37.友達が、できました
硬くなった表情をどうすることもできないままエマさんに腕を引かれ扉をくぐる。が、入ってみて拍子抜けてしまった。
扉の先でまず目に入ったのは、よく見知った人物、セリだったのだ。
どうしてここに、と目を丸くしているとエマさんが口を開く。
「そろそろ貴女が疲れた頃だから回収してこいってうるさかったんですのよ。まったく、ハウフヴェルン公爵令嬢にそんなこと頼むなんて、なんてメイドかしら」
はあ、と呆れたように溜息を吐くエマさんに、セリがえへへ、とわざとらしく笑った。
「でもやってくれるんですから、エマ様はお優しい」
「たまたまですわよ。友人に紹介するよう言われてたのは本当ですもの」
セリの賛辞にほんのり照れたようにつん、とそっぽを向く様に、なるほどツンデレ、と頷いていると、セリが奥へどうぞと前室とを区切っていたカーテンを開き促してくる。
行きますわよとエマさんに背中を押されるままカーテンをくぐると、ごく控えめな歓声が上がった。
淡い青で統一された小部屋の中、ソファに腰かけていた三人の少女が立ち上がり駆け寄ってくる。
「エマ、この方が?」
「そうですわ、幸福の君、リリシア・カテリン様です」
きゃあ、と頬を染めたのは滑らかな黒髪に真珠の飾りを散りばめさせた少女で、その後ろの二人も各々淡く頬を染めてきらきらとした瞳をこちらに向けている。
「紹介しますわ、彼女はアメリア・リ・ユニキス」
「お会いできて光栄ですわリリシア様、アメリアと申します」
そう名乗った彼女は、真っすぐな黒髪を控えめに躍らせて薄青のドレスの裾をそっと上げると、こらえきれないようにばたばたと後ろにいた別の少女の後ろに隠れてしまった。
突然前に押し出された彼女は頬を染め慌てた様子できょろきょろしていたが、照れたように笑いながらそっとお辞儀をしてきた。
そのやり取りに苦笑しながらエマさんが紹介を続けてくれる。
「もう、何をしてますの。……彼女はライラ・シルキリア」
「ライラと申します、幸福の君……やだもう、どうしよう緊張して頭真っ白!」
栗色の髪を高いところでふたつに結って灰色のリボンを飾った彼女は、顔を手で扇ぐようにぱたぱたと動かしながら道連れだと言わんばかりにもう一人の少女の腕を掴んだ。
「彼女がフィオレッタ・フォン・ケティーナ」
「もう死んでも後悔はないわ……」
ぽんと前に出された灰色の髪の少女は、挨拶も忘れて手を組んで私を凝視しぼんやりとしていた。私がどう反応すべきかと固まっていると、薄っすらと涙ぐんでいたフィオレッタ嬢がぼんやりしていたのが嘘のように動き出し、すごい勢いで私の手を取った。
「そのドレス、うちで仕立てさせて頂いたもので、私も少し手伝わせて頂いてて、まさか実際に着ている姿を目にすることができるなんて思ってなくて、もう、あの、光栄です!!」
ぶんぶんと手を振られ、私はなるほどそういう事かと頭の隅で納得した。
「あの、これ、とてもすてきです。えっと、着てるのが私なんかで申し訳ないのですが……」
「こんな可愛らしい方に着て頂けたらこの子も嬉しいに決まってます!!!!」
食い気味で否定されて、頷くしかできなかった。いつそのヘーゼルの瞳から涙が零れるかとひやひやしていると、呆れたような声色でエマさんが助け舟を出してくれた。
「もう、落ち着きなさいなフィオ。みんなも、いつまで幸福の君を立ちっぱなしにさせるおつもり?」
パンパンと軽く手を叩くと、少女たちは思い出したかのようにわたわたと動き出し、私の手を握っていたフィオレッタ嬢はそのままソファまで手を引いて座らせ、自身も私の隣に腰かけた。「ずるい」という声が上がったが、彼女はまるで気にしていないようで私の姿を上から下までしきりに眺めてほう、と息を吐いている。
こんなに熱烈な歓迎を受けるとは思っていなかった私は、まだ驚愕から帰ってこれていなかった。正直、エマさんのご友人という事だったから、よくも彼女の恋の芽を潰してくれたなこのちんちくりん!と詰められるのを少し想像していたのだ。そうでなくてもまさかこんなに好意的に迎えられるなんて誰が想像しただろう。
「どうしましたの?」
「いえ、……まさかこんなに歓迎して頂けるとは思っていなくて」
固まっている私を見てエマさんが声をかけてくれて、働いていない頭はそのまま口から思っていた事を出してしまったが、彼女はしれっとしていた。
「どうせいじめられるとでも思ったのでしょう」
ふん、と余裕の笑みで言われ、図星だった私は自己嫌悪で死ぬかと思った。
「あ、でも私文句の一つも言ってやろうと思ってたわ。リリシア様の姿を見て一瞬でそんな考え消え去ったけど」
少女のひとり、ライラ嬢があっけらかんと手を挙げた。やっぱり詰められるはずだったんだ……!
