43.突然の来客
一部不安が残るがなんとか無事にフィロジーア王国訪問、もといカテリン邸訪問を終えて帰ってきた私達を待っていたのは、突然の来客であった。
先に馬車を降りた魔王さまが門前に立つ人影を見つめたままぴくりとも動かない。どうしたのだろうかと見送りの為に同乗していた兄と首を傾げていると、動かない魔王さまの代わりにその視線の先の人影が前へ出て口を開いた。
「やっと帰ってきたか!ヘイゼルに聞けばフィロジーアへ行っていたそうじゃないか、あそこは温暖だし過ごしやすくていいだろう。で、お前の嫁御候補というのはどの子だ?」
ランプの灯りがあるとはいえ薄暗い中では顔がよく見えないが、そう豪快さを感じる声で言う男性はどこか魔王さまに似ている気がして、私はもしや、と思った。
その「もしや」はすぐに「やっぱり」に変わる事となる。
「…………お久しぶりです、父上」
馬車には背を向けているので顔は見えないが、その声色から魔王さまの形よく整った顔が歪に引き攣っているであろう事が容易に想像できた。
しかし、魔王さまのお父さまとあれば私の近い未来の義父さまである。そうならば挨拶の一つでもせねば失礼にあたるだろうが、この空気の中出て行っていいものか悩ましい。兄を見ても「私はこういう事には疎くてねえ」と首を傾げるばかりだった。馬車の中でおろおろと成り行きを見守っていると、なんだか難しい表情の魔王さまが馬車を振り返り「おいで」と手を差し伸べてきた。
魔王さまがそう言うなら従わない理由もないので、私はその手を取り、人生16と26年において初めての婚約者の親御さんにご挨拶イベントに挑むのだった。
私が馬車を降りるやいなや、魔王さまのお父さまはその顔を喜色に染めてこちらに大股で近付いてきた。その迫力につい反射的に半歩下がってしまう。
「おお!君がか!そうかそうかお前こういう子がタイプだったのか!」
「やめてください、リリシアが怖がっているでしょう」
「リリシアというのだな。はじめましてリリシア嬢、私はアーデルベルト・ノーヴァス・リントヴァルド、ジークハルトの父親だ」
魔王さまの制止などあってないような風に魔王さまのお父さまもといアーデルベルト氏は私の手を力強く握りしめた。突然訪れたごつごつとした暖かさと力強さに喉が「ひょっ」とへたくそに息を吸い、魔王さまが「あっ」と嫌そうな声をあげたがたぶん彼にはどちらも届いていないだろう。魔王さまとよく似た金に燃える瞳が私をじっと見つめる。
その目力に気圧されてつい固まってしまったが、緊張に張り付く喉を無理やりこじ開けて挨拶を返さねばと口を開いた。
頑張れ私。第一印象は大事なのよ。
「お、お初にお目にかかります。リリシア・カテリンと申します」
そう捻り出したものの、残念ながら緊張のせいで蚊の鳴くような声になってしまったし、手を拘束されているのでまともにお辞儀もできなかった。しかし私のそんなあまりにも頼りない態度は特に気に留められる事もなく、アーデルベルト氏は「よろしく頼む」と満足げに笑みを浮かべたのだった。
……お前なんぞに息子はやれんと言われるよりはずっとマシなのだが、ここまで肯定されてしまうと逆に心配になってしまうのは私が小心者だからだろうか。
「中にフィーナさんもいるんだ。お前とお嫁候補を楽しみにしている」
「そうですか……というか何故突然」
「まあまあいいじゃないか、可愛いお嬢さんを風に当てるのはよくない。中で話そう」
アーデルベルト氏はそう言うと一人踵を返して先にお城の中へ入って行ってしまった。
その場に残された私と魔王さまは、各々その意味は少し違うが溜息を吐く。そうして私が緊張を吐き出していると、魔王さまが申し訳なさげに眉根を寄せて私の手を取った。
「すまないリリシア、疲れているだろうから早く休ませてあげたいのだが、少しだけいいだろうか」
