41.里帰り、魔王さまを添えて
それなりに大きくはあるが、周りの家に比べてほんのり古ぼけていて、小奇麗にしてはいるが、どこかぼんやりした印象を感じさせる懐かしい我が家。
もう帰れないと思っていた場所へ、私は今、帰ってきた。
先導していた兄が静かに玄関の扉を開けると、眩い灯りと共に家族の顔が飛び込んでくる。
玄関ホールには両親と姉、それから何人かの侍従の懐かしい顔が並んでいた。侍女の何人かは感極まったように口元を押さえている。
「ようこそおいで下さいました。まさか本当にいらして下さるとは、恐悦至極でございます」
「こちらこそ、招いて頂き感謝する。今日はリリシア嬢の婚約者として来ている、どうか魔王の肩書は忘れて接してほしい」
一歩前に出て深く頭を下げた父に魔王さまが張り合うように頭を下げた。その姿に家族や周りに控えていた侍従達がざわめく。
あの、恐ろしき魔族の国の王が人間にこうも簡単に頭を下げるのかと、一度会ったことのある家族はともかくとして、侍従達は信じられないものを見るかのように目を丸めていた。
「リリシアもお帰り、疲れただろう」
「た、ただいま帰りました……。でも、思ったよりもずっと近かったから」
父に「おかえり」と言われて、なんだか涙が出そうだった。それをごまかすのに笑おうとしたが、表情筋を鍛えるのをさぼっていたせいでちゃんと笑えたかはわからない。
そうして簡単な挨拶を終えると、父は魔王さまに向き直った。
「とりあえず、今日はもう遅いしお疲れでしょうから部屋へ案内させましょう。セーラ」
「はい、どうぞこちらへ」
父が指名したのは狙ったのかたまたまなのかセーラで、私の姿を目に入れたセーラはそれはもう嬉しそうに微笑んだ。久しぶりに見るセーラが変わらず元気そうなのに安堵しつつ魔王さまが客間へ向かうのをぼんやりと見送っていると、父がぽんと私の背を押した。
「え?父さま?」
「何してるんだ、お前も早く行きなさい。二階の広い方の客間だよ」
「え?」
「フィロジーアの物は勝手が違って困るといけないでしょう、ちゃんと教えてあげなさいね。おやすみリリシア」
父の言葉に首を傾げる私に、母がのんびりと追い打ちをかけてくる。
これはどういうことだろうか、もしかしてもしかすると、私と魔王さまは同室だったりするのだろうか、いやそれはないでしょうだってまだ婚約者だもの。未婚だもの。
そんな馬鹿なと慌てふためいていると、先を行っていた魔王さまが何事かと足を止めこちらを窺ってくる。
「まだ婚姻関係にない男女を一つの部屋にというのは不安ではあるが、まあジークハルト君なら安心だから」
そう父がにこやかに言い、もしかしてもしかする事が確定してしまった。
嘘でしょうと唖然とする私を置き去りに、出迎えに立っていた面々は無慈悲に各々おやすみと言って散って行ってしまう。
残された私の頭は真っ白だった。
父も母も何を考えているのだろう。未婚の娘を婚約者と一緒の部屋にぶち込むなんて正気の沙汰とは思えない。だいたい意識がはっきりしている状態で魔王さまと一晩同じ部屋でふたりきりで同衾なんて無理に決まってる。そんな度胸も耐性もまだついていない。まだレベルが足りない!!!
「リリシア、行こうか」
頭を沸騰させながら固まっていた私の腰を、いつの間にか近くに来ていた魔王さまが抱く。ホールに残っていた侍女達がきゃあ、と黄色い悲鳴を上げ、私もまた内心悲鳴を上げる。
見上げた魔王さまは私とは反対に涼しい顔をしていて、なんだかこんな事で動揺する私の方がおかしいんじゃないかと錯覚した。
どう考えても私が正常だと信じているけれど。
「では、お部屋の事で何かわからないことがありましたらお嬢様にお聞きくださいね」
客間に着くやいなや、セーラはそれだけ言うとそそくさと部屋を後にしてしまった。私にだけ聞こえるようにそっと「何かありましたらすぐに呼んでくださいね!命を懸けてお守りしますから!」と耳打ちしていったけど。
そんなセーラの小さな良心を感じたと思ったら部屋の扉は無慈悲にぱたんと軽い音を立てて閉まってしまい、魔王さまと部屋にふたりきりになってしまった。ベッドが分かれているのだけが救いだが、それでもほんの30㎝程度しか離れていないところで一晩寝なければいけないと思うと今から心臓が悲鳴を上げる。
せめて深呼吸をして心を落ち着けようと息を吸ったところで、突如、ゴン、という鈍い音が部屋に響いた。
何事かと顔を上げると、魔王さまが手で顔を覆って壁に頭突きを食らわせていて、さらに何事かと混乱する。
「ま、……ジークハルトさま?」
「父君からの信頼を勝ち得たと思えばいいことだが、これは、これは……」
うっかり魔王さまと呼びかけそうになったのを慌てて言い換えたが、当の魔王さまは私の声が聞こえているのかいないのか、独り言のような小さな呟きをこぼすばかりで。
