55.幸福の君のはずなのに運が悪すぎやしませんか
「どうもはじめましてこんにちは、初代幸福の君です」
軽く手を挙げてそういう彼を前に、私とセリはただ呆然としていた。
「あれ、どうした?」
「しょ、初代幸福の君ってどういうことですか」
「え?その通りだけど?」
あまりにあっさりとした返答に固まってしまった私を彼は訝しげに見たが、すぐに「ま、いいや」と言って立ち上がる。
「早く逃げなって言ってやりたいとこなんだが、お前ら飛べないだろ?そうなると気付いた誰かが迎えに来ない限りここから出られないんだよなぁ……」
うーん、と腕組みをして深刻そうな顔をしてはいるが、その声色はそれほど深刻そうでもない。私がその飄々としたキャラと現実を掴めずにいると、青褪めたセリが彼に詰め寄る。
「そんな……何かないんですか定期船とか!」
「これがなー、ないんだわ。あっても無理だな、ここに入れられた時点でお前たちは罪人扱いだから」
へらりと笑いながら言われた言葉にセリがふらりとよろめいた。
慌ててその背中を支えると、「セリが……もっとしっかりしていればこんなことには……」と青い顔でぶつぶつ呟いていて心配になる。
「大丈夫よセリ、ジークハルトさまの事だからきっとすぐに気付いて迎えに来てくれるわ」
「そう……ですよね……」
なんとか元気付けようと願望にも似た希望を口にすると、セリも少しだけ落ち着きを取り戻したようだった。
「ん?ジークハルトって誰?」
私の話を聞いていた彼が首を傾げ、私もまたそれに首を傾げる。
いくらなんでも今の魔王さまの名を知らない人なんてこの国にいるのだろうか。
「え、と、現魔王さま、ですけど……?」
「あ、そうなの?代変わったんだ知らなかった。俺基本ずっとここにいるからなあ」
ぽりぽりと頭を掻きながら彼は言うが、ようやく冷静さを取り戻してきた私の頭には疑問ばかりが浮かぶ。その疑問を解消させるべく、おずおずと口を開いた。
「あのう、質問、いいでしょうか?」
「なになに?どーぞ」
「いま、おいくつですか?」
「え?えーーーーと……忘れた!」
「……失礼ですが、人間ですか?」
「人間……っていいたいところだけどどうだろうなあ」
彼はにこにこ私の質問に答えていき、私はその答えを聞くごとに頭が混乱していくのを感じる。
幸福の君は百年に一度フィロジーアで生まれる魔力を持つ白髪の人間である。少なくともバルトロジカではそう伝わっていた。
人間であるなら、寿命はどんなに長くても百年あまり、つまり初代は生きていてはおかしいはずなのだ。それなのに、目の前の彼はその白い短髪をいじくりながら「初代幸福の君」だと言う。
「めんどくさいから説明するな。俺は確かにこの世界にはじめて現れた転生者で、幸福の君って言われてるやつの最初で、人間だった。んで、この世界のカミサマに愛されたから不老不死になりました!カミサマに近いからここにこっそり住んでます!完!」
いささか雑すぎる説明を終えた彼は、不意に何かに気付いたように再びフードをかぶるとへたり込む私達を見下ろした。
「ま、信じられんとは思うが実際そうなんだから仕方ない。っていうかやばいぞ、看守が来る。逃げろ」
彼がそう言うが早いか、セリが耳をぴんと立てて慌てたように立ち上がり私を引き起こした。どうやら何か聞こえたのだろうが、私の平凡な耳には何も聞こえない。
「行きましょうリリシア様!」
「え、あ、うん。あの、あなたは?」
私の手を引いて走り出すセリに着いていきながら振り返ると、不思議な事にそこにはもう誰もいなかった。誰もいないがらんとした薄暗いホールに気を取られて足がもつれ、私はそれ以上何か考える余裕を失った。
けたたましい足音が遠くに聞こえる。
セリがその身に持った能力を駆使してなんとか私を隠してくれてはいるが、きっとそれももう時間の問題だろうなと思われた。この建物の間取りもわからず逃げ続けるだなんて、さすがのセリにも難しいだろう。私ひとりならこうして逃げ惑う事すらできなかっただろうから、それでもセリはよくやってくれている。
「大丈夫ですよリリシア様、セリがお守りしますからね!」
難しい状況にも関わらずセリがそれを微塵も感じさせない笑みを浮かべて私の背を撫でる。
折角色々と皆が忙しい合間を縫って稽古をつけてくれたりしたのに、私は無力で、守られるしかできなくて、情けなくて涙が出そうだった。
私もセリに何か言おうと口を開いた瞬間、セリが私の口を手で覆う。
すると、幾分も経たずに数人分の足跡が聞こえてきた。
「探せ」「近くにいるはずだ」という怒号にも似た声に思わず身を固くすると、セリが焦りを滲ませてはいるがそれでも優しく微笑む。
しばらくそうしていると足音は遠ざかり、口を覆っていたセリの手が離れてまたひとつ危機を脱したと息を吐いた。
同じところに留まってはいられないので隠れていた物陰から出て、再び静かに私の手を引くセリに着いて走るが、ついに運命の女神は私達を見放したらしい。
人影を避けて辿り着いたのは広いバルコニーだったのだ。
「そんな……、戻りましょうリリシア様!」
逃げ惑っている間に随分階を登ってしまったのでバルコニーから飛び降りるなんて到底できそうになく、他に逃げ場もなさそうながらんとしたバルコニーには隠れる所もなさそうだ。セリは唇を噛み元来た道を引き返そうとした。
が、その唯一の出入り口からあっと言う間に複数人の看守や警備員がなだれ込んでくる。
私の悪運の強さもここまでくるのかと目の前が真っ暗になるが、それでもセリは諦めていないようで私を背に庇って吠えた。
「来るな!リリシア様に手出しをするもの全員その首引き裂いてくれる!」
「はっ、幸福の君を騙る大罪人を庇うのも大罪、さっさと投降するのがお前のためだぞ」
セリを嘲笑うかのように看守の一人が言う。
そうか、私は、そんな罪をでっちあげられてここに放りこまれたのか。
「何を言う!リリシア様は正真正銘幸福の君であらせられるぞ!」
「可哀想に、幻術を掛けられているんだな。捕らえろ」
そんな短い言葉を受けて、何人もの警備員が、セリに向かっていく。
セリは応戦するが、いくらなんでも分が悪すぎて、あっと言う間にその腕は拘束され地に倒された。
私は、ただそれを見ているしかできなかった。
「リリシア様!お逃げください!」
セリはそう叫ぶが、果たしてどこに逃げればいいというのだろうか。
看守が静かに私を見て「捕らえろ」と言うと、今度は私に向かって手が伸びてくる。
何もできずにそのまま腕を掴まれて、電流のように嫌悪感が腕を走る。
魔王さまが褒めてくれた髪を、腕を、足を無遠慮に掴まれて、硬い地面に押し付けられてあちこちが痛いし苦しかった。
「大罪人め、お前はこれから一生その罪を背負ってここで生きていくんだ」
折角守ってもらったのに、私はこのまま無実の罪で投獄されて人生を終えるのかと思ったら、悔しくて、悔しくて、悲しくて、申し訳なくて、腹が立って、仕方がなかった。
お腹の底にどろりとしたものが溜まるような感じがして、吐き出したくて、私は気が付いたら叫んでいた。
「私に、触らないで!!!!」
そこで一度私の視界は暗転した。