61.大婆さま
大婆さまは、長命な魔族から見てもとっても長生きな方で、もう何年この世界にあるのかわからないらしい。噂によると初代幸福の君が表舞台に立っていた時代から生きているとか。そして、とても呪術に長けていて彼女にかけられない呪いも解呪できない呪いもないんだそうだ。
呪術師界のカリスマ、むしろ神様のように崇められている存在らしい。
そんな彼女なら、私が悪運を引き当てがちな理由がわかるかもしれない。
そんな淡い期待を抱きながら、私は彼女の家の戸を叩いたのであった。
大婆さまの家は、山の麓にある街の中でも最も山に近い所にある拍子抜けするほどこじんまりとしたごく普通の屋敷だった。その建物は少々古ぼけてはいるが、庭にあるちいさな畑に植わる植物はみずみずしく、玄関の扉に嵌められたステンドグラスはきらきらと日を受けて輝いている。
呪術師界の神様の家にしてはおどろおどろしさも神々しさもない家を前に、私は大婆さまはどんな人なんだろうと考えあぐねいていた。
話を聞く限り想像していた姿とこの家はあまりに不釣り合いだ。
魔王さまが扉をノックしてから暫くして、ばたばたという足音が聞こえて、扉が開かれる。
「はいはーい、どちらさま?セールスはお断り……って、わーーっ!魔王だ!?なんで!?」
扉を開けたのは紫色の長い髪を私並みにあちこちへ跳ねさせた丸眼鏡の少女で、彼女は魔王さまの顔を見るなり文字通り飛び上がって驚いていた。
「……失礼、訪問の旨は文書で送らせたはずだが、まあいい。大婆様にお目通り願えるか」
「えっ!嘘!?あー、えっと、はい、大丈夫です、どうぞ!」
魔王さまの言葉に、彼女はわたわたと玄関脇に備え付けられた靴箱の上に無造作に積み上げられた手紙の束をちらりと横目で探る。しかしその捜索はすぐに諦められ、彼女は驚きから若干挙動不審になりつつ奥へと私達を案内するように廊下を先導した。彼女の後を追う魔王さまを追い、失礼にならない程度にきょろきょろと周囲を窺いながら狭い廊下を行く。
内装も、やや乱雑さがあるが廊下はよく掃き清められているし、ほこりの気配もほとんどない。
廊下の突き当りで彼女はこちらを振り返ると、たぶんどこを見ていいのかわからないのだろう、目を泳がせつつぺこぺこと浅いお辞儀を繰り返した。
「えーっと、申し訳ないんですが、ちょっとお待ちいただけます?ほんとすぐですから!」
そう言って奥の間へ続く扉の中へ滑り込んだ彼女は、きっちり閉められた扉越しにもわかるくらいの大声で叫んだ。
「おばーーーちゃん!!魔王様がうちに来たんだけど!なんでどうして!?待ってすっごいかっこよかったどーしよーーー!!!痛っ!!!」
その声に私と魔王さまがきょとんと目を見合わせると、一瞬の静寂の後、キイ、と扉が再び開かれた。
「……姉が失礼を致しました。どうぞこちらへ」
一瞬、さっきの少女かと思う程顔の似た少年が、少女と同じ色の、少女よりずっと短い髪をやはりあちこちに跳ねさせながら恭しく礼をした。
迷いなく進む魔王さまの後を追って扉をくぐると、この家に入った時から感じていた甘い香りがより強くなる。
部屋の隅では、さっきの少女が頭を擦りながら小さくきゃあきゃあと歓声を上げていた。
「突然の訪問失礼いたします。ひとつ彼女にご助言を賜りたく参りました」
魔王さまがそう言って深く頭を下げた先には、ソファに腰かけた一人の老婆がいた。
老婆ではあるが、本当にどこにでもいるお婆さんという感じで、“大婆さま”と敬われるような人にはとても見えなかった。
「こんな婆さんに魔王陛下と幸福の君がいったいなんのご用かしらねぇ」
