42.里帰り、やらかしを添えて
朝のひんやりした空気を感じながら、二人で石畳の上を進んでいく。万が一魔王がこんなところにいるなんて知れたらやばいどころの話ではないので内心どきどきだ。
顔を知るものがこの国にはいないはずの魔王さまと、一見してわかる特徴だった白髪を隠した私達だが、念を入れてフードの付いた外套を羽織っていた。風を避けたいだとか、女性なら寝癖隠しだとかのためにフード付きの外套を身に着ける人は結構いるので浮いてはいない、と信じたい。
懐かしい通りの景色よりも隣を歩く魔王さまの様子が気になって見上げてみると、目深にフードをかぶっているので視界が悪いだろうに気にせず目を輝かせ、きょろきょろと辺りを見ていた。
「どうですか?フィロジーアは」
「……バルトロジカとはだいぶ建築様式が違うのだな、通りの作り方も、この国は碁盤の目のようにしているのか」
小声で聞いてみると、どこか興奮したような声が返ってきて思わずにやけてしまった。好きな人が楽しそうにしてるのって、なんで自分まで嬉しくなってしまうのだろう。
「あ、パン屋さん。ごめんなさいちょっと待っててください」
細く開けた窓からいい匂いのする煙を出している目当ての店を見つけ、魔王さまには外で待っていてもらうようにする。店内は狭かったし、まだ外を見たそうにしていたからだ。
ああ、人間に囲まれている!と少し混雑していた店内で感動しつつ、ほかほかと暖かいバケットの入った紙袋を抱えて外に出ると、気付いた魔王さまが優しく微笑んで、別にいいのにその袋を持ってくれた。
なんでもないやり取りだったが、なんだか普通の恋人同士のようで少し照れ臭く、少し嬉しかった。
事件が起きたのはそのまま二人でなんでもない話をしながら家へ戻る途中の事。
朝の静けさには不釣り合いな女性の金切り声が響き、何事かとそちらを見た時には私の腕に魔王さまが持っていたはずのパンの入った紙袋が押し付けられていた。
「え」と思ったが、耳に飛び込んできた馬の嘶きと、運転手の焦りを含んだ叫びに、子供が母の手を振り切って車道に飛び出したのだと気付く。
が、その状況に青ざめるよりも早く、魔王さまがフードが取れるのも構わずにぽかんとする子供を抱えて向こう側の歩道にいることを確かめ息を吐いた。
袋を抱え直して私も魔王さまを追って車道を渡ると、子供の母親らしき女性が背に赤ちゃんを、片手に小さな女の子ともう片手に飛び出した本人であろう男の子を抱きながら魔王さまに何度も頭を下げているところだった。
「ありがとうございます!なんとお礼を言っていいものか……!」
彼女の足元には買い物籠が置かれているので、きっと咄嗟に手を出して捕まえることができなかったのだろう。
「いえ、無事でよかった。……少年、痛いところはないか?」
思い出したようにフードをかぶり直しつつ、ごく優しく男の子に聞くと、彼は放心しつつもこくりと頷いて、魔王さまにぐり、と頭を撫でられていた。
魔王さまは私の手から再び袋を取り上げると、何事もなかったかのように「行こうか」と踵を返す。
「あの……!せめてお名前だけでも!」
「……名乗るほどの者ではありませんので」
魔王さまの後姿に母親が叫ぶように聞くが、魔王さまは少しだけ悩むがそう言って足を止めることなく進んでいく。そうよね、名前の響きがそもそも少し違うから怪しまれちゃうしね。まあ、もう名前どころの問題ではないような気もするけど。
少ないがいた通行人や、轢きかけた馬車の運転手が何も言えず固まっているのを背後に感じながら、せめて日中の人の多い時間じゃなくてよかったと、やたらと足の速い人がいたと思われるだけに留まるといいなと思うのだった。
「どうでしょう、フィロジーアは」
食後のお茶をしていたら、父はそう魔王さまに問いかけた。
「風も穏やかで、街並みも美しい、いいところだと感じました。……ただ」
「ただ?」
「そういうしきたりとは言え、我らはその街並みを破壊しそこに住む人々に恐怖を与えたでしょう。魔王が何を言うと言われそうですが、それがとても残念だと」
伏し目がちにそう言う魔王さまに、父も返す言葉を探しているようだった。
今朝街を歩いた時、概ねあの時破壊された場所は片付けられ元のようになっていたが、それでもまだ手付かずになっている場所もあったのだ。そこを無表情で眺めていた魔王さまの横顔を思い出す。
「ねえリリ姉さま!今朝お髪が真っ黒だったけど、あれはどうしたの?」
誰もが押し黙る部屋の中に、妹の無邪気な声が響いた。妹なりにこの空気をなんとかしようとした結果だろう。我が妹ながらよくできた子でお姉ちゃんは涙が出そう。
「あ、ああ。あれは目立たないようにってジークハルトさまがやってくださったの」
「魔王兄さまが!?染色剤…はそんなすぐには取れないわよね、どうやって?」
「その者の本質を隠す魔法というものがあってな、例えば……」
