33.知らない人から物を貰ってはいけません
昨日ファウストさんに貰った髪飾りを照明の光に翳す。
きらりと光るそれはやっぱり可愛いが、魔王さまではない男性に貰った物を手元に置いておくのはなんだか申し訳ない気がしてしまう。
いくらデザインが気に入ったとしてもこれを使ってしまうのは浮気にあたる気がするのだ。
これを罠に使って諦めさせればと司書さんは言ったが、私にそんな度胸があったら人生もっと楽に生きられたであろう。
矮小な人間の娘がリントヴルムに喧嘩を売るとか怖くて無理である。今の時点でも結構喧嘩を売っている気がしなくもないが。
「なんとか穏便に解決できないかなあ」
たぶんきっとこういう事に詳しいであろう姉や妹は、今は遥か遠くフィロジーアにいて手紙の一つも気軽に出せないので相談する事はできそうにない。
かと言ってセリとたまに司書さんくらいしかまともに話せる相手のいない私には他に相談できる相手なんて、
「そんな事でわたくしを呼んだんですの?」
エマ・ハウフヴェルン公爵令嬢くらいしか思いつかなかったのだ。
エマさんは今日はくすんだ青地に白と黄色の花の舞うドレスをお召しだ。大変似合っている。
「お願いしますエマさん、哀れな人間にどうぞお知恵をお貸しください」
「ま、わたくしの恋を奪っておいて哀れな人間などと!……普通に振ったらよろしいじゃないですか」
「普通に振るってどうやって……」
16年とおまけに26年の人生の中で異性に言い寄られたことなど2回しかないので対処法がまるでわからない。
振るってどうしたらいいの?ごめんなさいって言えばそれでいいの?
そう縋る私をエマさんは呆れ顔で見下ろした。
「貴方のお気持ちに応えることはできません、とでも言ったらよろしいでしょう」
「でも私は魔王さまの婚約者ですよって言っても引かなかった人ですよ……それで引き下がるとは……」
「まあ、しつこい男は嫌われますのに。それでは諦めるまで言い続ける事ですのね、どうせ陛下がお戻りになれば終わる事でしょう」
美しい所作でカップを持ち上げお茶をひとくち。伏せられた長い睫毛が照明に照らされてきらめくのが美しく見惚れてしまう。
「エマさんはお綺麗だからこういう事もきっと多々あったんでしょうね……お疲れさまです」
「あら、わたくし幼い頃より陛下一筋と公言しておりましたからそれほどもありませんでしたわよ」
きょとんと目を丸くするエマさんに驚きが隠せない。だってこんなに美人さんなら言いよる男の十人や二十人いそうなものなのに。
「あれ、そうなんですか?」
「ええ。貴女だってよく見れば見れなくはないお顔をしているんだから今回が最初でもないでしょうに」
「この世に生まれ16年のうち15年はそういう浮ついた話とは無縁に生きておりました……」
貶されたのだか褒められたのだからわからない言葉をぶつけられた私がそう返すと、なんだかものすごく可哀想な目で見られた。
「ま、まあ、いいじゃありませんの。それでも今は陛下の婚約者でしょう?羨ましいにも程がありますわよ」
「なんだかんだエマさん優しいので好きです……」
そう言った瞬間、なぜかエマさんの頬が薄紅色に染まってとてつもなく可愛かった。美人で可愛いとか天は彼女に何物与えてるんだろうか。
何物、と言うと魔王さまもそうだなあ。この世の天はちょっとバグってるんじゃないか、私にももうちょっと何かください。
くださいとは言ったけど、こういうのはいらなかった。
目の前には白い花束と白い髪の見目麗しい男。いっそ眩しすぎる光景だ。
「スノウリリーエという花です。雪の時期しか咲かない花で、花屋でこれを見た瞬間貴女が思い浮かばれまして」
小ぶりの百合のような花が花束の中で可愛らしく揺れる。
「名前もどこか貴女に似ているでしょう?もしや貴女はこの花の精では?」
「私は正真正銘人間です。そんなことを言ってはその花に失礼ですよ」
そう言ってもファウストさんはまるで話を聞いてくれず、その長い指でスノウリリーエなる花を一輪つまみ上げ私の髪に挿し「よく似合う」と小さく呟いた。
セリがお茶を注いでいる一瞬の隙をついての犯行である。
「お仕事だかやる事だかは進んでいらっしゃるんですか?」
髪に挿された花を取りそっとテーブルに置く。私のその行動に少しも気分を害したり残念そうにする素振りもみせずファウストさんは頷いた。
「ええ、お陰様で。もうじき結果が出てくれそうです」
「そうですか」
ということはもうすぐ関所に帰るという事だろうかと内心ホッとする。
「そうだ、これから少しお時間ありますか?」
ホッとしたのも束の間。
私はファウストさんに連れられて城下町にやってきた。
勿論二人きりではない。セリも一緒にいる。
「すみません、年頃の女性の好みに疎いもので……」
曰く、妹へのお土産選びを手伝って欲しいとの事だ。
昨日の髪飾りや今日の花束のようにファウストさんの好きに選べばいいじゃないかと言ったが、「兄さんはセンスがない」といつも怒られているので自信がないそうだ。そうしゅんとして言う姿をちょっとかわいそうと思ってしまったり、妹の喜ぶ顔が見たいのはわかる、と思ってしまったりで、私はこうしてあまりにもちょろく首を縦にふってしまったのであった。
「……と言っても、私も流行りとかはまるでわからないのだけど」
「いいのです。幸福の君がお前のために選んだんだよと言えばそれだけで飛び跳ねて喜ぶでしょうから」
そういうものなのだろうか。
というかそれでいいのだろうか。
まあ、お城の中でもたまに拝んでくる人がいるしそういう人もいるのだろう。世界は広い。
ああでもないこうでもないと三人で言いながら歩いていると、頭をひねっていたセリが不意に足を止めた。
「あ、あのアクセサリーなんてどうです?あの辺のとか、人気ですよ!」
セリの助言に従ってショーケースを覗き込むと、きらきらと煌めくアクセサリーにほんのり胸が高鳴った。
そのうちの一つに目が止まる。
「これ、どうですか?」
おずおずと提案すると二人が頷いてくれた(ファウストさんは何でも頷いてくれそうだが)ので、お土産選びの任はこれで完了である。
「ありがとうございました。これで帰るのも憂鬱ではない、……あ」
いつになく嬉しそうなファウストさんが不意に遠くを見て、「お待ちください」と言ってどこかへ駆けていく。
何事だろうとセリと話し合っていると、手に二つカップを持って戻ってきた。
ふわりと湯気を立てるカップにはココアがなみなみと入っていた。
「お礼と言うにはあまりに簡素ですが、寒い中女性を連れ回してしまったので」
受け取りはするが飲んでいいものか悩む。カップを持ったまま動かない私に気付いたセリは、私のカップを奪い取るとそれに向かってしばらくふうふうと吹いてからひとくち飲み、またしばらくして私を見て頷いてカップを返してきた。
どうやら毒味をしてくれたらしい。セリのその勇気を讃えながら折角なのでココアに口を付ける。温かなココアがお腹の底を幸せにしてくれた。
が、
「だめですリリシア様!もう飲まないで!」
お腹の底だけだったはずのぽかぽかふわふわが全身に回り、思考が曖昧になる。体がどこにあるかわからない。
セリの叫びをどこか遠くに感じながら私は意識を手放した。