老婆は、しわがれてはいるが、それでも芯の強さを感じる声で言う。緊張感に思わず背筋を伸ばすと、老婆は私に向かって手招きをした。
どうすべきか悩んで魔王さまを仰ぎ見ると、行きなさいと言うように頷かれ、私はおずおずと足を前へ進める。
老婆の許まで行くと、老婆はその手を伸ばして存外強い力で私の手をぎゅっと握った。
他人からしわしわの手で手を握られる経験などほぼないし、老婆は握ったまま動かなくなってしまったので、私は内心盛大に混乱していた。
どうしようとしばらく視線を彷徨わせていると、唐突に老婆は口を開く。
「……そう、今度の幸福の君はいつもに増して愛される子なのねぇ」
「え?」
「ああ、でもそうね、悪いものにも好かれちゃうし、あなたもそれをみーんな引き受けちゃうのねぇ。あらあら、これじゃあ生き難いでしょうに。」
突然の事に私が何も言えないでいると、老婆はぱっと手を放した。
「幸福の君ってどうしてか運の悪い子が多いんだけど、あなたは特に顕著ねぇ」
「ど、どうして……」
私の問いに、老婆はうーん、とたっぷり悩んで、
「そうねぇ…………ちょろそうに見えるんじゃないかしら?」
と言った。
ちょろそうに、見える。
愕然とする私の後ろで、魔王さまが吹き出した音がした。
私にとっては大変な問題なのに吹き出すなんてひどい。これは笑い事ではないのだ。シャルティさんに言いつけてやる。
「あの、どうしたら、ちょろくなさそうに見えるようになりますか……?」
「こればかりはその人の性質だから……でもこのままじゃあなたも命がいくらあっても足りないものねぇ。ちょっとここで暫く悪縁切りの修行していきなさいな、と言いたいところだけどあなたも忙しい時期で難しいだろうし、アドバイスとお守りをあげましょうね」
老婆はそう言うと側に控えていた少年に短く支持をして、再び私に向き直った。
「婆アドバイス、よく聞いてね」
「は、はい!お願いします!」
「三食よく食べてよく寝てよく太陽に当たる事」
藁をも掴むかのように食い気味で返事をした私に、老婆は目元の皺をいっそう濃くしてにっこり笑いこう言った。
ぽかんとする私に老婆は続ける。
「規則正しい生活をするって思ってるより大事なのよ。それからね、自分の事を大事にしてあげる事。わかった?」
「えっと、……はい」
頷く私の手を満足そうな笑みを浮かべながら優しく撫でる。
「大婆様、お持ちしました」
「ああ。ありがとうね。……はい、これをいつも身に着けておきなさい。気休めにはなるでしょう」
戻ってきた少年が持ってきた小箱を老婆が受け取ると、それをそのまま私に寄越してきた。
促されるまま箱の蓋を開けると、そこには水晶かなにかのような透明な石のシンプルなペンダントが入っていた。
最後に、私の厄除けと神伺いの成功を拝んでもらい、私達は大婆さまの家を後にすることとなった。
見送りに出てきた大婆さまは、別れの挨拶と一緒に、「そうだ、」と何か思い出したように私に付け加える。
「魔王陛下の傍にいるのも効果的よ。彼は無自覚でしょうけどそういうのに強いから、傍にいれば悪いものも近寄りにくいはず」
ぱちりと、大婆さまはその身にはやや似合わないウインクを添えてそう言うと、私の隣でそれを聞いていた魔王さまの目がきらめいた。
「……なるほど、大義名分ができたというわけか」
ごくごく小声だったが確かにそう言った魔王さまに、いくら悪いものが近寄らなくてもこんな顔のいいひととこれからも四六時中一緒なんて無理死んじゃう今だってもう死んでる、と、私は白目を剥きそうになるのだった。