首を傾げる妹にどうしたら上手く説明できるか悩んでいると、魔王さまがその説明を引き受けてくれた。あれはそういう魔法だったのかと内心思っていると、見せた方が早いと言わんばかりに魔王さまは目を閉じて自分の髪の毛を掬い、小さく呪文を唱えた。
すると、根が水を吸うようにその黒檀の髪は白く染まり、目を開けるとそこには金ではなく藤色がきらめいた。
「こんな風に」
私と同じ色を纏って微笑む魔王さまに、なぜか心臓が跳ねて息をするのも忘れて見入ってしまう。何も言えない私の代わりに妹が歓声をあげた。
「すごーい!すごいわ!リリ姉さまの色になった!」
手を叩き喜ぶ妹に照れ臭そうに笑って、また一つ瞬きをして魔王さまは自身の色に戻る。
そうして場の空気が和らいだ時、姉がおずおずと手を挙げた。
「あの、質問よろしいかしら?その、そのお姿もまた魔法によるもので、本当はもっと……恐ろしい姿だったりするのかしら」
和らいだと思った空気がまたぴんと張り詰めた。が、姉はその手を引っ込めることもしないし、なんならその表情は怯えを抱いたものではなく好奇心に満ちたものだったから、それを見た家族は「またフランシアの好奇心が爆発したか」と一瞬飲んだ息をすぐに吐き出していた。私は今そういう事聞いちゃう?と気が気でなかったけど。
問われた魔王さまは、どう返すべきかと暫く悩んでいたようだけど、どこか諦めたように口を開いた。
「この姿は偽りのものではなく確かに私自身のものだ、だが、我らはもうひとつ体を持っている。その姿は人間にとっては恐ろしいものだろうな」
「ジークハルトさま、私は……」
「見たいわ!!!」
どこか自嘲するように言ったものだから、私はあの姿は怖いと思わないし格好いいと思っていると言おうとしたところで、私の声は姉によってかき消されてしまった。
頬を染めて立ち上がった姉に、魔王さまが目を丸くしている。
「い、いや、この国の中で変化するわけにはいかないので……」
「そんな!あ、つまりバルトロジカでならよろしいのかしら?」
「そう、だな。だが、そんなに見て楽しいものでもないと思うのだが」
「楽しいかどうか決めるのは私ですから。ご迷惑なら涙を飲んで我慢いたしますが……」
「迷惑というわけではないが、」
「なら近々お伺いさせていただきますね!」
きらきらと目を輝かせる姉に、見てわかるほど魔王さまが呆気に取られていた。
「フランシア、魔王陛下に失礼だろう。すみません妹が、ところで、それ私も見せてもらっていいですかね?」
暴走気味の姉を止めてくれると思った兄もまた、この人の兄なだけあって好奇心に従順だった。魔王さま、私の兄と姉が本当にごめんなさい。と、いつだか見たい見たいと魔王さまに迫った自分の事は棚に上げて心の中で謝罪する。
「そうだな、やはりご家族にとっては種の違うものに家族の一人を嫁に出すのは不安が多いだろうし、私としても全てを知った上で任せてもらいたいと思っている。次に我が国にいらした時にでもお見せしよう。それでやはりとなっても仕方ない」
「いや、家族が駄目だと言っても私はお嫁に行きますからね!?」
ちょっとシリアスに寄ってしまった空気を引き戻す。私としても家族に反対されたから諦めますと言われて手放されては困るのだ。
「驚いた。リリシアはそんな大きな声が出たのねえ」
母のどこかぼんやりとした声に現実に引き戻された。私は咄嗟にとはいえ、家族の前でとんでもないことを叫んでしまったのではないか。青いんだか赤いんだかわからない顔で家族を見ると、兄と父はなにか苦虫でも噛んだような顔をしているし、姉と妹は二人できゃあきゃあと小さく盛り上がっていた。
恥ずかしさにそこから視線をずらすと、目を潤ませ頬を染めている魔王さまと目が合ってしまってどこにも逃げ場がない事を悟った。私は!また!考えなしに!!!
「大丈夫よ、例えジークハルトさんがどんな姿を持っていようとも、私の可愛い娘を愛してくれていて貴女も彼の事が大好きなのはわかっているもの、反対なんてしないわ。ねえあなた」
「う……、そうだな」
ちょっと嫌そうだが父も頷いてくれて、横から妹が「父さまはそもそもリリ姉さまがお嫁に行ってしまうのがお嫌なのよ」と悪戯っぽく笑う。
私はとことん家族に恵まれているなあと鼻の奥がつん、と痛くなった。
朝の出来事以外は何の問題もなく滞在を終え、夜更けを待って私と魔王さまはまた馬車に乗り込んだ。
「もう帰ってしまうの?もっとお話ししたかったのに……」
「今回来れたのが奇跡みたいなものだから……またきっとすぐ会えるわ」
父に無理を言って見送りにやってきた妹が名残惜し気に言う。悲し気に眉根を寄せる姿を見たら馬車から降りて抱きしめたくなったけど、そんなに時間もないので残念だが慰めの言葉をかけるに留める。
「フィロジーア王国との事は我が国でも協議を重ねています。まだ時間はかかりそうですがより良い場所に着地できるよう私も尽力しますので」
「ありがとうございます、私も微力ではございますが、なんとか」
父と魔王さまが頭を下げたところで、運転手の鞭がしなる。
こうして私の束の間の里帰りは終わりを告げたのだった。