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45.和解

リリシア・カテリンは人間だ。

魔力を持って生まれたし、おまけに前世の記憶も持ってきていたけれど、人間だ。

いくら他者の持つ幸せに繋がる運命の糸を切ったり繋げたり増やしたり減らしたりできても、その魔力は尽きる事なく体の内から限界なく滾々と湧き出るものだとしても、その身は間違いなく人間であった。

人間であるからほんの些細な傷すら命とりになるし、魔族に比べれば体力もないし、すぐに病気になるし、どんなに頑張っても百年そこそこしか生きられない。



ジークハルト・シュテルフ・リントヴァルドはリントヴルムだ。

その身はまるで人間と変わりなく見えるが、その身に抱く力は到底人間には持ち切れぬものだ。

人間に似た体はあくまで彼の一面にすぎず、二本の足で歩いても、人間と同じように服を纏い喋り笑い泣いても、それは彼の全てではない。

どんなに人間のように見えても、彼はもう一つの体を持っているし、生きる時間も人間とは遠く離れている。



どんなに冀っても、二人は同じ時を歩むことはできないのだ。









私は、どんな苦しみが待とうとも魔王さまを好きになった事はきっと後悔しないし、この生を全て捧げても構わないと思っているけれど、でも、魔王さまはどうなんだろう。

リントヴルムがどれほど生きるものかは知らないけれど、きっと私がいなくなった後も私から見れば途方もない時間が残されるのだろう。それなのに、私なんかに誓いを立てさせていいのだろうか。

リントヴルムは番となるのは生涯ただひとりなのだ。そのひとりに、私なんかががなってもいいのだろうか。


魔王さまは、「置いて逝かれるのが怖くて恋などできるか」と言っていたけれど、私に魔王さまを途方のない生に置き去りにする覚悟はあるのだろうか。


魔王城の中庭のベンチにひとり、ぽかりと雲の浮かぶ空を見上げながら、私はずっと考えていた。

一晩寝て冷静になった頭では、どうしても生来のマイナス思考が付いて回ってしまって、考えれば考えるほど、今からでも魔王さまと結婚なんて魔王さまのためを思えばすべきではないのではないかというところに辿り着いてしまう。


首を垂れ、長い溜息を吐いた時、影が差す。


「ここ、よろしいかしら」


あまり抑揚のない声に顔を上げると、そこには陽を背に立つベルフィーナさんがいた。

今日の午前中はアーデルベルト氏と二人で久しぶりの城下街を見てくるという話だったのに、どうして今ここにいるのかと混乱する。

彼女は私の返事を聞く前に空いていた私の隣に腰かけた。


「あの、城下は……?」

「久しぶりだったから、随分様変わりしていて驚きました」

「そう、ですか……」


沈黙に耐えられず聞くと、私に視線を合わせる事なく前を向いたままそう短く返されて終わってしまう。そこから話を広げる手腕もなく再び訪れた沈黙に内心で冷や汗をかきながら話題を探していると、唐突にベルフィーナさんが口を開いた。


「貴女は、幸福の君だから、魔王と婚姻を結ぶ事に反対を示すものはきっといないでしょう。だって国にとってそんなに都合のいい事はないもの。だけど、貴女はそれでも人間でしょう」


表情も視線もそのままに彼女は続ける。


「一人で老いていかないといけないのは貴女だし、あの子を置いて逝かないといけないのも貴女、辛い思いをしなければならないのは貴女なのよ。私は、あの子が大事だから、あの子の好きな貴女も大事よ、だから、反対するの」


遠くを見つめるように、独り言のように呟かれた言葉はそこで終わった。

風が吹き、芽吹いた青葉がさやさやと揺れる。遠くで微かに誰かの喋り声と、天を行く鳥の鳴き声が聞こえた。


「……私、ずっと考えていて、私がいなくなったらジークハルトさまはどうなさるんだろうって。リントヴルムは番は生涯ひとりだけなんですよね?それなら、そのひとりに私なんかがなってはいけないんじゃないかって、ずっと、」

「どうして?」


彼女に倣って、でも前ではなく膝の上に重ねられた自分のちいさな手を見つめながら、自分に問いかけるようにそう呟くと、思いもよらず隣から声が挟まれた。

慌てて顔を上げると前を向いていたはずのアイスブルーの瞳は私をじっと見つめていた。


「え、だって、それならもっと、同じ時間を歩める方の方がジークハルトさまは幸せなんじゃないかと思って、」

「あの子の幸せは貴女が決める事ではないわ。あの子が選んだのは貴女なのよ」


反対するのならば私の言葉に頷いてそれなら止めなさいと言えばいいのに、ベルフィーナさんは私の目を見つめ懇々と言って聞かせるようにそんな事言うなと止めてくる。感情の揺らぎのほとんどない瞳が今ばかりは炎を抱いたように熱く真剣だったから、私は何も言えずにいた。


「あのね、きっと貴女を喪ったらあの子は暫く落ち込んで閉じこもって引きずって死にそうになるでしょうけど、あれでもリントヴルムの子よ、ちゃんと立ち上がれるわ。だから後の事を心配する必要はないの。大事なのは貴女がどうしたいかよ」

