが、積もり積もったネガテイブ思考はそう簡単に顔を引っ込めてはくれず、その後何度もどうしようどうしようと思い悩んでしまうのであった。
現実逃避に着せられた装束に施された刺繍の糸目を数え始めた頃、輿は動きを止める。
慎重に地に降ろされた輿の扉が外から開かれ、季節のわりにずっと冷たい風が狭い空間に流れ込んでくる。
促されるまま輿を降りると、そこは岩肌を削って作られたような半円形の空間だった。
私の乗ってきた輿の隣に魔王さまが乗ってきた輿が同じように停められていて、先導していた分早く外に出ていた魔王さまが私を見てほんのわずかに目を細めた。
「お疲れ様でございました。本日は私がご案内役を仰せつかりました、よろしくお願い申し上げます」
私が輿から出るのを待ち構えていたように、正面に立っていた朱色に白を重ねたまるで巫女装束のような恰好をした女性が折り目正しくお辞儀をした。
「フラメル様もお待ちでございます。お疲れとは存じますが、どうぞこちらへ」
彼女はするりと踵を返すと、半円の曲線部分の中央にぽかりと開いた暗い洞窟の口へとためらいなく足を進める。
一歩先を行く魔王さまを追い私も洞窟の中へと足を踏み入れると、外から見たよりも松明の焚かれた通路は明るいが、何とも言えぬ緊張感のような落ち着かなさを感じた。
通路を抜けると、洞窟の中とは思えない熱気を感じる。正面奥に据えられた台の上で燃える炎のせいだとすぐにわかった。
彼女についてその台の前まで行くと、熱気を間近で浴びてその熱さに思わず顔を背けてしまいそうになる。
「ご存知とは思いますが、こちらの御神火に御神木から頂いて参りました枝をお二人にくべて頂きます。さすれば、フラメル様がこの度の婚姻が齎す吉凶をその燃える色でお教え下さいましょう」
そう言うと、案内役と言った女性が深くお辞儀をして後ろに下がる。
代わりに彼女の後ろに控えていた二人の女性がその手に持った青い葉のついた木の枝を恭しく私達に捧げるように差し出した。
まず、魔王さまがその枝を受け取ると燃え盛る炎の中へと投げ込む。
それに続いて私も枝を受け取ると、魔王さまよりはるかに不格好に炎に向かって投げ入れる。まるで玉串奉奠のようだなあと炎の中でぱちぱちと燃える枝を見つめていると、すぐ横に控えていた案内役の女性よりも装飾の多い装束を纏う女性が一歩前へ出て口を開いた。
「畏れながら、私がフラメル様のお言葉を代弁させて頂きたく存じます。……此度の婚姻は吉、しかし、国に大きな転機が訪れる事となる、と」
もし凶と出たらどうしようと内心びくびくしていたので、彼女の紡ぐ言葉に心底ほっとした。ここで凶!結婚止めましょう!なんて言われて婚約解消になんてなったら一生、いや来世まで引き摺る所だった。
「大きな転機、とは」
ほっと胸を撫で下ろす私の隣で、魔王さまが神妙そうに聞く。
「国の在り方を変えるような大きな出来事が訪れるだろうとフラメル様は視ていらっしゃいますが、具体的なことまでは……。」
「国の在り方、か……。まあよい、この婚姻は吉と出ているのだから、その転機とやらも決して凶事ではないのだろう」
魔王さまの言葉に女性が礼をすると、仕切り直すように先程下がった案内役の女性が再び現れる。
「それでは、祈りの間へご案内いたします」
そう、神伺いはこれで終わりではないのだ。この後別の部屋で今後の安寧を願い、三日ここで生活して神様の力を分けてもらって、三日目の朝にもう一度炎に枝をくべて終わりという中々にハードな行事なのである。
この一種の神殿のような洞窟の中は神伺いをする当事者と神に仕える神職の方以外は立ち入り禁止のため、慣れ親しんだ侍女たちを連れて来れないのが人に慣れるのに時間がかかる私には一番しんどかった。
まあ、神職の方たちは基本的に必要な事以外喋らないので、下手な雑談をして場の空気を微妙な感じにしなくて済んだのはよかったけれど。
「無事に神伺いの儀を終えられましたこと、大変喜ばしく存じます。お二人の行く先にフラメル様のご加護がありますようお祈り申し上げます」
三日目の昼前、恭しく頭を下げる神職の方たちに見送られて私達はフラメル山を降りた。
滞在先の宿に着いて、神伺いの様子が気になるようで目をきらきら輝かせるセリの淹れるお茶を飲んだところで、私はやっとまともに息を吐く事ができた。
「ああー、緊張した……」
「お疲れ様でしたリリシア様。で、フラメル神の廟ってどんなんでした?結果は?結果はどうだったんですか?」
ほんのりおざなりないたわりの言葉に好奇心がくっついてきていて、思わず笑ってしまう。
「正直緊張であんまり覚えてないけど、この結婚は吉だそうよ」
「帰ってこられた時のお二人がお通夜のような顔じゃなかった時点でわかってましたけどよかったー!!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶさまは侍女としては問題だろうが、基本無表情無言の人々の中で三日過ごした私には微笑まさしか感じられない。まあ、いつもそうなのだけれど。
「ただ、大きな転機が訪れるとかなんとか……?」
「転機ですか?」
「ああ、国の在り方を揺るがすようなものだと」
首を傾げたセリに魔王さまが付け足す。
「まあ、そもそも幸福の君とはいえ人間が魔王と結婚するなんてなかったことですからねー。そりゃあ転機の一つも訪れますよ!」
「その事実だけで転機とも言えるしな」
ご機嫌そうなセリと涼し気な魔王さまだったが、正直私は内心ひやりとするものを感じていた。
私のこれまでの悪運の引きだ、またなにか事件が起きるのではないかと思ってしまうのも仕方ないと思う。
でも、大婆さまにお守りももらっているし、魔王さまが言ったように結婚自体が吉だったのだからどうにもならないような悪い事は起きない。……と信じたい。
大丈夫大丈夫。
胸の底に燻ぶる不安の火を消すように、私はお茶を飲み干すのだった。