幕間 未来に向けて
朝晩はまだ冷えるが日中はほのかに春の暖かさを感じるようになってきた頃、フィロジーア王国の王宮の一室で種を蒔くような話が秘密裏にされていた。
その白と金と青を基調とした豪奢な室内は、大きな天窓から差し込む日の光に明るく照らされている。
「……ふむ」
部屋の奥に据えられた机でペンを走らせていた白い髭を蓄えた男、フィロジーア王国国王、セヴラン・バリトゲス・フィロジーアはペンを置き顔を上げた。
視線の先にいるのは息子、第一王子ジェレジスである。
「つまり、お前は我がフィロジーア王国とバルトロジカ王国は国交を結ぶべきだと?」
「はい」
天窓から差し込む光の中、その金の髪をきらめかせジェレジスは頷いた。
「王立研究所の者を派遣してみた結果、彼の国は我が国にはない高度な技術を有していることがわかりました。意思疎通にも問題はなく、我が国に敵対感情はないようです。我が国の更なる発展のためにも、国交を結ぶべきかと」
王の目を見据えそう言い切る彼に、王はため息をつく。
遅くに出来た待望の王子だからと少々甘やかしすぎたかと思いながら。
「……残念だが、それはないだろう。わざわざ魔族の技術に頼らんでもこの国はやってきたし、やっていける。それに敵対感情がないならなぜ魔族は百年に一度我が国を襲うのだ」
話はこれで終わりだと言わんばかりに再びペンを取るが、ジェレジスにとってはこの反応は想定内のようで。表情を変えることも、視線を逸らすこともなく、口を開く。
「我が国に生まれ育った娘が、彼の国の魔王と婚姻を結ぶそうです」
「なに……?」
この言葉には、王の方が表情を変えた。
「先の話の研究員の妹だそうです。魔力持ちだったのでこちらの国では疎まれていたようですが、彼の国ではうまく受け入れられているそうで」
「だとしても、人間が魔王と婚姻を結ぶなどと……」
「そもそも、百年に一度魔力持ちの中でも特殊な者が産まれるとかで、魔族はその者を国に迎えるためにフィロジーアを襲うのだとか」
「……とても信じられん。ジェレジス、嘘ならもっとましな嘘をつけ」
人間にとってみれば魔族は恐ろしい化け物で、彼ら魔族にとっても人間は虫けらも同然の矮小な生き物だ。いくら魔力持ちであろうとも、罷り間違っても婚姻を結ぶものではない。そんな事はありえない。人が家畜と結婚するようなものだ。
そんなありえない嘘に引っかかるものかと王は吐き捨てるように言うと、視線を書類に戻した。
「研究員の父が結婚の許しを魔王本人から請われたと聞いております」
「ジェレジス!」
話したい事があるというから時間を取ってやったら意味のわからない嘘を吐かれ続け、ついに王は声を荒げた。
「そんな意味のわからない話に付き合っている暇はない!出て行きなさい!」
「父上が嘘だと思われるのも仕方ありません、ですが、本当の事なのです」
あまりにも真っ直ぐなジェレジスの目に、思わず怯んでしまう。
思えば、彼は必要のない嘘をつくようなタイプではないはずだ。
実際、ジェレジスの頼みでバルトロジカに通ずる唯一の橋の通行許可を二度ほど出したし、その前に文面は薄らとしか覚えていないが誰かを返すよう要求する手紙を国王名義で何度も出した覚えもある。
前回の魔族来襲でどこかの娘が一人攫われたのは確かなのだ。
つまり、その娘が。
色々気になる点はあるが、もしやジェレジスの話は全て本当なのではないか、その考えが王の頭をよぎった。だとするのならば。
「…………信じがたい。信じがたいが、その者に話を聞きたい、呼んでくれ」
「はい、そのように」
そう言ってジェレジスは一瞬目をきらめかせると頭を下げて部屋から出て行った。
一人部屋に残された王は黙したまま考える。
もし、万が一、本当にフィロジーアの人間と魔王が結婚することになったなら。
そして、その娘とやらが去年魔族が来襲した時に攫われたという娘だとしたら。
我が国の国民を攫った事、王都への被害、それらを盾にこちらは優位に立てるかもしれない。
それならば、話は別である。
が、これまで数百年橋の両端で睨み合うばかりだった国と果たして上手くやれるだろうか。
「バルトロジカ、か……」
その呟きは天窓をすり抜け空へと消えていった。
「リリシアの嫁入り道具を誂える日が来るなんてね」
部屋に山積みになった白木の箪笥やカテリン家に代々伝わる香に新品のリネン類を眺めながらリリシアの母、ヴィオリアが感慨深げに言う。
「あの子は魔力持ちだし、白い髪で生まれてきたでしょう?だから、ちょっと諦めていたの。母親失格ね」
細いレース糸を手繰る。カテリン家の女たちによってひと冬かけて少しずつ編まれたレースは花嫁のベールになる予定だ。
「幸せに、なってくれるかしら。魔族に嫁にやるなんて酷い親だと思われないかしら」
呟きながらも手元ではレースの花が咲いていく。
「あら、種族違いの恋なんて物語みたいで素敵だわ!」
ぱっと明るい声が部屋の中に響いた。
エルーシャは小物入れに花の刺繍を刺していたのを膝に置いて、うん、と伸びをする。
彼女の少女らしい発想に思わずヴィオリアも笑ってしまう。
「それに、あそこでのリリシアはうちでは見たことない顔をしてたわ。あの子あんな顔もできるのねってびっくりした」
レースを編みながらフランシアがどこか嬉しそうに笑う。
姉妹を思いやる二人の優しい心に胸が熱くなりつつ、ヴィオリアはその心に陰る別の不安を感じていた。
「そうね、きっとリリシアは大丈夫よね。……でも、あなた達は」
母の暗くなった声に姉妹が顔を上げる。
「姉妹が魔族に、魔王に嫁入りしたなんて言ったら、あなた達のお嫁入りに陰りが出るんじゃないかって……」
「「そんな相手なら結構!」」
ヴィオリアの声をかき消すように、フランシアとエルーシャの真っ直ぐな声が重なった。
ぽかんとするヴィオリアに、姉妹は笑顔を向ける。その花も恥じらうような鮮やかな笑顔に、彼女の不安はあっという間に飛んで行ってしまった。
「そうね……そうよね!母様だってそんな尻の穴の小さい男の所に可愛いあなた達をお嫁にやるなんて嫌だわ!」
「それにきっとそんなこと言うひと今にいなくなるわよ、人間と魔王が結婚して両国になにもないなんてないでしょう?」
「行き来が自由になってくれないと困るわ、リリシアに会いたいもの。ああ、元気にしてるかしらねえ……」
三人はくすくすと笑い合いながら、また各々針を持ち直すのだった。