「あの……」

「それに“私なんか”と言うのはお止めなさい。あの子の顔を見ればわかります、貴女はそんな謙遜は似合わない素敵で素晴らしい子よ。胸を張りなさい」

「は、はい……!」


反対するんじゃなかったの!?と突っ込みたかったが、いつの間にか手まで取られてこう言われてしまえば、私にできるのはただ頷く事だけだった。

はいと頷いた私を見たベルフィーナさんは満足げに息を吐くが、反対すると言った口で私の背を押してしまった事に今更気付いたようで、「あらやだ」と薄く頬を染める。



「フィーナさん!ここにいたのか!急にいなくなるから探したよ」



アーデルベルト氏の声が中庭に響き、私達は声の発生源に目をやる。

すると、慌てたようなアーデルベルト氏がこちらに駆け寄ってくるのが見え、おまけにその後ろに疲れた顔をした魔王さまが足取り重くやってくるのも見えた。


「おや?随分仲良しになったじゃないか。よかったなあフィーナさん」


手を繋いだ状態のままだった私達を見てアーデルベルト氏がうんうんと嬉しそうに頷く。


「リリシア、母が何か変な事を言わなかったか?大丈夫か?」

「え?いえ何も、私がうじうじしているのを一喝して頂いて、おまけに褒めて頂きはしました」


魔王さまが何を言っている?と言わんばかりに首を傾げたが、正直私も何が起こったのかよくわからなかった。でも、私が思っているよりもずっと私はベルフィーナさんに好意を持たれているということは理解した。


「変な事だなんて、母に対して随分と失礼ではありませんか。貴方がそのつもりなら母にも考えがありますよ。……リリシアさん、あの子の小さかった頃の話に興味はない?」

「あります」

「すみません私が悪かったですやめてくださいリリシアもそんなに目を輝かせないで」


思わず即答してしまったが、魔王さまの制止によって阻まれてしまった。口を閉じたベルフィーナさんに魔王さまは安堵の溜息を吐いていたが、私にだけ聞こえるようにこっそりと「また今度、ゆっくりと」と囁かれたのは秘密にしておく。

だって好きな人の私の知らない話だなんて聞きたいに決まってるじゃない。













そのまま四人で昼食を共にして、落ち着いたところで私達は色々な話をした。

私達のことや、ご両親のこと。お二人は普段は東の端の街に住んでいて、そこで慶倖陵の番をしているとのことだった。アーデルベルト氏は以前は魔王城で騎士として働いていたことから私の前とさらにその前の幸福の君と面識があるらしくて、その縁から陵を守りたいと番に自ら手を挙げたとの事だった。


「騎士だったという事は、アーデルベルトさまは魔王ではなかったのですね」

「魔王は世襲ではないからな。だからジークハルトが魔王に選ばれた時は心底驚いたさ」

「……あの、以前の幸福の君って、どういう方達でした?」


私の問いに、アーデルベルト氏は笑みを湛えたまま答える。


「そうだなあ。どちらも素晴らしい人であった。もっと共にありたかったと思うような人だったな」


眩しいものを見るように目を細めてそう言うアーデルベルト氏に、ほんの少し、聞いたことを後悔した。聞いてしまったらまた私は「私はどうなのか」を考えてしまうから。


「リリシア?」


無意識に視線が落ちてしまった私を気遣うように魔王さまが声をかけてきた。

この人はどうしてこういちいち気付くのだろうか。どこまで私の事を見ていてくれるのだろうか。一周回って呆れてしまう。


「や、私もそう誰かに思ってもらえるような人になれるかなって考えちゃっただけです。まあ私はこれまでの幸福の君みたいにこの国に与えられるものは持ってないんですけどね」


誤魔化すように、少し茶化したように笑ってみるが、選択肢をミスったようで魔王さまはむっと眉根を寄せてしまった。


「君はまたそういう事を言う。だいたい“誰か”でいいならもう思われてるさ、私がそう思っているからな」

「ジークハルトさまはまたそういう事を言う」


その時、小さな笑い声が耳に届いた。

笑い声の主はなんとベルフィーナさんで、口元を抑えてくすくすと止まらない笑いを持て余しているようで助けを求めるように隣に座るアーデルベルト氏の袖を掴んでいる。

掴まれた方は口をぱくぱくとさせながら感動に目を潤ませていた。


「ああ、無理だわ。あの無口で不愛想だったあの子が。こんなに嬉しい事ってあるかしら、もう反対なんてできないじゃないの」

「あ、あの無口で不愛想だった母上が、笑い声を上げている……?」


どうやら親子で同じことを思っていたらしい。驚愕に目を丸くする魔王さまと肩を震わせて笑うベルフィーナさんをどうしようかと思っていたら、唐突にアーデルベルト氏が私の手を捕まえた。と思ったら力いっぱい握り締めてぶんぶんと振り出す。


「あ、あ、ありがとう!君はまさに幸福の君だ!フィーナさんの笑い声を聞けるなんて、こんな、ああ!なんて素晴らしい事だろう!ありがとう!ありがとう!」




……どうやら、私は彼に幸福を運ぶ事に成功したようだ。

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