「いえ、私は大丈夫ですから。……あの方が、ジークハルトさまのお父さまなんですね」
私の驚きに丸まった目を見て、魔王さまが疲れたように頭を抱える。
「いささか人の話を聞かない人でな……。ああ、兄君もすまない、見苦しいものをお見せした」
「いえ、とんでもございません。うちもまあ、似たようなものでしたから」
苦笑いを浮かべる魔王さまと兄はそのまま二、三言葉を交わし、魔王さまの部屋を用意させようという申し出を丁重に断って、兄を乗せた馬車はそのままフィロジーアへ帰って行った。
馬車の背を見送り、このまま寂寥感に浸りたいところだが、今の状況はそれを許してはくれない。文脈的に、これから魔王さまのお母さまにご挨拶イベントがいまかいまかと口を開けて待っているのだ。
緊張に足取りすら覚束なくなりながらご両親が待つ部屋に入ると、さっきと変わらず「やっと来たな」とこちらに笑いかけてくれるアーデルベルト氏と、その隣に静かに腰かけた濡れたような黒髪の美しい女性が私達を待っていた。
長いまつ毛に縁どられた切れ長の目がこちらをゆるりと見る。凍った表情とそのアイスブルーの瞳が私を捕らえ、私は睨まれたような錯覚を覚えた。
思わず肩が跳ねかけた私を庇うように魔王さまが私の前へ出る。
「お久しぶりです母上、お変わりなさそうで。……いったい何の用事でしょうか」
魔王さまの探るような声を無視して彼女は立ち上がりこちらへ歩み寄る。立ち上がるとその背の高さが目立ち、すらりと美しい立ち姿につい見惚れてしまった。
そして彼女は私の前に立つ魔王さまの肩を柔らかく押し退け、晒された私の姿を下からゆっくりと見ていった。まるで捕食される獲物のような気持ちでそれに耐えると、彼女は満足したように視線を私の目に合わせてゆるやかにお辞儀をした。
「はじめまして、リリシアさん。私はベルフィーナ・ピエトリア・リントヴァルド、ジークハルトの母です。お会いできてとても嬉しい」
目元にほんのわずかの笑みを浮かべる彼女に慌てて礼を返すと、魔王さまが再び私の前に体を滑らせ距離を取らせた。
「だから、何の用事で来たのかを聞いているのです」
「私たちの住まいにもやっと幸福の君の話が届いたので見に来たのです。が、まさかその幸福の君が我が子のお嫁さんになるなんて、母はもう吃驚しましたよ」
「なに!?リリシアちゃんは幸福の君なのか!?」
「あら、気付かなかったの?」
喋り口に合わず表情無くそう言うベルフィーナさんにこれまで黙っていたアーデルベルト氏が立ち上がる。どうやら彼は私が幸福の君である事を知らなかったようで、私としてはそれなら彼はただの人間の私にあんなに好意的だったのかと驚きを隠しきれなかった。
好意的なのは私が幸福の君だからだと思っていたから。
「我がリントヴァルド家に幸福の君の血が入るなんてこんな名誉な事はない!よくやったなジークハルト!」
「でも、人間なのね」
ベルフィーナさんの一言に、一瞬で場が静まり返った。
「反対する訳ではないけれど、……人間はたったの百年も生きない弱い生き物なのよ」
静かに続けられた言葉に、私は飲み込まれてしまった。
そう、私は人間で、頑張ったって百年程度で寿命が来てしまう。リントヴルムの魔王さまとは生きる時間が違う。
これまでも何度も考えた事だけど、それでもこうして突きつけられると息が止まる思いがした。
「私は、リリシアさんを喪ったあなたが心配だわ」
そう言って魔王さまを見るほんのわずかに揺れるアイスブルーに、私はぐっと唇を噛み締める事しかできない。
「だからなんです」
俯く私の顔を再び上げさせたのは、あっけらかんとした魔王さまの一言だった。
「置いて逝かれるのが怖くて恋なんてできるか」
顔を上げた後続けられた力強い叫びには魔王さまお気を確かに、とは思ったけど。それでも、そう言って一度私を振り返ったそのきんいろの優しい光に、私はどこか救われたのだった。