よくよく見ればかすかに見える耳や顔が赤いので、つまり、魔王さまもこの状況に動揺していると受け取っていいということだろう。
魔王さまも同じだという事にほっとしつつも、なんだか私まで恥ずかしくなってきてしまう。
「あの、今からでも私自分の部屋に行きますから!」
叫ぶように逃げるようにそう言って部屋を出たところで、妹のエルーシャとかち合った。挨拶の場にいなかったし寝間着姿なことから、水でも飲みに起きてきたところだろうか。
「あ!おかえりなさいリリ姉さま!そうだ、あのね、リリ姉さまのお部屋今は私が使わせてもらっているの」
「え、そうなの?あ、じゃあエルーシャの部屋は…」
「母さまが趣味のお部屋になさっているわ」
……そうよね、一年もいなかったんだもの、実家の部屋も消滅しててもおかしくないわよね。
引き攣る笑みを浮かべながらかわいい妹におやすみの挨拶をして、私はすごすごと客間の中に戻った。
「……あの、」
「話は聞こえていた、そうならば仕方あるまい。お互い腹をくくろう」
「そうですよね、仕方ないですもんね。一晩、よろしくお願いします」
二人とも無意味なまでに神妙にそう言い合ったが、ただ一晩同じ部屋で過ごすだけである。
緊張のせいか、家に帰ってきた安堵感のせいか、そのミスマッチ感が妙におかしくて、私は笑いが止まらなくなってしまった。
突然くすくすと笑いだした私を魔王さまが訝し気に見るので、変に思われないように笑うのを止めようとするが、なぜか体は言うことを聞いてくれない。
「どうした?やはり具合でも悪いのでは……」
「ち、ちが、違うんです、なんかおかしくなっちゃって」
魔王さまは耐えられずその場に蹲ってしまった私の背を心配そうにさすってくれたが、別に体調が悪いわけではないので罪悪感がすごかった。笑いすぎで苦しいのは確かだけども。
「ごめんなさい、大丈夫です。なんか、なんでこんなに緊張してるんだろうとか、本当に家に帰ってきてるとか、色々思ったらツボに入っちゃいました」
やっとまともに息が吸えるようになった頃そう弁解にもならない弁解をすると、魔王さまがほっとしたように「そうか」と微笑んだ。
朝、眩しさを感じて目を覚ます。
カーテンは閉まってるはずなのにどうして眩しいのかと薄らと目を開けると、魔王さまが細くカーテンを開けてその隙間から外を見ているからだった。隙間から漏れる光がちょうど私の顔面にぶつかっていたようだ。
「あ、すまない眩しかったか」
私がもぞもぞと起き上がる音に気付いて、慌てたように魔王さまがカーテンを引いた。
「いえ……おはようございます、外、何かありました?」
「おはよう。いや、つい物珍しくて」
きっとぼさぼさになっているであろう髪の毛を手でまとめて、魔王さまの横から閉められたカーテンをちょっと引いて外を見てみたが、部屋の位置が違うから見慣れた、までは言えないがまあ見慣れたフィロジーア王国王都の朝日にきらめく姿が見えるだけだった。
「それなりに長く生きているが、実はフィロジーアに来たことはなくてな。君を攫った時も実働部隊しか行ってないから」
「……ちょっと、出てみます?……というのは無理ですねごめんなさい」
真っ白い髪の毛を摘まんで謝る。魔王さまがやって来ていることも極秘だが、私がいることもまた極秘なのだ。白髪なんて今は私くらいしかいないのだ、夜ならともかくこんな明るい中に出て行ったら一発でばれてしまう。
しょんぼりしている私を見た魔王さまは、暫く何かを考えるように黙り込み、そして口を開いた。
「……髪の色を、変えたらいいのか?」
「え、できるんですか?」
そんな魔法みたいなこと、と言いかけて、バルトロジカ王国には魔法が存在していたことに気付く。
「あまり上手くないから、ちゃんとできるかはわからないが」
自信なさげに言うが、私がその話に頷くとひとつ咳ばらいをして何かを唱えながら手櫛で私の髪を梳く。梳かれる感覚と多分他者の魔力が流れ込んでくる感覚がくすぐったくて思わず身を捩った。
「……できたが、どうだろう」
何かをこらえるような声に壁にかかっていた鏡を慌てて見た。こらえなくてはいけないくらいめちゃくちゃに似合ってなかったらどうしようと焦ったのだ。
「わ、」
鏡に映ったのは魔王さまと同じ色の髪の毛の私がぽかんと口を開けている気の抜けた姿だった。
「その、上手くないからよく知った色にしかできなくて……もっと綺麗な色にできたらよかったのだが」
「お、おそろいだ……!」
じっと固まって鏡を見ている姿になにか誤解したのか魔王さまが申し訳なさげに言うが、私がそれどころではなさそうに頬を染めていたのでほっと息を吐き、それから何かに気付いたように魔王さまもまた頬を染めるのだった。
それから、変装の為に魔王さまの分は兄に(朝が苦手なのは変わりないようで半分寝ていた)、私の分はセーラに頼んで極めて地味な服に着替えて(ついでにパンのお使いを頼まれた)、私達は散歩に出るべくそっと玄関を開いた。