「あら、言ってくださってもよかったのに」
「無理よう!だってこんなふわふわな妖精さんのような子が出てくるなんて思ってなかったし、陛下と並んで入って来られた姿を見たら!もう!」
「ねえ。私おとぎ話の世界に迷い込んだのかと思ったもの!」
「本当に、夢のようだった……」
各々夢を見るようにほう、と息を吐いて、ますますどうしていいかわからない。
「あの、そんな、言い過ぎです。結果として私はエマさんの恋を踏みつけてしまったんだから、文句でもビンタでも、受け入れます」
むずむずとくすぐったい空気を何とかしようとそう発すると、小部屋の中は切ったようにしんと静まり返り、四人の視線が私に突き刺さる。
「いいんですの?」
エマさんが静かに問う。
ぎゅっと膝の上の手を握り締め、頷いた。
だって、それは私の意志でやったことでなくても当然の報いだと思うから。
沈黙が訪れた。それはほんの数秒だったかもしれないし、もっと長い時間だったかもしれない。
「それなら……」
エマさんの唇が再び動く。
「それなら、陛下の格好良かった思い出とか、可愛らしかった思い出とか、そういうのを横流ししてくださいませ!!」
きゅっと眉根を寄せ、頬を薔薇色に染め、何もかもをかなぐり捨てるようにエマさんが叫んだ。
思いもよらぬ要求にぽかんと口を開ける私に、彼女は自身の体を抱きしめて何かに耐えるように、耐えられないように目を閉じて捲し立てた。
「陛下にも恋する方にしか見せない一面っておありになると思いますの、だって貴女といる時のあの蕩けた表情!わたくしが見ることができる範囲でもああなのですから、ふたりきりならもっとすごいのでしょう!?見たい!もうこの際自分が相手でなくてもいいんですの、というか相手だったら死んじゃいますわ無理!でも見たい!知りたい!だから教えてくださいませ!もちろん言える範囲で構いませんから!」
これに頷くくらいなら、文句を言われたりビンタを受けた方がよっぽどマシなのではないかと思うけど、うっとりするくらいの美人に「……だめ、ですか?」と切なげにお願いされて否と言える人間がいるだろうか。私は無理だった。
「それくらいで、いいのなら……」
「本当!?嬉しい!」
「でも、エマさんはそれでいいんですか?」
「いいんですのよ。まあ、失恋が確定した時は三日三晩泣き通しましたけど。でも陛下がお選びになった方ですもの、陛下が幸せであらせられるならそれが一番の幸せですわ」
花が咲くようにふんわりと笑うエマさんの強さに、なんだか涙が出そうだった。
まあ、やり取りを見守っていた三人の少女達の攻撃によって涙は引っ込んでしまったのだけど。
「待って!それ、私も聞きたい!」
「私も!」
「エマ、私達友達でしょう!?」
わっと沸いた声にエマさんが勿体ぶったように言う。
「わたくしはいいけれど、でもリリシア様がどう仰るか……」
その一言に三人の目がこちらを一斉に見る。突然の熱い視線に心臓を跳ねさせていると、隣に座っていたフィオレッタ嬢が私の手を取った。
「幸福の君、いいえ、リリシア、私達仲良くなれると思うの」
大きなまるい目が口を半開きにさせた私を映す。
「エマの友達ならもう友達よ。リリシア、エヴァン・ロッソの『鳥籠の外へ』って知ってる?」
「え、ええ……最近読みました」
「友達よ、今もう友達になったわ確定よ」
横からアメリア嬢が最近司書さんが貸してくれた恋愛小説の名を出す。ずっと弱気だった主人公のメリーが良い子ちゃんだった自分を捨てて身分違いの恋人に逆プロポーズをかますシーンで思わず本を投げそうになるくらい興奮したのは記憶に新しい。
「みんな幸福の君に図々しいわよ、自重しなさいよ。ところでリリシア、近々うちにいらして。うちのパティシエのお菓子は最高なの、ぜひ食べてほしいわ」
ライラ嬢が止めてくれるかと思いきや普通に自分も売り込んできて、思わず吹き出してしまった。
「あの、上手く話せなくても構わないなら、みなさんも一緒にどうぞ」
そう私が言うと、小部屋の中に歓声が響く。
「さて、そろそろリリシアを陛下のもとへお返しいたしませんと」
「ええ、もう?」
エマさんがさっきまでの興奮が嘘のように静かに美しく立ち上がる。というか、エマさんが私の事「リリシア」と呼び、呼び捨てにした!いままで頑なに私の名前を呼ばなかったのに。
「ここに寄越すのだって心配そうにしてらしたんだから、長くお借りしたらどうなってしまうことか」
少しばかり演技っぽく言うと少女達はぐっと息を飲んだように黙った。みんなの頬がほんのり染まっているのは見なかったことにするべきだろうか。
「ねえ、この出会いをこれきりにしないためにもお茶会を開きたいのだけど、来てくださる?」
私に手を差し伸べながらエマさんが私に言う。答えはひとつだった。
「よ、よろしくお願いします!」
帰ってきた私を、目に心配の色を滲ませた魔王さまが見る。
「随分と帰りが遅かったが、どうだった?」
どうだった、先程までのやり取りを思い返して、思わず頬がゆるんでしまう。にやにやと変な顔をしているので魔王さまが首を傾げた。
「とっても、楽しかったです」